<パラグラフ4>
「なぁ、骨。この料理、味がしないのだが」
「それは料理人が昨日と同じだからじゃないかと」
相変わらず無意味に長いテーブルの端で、フォークとスプーンを自在に操り食事中の魔王であった。
肉を切断するならスプーンで十分ではないか、ナイフなんて何のために存在するのだろう? などと本気で思っているところが、まさに常人に計り知れない王者の価値観である。
「そういえば、料理人のことを忘れていたな」
スプーンを口に含んで脂を舐めとり、ふむ、と小さく思案する。
昨日はモンスター見て回ってるだけだったのだから仕方ない。
あの後マジ泣きする勇者を慰めてやるのが大変で、外に行く暇などなかったのである。
魔王は暴力はスカッとするので大好きだが、辛気臭いのは大キライなのだ。
「問題は山積みですな」
従者の言葉は的を得ている。
魔王は今日もまた、先日と変わらぬ全裸であった。これは先日の成果が何もなかったことを示している。
だがしかし、魔王にそれを苦にした様子は見られない。
躊躇うことなく熱々のスープを一掬い、口に運ぶ。
常人ならば、スープが跳ねて肌をヤケドしたりするところだが、魔王の健康的かつきめ細かな褐色の肌はそのような熱などでは曇ることすらないのだ。
ゴクリと喉を鳴らしてスープを飲み込むと、魔王は不敵な笑みを浮かべた。
「わらわに良い考へば……」
言葉を言い終えることなく魔王は、口を開く。
うぅぅぅと唸り、ふぅふぅと舌を出した姿は、舌を火傷したからに他ならない。
「なにか良い考えが?」
自信に溢れた様子の魔王に、従者はコトンとコップを出しながら問いかけた。
水差しからコップに注がれるのは、氷で十分に冷やされた冷水である。
魔王は急いで冷水を口に含み、ゆっくりと舌を冷やしながら飲む。
そしてしばしの時を置き、やがてすがすがしい表情で上げると、答えを返した。
「服も料理人も、人間共から奪ってしまえばよいのら!!」
ヤケドで少し舌が回ってなかったが、まさに魔王らしき邪悪なる思考回路である。
考えてみれば、今のところ魔王の前に現れた者で、衣服を身に着けていたのは人間であるエルスだけ。
ならば衣服を手に入れる先として、人間が最適なのは間違いないであろう。
「料理人もですか?」
そっちの理由は、従者には残念ながら良く分からなかった。
頭蓋を斜めに傾げて従者が尋ねると、魔王は堂々と胸を張り答える。
「くくく、不思議だろう? だが、人間に料理を作らせるのは、ワケがあるのだ」
ニタリ、と邪悪な笑みが魔王の幼き美貌に黒い華を添えた。
あどけなさを残した美しい少女の顔に、妖艶とも言える美しさが浮かんで消える。
「まず、同胞を皆殺しにした上で、一人残した人間を料理人とするのだ」
声を低く、目を細くして、魔王は自らの言葉に酔うように笑みを深くした。
「同胞を殺され、悔しさにむせび泣く人間に、わらわの糧を作る役を与える! どれだけ憎悪を燃やそうとも、しょせんきゃつらは誇りなき矮小な存在……自らの命惜しさに命ずるままとなるだろう!!」
バッと手を水平に振り、魔王は従者を差した。
魔王の笑みに浮かぶのは、見るものが戦慄せざるをえない凶相。
その言葉が謳う悪魔の計画こそ、人の苦しみを糧とする邪悪そのものの所業であると言えよう。
手の先に握ったフォークが、多少残念な感じではあったが。
「わらわを憎むべき人間が屈辱と憎悪に挟まれ、苦しみながら作る料理だ……さぞかし美味であろうな!?」
従者はなんかショッパそうな料理だと思ったが、わざわざ口には出さなかった。
それに、どうせ自分が食べるわけでもない。
「では食後にでも、適当な辺境の村にでも行ってみましょう」
「む、なぜに辺境だ? わらわは都会の者が作る料理を食べたいのだが」
頬を膨らませて、魔王は従者に不満げな視線をぶつける。
従者は頭蓋に無表情を貼り付けたまま、簡潔にその理由を述べた。
「それだと皆殺しにするだけで朝までかかりますよ」
「ドカーンと一気にやったらどうだ?」
「逆に崩れた構造物が邪魔で皆殺しにするのが難しくなります」
数日前の、魔王城城下のモンスターを大量虐殺した時の経験であった。
従者の圧倒的な魔力を持ってしても、広範囲の生命を根絶やしにするのは難しいのである。
「なるほどな。ならばそうしよう……おーい、触手!!」
