「待て、どこへ行く」 ブローニング・ハイパワーのグリップをぐ、と握りながら、トリガーに指をかけて、摩耶にそれを向ける。振り向いた摩耶は、信じられないものを見る顔をしていた。「おい、提督、どういう意味だ、それは」 加賀はじ、とこちらを見て、曙は潮に袖を引かれ、山城は摩耶を止めようとしている。鳳翔の表情は、読めない。防空壕の中で銃撃戦を始めようとするとは、いよいよ俺も正気ではないようだ、と提督は苦い思いを噛みしめていた。「決まってる。決まってるだろ! 空爆を受けているんだぞ! 摩耶様の出番だろうが!」 腕を振り、怒気を露わに摩耶は言う。何のために私がここに居るのか、といわんばかりに、怒りで顔が歪んでいる。「出番を決めるのは俺だ。座れ。これは命令だぞ」 再び、グリップを握る手に力を込める。そうとも、わかっているとも。お前の出番も、お前たちが戦うべき戦場はここだとも。道理としてはそうだ。呉の市民20万を見捨てる選択をする。それはお前たちが許せないことであるとも。理解もしている。そして唾棄もしている。「座れ」 だが。指揮官として、提督はその道理を通すわけにはいかなかった。余計者艦隊 第六話 White widow 時は、数時間前にさかのぼる。選抜した警察官と、同じく各部署から引き抜いたもので組織された陸戦隊による暴動鎮圧に向けた合同訓練を巡察した後、提督は憂鬱な思いに駆られた。加賀が仮眠をとるため、隣には秘書官として鳳翔がついている。業務をそつなくこなしながらも偵察任務をこなしており、この人は出来る人だな、と寝不足でぼんやりとした頭で考えた。「提督、仮に爆撃を受けた場合、彼らを地下司令部に収容することになると思いますが、その手続きについて加賀から報告を受けましたか?」「……ン、いや……何か問題でもあるのか」「あそこは機密区画です。ですから……」「ああ、そのことか」 提督は頭を叩きながら、思い返す。一応は問題がないため、許可証を発行した、ということだった。そこまでは覚えている。「警察の連中、パワードスーツも運び込んでいたはずだが」「燃料パッケージはこちらで押さえています。不満は出ていましたが」「内応されちゃあ、たまったものじゃないからな」 誰が敵か味方か、それがもはやわからない。難民の中に家族が居るものももちろんいるし、逮捕者が親類から出て、打ちのめされた者も居る。家族を特別扱いしない、というより、そんなことが「もはやできない」のが現実である。提督と呼ばれ、水と電気だけはまともに使えている彼とて、缶飯の連食で若干体調を崩してきている。温食の類は優先的に避難民に回しているのは、反乱抑止である。艦娘が最優先、次点が避難民、その下が海軍の兵であった。業務効率が上がらないことおびただしいが、決死隊を組織して、なんとか食糧を運び込む、と言ったことまでやっており、指揮統制艦である「ブルーリッジ」はその任務に現在就いていた。護衛に電と最上がついていて、今のところ順調だ、という報告が上がっている。幸い、尾道や岡山での食糧の買い付けは「平和裏」に行われた、とのことだった。皮肉なのか、果たして本当に平和裏に行われたのかは、判断がつかない。 そのことをふと漏らすと、鳳翔は微笑から表情を動かさないまま、言った。「……作戦発起前にこのような形で油を消費していいのか、と加賀は反対していましたね」「先のことを考えなきゃあいけないんだ」 そうだ。先のことを考えなければいけない。勝ったらどうする。勝った場合何をするべきなのか。必要なのは次の作戦だ。そのためには物資が必要で、物資の調達先が必要なのだ。 最低限鉄道網が復旧し、広島県県北との流通が復旧すれば、食料品などの補給は調達が見込める。下関については、米軍側報告によれば、制海権は敵のものだ。航空偵察によれば、佐世保鎮守府は活動をしている、という報告があった。神戸、大阪に代表される京阪神については、未確認情報ばかりで何とも言えない。四国については陸軍の情報で、死者多数ながら何とか押し返した、というところまではわかっている。そして、海軍とともに淡路島を攻略する作戦を発動させる予定である、との連絡があった、と第五師団、すなわち広島からは連絡を受けていた。海軍の量子リンカはズタズタだが、陸軍は主攻撃目標ではなかったためか、ある程度の連絡網ができている。ただし、それにしても、東京とは連絡が取れていない。淡路島奪還作戦には横須賀の艦を割いているのだろうか、という推察ができるのみである。 海軍の動きを陸軍や他国軍から教えてもらう情けなさを感じないでもなかったが、しかし。 勝たなければならない。何を犠牲にしても、勝たなければ死が待っている。要塞たる呉鎮守府が、墓標になる。ぜいたくな墓場ではあるが、ありがたくもない話であった。 鳳翔は加賀と交代し、割り当てられた自室のパイプいすに腰掛け、目を閉じる。