23「好きこそ物の」****** 朝。「ん、ああ。 ヴィルヘルミナか、おはよう」「おは……よう」 食堂から自室に向かう為に廊下を歩いていたら、美緒さんとエンカウントした。「はっはっは、朝の挨拶はもっと元気良く、だぞ!」「……お、おはよう……ございます……!」 朝っぱらから元気ですね美緒さん! 相変わらず、単音ずつしか喋れないし……ああっ、微妙な表情しないでくれ。 コレが今のオレにできる精一杯なんです。 しかし、一月経ってこれとはこの喋りの改善しなさはなんか病気とかを疑ったほうが良いんじゃなかろうか。 あと、朝は微妙に低血圧でダウナーなんです。 ご飯食べてカロリーまわるまであんまり元気でないしな。 「ふう……まぁ、それもお前の個性といえばそうか」「……ん」「そこで肯定するのも何か違う気がするが」 そうですか。 いや、できればコレも個性ってことで流してください美緒さん。 とりあえず、挨拶のために止まっていた足を美緒さんが動かしだす。 それに追従して、オレも彼女の左側を歩き始めた。 絨毯に吸収された靴音がかすかに響く中、美緒さんが気分のリセットのためだろう小さな息を吐いて。 口を開く。「調子はどうだ?」「もう……随分、良い」「そうか、それは良かった……辛い者は本当に辛いらしいからな。 それはそれとして、魔導針の方はどうだ?」 生理のことかと思ったら、訓練のことかよ……う、ちと恥ずかしいぜ。 それにしても、やっぱご存知ですか。 まぁ当たり前っちゃ当たり前なんだけれども。 とりあえず、難しいです、いろんな意味で。「……難しい」「難儀な事だな。 私も使い魔もその手の呪式はからっきしでな……扱える魔女がそもそも少ないとはいえ、な」 美緒さんが頭にアンテナ生やしてるところを思い浮かべる。 ……なんとも似合わないな、うん。 刷り込まれたイメージってのは偉大だ。 それに、美緒さんレーダーなんて要らないだろ。 魔眼パワーで火星の表面とか見えるんじゃねえの?「まぁ、何事も一夕一朝には行かないものだ。 剣の道、学問の道、万事一日にして成らず、だな」「……ん」「私の剣術だって昨日今日身に着けたものではないし、まだまだ未熟だと自覚している。 お前のそれも、自然と扱える様になるにはもう少しかかるだろうな」 そう言って、肩を叩いてくる美緒さん。 ちょっと痛いが、うん、まぁそうだな。 美緒さんの台詞で思い出したけど、そう言えば使い魔の補助も貰えるんだった。 地道に頑張るしか無いか……使い魔にもちょっとサポート貰ったりすれば、なんとかなるだろうし。「……頑張、る」「うむ。 だが、そんなに気負うなよ? 幸いにしてサーニャという優秀な師が居るんだ。 あれは消極的だが、優しく賢い子だからな……躓いたりしても、きちんと助けてくれるだろう」 よく解りますよ、美緒さん。 サーニャには迷惑をかけることになるが……結果的に彼女を助けることにもなるだろうし。 それに、自分の出来ることを増やすのはこの世界での下地のないオレには大事だからな。「道を究めんと欲すれば何とやら、だ。 何より忘れているとはいえ、問題なく使えたという保障があるんだ。 多少の障害など気にせず、一足飛びになどと自惚れずに努力を重ねていけばいい」 保障、ねぇ。 確かに、この――ヴィルヘルミナさんの身体にはそれこそ人生変わるくらい助けられている。 それは作為的にしろ偶然にしろとんでもない幸運だってことはわかっている。 だけれど、世の中には幸運ばかりじゃないってことも十分わかってるさ。 思い浮かべるのはシャーリーのことだ。 朝食の席で酷く眠そうにしていたところを見ると、昨日も夜遅くまで何かやっていた様だし。 