「状況、爆撃はアボート」 ポップアップしたウィンドウに表示されたその文字を見て、馬淵中佐は舌打ちをする。上を見れば、雷雲が立ち込めているのが目に入った。なんていい天気だ、と馬淵は毒づいた。アボート、すなわち中止ということは、爆撃支援がキャンセルされたということを意味する。理性なき敵、深海棲艦が、地響きをさせながら迫り、砲火を上げる。対馬への強硬上陸そのものには成功し、橋頭保を築いたまではよかった。だが、そこからがいけなかった。戦火を拡大するために前進した部隊が数で押し切られてつぶされ、そして今彼らの野戦司令部がすりつぶされそうになっているのだから、あまりにもいい天気に、毒づきたくもなろうものだ。 あきつ丸はうまくやっているだろうか、と、考えたが、せんのないことである。量子ハイパーリンカは異常なく機能しているし、生きているということまではわかるのだから、それでよしとすべきであった。 九州側にわたるだけの推進剤はもうない。降伏して捕虜としての扱いを受けさせてくれる相手でもない。逃げるにしても、突破したその先には敵がいるのだから、お話にもならない。最後の戦闘の準備が、淡々と進む。突撃して戦線を突破した後は、各人の才覚をもって生き残れ、と下達したためだ。 無責任の極みだな。と馬淵は自嘲し、そして。「くそったれの蛆虫どもに思い知らせろ!突撃!」 その叫びとともに、海洋迷彩が施されたパワードスーツが飛び上がる。ハイパーゴリック推進剤を利用するロケットモーターが耳を弄する爆音とともに作動し、推進力を生みだしたためだ。むろん、ただ飛び上がるだけでは的そのものである。そのために動翼が方向を変え、パワードスーツ「達」を前進させた。機械化歩兵、という言葉が、昔々から存在していた。機械化、という大仰な名とは裏腹に、じつにシンプルなものだった。つまるところ、自動車化された歩兵である、というだけのものだったのである。しかし、それでも歩兵たちにとっては大きな進歩であった。なにしろ、従来では獲得しようもなかった機動能力と、場合によってはいくばくかの装甲を手にできたからである。彼らは、装甲化歩兵と通称されていた。そして、歩兵として破格の装甲を得た彼らは、人間では携行して用いることはできない百二十ミリ無反動砲から、核砲弾を放つ。カリホルニウムを使ったが故に小型化に成功した、彼らが身に着ける中で最も高価な装備品が深海棲艦に吸い込まれ、爆ぜた。余計者艦隊 佐世保鎮守府失陥編第二話:機械の骸骨 状況終了の声がする。VR訓練ヘッドセットをはずした男は、首を振りながら目頭を揉んでいた。薄目を開けて、周りを見れば皆もそうしている。ステイシム環境だとわかっていても、五感にダミー信号を流す機構がある以上、本物とさして変わらない感がある。COTS品を利用したため安価ではあるが、今回はアメリカ軍との相互接続に少し手間取ったため、見直しが多少必要だな、と埒もないことを考えた。普段提督と呼ばれている白井少佐は指揮統制艦である「ブルーリッジ」の撃沈とともに死亡判定を貰い、ステイシムの間中海に浮かんでいるというペナルティを貰った。まあ、今回の想定は敵戦力過剰に加えて、空軍の空爆ができない想定だったからな、とひとりごちて、ため息をついた。 それにしても。とつぶやく。加賀は一体何を考えてこんな無茶苦茶な想定にしたのか、という疑問があったが、しかし。答えは、実のところ嫌というほどにわかっている。少なくとも、提督と呼ばれる「だけ」の立場の彼にも、わかった。続きを考えようとして、くらり、とする。数次にわたる演習で脳が疲れ切り、体が猛烈に水分と糖分を欲しているのが自覚できるほどだった。「どうぞ」 加賀が、目の前にミルクが入れられたアイスコーヒーを置く。すまん、と短く返し、男はそれを一気に干した。猛烈な甘みにむせ返りそうになるが、しかし。「……いや、ありがとう」 そういって、提督は立ち上がる。この演習はこれで終わりではない。これから米海兵隊、陸軍の代表者との折衝がある。九州の奪還に先立ち発起する作戦、すなわち。対馬奪還作戦の詰めがあるのだ。 当然の話として、各想定で敵戦力の量が違い過ぎることが陸軍、ならびに米海兵隊より指摘があった。それを受けて、加賀は口を開く。「はい。