『夢の国、地虫の話』 第五話
「5本? ハッ、駄目駄目。ここいらじゃ、もうコメレスなんて流行ってねえんだよ。そんなダウナーより、ピヴィ粉の方がブットブぜ。まあ、10本。うん、10本なら、カシラに取り次いでやるよ」
工業エリアの小便みたいな色の太陽が、ジリジリと俺達の肌を焼く。
歓楽街エリアでは吐く息が白くなるほど寒かった。ここ、工業エリアも朝は寒かったが、太陽が昇るにつれクソのように暑くなってきていた。
下水暮らしで陽光を浴びることが少なかった俺とゾウムシは、汗を流しながらこのエリアの『ハグレ』と交渉を続ける。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。よく見てくれよ。このコメレスの質の良さは解るだろう? なかなか味わえねえ上モノだ。ピヴィ粉のブットビはそりゃイイがよ、コメレスの憂鬱もイイもんだぜ。6本だ。駄目なら、他のヤツに持ちかけるぜ、『カシラ』に取り次ぐだけだ。難しくねーだろうがよ」
目の前に立つ、陽光を和らげる為の白い布を全身に巻いた工業エリアのハグレ。
地上に出てから最初に遭遇したハグレ。身長が高く引き締まった体型。肩幅はがっしりと広いが左腕が無く、口は耳まで犬のように裂けている。
どこか猛犬を思わせる顔、その二つの目は鋭く光を発しており、深い知性としたたかさを感じさせる。
俺の言葉に、ソイツは犬のように大きな唇をニヤリと歪める。巨大な歯が、まるで本物の犬のように唇の端から覗く。
「しつこいクソ野朗だ、仕方ねえ。が……、8本だ。『カシラ』は忙しい方だ。こっちもリスクがあるんでな。俺は、お前等が誰とか興味はねえ。だが、その様子から見ると、どう考えてもワケ有りだろう?カエルの巣を今抜けてきたって感じだ。早く『カシラ』に認めてもらわねえと、ヤバイんじゃねーのか? ん?」
俺は横目でゾウムシの様子を見る。無用なトラブルを避けるために、ボロ布で綺麗すぎる顔と長い銀髪を隠すように巻き、立ったまま無言で俺のやりとりを見つめている。
だが、体力的にもう限界だろう、いつぶっ倒れてもおかしくない。
「わかった。8本だ。だが、『カシラ』と会えるまでの間、休む場所とメシを用意してほしい。その条件なら10本くれてやるよ」
足元に唾を吐きながら、ポケットから全ての紙巻コメレスを取り出す。よそ者が紹介状も無く『カシラ』に取り次いで貰う相場としても、かなり高い。だが仕方無い。
とにかく、他のエリアに移動したときには真っ先に『カシラ』に会い、他のハグレに通達してもらう必要がある。
でなければ、殺されはしないだろうが、食料以外の物を全て剥ぎ取られ、下水にでも放り出されかねない。
「オーケー、ゲロ野郎。名前を教えろ。今から取り次いでやるよ。先に言っておくが、ここの『カシラ』は気難しい。会えるまで時間がかかるかもしれねえ。先に俺の腐れホームに案内してやるよ」
一本だけの右腕で、俺の肩をポンポンと気安げに叩く。その右手はがっしりとした筋肉に覆われており、豚のウシアブ並みに巨大なコブシは圧倒的な力を感じさせる。
名を告げた俺達に、尖った顎でについて来いと合図をし、振り返り、先を歩いていく。足取りががっしりと安定しており、体重のブレもない。かなり暴力ざたに慣れているのか、よそ者である俺達に背中を見せているのに、余裕たっぷりで先を進んでいく。
まあ、警戒する必要もないほどに、貧相に俺達が見えているだけかも知れないが……。
そんな俺の思考など知るはずも無く、先を行く男は早足で進む。堪えきれずふらつくゾウムシを時折支えながら、俺達は必死で後を着いていく。
喉が渇ききっているのに、汗は滝のように流れ、足元へ点々と落ちていく。路地上のザラザラの砂があっという間にそれを吸収していく。
強い風が時折吹き荒れる。砂の混じったその風が俺達の肌を叩きつけ、その度に小型の蜂に刺されたような、ピリピリとした痛みがはしる。
クソッタレの太陽が、相変わらず何の容赦もなくジリジリと俺達の肌を焼き続ける。
何分ほど歩いたのか、ようやく遠くにボロボロの家が見える。また強風が俺達の肌を叩く。口の中にジャリジャリとした砂が入り込む。何度唾を吐いてもすぐに口の中へ砂が入り込む。とがった砂が入り込む瞳が、熱を持ったようにピリピリと痛む。下水とはまた異なった厳しい環境。
この辺りに『ハグレ』しか住んでいない理由がコレだ。この工業エリアは植物が少なく、砂が多い。また、常に強風が吹き荒れている。
その為もうずっと昔から『夢人』『普通人』『奴隷』は地下都市に住んでいるという。俺は侵入した事が無いが、うわさでは地下にも関わらず下水とは全く違うほど清潔で、明るい世界が広がっているらしい。
専用通路を使い、地下から一度も地上に出ることなく『普通人』と『奴隷』は工場へと出勤し、働き終えた後、また地下の街に帰っていく。
