公の面々が出て行った後の玉座の間には、現在華琳たち、魏の面々が残っていた。
華琳は一言も発さぬまま、玉座に座り、静かに目を閉じている。
残りの魏の諸将は、おのおの先ほどまでの出来事を反芻し、ただじっと、華琳が口を開くのを待っていた。
「何でもいいわ、何か意見のある者はいる?」
ぽつりと、まるで呟くように放たれた華琳の言葉は、その言葉の弱々しさに反し、全員の耳にしっかり届いていた。
しかし、誰もが口を開かない。
何故誰も口を開かないのか、いや、開くことが出来ないのか。
答えは簡単だ。みな、圧倒されていたのである。
目まぐるしく推移した今回のことが一点。
そしてもう一点は、彼女達の王、華琳の雰囲気が普段と違うからだった。
そんな様子を見てか、あるいははじめから予測してなのか、華琳はいつものように凛々しい声ではなく、絞り出すような声で言葉をつむぐ。
「今日、私は魏王曹操として、この会議に臨んだはずだった。
だから最初は、魏の王として、間違えることなく対応することが出来ていた。
そう、それは間違いなかったわ。私は、間違いなく魏の王、曹操だった。
だけどね、あの男は、ランスはそんな私を簡単に打ち破った。
簡単に、私は『華琳』になってしまった。
私とランスの会話は、王と英雄の会話。
そして、この大陸の未来を決定する会話。
なのに、ランスにとってはそうじゃなかった。
正確には、『結果的に』大陸の運命を決める会話になるだけで、ランスにとってはそんなの間違いなくおまけだった。
ランスの第一声覚えてるかしら。ランスは包み隠さず、私とやりに来たと言った。
正直、耳を疑ったわ。ランスがいかに既存の概念に囚われないといっても、まさかここまでとは思っていなかったもの。
そして私は『華琳』になった。
その時私は、王としての責務を忘れ、大陸の未来なんかどうでも良くなっていたわ。
ただただ、私は愉快でたまらなかった。
魏王曹操という仮面がはがれ、『華琳』という私自身が表に出てきたわ。
今思えば、ランスとの会話を今日の主題においていた時点で、『華琳』を隠しきれていなかったのかもね。
そしてその後、私は『華琳』として話をしたわ。魏王曹操であれば、一笑に付し、にべもなく断るべき事柄を『華琳』として聞いていた。
『華琳』として聞き、尋ね、理解し、そして根拠もなく納得してしまった」
そこまで言って、曹操……いや、華琳は、一呼吸置く。
誰かの唾を飲む音が聞こえる。
永遠にも似た数秒の間をおいて、華琳は言葉を、今度ははっきりと口にする。
「そして華琳は恋をした」
「ランスにとって私は、何人もいる彼の女の中の一人なのかもしれない。
私だけが特別、そんな感情を抱いていないことくらい理解している。
それでも、そこまで分かっていたとしても、私は彼に恋をした。
私の想像もつかないことをやってのける彼に、
私の思いもしなかった未来を見せてくれた彼に、
そして何より、私自身を欲しいといってくれた彼に、
私はただただ恋をした。
……私は今、魏王曹操としてではなく、『華琳』として決定を下そうとしているわ。
私だけじゃない、あなた達、そして魏の国全てに関わる問題を、魏王曹操としてではなく、『華琳』として決定しようとしている。
意見があるなら聞くわ。例え私を罵倒しようと咎めはしない。だから、好きなように発言しなさい……」
「こういう時は、やはり軍師の風達から言うべきですねー。ぐぅ」
「風、こんな時までふざけないの」
「おおっ、稟ちゃん、起こしてくれてありがとなのですよ。
さて華琳様、軍師としては、反対させていただきます。
華琳様もおっしゃていた通り、ランスさんの発言には根拠がありません。
華琳様とランスさんがくっついたとして、その後ランスさんが呉の孫策さんを落とせるかどうかなんて分からない、これが一点目。
仮にそれが成功したとして、その後争いの無い大陸が残るかどうかなんてわからないのですよ。
場合によっては、ランスさんを奪い合うために戦を始めるかもしれない。
