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No.7038の一覧
[0] リリカル in wonder Ⅱ【完結】[角煮](2010/05/11 14:32)
[1] カウントダウン5[角煮](2009/03/07 02:30)
[2] カウントダウン4[角煮](2009/03/12 10:38)
[3] カウントダウン3 前編[角煮](2009/03/30 21:47)
[4] カウントダウン3 後編[角煮](2009/03/30 21:49)
[5] カウントダウン2[角煮](2009/03/30 21:46)
[6] カウントダウン1[角煮](2009/04/25 13:06)
[7] カウントダウン0 前編[角煮](2009/05/06 20:21)
[8] カウントダウン0 後編[角煮](2009/05/06 20:23)
[9] sts 一話[角煮](2009/05/06 20:33)
[10] sts 二話[角煮](2009/05/20 12:15)
[11] 閑話sts[角煮](2009/05/20 12:15)
[12] sts 三話[角煮](2009/08/05 20:29)
[13] sts 四話[角煮](2009/08/05 20:30)
[14] sts 五話[角煮](2009/08/05 20:27)
[15] sts 六話[角煮](2009/08/09 11:48)
[16] sts 七話[角煮](2009/08/28 21:59)
[17] sts 八話[角煮](2009/08/20 21:57)
[18] sts 九話 上[角煮](2009/08/28 21:57)
[19] sts 九話 下[角煮](2009/09/09 22:36)
[20] 閑話sts 2[角煮](2009/09/09 22:37)
[21] sts 十話 上[角煮](2009/09/15 22:59)
[22] sts 十話 下[角煮](2009/09/25 02:59)
[23] sts 十一話[角煮](2009/09/25 03:00)
[24] sts 十二話[角煮](2009/09/29 23:10)
[25] sts 十三話[角煮](2009/10/17 01:52)
[26] sts 十四話[角煮](2009/10/17 01:52)
[27] sts 十五話 上[角煮](2009/10/17 01:51)
[28] sts 十五話 中[角煮](2009/10/21 04:15)
[29] sts 十五話 下[角煮](2009/11/02 03:53)
[30] sts 十六話 上[角煮](2009/11/10 13:43)
[31] sts 十六話 中[角煮](2009/11/19 23:28)
[32] sts 十六話 下[角煮](2009/11/27 22:58)
[33] ENDフラグ はやて[角煮](2009/12/01 23:24)
[34] ENDフラグ チンク[角煮](2009/12/15 00:21)
[35] ENDフラグ なのは[角煮](2010/01/15 15:13)
[36] ENDフラグ フェイト[角煮](2010/01/15 15:13)
[37] sts 十七話[角煮](2010/01/08 19:40)
[38] sts 十八話[角煮](2010/01/15 15:14)
[39] sts 十九話[角煮](2010/01/21 20:26)
[40] 幕間[角煮](2010/02/03 21:17)
[41] sts 二十話 加筆 修正[角煮](2010/02/03 21:18)
[42] sts 二十一話[角煮](2010/03/10 23:25)
[43] sts 二十二話[角煮](2010/03/11 19:00)
[44] sts 二十三話[角煮](2010/03/12 17:41)
[45] sts 二十四話[角煮](2010/03/13 18:23)
[46] エピローグ[角煮](2010/03/14 20:37)
[47] 後日談1 はやて[角煮](2010/03/18 20:44)
[48] はやてEND[角煮](2010/04/18 01:40)
[49] 後日談1 フェイト[角煮](2010/03/26 23:14)
[50] 後日談2 フェイト[角煮](2010/03/26 23:14)
[51] フェイトEND[角煮](2010/03/26 23:15)
[53] 後日談1 なのは[角煮](2010/04/19 01:27)
[54] 後日談2 なのは[角煮](2010/04/18 22:42)
[55] なのはEND?[角煮](2010/04/23 23:33)
[56] 後日談1 チンク[角煮](2010/04/23 23:33)
[57] 後日談2 チンク[角煮](2010/04/23 23:34)
[58] 後日談3 チンク[角煮](2010/04/23 23:34)
[59] チンクEND[角煮](2010/04/23 23:35)
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[7038] 後日談3 チンク
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/04/23 23:34

エスティマは覚えていないかもしれないが、彼の愛機であるSeven Starsは、一つ、彼の根幹に関わることをずっと胸に抱いている。
電子回路に走る電流火花の向こう側に息吹く思い出とは、主人の抱く渇望である。
エスティマがずっと走り続けてきた理由とは、幸せになりたいという、Larkとの約束を果たすがため。
そして彼自身がそうなりたいと願ったためである。

だが――エスティマ・スクライア本人は、心の底でそれとはもう一つ。
平穏を望む心とは別に、相反する望みを抱いていた。

それは、何か。
さほど難しいことではない。それは、彼が走り続けていた――否、足を止めてはならなかった理由だ。
彼は、己の犯した過ちによって歪んでしまった世界の在り方を、可能な限り幸福な方向へと戻すため、戦い続けてきた。
その結果、本来送られるべきだった歴史と、この歴史は別物と云って良いほどの差異が生まれ、似ても似つかない状態になっている。

どちらが良いと、一概には云えないだろう。
生きるべき者が死に、死ぬべき者が生きている。
失われた者がいる一方、取りこぼされなかった者もいる。

白であるものがあれば、黒であるものもいる。
誕生しなかったはずの者がいて、誕生するはずだった者がいない。

交わるはずのない者が交わり、交わるはずだった者が交差せず。

どちらが良かったのだろうか。
それを断言できる者は、やはり存在しない。
個人の主観で見るならば、簡単に結論は出るのだろうが。

ともあれ、エスティマ・スクライアは全身全霊を賭けて、己が正しい、良いと思える方向に道を正した。
その上で、彼は今も、心の底で一つのことを願っているのだ。

――俺は裁かれるべき人間だ、と。

彼の罪を知るものはこの世界に存在していない。
何故ならば彼らの送る日常こそが彼らの真実であり、彼らからすれば話の本筋など紛い物にしか映らないだろう。

故に、エスティマ・スクライアを断罪したいと思う人間は存在しないのだ。
罪を罪と思っている彼は、しかし誰にも弾劾されない。
それは彼の心を蝕む毒であったが、しかし、勝ち取った平穏の中に浸かる日々の中、傷跡は徐々に覆い隠されてゆく。

忘却とは人が自然と生み出した救いなのだろう。
エスティマもまた、いつか自分の犯した罪を忘れることはなくとも、そんなこともあったと振り返ることができるようになるはずだ。

しかしSeven Starsは、一つの危惧を抱いている。
主人が抱いていた破滅的な渇望が、送る日々の中で埋没しないのではないか、という。
その原因とは戦闘機人、ナンバーズⅤ番の存在である。

彼女は罪を償うと云っている。
その行為自体をSeven Starsは否定しないし、主人が喜ぶのなら自分もまた喜ぼうと思っている。
しかし――贖罪という行為そのものを目にし続けることで、主人は自分の行いを忘れ去らなくなるだろう。

おそらくは……エスティマがナンバーズのⅤ番の贖罪を果たす時を待っているのは、自分自身を投影しているからではないか。
執務官が犯罪者と――なんてのは、ただの建前であるとSeven Starsは思っている。
エスティマ本人がそう口にしようと、おそらくその根幹には、罪から逃れてはならないという自責の念があるはずだ。

見ていれば分かってしまう。
チンクの側にいたいのだろう。手を繋いで、腕を絡めて、抱きしめて、キスをして。
ようやく勝ち取った幸せに浸かりたいと、彼はずっと願っているはずだ。
だのに彼はそれをしない。
チンクと交わした約束を守るということもあるだろうが――

