Extra:「Bitter, Bitter, Bitter」
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日が落ちて、真っ暗になったこと以外は何もかもが同じ風景だった。
明かりをつける。 白色電球の光が闇を押しのけ、リノリウムの床を照らした。
机の上にビールの空き瓶二つ。 片方の中には吸い殻がいくつか。 もう片方の口には新品のが一本のっていた。
「……三つ目、か」
掠れた声が、煙草の臭いの染みついた部屋に小さく響いた。
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「グリュン、どうした、そんなところに突っ立って」
ソファに腰掛けた女がそう言った。
座り方と制服の着崩し方が見事に調和している――すなわち、実にだらしない格好で。
陽光にきらめく金糸の髪と、雪のような肌、空色の瞳が作り出す容姿は見事なものだったが。
この様子を見れば百年の恋も醒めるに違いなかった。
グリュンと呼ばれた少女は、部屋に立ち込める紫煙に眉をひそめながら、周囲を見回す。
ソファの前の椅子には、ビールの瓶が二つ。 両方とも封は開けられていた。
「真昼間から煙草と、お酒ですか。 あと、私はグリュンなんて名前じゃありません」
お手本通りに着こなされた制服。 規定通りの髪型な茶髪。
少尉の襟章。 どこからどう見ても新品少尉。
「酒じゃない、ビーアさ。 故郷じゃ水みたいなもんさ」 ちゃぷり。 瓶を軽く振って、水音をさせてから口をつけた。「老いも若いも、みんな飲んでる」
このままドアを閉めて部屋に帰りたくなる欲求にグリュンは耐えた。
戦闘待機中はこの部屋かハンガーで待機していなければならない。
屋外に面しているハンガーは痛みすら覚える寒さだ。 逆に、待機室は常に暖房がかかっている。
「だからって、仕事中に飲酒は」「酒じゃないって言っただろ?」「……ビールはいけません。 待機任務中ですよ」
「待機任務中、ね。 実にかっこいい言葉だ」
硬質な響きがする、嫌いじゃない。 そう呟きながら二つ目の瓶を空にする。
「そう、我が航空隊は現在待機任務中である。 言い換えれば、暇だ」
「だからって、お酒……ビールは」
「小瓶を二本あけた位じゃ酔うわけないだろう」
「……それでも」
なおも食い下がってくるグリュン。 これだから、とごちてから、金髪の女は最後の手段をとった。
「隊長命令だ。 まぁ、見逃せよグリュン」
着崩された制服の襟章は、大尉のものだった。
航空隊の隊長を務めるのに、必要十分な階級。
「ぐっ……職権濫用ですよ。 それに、私はグリュンなんて名前じゃありません」
「グリュンホルン。 故郷の言葉で新米さ。
私の下に新しく来た奴は、その次が来るまでみんなそう呼ばれる」
そう言う決まりだ。 飄と応える大尉は、唸るグリュンを横目に懐から金属の小箱を取り出した。
左手で先端をつまみ、引っ張れば小箱の上半分が開く。 ジッポーライター。
表面には何かの花のエングレイヴ。 似合わないな、とグリュンは思った。
次に、胸ポケットからくしゃくしゃになった紙箱を引っ張り出して、そこから煙草を一本抜き取る。
「煙草、癌製造器って噂がありますよ」
最後の抵抗は、「知ってる」という言葉とそれに連続したライターの動きで簡単に打ち払われた。
うなだれて、ついに心が折れる。
もっとこっちに寄って座れよという声を無視して、大尉から一番離れた席に座るのが本当に最後の抵抗だった。
時計の針が円周運動を続ける音だけが部屋に響く。
「煙草も、ビールも……美味しいですか?」
耐えきれなくなったグリュンの特に意味のない問いに、大尉は目を閉じて一瞬考えてから。
「不味い。 ……不味いね」
紫煙をはき出す。
人生の味さ。 シニカルな笑みを浮かべて、大尉はそう言った。
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大尉がもう何本か煙草を潰し、グリュンが船をこぎ始め、時計の針が2周ほどした頃。
空襲警報が鳴り響いた。
大尉のシニカルな笑みが深くなり、グリュンの肩が小さく震えた。
「出るぞ」大尉が言った。
「はい」グリュンが応えた。
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零下三十度の空も、保護魔法のおかげで、肌寒い程度にしか感じない。
十二機、一個中隊の戦闘機を従えた二人は、冷気を切り裂いて飛翔する。
ウィッチは単騎で航空機十二機分の戦闘力を有する。
ウィッチ二人に航空機一個中隊の混成航空隊。
戦線の端も端、谷間にかかる鉄橋をネウロイの空襲から守る部隊がそれだった。
「なぁ、ルーキー。 おまえ、これが初陣だったか」
大尉が聞いた。
「そうです」
返す声は寒さ以外の理由で震えていた。
「何、こんなのはセックスと一緒さ。 必死になって動いていれば、いつの間にか終わってる。
違いはいくつかあるが……まぁ、大きな違いは三つさ。 ひとつは、セックスのときは目を瞑ってればいいけど、戦うときは目をしっかり開けてないとな」
