空手部の部室に入りドアを閉める。一応周辺マップで部室のプレハブ小屋の近くの人物を確認してある。
青春の汗の臭いが立ち込める中に、僅かなりとも紫村と先輩の……げふん、げふん。何でも無い。何でも無いんだ。
「どうやら、鈴中先生は無断欠勤で連絡も取れないみたいだね」
紫村は『先生』の発音に嘲笑の響きを持たせたが、それですら優雅に感じさせるのが怖い。
「そうか」
「驚かないみたいだね。何か知ってるんじゃないかい?」
試すような目でじっと俺を見つめる。女子が見たら、また悲鳴でも上がりそうな状況だ。
「いや、朝のHRで北條先生から奴が休みだと聞いて、やっぱり奴は何らかの事件に巻き込まれて失踪したかもしれないと考えていたからな」
「そうだね……」
溜息を吐きながら、意味ありげな視線をこちらに向けてくる……上手くかわしたね。とでも言いたいのか? 何を疑っている? ともかく俺をそんな目で見るのはやめろ。俺にはそんな趣味は無いんだ。
「だけど奴が事件に巻き込まれて失踪したとして北条先生のことはどうなる?」
田村の心配は尤もだが、実行犯の鈴中が消えて、手足をもがれた状態の教頭には北條先生に何もする事は出来ないだろう。鈴中のメールには北條先生の弱みを握った言う報告があったが、その証拠になりそうな写真などが添付された様子は無かったので、問題はほぼ解決しており後は教頭に報いを喰らわせてやるだけだ。
「多分、事件に巻き込まれての失踪なら、自分で失踪したにしても拉致されての失踪でも、北條先生にちょっかいを掛ける余裕なんて無いだろう」
「でもよ。その事件に関係する奴が北條先生の弱みの知ったらさ」
「人一人が失踪するような事件を起こす奴が、一教師の弱みを握って何かすると思うか?」
「そうだね。下手に小さい事件を起こして大きな事件の事が明るみに成るのを恐れる。そう僕も思うよ」
俺と紫村の意見が一致した事で田村も納得した。
紫村達が立ち去った後も、考え事がしたいと言って部室に残った。
「よう高城」
俺は大島が近くに居る事を知っていたからここに残ったのだ。
「上手い事話をまとめたな。だけどお前が鈴中の失踪とやらに一枚噛んでるんだろう」
プレハブの壁一枚だ。壁に耳を押し付けて聞き耳を立てれば内容は全部聞こえるだろう。
「奴が無断で休んだと聞いた時から、お前が絡んでるとは思ったが失踪とは穏やかじゃないな。何処から失踪なんて話が出てきたんだ?」
大島は失踪に付いて知らない。まあ知ってるはずも無いのだが、それが確認できてほっとしている。正直なところ奴が何を知っていても俺は不思議には思わない。奴の存在自体が不思議なのだから。
「なるほど、昨日お前が鈴中の部屋に侵入したらもぬけの殻だったと。完全に犯罪じゃないか……やるな高城」
俺は昨日、一昨日の事を大島に話した。勿論、部員達にも伝えた嘘の方の話なので、大島に知られても何の問題も無い。
それにしても「やるな高城」は無いだろう。奴からは犯罪に対する嫌悪感が全く感じられない。奴にとっては不法侵入など「この程度」扱いなのだろう……怖えよ! どうか神様。こいつを逮捕してください。警察には無理だろうから。
「じゃあ、お前がやってないとして誰がやったんだ? 中島の爺か?」
「さあ? 何せ鈴中の部屋には埃一つ残さず綺麗にされてましたから」
がんばれ俺。ここで大島を煙に巻けば楽になる。
「ところで高城。お前、昨日何時に鈴中の家に行った?」
エマージェンシーコール! 緊急事態発令! 緊急事態発令!
即座にシステムメニューを開いて、セーブ実行。焦りすぎて3連続でセーブしてしまった。
時間停止された大島の顔には、獲物を嬲るような猫の様な表情が浮かんでいる。こいつは何かを知っている。知った上で俺の反応を確かめようとしているのだ。
何を知っている? そして何を知ろうとしている? 全く分からない。折角セーブしたんだ。奴の反応からこちらも情報を引き出そう。
「昨夜の8時過ぎに行きました」
システムメニューを解除して嘘を答えた。
「そうか8時過ぎか……」
「はい」
「おかしいな」
「はい?」
「おかしいじゃないか、鈴中のアパートには見張りを付けていてな、8時には若い女が奴の部屋に来ていたはずなんだ」
畜生、そう言えば高みの見物とか言ってたはずだ。そのためには見張りまで用意するのかよ。
だが、おかげで西村先輩は、8時にはもう来ていた事が分かった。
「本当ですか? 女性は何時来たと言ってました?」
「8時少し前だと言っていたな。どうしてお前が──」
『ロード処理が終了しました』
聞きたい事を聞いた俺は容赦なくロードした。
システムメニューを開いて考える。
西村先輩は20:00少し前に鈴中の部屋を訪れて、鈴中を殺害後に自分が部屋に来た痕跡を消し、パソコンの中のデータも始末して──したつもりで──立ち去ったのが22:40位だ。
俺が侵入したのはその直後で、まあ20:40として、部屋を出たのが23:00過ぎ。
問題は大島が手配した見張りが何時まで鈴中のアパートを張っていたかだ……見張りってアパートの前に居た奴か? 帰りは裏からそのままアパートを離れたから、その時にまだアパート前に居たか確認してない。この状況で俺が口にするべき時刻は……
システムメニューを解除する。
「深夜の1時前に家を出たので、侵入したのは1時半前くらいだと思います」
再び嘘で探りを入れる。幾ら大島でもこんな方法で探りを入れられてるとは思いもしないだろう……多分、きっと……ええいっ! 大島を恐れ過ぎだ。
「その時、部屋に明かりは点いていたか?」
「いいえ、点いていませんでした」
「そうか……確かに辻褄は合う。お前が侵入したのに気づかなかったのは、どうせベランダ伝いに上ったんだろう?」
「はい」
「だとするなら、若い女は2時間半以上も鈴中も居ない。家具も何も無い部屋に居たわけだ。そんな長時間も何を……分からんな」
「さあ? もしかすると、鈴中と待ち合わせしていたのでは──」
「おい!」
いきなり言葉を遮られる。そしてカナリヤを咥えた猫の様な嬉しそうな表情を浮かべた大島……ヤバイ。何かミスした?