気が弱く、不器用で、頑固で、強がり。
そして真っ当な倫理観を持っているからこそ、自分自身を許せない。

そんな主人をSeven Starsは愛して止まないが、困った人だと思い悩んでしまう。

エスティマ・スクライアは、仲間たちとの絆を育み、六課という集まりの中で一つの答えを出した。
俺は幸せになる。それと引き替えに彼が忘却したものは、自分は裁かれなければならないという、過去の衝動。

忘れるならば忘れるで良い。幸せになれるのならば。
しかし忘れることが出来ないのならば――この長い年月に決着を。












リリカル in wonder

   ―After―












いつものように、ともう云えるようになってしまった。
売店のビニール袋を片手に、俺は一般病棟へと歩いてゆく。
こうしてプリウスくんのところに向かうのは、先端技術医療センターにきたときの日課と云っても過言ではないだろう。

つい最近まで体調を崩していたプリウスくんだが、今はもう回復している。
とは云っても、流石に入院している子に元気という形容は相応しくなく、なんとか持ち直した、と云った方が正しいのかもしれない。

軽くノックをして返事が聞こえると、俺はゆっくりドアをスライドさせた。

「こんにちは、またきたよ」

「いらっしゃい、エスティマさん!」

プリウスくんは膝の上で開いていた雑誌を閉じて脇に退けると、眩しいぐらいの笑顔を向けてくる。
俺なんかが顔を見せることにどうしてこうも喜んでくれるのか。
つい苦笑しながらベッドまで歩き、パイプ椅子に腰を下ろした。

「今日、プレミオさんは?」

「お父さんはお仕事だよ。
 流石に四六時中ここにいられないもの。
 エスティマさんとよく顔を合わせるのは、偶然。
 それとフリーの捜査官だから、時間が自由なんだって。
 仕事を抜け出してきてるみたい。まったくもう」

「あはは、そうだったんだ。
 まぁ俺も、仕事の合間にプリウスくんのところにきているから人のことは云えないかな」

「エスティマさんは良いのー」

「なんでそうなるのさ。
 ……あれ、それは――」

ふと視線をベッドサイドに向けると、さっきまでプリウスくんが読んでいた雑誌が目に入る。
装丁はスポーツ雑誌のようだが、表紙に書かれているタイトルは『月刊ストライカー』。
猛烈に嫌な予感を抱きながら、目を逸らそうとすると、プリウスくんが雑誌を手に取ってしまう。

「暇で売店覗いたら、これが置いてあったんです。
 知ってますか? エスティマさんのこと載ってるんですよ?」

「……知ってる。取材を受けた覚えがあるからね」

だから目にしたくなかったんだけど……。

「ほら、ここのページ」

そう云ってプリウスくんが開いた雑誌には、写真に添えられた軽いインタビューが載っていた。
俺がそれを見たくないのは、決して気恥ずかしいからじゃない。

俺の記憶が正しければ、この時取材されたのは六課が解散してからの俺の動向だったはずだ。
そして答えたのは、これからしばらくの間、執務官として彼女らの更正プログラムに付き合う、ということ。

まだ俺の脳裏にはプレミオさんから聞かされた話が残っている。
この子の家族と人生を滅茶苦茶にしたマリアージュ事件。
それと関係は薄いものの、俺はナンバーズの保護観察を現在の仕事としている。

プリウスくんの表情に暗いものはない。
何か思うところがあって、俺にこれを見せているわけではないのだろう。
けれどそのために、より一層痛々しさが増してしまう。

この子が恨み辛みを抱いていない、なんてことは有り得ないはずだ。
表には出していないものの、おそらく心の底には何かが溜まっているんじゃないかと、根拠もない推察をしてしまう。
それは半ば妄想に近い。人の黒々とした感情に触れ続けてきたから、俺が勝手に思ってしまったことなのかもしれないが。

「執務官ってやっぱり大変なんですか?」

「どうかな。執務官って一言で云っても、色んなタイプがいるから。
 何人も補佐官を持って動いている奴がいれば、一匹狼を気取っているのもいる。
 裁判なんかを主に担当する事務方もいれば、俺みたいな前線に出る奴もいるしね」

「前線……今もですか?」

「ああ。今は六課で働いていたときと比べれば情勢が落ち着いているけど、それでもやっぱり事件はある。
 だから高ランク魔導師がお役御免、なんてことは早々無くてね。
 今は機動戦力扱い……火消しや便利屋って感じかな」

「戦闘機人の人を連れて、ですか?」

「あ……うん」

不通に質問するように、プリウスくんは声を上げた。
やはり、そこには黒い感情が見られない。
今交わしてるのはただの会話なのだから、当たり前なのかもしれないけれど。

「ナンバーズのⅤ番……チンク、って云うんだけど。
 今はその人と一緒に動いてる」

「はー……なんだか大変そう。
 エスティマさんは空戦魔導師で、その人は陸戦なんでしょう?
 もし現場に出たら、やっぱり目を離しちゃいけないんですよね」

「まぁ、そうだね。
 でも俺、一応陸戦もいける口だからそんなに負担にはならないよ」

「なんでもできるんですね……」

「いや、必要に迫られたから身に着けただけだし。
 俺の陸戦技能なんて、所詮はなんちゃって、ってレベルだから。
 槍術とか魔法でごり押ししてるだけだよ」

「得意分野から外れても使えるってだけで、充分すごいと思いますボク。
 お父さんはあんまり応用の利かない魔導師だからなぁ」

「そうなの?」

「はい。幻影魔法の使い手でなんです。俗に云う燻し銀。
 実際は使い手少ないから重宝されてるだけなんですけどねー」

「あはは、辛口だなぁ」

「だって地味なんですもん。やっぱり空を飛んだり派手な砲撃使ったりって憧れちゃうし。
 あー……魔法の話をしてたら、身体動かしたくなってきたなぁ」

「駄目だよ。もし許したら、俺がプレミオさんに怒られる」

「分かってますー」

そんな風に会話をしていると、唐突にドアがノックされた。
プレミオさんだろうか。そんな風に思っていると、プリウスくんが声を上げた。
それと共に、ドアが開かれる。隙間から見えた姿に、俺は目を見開いた。

病室に入ってきたのはフィアットさんだった。
彼女が手にしているのは俺のような売店のビニール袋ではない。
あれは確か、この近くに店舗を構えているケーキ屋の物だった気がする。

彼女は申し訳なさそうに肩を落とし、やや背中を丸めながら部屋の入り口に立ち尽くしている。
そんなフィアットさんの姿から目を逸らして、プリウスくんを見ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。

「あの……どちら様でしょうか」

「……直接の面識はない。初対面だ」

「では、一体どんなご用件でしょうか」

今にも首を傾げそうな、きょとんとした表情で彼女は云う。
フィアットさんは痛みを堪えるような表情で息を吸い、小さく口を開いた。

「私は、結社の戦闘機人……ナンバーズ、と云えば分かるだろうか。
 それのⅤ番。チンクという」

「……はぁ」

その言葉を聴いた瞬間、プリウスくんの声が低くなる。
短く、溜息と取り違えそうな小さな呟きだったが、滲んだ感情はさっきまで俺が危惧していたそれだ。

……どうして、と俺は声に出さずフィアットさんに視線で訴えた。
まだこの子と会うのは早すぎる。否、この人は会わない方が良いはずだった。
だが彼女は申し訳なさそうな色を瞳に浮かべるばかりで、何も云わない。

「……私に、謝らせてもらえないだろうか」

「謝る、ですか?」

「君の怪我は、マリアージュ事件に巻き込まれたものだと聞いている。
 ……あれには私たちナンバーズも関与した。だから――」

「……そう、ですね」

フィアットさんの言葉を聴いて、プリウスくんは俺に見せたこともない表情となる。
何かを堪えているような、感情を押し隠した無表情。
彼女は一度目を伏せて、そして苦笑し、なんのつもりか笑顔へと。