ですが、それには理由があります。端的に申し上げて、現状敵戦力の算定が困難となっております。スライドに注目ください」衛星写真、航空写真を時系列順に並べた写真を、プロジェクターは表示する。対馬のほぼ全域をまっ黒く覆った写真が写ったかと思えば、それが引いて市街地を除いて緑に映っている写真もある。周期も何もなく、てんでばらばらなのだ。 海兵隊岩国航空隊の指令であるジュリアス・エプスタイン大佐は口を開く。「偵察が必要ですね」 日本語での短い一言。航空偵察では正確な情報が得られない。となれば、実際にどうなっているのかを見定める必要性がある。通訳越しでない発言を加賀や提督、馬淵中佐に謝罪すると、顎に手を置いてもう一度写真を見せてもらいたい旨通訳に伝え、通訳がその旨を伝える。「しかし、実際に上陸しての偵察活動となると……」 道理として、偵察が必要であるというのは言うまでもないことである。おおよその敵戦力の位置はわかっているものの、具体的にどの程度の戦力が存在するのかが不明である。 であるならば、実際に歩兵、ないし艦隊戦力を対馬に偵察が必要であるというのはほぼ間違いがない。というより、必須の事項である。「初めの写真のとおりであるならば、懸念は理解できる、とおっしゃられています」 続けて通訳から発された言葉に、提督はぎょっとする。陸軍の馬淵中佐も、どことなく椅子の座り心地が悪そうな様子だ。加賀も、鉄面皮なりに驚いた表情を隠していない。そもそも、そうそう聞こえて良い言葉ではないからだ。「当基地に燃料補給で一時立ち寄り、帰還できなくなっていたB-70があります。それを投入して核攻撃を行ったあとに強行偵察を行えばよい。とおっしゃっています」 B-70ヴァルキリー。超音速で飛行し、核爆弾による破壊を目的として作られたそれを投入し、核で数を減らした後に強行偵察を行えばよい。そういっているのである。むろん、ご存じのとおり、日本全土で内戦が行われた艦娘達が洋上を舞う世界ではなく、鋼鉄の船が航行する我々の世界においては、Xナンバーが外れることはなく、採用はなされなかった機体である。その流麗で優美な機体のシルエットとは裏腹に、運用における制限がきわめて大きな機体であり、弾道ミサイルに比べても使いどころに困る機体であったためだ。 なるほど、これは貸しか、と提督は思い直す。陸海軍が国内で本格的な核攻撃を行った、となるとどちらの派閥においても問題が大きくなる。そもそも、広島の第五師団に核砲撃パッケージは存在していても、核砲弾が無かったのは多分に政治的事情のゆえである。この点に関しては呉鎮守府も同様である。本来であるならば、対馬に戦略核を島根の美保基地の十一航空団隷下の爆撃隊に依頼するべき事項であったからだ。 日本の内戦における疵痕で一番大なるは何か、と問われれば、今の二人はこう答えるだろう。それすなわち『国内での信頼関係の喪失』である。 いつ隣人が自分を別の地域の人間だから、という理由で殺そうとするかわからない。そういう状況が猖獗を極めた内戦時の後遺症であった。その点からも踏み切れなかった本格的な核攻撃を行う、という不名誉を我々が引き受けよう。と海兵隊の司令官は言い放ったのだ。「わかりました。詳細については後ほど実務者間で協議するとしましょう」 その一言を、提督は発する。それに対して、馬淵中佐は不承不承、という様子で首を縦に振った。そのまま、彼は口を開いた。「核攻撃を行い、その後パワードスーツを突入させ、威力偵察を行う。海軍はその支援を受け持つ、でよろしいですね」 決定事項としては、その程度であった。そして、最小想定の戦力であれば陸軍、海兵隊の現有戦力で何とか勝てるが、それよりも悲観的な想定では、海軍の兵力が不足しており、深海棲艦との戦いには決定打を欠く、ということだけが各人の認識として残った。 一夜が過ぎた。それぞれの根拠地に戻った帝国陸海軍とアメリカ海兵隊の幕僚、海軍においては加賀がそれぞれの作戦行動計画を復旧した暗号化回線で協議している。その中で、提督は一人の少女に向き直る。むろん、一対一ではなく、後ろには鳳翔が控えている。状況が状況とはいえ、そうしたことに気を配る必要性は無論あるのだ。そして、その余裕が生まれた、ともいえる。