先端技術医療センターの廊下をエリオとティアナは歩いていた。
二人が身に着けているのは、局の制服だ。僅かに髪が湿っているのは、ここへくる前にシャワーを浴びたからか。
目指している先は、一般病棟のヴィータが入院している病室。
戦闘で負った怪我が思いのほか深く、念のためということで先端技術医療センターで治療を受けているのだった。
プログラムで体を構築されている守護騎士。そもそもがこの程度の負傷でもすぐに回復できる存在だったのだが、今のヴィータは違う。
闇の書から切り離された守護騎士プログラムは、正常な稼動状態を維持できず、年々劣化していっている。
並みの人間よりもまだ頑丈だろうが、それもいつまでのことか。
それはともかくとして。
自分たちのせいでヴィータが怪我を負ったと思いつめている二人は、暇があれば毎日のように病室へと足を運んでいた。
今日も訓練が終わり、各々の隊長たちに許可をもらってここへきている。
手に握ったビニール袋を揺らしながら、二人は病室の前へとたどり着いた。
失礼します、とドアを開くと、やや躊躇いがちに中へと。
「おう、きたか」
「はい。こんばんは、ヴィータ副隊長」
ヴィータは身を起こしながら、本を手に取っていた。漫画だろうか、と思いながら、ティアナは見舞いの品をベッドサイドの棚へ置く。
「ん、今日はなんだ?」
「クッキーです。なのはさんとシャマルが」
「そっか。じっくり食べるとするかな。
……おいおい、辛気臭せぇ顔してんじゃねぇよ。
そんなに深い怪我じゃねーっていってんだろ?」
まったく、と苦笑するヴィータ。
あの失敗以来、どうにも二人の顔は申し訳なさと悩みの混じったようなもので、沈んでいた。
どうしたもんかね、とヴィータは腕を組む。その際、傷口のある背中が鈍い痛みを発した。
実戦での判断ミス。それに関しての叱責は、おそらくなのはやエスティマが行っているだろう。
それで反省しているのなら、そこまで畏まらなくても――かといって開き直ったら無論激怒するが――いいとは思っている。
第一、ヴィータも自分に非はあったと思っているのだ。
あの盾のようなデバイスを持った戦闘機人が必ず出るとは思わず、連携の打ち合わせを行わなかった。
そんな場当たり的な考えに新人を付き合わせてしまえば、暴走しないとは言い切れないというのに。
だから気にするな、といってはみたものの、やはり二人は落ち込んだ状態から立ち上がらない。
根深いのかね、とヴィータはこっそり溜息をついた。
「まだ戦闘機人の全部を捕まえたわけじゃねーんだ。
そんな風に腐ってたら、訓練にも身が入らねーだろ?
またヘマやらかしたら、今度はどうなるかわかんねーんだからしっかりしろよ」
「……はい」
けれど、沈みきった顔が明るくなることはない。空元気すら見せることはできないのか。
どうしたもんかね、と再びヴィータは思った。
リリカル in wonder
スバルは一人、部屋の中で考え事をしていた。
二段ベッドの下に相方の姿はない。今はヴィータの見舞いに行っているのだ。
その時間を利用して、スバルは自分と、姉と、父と――家族のことを考えていた。
戦闘機人の遺留品であるリボルバーナックル。それが母のものだと分かり、スバルは今まで抱いていた考えに疑問を抱いていた。
エスティマ・スクライア。自分の所属している部隊の部隊長。それとは別にして、母を助けてくれなかった人。
長く憎悪を抱いていた彼が何を考えているのか。スバルにとって、あまりそれは関心がない。
スバルにとってエスティマとは憎悪を向ける対象であり、母を助けてくれなかった者にすぎないのだから。
けれど今になり、スバルはエスティマ・スクライアが何を考えているのか知る必要が出てきた。
廃棄都市郡での戦闘が終わってから、スバルは姉から――推察だけどと前置きをされ――母に関係することで自分たちの知らない、重要なことがあるのではと聞かされていた。
悪いデバイスではないものの、最上級の性能を持っているというわけではないリボルバーナックル。なぜ結社の精鋭である戦闘機人がそれを使っているのか。
しかもその戦闘機人は自分たちの同系列――もしかしたら、スバルと同型なのかもしれない子。
保管されていたリボルバーナックルが気に入っているから使っている、というわけではないだろう。
なぜなら、マリアージュ事件の際、彼女はリボルバーナックルを傷付けられて激怒していたから。
ただ気に入っているだけであそこまで怒るとは考えづらい。
もしかしたら彼女はリボルバーナックルではなく、デバイスを通して誰かを見てるのではないか。
そして彼女が見ている人物とは、もしかしたら、自分たちの母親、クイント・ナカジマなのではないだろうか。
