Extra 3:「Lily」/「どうしたの、グリュン。 そんなところに立ったままで」 ソファにゆったりと腰掛けた少女は不思議そう言った。 首を傾げる動きに合わせ、中途半端な長さの茶髪が揺れる。 微かに開かれた襟につけられた階級章は大尉。 白い指先は、それよりも白い巻きタバコをつまんでいた。 髪型も、服装も、模範的な着こなしとは程遠かったが。 誰かが注意するには整いすぎている。 まぁ、この程度なら良いか。 誰もがそう思い、誰もがそうしている。 そんな格好。「大尉」 グリュンと呼ばれた少女は、何時もどおりの柔らかなソプラノで言った。「煙草、お吸いになられるんですか」「何よ、薮から棒に……悪いかしら?」 不思議そうに首をかしげ、グリュンを見る大尉。 模範どおりの服装と規定どおりの赤毛、襟に輝く真新しい階級賞を見て、嘆息。 ああ、私にもそう言う時期があったっけか。 昔を思い出して苦笑する大尉に、グリュンは一言キモい、と小さく呟いた。 大尉の睨みを受けて、グリュンは無言で視線を泳がせる。 何時ものことであり、予定調和であり、少女達の少しの娯楽だった。「タバコなんて」 指先でくるくると器用に白い棒を弄びながら。 待機室の扉を閉めて、三脚ある別のソファへ足を運ぶグリュンを見て大尉は言う。「酒とカードと並んで、軍隊に入ると真っ先に覚えるものだそうよ」「国民の希望と憧憬の星たる航空歩兵とはとても思えない台詞ですわね」 くたびれた、随分とスプリングの弱ったソファに身を沈めて。 この待機室の全てのものには、煙草の匂いが染み付いているとグリュンは思った。 つまり、この待機室を使っていたほかの航空歩兵達。 彼女達も皆、煙草を吸っていたのだろう。 その事に思い当たり、自分もそうなるのだろうかと。 漠然と想像する。「まぁ、私も滅多に吸うものではないんだけれどね」 思索に耽り始めたグリュンを見て言った大尉のその台詞は。 咥えた煙草と、懐から取り出したジッポーライターの扱いで正しいのだと知れた。 何時も持ち歩いている――それこそ、戦場にも持っていっているというのに。 日ごろから吸い慣れている者の流れるような、あるいは無意識がそうさせる滑らかさを持たない動き。 グリュンが見た、大尉の実戦での随分とこなれた動きとは全く違うものだった。 「確かに、この基地に赴任してふた月。 一度も吸ってませんでしたわね」「まぁ、たまにしか吸わないしね」 ふた月前。 この基地から、最前線へと引き抜かれていった航空歩兵の代わりに補充として送られてきたのが、グリュンだった。 近くの渓谷にかかる鉄橋を守るのが彼女達の任務である。 この鉄橋を落とされれば、近隣の生活と物資の流通は確実に圧迫される。 小型のネウロイですら何の防御策も施されていない金属を吹き飛ばすのに十分な威力のビームを装備している今。 攻撃頻度がかつてほどではないとしても、ウィッチを配置せざるを得ない。 それが彼女達がここに居る理由である。「随分とここも静かになったよ。 昔は結構頻繁に橋を落としに来たものだけれど」「去年の九月にガリアの解放が達成されてから、ネウロイの戦線は随分と後退しましたから」「そうそう。 501統合戦闘航空団様々だよ。 戦いが無いのに、越したことは無いさ」「僻地の防衛に充てられている私達のなんと情けないことでしょう…… ああ、この様な閑職で満足していらっしゃる上官の素晴らしいお考えに私、感激の余り涙が溢れそうです」「何時も思うけど喧嘩売ってるの?」 まさか。 平和を尊ぶその類まれなる平穏思想に目から鱗が落ちる思いです。 至極まじめな表情でそういうグリュンに、飛び切りのため息を吐いてから。 その代わりに、大尉は紫煙を含んだ空気を肺に流し込んだ。 それを見て、珍獣でも見るような視線で、グリュンは問いかける。「煙草って……美味しいんですの?」「そうねぇ」 吐き出される煙は空中で一瞬だけ、歪な輪っかになって。「ま、人生の味ね」 その答えと共に、かき消えた。/ 何時から時を刻んでいるか解らないほどの年代物の掛け時計が、秒針を動かす音。 定期的にまくられる、紙の音。 少女二人分の、小さな呼吸音。 窓を叩く、雨の音。 そんな静かな、やわらかい音に混じって、時折聞こえる軽い金属音。 それがこの部屋に満ちる音だった。「そういえば」 ずっと視線を注いでいた手元の本から顔を上げて、グリュンが呟く。「私としたことが。 大尉が煙草をお吸いになるなど、解りきっていたことではないですか」「引きずるね、話題」 呆れた顔の大尉。 その手元を見つめながら、神妙な顔をして頷く。 