オレも十代の頃は夜更かしは良くしたが、一応こっち軍人だしなぁ。 体力とか心配になる。 それに、何時もどおりに見えて、なにやら焦っているような雰囲気も見受けられるのだ。 飄々とした笑顔のお陰で、気のせいかとおもえるレベルだが。 逆に言えば、それを察してしまえるほどに、誤魔化せなくなってるかの様で。 ……ちょうどいいので、部隊ナンバー2たる美緒さんに少し相談してみるか。 歩きながら、相変わらず上手く回らない舌でその辺りの事を語ってみると。 少し驚いたような顔で、オレの話を聞いて。 少し考え込む様子を見せてから、口を開いた。 「ふむ……なるほどな。 心配なのはわかるが、だがなヴィルヘルミナ。 気にしすぎだと思うぞ? シャーリーだって、自分の限界くらい理解しているだろうしな……それに、お前も人のことを言えたものじゃないだろう?」 う、耳が痛い。 無茶の事を自省していると、余りおせっかいを焼いてやるな、放っておいてやれ、と美緒さんは続けた。「周りが幾ら色々言ったとて、道を究めるというのは結局のところ自分との戦いだからな。 軍という環境においてはちょっと間違った方向とはいえ、努力を惜しまず邁進しているんだ……結果はいずれついて来るだろうよ」「……ん」 ……やっぱりちょっと気にしすぎかなぁ? いや、コレが別の奴だったらオレもほっとくんだけどさ。 割と仲良くしてもらってる上に、原因の半分くらいはオレ……というか、Me262にある気がするし。 やっぱり何だかんだ言って罪悪感があるのである。 オレがああいう状況にあったときは、それでも誰かに助けて欲しかったしな。 スピード関連にしても、そうでないことにしても、だ。 オレも速いの好きだし。 それにしても、恵まれた環境にいるなぁ、オレ。 しっかりしなきゃ。 オレが黙って考えこんでいるのを見て何か思ったのか、美緒さんは小さく苦笑を漏らしてから、口を開いた「まぁ……関連はミーナから聞いているからな、気にするなというのも無理な話、か。 それに、確かに少し根を詰めている感じではあるな。 事故の前日や、昨日も遅くまで調整や修理をしていたようだし、あの調子だと今日の余暇の時間も格納庫に篭りっきりだろう。 ちょうど良い気分転換をミーナと考えていたところだ」「……気分、転換?」 気分転換? って、何だ? 視線を美緒さんに流しながら記憶を探る。 えーと、この時期に何かそれっぽい物って……ああ、全体水練という名の海水浴、だっけか? 芳佳とリネットがストライカー履いたまま水に叩き落されて、浮き沈み激しい事になるような、ならないような、そんな話だったはずだ。 因みに、Me262は比重が重いので浮かぶとか無理だろ。 実際の航空機と違って内部に空洞ほとんどないし……なので多分訓練は無いと思われる。 オレ、着水したらストライカー脱ぎ捨てるよ。 服着てる上にそんな重いもの履いて泳げるとか戦国武将じゃないんだからさ。「ああ。 もっとも、これは部隊恒例の行事のような物だが……ん? リーネか?」 T字路に差し掛かったところで。 右手側からリネットの話し声と、足音が二つ聞こえてきた。 美緒さんの言うとおり、芳佳とリネットが話しながらこちらに向かって歩いてきていて。 というか、美緒さん越しにみえた芳佳の表情が非常に、トロンとした、陶酔しているような物で。 ――なんか狩人の目に見える。 あんなにだらしない顔なのに、目だけがヤバい光を宿していた。 芳佳に声をかける気満々の美緒さんを制止すべく、彼女の前に出ようと一歩足を進めたのと。「おお、宮藤」 適わず、彼女が言葉を発するのはほぼ同時で。