リボルバーナックルを傷付けられて怒ったのは、クイントとの接点となっている物が壊されたからではないだろうか。
そして、もう一つ。
あの戦闘機人は、自分たち姉妹を目の敵にしている。
偶然、というわけではないだろう。二度の交戦。そのどちらもが姉妹と相対し、敵というだけとは思えないほどの殺意を向けてきた。
なぜ彼女がそうするのか。敵だから、というだけでは説明の付かない何かがあるだろう。
自分とあの戦闘機人の間には、何かがある。何かに拘って、あの戦闘機人はリボルバーナックルを大切にして、自分たちを目の敵にしている。
自分たちにそれらへ思い当たる節はない。
共通点として浮かび上がってくるのは母だが、なぜ故人に執着するのだろう。
……もしかしたら、父やエスティマ・スクライアは戦闘機人と自分たちの間にある何かを知っているのではないだろうか。
そして、その"何か"はとても重要なことなんじゃないか。
ギンガもスバルも、それが何かは分からない。
ならば直接本人に聞くべきだとは分かるが――
「……あの人は、何もいわない。ただ自分が悪いとしか」
そうやって逃げているのだ。自分の侵した罪を告白して掘り起こすのが怖いのだ。きっとそうだ。
そう、スバルは考えている。
そんな彼の態度に甘え、深入りしなかったのはスバルの甘えでもある。
けれど彼女はそのことに気付かず、ひたすらに戦闘機人と自分たちの間に何があるのかを考える。
けれど、それに答えが出ることはない。
彼女が一人で考えるには、判断材料が少なすぎるのだ。
悶々としながら、スバルは一人、考え事へと没頭する。
けれども、やはり答えは出ない。
呻き声を上げた後、スバルは気分転換でもしようと、外出の準備を始めた。
「ティアさん、これからどうしますか?
僕は、訓練でもしようと思っているんですけど……」
「……ああ、ごめん。ちょっと一人になりたいから」
「あ、はい」
それじゃ、と手を振りながら去ってゆくティアナの背中を見ながら、エリオは溜め息を吐く。
ティアナへの誘いを断られたからではなく、今の自分の状況に。
戦場での判断ミスをしてしまった自分たち。
それらに対する罰はちゃんとあった。
けれど、ミスに巻き込まれて怪我をした本人であるヴィータは気にしていない風に振る舞っている。
それがエリオには、たまらなく我慢ができなかった。
もし自分たちがあの場で勝手な行動を取らなかったら、ヴィータは怪我をすることがなかったかもしれない。
それ以上に、戦闘を続けていればエスティマが加わって、あの場にいた二体の戦闘機人を捕らえることができたかもしれないのに。
実力不足ではなく、経験不足。確かに戦闘機人を相手にするには、まだ自分たちは未熟だとエリオも分かっている。
けれど今回のことで最も目立ってしまったのは、冷静な状況判断のできない部分だった。
どうすればこの穴を埋めることができるのだろう。考え、しかし、簡単に答えはでない。
せめてできることと言ったら、なのはから受けている教導の他に、自ら鍛錬を積むことぐらい。
けれどそれで伸びるのは技の冴えや力であり、経験不足をどうにかできるわけではない。
どうすれば――なんとも形容しがたい衝動が、エリオを突き動かす。
隊舎の近くにある林に入ると、S2U・ストラーダを起動させて、エリオはスフィアを宙に浮かばせる。
それをデバイスの先端に生み出した魔力刃で追い、切り裂き、すべてのスフィアを切り伏せると再び標的を生み出す。
汗の滴を飛ばし、がむしゃらに、しかし目的を持って――どう身体を動かせば良いのか。より高度な動きをするべく――エリオは動き続ける。
そうして二十分ほど経った頃だろうか。
「エリオくん?」
「……ん、キャロ?」
汗だくのエリオは息を切らせながら振り向き、名を呼んだ。
視線の先にいるのは、同じ小隊員として戦っているキャロだった。
彼女は心配そうな視線をじっと向けてくる。
それを分かっていながらも、エリオは再び身体を動かし始めた。
そしてマルチタスクの一つを割いて、彼女へと念話を。
『何?』
『えっと……あまり無理しちゃ、駄目だよ。
なのはさんの教導だって大変なのに、その上自主訓練までなんて。
身体が壊れたら、大変だよ?』
『身体は丈夫な方だから、平気。
そんなに心配しなくても大丈夫だから』
『けど……』
エリオを信頼していないわけではないだろう。
それでもキャロは、ひたすらに訓練を積んでいるエリオを心配する。
そんなキャロへ苛立ちも何も抱かず、ただ申し訳ない、とエリオは思う。
あの戦場で、失態を見せたのは自分たちだけだ。
隊長陣は戦闘機人を捕まえ、スバルたちも撃退した。六課全体から考えれば、むしろプラスの方が多い。