従者の言葉に頷くと、魔王はテーブルの逆端の方に陣取っている自らの臣下を呼んだ。
触手はその巨体はテーブルに埋めるようにして、静かに皿に盛られた水草を食んでいる。
その姿は、生物として極めて異質な姿でありながらも実に幸せそうであり、牧草地帯の牛でもこうまで静かに食事はしないだろうという、穏やかな食事風景であった。
だが、それほどの幸福の中であっても、主の言葉を受け取るのが臣下の証というもの。
『……ぉぉぉおおおおぅぅ! 魔王さまぁぁぁああ!? なんですかぁぁあああ……?』
多少、夢の中から響いてくるような声だったが、触手の返事が遅れて戻ってくる。
「わらわは食事が終わったら出かける! 皿洗いと勇者の世話は任せておくぞ!!」
『かしこまりましただぁああああ……っ!』
そう。
魔王の凶事を止めるべき勇者の姿は、この食堂にはなかったのである。
昨日色々あって慰められすぎた勇者は、疲れてきった身体を牢のベッドに横たえたまま、眠りの中にあった。
悲しみなど色々とナニして余裕がなくなれば考えることもなくなるという魔王の理論により、触手が突撃を敢行したのが明らかにその原因であった。
かくして、悲劇は加速していく。
◆
キトは、草原を駆けていた。
朝から薬草採取に森へと出かけ、昼食をとろうと自宅へ戻る、その途中。
自宅の玄関口に集まった騎士達の姿に気付いた、手にしていた籠を放り出して逃げ出してきたのだ。
地面に散らばった薬草を踏みながら、逃げようとする自分に気付き指差しながら声を上げる騎士の一人に気付いて、キトは泣き出してしまいそうだった。
キトは、浅黒い肌に白い髪の、まだ幼いとも言える年頃の娘である。
硬い髪質を荒く刈っただけの髪は、身寄りがないために髪を切ってくれる相手がいないから。
そのような娘が一人きりで生きてこれたのは、ひとえに今は亡き祖母がキトに教えていた古い妖術、その基礎として学んだ薬草術のおかげだった。
医者の手の足りないような辺境の村である。
キトが作る薬草や病に対する知識を村人達は重宝した。
だが、キトの持つ妖術使いという肩書きに、閉鎖的な村人達は眉をしかめ、キトから距離を置いた。
しかし、まだ幼く人恋しい年頃でありながら、キトはそのことを苦にしない。
キト自身、妖術使いということで村人達と距離を置いていた祖母に良く懐いていた事もあり、同じようにキトからも距離を置こうとする村人を、気にはしていなかったのである。
それで問題がなかったのは、村にこの国の中央から来たという騎士の一団が駐留するようになるまでだった。
聖騎士を名乗る男達は、周辺の魔物を一掃する代わりに、村人達に過度のもてなしを要求したのである。
それが与えられないと分かると、騎士たちは異端者の摘発という口実の元、村人の家を襲うようになった。
家の財を奪うだけでは飽き足らず、逆らうものを殺し、女には暴行を加える。
村人達にとって、騎士達は山賊同然の存在であった。
怯えた村人達はこぞって騎士達の機嫌を伺い、自分と家族を守るため、村の輪から離れた他の村人を異端者として告げ口するようになった。
「……待て! 逃げる者は、すなわち異端とみなすぞ!!」
背後から追い立てる声を聞いて、キトは怖気に身を震わせた。
身よりのないキトの家には、自分一人しか住んでいない。
家の財産が目的ならば、入り口で待ち構えるようなことはせず、すでに押し入っていただろう。
わざわざ待ち構え、そして追ってきた騎士達の目的が何かは、考えるまでもなかった。
「えぇい、待てと言っているだろうに! 貴様、我らを愚弄するか!!」
弱者を脅すのに馴れた者特有の、太く重く響く声が追ってくる。
答えも返さず、キトは走り続けた。
ここまで逃げてこれたのは、騎士達が揃って鎧を身に着けていたことと、キトが森や山を歩くことに馴れていたため、同年代の娘よりも健脚だったためである。
まだ年若い少女と、鍛えた男達では歩幅の大きさや、体力に違いがありすぎる。
なにより、騎士達の数は多かった。
「ほぅら、捕まえたぁっ!!」
不意に腰に衝撃を感じたときには、もう手遅れだった。
背後のからの声に気をとられている隙に、横から回り込んだ別の男がキトに飛びかかったのだ。
「……っ! ……う、あ……っ!」
男の手から逃れようと地面を這うキトの身体を、騎士の手が押さえつける。