「確かに私の怪我は、あのテロに巻き込まれたからです。
 でも、あなたが私に怪我をさせたわけじゃないでしょう?
 想うことがないわけじゃありません。けど、罪を憎んで人を憎まず……訓練校で教えられたことですから。
 それが正しいって思ってるわけでもないけれど……チンクさんは今、エスティマさんと一緒に罪を償っているんですよね?」

「……ああ」

「だったら、ボクは良い。良いんです、もう。
 あなたが自分の行ったことを忘れずにいてくれるなら、別にそれで」

「だが、それじゃあ私は――」

「……なら」

言い募ろうとしたフィアットさんを、プリウスくんが言葉で射止める。
熱を孕んだ息をゆっくりと吐き出して、口元を歪めた。

「今すぐボクの身体、元に戻してくれますか?
 お母さんを、返してくれますか?」

彼女の言葉に対して、フィアットさんが何かを云えるわけがない。
無論、俺も。
謝りたいというフィアットさん。もう気にしていないというプリウスくん。
けれどそれじゃあ納得できないとフィアットさんが返せば、そこに行き着いてしまいのか。

口を開くことなどできるわけがない、重い沈黙が病室に満ちる。
だが、それを引き裂いたのはプリウスくんだった。
先ほどとは打って変わって、あはは、とわざとらしい笑い声を上げる。

「分かってます。子供じゃ、ないですもん、ボク。
 だから今のは冗談。
 ……申し訳ないですけど、もう帰ってください」

そうして彼女は顔を俯け、

「……一人に、してください」

消え入るようにか細い声を絞り出した。
彼女に対してかけられる言葉を、俺は持っていない。
それは無論、フィアットさんも。

俺は無言のままプリウスくんの隣から去ると、まだ入り口で立ち尽くしているフィアットさんの隣に。
そして彼女に肩にそっと手を触れると、退出を促した。

フィアットさんは何かを言いたげな顔をしていたが、今はどうすることもできないと悟ったのだろう。
所在なさげにケーキの入った袋を揺らし、気落ちした様子で頷くと、それを合図にして俺たちは病室を後にした。

後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、二人で廊下をゆっくりと歩く。
一般病棟から徐々に離れるも、その間、会話らしい会話はなかった。

そうして、ロビーまで出た頃だ。
俺はどうしても黙っていることができなくて、躊躇いながらも口を開いた。

「フィアットさん」

「……なんだ」

「……気にするな、とは云いません。
 けれど、完全に拒絶されたわけじゃないんです」

「……ああ」

歩みを続けながら、俺たちはぼそぼそと言葉を重ねる。
とてもじゃないが、声を大にして会話のできる心境じゃなかった。

「……お前に云われたのにな、私は。
 ただの自己満足にしかならないって。
 少し甘く考えていたところも、あったんだろう。
 管理局の仕事を手伝って、ちゃんと自分は罪を償えているはずだ、という。
 だから、結社の犠牲者と対面するのがこんなにも辛いだなんて思わなかった。
 これでも真っ向から責められたわけじゃないのに……」

ぽつぽつと後悔を口にするフィアットさん。
そんな彼女をただ放っておきたくはなくて、抱きしめたい衝動に駆られる。
だが、駄目だ。拳を握り締めることでそれに耐え、俺は視線を泳がせた。

「……どうすれば良いのだろうな、私は。
 罪が許される時は、くるのだろうか」



















許せるわけがない。
ついさっきまで病室を訪れていた戦闘機人。
それと娘が交わしていた会話を思い出し、プレミオは歯を噛み締めていた。
今、ドア越しに、病室の中からはプリウスのすすり泣きが聞こえてくる。

納得したはずだった。
娘がなりたいと願う管理局員として、せめてあの子に誇れる父親であろうとした。
故に、娘の人生を狂わせた者へ憎悪を抱きながらも自制していた。
忘れようと思っていた。重要なのは未来であり、昔のことに拘るよりも、娘を支えることが最上だと信じていた。

けれども、無理だ。
こんな理不尽――納得できるはずがない。

罪を償っていようとなんであろうと、娘が今も苦しんでいるのは事実。
だのに傷付けた本人はこれから真っ当な人生を送るための助走を行っている。
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
娘の人生は真っ暗ではないまでも、前より遙かに選べる選択肢が減ってしまった。
しかしあの戦闘機人は定められたルールに従って罪を滅ぼし、娘が歩むはずだった人生を――

自分が抱くこの憎悪が、法治国家において悪と呼ばれる代物であることを、プレミオは自覚している。
悪事を行った者であっても良心というものが残っているのならば、チャンスは与えられる。
その象徴とも云えるルールが、違法魔導師やあの戦闘機人を嘱託魔導師として管理局の仕事に従事させるシステムだ。

それによって罪は拭われる。
そして人として再び真っ当な人生に舞い戻る。

だが――それで、許されてしまって良いのか。
答えとしては、良し。それが法則として存在している。

だが、この憎悪は――否、悪を憎むなどという大儀ではなく、この胸に宿った怨恨はどうすれば良い。
今も泣いている娘の涙を拭うためには、何をすれば良い。

答えは至極簡単で、即座にプレミオの脳裏に浮かび上がってきた。
単純な話だ。
自分たちの痛みが大切なものの喪失からくるのであれば――

「……お前も失ってしまえば良い」
























あの一件以降、フィアットさんは目に見えて塞ぎ込んでしまった。
仕事はするし、妹たちの前では元気に振る舞ってはいる。
ただ自惚れた云い方をするならば――俺だから、この人が傷付いていると分かるのだ。

メンテナンスルームの機器を操作する一室で、ベッドに横になったフィアットさんを見ながら、どうしたものかと俺は考える。
そもそもこれは、答えの出ない問いのようなものだろう。

罪は償わなければならない。
悪は罰せられなければならない。

それに対して設けられたルールが管理局法ではある。
しかしそれで罪と定められたものが消えようと、犯した罪によって傷付いた者の憎悪が決して消えることはない。

結局人は、人と交わって生きる生き物なのだ。
良くも悪くも。

分かり易い例で例えてみるならば、こんな形か。
温もりのない手紙で謝罪を行われるものと、顔を合わせて謝罪を行うこと。
どちらも謝罪という形にはなっている。
しかしより人の心を動かすのは後者だと断言できる。
これは常識で云っているのではなく、印象の話だ。
どんなに優れた文法と語彙を尽くしたところで、目の前で誠心誠意の謝罪を向けられた方が謝られているという実感が湧く。

まとめるならば、ロジックで人は納得できない。そんなところだろう。
法の下で罪が許されようと、被害者はそれを赦さない。

フィアットさんがぶつかった壁とはつまりそれだ。
いつかは必ず直面すると思っていたものの、こんなに早いとは思ってもみなかった。

今、俺はどんな言葉をフィアットさんにかけるべきだろうか。
ルールに則って罪を償えばそれで良い?
馬鹿な話だ。それで申し訳ないという気持ちが消えるのならば、誰も苦労はしない。

良く使われる言い回しをするならば、これは気持ちの問題というやつか。
赦したくないと思う者。赦されたいと思う者。
その意思が交わることは決してない。
どちらか一方が何かを諦めないことには、有り得ない。

「……お前も嬢ちゃんも、難しい顔をしてやがんな」

「そうですか?」

「ああ。辛気くさい、ってやつだ。
 なんか考えごとがあるなら乗るぞ?
 ああ、子供は堕ろさない方が良い。あれは合法の人殺しだ」

「……何馬鹿云ってるんですか」

「お前ら、そういう関係だろ?
 まぁ、それはおいといて、だ。
 何があった?」

茶化してこっちの気分を軽くさせたつもりなのだろうか。
だとしたって冗談で口にしたことが本気臭かったけれど。

ともあれ、医師に問われて俺はセダン親子のことを話し始める。
作業をしながら黙って話を聞いていた彼は、俺が口を閉じると、ボールペンのノック部分で頭を掻きながら口を開く。