「もう一つは?」
「性交渉の時はぶち込まれる側だが、今回はこっちがぶち込む方」
たらふくな、そう言いながら黒光りする長大な重機関銃を揺らして見せつける。
MG34。 ウィッチが持つ攻撃力の象徴。
「その、大尉は経験が?」
「馬鹿。 私も聞いた話だよ。 私はまだシールドが張れる」
ウィッチが対ネウロイの切り札である理由の一つ、シールド。
ウィッチのシールドはその処女性に依存する。
誰もが知っている事であり、ウィッチの階級が多くの男性兵士の手の届かないところから始まる理由だった。
「……最後の一つは?」
「それは秘密であって、秘密じゃない」 左手をふらふらさせながら応える。
「なんですかそれ」
教えてくださいよ、とグリュンは唇をとがらせた。
「みんな、初陣の後に勝手に解るのさ。 その差がね」
「……励ましてくれてます?」
「さて、どうだかな」
そう応えた大尉の顔は何時も通りのシニカルな笑みを浮かべていた。
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「お前の後ろは私が守ってやるよ。 だからお前は前に集中して、好きなようにやれ」
接敵直前に大尉が言った言葉通り、グリュンはがむしゃらに飛び、必死になって撃った。
相手は20機余りのネウロイ。 ひとたび乱戦になってしまえば、インカムからの声を聞く余裕すら無い。
無我夢中で戦った。 いつの間にかネウロイは撤退しており、航空隊は帰投コースを取っていた。
「やりましたよ、大尉! 私、二機も落としました!」
初戦果に興奮したグリュンが振り向いた先には、誰もいなかった。
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グリュンは滑走路で大尉の帰りを待っていた。
太陽が稜線の向こうに半ば隠れ真っ赤に焼けただれる頃になっても、誰も飛んで帰っては来なかった。
「あんたが来る前、相方をしてた子の所に飛んでっちまったんだろう。 まるで夫婦みたいに仲が良かったからな」
中年の整備士が沈んだ夕日の方を眺めながら言う。
ストライカーユニットを履いたままのグリュンとは違い、完全防寒装備だった。
「相方?」
「ああ、百合の花の好きな子でな。 若いのに煙草もよく吸ってたが」
「そうですか」
グリュンと整備士は、空が完全に暗く染まるまでその場にいた。
二人の間に言葉はなかったが、やがてどちらともなく滑走路に背を向ける。
ハンガーのシャッターを閉める音が夜に響いた。
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日が落ちて、真っ暗になったこと以外は何もかもが同じ風景だった。
明かりをつける。 白色電球の光が闇を押しのけ、リノリウムの床を照らした。
机の上にビールの空き瓶二つ。 片方の中には吸い殻がいくつか。 もう片方の口には新品のが一本のっていた。
「……三つ目、か」
掠れた声が、煙草の臭いの染みついた部屋に小さく響いた。
ビールを飲んでみようかと思ったが、空なのを思い出して。
どこに別のビールがしまってあるのか思い出せないから、まだ火の付けられていない煙草を手にとる。
机の上には、ジッポーライター。 表面には、百合の花のエングレイヴ。
拾い上げたそれは、金属の冷たさしか帯びていなくて。
カヴァーを開いて、火を付ける。 微かに香る、アルコールが焼ける臭い。
一瞬のためらいの後、煙草をくわえて、火を付けた。
軽く吸い込んで、今まで直に吸った事のない空気が肺に流れ込む。 呼吸器官が拒絶反応を起こした。
盛大に咽せた後、綺麗な空気を求めて窓を押し開く。
零下40度のクリアな大気が、室温と混ざり合ってほどよい肌寒さを演出した。
咽せた事で流れた涙をぬぐって、まだ飛んで居るであろう彼女に愚痴を漏らす。
「これ、不味いなんてモンじゃないですよ、大尉」
苦さしか感じない。
グリュンはそう思った。
あとがき:
本編書かずに何やってんだよ! という貴方、ごもっともです。ごめんなさい。
最初期プロットをちょっと書き直してみました。
夏深てふ氏がストパンで一個書き始めたようなので、対抗心50%、応援心120%で書いてみた。
いわばラブコールです。
エイラーニャにみんな大好きH・Sさんだと!? いいぞ! もっとやれ!
本当はこういうしっとり系の話の方が好きだし書きたいんだけれど、いくつかの理由で今回は断念。
・Me262の活躍が書きづらい
・書いてて書き手の心までしっとりしてくる
・読みたい作品と、書きたい作品と、書ける作品は別。
・リハビリには適さない内容。
描写力とか燃料が足りて無いのは自覚しております。
因みに本編には一切関係有りません。
北方戦線のはじっこの方での、普通にあり得るワンシーンのイメージで書きました。
設定厨のkdにしては設定も一切ございません。
注:
シールドは処女しか張れない、という設定は半オフィシャルです。
アニメ監督がブログだか雑誌だかで言ってた。
だからミーナさんは中古じゃないよ!