姓は北郷、名は一刀、字は持たない〔一〕。
霊帝の頃、管輅の占いに「東方より飛来する流星は、乱世を治める使者の乗り物」というものがあり〔二〕、昭烈帝が故郷の流星の落ちた先で見付けた天界の人である。いつも天界の輝く衣を来ていた。
〔一〕「北郷伝」にいう。二字姓に二字名、字が無いのは天界の風習である。
〔二〕臣裴松之が思うに、霊帝存命の頃、まだ管輅は産まれていない。卦を立てる事があろうか?
いづれ書写の誤りであろう。
昭烈帝の配下に加わった北郷一刀は、当初黄巾賊退治に参加したが、武を得意としなかった為、主に内政を担当する事になった〔一〕。
〔一〕「北郷春秋」に云う。北郷一刀の仕事は城下の警邏であった。町を騒がす華蝶仮面に対し、その正体を
見抜いていたという。
臣裴松之が思うに、警邏は武官の仕事であり、矛盾している。また、北郷一刀の内政に関し、伝わる
成果がないことから、北郷一刀の仕事は当初より閨房であったのではないだろうか?
なお華蝶仮面については方技伝に詳しい。
北郷一刀が最初に愛した女性は昭烈帝であった。ある日街へ出かけた筈の昭烈帝と北郷一刀は、昭烈帝に誘われ、そのまま森の外れへ行き、服を来たままの野合に及んだ。
次いで北郷一刀が愛したのは関羽であった。演習の帰り、関羽に誘われた北郷一刀は、同じく森の外れにて服を来たままの野合に及んだ〔一〕。
北郷一刀から誘わずとも、女の側からの誘いで閨事が行なわれた。北郷一刀が女を愛する時、みな、このようであった。
〔一〕服を来たままの野合というのは、裾を捲くり上げるだけの簡易な交わりをいう。
臣裴松之が思うに、裾だけというのは男性の心理としてありえない。
昭烈帝も関羽も巨乳で名を馳せた武将である。まして人のいない森の外れである。
少くとも胸ははだけていた筈である。
張飛は、諸葛亮と鳳統の計略により北郷一刀の部屋に夜這いに走った〔一〕。
その後、諸葛亮と鳳統は、趙雲の計略により夜這いに走った〔二〕。
〔一〕臣裴松之が思う。この時の諸葛亮と鳳統は老練な知識で幼い張飛を欺いた。
張飛は北郷一刀に愛されたが、結果はどうあれ非道の行ないである。
〔二〕「桃園別伝」にいう。更にその後で趙雲も夜這いに至った。
昭烈帝が平原の相になり徐州牧になった際も従い、閨をともにした。徐州を捨て蜀を得た際にも同行し、趙雲、呂布や陳宮、馬超、馬岱、魏延、公孫賛、袁紹、顔良、文醜、黄忠、厳顔、孟獲と南蛮兵までも関係を結んだ。
北郷一刀は、相手の年齢を気にしなかった〔一〕。誘われると拒まなかった〔二〕。
あまり愛撫はしなかった。処女にもあまり配慮はしなかった。また、中出しを好んだ〔三〕。
〔一〕「北郷記」にいう。北郷一刀は相手の年齢だけでなく、人数や場所もあまり気にしなかった。
但し森外れの小川は特に好んだ。
〔二〕孫盛がいう。北郷一刀は相手の年齢を気にしなかったわけではない。幼い黄叙には手を出していない。
これは北郷一刀に確固たる守備範囲があった事を示し、ただのちんこ太守呼ばわりは誹謗中傷である。
臣裴松之が思う。黄叙に手を出していないのは、彼女に十分な知識が無く、彼女から誘わなかったからである。
もし誘っていたら必ずや事に及んでいただろう。ちんこ太守呼ばわりはふさわしく、孫盛は間違っている。
〔三〕臣裴松之は思う。この様な性癖で多数の女性を魅了し続けた事は理解できない。
徳というものであろうか?男としてかなりうらやましい。
赤壁後は魏や呉の君主、武将とも関係を持った。
卒した時、子たちは皆、それぞれの母の家を継いでいた為、北郷家は断絶した。
評にいう。
北郷一刀は武無く、文も疎かだったが、閨房で将達をつなぎ止め、平和の到来に大きく寄与した。
これはこれで一代の傑物ではないだろうか。