暗闇で肉の絡みが律動する。高く、低く、熱く、激しく。
その頂で男は爆ぜ、女は果てる。
身体の下で荒く息をつく女を見、男は早々に己を引き抜いた。もの惜しげな、切ない呻きが木霊する。
暑苦しくも腕を伸ばしてくる女を振り払い、窓辺に立った。表が、騒がしい。多くの人間の、白土を踏む音がする。
ドラゴンの本船が帰還するのは、今夜だったか。月明かりに照らされた道を行き、人々を引き連れる革命軍首領の姿に得心した。
「ねぇ……外なんか見てないで、もっかいシよ」
貪欲な女の性が放つ、甘ったるい誘い。しかし男はさっさと衣服を身に付け、言葉なく拒絶。ケチ、と背中にぶつけられる
不満も無視して、男は部屋を出た。
薄暗い廊下だ。足元だけが蝋燭に照らされ、誰が通ろうと顔は見えない。男女が密会の場として一夜を借り受ける、ホテルのような作り。豪華とは言えないが、集団生活を強いられる軍の中では二人きりになれるというだけで、多少の金銭を払う価値があった。
幾人かとすれ違い、暗黙の了解として互いに関知せず、外への扉を開ける。乾いた土の臭いが鼻腔を埋めた。
直、航海を経て女に飢えた男どもがここへ詰めかける。一週間は満員御礼だとして不思議はない。寝食が満たされれば残るは性の欲求。正義であろうが悪であろうが、人間の求めるものは変わらない。
生物としての本質を同じくしながら、人間は相争う。相憎み、相殺す。
業の深い生き物だ。男は低く呟く。これほどの業を背負い、人はなぜ生き続けるのか。
自らもまた、その一人。
生きてるが故にただ生きている。目的もなく、生を持ったという理由だけで生き続けている。
彩りのない世界だ。
運搬用の車も出入りできる大きさの入り口を潜った途端、ラナは広がる光景に感嘆の息を零した。
整然と並べられた机に向かい、年齢のバラバラな人々(男女比でいえば女性が圧倒的に多い)手に手に針と糸、鋏を携え布を形ある物に仕上げていく。服を、作っている。
革命軍の総司令部が置かれる島、バルティゴ。ドラゴンがその一日のほとんどを過ごす作戦室からやや離れた、生産区とも呼ぶべき区画。アゼリアに連れられ、ラナが訪れたのはその中でも衣服に関わる場所だった。
人と人とが行き交う街とはまた違った喧騒の支配する中、広い空間の奥に向かってアゼリアが声を張り上げた。
「イーゼル!」
目的の人物まで過たず届いたらしく、机の間を忙しなく歩いていた女性が振り返った。瞬間目を見開き、驚いた様子で駆け出す。
「アゼリア……!」
「やあやあ、元気そうで何よ」
「死ねっ!!」
駆けた勢いそのまま猛烈なスピードを減衰することなくいっそ鮮やかな飛び蹴りが炸裂。褐色の女性は土ぼこりを巻き上げつつ道を挟んだ反対側まで吹っ飛んで行った。
「え……え、え!?」
突然の事態に少女はおろおろするばかり。
やがて収まった土ぼこりの中、むっくりと何事もなかったかのように――人としてそれはどうなのかと思わなくもないけれど――起き上がったアゼリアは、身体に付いた土をぱっぱと払い、爽やかな笑みを浮かべて言う。
「イーゼル、照れ屋のお前がこんなスキンシップを取ってくれるとは思わなかった。素直に喜んでみよう」
「うっさいよアゼリア! アンタ昨夜帰って来たばかりで何の用だい!? こっちは毎日毎日単調な作業の繰り返しで退屈してるくせに忙しいんだよ!」
イーゼルというらしい女性は、痩身長躯の身体で近寄って来たアゼリアを睨め下ろした。普通の成人男性に並ぶアゼリアより、更に頭一つ分背が高いのだから相当だ。赤っぽい金の長髪が煮え滾る怒りのオーラを纏いうねっている。ように見える。
「……ふむ、忙しいと言いつつエネルギーは有り余っている様子。ならば頼みごとの一つや二つ朝飯前の夜食前だろう」