目線の先には、銀色に輝くジッポーライター。「ライターを持ち歩いているのですから、喫煙者であるということは当然予想の範疇だったはずなのに」「今までなんだと思ってたのさ」「てっきり放火趣味なのかと」「その炎のような赤毛を実際に燃やしてやろうか」 怖い、と身を縮めるグリュンを見て。 しかしその瞳が楽しみを含んでいるのを見て。 ああ、この子が来てからため息の回数が絶対一桁ふえたなぁ、と大尉はため息。 注意が逸れたのを理解すると、グリュンは即座に演技をやめる。 それが余計に大尉に疲労感を与えた。「それにしても、滅多に吸わないなら、お止めになってしまえば宜しいのに」 身体に悪いし、癌になるというし、何より子供に良くないそうですよ、と言う部下。 ああ、まぁね。 知ってるけどさ、と返す上官。 だけど、と続けて。「忘れないようにね、たまに吸わないと。 駄目な感じがして」 何を覚えていたいのか。 グリュンは聞けなかった。 待機室に煙草の臭いは染みついていても。彼女の身体からはほとんどその臭いは感じられないのだ。 現に、今日まで待機室で一度も煙草を吸わなかったし、ただ、ライターをいじっているだけだったから。 そんな彼女が、何かを覚えていたいと言っているのだ。 本当に、何かを覚えていたいがためだけに吸っているのだろうし。 その事にあまり、触れてはいけないような気がしたから。 大切なものですか、と。 それだけを聞いた。「ええ、預かり物なの」 百合のエングレイヴが刻まれたジッポーを手の中で遊ばせながら。 大尉は窓の外を眺めてそう言った。 窓の外。 つられて見れば、空は暗雲。 先刻から降り始めた雨は、まだ止みそうにも無い。 風が吹いて、窓に叩きつけられる雨の音が少し強くなる。「それほど大切なものなら、出撃の時は置いていったらいかがですか?」「大事なものほど、身につけて居たいって、そうは思わないかしら」「傷つけてしまったり、なくしてしまったりする方が、私は怖いですわ」 それに、と続ける。「私達航空歩兵は、魔法の補助により重火器を運用できます……それでも。 無制限に何でも持っていけるわけではないのです。 私たちは軽く、羽根のように空を舞わなければならないのですわ」 それが、物質的なものでも、精神的なものでも。 そう、何時に無くまじめな顔で、グリュンは語った。「随分と語るわね、グリュン」 面白いものを見たように、大尉はシニカルな笑みを浮かべる。 その笑みに、珍しく小さな不快感を表して、グリュンは己の信じる言葉を紡いだ。「”軽くあれ。 空は軽いものを愛する”」「へぇ、随分と詩的ね。 誰の言葉?」「ええと、私の好きな作家さんの言葉ですわ。 空を飛ぶものは、軽くなくては高く速く飛べないって」「なるほどね。 詩的なくせに随分と科学的だわ」 シニカルな笑いを浮かべたままの大尉に、微かな苛立ちを覚えてグリュンは腕を組む。 質量も、思いも、己を構成する要素何もかもを軽く軽く。 空という、人間がたどり着いてはならない世界を飛ぶためには、それを突き詰める事が必要だ。 推進力も燃料も耐久力も、何もかもが有限で。 高く速く飛ぶためには要らない物は切り捨てていくしかない。 物語の中で、主人公の、同じく空を飛ぶ少女は。 それでも思いという重量物を背負って飛ぶことを選んだが。 グリュンは思う。 あれは物語で、自分たちの居る場所はリアルだ。 詩的(リリカル)な出来事など、意思疎通の出来ないネウロイとの間に起きるわけもない。 死という弾丸を避け、戦場で相対した敵を圧倒するための速さと高さを持つために。 軽くあれ。 ネウロイに両親を殺されてからずっと、そう思い、願い、そうあろうとしてきた。 復讐心も思い出も、全て捨て去って。 全てを地上に残して空を飛ぶ。 だから、理解できない。 目の前の、自分の上官がなにを言っているのか。「私はね、思うの。 空を飛ぶには、重くなくてはいけない、って」「……どうしてですか?」「私達が、人間だからよ」 大尉が指をスナップ。 ジッポーの蓋が軽い金属音を立てて開いた。「空には何も無い」 刻まれた華の模様を眺めながら、穏やかに、けれど搾り出すように言った。「誰かが待っていることも無ければ、未来や希望があるわけでもない。 天国が雲の上に有るなんてのが御伽噺だって言うのはとうの昔に証明されてる。 そんな何も無くて――寂しいところを飛ぶには、とんでもない量の燃料が要るのよ」 見渡す限り青と白で塗りたくられた、寒色に満ちる殺伐とした空。 黒い脅威を迎え撃つ時、陸や海と違って落ちるときは一人きり。 身体と心の熱を維持したまま、そんな場所を飛び続ける。 