ようやく目に見えた形で部隊が成果を上げられたのだ。むしろ今は、喜ぶべき時だと思っているが――自分たちは、敵にやられている。
もし部隊長が間に合わなかったら――そう考えると、どうしてもエリオは悔しさを感じてしまうのだ。
同じ小隊の仲間である上に、当たり前のように他人を思いやることのできるキャロは、そんなエリオがどうしても気になってしまうのだろう。
付き合わせて悪い、と彼女の顔を見る度に思ってしまう。
けれど、自分が悔しさを押し殺して陽気に振る舞えるような人間ではないとエリオは分かっている。
それに、兄から教え込まれていることもあった。
何事も無理はするな、と。それで潰れた人間を見たことがあると、何度も口を酸っぱくしていわれていたのだ。
気持ちを押し殺して潰れてしまうぐらいなら、いっそ開き直れと。
それを免罪符にするわけではないが。
『……エリオくん』
『何?』
『エリオくんは、強くなりたいの?』
『……どうだろう』
その問に、え、とキャロが声を上げた。
『強くなることで、この間みたいなミスをしなくなるのなら、強くなりたい……かな?』
『……そっか』
そう応えると、ずっと立ち尽くしたままのキャロが動いた。
なんだろう、と見てみれば、彼女もケリュケイオンを起動させている。思わずエリオは動きを止めた。
「……キャロ?」
「手伝うよ、エリオくん」
「え、でも」
「だって、パートナーだし……それに、ただ見ているだけなんて嫌だよ。
もし今度、エリオくんがミスしそうになったら私がフォローする。
……それじゃ、駄目かな?」
上目遣いで、おずおずとキャロは呟いた。
そんな彼女の姿に、エリオは心底困ってしまう。
無下に断ることもできないし――どうしようか。
そう思いつつも、エリオは気付かぬうちに頷いていた。
エリオと別れたティアナは、隊舎の廊下を歩いていた。
目指す先はデバイスの開発室。そこでデバイスの中身を覗こうと思っているのだ。
別にクロスミラージュの調子が悪いわけではない。彼女は、デバイスに蓄積されたデータを見ようと思っているのだ。
変な癖がついていないかどうか。欠点か何かがあるのではないか。それらを確かめようと。
もっとも、なのはの教導を受けている以上、彼女が気付けばそういった悪癖はすぐに直されるだろう。
それを分かっていながら、ティアナは開発室を目指す。
エリオの誘いに乗らなかったのは、今は身体を動かす気分じゃなかったからというのが大きい。開発室を目指しているのもそうだ。
どうしたものか、とティアナは溜め息を吐く。
そうして思い起こすのは、自分がミスを犯したあの戦闘だった。
もっと上手くやれたはずなのに、なぜあのときの自分はあんなことをしてしまったのだろう。
年長者としてエリオを止めるべきだったのに、一緒になって攻めようとして。
みっともない。あの戦闘が起きる前の自分に出会えるのなら、間違いなく横っ面を叩いているだろう。
が、そんなあり得ないことを考えていてもしょうがない。
これから自分たちはどうするべきなのか。それを少しは考えてみないと。
「失礼します」
「あ、どうぞどうぞー」
ドアを開くと、薄暗い部屋の中で作業をしているシャーリーが目に入った。
仕事中だったのだろうか。タイピングを続けて画面に視線を向けたまま、彼女は返事をした。
「クロスミラージュのメンテですかー?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「んん?……ちょーっと待ってくださいね。
よっと……はい」
一区切りを付けたのだろう。彼女は指を止めると、椅子を回してティアナの方を向く。
タイミングの悪いところにきちゃったなぁ、とティアナは苦笑した。
「すみません。作業を止めてしまって」
「いえいえ、お気になさらずー。
こっちも息が詰まっていたので、誰かと話をしたい気分だったんですよ。
いやもう、完成したと思っていたものに穴があると、凹むー」
「えっと、どうしたんです?」
がっくりと肩を落として、大袈裟なことをいうシャーリー。
目的はあるも急いでいるわけではなかったため、ティアナはついつい話に乗ってしまった。
「前回の戦闘で強化改造したユニゾンシステムを起動させたんですけど、どうにも上手く動いてくれなかった機能があって。
ここだけは力を入れて作ったから、自信があったのにぃ……」
「ユニゾンって、部隊長の?」
「そうそう。追加機能として搭載したイリュージョンフェザーだけど、幻影魔法の補助以外にももう一つ機能があって。
そっちの方が動いてなかった……というか、動いていたみたいだけど効果が出てないみたいで」