いいですか、華琳様。華琳様が戦を起こす気が無くても、他の二人がランスさんを独占する為に戦を起こすかもしれないのですよ。
そして、そうなった時、私達はもただやられるわけにはいきませんから、軍備を整えることになるかもしれない。
そして、私が思ったことを他国の軍師たちも思うでしょう。
結局、仮初の平和にしかならない可能性があるのですよ」
いつものとぼけた感じは、微塵も感じさせずに風が言い放った。
そして、稟がそれに続く。
「そして、魏という国は、華琳様の志を根幹に置いている国です。
いえ、正確をきすならば、魏王曹操の志を根幹に置いている国です。
そんな国で、華琳様が魏王曹操としてではなく『華琳』として行動したならば、間違いなく混乱が起きるでしょう。
以上をもって、我々軍師としては反対とさせていただきます」
華琳は、風と稟の言葉を瞬き一つせずに聞いていた。
そして全てを聞き終えた今、華琳の表情に変化は無い。
華琳の感想を一言で言えば、『やはり』だ。
華琳は華琳であるとともに、魏王曹操であるのだ。
国政に関わらない範囲であれば、確かに『華琳』として行動することも許されるのかもしれない。
しかし、こと国政に関することは、魏王曹操として判断すべきである。
華琳自身そう思っているのだから、風と稟に言われたことに対する感想は『やはり』というものだった。
しかし
「ただですね、風は風個人としてランスさんの提案に乗るのもありなんじゃないかなとか思ってしまっているわけですよ。
ランスさんは無茶苦茶です。
何を考えてるか分かりませんし、分かったとしても理解できません。
ですが、不思議な魅力があります。あれが、天の御使いってやつなんですかねー。あるいは、英雄というのかもしれません。
正直風は、ランスさんに任せてさえしまえば、全て上手くいってしまう様な、そんな気がしてしまうのですよー」
「華琳様は一つ勘違いをしておられます」
風の声を継いで、今まで黙っていた最後の軍師、桂花が口を開く。
「我々軍師の仕事は、確かに華琳様にご助言差し上げ、時にはその命を散らすことになろうとも諫めるのが仕事です。
ですがそれはあくまで、『華琳様の願いをどのように叶えるか』その一点に尽きます。
そして、華琳様が何を願い、何を望むのか、それを決めるのは我々ではなく、華琳様自身なのです」
普段、華琳に依存しているように見える桂花のこの一言は、強く回りに響いた。
ここにいる面々、すなわち魏の諸将は今、自分が何を信じて華琳について来たのか、それを強く意識していた。
魏王曹操としての華琳に惹かれてついてきたのか、それとも『華琳』に惹かれてついてきたのか。
秋蘭が一歩前に出る。
「華琳様、我々にとって覇道とは、華琳様の進まれる道のことです。
華琳様は、ただ思うがままにお進みください。
我々は、ただそれをお助けするだけです」
「私は馬鹿だから、難しいことは分かりません。
私に出来ることは、華琳様に何処までもついていくという誓いを、最後まで貫くことだけです!
ですから私は、どんなことになろうとも最後まで華琳様についていきます!」
春蘭と秋蘭、最も古参の二人の言葉はここにいる全ての人間の気持ちを代弁したのだろう。
しょうがないなぁ、というように笑う華琳。
諸将も、すっきりした顔で笑っていた。
「ありがとう、みんな。私はいい部下を持ったわ」
華琳は思った、本当にいい部下を持ったと。
自分なんかにはもったいないくらい……とは思わない。
それは私を信じ、着いてきてくれた全ての部下を侮辱する行為になるから。
だから華琳は、自分に相応しい素晴らしい部下達だと胸を張ろうと思った。
「それでは、今後の方針を伝えるわ」
華琳は静かに、しかし胸を張って決定を下したのだった。
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作者は華琳が大好きです
でも、同じくらい蓮華が好きです。
しかし、このまま行くと蓮華が関わってくる確立が25%だということに気付いた午前3時過ぎ