「……難しい問題だなぁ、そりゃ。
 要は気持ち一つ、だからな。
 嫌な噛み合い方をしたもんだ」

「嫌な噛み合い方、ですか?」

「ああ。だってそうだろう?
 あの嬢ちゃんが、今自分は罪を償っていると開き直ればこんなことにはならなかった。
 逆に被害者の嬢ちゃんが責め立ててきたら、ああも辛い顔をしなかったんじゃないのか?
 罪を償おうとしている。忘れようとしている。
 そんな二人が顔を合わせたのは、まぁ不幸な巡り合わせなんだろうよ」

「……そんなことは分かってます。
 けれど、それが分かった上で、どうにかしたい」

「それは流石に贔屓しすぎなんじゃないのか、執務官?」

「自覚はしてます。距離を置いた方が良いって。
 ……けれど、やっぱりあの人には笑っていて欲しいから。
 プレミオさんとプリウスくんには悪いけれど」

「開き直ってる人間は楽だね本当」

「嫌味ですか」

「いや……」

何かを医師が言い掛けた所に、ふと、Seven Starsへメッセージが届く。
誰だろう、と思いながら届いたメールを開くと、俺は首を傾げた。

「あ、すみません。ちょっと呼び出されたので出てきます。
 フィアットさんには待っているよう伝えてください」

「ん、分かった。嬢ちゃんに云っておくよ」

ありがとうございます、と礼を云って、俺は外へと。
どうして呼び出されたんだか、と疑問を抱きながらも、指定された場所へと向かい始めた。





















検査が終わり服を身に着け、異常なし、と医師から結果を聞くと、チンクは診察室を後にした。
気のせいか身体が重い。否、気のせいなのだろう。
自分が所属していた組織の犠牲者。それの声を直接聞いただけで、こうも気分が暗くなる。

結社に所属していた頃、チンクは戦闘に赴く際、人を殺すことだけは絶対にしないと心に決めていた。
それはいつかエスティマが自分を捕まえると信じていて、その後のことを考えていたというのもある。
しかしそれとは別に、エスティマ・スクライアという人間と接している内に――罪悪感を必要以上に覚えているきらいのある彼を見て、決して拭えない罪が存在していると知ったからでもあった。

チンクの思い出の中、何よりも色褪せない、色褪せてはならないと思っている代物の中には、子供のエスティマがいる。
その時の彼は、自分と出会う度に今の状況が辛いと云っていた。
それでも全部自分が悪いからと云い無理を重ねて――そこから先は、チンクにとってあまり思い出したくない類の記憶だ。

ただ、どうしても思ってしまうのだ。
あんな状態のエスティマを知ってしまったから。
彼の隣に立つためには、彼が乗り越えたものを自分も乗り越えなければならない、と。

もしエスティマと会うことがなかったら、おそらくこんな気持ちを抱くことはなかっただろう。
エスティマと会わずに管理局に掴まったら、自分はどうしていたのだろうか。
それは想像してみても形になることはなかった。
エスティマというピースが欠けてしまった自分は、もう別人と云っても良い。

それだけ彼に影響を受けているということなのだろうか。
それが良いのか悪いのかは、流石に分からない。

けれどそんな変化を、チンク自身は嬉しく思っている。
彼と会うことができたから。彼と共に歩みたいから、今の自分がある。
確かに苦しいし辛い。けれど逃げてはいけない。

ああ、とチンクは思う。
今になって、あの頃のエスティマが何を想い戦っていたのか少しだけ分かった気がしたからだ。

実際には違う。
当時のエスティマは手段である贖罪を目的として動いていた。
しかし今のチンクは、贖罪を手段として、彼の側にいたいという目的のために動いている。

その違いがあるものの、チンクは彼ではないため、流石に分からない。
そも、彼を完全に理解するには、彼が罪と思っていることに深く共感しなければならないのだから。

ともあれ、チンクは考え事をしながら一人で廊下を歩く。
エスティマは用事があって席を外すと医師に伝えられた。
彼の用事とは一体なんなのだろう。先端技術医療センターにきた場合、彼の用事とはセダン親子へ顔を見せに行くことぐらいだと思っていたのに。

彼がどこにいるのか分からないというだけで、チンクは寂しさを覚える。
依存しているというわけではないが、彼女にとってエスティマとは、到達すべき場所だから。
それが見えなくなってしまうというだけで、心に影が差してしまう。

どうしよう、とチンクはこれからの行動を迷い――

「失礼」

向けられた声が自分へのものだと気付くと、チンクは顔を上げた。
身長が低い彼女では、どうしても見上げる形となってしまうのだ。

視線の先にいたのは、管理局の制服をきた一人の男だった。
見覚えのない顔にチンクは目を瞬いていると、男は苦笑する。

「私はプレミオ・セダンという。
 プリウスの父親、と云えば分かってくれるだろうか」

「あ――っ」

「少し話がある。着いてきてくれるかな」

チンクの言葉を遮って、男は即座に踵を返した。
置いて行かれないよう後を追いながら、やや暗い気分になる。

あの子の父親というのならば、自分と話すことなど一つしかないだろう。
これもまた一つの罰なのだろうか。

プレミオに大人しくついて行くチンクだが、行き先には心当たりなかった。
エスティマと共に外へ出てはいるものの、彼女には行動の自由というものがない。
故に先端技術医療センター内を歩き回ったこともないため、どこかに迷い込んだような錯覚を受けてしまう。

エレベーターで上階へ行き、廊下を歩いて、階段を。
その先にはドアがあり、屋上に続いていることが分かった。

錆び付いた音と共にドアが開かれると、開けた視界には曇り空が飛び込んでくる。
あまり良い天気ではない。その下をプレミオは歩き、チンクは黙って後を追った。

シーツの干されている支持台の群れを通り過ぎ、古くなった物干し竿が詰まれている隅の方まで歩いて、そうして、不意に彼が足を止める。

その時になって、チンクは気付いた。
表情こそ静かなものの、プレミオの瞳には確かな怒りが滲んでいる。
当然だろうと思い、これからぶつけられるであろう言葉を想像して、チンクは視線を泳がせた。

「君を呼んだのは他でもない。
 気付いているかもしれないが、娘のことだ。
 戦闘機人である君が、人生を狂わせた娘に何を思うのかをね」

「……申し訳なく、思っています」

「それで?」

「あなたの、娘さんの気が済むまで謝りたいと――」

「謝るだけかね?」

「……私ができることならば、なんでもします」

「君に何ができる」

「それは……」

続く言葉が思い浮かばず、チンクは先を続けることができなかった。
できることならなんでもする。けれど、自分に何ができるのか分からない。
美辞麗句を並べることはできても、その中身は虚ろだ。
それを見抜かれているようで、申し訳ないと同時に自己嫌悪が湧き上がってくる。

だが、

「まぁ、良い。禅問答をしたくて君を呼び出したわけじゃない。
 私が君に求めることはただ一つ。
 これを見て、率直な意見を聞かせて欲しい」

そう云って、チンクの考えなど端から興味がなかったかのように、彼は足を伸ばした。
まるで汚いものにでも触れるように顔を顰めながら、彼は伸ばした足に何かを引っかけ、引きずり出す。
物陰から引きずり出される何か。それを目にして、最初、チンクは一体何を出されたのか分からなかった。