弱りました、とシャーリーは溜め息を吐く。
「えっと……その機能って?」
「AMFC。キャンセラーです」
「キャンセラーって……AMFを?」
「そう。AMFの中和フィールドですよ」
AMFC。聞いたこともないその名称に、ティアナは思わず聞き返してしまった。
それもそのはず。AMFへの対抗手段は、基本的に魔導師依存になっているのが現状だ。
そもそもAMF自体が、結社の使うガジェットドローンの出現によって思い出された、カビの生えた代物。
習得が難しく、覚えたとしても味方の邪魔になる可能性があるため使いどころを考えなくてはならない。
その扱いづらさから淘汰されたフィールド魔法。
管理局の敵は結社だけではない。AMFへの対抗手段を模索するぐらいならば、とあまり熱心に対策を練られていないのが現状だ。
だというのにAMFCだなんて――そう考えるティアナだったが、そもそもここは結社の対策部隊。
メタな対策だろうと、それが結社へ有効な対抗手段になるならば模索してもおかしくないと思い至る。
「……もしそれが完成していたら、ガジェットなんか怖くない、と」
「そう! そうなんですよ!……まー、戦闘機人Type-Rは魔法を使うのであまり代わり映えはしないんだけど。
それでも、フルスペックの魔法が使用できるのは大きな利点。
これで対策は万全――だと思ったのにぃ」
再び肩を落として、だはー、と溜め息を吐くシャーリー。
よっぽど期待が外れて落ち込んでいるのだろう。ふざけた調子の中に、本気の落ち込みようが見て取れた。
「……AMFCの効果が発動する前に、イリュージョンフェザーごとAMFに消されているのが問題?
ううん、イリュージョンフェザーは正常稼働していた。
なら、問題は――」
いつの間にか自分の世界に入ってしまい、ぶつぶつと呟くシャーリーを見ながら、ふと、ティアナは些細な疑問を浮かべた。
そもそもAMFとはなんなのだろうか。
魔力の結合を断つ特性を持った、フィールド魔法。それは分かる。
しかし、どういう作用でそれを起こしているのか、気になってしまったのだ。
普段はAMFを"そういうもの"だと認識してあまり深くは考えていなかった。なのはがAMFへの技術的な対策を毎日のように教えているということもある。
そしてそれはティアナだけではなく、スバルやエリオ、キャロも同じだろう。
魔法を研究しているような者でなければ、気にしないような話なのだから。
「あの、シャーリーさん」
「……ん、はいはい?」
「そもそもAMFって、どういう原理で魔力の結合を断っているんでしょうか」
「んー……えっと、ですね。噛み砕いて説明すると、なんだけれど。
AMFは魔力の結合を断つ。ここまでが常識として知られている部分。
そしてこの後……結合を断たれた魔力は、魔力光も見えないレベルに分解されるの。綺麗さっぱり消滅するわけじゃない」
「そうだったんですか」
「うん。そもそもAMFは魔力の結合を断つフィールド魔法となっているけれど、厳密には、違う。
AMFを発動させた魔導師を中心に、魔力の結合を断つ"何か"を発生、散布し、その"何か"が魔力の結合を断っているの」
「え?」
「あまり知られていない豆知識ー。
ガジェットは機械だからそうは思われていないんだけど、人が発動させたAMFって減衰するんですよ?
ガジェットは機械だから、プログラムに沿って絶え間なくAMFを発生させていて、そうは見えないってだけで」
「……えっと?」
「そもそもAMF自体が魔法。その正体は魔力を、魔力の結合を断つ"何か"へと変換していると言われている。
炎熱や電気、氷結と同じように。
けれどその"何か"――仮説の段階で、"あるだろう"といわれている"何か"は発見されていない」
「……?」
「AMFを防ぐ手立てはいくつも考えられたけれど、対策へ潤沢な予算が回されたわけじゃないからどれも実用化には至っていない。
けど、研究している人たちはいて……その人たちからのヒントを元に、私は……」
「あ、あの、シャーリーさん?」
「AMFという魔法を破壊する手段なんて、専門の研究職じゃない私には見付けられない。
けど、AMFの仕組みが分かっているならば、取れる手段は存在する。
要は戦うことができれば良い。AMFの無効化――中和フィールドの形成。
逆転の発想なの。AMFは魔力の結合を断つことで減衰する。なら魔力をぶつけ続ければ――そう、私は考えた。
だからこそ広域散布を可能とするイリュージョンフェザーを作って――けれど、AMFCの効果は出ていない。
羽の形を取って広域散布することにより、って。けど、なんで――そう、そうだ! そうなのよ!
