『夢の国、地虫の話』 第四話
「ア、アバラ……、も、もう歩けない。ちょっと休憩しよ、ね」
愛しのクサレ我が家から、九時間ほど歩いたぐらいか。俺の後ろでさっきからフラフラしているとは思っていたが、とうとうゾウムシに限界が来たようだ。
「ちっ」
舌打ちを一つ、足を止め周辺を見回す。流れてくるクソやゴミの量がずいぶん少なくなって来ている。代わりに、鼻を刺す薬品の臭いが酷い。
歓楽街エリアを抜け、工業エリアに近づいた証拠だろう。
下水に住む生物も随分と様変わりしている。やたらと蛙が多い。赤、グレー、ショッキングピンクに、一番多い色はゲロ色だ。
未消化のゲロそっくりのブツブツを体中に纏った、うす黄色の蛙。壁面、足元、頭上、所々にある地上へのステップ、時折ある壁面の裂け目、とにかくそこかしこに蛙が蠢いている。
五センチほどの大きさのソイツらが、鳴き声も立てずに足元を行進し、流れてくる汚水の中を埋め尽くすほど大量の群れで泳ぐ。
歩く度に何匹も踏み潰しているが、ボロ靴ごしに伝わる感触はグニャリと柔らかく、犬のクソを踏んだ感触そのもの。
踏んだその瞬間だけ、人間がゲロを吐く時と同じ声を出し、ドロドロの内臓を盛大に撒き散らしながらくたばる。
「吸うか?」
ボソリと言い放ち、コメレスに火をつける。返事を待たずに、ハアハアと喘ぎ声を漏らす、ピンク色をした柔らかそうな唇へと咥えさせる。
そのケムリを吸いながら、力なく座り込みそうになるゾウムシの腕を掴み、無理矢理に立たせる。
「下手に座るとヤバい。この辺りは工業エリアに近い。ケツがドロドロに溶けて、延々とクソを垂れ流す事になるかもしれねえ。ほら」
強引にゾウムシの柔らかい体を、俺の肩に寄りかからせる。あまり汗をかかないハズの天使だが、全身から汗をこぼしている。
イカレXXXのウシアブに殴られた所が痛むのか。まあ、華奢なフタナリにしては頑張ったほうだろう。
正直、俺も辛い。ゾウムシのように改造された高級存在ではない俺は、当然だが喉の渇きが早い。
歓楽街エリアを抜ける間で、壁面にびっしりと生えたコケやヘドロから、水分をとってはいたが、この辺りでは全くコケが生えていない。
頭上から時折垂れてくる水滴には変な苦味があり、なにより通路に所々ある水溜りに生き物が住んでいない。
下水のクソよりもタフな生き物さえ、全く棲息できない水だということだ。
このエリアになんとか対応したらしい蛙どもも、流水には棲んでいるが水溜りには全く近寄ってこない。
一見、最高に綺麗な水に見える。だが、これを飲むくらいなら、自分の小便のほうが遥かに安全だろう。
「ねえ、あと、どれ位歩けばいいのかな。や!、いや、元気だよっ!ワタシ元気だけどっ、ちょ、ちょっとダケ……、知りたいなーって」
俺の肩に寄りかかり、熱い吐息をこぼしながら、ゾウムシが囁き声で尋ねてくる。
足手まといになり、俺に置いて行かれる事を心配しているのか、性病持ちの売春婦並みに控えめな態度。
「あと三十分くらい歩けば、工業エリアの『ハグレ』達が住むステップだ。そこまでだ……」
喉にビリビリとくる空気を吸い込みながら、ゾウムシに告げる。
工業エリアの『ハグレ』達は畸形が多い。手が無いとか、二つの目が顔の半分に寄っているとかは当たり前。
全身からクソそっくりの汁を垂れ流しながら生きているやつらも大勢いる。
だが、たくましく生きている。気のイイやつらも大勢いれば、イカレてるやつらもクソのようにいる。それはどこのエリアだろうと変わらない。
工場の排水が凄まじい毒性を持つため、『ハグレ』の中では珍しく、あいつらは地上に家を持つ。
俺が数年前に訪れた時には、器用にボロ布で汚物塗れの家を作り、そこでしたたかに生き抜いていた。
なんとか『カシラ』に取り次いで貰い、ドラッグディスクと交換で話をつける。そこまでの辛抱だ。
「よし、行くぞ……。腐れXXX」
相変わらず、犬のクソそっくりの感触で潰れていく蛙を踏み潰しながら、俺たちは無言で足を動かす。
時折、左手でゾウムシの体を支え、右肩に背負う二人分の荷物の位置をなおし、あらい呼吸で歩き続ける。
足を動かしながらも、イカレタ俺の脳ミソが、なぜ腐れ豚のウシアブが『ハグレ』の不可侵ルールを破ってまで巣に襲ってきたかを考えろとせっつく。