「この……っ、何ヶ月かぶりだってのに変わってないねぇ……!」
ギシギシと聞こえる歯軋り。そこでふと、やっと気が付いたように苛烈な瞳がラナに向けられ、少女は思わず後ずさり。
「で、何だいこのちっこいの。アンタの隠し子かい」
「そうだ」
「ちがいますっ!」
聞き捨てならない台詞に憤慨した少女の叫びが挟まれる。
「いつもいつも何でそう適当なこと言うんですか!?」
「楽しいだろう?」
さも当然と言わんばかりのアゼリアに頭を抱えるラナ。それを気の毒そうに眺めるイーゼル。やれやれと腕を組み、眉を上げる。
「頼み事ねぇ。そのちっこい子絡みでアタシに頼むってことは………もしやモデル志望かい?」
「……はい?」
「なるほどそういうことなら協力も吝かじゃないね! 鼻筋目元、全体の輪郭、歯並びに髪艶……ちょいと細すぎるけど、まだ成長期ということも鑑みれば……むむ、この子売れる! 掘り出し物だよアゼリア! アンタも十年に一回ぐらいはいい仕事するじゃないか!!」
「あの」
「そうだろうそうだろう。私も一目見たその時からのめり込んでしまってな。革命軍の協力者に連絡を付けて専門の事務所に売り込みをかける準備もバッチリだ」
「ちょ」
「エクセレントッ! 当然ローティーン向けの雑誌で表紙は飾れるんだろうね!? ああだとしたらこうしちゃいられないっ、すぐにでもこの子に合った衣装デザインを描かないと!」
「話を」
「まあ待て落ち着いてモチつくんだイーゼル。急がば回れと大昔の偉人も言ってることだろう? まずはイマジネーションにインスピレーションを瞑想と共に高めていってだな」
「―――聞いてくださいっっっ!!!」
いぃぃぃぃぃん……と作業場いっぱいにエコーをなびかせ余韻が響く。それとなく入口の様子を窺っていた作業員の方々は、全員そろって首を竦めて手を止める。
一方、少女のすぐ横にいた件の女性二人だが、大真面目に耳を押さえて蹲っていた。
「お……おお、耳……というか、頭が割れる……いや、割れた、か?」
「こ、この声量………オペラ歌手も目指せるよ…………」
『おぺら』なる物の知識をラナは有していなかったが、歌手は分かった。
小さい頃、夢見ていた憧れの一つである。実はちょっと、いやかなり、陰に隠れて練習していた小っ恥ずかしい思い出もある。やり過ぎて喉を嗄らしてしまい諦めたが、喉の瞬発力だけには自信を持っていた。
恥ずかしいので誰にも言えない自慢だったが。
基本、役に立たないし。
「アゼリアさんもイーゼルさんもっ、何で当事者の私を差し置いて勝手に話を進めてるんですか!」
怒り心頭で立つ少女の姿に仁王の影を見つつ、まあまあと、痛い耳を押さえながらアゼリア。
「ラナ娘の言わんとする所は、分かる。ああよく分かるとも。だが」
「だが?」
「それでは、私が楽しくない」
至極真面目な顔で言い放ったアゼリアに、ラナは問答無用で肘鉄を見舞った。
隙間時間でアゼリア自身が暇つぶしに教えていた護身術は、その教えた当人の脇腹へ綺麗に吸い込まれていった。
「……で、イーゼルさん」
「え? あ、いえ、はい」
メラメラと立ち上る炎が見えそうな少女の低い呼びかけに、そして腹を押さえて蹲るアゼリアの様子に、戦々恐々としつつ敬語なイーゼル。
「何か言いたいことは?」
いいえ、何も。と全面降伏の長身女性。
「あ、けど一つだけ」
「?」
首を傾げたラナへと、本当に一言。
「……モデルやらないかい?」
容赦のないローキックが、棒立ちのすねへ叩きこまれた。
『……………………………』
重苦しく、痛々しい沈黙が降り注ぐ。
この日、革命軍アジトにて。