もうこれ以上は歩けないと思い始めた頃、ようやく一軒の家に辿り着く。大きさ4メートルほどの布で作られた三角形の住処。入り口から見える場所に、乾燥したカエルどもが大量に置かれ、奥には眠るための場所だろうか、柔らかそうな布が見える。入り口横には水がめが置かれており、たっぷりと砂混じりの水が湛えられている。
俺のカラカラの喉が鳴る。弱みを見せてはいけないのだろうが、疲労と空腹がピークに達しており、今すぐにでも水がめに顔を突っ込みたい欲望に駆られる。
「ああ、言い忘れていたが、俺の名はナットだ。じゃあ、アバラとゾウムシか、クソッタレな我が家へようこそだ。メシはそこいら辺の物を喰っとけ、俺はカシラに会って来る」
欲求を抑え切れない俺達を見透かすように、ニヤニヤと笑いながら、ナットと名乗る男は去ろうとする。その背中にあわてて問いかける。
「いいのか? 解ってると思うが、全部喰っちまうかもしれねえ。水もだ」
ニヤリとまたもや犬のように歯をむき出しにして、ナットが笑い、言葉を返してくる。
「ああ。最近このエリアは仕事が多くてな。皆、水と食い物には困ってねえ。お前等、死にかけのニワトリよりもきつそうだ。遠慮せず喰え、じゃあな」
笑いながら歩き去るナット。その姿を確認するや否や、俺達は水がめへと急いで顔を寄せる。大きさ50センチほどの水がめに二人で顔を寄せ合い、犬のように舌を伸ばし、必死で水を貪り始める。
カラカラに乾ききった体に水が染み渡っていく。美味い……。時折、ジャリジャリと砂が口に入るが、全く気にならない。俺もゾウムシも、ただ時を忘れ、無我夢中で水をすくい、飲み干していく。全ての疲れが吹き飛ぶような快感。乾ききった体に水が染み入る喜びには、どんなドラッグも勝てない。
飽きるほど水を貪った俺達は、ようやく乾燥カエルに手を伸ばす。
大きく口を開き、歯を立てる。歯に乾燥した足のスジが絡むほど固い肉。だが、ほどよい塩気があり、一噛みごとに肉の凝縮された旨みが溢れてくる。コリコリとした食感の目玉が特に美味い。奥歯で肉を噛み締めるほど、濃厚な味わいが口の中いっぱいに広がる。
次々と手を伸ばす。皮を歯で噛み千切り、骨の周りの肉一片も残さぬようにしゃぶる。骨の中からすら、吸うごとに旨みのエキスが溢れる。
「めっちゃおいしい!!アバラ!!最高だよっ!!!」
顔の布を外し、ピンク色の唇をカエルの油でテラテラと光らせながら、満面の笑顔でゾウムシが叫ぶ。俺も笑みが浮かぶ。強風に銀色の髪が舞う。辺りにゾウムシの、どこか牡を誘うようなほのかに甘い体臭が漂う。
「あああっ!!みてアバラ!!ギタールがあるっ!!弾いてよ、ねえ。弾いて!」
テントの奥、あのナットの持ち物だろう。古びた弦楽器がある。一見ボロボロだが、掴むと手にしっくりと馴染む。あの男は片腕だったが、良く手入れされているのか弦も錆びておらず、ピンと張ったまま、物陰へと丁寧に置かれている。
弦に指を這わせる。優しく、柔らかく、女の乳房に触るように。キュッという音、ポロンッと暖かい音、様々な音が空間にはじける。
目を閉じ、記憶の底から譜面を思い出す。しっかりとギタールを握り締める。両手が動き出す。それはかつて俺の中にあった音。
どこか懐かしく、クソまみれな人生なのに、過ぎた後は全てが愛しい。それは旧い曲。遠く離れた恋人を想い、男が作った曲。かつて、過ぎた時に俺が何度も弾いた曲。
俺のメロディーに合わせ、ゾウムシがハミングする。最初は控えめに、じょじょに大きく、大胆に。
透き通るような声。その声とギタールの音色が、哀しく、優しく、テントの中に溢れる。
それは旧い旧い唄。戦火に追われ、離れ離れになった恋人。それぞれが孤独に、必死に日々を生き抜きながら、互いを想い唄った詩。
『それでも、貴方とわたくしは、きっとまた出会えるでしょう。ひと目でいい。ただ、一瞬、触れるだけでいい。貴方が生きていてくれるなら。わたくしが生きたと、貴方に知って貰えるなら』
ゆっくりと最後の旋律を弾く。あまりにも久しぶりに弾いた為か、両手の先がジンジンと熱い。だが、悪くない。頬が緩む。
いつの間にか、俺と背中合わせに座っていたゾウムシ。その長い銀髪が風になびき、柔らかく俺の肩に降りかかる。
背中ごしに伝わるゾウムシの温度。安らかな寝息が聞こえ始める。体力の限界だったのだろう。
俺もディスクの入った荷物袋を胸に抱き、ゆっくりと目を閉じる。猛烈な睡魔が俺を襲い始める。
だが、眠りに落ちる寸前、昨夜の事が脳裏に浮かぶ。
俺は、あの時……、ナニカに気付いた。何だ?コメリスを抜き取ったあと、足で死体を蹴った。最後に顔が見たかったからだ。
夢人の整った顔が苦悶に苦しんでいる表情を。だが、そこで見たんだ。俺は……、何を………………。
意識がゆっくりと闇に沈む。俺は、夢の無い暗闇へとただ転がり落ちていく。