「ふぇ!?」 そんな言葉と共に此方を向いた芳佳の手が突き出されて、ぐにゃり、と。 胸を握られる感触――ひぃ。「……ッ」「あ――やわらかい」「……宮藤ー、なーにをやっとるかー」 「え、あ、さささ坂本さんっ!? これは違うんです!」 何が違うのか問いただしたいところだが、あ、ちょ、こら、揉むな芳佳……お願いです揉まないでください、うひぃぃぃ! 背筋の辺りを、経験したことの無い類のざわざわした感覚が駆け巡る。 生理とは別の意味でちょっと精神にきつい物があるんですが、う、うう、か、勝手に涙が……ッ「あれ、ヴィルヘルミナちゃん……結構おっきい」「……ぐ」「宮藤、何時まで胸を揉んでいる気だ! あと、ヴィルヘルミナもその程度で何度も泣くな! 減るものでもないだろうに」 減ります! オレの正気度とか、男の子の矜持とかがガリゴリと音を立てて減っていくんだってば! うぎゃー! おっぱいは見たり揉んだりするもんであって、揉まれる物じゃねぇーッ!? っていうか怒んないでください美緒さん、涙とか目から出た冷や汗とか凄い零れちゃうのでっ!「よっ、芳佳ちゃん!」「あわわ、ヴィ、ヴィルヘルミナちゃん、ごめんっ?!」「……ぅく、ん」 肩が勝手に震えて、漏れそうになる嗚咽を我慢しながらうなずきを返す。 あと数秒揉まれてたら決壊してたかもしれん……というかもうハートブレイク寸前。 ミーティングルームに向かっていた彼女達と別れるまで、何度となく謝罪をしていた芳佳さんだが。 その視線が時々オレの胸元に行っていたのは明らかで。 何ということだ……一番知られちゃいかん人に知られてしまった気がする。 その後、午前のエーリカとの訓練飛行中にこの事を愚痴ったら、肩に手を回されて慰める振りをして横乳を触られた。 なんだこのセクハラだらけの職場。 訴えたら勝てる気がする。 あと、背中に胸当ててたって言うけどな、エーリカ。 ルッキーニに匹敵するその平らな胸じゃ何も面白くないんだぜ……?****** そして夜。 最低限の照明だけが許された廊下に、前日と同じようにお盆を持って歩く芳佳の姿があった。 昼間、美緒とミーナからの伝言をハンガーに詰めていたシャーリーに伝えたところ、再び夜食の依頼をされたのだった。 彼女は、お盆の上に並べられたいくつかのおにぎりとサンドイッチ、そして温い番茶を眺めて、その時言われたことを思い出して。「……やっぱり、ぴーなつばたーサンドイッチはお夜食には油っこすぎると思うんだけどなぁ」 そう呟いた。 依頼された夜食は、おにぎり二つと、サンドイッチ。 おにぎりの具は何でもいいといわれたが、サンドイッチの方は指定があった。 ピーナッツバターとゼリーを挟み込んだもの、である。 リベリオンではサンドイッチの定番の一つであったが、芳佳はやはり夜食にはくど過ぎると思えた。 量も多い。 おにぎり二つといえば、茶碗に軽く二杯分だ。 それに加えてサンドイッチも、である。 昨晩は足りなかったのか、と聞いたら苦笑していたのが気にはなるが。 半分開いている扉を背中で押して、格納庫の中に入る。 昨日と同じ場所にストライカーの懸架台と作業台があり、昨日と同じように天井からの照明が降り注いでいて。 昨日とは違い、床に沢山のノートや紙束が広げられているその中心に、シャーリーが座り込んでいた。 「シャーリーさん、お疲れ様です。 お夜食持って来ました」「ん、おー、ありがとなー」 ノートの一冊から目を離さず、咥えていた鉛筆から口をはなしてシャーリーが返事をする。 その様子に、煮詰まってる所なんだろうな、と理解して。 