小さなキトの身体は、軽々と押さえつけられてしまった。
「手間をかけさせやがって……へへ、たっぷりいたぶってやるから、覚悟しろよぉ?」
下卑た笑いを浮かべた男の声が、キトの耳を打つ。
その身体を覆うように、次々と追いついてきた騎士達の影が集まってきた。
「よーし、でかしたぞ。……おい、お前達、周りを見張っていろ」
先ほどの野太い声の太った騎士が、他の騎士達に命令する。
数人の騎士が「後で俺達にもやらせて下さいよ、団長」と口にして、いやらしげな視線をキトに向けてから、周辺に散って邪魔者が来ないように見張りに立つ。
残っているのは、キトを押さえた騎士と、団長と呼ばれた太った男だけであった。
「よーし、しっかり押さえてろよ……ひひひひひ」
騎士団長は、舌なめずりしながら、騎士の手に押さえ込まれたキトに覆いかぶさってくる。
上から浴びせかけられる、この男の好色な視線に、そのような視線を向けられたことのないキトは、暴れることすら忘れて怯え、震えた。
男は、身に着けた長衣の裾に手を這わせると、嬲るようにゆっくりと捲り上げていく。
「や……あ……」
涙を滲ませ、小さく首を振る。
悲鳴すら上げられず怯えるキトの頬を、男の唾液にまみれた舌が舐め上げる。
「なぁに、異端者かどうか、ちょっと身体を調べるだけだ……。少しおとなしくしてれば、すぐに済む」
そう言いながらも、男の手は裾を腹まで捲り上げていく。
下肢を覆っていた純白の下着が晒されると、男の視線は底に釘付けになった。
「……い、……やぁ……」
どれほど視線を避けたくとも、両手首を騎士の手に押さえられ、太った男の身体に覆いかぶさられたキトには、捲られた自らの服を下ろすことすら出来ない。
ニタニタ笑う顔がキトを見る。
男の手が、下肢へと伸びようとしていた。
「この下がどうなっているか……調べねばなぁ……?」
キトは悔しさに涙をこぼし、羞恥に紅く染めた顔を背ける。
男のぷくぷくと太った丸い指が、下着の端に手をかけ──────
不意に、光が差した。
驚いて顔を上げた騎士達が目にしたのは光の柱。
その光が消えた時、そこに立っていたのは、見知らぬ娘と直立する人の骨。
娘は、ぐるりと周囲を見渡すと、騎士団長の下に引き倒されたキトの姿を見つけて眉を上げた。
腰に手を置き、騎士たちに向かって堂々と宣言する。
「よぉし、そこまでだ人間ども! 命が惜しくば、その娘の衣服をよこせ!!」
ポカーンと口を開いて、その場にいた全員が、声の主である裸の娘を見つめた。
◆
「くっ……くっくっくっ……はぁーーっはっはっはっ! なるほどな!!」
最初に笑い出したのは、騎士団長であった。
片手でキトを押さえたまま、「なるほど」と繰り返して、娘にいやらしげな視線を向ける。
裸の身を恥じることなく、騎士達を見上げ睨みつける、魔王に視線を向ける。
「お前、この娘の仲間の妖術使いだなぁ? おおかた、そこの骨を見せて脅しつければ、怯むとでも思ったんだろうが、そんなスケルトン一匹に我ら聖騎士団の精鋭が怯むとでも思っていたのかぁ!?」
弱みを見つけて付け込もうとする、蛇を思わせる視線だった。
野太く重く響く男の声は、周囲の騎士達にも届く。
「は……はははは……そうか、なるほどな。へ、へへへへ」
騎士達が、慌てて腰に差した剣を抜き、娘と骨に剣を向ける。
なるほどよく見れば、娘は何も纏わぬ丸裸、骨はぼろ布を纏っただけで、武器の一つも見えない。
数も多く、武器と鎧で身を固めた騎士たちが負ける理由など微塵もなかった。
微動だにせず突っ立っている骨を剣で叩き折ってやれば、すぐに泣いて許しを請うに違いない。
一度恐れるに足らぬ存在だと判断してからは、騎士達の顔に余裕の笑みが浮かぶまであっという間だった。
剣を抜き、退路を塞ぐようにゆっくりと取り囲んでいく。
「そんな格好でお出ましとはなぁ、妖術使いどもの珍奇な風習か? 自分から裸で出てくるとは、いい心がけじゃないか、えぇ?」
騎士団長の言葉に、騎士たちが揃って笑い声を上げた。
弱者を嘲笑う下卑た笑いである。
なにしろ、向こうからカモがやってきたのだ、こんなに笑えることはないだろう。
だが、騎士達の不快な笑いを向けられた魔王は、当然愉快なはずもない。
「ほほぉ……なにを言ってるのかはさっぱりだが、要するに、わらわの慈悲を受けぬということだな?」
