Extra2 「Chain, Smoking」
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煙草を吸いはじめたのは何時だっただろうか。
時計が規則正しく時を刻む音を酷く遠く感じながら考える。
昨日か、先週か、あるいは去年か。 きっかけははっきりと覚えているが、それが何時だったのかが思い出せない。
吸う。
人体に害しか与えない、苦味だけを持った煙が口内へと流れ込んでくる。
さて、今日は何時だったか。 あるいは、あれからどれだけ経ったのかと考えたところで。
――どうでもいい。
何時も通りのその思考と共に、紫煙を吐き出した。
虚空に溶けていくそれを眺めながら、思う。
はやく、彼女に会いたいと。
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「どうしたんですか、大尉? そんなところに立ったままで」
ソファに腰掛けた少女がそう言った。
四人が、あるいは腰掛けている少女と同じ程度の体躯なら五人は座れる長大なそれの、どまんなか。
エキゾチックな黒髪と緑色の瞳を輝かせ悠然とくつろぐ姿は、青灰色の軍服というその衣装にもかかわらず、異国の姫を思わせて。
その右手には、ゆらゆらと煙を吐き続ける火の付いた煙草が一本。
「何時も言うがな」 大尉と呼ばれた少女は、豪奢な金髪をかきあげながら言った。 「女の煙草はみっともないぞ」
その言葉にソファの少女は不思議そうに、「あら。 何時もじゃないですよ。 それはまだ聞いたことが無いやつです」 そう返した。
大尉がため息を吐く。 紫煙で微かに曇った空気が微かに揺れた。
そのまま無言で部屋を横切り、窓を勢いよく開く。
涼やかな空気が部屋の中を洗い流して、ソファの少女に向きなおす。 そこでようやく大尉は口を開いた。
「言いたいことは何時も一緒だ。 辞めたほうがいい」
「何時も、心配してくれてるんですよね」
嬉しいです。 そう微笑む少女を見て言葉に詰まりかけるが、大尉は何時もどおり額に手をあてて悩む振りをして、彼女の顔を視界から隠した。
少女と出会ってから確実に増えたであろうため息、その生涯回数を一回増やしながら「……当たり前だろう」と呟く。
その姿を見て、少女の笑みがより優しいものへと変わっていった。 大尉には見えていなかったが。
「何時も言いますけど……良いんですよ。 慣れるまでが大変ですけど、慣れてしまえば無いと安心できない」
「中毒だろう、それは」
呆れたように呟く。 実際呆れてしまっていたので、大尉は視線をさえぎるのも忘れて少女のほうを見ていた。
おかげで「……その、大尉にとっての私みたいなもの、かと」なんて台詞と、はにかんだような表情をまともに受けてしまって。
咄嗟に目をそらす。 窓の外、青い空を興味なさ気に見つめるその表情はいたって平静だったが、雪のような白い肌が、耳まで桃色に染まっていた。
その様子を見て、ふふ、と少女が吐息をこぼす。
「かわいい」
「黙れ。 上官侮辱罪で自室禁固だぞ」
「”自室”ってことは、大尉の部屋にですか?」
「ばっ!」
ばか者。 そう言うはずだったが、勢いよく振り返ったその先を見て、言葉が詰まる。
ほほを微かに染めて、何かに期待するように大尉のほうをちらちらと見る少女を見て、怒りとかそういった感情が容易に塗り替えられていく。
年上の威厳が、なんて本当はどうでもいいことを考えながら、大尉の声にならないうなり声が待機室に煙草のにおいと共に染み込んでいった。
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「そういえば、大尉」
ソファに座ったまま、手の中で銀色の小さな箱を弄びながら少女が問いかける。
小さく腕を動かすたびに右隣に座っている大尉と衣服が擦れあったが、二人とも気にかけてはいなかった。
「煙草……お嫌い、ですか?」
問われた大尉は読みかけの本を脇に置いて、傍らのサイドテーブルに置かれているコップを手に取る。
コップの内側には気泡が張り付いている。 スパークリング・ウォーター。
ひとくち。 唇を湿らせてから、改めて考えた。
「余り、好きじゃないかな。 それでも」
身体を捩って、右手を少女の方に伸ばす。
硝子細工に触れるように、そっとその髪を一房手にとって。 ふわり、と宙に流した。
「お前の臭いだと思えば……まぁ、悪くはない」
「その……あ、ありがとうございます」
大尉は何気なく答えたつもりだったが。 顔を背けた少女の姿に、自分の言ったことを反芻して。
誤魔化す様に、コップの中身を一気に飲み干した。 炭酸が喉を焼く。
沈黙が場を支配する。 居たたまれなくなった大尉は、炭酸水のおかわりを取ることを口実に席を立とうとして、その動きを止めた。
もたれかかってくる少女の軽い体重が、引き留めている様に感じられて。 浮かそうとした腰を深くソファに沈める。
「大尉」
かちり、という音が響いた。
少女の手元、銀色の塊――ジッポーライター。
百合の花のエングレイヴが刻まれたそれは、少女が祖父から貰ったという代物で。
だから、彼女の「これ、差し上げます」という言葉と共に差し出されたそれを、咄嗟に受け取ることが出来なかった。