なるべく足音を立てずに、昨日と同じ場所にお盆を置こうと作業台の方に足を進めて。 「とぅっ!」「うわっ!?」 芳佳がお盆を作業台に置いた直後、上から掛け声と共に人影が降ってきた。 思わず驚いて飛び退った芳佳の目に映ったのは、おにぎりの皿を盆の上から奪いとったルッキーニの姿。 彼女は流れるような動作でおにぎりを一つ掴み取り、大口開けて頬張って。「あ、そっちは梅干……」「ん゛ー! しゅっぱーい! ――でも美味しい!」 一瞬梅干の激しい味に驚いたものの、そのまま美味しそうにぺろりと平らげてしまった。 指に残ったご飯粒を舐め取るルッキーニの姿を呆然と眺めて、芳佳がふと我に返る。「それ、シャーリーさんのお夜食なんだけど……」「ああ、良いんだ。 なんかルッキーニに話したら、『アタシも食べたい!』って言い出してね。 今日のあたしの分は、サンドイッチのほう」「ロマーニャの女の子はみんな美味しいもの好きなんだよ!」「へぇ……そうなんだ。 言ってくれれば夕食のときとかに作ったのに」「普通に食べるのと、夜食とかで食べるのとじゃ、ちょっと違うだろ?」「そうなんですか?」 立ち上がってノートを避けながら芳佳達の方へと歩み寄ってくるシャーリーの台詞に、芳佳は首を傾げることしか出来なかった。 そういえば、祖母や母、あるいはお祭りがある時などの男衆の集まりなどに夜食を作ったりしたこともあったが。 自分が夜食を必要として、食べたことは無かったなぁ、と思い出す。「ま、そういうもんなんだよ。 な、ルッキーニ。 折角芳佳が作ってくれたんだから、二個目は味わって食べろよ?」「はーい」「それにしても……ルッキーニちゃん、何処から出てきたの?」 おにぎりを味わいながら咀嚼するルッキーニは、その問いに頭上を指し示す。 それに沿って、芳佳が上を見上げてみれば。 格納庫の梁の一つに、色鮮やかな毛布が掛けられていた。「あ、あんな所に……」「ルッキーニは毛布さえあれば何処でも寝れるからな、こいつの寝床は基地中にあるよ」「んぐ……ん、シャーリーが格納庫に居るときは、大体あそこで寝てるかな」 「へぇ、そうなんだ……私、あんな高いところで寝たら寝てる間に落っこっちゃいそう」 今日はノートなどを参照していることが多かったらしく、さして汚れていない指先をお盆に用意されていた布巾で拭ってから。 シャーリーはサンドイッチを一つ摘み、口に運ぶ。 どうですか、という芳佳の問いに、ちょっとピーナッツバターの量が少ないかな、と感想を返した。 自分では適量だと思っていたのだが。 その結果に少し残念に思いつつ、視線を床に広げられたノートや紙束に向ける。「これ、どうしたんですか?」「ああ、まぁ……研究ノートみたいなものだよ。 魔力の配分とか加速性能とか、今までの試験飛行で出した記録とか」 あとは、マーリンエンジンの設計書とかそういった類の。 そのシャーリーの言葉を受けてからもう一度、紙群を眺める芳佳だったが、何が書いてあるのかさっぱり解らない。 だが、色々と専門的なことをやっている事だけは良く解った。「凄いですね……それにしても、軍隊ってもっとあれしちゃ駄目ー、これしちゃ駄目ー、って言うところだと思ってました。 でも、ミーナさんとかシャーリーさん、ルッキーニちゃんを見てると、そうでもないのかな……って」「ん? 研究部署に居たわけじゃないし、本当はさせてくれないよ? ここが特別なだけ」「え?」「あたしがこの部隊に居るのって、ネウロイと戦うためもそうだけれど……こいつを弄るためでもあるからね」 そう言って、シャーリーは懸架台に固定されている己のストライカーユニットを一瞥する。 