点じゃ駄目だったんだ、面なの!」
「あ、あのー、もしもーし?」
ティアナを置いてきぼりにして、シャーリーは一人でぶつぶつと呟き続ける。
そして何かを思いついたように情報端末に齧り付くと、熱暴走でも起こしそうな勢いでタイピングを始めた。
ヒャッハー! と今にも言い出しそうなほど上機嫌な表情だというのに、黙ってキーボードを叩く彼女からは鬼気迫るものすら感じる。
シャーリーの姿に、お邪魔みたい、と胸中で呟くと、物音を立てないようにティアナは開発室を後にした。
そうして廊下に出ると、これからどうしようと途方に暮れてしまう。
……自主練習、か。
ポケットの上からクロスミラージュに触れながら、ティアナは小さく唇を噛む。
エリオはきっと今もがむしゃらに訓練をしていることだろう。
それが悪いとティアナは思っていない。それで自分たちの抱いている無力感を薄れさせることができるのならば、別に良い。
けれど、違うのだ。身体を動かして忘れられるほど、簡単な話ではない。特に自分の場合は。
六課へ配属された時点で、自分の実力に対する評価が分不相応だと分かってはいた。
ミッドチルダを脅かす結社。それに対抗するために生み出された部隊の一員。
それの意味するところは、エースとしての実力を求められるということ。
自分はエースなどにはなれないと、ティアナは分かっていた。
彼女が幼い頃に魅了され、今も憧れているエスティマ・スクライア。
まだ魔法のなんたるか。自分の才能がどれほどのものかを理解していなかった頃、ティアナは憧れへ近付こうと躍起になっていた。
けれど、その情熱は一年も経たずに冷え切ってしまう。
生まれついての魔力資質。空戦適正。そういったものが、ストライカー級魔導師と呼ばれる者たちと比較するとどうしても見劣りするのだ。
無論、技巧派のストライカー級魔導師も世の中には存在する。諦めなければそういった魔導師になれるのでは、とも思う。
けれど、違うのだ。
ティアナが憧れた魔導師とは、鮮烈で圧倒的な、まるでご都合主義の化身のような力を持った存在なのだから。
兄の夢だった執務官になるということ。それは諦めていない。
けれど憧れであった魔導師へ近付こうという意志は完全に折れてしまった。
自分はあの人のようにはなれない。当たり前のことだが、それ故に大事なことを、ティアナは学習していた。
しかしそれは、良い意味で。背伸びをせず、手の届かない幻想を追わずに等身大の自分を見詰めることができるようになったのだから。
だというのに、この前の戦いで自分のとった行動はどうだ。
戦闘機人Type-Rを倒せる。いつか諦めた幻想が蘇り、敵を討ち取れるかもしれないという誘惑に駆られてミスを犯し、上官を危険に晒した。
自分自身で諦めたはずなのに、目の前に餌を置かれたら食いついて……なんて不様。
もし今回と同じような局面に出会したら、今度こそミスは犯さないと思っている。
しかし、本当に犯さないのかという不安――自分自身への疑いがついて回り、エリオとはまた違った方向にティアナを悩ませていた。
「……こんなはずじゃ、なかったのにね」
ふらふらと考え事をしながら、ティアナは外へと向かう。
一人になりたいと考えているからだろうか。
気付かぬうちに、ティアナは隊舎の傍にある林へと向いていた。
「さて到着……っと」
最寄りのバス停から徒歩で隊舎へ到着すると、俺は周囲を見渡した。
待ち人がいるはずだとは思うのだけど……姿はなし、と。
海上収容施設からの帰り、バスに揺られて――残念なことに俺は免許を持っていないのだ。二輪も四輪も――いると、携帯電話にメールが届いた。
差出人はなのは。話があるから、帰ってきたらすぐに会おうという内容。
すぐに、とはなんとも穏やかじゃないとは思う。
もしやヴィヴィオに関係することだろうか。
あまり深い考えがあったわけではないが、俺はヴィヴィオの様子を見るように、彼女を先端技術医療センターへと向かわせていた。
なんでそんなことをしたのだろうか。保険のつもりなのかもしれないし、罪悪感からの行いなのかもしれない。
そもそも俺はヴィヴィオを誕生させるつもりがなかったのだ。あの子が生まれることで聖王のゆりかごが浮上するならば、と。