能吏だが人格面性格面で難のある二名の準幹部クラスを瞬く間に沈めた少女へ、一つの通り名が敬意を持って送られた。
曰く――――“常識の鬼姫”
物理的にも精神的にも突っ込みの難しい方々専用軌道修正役として、ラナは早々と革命軍本部の人間に受け入れられたのだった。
何で鬼なの!? と、本人は怒りつつ嘆くのだけれど。
広まった通り名が撤回されることは、以後、二度となかった。
「……不可解。何を蹲っている、母」
静まり返った作業場に、平坦な声が伝播した。
低く、鋼の冷たさを帯びた声。純度が高い故に熱を持たぬ、鍛鉄されし鉄鋼の声音。
未だ熱く火照っていたラナの怒りが、一瞬で冷えた。反射的に、生物的に、振り返る。
鈍色の双眼と、視線が絡んだ。プラスにもマイナスにも温度差なき零度の瞳が、少女を射竦める。
(っ……この、人)
背中に一筋の冷や汗が尾を引き、しかし瞳の交錯は、相手の関心が失せたと同時に終わる。脛の痛みから復帰したイーゼルがよろめきつつ立ち上がり、鈍色の目はそちらへ向けられた。
「アンタ……この忙しい時にどこ行ってたんだい」
「忙しい時に座り込んでいた母に告げることはない」
「そうかい?」
「ああ、ない」
ばちばちばち、といきなり一触即発。とばっちりを避けて未だ蹲るアゼリアの傍へと逃げたラナはひそひそと。
「アゼリアさん、誰ですかあの人」
「……最近、ラナ娘がたくましくなって来たように思えるのだが、どうしたものか」
「主にファンとアゼリアさんのせいですよ……」
心を強く持たないと、押し潰されてしまいそうで。小さく、ラナは物憂げな息を吐く。溜息を振り払い、それで?と尋ねる。
その一動作に目を細めたアゼリアは、しかし何を言うでもなく、元からダメージなどなかったように身を起こし、いう。
「ロドリー・カーツ。イーゼルの息子だ。歳は確かラナ娘の二つ上。見た目通りの人間だな」
「見た目通りって……」
投げやりな説明だと、ラナは思うけれど。しかしこれ以上なく的確に表しているようにも感じた。
冷やかに母であるイーゼルと火花を散らす、鈍色の目をした青年……よりは、若い見た目。親の血だろう、背が高く、背伸びしたラナの頭のてっぺんが胸に付くか否かというほど。
けれど、出会って数分程度とは言え分かり過ぎるぐらい感情的なイーゼルとは真逆に、冷え冷えとしている。表情はないのではなく、冬の鉄器みたいに冷たくて、触れようとした手を引っ込めたくなるような印象。無造作に切った赤みがかった金髪が、親子の関係を示している。
(似てない……けど)
赤紫の少年と、どことなく、イメージが重なった。
姿かたちに似通った個所などまるで見当たらないのに。
普通の人から理解されず、理解し得ないが故に独特な、けれど似通う特有の雰囲気を、ラナは感じた。
興味を、持った。
「…………♪」
ずるり、ずるりと、重量のある物体を引きずる音。それに混じって、機嫌よさげな鼻歌が日の暮れた森に響く。
延々と、引き摺りの音は続く。それは浜辺に着くまで止まらない。繁った葉に隠されて、音の正体は闇の中。しかし獣と虫を惹き付ける、生臭い血の香り。
ずるり。ずるり。ずるり。ずるり……。
ふと、唐突に、道が開ける。頭上の月から、明かりが射す。引きずる者と、引きずる物が照らされる。
月光の下、色合いを落とし、黒く見える赤紫の頭が覗く。
その肩に、太く長い獣の尾、鱗に包まれた爬虫類の尻尾。
引きずり、引きずられ、血の跡を引き。
首のない、巨大な巨大なトカゲが一匹、運ばれていく。
それは七日目の晩のこと。
上機嫌な鼻歌が、真っ暗な森の彼方へと、ゆらぁりゆらり、染み渡る。
-----------
人生の岐路は実感なく襲い来る。
全てが小説の如く運べば、投稿が遅れることはないだろうに。