だがじっと視線を注いでいると、否応にも理解させられてしまう。
どす黒く染まった金髪。知っている。膝枕をしながら、あれを梳いた覚えがある。
顔は――無惨としか云いようがないほどに潰されている。自分に笑いかけてくれていた彼の顔が。
制服は頭髪と同じように血を吸って変色し――ああ、血か。血なのかこれは。

分かり切っているだろうに、目の前に引き出されたそれがあまりに唐突すぎて突飛で、チンクの頭は理解を必死に拒んでいた。

「君はこの執務官と仲が良かったね。
 これを見てどう思う?
 何を感じる?
 どうか聞かせてくれないか、お嬢さん。
 大事なものを奪われた時に抱く感情は、犯罪者も私も同じなのかな?」

「……待て、これは、一体」

「死んでるよ。見ての通りだ」

確認しようとしたチンクに叩き付けられた言葉は、親切なほどに噛み砕かれていた。
そんな馬鹿なことがあるか。三十分も前までは、言葉を交わしていた彼がどうしてこんな姿になっているんだ。

気が動転して上手く思考がまとまらない。
三十分前とは云っても、三十分間自分は彼と会っていなかった。
その間に何があったのかなんてチンクには分からず――

「……エスティマ?」

名を呟き、チンクは一歩踏み出した。
だが近付くことを許さないと云わんばかりに、プレミオが行く手を阻む。
彼の足下に転がる彼にじっとチンクは視線を注ぎながら、震える唇を開いた。

「……そこを、どけ。
 ここは病院だ。まだ間に合うかもしれないだろう」

「即死だろう。顔面から後頭部までを魔力弾で貫いた。
 もう戻らない」

「そんなことは、ない」

力の入らない脚に活を入れて、チンクはもう一歩を踏み出す。
しかし、そんな彼女をプレミオは突き飛ばした。
受け身を取ることもできず、チンクはその場に尻餅をつく。

倒れた彼女を見下ろしながら、酷く冷たい視線が向けられる。

「私の問いに答えてもらってないよ。
 悲しいかな?」

……分からない。
まだ、失った実感が湧かなくて。

「悔しいかな?」

……分からない。
まだ、どうしてこうなったのか、それに理解が及ばないから。

「許せないかな?」

……許せない。
どうしてエスティマが殺される必要があったんだ。
あいつは何も悪くなった。悪いとしたらこの私で――

「――殺してやりたいかな?」

その言葉を聞いた瞬間、もう何年もチンクが抱いていなかった感情が胸に満ちる。
黒く、底が見えないほどに刻まれた溝から這い上がってくるのは赫怒の炎だ。
バラバラに引き裂いてやる。同じ目に遭わせた上で、更に凄惨な状態にしてやろう。
生憎と殺傷能力という点ではナンバーズ随一のISを保持している。
嬉しくないことに破壊することに関して右に出る者はいない――だがこの瞬間だけは、それを有り難いとすら思う。

長い髪を引きずりながら幽鬼のように立ち上がり、チンクは眼前の男を睨み付けた。
さきほどまで感じていた申し訳なさなど彼方に吹き飛び、抱く感情はただ殺意のみ。

――同じ目に、遭わせてやる。

鋼の埋め込まれた四肢が歓喜の声を上げて、歯車が噛み合うように軋みを上げる。
その瞬間、だった。

同じ目に遭わせる。そんなことを考えたせいなのかもしれない。
今自分が味わっているこの、形容できない衝動。
おそらくこれは、目の前の男が身に受けたものとまったく同じなのだろう。

ならば、これは――しっぺ返しか。
だからと云ってエスティマが殺されたことは納得できない。
この男は万死に値するとは思う。

バネのように弾ける寸前の四肢は尚も硬直したままで、解放されるその瞬間を待ち望んでいる。
激情によって生じた熱は胸を焦がし、宿った烈火は目の前の男を八つ裂きにしろと、軋みという名の鬨の声を上げていた。

全身から上がる絶叫に対して、しかしチンクは全力で刃向かい、抑え付ける。
まるで自分の中にもう一人の自分がいるよう。
目の前の男に対し殺戮の限りを尽くしたい。しかし駄目だと、赫炎の衝動とは対比をなす温もりが泣き叫んでいた。

故にチンクは、限界まで縮み爆ぜる寸前だった身体からゆっくりと力を抜く。

この仕打ちに対して自分が何か口にすることは――喉が枯れるまで怨嗟の声を叫んでやりたいと思いながらも、できない、と思う。
灼熱していた思考が徐々にだが冷却され、チンクの脳裏には彼との約束が過ぎ去った。

――罪を償ってもらいます。そうしたらまた――

自分にとって眩しすぎるその言葉が果たされなかった。
そして二度と叶わないと知って、怒りを凌駕する悲しみが押し寄せてくる。

津波のようなそれが胸を焦がす業火を一瞬で飲み込んで、身体を震わせながらチンクは握り締めた拳を解いた。

……殺したい。バラバラに引き裂いた上で遺骸を踏みにじり、唾を吐きかけた上で粉微塵に爆破四散してやりたい。
けれどそんなことをすれば、一時の爽快感を手にする代償に彼との繋がりが永遠に失われてしまう。

それだけはしたくなかった。
もう彼がいないのならば、せめてそれだけは――もう二度と、彼の心を裏切りたくないから。
否、そんなものは幻想だ。死んだ人間に裏切るも何もない。
ただチンクは、エスティマが好きだからこそ、彼を愛しているという自分の感情を捨て去りたくなかった。

「……どうかしたか?
 私を殺さないのか?」

「……そうしてやりたいさ」

「ならば何故そうしない。
 君にとって私をくびり殺すことぐらい造作もないことだろう?
 彼は大事な男なんじゃなかったのか?」

「大事な男だよ。エスティマは私にとってかけがえのない存在だ。
 今もそれは変わらない」

「なら、どうして?
 大事な者を奪われて怒りを抱くのは当然のことだ。
 何も間違ってはいない」

プレミオの声が抑え付けた激情に油を注ぐ。
彼の囁きは悪魔のそれだ。撒き散らしたい悪意を肯定して正しいと告げる。
だがチンクは、しゃくり上げると共に必死で堪え、瞼をきつく瞑り涙を押し流すと、手の甲で涙を拭った。

「……できるわけがないだろう?
 私は罪を償うって、そいつと約束したんだから。
 エスティマを奪われることが私への罰だというのなら……」

それが自分の犯した過ちだというのなら、

「……受け入れ、その上で貴様を恨もうじゃないか」

言葉の通りに自分は拒まない。
もしエスティマが奪われるその時を目にしたら全力で抵抗しただろう。
取り返しのならないことになろうと戦闘機人の力を用いて、彼を守り抜くため戦っただろう。

しかしそれすら叶わず罰という形でこの結末が訪れたのならば、拒否などできはしない。

もう彼が結んでくれた約束が果たせないのならば、せめて、自分が結んだ約束ぐらいは。
そうでもしなければ、あまりに報われない。
死人は何も想わない。彼のためにしてやれることはない。
だからこそ、彼が生きた証――彼と共に生きたいと願った自分が、彼の望んだ形で在り続けるべきだ。

「……そうか」

チンクの言葉に何を思ったのか、プレミオは空を見上げて目を瞑った。
何かを堪えるように目を瞑り、そっと息を吐き出す。

「騙して、すまなかったな」

云い、彼は指を打ち鳴らした。
その瞬間だ。横たわっていたエスティマの死骸が光の瞬き――魔力光となって消え失せる。
戦闘機人の目を欺く類のフェイクシルエットか。
同時に、チンクとプレミオの間からも魔法陣が浮かび上がり、同じように消滅した。
こちらは設置型のバインド。襲いかかってくると予測されていたのだろう。
急なことにチンクは声を発することができず、ただプレミオに視線を向けるだけ。

