「なんか、気味悪いね……」
「…………」
鼓膜を貫いてくるほどの静けさ。
怯えたソノラの声が辺りにただ反響し、そしてすぐに静寂の中へ飲み込まれていった。
識得の間。
遺跡内部において比較的浅部に位置する開けた空間。薄い紫紺の色取りで装っており、存在感を示す巨大な装飾が部屋の隅々に施されている。瞳にうつる頭上側面床地の紫紺は神秘的であり、また不気味。
この場に身を置いていれば、嫌でも神経を尖らせてしまう。
遺跡の入口──識者の正門──にてアティさんが「剣」により門を開放。
「剣」の気に当てられた亡霊達、過去の戦で絶えた囚われの魂を撃破し俺達はこの識得の間まで侵入した。
遺跡へ足を踏み入れるのは島において禁忌、タブーだ。護人はおろか集落の者達にも協力は得られない。ばれてしまえばそれ相応のペナルティは免れないだろう。
それ故の隠密行動。島の住人以外の者達で目的を実行しなければいけない。
限られた仲間達しかいないことが、酷く心細く思える。十分といえる戦力が確保出来ているにも関わらず、他の仲間達がいてくれれば、と意味のない願望を抱きあげてしまう。
胸中が勝手に引き起こしている無様な緊張感に、俺は強いられていた。
「サプレスの魔方陣とメイトルパの呪法紋、シルターンの呪符に組み合わせ、それら異なる力をロレイラルの技術で統合制御している。……これは」
ヤードが険しい視線で目の前の装置──台座を睨めつける。
聖王国、旧王国、帝国、どの大国にも存在しないだろう超技術体系。四界全ての術を融合させたこれを、もはや技術と呼んでいいのかも解らない。
明らかなエルゴ──界への挑戦。
この装置単体で、魔力を好きなだけ引き出せる上に、目的に応じて魔力の属性を変換することも可能としている。
優劣を捨てて、もたらす結果だけを見るならば、これは人ならざるエルゴの王の具現だ。
「剣」と同じように。
眼前の装置には多様な様式の設備と外装が編み込まれ、部屋の雰囲気と相まってまさしく異界の様を曝け出している。
互いを絶妙のバランスで調和しているそれは、見事の成り立ちで一種の芸術に昇華しているにも関わらず、根本から相成れることのない不協和音を奏でていた。
これにいい「思い出」なんてない。
正直吐き気がする。今すぐぶち壊してしまいたい。
それが叶ったら訳ないのだが。
「で、これからどうすんだよ?」
「多分、この台座に『剣』を挿せばいいと思うんです」
装置を前にして顔を引き締めるアティさん。
その姿には一種の覚悟がありありと滲み出ている。毅然としているその様はとても力強い。
……が、それでも不安は拭えない。
これまでの順調過ぎる経緯は全部仕組まれているもの。
彼女の思惑の内であることは明白だ。
──そして、これから起こる出来事さえも、予定調和。
ぞっとしない予感と共に嫌な寒気が背中を走る。
見えない相手がここまで怖い存在だとは思わなかった。厄介極まりない。
何より、余裕がないこの状況を引き起こしている一番の理由は、中途半端に詳細を知ってしまっている「俺」の記憶のせいだ。
思い切りのいい行動を起こせない。今までにはなかった“待ち”の態勢に、自ら追いやってしまっている。
情けない。勝手に進む状況に流されている自分が、あり得ないほど情けない。
なんて体たらくだ。
「……ヴァルゼルド」
『周囲にはマスター達以外の反応はありません』
落ち着かない自分を誤魔化すようにヴァルゼルドへ周囲の確認を促す。
先程問うた時と同じように、異常は無し。周囲に怪しい人影は見られない。
だが、その報を聞いても気休めにはならず。
何度も確認しておいた所で無駄だと悟っている。アルディラは融機人、その気になればロレイラルの技術であるヴァルゼルドのセンサーを誤魔化すことくらいやってのけるだろう。
恐らくは、いる。
「じゃあ……いきます」
抜剣に踏み切るアティさん。
深い碧の魔力光が放たれ、白装束を身に纏い異形と化した彼女が現れた。
「………………」
真っ白に染め上がった髪と肌。色素の抜け落ちたそれらは彼女の温かみは感じさせてくれない。
膨大な魔力を引き連れ台座へと進む姿。一歩一歩踏み出すその一時が、今にも罅割れそうな危うい光景として映る。
光を湛える薄緑の瞳。曇りのない透き通った眼は、本当に戻ってくるのだろうか。
「えっ……?」
「────」
気がつけば、彼女の手を掴んでいた。
「ウィル君……?」
「…………」
此方に振り向いた、見開かれている瞳。
驚いている彼女の双眸へ、自分でもよく解らないこの行動を説明する術がない。掛ける言葉を無くす。
ただその代わりに、冷たくなっている彼女の白い手を強く握りしめた。
「…………大丈夫ですよ」
彼女は笑顔を落とす。
前に見た浜辺での笑み、柔らかく綻んだそれを俺に向けて安堵を預けてくる。真っ直ぐに此方を見詰めて。
消えない迷いはそのまま、ただ彼女の笑顔を心に投影し、握り返してきた彼女の手をそっと手放した。