それに促されて、芳佳も内部構造が剥き出しになったP-51を眺めた。「訓練課程が終わって部隊に配属されて、自分のストライカーユニット貰ったら居てもたっても居られなくて、勝手に色々弄ったりしちゃったんだ。 これって軍規違反でさ……散々怒られて、それでも我慢できずに続けてたら、『追放されるか統合戦闘団に出向するか』って、ね。 あたしは空を飛ぶ為に、誰よりも早く飛ぶ為に航空歩兵になったんだから、こっちに来た、って訳。 そしたら、司令のミーナ中佐が話のわかる人で、戦闘に支障の出ない程度だったら好き勝手して良い、って言ってくれたんだ」 中佐には本当に感謝してるよ。 そう締めて、シャーリーはサンドイッチを頬張る。 割と大事そうなことを、何でもなく言う彼女を芳佳は見つめて、感嘆したように言った。「大変だったんですね……それだけ、シャーリーさんは速さにかけてるんですか」「ん、まぁね。 私が今生きてる理由の半分くらいは、それかなぁ。 ……なぁ、宮藤」「はい?」「宮藤はどうして此処にいて……飛ぶんだ?」 サンドイッチを平らげて、温くなったお茶を飲みながら。 シャーリーは芳佳を見つめる。 何時もの飄々とした雰囲気ながらも、その視線は至極真面目なもので。 あたしだけ話すってのも、不公平だろ。 その言葉に促されて。「……それは」 心の中にあるイメージを声にしていく。 おにぎりを食べながらも此方に耳を傾けているルッキーニや、まっすぐに、試すように視線を逸らさないシャーリーだけでなく。 自分自身にも言い聞かせるように。「お父さんとの、約束です。 私の力……ウィッチとしての力を、多くの人を守る為に、って。 約束だけじゃないです、私も、私にも誰かを助けることが出来るなら、そうしたい……って思うんです。 赤城――ブリタニアに来るときに乗せて貰った船と、乗ってた人達を守る為に戦った坂本さんや…… ヴィルヘルミナちゃんみたいになれたらいいな、って」 その為の力を持ってて、その力で実際に多くの人を救った二人は、憧れで、目標なんです。 すこし頬を赤らめながらそう語る芳佳はそのまま言葉を続けようとして、躊躇する。 それを見たシャーリーは頷いて、促す。 たとえ芳佳が何を言っても、大丈夫だというように。「でも、それだけじゃないです。 赤城で、坂本さんが初めて空を飛ぶのを見せてくれたとき、それに初めてお父さんの作ったストライカーで空を飛んだとき、私思ったんです」 目を閉じる。 芳佳のまぶたの裏には、その瞬間の光景が、感動がいまだ焼きついていて。「高くて、速くて、嬉しくて、凄くて……なんて言ったら良いのか解らないけど、空を飛ぶのって、とっても楽しかったんです。 戦争は今でも嫌いです。 でも、空を飛ぶのは、私、好きです」「そっか……楽しい、か」 そのシャーリーの小さな呟きに、はい、と元気良く答える芳佳。 一瞬の沈黙が場を支配して。 ルッキーニがおにぎりの最後の一口を飲み込む音が、意外に大きく聞こえた。 そのままルッキーニが喋りだす。「アタシも空を飛ぶの、楽しいから好きだよ。 こう、ギューン、ドヒャー、って!」「え、と……」「ヨシカ、解るよね!?」 え、ちょっとぎゅーん、どひゃー!は解らないかな……と思っていることは口に出さず、少し苦笑を見せて。 とりあえずうん解る解る、と相槌を打つ。 だよねー、と笑いかけてくるルッキーニに押されつつ、まだ黙ったままのシャーリーに気づいて。 何がしか考えているような彼女に、芳佳は問いかけた。「あの、シャーリーさん」「……ん? どうした宮藤」「シャーリーさんも同じじゃないんですか?」 その言葉に、軽く瞳を閉じてシャーリーは己の胸中を探る。 