魔王が目を細め、不機嫌そうに男達を見回した。
なにやら事の最中の様子だったことだし、服を寄越したら皆殺しは許してやろうと思っていたのだ。
それが、剣を抜いたと思ったら揃ってニヤニヤ笑いである。
騎士の一人が身を屈め、魔王の顔の目の前に顔を迫らせる。
「この娘が欲しいだってかぁ? 渡すわけねぇだろ、バァァァァァカ!!」
子供でなくとも怯えるだろう、凄みの効いた目付きと、耳に障る大音声であった。
「む、だれが馬鹿だ!!」
魔王は怒りに眉を吊り上げると、叫びと共に拳を振るう。
小さな拳は、顔を迫らせてきた騎士の鉄鎧に包まれた腹に突き刺さった。
攻城槌が門を叩くような、異様に重い音が短く響く。
下から上に。
投石器で打ち上げられた石のように、男の体は綺麗に打ち上げられる。
くの字の形になった男の影は、別にブーメランのように戻ってくることもなく、ゆっくりと弧を描いて遠い山の向こうに消えていった。
悲鳴すら聞こえず、血を飛び散らすでもなく、ただ空の彼方へと。
全員が、ぽかんと口を開いてそれを見ていた。
「……あ、え、あ……へ?」
自称聖騎士達は、ただ硬直したまま、パクパクと口を開けたり閉じたりしている。
あまりにも非現実的な光景に、理解が追いつかないのだ。
「よーし、次はどいつだ?」
未だ山の向こうを阿呆のように見ている騎士達に向けて、魔王は楽しげに笑みを向ける。
ちょっと興が乗ってきたらしい魔王は、元気に腕をぐるぐる回していた。
◆
不思議なもので、一番重いはずの騎士団長が一番よく飛んだ。
きっと球体に近かった分だけ真芯を捉えやすかったのが幸いしたのだろう。
流星のように次々と空を駆けていったくの字の人型の物体は、気ままに空行く鳥たちを大いに驚かせた。
あるいは、この大陸のどこかでは、流星のごとく放物線を描く彼らの姿を見かけた恋人達が、自分達の永遠の愛を誓ったりしたかもしれない。
自称聖騎士の死の間際の姿だけに、運がよければ願いは届くだろう。
生贄的な意味で。
かくして、村はずれの平原には、魔王と従者、そして娘だけが残ったのだった。
「くくく……娘、これでお前を守る者はいなくなったぞ? どうだ、絶望したか……!?」
腰に手を置くと、会心の笑みで魔王は娘に問う。
未だ呆然としていた娘は、慌てて長衣の裾を下ろし、顔を上げて魔王を見返した。
何故か満足げに答えを待つ少女の顔に、自分も必死に言葉を探す。
言われている言葉の意味が良く分からないので、なんと返せばいいのか思いつかない。
「え……? う、あ……」
そう、ありがとう、と言わなければ。
キトが声を上げる前に、魔王の鋭い問いかけがそれを遮った。
「ときに貴様、料理はできるか……!?」
キトにとってまったく意味不明な、謎の質問である。
唐突な話の展開に目を白黒させながら、キトはさらに慌てて必死に言葉を返す。
「あ、え……で、でき……ます。料理。……ひとり、暮らしです」
一人暮らしだから、と言おうとして、うっかり意味不明な自己紹介になっていた。
しかし、魔王は特に意に介した風もなく頷く。
「ならばよし! お前をこれから、わらわの魔王城へ招待してやる。たとえ、泣いて拒否しようともな!!」
傍若無人の魔王の物言いに、キトが目を丸くした。
人の家に招待されるなど、経験のなかった少女である。
城に招待されるなど、予想することすら不可能の急展開に違いない。
「そこで、命尽きるまで、お前はわらわの糧となる料理を作るのだ……!!」
「……は、はい!」
黒瑪瑙のような瞳を嬉しげに輝かせ、キトは即答した。
そこには、ためらいなど一切ない。
魔王が『くっくっくっ、やはり命は惜しいか矮小な人間め』とか言ってるのを横目に、なんとなく事情を察していた従者だったが、特に主の勘違いを正そうとは思わなかった。
また別の人間の一団を探して移動を繰り返すのも面倒くさかったからである。
どうせこの少女が作る料理も、自分が食べるわけではないのだ。
<扉を開けるなら5へ>
■冒険記録用紙
<魔王>
LV:65,535
装備:なし
■魔王城備品
[魔王の玉座]
[食糧の備蓄]
■配下
<骨> 種族:従者 LV:1,007
<触手> 種族:触手 LV:6
<キト> 職業:妖術使い LV:1
■捕虜
<エルス> 職業:勇者 LV::48