基本的に、『ハグレ』は誰の指示も受けない。勝手に生きようとあがき、勝手に肥溜めみたいな巣で地虫のようにくたばる。
ハグレが守る戒律は三つだけ。
『助けられそうな仲間は助けろ』
『仲間の食い物は奪うな』
『決して仲間を殺すな』
だが、俺を『姫』に売ろうと皆が探していたと、モヒカン頭のカメムシが言っていた。
脳の代わりに母親のクソがみっしりと詰まって生まれてきたであろう、あの交尾豚のウシアブですら三つの戒律は守り、他の『ハグレ』からの信頼も高い。
アホ丸出しのクソ太い腕を縦横無尽にふるい、自治人や普通人から何度もハグレ達を守り抜いていた。俺も何度か助けられたことがある。
そんな『ハグレ』が仲間を売ろうとする状況……。
つまり、歓楽街エリアの『カシラ』が『俺を助けられない』と判断したという事。
昨晩に俺が殺した夢人。俺の黒夢の特性上、あまり記憶に残っていない……。それでも、必死に思い出そうとあがく。
確かに脅威的な身体能力と、黒夢を使っていたが、それとは別によほど貴重な夢を持つ夢人だったのだろうか。
最後に「ぼ、ぼくが夢見た、さ、さ、最強の能力がぁーーーー」と叫び、鼻と口からゲロを噴水のように噴出し、小便とクソ塗れになってくたばった。
死んだ本人だけは独特な夢だと思っていただろうが、俺が見た能力だけを考えると、クソにたかるウジよりもありふれた能力だったが……。
どうも、はっきりしない。そもそも、どうして俺がソイツを殺すことになったのかも、ぼんやりと霧がかかったように曖昧だ。
昨晩、俺はあのホテルで『黒夢』を使った……。その後、目の前の死体から、コメリス紙巻と、そして、そして……、
「アバラッ!!アバラッ!!ここ違うの?もう随分歩いたけど」
俺の腕にいつのまにかくっ付いていたゾウムシが、その腕を引っ張りながら声をかけてくる。一瞬、何事か解らないほどうろたえる。
コメリスが想像よりキいていたのだろう、時間間隔が曖昧としている。だが、確かにそのステップには、記憶通りのキズに見えるシルシがあった。
「あ、ああ……、助かった。腐れフタナリ」
「いいよ、いいよん。ココ?ようやく着いた?」
頷きを返し、邪魔なゾウムシの腕を振り払う。確かにココだろう。
ステップに、踏み潰された蛙の死体が山のように積もり、モルグのような腐臭が漂っている。
歓楽街エリアのゲロとクソの臭いも強烈だが、薬品とこの蛙の腐臭の臭いも、負けず劣らず凄まじい。
込み上げてくる嘔吐感を抑えながら、ゆっくりと急な角度のステップを登っていく。
「ゾウムシ、きっとどこかから見られてるからな。変な事するなよ、ぶち殺すぞ、マジで」
俺の前で、ゼェゼェとあらく吐息をもらしつつ、青い顔でステップを登っていくゾウムシに忠告する。
舌打ちをし、その背中を軽く押す。ヌルヌルと滑る足元に気をつけながら、一段ずつ踏みしめるように足を出し、ひたすら出口を目指す。
「どけ」
蓋に辿り着き、ゾウムシを押し退ける。ここは仕方ない。荷物を二つともゾウムシに預け、渾身の力で蓋を外していく。
疲れのあまり、両腕がブルブルと痙攣。ポタポタと汗が垂れ、滴が目に入り痛む。かなり重い。不思議な事に、エリアごとに蓋の大きさが違う。遥か昔、エリアを創造した夢人が異なるのかもしれない。ギシギシと奥歯を噛み締める。全身の力を、両腕に込める。
「わぁ……」
ゾウムシの声。
ゆっくりと開いていく蓋の隙間から、柔らかな光が差し込む。蛙の腐臭を追い払うような、新鮮な空気が一気に流れ込む。
朝だからだろう。ひんやりと冷えた空気が、どこか清涼感を感じさせ、歩き疲れた俺達を癒す。
「着いた……」
ようやくクソ重い蓋を外しきる。柔らかな光が、俺達を照らす。
隣に立つゾウムシの髪が、キラキラと陽光を反射し、神秘的な銀色に輝き、柔らかく風に揺れる。
エメラルド色の瞳が、好奇心たっぷりの子猫の様に動き、きょろきょろと周囲を見渡している。
「早く行こう、新しい街だよっ。ワタシ、初めてっ!!」
「ま、山盛りのクソよりもトラブルだらけだろうがな」
ゾウムシに応じ、ゆっくりと体を地上へ出す。なんとか逃げきる事が出来た……。
俺はそう考えながら、深く安堵の息を吐く。
それが童貞のガキよりも甘い考えだと、どこか自覚しながら。