・宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー
ティラノサウルス……。
俺の目前に立っているのは、まさにソレとしか言いようの無い存在だった。
暴君竜、T・レックス……。太古の地球に棲息していたと言われる、覇王……。
俺を約20メートルほどの高みから、冷たい瞳で悠然と見下ろしている。
ゴクっ……。俺の喉がゆっくりと動き、唾を飲み込む。
周囲を取り囲む緑色のジャングルの中で、大型の動物の咆える声が響き渡っている。
目の前に立つ暴君竜の鼻がヒクヒクと動く。
まるで、俺が喰える存在なのかどうかを、嗅ぎわけようとするように。
巨大すぎる口から、真っ白な牙が覗いて見える。
その一本一本が、分厚いナイフよりも遥かに鋭く感じられる。
そして唐突にT・レックスが動きを止める。その冷たすぎる瞳に、ジッと俺を見据えたまま。
いつの間にか周囲の雑音が静まり返っている。ムッとする植物の青臭い香りが充満しているジャングルの中。
だが今、この瞬間だけは……、まるで、俺と暴君竜だけの世界。緊張……。俺は唾を飲む事さえ出来ず、ただ目の前にいる暴君竜を見つめ続ける。
突如、ドンッ!! と大地が揺れる。
ティラノサウルスが巨大な後ろ足で大地を蹴り、想像をはるかに超える速度で、瞬時にソレが俺に迫りくる。
大きく開かれた口。恐ろしくビッシリと生え揃った白い牙。真っ赤な口腔内にはグロテスクな紫色の舌。
「うわああああああっっ!!!」
俺の喉が勝手に動き、咆哮を上げる。迫りくるその牙に一瞬逃げ出したい欲望に駆られる。
いや……。大丈夫っ!! 大丈夫のハズだっ!! 自分自身へと必死に言い聞かせるが、恐怖に負け思わず目を固くつぶってしまう。
閉じた瞼の裏。T・レックスの巨大なアギトが迫り来るのをハッキリと感じる。
そして…………、
「ガアァァァアアアッッッッ!!!!」
ポニョンっと、俺の体へまるで子供が抱きついてくるような、弱い衝撃。
そして、T・レックスの苦痛の声だろうか? とにかく半端ないほどの大きな叫び声。
それが周囲のジャングルへと響き渡る。ガサガサと回りで音がする。何かが逃げていくような、そんな響き。
ギャアギャアと、遠くで大型の猿が咆えるようなウルサイ声。先ほどまでの静寂が嘘のような、生き物に満ち溢れた喧騒。
「ふひっ、ふふふふふ……。やったっ、やったぜ。今夜は肉だっ!! こいつは腹いっぱい喰えるぜっ!!」
まだフニフニと俺の体に噛み付いているT・レックス。その鋭い歯を素手で優しく掴む。
ここが肝心だ……。あまり強く握ると、砕けちまう。そのまま、撫でるような感じで両手を広げ、巨大な頭部を優しく抱く。
もしも、T・レックスに現状を理解できる知能があったなら、まさに悪夢のような状況だと思うだろう。
噛み付いたハズの獲物……。なのに全く牙が刺さらず、それどころか自分の数倍の力で頭部を固定されているのだ。
異常を感じたのだろうか、振りほどこうと、T・レックスがブルブルと頭部を動かしだす。
逃がさない……。両腕、両足に徐々に力を込めていく。とにかく、力加減が難しい。優しく、優しくしないと、グズグズに潰してしまう。
どろぐちゃになったT・レックスの脳ミソまみれなんかにはなりたくない。
「おりゃ、っと」
巨体を頭上へと優しく持ち上げて、そのまま軽くジャンプ。周囲の緑色をした樹海を一瞬で越える高さまで跳躍する。
目印を探す。俺が墜落初日に、腹立ち紛れにぶっ壊してしまった『元』山を……。
「おっ、あった……。アッチか」
相変わらずブンブンと暴れるT・レックス。時折、短い前足や尻尾が俺に当たるが、まるで子猫にじゃれ付かれているような感じだ。
スッ……っと、優しく着地をし、目標に向かってT・レックスをズリズリと地面に引き摺りながら歩く。
本当は走りたい……、だが下手に走ってしまうと暴君竜が死んでしまうかもしれない。
この星の生命体は、すぐに死んでしまう。そして、腐食が異常に早い。
船のマザーコンプがイカレている為、はっきりした事は何一つ解らないが、この星の重力が地球の十分の一以下であることや、物質の構成密度が低い事が関係しているのかもしれない。
実際には、仮に腐った肉を食ってしまっても、俺の細胞の中で蠢き回る『L-陽子PW型ナノマシン』 がどうにかしてくれるだろうと思う。
だが、味だ。いくら喰っても平気だとは言え、やはり腐った肉は不味いのだ。歯触りもニチャニチャと酷い上に、舌がビリビリとしびれるように苦い。