「でも、これは」そういいかける大尉の言葉を遮って、少女は言う。「わたしよりも、大尉に必要だと思うんです」
幸運のお守り。 そういって、祖父はそれを彼女に渡したのだ。 きっと、持ち主を守ってくれると。
由来も、本当にそうなのかもわからない。 けれど、彼女は死んだ祖父を信じていたし、今まで生き残って来れたのもそのお陰だと信じている。
「……大尉も、もうすぐ”あがり”ですから」
ウィッチが、シールドを張れなくなる年齢。 それに、大尉は今この瞬間も近づきつつある。
何時、シールドの出力が規定値を割るかもわからない。
大尉自身はまだ暫くは余裕があると確信していたが、それでも、それは彼女の認識であり。
「側で飛ぶ、僚機の身にもなってください」
そう続ける、少女の認識ではなかった。
「心配性だな……私はまだまだ大丈夫だよ。 それにな」
大尉は少女の方に向き直り、泣きそうな目をしているその姿を見て、彼女を優しく抱きしめる。
「私よりも、お前が生き残った方が、この先多くの人を救えるし……それに、私もその方が嬉しい」
「そんなこと、言わないでください」
わたしは厭です。 眉尻を下げてそう続ける言葉は、微かに震えていて。
大尉はただ、少女の肩を撫でてやることしかできなくて。
やがて、少女のふるえが止まる。 抱きしめているので大尉にその顔は見えなかったのだが。
それでも、その手をほどこうとはしなかった。
しばらくたって、それに、と少女は唐突に付け加える。 照れ隠しなのか、むしろそっちが本命なのだと言いたげに。
「酷いと、思うんです……私の臭い、そんなに酷くありません」
「悪くないと、思うが」身体を離してそう言う少女に告げて。
良いって思って欲しいのに、と小さく呟いた彼女の声は、聞こえなかったことにした。
目の前に差し出されるライター。 少女は懇願する様な、恥ずかしい様な表情を浮かべて。
「煙草……やめます。 でも、ライター持ってると、吸ってしまうので……持っててください」
そう言った。
「……預かるだけだぞ?」
「はい」
大尉は、その金属の塊を受け取る。
ほんのり暖かい。
少女の温度。 握りしめれば、掌の中で体温が溶け合った。
「……そうだな、私もお前に、何か預けるか」
ふと、大尉はそう呟いて。 己の耳に指を伸ばした。
金色の、小さな金属の輝き。 金糸の髪に紛れて目立たないそれは、盾をかたどったピアス。
それは、彼女の家の家紋をあしらった物で。
少女の襟章の脇に、それを添え付けた。
「ちゃんといつか、返してくれよ」
「はい、戦争が終わった頃に、きっと」
少女はその装飾を白い指先でなでて、小さく笑った。
「何がおかしい?」
「その、私たち、学生さんみたいだなって」
馬鹿。 私たちだって、本当はまだ平和に暮らせるんだぞ。
目の前の黒髪の少女が、急に小さく見えて、消えてしまいそうになったから。
その身体を抱き寄せる。
大尉の背中にも、応える様に細い手が回された。
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「戦争が終わったら、何かしたいことはありますか?」
「そうだな」
警報音が鳴り響く中、二人は格納庫への道を走る。
少女の問いに、ふむ、と一つ唸って考えてから。
「失われた国土の回復と……復興。 それに従事できればいいかな」
「真面目ですね、大尉は」
少女は不満そうにそう言う。 だが、そういう大尉の気持ちも解っていた。
大尉はこの国の――スオムスの国民だが、元々は両親の仕事の関係でカールスラントに住んでいて。
ただ、故郷と呼べる国を二つもっているだけだと、少女に言って聞かせていた。
「……悪かったな」
「いえ、わたし、大尉のそう言うところ、格好いいって思いますから」
格好いいか、あまり女性に言う台詞じゃないな。
大尉のそんな台詞に、可愛いところもありますよ、と少女が答える。
「あえて聞くが、どんなところだ」
「そうやって、少しむきになる所、とか」
「……あまり、その、嬉しくないかな」
ええと、他にも可愛いところはあります。 そう言い出す少女を、大尉は自分の精神衛生の為に止める。
その代わりに、国を取り戻したらどうするかな、と呟いた。
「そうだ」少女が早足で歩きながら手を叩く「じゃあ、花を育てましょう」
「花?」
「はい」にっこりわらって。「女の子らしい、とも思いますけど」
ネウロイの瘴気に侵された土地では植生は壊滅的となる。
そんな場所で花を育てよう、というのはまるで夢物語で。
「……いい、な。 花か」
だから、その夢を実現させようと思った。
一人だったら無理だろう。 でも、二人ならきっとやれると、そう信じた。
「戦争が終わったら、きっと、そう言うのが必要になります」
「そうだな……そのためにも」
まずは、今日を生き延びないとな。
そう続ける大尉に、少女は力強く頷いて。
「大尉の後ろは、僚機のわたしが、必ず守りますから」
「お前の敵は、全部私が撃ち落としてやるよ」
二人で、笑いあった。
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ゆり う ま
この辺がkdの百合力(ゆりぢから)の限界です。