「ちゃんと、戻ってきますから」
笑顔のままそう口にして前に向き直る彼女の背を見ながら、自分自身に誓約を刻む。
絶対厳守。何があってもこの誓約は守られる。他ではない、己が決めた。
彼女は、奪わせはしない。
然もないと 10話(下)「もつれあう真実と修羅場」
アティが台座の前に立った。
「剣」を構え、封じられた鍵を今解き放とうとする。
ウィルはその光景から片時も目を離さない。
意識は正面に収束。「遺跡」からアティへ浸食の兆しを見極めた瞬間、速攻でそれを阻む。
そして自身の第六感は周囲へ。
経験に基づく危機察知に、天性の勘ともいえる本能的感覚を外からの干渉全てに注ぐ。此方への足止めおよび不意打ちを全て捌く所存だった。
一秒時間を稼げればそれで十分。アティを「遺跡」から遠ざけるには事足りる。
浅く息を吐き、ウィルは眼前の事象だけに自己を埋没していった。
深緑の瞳でアティの一挙一動だけを見据える。
先を下に向けられた「剣」。それを振りかぶる彼女の腕。未だ沈黙を貫く装置と周囲の空気。
極限下における集中。
幾つも束ねられた意識の弦は、時間の流れを度外視して遅延をもたらす。秒における視界の情報が、夥しい回数をもって逐一更新されていった。
切り離された世界の中で、ウィルはアティが振り下ろした「剣」の動きだけを追随する。
そして、ゆっくりと「剣」が台座へと吸い込まれ、
「おいで」
「────」
同刻、時を凍結させる呪言が投下された。
「ジップ・フレイム」
赤銅の鎧に身を固めた機械騎士。
ロレイラルの召喚獣「フレイムナイト」が音もなく現れ、右腕のファイアバーナーを振り上げた。
そして、放炎。
「離れろーーーーーーーーーっ!!?」
紅緋色の炎が陽炎と共に世界を焼き尽くす。
荒ぶる燃焼の渦は、一瞬にしてカイルの怒号を飲み下した。
火の粉が舞い上がり、具現した猛火が空気を貪欲に喰らう。付近にいた全ての者が火に煽られ、絶えまない熱波が押し寄せてきた。
(──────!!?)
前触れを捉えた瞬時に駆け出そうとしたウィルだったが、本能が総動員して身体を停止、アティとの間に短くも遠い絶望的な距離が生まれてしまう。
周囲被害を度外視した上級召喚術。アティが範囲内に含まれているにも関わらず放たれた一撃。足止めレベルではない、殲滅の領域。
「ちょ、ちょっと!?」
「何がどうなってやがる?!」
「せ、先生!? 無事っ!?」
「……っ!!」
やられた。
視界を橙色に染める炎を前にして、ウィルの顔が驚愕と苦渋に歪む。
「遺跡」との接続を優先させるだろうという此方の思惑を裏切って、“彼女”はアティを巻き込むことを厭わず周囲の不安要素一蹴を選択した。
行動を許さないこれ以上のないタイミングに、打開を一切握りつぶす極手。
自分達の撃破を主軸に置いて更にアティを完璧に隔絶、強引に孤立させて此方から引き剥がしたのだ。
立ちはだかる炎の壁。
膨大な熱量が肌を叩き、口と鼻腔を通り身体の内を焦がしてきた。
まるで霊界にあるとされる奈落の底、獄炎風景。
目をやられぬよう腕で覆いながら、ウィルは炎の奥を必死に見定める。
そして、それを見てしまった。
「ああっ、ああああああああアアアあアアアアアアアアアアアアアアアァァァぁぁァっ!!!?」
光輝く黄金の膜。外界を隔つ、「遺跡」による絶対領域。
その牢獄に閉じ込められ、つんざかんばかりに叫喚するアティの姿。
「くそったれっ!!」
対の目が彼女の悶え苦しむ姿を映し出すと同時、ウィルは悪態の叫びと召喚術を投げ放った。
「テコ」の使役による「召喚・深淵の氷刃」。下からせり上がる氷柱が、炎の規模に押されながらもその暴挙を収めていく。
未だ揺らめく炎の壁。混乱に陥っている仲間達。それらに脇目も振らず、ウィルはその場から一気に駆け出した。
「アクセス」
ウィルの視界に炎が迫る一方で、濁った瞳をしたアルディラがコマンドを入力する。
重複する起動音と共に、装置周辺に施された外装がバクン、と音をたてて開口した。
「なっ────」
「ターゲット・ロック」
視界前方奥、一斉に姿を現した兵器の数々にウィルは言葉を消失させる。
識得の間における主要部分、「遺跡」中枢への連結装置を守るように出現したそれ。装飾、天井、壁面、至る部位がスライドし、漆黒の兵器が外気を浴びる。
アティを取り囲む無骨な銃群が、闇に染まる砲口をウィルへと向けた。
「フルファイア」
「──────ッッ!!?」
砲声が猛る。
出鱈目な音響が重なり合い、破壊の旋律が間を埋め尽くした。
「きゃあああああああっ!!?」
「アルディラッ、てめえッ!?」
有りっ丈の力で身体を横に薙ぎ飛ばし、ウィルは弾丸の雨を回避。
標的を失った弾丸はしかし、そのまま後方にいたカイル達へと降り注ぐ。
彼女の手により、この場を完璧に掌握された。
(聞いてないぞ、こんなのっ!?)