「新鮮なお肉……。ああ、これでコショウでもあれば……。いやぁ、船が故障して、コショウがありません……」
泣きたくなる……。いや、堪えきれず涙がこぼれてくる。絶望的だ。
まだ生命年齢で言えば17歳なのに……。こんな星で独りきり。童貞なのに……。夢に満ち溢れていたはずなのに……
ため息しか出ない。やっぱり、一攫千金を求め、トリッパーに応募したのが間違いだった。
環境適応用のナノマシンを植え込まれ、個人用の船に乗り、宇宙の彼方に送り出されるトリッパー。
通常であれば、ポジション通信の届く範囲に送り込まれ、資源を豊富に含む星を発見する仕事。
勿論、リスクが高いことは解っていた。しかしいくらなんでも……これは……。俺が目が覚ませば見知らぬ惑星。ポジション通信も使用不可。
さらにマザーコンピューターまで壊れているなんて、悪夢以外のナニモノでも無い。
「誰か、捜索隊……。いや、無理だよなあ」
ズルズルとT・レックスを引き摺りながら歩く。
そもそも、俺から救助信号を出せない以上、広大な星の海の中、俺を見つけられるワケが無い。
こうやって酸素があり、生命体がいる星へとシップが不時着しただけでも奇跡なんだろう。
トリップ途中で、ブラックホールに突っ込み死んでしまうヤツラだって相当いるという話なのだ。
考えるほど気が滅入る。気がつくと、ジャングルを抜ける所だ。なにげなく、歩いてきた後ろを見る。
「あ……」
ブツブツと呟きながら歩いていた所為だろう。俺の体が触れた木々がへし折れている。
足元の植物や、でかいツタがバキバキに踏み潰ぶされ、まるで資源星削岩用の大型機械が通ったような惨状になっている。
「うわっ。しまった……」
悪いことをしたと思う。いや、仕方が無いとは解ってる。
俺がこの星で生き足掻くと決めた以上、こういう環境破壊は避けて通れない。
T・レックスも、俺が来なければ今も元気に狩りをしていただろうし、それがこの星の自然な姿だろう。
でも、俺は自殺出来なかった。船が全く動かない事を知った時、死のうかな……、とも考えたが怖くて出来なかった。
だから、生きる。この星の生命にとっては、とんだ迷惑だろうけど、天災だと思ってもらうしかない。
しかし、それと無駄な環境破壊はまた別なような気もする。
が、それも結局のトコ、無駄な考えだ。あと何十年か後には俺は独りで死んでいくんだろう。
それでもこんな無駄な事を、グダグダ考えられるようになったってことは、随分落ち着いたって事か。
不時着直後に目を覚ました時は、本当に酷かった。現状を受け入れられないまま、周囲のモノに八つ当たりをした。
最初、おかしいと気付いたのは唾だった。俺の吐き出した唾で、岩が砕けちるのだ。
握った石は砂のように粉々になる。大木を蹴れば、まるで飲料缶を蹴ったような勢いではるか彼方へと吹っ飛んでいく。
大地を全力で殴りつけると、隕石が落下したような小さなクレーターができた。
まるで、コミックデータの中のスーパーヒーローそのもの。誰も人類のいない星で、孤独な超人。
溢れてくる怒り、狂気スレスレの笑い。そして、絶望と慟哭。
鼻水を垂らしながら、狂気に駆られ、山を壊していった。何の役にも立たない行為。
でも気がつけば、木々だらけだった山が、まるで隕石が降り注いだ後の様に、ボロボロになっていた。
「はぁ……」
まだピクピクと痙攣し、なんとか生きているT・レックスを引き摺りながら、破壊した山に置いてある船に近づいていく。
アソコが俺の住処だ。まだこの星に来て三日目だが、すでに愛着が沸き始めているような気がする。
とりあえず、船に着いたらメシにしよう。
そして、明日は探検でもしよう。殆ど可能性は無いだろうが、もしかしたらこの星にも文明をもっている生命がいるかもしれない。
宇宙法では、現地知的生命体との接触は、基本的に探査資格保持者にしか許されていなかったはずだが、もうどうだっていいだろう。
そもそも、存在しているかどうかも解らない。もし存在していたとしても、俺に解るような形態をしていないのかもしれない。意思の疎通が困難な珪素タイプやゲル状の知的生命体なら完全にお手上げだ。俺のようなサバイバル訓練しか受けていない素人に判別できるハズもない。
「ま、メシだメシ……」
遠くに鈍い銀色に光る船が見えてくる。エンジンはかかるが、マザーが壊れているため寝るくらいにしか役にたたない我が船。
俺はため息を吐きながら、ズリズリと暴君竜を引き摺りつつ、そこまでゆっくりと足を進めていった。