焦りや嫉妬、失意や苦悩。 普段は表に決して出さない感情の薄布を取り去ってみれば、答えは簡単に見えた。 「ん……そうだな」 目を開いて、応える。 その表情は笑みだ。 何時もの太陽のように明るい笑み。「うん、そうだ。 楽しい。 空を飛ぶのは、楽しい! あたしも空を飛ぶの、大好きだ! ありがとな、宮藤!」 どうしてこんなに解りやすいことを失念していたんだろうか。 いざ再確認してしまえば、そんな疑問が湧いてくる。 だが、そんな疑問は後回しだ。 今は、この感謝の気持ちを伝えたい。 その欲求に素直に従って、シャーリーは芳佳をその胸に抱きしめた。「え、え? う、わわわ! く、苦しいっ」「あー、ずるいっ! アタシも大好き!」 部隊一のボリュームを誇るバストに唐突に抱きすくめられ、芳佳は驚きの声を上げて。 その胸を独り占めしている芳佳に対抗して、ルッキーニはシャーリーの背中に抱きつく。 娘三人の楽しげな騒ぎ声が格納庫から漏れ出て行った。******「よっ、待たせたな」 かさり、という芝生を踏む音が背後から聞こえて。 振り向いてみれば、そこにはエイラが居た。 頷いて挨拶。 エイラはコレだけで色々通じてくれるから楽です。 午後のサーニャとの勉強において、基礎の復習を終え、いざ魔導針の生成となったのだが。 何度やっても受信帯域の制御ができず魔導針を維持することが出来なかったオレ。 サーニャとやはり途中から参加してきたエイラが協議を重ねた結果。 飛び交う電波の少なくなる夜十時以降に、滑走路の先端で練習してみよう、ということになった。 とりあえず、彼女の任務の方を疎かにする訳にもいかないので。 一通り警戒区域の方を回ってくるまでの間、開放されている格納庫脇で待っていたのだが。「……まだ……サーニャ……来て、無い」「いや、そろそろだな」 何で解るんだよ……と思ってたら、私は予知の魔女だからな、サーニャの事だしその位はわかるんだよ、と言うエイラ。 ……いやエイラさん、耳にインカム入ってるの見えてますよ。 ずるっこはいけません、ずるっこは。 一瞬愛の力だ!とか思っちゃったじゃねえか。 そんなオレの視線に気づいたのか気づかないのか、エイラは明かりと声が漏れてくる格納庫の中をひょい、と覗き込んで。 ふ、とその空気が柔らかく弛緩した。 そのまま振り向いて、軽く叩いてから手をオレの頭の上に落ち着けた。「な、言ったとおりだったろ?」「…………」 頭をなでられるのは……相変わらず余り好ましくないが、なんとなくこの状況なら触られてても何時もほど悔しくは無い。 耳に届いてくるのは、シャーリー、ルッキーニ、そして芳佳の明るい笑い声。 ちらりと除き見てみれば、照明の下で三人、夜だというのにわいわい騒いでいる様子が見て取れて。 サーニャを、エイラを待っている間、格納庫脇、中からは見えない位置に持たれかかって、微かに聞こえてくる会話を聞いていた。 ずっと聞いていた会話の内容と、見えるシャーリーの表情が、オレに色々と教えてくれて。「……ふぅ」 ため息を吐きたくもなるさ。 あー、やっぱ考えすぎてたみたいだよ、オレ。 一人で心配して、色々考えてたのが馬鹿みたいだ。 シャーリーはオレが考えてたよりも、オレよりも、よっぽど強かったってわけさ。 それに下手に色々考えるよりも、芳佳みたいに素直に色々言えるのが……あいつのそういう明るいところが、うん、羨ましい。 経験積んで、色々と身を縛る物を得た大人じゃそういうのは無理だ。 色々得た結果、出来るようになったり判るようになったりする事も多いから、どっちが一概に良いかはわからんけど、な。 飛ぶのが楽しい、ね。 