黒に近い色の髪を腰のあたりまで垂らしたその少女の名は、榛名と呼ばれていた。 呉鎮守府に戻ってきたのだ。が、錯乱して暴れた時の対策として黄色のクッションで覆われた、外から鍵のかかる営巣に『部屋が無い』という理由で収容されてしまえば、いかな穏やかな榛名とはいえ、なにかある、と思わざるを得ないだろう。それが1週間は続いてみれば、なおさらだ。パイプいすに座ってテーブルごしに見る目は、猜疑に染まっていた。「さて、よく眠れたかな」「はい。あのう、春雨ちゃんは……?」 鳳翔に目くばせをする。一拍おいて、彼女は口を開く。「大丈夫ですよ。元気そうでした」 それ以上何か問うつもりか、と鳳翔は目で語って見せている。どうにも、やりにくい、というように、榛名は身じろぎして見せた。「えっと……あの……。姉さまも居るって山城さんから……」 余計なことを、と舌打ちしかけ、提督はこらえた。引き合わせるべきかどうか迷っている段階で、こういう事をやられてしまえば隔離し続けるか、引き合わせてしまうか。いっそ殺すか。とも考えるが、決断がつかない。負傷した吹雪の接合手術後の面倒を見る、という事で多少落ち着いてはいるが、金剛の精神状態はけっしていいものとは言えない。なにより、目の前の少女が、榛名が深海棲艦から出て来た、と言っている始末だからだ。ばかげた話ではある。 それを非現実的だ、と片付けられれば、よほどよかった。だが、複数の報告の末に、どうやら「艦娘」は「強力な深海棲艦」に成ることがあるらしい、という推論が成り立っている。本当に、ばかげた話だ。「えっと……?」「鳳翔。例の件を話す」「え……?」 それを聞いて、鳳翔は本当に意外だ、という声を上げる。当たり前だ。こんな状況でなければしゃべるものか、と今度は舌打ちを隠さない。「金剛と引き合わせる。君を第二艦隊に編入し、戦ってもらう事となるだろう。だが、君には話しておくべきことがある。君自身にかかわることだ」 一息に告げ、続ける。「これから話すことは金剛と大和、山城に……ああ、最上は事情を知っている。だから彼女たちに話すのは良い。だが」 一拍、置く。「他の者の口から聞こえてくれば、君を始末する」 まるで今日の昼飯の献立を告げるような口調に、自分の物言いながら嫌気がさす。そう提督は考えた。榛名は、目を見開くと同時に、驚き過ぎても居ない。ああ、だからか、と言うような風であった。頭は悪くない。これは厄介かもしれないな、と提督は考え、息を吐いた。「深海棲艦とは何か」「私たちの敵です」 模範解答だな。と口の中でつぶやく。「では、君は自分が深海棲艦であった、と言われて、信じるか」「……おっしゃっていることの意味が理解できません」「ふむ。そうだな」 顔を赤くして、眉間にしわが寄っている。なるほど、落ち着いているように見えて激情に駆られることが多いタイプか。と考える。姉の金剛に比べれば、表に出ている感情を包み隠すのが上手いのだろう。金剛は動揺と怒りをあらわにし、傍目にも分かるほど動揺をしていた。 そして、頭が良いだけに、そう言われる理由もわかるのだろう。なぜなら。「君の行動には欠落が見られる。赤城、加賀を護衛していた駆逐隊を救援するために戦艦タ級と戦闘を行った記録はあるが、そこからは空白だ。その間何をしていた」 この言葉を聞いて、榛名は音を立てて立ち上がる。椅子が倒れ、金属がぶつかる音を立てた。「それ、それは……っ」「合理的な説明ができないのであれば、君は無許可離隊に問われることになる。なにより、機関も兵装も、君自身も全くの無傷だからだ」 そういって、提督は横を向く。その方がよほどよかったのだが、とつぶやいてしまう。え、という問いの声を無視して、榛名の金の瞳を睨み据え、告げた。「君は深海棲艦だった。だが、それを覚えていない。それはいいが、金剛は深海棲艦だったことを覚えている。君を深海棲艦にしたのは、つまり殺した蓋然性が高いのは金剛だ」 がちゃん、という音。榛名がへたり込み、うそだ、と口が動く。覚えていないのだから、当然だ。当然ではあるが、しかし。 ばかげている。本当に、ばかげている。毒づきたいのをこらえながら、提督は、とどめの一言を言った。「嘘などついてどうする。立て。お前には戦ってもらう」 くそったれ。そう毒づきながら、提督は榛名の腕をつかみ、立たせた。