はあ、とため息をついた。先のことを考えなきゃあいけない。そう、提督は言った。「……先のこと」 懐から、手紙を取り出す。それを開こうとして、鳳翔は手を止めた。先のこと。婚約者である、あの人が足を失った時のこと。「どうして」 思わず、その言葉を口に出す。指に力がこもる。くしゃり、と紙が音を立てた。「どうして……」 そして、先のことを考えなきゃあいけない、そういって、その次の日にはこの手紙を残して、梁に渡したロープで首をくくっていた時のこと。「どうして……!」 読まないほうがいい。そう言われたにも関わらず、手紙を開いた時のこと。「どうして、あの人と同じことを言うの」 先のことを考えなきゃあいけない。そう言っていた彼が『僕は、君が憎い』と震える指で記していたことを、知った時の、すべての力が抜ける感覚。それを彼女は思い出した。何もかもが、抜けて行ったことを、鳳翔は覚えている。空母艦娘を生き残らせるために厳しく接する、という義務感。仕事への熱意。その他のすべてが、するりと抜けて行った。 ただ、残ったのは、笑顔で常に接する鳳翔という名前の何かであった。自然と笑い、教官として訓練を行い。ただ、生きているだけの何かだった。 提督と呼ばれている少佐と、婚約者は似ても似つかない。だが、思いつめたような眼だけは、ひたすらに似ていた。そのことが、ひたぶるに鳳翔の心をゆすった。「……」 手紙を、再び開く。『僕は、君が憎い。』 そう、震える字で記されている。墨がぽたぽたと垂れており、書くかどうか、迷ったような形跡が、うかがえた。そして、続けて、次の行を読む。『僕が悪いのはわかっている。君に迷惑がかかっていることも知っている。憎むなどと言うのはお門違いで、君に感謝しなければいけない立場で、事実僕もそう思っている。そう思っている。思っていたのだ』 迷惑だなんて思っていない。そんなことは考えていない。そう目の前に居たらつかみかかりたいのを、鳳翔はこらえながら続きを読む。『だが、それでも、僕は君が憎い』 ぽたり、と涙がこぼれる。どうして。そう問おうにも、相手はすでにこの世に無い。『僕が足をなくして、君が支えてくれたことはわかっている。だが。僕はそれに耐えられない』 は、と嗚咽がのどの奥から出てくる。『僕がこの手紙を書く動機が醜怪なものである、ということも、わかっている』 手紙を、震える指で握りしめて、最後の一文を、読んだ。『すまなかった』 どうして。と思わず鳳翔は手紙を握りしめた。どうして、謝るの。そう、声を殺して、鳳翔は泣いた。 周防大島の南部、安下庄港で、飛行場姫はに、と笑った。溶融したアスファルトのような『滑走路』に足を浸し、そして。それを蹴上げる。踊るようにしているうち、ぞる、と航空機が形を取り始めた。中学校のあったあたりまでを覆い尽くしている、じぶじぶと湧き上がるそれは、何を『素材』にしているのか、おおよそ考えたくもない代物である。黒い蝙蝠のような翼系を、ぬらり、と輝くその体で形作り。「フフ」 深海棲艦の、飛行場姫の口のような器官から、笑いが漏れた。笑いと呼ぶには、あまりにも凄惨なそれを正視することは、尋常な精神の持ち主には不可能である。何に喜んでいるのか。言うまでもない。かつてここに住んでいた者たちが「自分の操り人形となっている」という事実に、である。良いように彼女の怨念の源泉を使い続けた人を、虐げ、組み敷き、溶融させて尊厳を蹂躙する、という快楽である。「アハ」 ああ、何とも愉快なことか。人は知らない。いや、知ってはいるのだろうが、正視はしない。自分たちの壊している『敵機』が一体何なのか、を。見ないつもりならば、それでもよい。だが。「アハハハハハ!」 呪われた舞踊は続く。しぶきの一つ一つが、彼女の意志を、彼女達の怨念を受け止め、染まっていく。そのステップが狂騒の域を踏み越えた、その瞬間。「行ケ」 手を、振った。雲霞のごとき機が、彼女の回りを飛び立つ。ウォークライを発し、それに歓呼する。「……邪魔、ナ」 紫電改が上空を旋回し、こちらを監視している。そして、その中に宿る『妖精』ともいうべき量子のゆらぎを、飛行場姫は観測した。怯え、義務感、その他のものがカクテルされた、混乱を示している。に、と指さし。「はっ……?!」 艤装側から、起きろ、という信号が発され、鳳翔は跳ね起きる。なんだ、今のは。「え……え?!」 飛ばしていた航空機などでは知りえない情報が、彼女の記憶には残っている。深海棲艦の『考え』が焼き付いているのだ。そうして。紫電改に搭載された量子ハイパーリンカから、撃墜されるまでの情報がトランスポートされる。「敵航空機、呉ヘノ進路ヲ取レリ。襲来スルモノト認ム」 その電文を認識した途端、鳳翔は走り出した。「始まった……!」 そう。始まったのだ。周防大島に居る、深海棲艦の攻勢が。