うん、確かに楽しい。 オレもそう思うよ。 経緯は結構最悪だったり、直後の模擬戦の印象のお陰で薄まってるけれど、初めて飛んだときの感動は覚えてるさ。 それにしても、芳佳さんがオレに憧れてるとか……マジ無いわ。 くそ、照れるなこりゃ。 今までみっともない所しか見せてないはずなのにな。 必至になって死にかけて。 誰かにそう思って貰う為にやってる訳じゃないんだが、あんなに素直に言われるとまぁ、悪い気はしない。「ま、これで憂いも無くなったわけだし。 ヴィルヘルミナはヴィルヘルミナの事を頑張んなきゃな?」 憂いといえば、明日の海水浴なんだが。 ネウロイのこともあるが、あの様子ならルッキーニが魔改造を施す余裕は無いだろうし。 シャーリーは吹っ切れたみたいだし、心配事は無い。 別に音速超えしたシャーリーが、その身を挺してネウロイのケツを掘らないでも正攻法で倒せるだろうし。 オレの方はオレの方で……まぁ、何とかなるだろう。「……ん」 オレがそう返すと、エイラは満足そうに頷いてオレの髪を軽く一回梳いて、手を離し。 視線を滑走路の向こう、真っ黒な空と海に流した。 数秒。 やがて、シャーリーたちの会話の声に加えてストライカーユニットのエンジン音が聞こえてくる。 一月近く此処にいれば、いい加減ある程度の判別は出来るようになってくるし、今空に上がっているウィッチは一人だけ。 さて……とりあえず、今やらなきゃいけないことに集中するとしますか!****** 格納庫の中の三人は、サーニャが一旦帰ってきたことには気づいたものの、格納庫の中に入っては来なかったので、さして気には留めなかった。 夜間任務を詳しく知らない芳佳はそういうものだと思ったし、知っている先任の二人は、少し休憩のために降りてきただけだと思ったのである。 そのまましばらく消灯時間も過ぎているというのに騒いだ後、壁にかけられている時計が随分と遅い時間をさしているのを見て。 シャーリーはあちゃあ、と苦笑いした。「どうかしたんですか、シャーリーさん?」「ん、ああ、宮藤はもう寝た方がいいよ。 付き合わせて悪かったね」「あ、本当だ、もうこんな時間……シャーリーさんやルッキーニちゃんも早く休んでくださいね」「あたしは慣れてるし、ルッキーニは四六時中寝てるからちょっとの夜更かしくらい気にならないしな」「うん、気にならないよー」 じゃあ、おやすみなさい、お盆は台所に運んで置いてください、と告げて出て行こうとする芳佳の背中に。 明日の水着楽しみにしているよ、だの、ちょっとは大きくなったか見てあげる! だのの声をかけて、シャーリーとルッキーニは笑いあった。 芳佳の背中が廊下の闇に消え、扉が閉められた後。 依然として装甲板が開かれたままになっているP-51を眺めて、シャーリーは笑みを浮かべ、考える。 気負いすぎていたのかもしれない、と思った。 悩んで、ため息をたくさんついて。 そんな難しい顔をしている人に、笑いかけてくれる人間は少ないだろう。 それが、勝利の女神ならなおさらだ。 彼女にアタックをかける人間は、それこそ星の数ほど居る事をシャーリーは知っている。 ならば、自分の魅力を損じるような事をしていては、他所に行ってしまうのは道理だろう。 楽しめよ、とシャーリーは思う。 楽しもう。 上手く行かないことも、試行錯誤するのも、全ての状況を。 そして恋をすることを――空を飛ぶことを、速度を目指すことを。 花の命は――魔女が全力で空を飛べる期間は、短いのだ。 楽しまなくては損。 そう思って、とりあえず広がっていた研究ノートの類を閉じて、一纏めにして脇によける。 