説明を求めるような目で見られからか、彼は疲れた笑みを浮かべた。

「……同じ気持ちを味わわせたかったんだ。
 私や娘と同じ、喪失感を。
 そして君がどんな顔をするのか。どんな反応をするのか、知りたかった」

「ふざけるなよ貴様……!」

先ほどとは違う、辱められたが故の怒りでチンクは吠えた。
しかしプレミオは涼しげな表情を微塵も崩さず、首肯する。

「ああ、まったくだ。
 本当に……けれど、こうでもしなければ私は満足できなかった」

罪を償うと云う君の言葉が苛立たしくて仕方がなかった。
そう、プレミオは口にする。

「何をしようと妻は戻ってこない。
 何をしようと娘の身体は元に戻らない。
 次から次へと失ってばかりだというのに、君は未来のために罪を償うと云う。
 それが我慢ならなかっただけだ。
 馬鹿な男の見苦しい怨恨だと思ってもらってかまわない」

呟きならが、プレミオは歩き出した。
今度はもう、チンクが彼の後を追うことはない。
射殺さんばかりの視線を受けるプレミオは、しかし、気にした風もなく先を続ける。

「私たち家族の受けた苦しみの万分の一でも味わわせることができたならば……まぁ、良いさ。
 決して許しはしないが、認めはしよう。
 殺意を向けられたときはどうしようかと思ったが、自制できたようだし。
 本当に罪を償いたいのならば、好きなようにすると良い」

プレミオの声には微かな申し訳なさがあるも、それを凌駕する憤りに染まっている。
押し込めらているからこそ底が見えず、また、憤怒に染まった彼の心をチンクには読むことができない。

「……そうか。
 一応、礼を云っておくよ」

「礼?」

不思議そうに問い返すプレミオへ、チンクは表情を歪めながら吐き捨てた。

「この茶番が嘘であったことだ。
 お前が私からエスティマを奪わないでいてくれたことをな」

「……そうしてやろうか、とも考えていたけどな」

プレミオは自嘲を顔に浮かべながら、どこか泣き笑いするように、

「君らの同類になんて、死んでもなってやるものかよ」

これで良いんだ、と自分自身へ言い聞かせるようにして、今度こそチンクに背中を見せた。
それを最後の言葉とし、チンクは彼の背中が屋上から消えるまでじっと見詰め続ける。
そしてプレミオが完全に屋上から消え去ると、チンクが膨れあがり混沌とした感情を握り拳に乗せ、全力で落下防止用の柵に叩き付けた。
























「急に呼び出したりして、すみませんでした」

「いや、気にしてないけど。
 どうした、スバル。またクイントさんが何か言い出したとか?」

「あはは、今日は違うんです。
 私がエスティマさんにお話があって」

Seven Starsへと届いたメールの送り主はスバルだった。
彼女に呼び出され病院の中庭へ出ると、既にスバルは待っており、俺の姿を見付けるとやや緊張した表情になった。

何かを云いたいような、云いづらいような。
俺に急かしているつもりはないものの、スバルはすぐに話を始めたいようだ。

彼女はなんの話をするつもりなのだろうか。
そう考えて真っ先に浮かび上がってくることは、クイントさんに関係することだ。
無論それはクイントさんがいつも冗談半分で口にするようなことではなく、彼女がずっと抱いていた勘違い。
俺が意図的にさせていた擦れ違いに関することだろう。

それに対してスバルが申し訳なく思っているのはなんとなくだが、分かる。
けれどそもそも、申し訳なく思う必要なんかないんだ。

クイントさんが捕まったのは俺のミスが原因。
ならばナカジマ家をバラバラにした原因は俺と云っても過言じゃない。

そう思っているからこそ謝罪は必要ないと思っているし、スバルには俺なんかに構わず、クイントさんと笑い合っていて欲しい。
そうしてくれるだけでずっと続けていた戦いに意味があったと実感できて、満足できる。

……けれどそれは、俺の自己満足でしかない。それも分かっている。
俺が満足していても、やはりスバルは納得できないのだろう。

俺が彼女の謝罪を受け入れることでスバルが満足できるのならば――

「あの、すみませんでした」

考え事をしながら待っていると、ようやくスバルは話を始めた。
笑顔を作って彼女に続きを促し、俺は聞きに徹することに。

「私、ずっと誤解してて……。
 知らなかったって言い訳はできるけど、それでも部隊長がお母さんを助けようとしてくれていたのは事実だから。
 それなのに恨んでばっかりで、本当のことを何も知ろうとしなくて。
 ……私、今、幸せです。お母さんがいて、お父さんが生き生きしてて、私たちは嬉しくて。
 もうこんな時間は二度とこないと思っていたから――ありがとう、ございます」

「……ああ。スバルたちが幸せなら、俺はそれで」

良いんだ、と続けようとしたときだった。
俺はてっきりそこでスバルの話が終わりだと思って、まさか続きがあるとは思わなかったんだ。
そしてそれが、

「……だから、もう自分のことを責めないでください」

俺自身ですら忘れかけていたことを、引きずり出されるだなんて予想すらもしていなくて。
作り笑顔も忘れ、俺は呆然とスバルを見返した。






















言葉を口にした瞬間、エスティマの顔から表情が消失した。
完全な無表情となった彼は、続きの言葉を待っているかのように沈黙している。
スバルと言葉が被ったから待っているという風ではない。
今まで見たこともない彼の様子に気圧されながらも、えっと、とスバルは口を開いた。

「エスティマさんが気にすることなんて、もうないですよ。
 エスティマさんは頑張って、私たちはお母さんを取り戻すことができました。
 たくさんの人があなたに助けられて、私はその中の一人として、幸せに今を生きています。
 過去に囚われる必要なんて、どこにもない。
 だから胸を張ってください。あなたは、やり遂げたんです」

彼がこの言葉によってどんな気持ちになるのか、スバルはさっぱり分からない。
そもそもこれは、スバルが考えて口にした言葉ではないのだから。

どうやってエスティマに謝るべきかと母とティアナの意見を聞いて頭を悩ませていたあの日、マッハキャリバーはSeven Starsへと知恵を貸してくれるように頼んでいた。
その結果、返事としてSeven Starsが告げたこととは、代理として自分の意見を主人に伝えて欲しい、ということだった。

それがどんな意味を持つのか、スバルには分からない。無論、マッハキャリバーにも。
本質的な意味でSeven Starsの意図を読める人間は、ことの張本人であるSeven Starsと、エスティマだけである。

だが、Seven Starsはこうも云っていた。
スバルだからこそ、口にする意味のある言葉だと。

そんなことを云われても、やはりスバルには意味が分からない。
Seven Starsに説明するつもりはないのか、理由を知る術もない。
それじゃあ本当に謝ったことにはならないとスバルは思うものの、しかし、自分にしかできない、と云われたことに強く惹かれたのだ。
他の誰でもなく、何故自分なのか。
贈るように頼まれた言葉と、自分という立ち位置を考えて、おそらくこの人は自分が不幸に突き落としたと思う者に対して責任を感じているのではないだろか、とスバルは考える。

どうして彼がそんな風に考えているのかまでは分からないが、自分の予想が正しく、エスティマが自責の念を抱いているのだとしたら、確かにこの言葉は自分が云う価値があるのだろう。

何故なら自分は、彼が不幸にしたと思っている人間の一人だろうから。
そんな人間からもう良いと云われれば、きっとそれは救いになり得るのだろう。

そして、と。
彼を助けたいと思っているのは自分ではない。
ただそれを実行するチャンスが巡ってきただけで、頼んできたのはSeven Starsだ。
稼働年月が長いだけじゃ、こうはならない。
おそらくエスティマとSeven Starsは強い絆で結ばれて、だからこそデバイスは主の心を助けたいと願ったのだろう。