「何でお前が若い女が居た事を疑問に思わな──」
『ロード処理が終了しました』
折角、俺の尻尾を捕まえて嬉しそうな大島だが容赦なく、むしろ喜びを持ってロードした。
再びシステムメニューを開いて考える。
この野郎。俺に鎌を掛けやがった。つまりかなり強く俺を疑っていると言う事だ。「生徒も信じられない教師ってサイテー!」と女子生徒に罵られて貰いたいものだ。もっとも怖いもの知らずの今時の女子にも、大島にそんな口を利ける勇者は居ないだろう。
システムメニューを解除して、先程までの会話の流れをたどる。
「だとするなら、若い女は2時間半以上も鈴中も居ない。家具も何も無い部屋に居たわけだ。そんな長時間も……分からんな」
大島の掛けた罠に対して「若い女とは?」と華麗にスルーしてやる。システムメニュー最高!
「ちっ、8時前から10時半過ぎまで若い女が奴の部屋に居たんだ。変だと思わないか? お前の言う通りに奴の部屋がもぬけの殻なら、家具も無ければ鈴中もいない部屋でそんな長時間何をしてたのかよ」
「鈴中と部屋で落ち合うはずだったのでは? 待っていたけど来ないので帰った。それとも鈴中から連絡があって近くで待ち合わせしてどこかに行ったとか……ところで何で舌打ちしたんです?」
「別に何でもない。だが女の事はお前の言う通りかもしれないな」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら同意する。
そんな顔を見て笑いたくなったが我慢する。顔色一つ変えずにスルーした。
「ところで何時から見張りをつけていたんですか?」
「7時だ。お前が一昨日の夜に奴の部屋の中を確認してから、昨日の夜の7時までに奴の部屋はもぬけの殻になったって事だ」
「時間としては十分ですね」
「まあ、お前が言う一昨日の夜には部屋の中に家具があって、昨日の深夜にお前が侵入した時には無くなっていたと言うのが本当だとしてだがな」
「信用してくださいよ。僕ほど正直な人間はそうそう居ませんよ」
「嘘ひと~つ!」
野太い声でそう断言された。
大島の追及を逃れた俺は図書室へと向かった。
休み時間も残り少ないが、何としても今のうちに確認しておかなければならない事が出来た。
図書室に入り、貸し出しカウンターの横にある卒業アルバムのコーナーに近寄ると、システムメニューを開いた状態で去年の卒業アルバムを取り出すと、クラスごとの集合写真を確認していき、3組の集合写真に目的の顔を発見する。西村 薫。ロリコン教師が好みそうな可愛い顔立ち、間違いなく彼女だ。
これで確証が取れたので、トイレに駆け込むと個室に入り鈴中のスマフォを取り出して受信メールを取得して、システムメニューを開く。
受信したメールの中に教頭からのものが1通。内容は当たり障り文面で、至急連絡を求めていた。まだ失踪したとは思ってないようだ。
そしてアドレスを確認すると【kaoru】という名前があった。これが彼女のアドレスだと確信した俺は自分のリスクはあるが自分の携帯からメールを出す事にした。流石に下手に鈴中のスマホからメールしては、奴の失踪を警察が事件とした時に重大な証拠となってしまう。
しかも出来るだけ早くに連絡を取らなければ拙い事になるかもしれない。
『私は、先日の20:00前から22:40頃に貴女がいた場所を知る者です。昨夜貴女がした事が公になって困る事になる人間は、貴女の他に12名もいる事はご理解いただけると思います。私はその中の誰かの依頼で私は動いています。事件に繋がるような物は一切に2度と表に出ないように完全に処分したので、大事件にはならずに処理されるでしょうが、私以外にもう1人、現場から立ち去る貴女を目撃している者がいました。その人間は警察でも何でもないので貴女の事が知られる事は無いと思いますが、念のため現場と【彼】の職場には2度と近寄らないようにお願いします。そして万一昨夜の貴女のアリバイを確認しに来た者がいたら出来るだけ普通に接して家に居たと告げてください。
また、このメールは読み終わり次第削除してください』
システムメニューを解除すると送信ボタンを押した。
今日、彼女が学校を休んで鈴中のアパートに行ってたならばアウトだ。見張りが彼女を見つければ顔を撮影し、尾行して家まで突き止めるだろう。
自分の携帯でのメールは拙かったんじゃないかと早くも後悔するが、それでも格好をつけたい年頃なんだ……例え誰に見せる格好ではなくても自分自身に対して格好良くありたい。