その作業を行っていたシャーリーの横顔を見て、ルッキーニが問いかけた。「どしたのシャーリー、なんか楽しそうだけど」「ん? ああ、ちょっと遊ぼうかと思ってね」「何々、何するの!?」 そんなのもたまには良いだろう、とシャーリーは思う。 戦いのためでもなく、記録更新のためでもなく、好き勝手に自由に空を飛んでみるというのも。 そのために必要なもの。 それは、頭の固いトゥルーデやペリーヌには滅茶苦茶と取られるかもしれない。 けれど、解っている。 戦う為に必要な調整。 速さを出す為に必要な調整。 自由に飛ぶためには、それに相応しい、自由な――面白みのあるセッティング。 遊び、という単語に反応して目を輝かせてくるルッキーニを見て、シャーリーはもったいぶった様に頷いて。「ちょっと最近まじめにストライカー弄りすぎて、ちょっと遊びが足りないって思ってさ。 ……とんでもないセッティングで飛んでみるのも面白そうじゃないか?」「えー……大丈夫、なの?」 流石のルッキーニも、この提案には不安そうな表情と声を返す。 破天荒な行動の多いルッキーニでも、ストライカーが精密機械だという事は知っているのだ。 ただ、精密機械がどういった物かまでは考えが及ばなかったが。 シャーリーが各種の記録をノートに取ったり、真剣な表情で弄っているのを傍で見ていたから。 あまり無茶をするのは良くないのではないか、という事くらいは解っていた。 そんなルッキーニに、シャーリーは不敵な笑みを返す。 そのまま胸を張り、親指で自分の事を指した。「大丈夫大丈夫、あたしを誰だと思ってるんだい? どんなじゃじゃ馬だって乗りこなすスピードクイーン、シャーロット・イェーガー様だぞ?」 その姿勢のまま、芝居がかった様子で眉根を下げて。 でも、と続ける。「でも……ほら、あたしだけだとちょっと真面目に過ぎるかもしれないから、お前にもちょっと意見を聞きたいんだけど……」「うん、いーよ! でも、良いの? アタシ全然わかんないんだけど」「本当にヤバいのはきちんと直すから大丈夫だって」 「んー……わかった!」「上手くいったら、お前のユニットもちょっと弄ってみるか?」「え、いいの? やったぁ!」 じゃあ早速、とシャーリーがルッキーニを招きよせる。 二人で肩を寄せ合って、ストライカーユニットの内部構造を眺めながら。 ああだこうだと騒ぎ始める。「ここを……ちょりゃー! こうとかどうかな!?」「うおお、ちょ、おま、ルッキーニ……凄いこと考えるな? ――でも、まぁ何とかなりそうだからよし!」「えへへー、でしょでしょ? シャーリーなら大丈夫だよ」「任せとけ! んじゃここはこうして……バランス悪くなるけど、まぁ何時ものことだし、こっちをこう弄って、これで……いい、はず!」 それから二時間ほど、格納庫からは二人の楽しげな声と光がこぼれ出ていて。 偶然基地上空を通りかかったときにそれに気づいたサーニャは、小さく笑みをこぼして。 再び哨戒任務へと戻っていった。------書いててふと思いついた事:「乳辱魔女ヴィルヘルミナ~やめて! もう弄らないで!~」なんか普通にエロゲーとかでありそうなタイトルになってしまった。 XXX板に行く予定は今の所ありません。ネタが無い事もないけど、行かないったらないんだからねっ!読み直しててふと思いついた事:(肩組んで飛行中)エ「あててんのよ」ヴ「……? 何、を?」エ「……うーん、私じゃ無理かー」夜十時、というのは現代でもこの辺の時間帯が、多くの非国際空港の管制塔が業務終了する時間帯のため。40年代でも深夜ラジオとかは有ったらしいけど、やはりこの辺くらいが電波的に静かになってくる時間帯だそうな。