Seven Starsの意図が正しく伝わったのかは、スバルには分からない。
彼女の言葉を聞いたエスティマは返事をすることもなく、痛みに耐えるような顔で黙っている。

「……エスティマさん?」

「……俺は」

ようやく口を開いた彼は、何を云ったら良いのか自分でも分からないようだった。
額に手を当て、表情を隠すように、しかし苦悩しているようにも見える顔で、絞り出すように声を吐いた。

「……俺は許されても良いのか?」

彼の声を震わせる響きは、まるで弱音のようにも聞こえる。
同時に、答えを求める子供のようにも。

そんなエスティマを見たことはなくて、スバルは軽い戸惑いすら覚えてしまう。
それでも彼女はエスティマを真っ直ぐに見詰め、後押しをするように口を開いた。

「良いんですよ。頑張ったじゃないですか。
 ううん、それけじゃない。結果もちゃんと、出ています。
 今更だけど……ようやく本当の意味で、私は歩き出すことができました。
 これからの毎日が、楽しみで仕方がなくて……この気持ちは絶対に間違いじゃない。
 なら、それを私にくれたエスティマさんだって、絶対に間違ってません」

スバルが口にした結果。それを示すように、彼女は笑みをエスティマへと。
彼はそんなスバルの表情から目を逸らしながら、そうか、と呟いた。
しかし尚も晴れないエスティマの表情に、スバルは悔しげな色を顔に浮かべる。

……役不足だったのかもしれない。
分かり切ってはいた。付き合いそのものは長くても、自分と彼は半ば絶縁していたようなものだったのだから。
そんな人物に言葉をかけられて嬉しくはあっても、心には響かないだろう。
多分、自分ならそうだろうし。

「……だから、胸を張ってください」

最後のそう言葉を贈って、スバルは唇を噛んだ。
そして小さく頭を下げ、ゆっくりと中庭と後にする。

一人残されたエスティマは、俯いたまま微動だにしない。
おそらくスバルの言葉を信じても良いのかと考え込んでしまっているのだろう。

彼女がかけてくれた言葉と似たものを、向けられたことがないわけではない。
例えばSeven Starsがそうだったし、他にも親しい者たちは、戦い抜いたのだから休んで良いとも云ってくれた。
それらをエスティマは嬉しく思いながらも、親しいからこその優しい嘘だと解釈していたに違いない。

だが、たった今対面していたスバルは違う。
クイントが戻ってきたことで敵視されるようなことはなくなったとはいえ、決してエスティマと親しいわけではない。
故に普段彼が考えていた優しい嘘を吐かれているという怯えが適用できずに、戸惑っているのだろう。
スバルは彼女にしか出来ないことをやってくれた。
どれだけ言葉を尽くしても自分では動かせなかった主人の心を溶かすのは、彼女にしか出来ないことだっただろうから。

俺は許されても良いのか?
スバルに対して口にした言葉は、おそらく彼の本音だ。
これがもしSeven Starsやシグナム、そしてユーノやクロノならば、俺は裁かれなければならないと断言していただろう。
……あの強がりは、否定して欲しいからこそのものだったのですね。
彼の胸元で揺れるSeven Starsは、主人の様子から胸中を察する。

ならば最早、自分の出る幕はない。
答えは得た。親しい者たちの言葉を疑っていたからこそ、主人はスバルの言葉を疑えない。
裁きを受けたいという渇望はメッキを失い、今はその地金である真の渇望――救われたい、と変化しているだろう。

鎧のように纏っていた強がりが剥がれ落ちたのならば、あとは彼を誰かが抱き締めれば良い。
……悔しいことに自分にはその腕がないし、役不足だけれど。
ここにはいないどこぞの誰かに、Seven Starsは腹を立てながらも、主人の隣という席を譲ろうと決めた。


























海上収容施設へと戻るバスの中、二人はいつかのように無言で隣り合っていた。
窓の外には曇り空が広がり、くすんで冷たい風景は、そのまま心の内を表しているようだった。

お互い、それぞれに何があったのかを話してはいない。
しかし何かがあったのだろうとは、薄々と勘付いてはいる。

けれどどちらもそれを口にするとはなく、ただバスに揺られている。
重く響く騒音は儚い言葉をすべて飲み込むだろう。呟きはそのまま消えてなくなる。
のしかかる空気という名の重圧はコールタールのようにまとわりついて、彼ら以外の乗客がいたら居心地の悪さに狸寝入りを決め込むだろう。

黒々とした想いは、二人の中に渦を巻いている。
エスティマはスバルから向けられた言葉を鵜呑みにして良いのかと。
チンクはぶつけられた悪意をどう飲み込むべきか考えあぐねて。

二人とも、それに対する答えは既に出ているようなものだった。
ただそれが本当に正しいのか自信が持てないのだ。
誰かにアドバイスを求める際、ある程度は心が固まっているのと同じように。

しかし二人は、それを他人に問いかけて良いものかと悩み、口にしない。
最も自分のことを理解してくれるであろう者がすぐ近くにいるというのに――否、違うか。
答えらしい答えが出ているからこそ、それを否定されないかと怯えているのだ。

故に聞いて欲しいと願いながらも聞くことができない。
お互いがお互いを、心に占める割合の大きい存在だと思うからこそ。

『二人とも、聞いて欲しいことがあるならば言葉を交わせば良いでしょう』

ずっと続いていた沈黙を破ったのはSeven Starsだった。
声色には仕方がないという呆れが満ちており、コアに宿る光も嘆息するかのようにゆったりとしている。

が、Seven Starsの声を聞きながらも二人は反応を見せない。
溜息を吐くようにコアの光を明滅させながら、彼女は念話をチンクに送る。

『チンク。あなたはどうしてそんな暗い顔をしているのです』

『……それは』

『旦那様に聞いて欲しいのなら、云えば良いでしょう』

『こいつに聞かせても良いものかと思ってな。
 それに、エスティマも何か考え込んでいるようだ。
 邪魔をしたらまずいと……』

『邪魔をして疎ましく思われたくないと。
 あなたは初恋を実らせたばかりの学生ですか』

『機械のお前にそんなことを云われたくはないぞ』

『失礼しました』

まったく、とチンクは肉声で呟きながらも、先ほどと比べて幾分表情を和らげた。
そして横目でエスティマの方を伺いつつ、彼女は小さく咳払いをする。

「……なぁ、エスティマ」

「なんですか?」

疲れ切った、とはまた違う、気力の萎えた声を返され、チンクは口を噤んだ。
しかし彼の胸元に下がるSeven Starsを一瞥すると、閉じかけた口を開く。

「私は……」

「はい」

「私は今日初めて、恐怖というものを味わったよ」

「恐怖、ですか?」

いきなり何を、とエスティマは怪訝な顔をする。
しかしチンクは構わず先を続けた。
プレミオとのやりとりを彼に説明するつもりが、彼女にはないのだ。

「ああ。……当たり前のことだが、大切なものを奪われるというのは辛いんだな。
 いや、分かっていたんだ。当たり前のこととして、知ってはいた。
 しかし、いざその時を迎えて……自分が何も分かっていなかったと、思い知らされた気がする」

「……誰だって、知ったつもりでいることぐらいはありますよ。
 そしてフィアットさんが云っていることは、経験しないに越したことはない苦しみでしょう。
 だったら怖いのは当然で、別に悪いことじゃないと思います」