なのはをヴィヴィオの傍にいさせたのは、その行いからくる罪滅ぼしなのかもしれない。
馬鹿な話だ。誰が知っているわけでもないのに、勝手に申し訳なさなんかを感じて。
……ま、良いさ。それも俺の性分だ。女々しいとは自分でも思うけれどね。
そんなことを考えていると、視界の隅によく知っている姿が入ってきた。
局の制服に身を包み、栗色の髪をサイドポニーにまとめた女。
片手を上げてここにいることを示すと、彼女も同じように手を。
そして小走りで駆け寄ってくると、お疲れ様、と口を開いた。
「けっこう遅かったね」
「ああ。捕まえたナンバーズの全員と顔を合わせたから、時間くってね」
「そう。どうだった?」
「ん……チンクは協力的だから、裁判もそう難しくはないと思う。
けど、ディエチとオットーはどうかな。まだ自分たちの状況が飲み込めてないみたいだから、時間を置く必要があると思う。
……そっちは?」
「え?」
「ヴィ……あの、保護された人造魔導師の女の子だよ」
「……まだ分からないかな。あの子ずっと眠ってて、言葉も交わしてないから」
「そっか」
「うん。……それでね、エスティマくん」
「ん?」
「ちょっと話があるから、時間もらえるかな?」
そう問いかけられ、行こう、となのはに促される。
足の向いた先は隊舎ではなく、その横に広がっている林だった。
そんな場所でする話だなんて、人に聞かれたくない内容なのだろうか。
落ち着いて話すのなら、食堂でもどこでもあるし、念話で済ませたって良いだろうに。
さくさくと雑草を踏みながら進み、しばらく経つとなのはは足を止めた。
釣られて、俺も足を止める。
そして振り返ったなのはの顔に浮かんでいる表情を見て、思わず首を傾げてしまった。
怒りを堪えているような……けど、激怒しているような雰囲気じゃない。
なんだろうか。悲しんでいるようにも見える。
どうにも話を切り出し辛そうだし、俺の方から話を振ってみようか。
「……それで、話って?」
「うん。仕事じゃなくてプライベートのことなの」
「そりゃ、こんなところに呼び出すんだからそうだろうさ。
……けど、何か責められるようなことしたか?
気を付けてるつもりだけど――」
「してるよ。……無自覚だったんだね」
エスティマくんらしいけどさ、と溜め息を吐いて、なのはは額に手を当てた。
「……余計なお世話だって思うけど、ちょっと聞きたいことがあるの。
エスティマくん、この前の戦闘で捕まえた戦闘機人の五番……チンクさん、だっけ。
その人とエスティマくんってお友達なの?」
「……ああ。
けど、それがどうした?」
応えるのに一瞬の間が開いたのは、友達なのだろうか、と考えてしまったからだ。
俺とあの人は友達なのか?
そんな仲じゃ――いや、だったらどんな仲だっていうんだ。
男女の関係? 違う。そんな関係じゃない。
大切な人だと思うけれど、口に出すのはなぜか躊躇われる。
だったら、友達が一番しっくりくるだろう。正しくないのだとしても。
「……うん、そっか。
ならさ、はやてちゃんは?」
「……は? なんでお前にそんなことを言わなきゃならないんだよ」
まるで予想していなかった名前が出て来て、思わず不機嫌な声が出てしまった。
しかしなのはは構わず、先を続ける。
「友達? 好きな子? なんとも思っていない?」
「いや、だから……!」
「……ごめん」
その謝罪で、なんとも口を開きづらい沈黙が生まれた。
踏み入ったことを聞いたと、なのはも自覚しているのだろう。
次にどんな言葉を俺へ向けて良いのか、迷っているようだった。
けれども意を決したように息を吸い、彼女は俺を見据える。
ひたすらに真っ直ぐな視線は、言い逃れを許さない――そのつもりをこちらから奪う、純粋な目だった。
「ごめんね。余計なお世話だって、理解してる。
けど私、はやてちゃんの友達のつもりだから、どうしても放っておくことができないの。
……はやてちゃん、悲しんでたよ。エスティマくんに見てもらえないって」
「見て貰えない?」
見て貰えない、とはどういうことだろうか。
何かの比喩か――そう考え、
「うん。そう言ってたわけじゃないけど、ね。
……ねぇエスティマくん。エスティマくんは、はやてちゃんと向き合ったことある?