ただそれだけのために、必要なもののなんと多いことか。「火を絶やせば、私たちは凍えてしまう――あるいは、軽くなりすぎた私たちはそのまま遠くに飛んでいってしまう。 そして、何も持たない空は寂しがり屋で。 空を飛ぶものをどうにかして留め置こうとするのよ。 だから、少しでも重くして。 この硬く冷たい大地に堕ちてこれるように。 わたしは持って行くの」 ライターに火がともる。 数十グラムのオイルライターが生み出す炎は小さい。 小さいけれど暖かそうなその炎を見つめながら、グリュンは開きっぱなしだった本を閉じた。「……詩人ですわね」「貴女より年上なだけよ」「たった四年ですわ」「グリュン、あんたの人生の3割り増しよ」 む、と言葉に詰まったグリュンからライターの炎に視線を戻して、大尉は再び言葉を紡ぎだす。「私達はね、生き物なの。 全ての生き物は、鳥でさえ地べたの上で生まれて地べたで死ぬ。 そんな当たり前のことを忘れないために、私は煙草を吸うのよ」「煙草、全然関係ありませんわ」「空には酒保も売店も無いからね」「ああ、なるほど」 ため息を吐いて目を瞑って。 理解も納得も、依然として出来ないけれど。 そんな考え方も有っていいのではないか、と思って。「でも、重くなければ飛べないって……随分非科学的ですわ」 感傷的で、感情的。 そうグリュンは評する。 それに対する返答は。「何言ってんのよ。 私達は魔女で、航空力学に正面切って喧嘩売るストライクウィッチよ? 魔法に非科学的だなんて、今更すぎないかしら」 今度はシニカルさのかけらも見せずに。 大尉は微笑んだ。/ いつの間にか、二人の耳には雨音は聞こえなくなっていた。「……大尉、お願いがあるんですけど」「何?」 晴天の合間を縫って哨戒飛行を行う為、ハンガーへと向かう最中。 グリュンが唐突に問いかける。「あの……ライター」「ライターがどうかした?」「……この哨戒の間だけでも、お貸し願えないでしょうか」「いいよ。 あ、この哨戒の間といわず、ここに赴任してる間ならずっと持ってて良いわよ」 ほい、と簡単に手渡してくるその姿に、え、アレだけ真面目に語っておいてその扱いの軽さ、とグリュンは呆れる。 その視線を受けて大尉はふむ、と吐息を一つ。 「いいのよ。 そんな事で怒る人じゃなかったし……嫌味はたくさん言われそうだけどね。 まぁ、これを持って飛ぶのって、この部隊の伝統みたいなものだから。 あ、当然大事にしてよ?」「大切に扱うのは当たり前ですが、伝統って……そういえば私の名前も無視してグリュンホルンって……まぁ、よろしいですけど」 唸るグリュン。 その肩を気にするな、と叩いて。「戦争が終わって、百合の花が綺麗に咲く頃になったら、一緒に返しにいきましょうか」「……いいんですの?」 当たり前じゃない。 そう言って、大尉はハンガーの扉を開く。 広い空間の中、懸架台に保持されたストライカーユニットの周りで整備士が数名、喧しく最終調整を行っていた。 中年の整備士に手を振って挨拶してから、シャッターの向こう、広がる滑走路と空を眺める。 戦争の終わりは近い。 今、そしてこれから空を飛ぶウィッチたちが一人でも多く無事に地べたに落ちて帰れるようにと。 大尉は願った。------こういうお話があってもいいんじゃないかと思わせるのが第二次世界大戦。これ、本当ならおっさん兵と任官したばっかりのひよっこ青年の間で行われる会話なんだぜ……?勝った! 第三部完! じゃないや、三部作完!大好きてふさん。 愛してる、抱いて!というか自分のショボい読解力と表現力と描写力を総動員しても、こんなものしか書けない屈辱。こういう作品になんか問題があるようなら遠慮なくぶった切ってやってください。多分ひと月後くらいに見て、しょうも無さに悶えると思う。しかし、同時に思うこと。 湧き上がるパッションに任せて書きなぐるのも悪いことじゃないと思うよ!一応、テーマは「受け継がれていく物」。 裏テーマは「戦争は人を老いさせる」読解のために読者に考える事を強要する話は大衆小説としてはよろしくない、と誰か偉い作家の先生が言ってた気がするんですが。っていうか、別に考えることを強要してるというか快く読んで貰うことを最初から微妙に諦めてるとか、そんな感じ。解り辛かったり読みづらかったらすいません。 公開オナニーレベルって事は理解してます。でも、書きたいし、書いたから誰かに読んで欲しいんだよ、という作者心。最後に。欝話が好きだけど鬱エンドは認めない。 Ex1と2が鬱い展開だったから、終幕位は、せめて先がある光景を。