「……そうか」

エスティマはそう云ったものの、彼はチンクの身に起きたことを知らない。Seven Starsも、また。
彼女が一人悩んでいることとは、擬似的にとは云え思い知ったあの喪失感を、他者に与えた罪が本当に許されるのかと云うことだ。
自分の身になって考えてみれば――それは、エスティマを奪われるということになるだろう。
もしそうなった場合、自分は相手を許すことはできるだろうか。
出来るわけがない。今のように考え込む前からもそう思っただろうが、幻影とは云えエスティマの死体を目にしたチンクは、それをより強く思う。
殺意を抑えることは辛うじてできた。しかしそれはそれ。怒りは確かに抱いたし、憎悪すらした。
ああも鮮烈でやり場のない感情を自分がばらまいていたと考えたら――

不意に、暖かな感触が手を包む。
目を落とせば、膝の上で丸められていた手をいつの間にかエスティマの手が覆っている。
その時になってチンクは自分の手が震えていたと気付き、この時になってようやく幻影であったエスティマの遺体が脳裏から影を薄くした。

「……どうにもならない。自分のできる範囲で頑張るしかないんです。
 明確な方法なんて、誰にも分からないんだから」

「……そうか」

染み渡るような温もりに熱さすら覚えながらも、チンクは伝わってくる感触を心地良く思う。
これがなくなるなんて考えたくもない。
奪われたくないと思うからこそ、奪ってはいけない。
本当に当たり前の話でしかないのに。

「すみません。参考にもならない助言で」

「いや……お前にそう云ってもらえるだけで、私は満足だよ。
 分かってたんだ。答えなんか存在しない問いだと」

明確で完璧に、自分たちの点けた憎悪の炎を鎮火する術などないと。
ただ分かっていながらも――エスティマと共にいたいから。
約束を果たしたいと願ってしまうから、どうしても良い手段はないのかと思ってしまうのだ。

結局、一生己の行ったことを忘れない、というのが一番の贖罪なのだろう。
法の下で罪を精算しただけで終わりではない。理屈では消せない傷跡が自然と癒えるまで。
その時が訪れるのを、じっと待つしかないのだ。おそらくは。
きっと長時間が必要となる贖罪の道は――この手を包み込んでくれる温もりと一緒ならば、耐えられる。
例え失ってしまったとしても、この温もりがあったことを覚えていれば耐えられる。

「……フィアットさん。俺の話も、聞いてもらえますか?」

「ああ。どうしたんだ?」

「……少し、説明し辛いことなんですけど。
 ええと……もし未来の情報を知ることができて、自分に悲劇を回避する力があるとしたら。
 そんな仮定を前提として考えてください」

『聖王教会にそういった希少技能を持つ者がいるのです』

念話でSeven Starsから届いた補足に、チンクは小さく頷く。
カリム・グラシアと云っただろうか。未来を予知する希少技能があることを、チンクは記憶の中から掬い上げた。
そして、Seven Starsの言葉を信じてしまう。

「本当は幸せに生きることのできる人間がいた。
 本当は死ななくて良いはずの人間がいた。
 本当の未来を知る人間なんていないから、この現実が真実ではあります。
 けれど、そうでない結末があると知っていて……天秤を悲劇へと傾けてしまったら、それは」

「……不幸だとは思う」

「そうですか……」

「意味を取り違えるな。
 未来を知ってしまったことが不幸だと云ったのだ、私は」

「……そうでしょうか。
 良い方に状況を転がす術を知ったら、きっとそれは幸運です。
 けれど俺はそれを生かせず、起きなくて良いはずの悲劇を――」

「ならお前は、こうして過ごしている時間を不幸だと思うのか?」

問いかけによって、エスティマは言葉を止めた。
チンクは重ねられた手を反転させて、エスティマと指を絡める。
接触を忌むように彼は手を離そうとするも、ぎゅっと握り返して逃さない。

「……なぁ、エスティマ。
 教えてくれないか、お前のいう本当の話を」

「それは……はい」

僅かに躊躇いながらも、エスティマはチンクの言葉に頷いた。
そこから、彼は自分の知る本当のあらすじを彼女に伝え始める。
どこか、言葉の端々には怯えが含まれているようにチンクは感じた。

それでもゆっくりと語られる、彼の知る真実をチンクは咀嚼してゆく。
確かにそれはそれで悪くない世界だったのだろう。
けれどエスティマが口にした、幸せだったはずの人が不幸せ、という点がチンクには分からない。
どちらもどちらだ。現実である以上犠牲も何もなく完璧な幸福が訪れることなどありはしない。
トーレは死んだが、ドゥーエは生きている。その逆もあり得たのならば、どちらが幸福だったのだろう。
正直に云って分からない話だ。それはそのまま、エスティマが悔いている行いにも繋がる。
彼が間違っていたのかどうかなど、やはり分からない。故に慰めの言葉も向けることはできない。

だとすれば自分にできることは――

指を絡め合ったまま、チンクは身を寄せてエスティマの肩にしなだれかかり、胸板に頭を預けた。
後頭部に伝わる鼓動は、彼が確かにここにいることを教えてくれる。
エスティマの教えてくれた、"こうなるはずだった話"、そこにいなかったキャストが確かに存在していると主張している。

「少し、こうさせてくれ」

「……はい」

「私はな、エスティマ。
 今この時をかけがえのない時間だと思うよ。
 だから、お前に感謝したいんだ」

そう、自分が彼に向けることのできる言葉はこれしかない。
頑張ったから良い。そんな言葉じゃきっと届かない。
頑張るなどという言葉はそもそも抽象的すぎるのだ。
本当にベストを尽くしたのかどうなど、本人にしか分からない。
そしてそれを疑ってかかっているエスティマに、届かない。

ならば感謝を。
お前の行いには確かな価値があり、こうして実を結んでいると伝えたい。

「私はお前と会えて良かった。
 こうして側にいられることを、喜びたい」

「……ありがとう」

湿った響きの籠もる声が零される。
そして彼は寄りかかったチンクの顔に額を当てると、震える吐息を漏らした。
髪に染み入る温い感触は、決して不快ではない。

「…………ありが、とう」

震える声に混じった小さな嗚咽を、チンクは聞き流してやる。
これはおそらく、傷の舐め合いと呼ばれる行為なのだろう。
決して良い意味で使われる言葉ではないものの、しかし、誰にも明かすことのできなかった傷口を見せ合えたことは、きっと意義がある。

チンクは己の行く道に確信を得ることができ、そしてエスティマは救われた。
忘れることで救われることと、この形で救われることに大差はないだろう。
ただ彼が本当の意味で背負い込んだ荷物を捨て去ることは、チンクと接しなければ不可能だったはずだ。

贖罪の道を進む者と、贖罪の道から解放された者。
今この時エスティマに宿る感情は歓喜なのか、嘆きなのか。

やはりチンクにはそれを分かってやることなどできない。
ずっと歩き続けてきた道が間違いではなかったという肯定と共に、ようやく彼は許された。
今はただ、静かにそれを祝福してやりたかったのだ。

『……ありがとうございます』

響く念話での電子音声は、らしくないほどに感情の色で染まっていた。
このデバイスもまた、主人のことを想っていたのだろう。

ふと、眩い茜色が雲の切れ目から差し込む。
凍えそうな暗色に染まっていたバスの車内は暖かな茜色に染まり、二人の影を長く伸ばす。
暗色の世界は色を取り戻し、まるで二人にとっての長い夜が明けたかのよう。

エスティマはずっと続いてきた道のりが終わり、チンクはこれから歩き出す者として。
完遂した者と始める者。その違いは、この時間が終わると共に明確となる。
エスティマの胸に背を預けられる時間が次に訪れるのはどれだけ先か。彼がチンクに甘えることができるのはいつのことか。
黄昏の中の海にたゆたう二人は、その立場のために定められた離別が待っている。
だがそれも、今のようにいつかは終わると決まっている。

二人に待っているのは決して暗い未来ではない。
この黄昏が終わり夜が訪れ、そうして朝を迎えるため。
一緒に太陽の下を歩くその刻へと進むために。








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