はやてちゃんがどんな気持ちでエスティマくんの傍にいるか知らないだなんて言わないよね?」
なのはの言葉に、嫌な汗が一気に吹き出た。
余計なお世話だという反発を覚えながらも、話を聞かなければと自制する。
軽く手を握りながら、俺は短く声を漏らした。
「……ああ」
「なら、エスティマくんの素直な気持ちを伝えてあげて。
私は男の人を好きになったことなんてないから、偉そうなことをいえる立場じゃないけど……。
それでも、今のはやてちゃんが苦しんでいることぐらいは分かるよ」
「……苦しんでる? はやてが?」
「うん」
迷いなく断言され、苦々しさが口の中に広がった。
そうか……そうだよな。当たり前だ。
「……そっか。分かったよ」
なのはから聞いたはやての様子を想像して、胃に重いものが溜まる。そんな気がした。
もう自惚れや自意識過剰だなんて逃げ腰なことはいわない。はやてから気持ちを寄せられて――ああ、そうだ。
そんな状態でずっと彼女に待ってもらい、そこにフィアットさんのことが重なれば、限界にもなるだろうさ。
けれど俺は浮かれていて、はやてがどんな気持ちでいるかを少しも考えていなかった。
大事にしているなんて言っておいて、だ。
「けど」
いつの間にか俯いていた顔を上げる。
なのはは泣き笑いといった表情を、浮かべていた。
「嘘だけは吐かないであげて。それが優しいものでも。
きっと、それが一番はやてちゃんを傷つけるって思うから。
……余計なお節介はここまで。
ごめんね、変なこと言って」
彼女は薄く笑みを浮かべた。言うべきことは言い切ったのか。
まさか、なのはにこんなことを言われるとは――いや、なのはだからか?
「いや、俺の方こそ。変に気を回させて悪かったよ。
……けど、少し意外だったかな」
「何が?」
「てっきり、はやてに好きって言えー、なんて風に怒られると思ってたよ」
「……どんな風に私のことを見ているの?」
まったくもう、となのはは頬を膨らませる。
その表情がさっきと酷くギャップがあって、思わず噴き出してしまった。
「も、もー! なんでそこで笑うかなぁ!」
「あっはっは……いや、だってその顔……!」
「もう、真面目な雰囲気が台無しだよ!
……まぁ、とにかく。
はやてちゃんには幸せになって欲しいけど……それと同じぐらい、エスティマくんにも幸せになって欲しいから」
「……えっと?」
「私は、エスティマくんとも友達のつもりだよ。
だから無理に嘘をいわせて二人を不幸になんか、したくないもん」
気恥ずかしそうに言い切ると、それじゃ、となのはは背を向けた。
置いてきぼりをくらった俺は、あー、と呻き声を上げながらついつい空を見上げる。
……あんな恥ずかしい台詞をよくもまぁ。
……つくづく思う。俺は友人に恵まれている。
ユーノやクロノがそうだし、今のようになのはも。シャーリーだって。
友達というには歳が離れているが、中将や隊長だってそうだ。
こうやって誰かと接する度に、それだけで救われた気分になる。
……だからこそ、いつまでも曖昧な態度を取るのはいけないよな。
だってそれは、気を遣ってくれる人たちを馬鹿にするようなものだ。
頭を抑えて指図するわけではなく、こうした方が、と方向性を示してくれる。
それが絶対的に正しいってわけじゃないが――
「……今回ばかりは、流石に俺が悪いよな」
浮かれて、ずっと待ってくれている彼女を蔑ろにするだなんて。
……正直、フィアットさんとは再会したばかりで、簡単に答えを出せる気分じゃない。
けれどそれを言い訳にして、はやてを避けるのは論外だ。
なら、俺が伝えるべき気持ちは――
「……ビンタの一つでも覚悟するか」
小さく呟き、俺はずっと止めていた足を動かす。
まず伝えるべきことは――そんなまとまりのない思考を巡らせて、ふらふらと。
すると、
「……ん?」
「あっ」
人の気配を感じて振り向く。
するとそこには、驚きで固まっているティアナの姿があった。
蛍光色の灯りに満たされた空間で、スカリエッティは珍しく思案顔をしていた。
傍らに立っているウーノは、ただ黙って彼の様子を見ている。
スカリエッティの脳裏には、エスティマがなぜ自重するようになったのか、という疑問がずっと居座っているのだ。
エスティマ・スクライアという人間をずっと観察してきたスカリエッティにとって、どうしても腑に落ちない点が多々ある。
なぜ彼が宗旨替えをしたのか。それが分からないことには、次の行動を決められないのだ。
そもそも結社とは、スカリエッティがエスティマ・スクライアに相応しい敵として立ちはだかるために生み出した組織である。
設立目的そのもの―― 一応、スカリエッティの夢である生命創造技術の研究をやりやすくなる環境作り、というのも含まれてはいるが――といっても過言ではない。
どうしたものか。やはり想像するだけでは限界がある。
「ドクター」
「なんだい、ウーノ」
「ドクターにとって、彼とはそこまで重要な存在なのでしょうか」
「勿論だとも」
ウーノの質問に、スカリエッティは間を入れず、迷いなく答えた。
楽しささえ含んだ反応に、ウーノは微かに眉根を寄せた。
「……以前から、ずっと疑問に思っていました。
なぜ、ドクターは彼をそこまで重要視するのでしょうか。
遊びにしてはやりすぎだと……」
「おや、教えてなかったかね?
なぜ、私が彼へと視線を釘付けにされているのか」
「はい」
そうかそうか、とスカリエッティは口元を緩めた。
そして、深く深く息を吐き出す。そして、身体の奥に仕舞い込まれた心情を吐露するかのように、ゆっくりと彼は口を開いた。
「始めはただのモルモットという印象しかなかった。生き足掻く彼の姿を観察するのは娯楽の一種でしかなかった。
けれど、いつの間にか彼のことを考えている時間が増えていってね。
そうして、気付いたのさ。
……彼と私は同じなのだよ。同じ、作られた命だ。
作り物の……だというのに、彼は酷く人間らしいじゃあないか。
そこに惹かれたのだろうね。私が興味を持つまで壊れなかった、というのも大きい。
私ではこうはならない。自由に振る舞っていても、根幹に根ざした願望がどうしても意志を歪ませてしまう。
だからこそ彼の生き様は興味深かった。自らの意志でひたむきな姿勢を取る姿が。
そして作り物の命である彼が、その果てにどんな答えを出すのか興味があって――
……ああ、そうだ。今、気付いた。それだけではない。
私は、彼の敵でいることに意義を見出していた。ジェイル・スカリエッティはそれにより、別の存在になれるのではないかとね。
良くも悪くも人を変える彼によって私も、目的を与えられた存在ではない何かに、変わることができるのではないかと。
しかし……」
「……ドクター?」
「……彼は、私を置いて、別の何かへと変わってしまったのかもしれない。
もはや、敵など――
いや、そんなに容易く人間性が変わって――いいや、しかし――」
ウーノを置いて、ぶつぶつと呟き始めるスカリエッティ。
ウーノはそんな姿を見せるスカリエッティから、何か――そう、寂しさのようなものを感じ取った。
あまりにも常人の範疇から掛け離れた人物であるため、ウーノはどれだけ傍にいてもスカリエッティのすべてを理解することができないでいた。
しかしそんな彼が、悩む姿を見せている。
思考している姿なら何度も見てきた。しかし、何が正しいのか分からないと思い悩む姿は珍しい。
……スカリエッティにそんな変化を与えたエスティマの存在を、ウーノは心苦しく思う。
自分ではこうも主人に揺らぎを与えることはできない。
ただ傍に立って支えるために作られた、秘書型の戦闘機人である自分では。
人を越える戦闘機人を生み出しながら、その元となっている人間――いや、人間性に惹かれるスカリエッティ。
そんな彼の求める答えを、おそらく自分は持っていないだろう。持っていたとしても、スカリエッティは認めないだろう。
きっと彼が受け容れる答えとは、エスティマ・スクライアによって示されるものしかないのだ。
しかし心苦しく思いながらも、ウーノはスカリエッティの行うことに口を挟みはしない。
そして、彼の望みを叶えるための役目を与えられた自分にできることは何か。それをただ考える。
――そんな足踏みをする二人の様子を、快く思わない者がいる。
ISを駆使して知覚されないよう姿を隠し、苦々しい表情をしながら、クアットロはスカリエッティとウーノの会話を聞いていた。
「……ドクターも毒されちゃって。
いよいよもって、これは末期かもしれないわねぇ」
呟き、クアットロは心底呆れたように溜め息を吐く。
彼女がスカリエッティとウーノへと向ける視線は、既に冷え切っていた。
スカリエッティが熱を上げているエスティマ・スクライアを、何度も煮え湯を飲まされたクアットロは憎悪すらしている。
それに、彼女が人間性というものを侮蔑しているということもある。
無駄を省いてよりスマートに。機械的に。
それこそが戦闘機人、目的をもって生み出された命のあるべき姿だと思っている彼女にとって、今のスカリエッティの様子は酷く気に入らないものだった。
「ま、良いですよ。
それならそれで、私にも考えがありますから」
冷笑と共に届かぬ言葉を投げかけて、クアットロは静かにその場から立ち去る。
その際、彼女の手は下腹部へと当てられていた。