間断なく放たれる銃弾を紙一重で往なす一方で心臓が暴れ回る。
明らかな「過去」との相違に、ウィルの心中は穏やかではないどころか驚駭と焦りで燃え上がっていた。
「あっ、っぁぁあぁ、ああああああああああああっ!!?」
「ちょっとっ、何がどうなってるのよ!?」
「解りません!! ですが、アティさんを助けなければ絶対にまずいっ!」
「でもこんなのっ……!」
『迎撃装置多数、尚も増大中!!』
「近付けねえ……っ!!」
弾丸と怒号の交錯。
カイル達はぎりぎりの所で弾を往なすが、攻めへ転換する契機が見出せない。
ソノラとヴァルゼルドが己の銃で応戦するも、それも焼け石に水、放たれる弾幕は一向に衰えることはなかった。
「うぁ、ぎっ、ぁぁああAAAAAaaaaああああAAAAああ……っ?!!」
(読み込みが始まってる……!?)
耳を塞ぎたくなるような発声と言葉の羅列。
悶え苦しむアティの姿から、もはや最悪の秒読み段階に突入したことをウィルは悟る。
このまま「遺跡」がアティの人格をダウンロードし書き込みの作業に移れば、彼女はもう助からない。
「アティ」という魂は永遠に破棄され、完璧な「継承」が遂行される。
つまり、新たな核識の誕生────「遺跡」の完全復活だ。
「くっ!?」
だが、どうすればいい?
荒れ狂う現状は自分達を拘束して離さない。当初予定していた一秒などという猶予、この場で確保するのはほぼ不可能。
予断を許さないにもかかわらず、行動を制限されている。
黒鉄の一線がウィルの顔を掠め、頬から血がじわりと滲み出していった。
「っ!? ソノラ、危ない!!」
「えっ? あっ────」
何時の間に現れたのか。
既存の兵器と一線を画した大型の火砲がソノラに狙いを定めていた。
悲鳴に近いヤードの警告、だがそれはすぐに砲口の雄叫びにかき消されることとなる。
「っ!!?」
ウィルも気付くが、既に遅い。
膨大な熱の塊はソノラへと差し迫り────
『アアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』
────粉砕。
剛気一閃。
炸裂する光と音の直前に振るわれた大銀の斬撃。
あろうことか、銀の光は灼熱の火球を粉々に打ち砕いた。
「…………へっ?」
「大丈夫ですか、ソノラさん?」
弾道とソノラの間に身を滑り込ませた大柄の影は、襤褸けた外套を生じた風圧になびかせる。
白銀の鎧騎士、ファルゼンは背後にぽかんと佇むソノラに透き通るような声で安否を尋ねた。
「え? あっ、だ、大丈夫だけど……ファ、ファルゼン?」
「良かった……」
安堵の音色に満ちた声が罅割れている鎧より漏れる。
いくら防いだといっても眼前で破裂した砲弾はその余波によりファルゼンに少なくない損害を与えていた。傷付いた鎧の破片がぼろぼろと地面に転がっていく。
やがて零れ落ちた破片は魔力の粒となって大気へと散華し、またその紫紺の舞いに呼び出されるように、白銀の鎧が解かれ一人の少女が姿を現した。
「……あっ」
顕在した少女──ファリエルをソノラは呆然と瞳に映した。
驚きに目を丸くするその表情を見てファリエルは少しの苦笑。
仕方無い、と思うと同時に一夜限りであった友の繋がりを寂しくも感じる。
記憶がある筈ないのだから、望むのは間違っていると分かってはいるのだが。
胸を過る微かな寂寥を振り払い、ファリエルは顔を上げる。
すぐにウィルを見つけ、目を見開いている表情から一気に脱力するその様に笑みを浮かべ大丈夫だと告げた。
「ウィルッ、みんなと一緒にアティを! 彼女は、私が!!」
「……いいのか?」
「……はい!」
これだけは、自分の役割だ。
力強い頷きで返答し、ファリエルはウィルに自分の意思をそれに乗せた。
彼もそれを見届け頷き返し、そしてすまないと視線でファリエルに詫びる。
未だ状況を掴めていないカイル達を促し、少年はアティの元へと駆け出していった。
「フレイズ、ウィル達を助けてあげて」
「心得ました!」
同伴してきたフレイズが上空より飛び交う弾丸の中へ身を投じる。
後は彼等を信じるしかない。信頼をウィル達に預け、ファリエルは自分の為すべきことだけに集中する。
「ファリ、エル……?」
「──────」
背中に投げられた呟くような声に、ファリエルは一瞬動きを止めた。
耳を通して伝わってきたソノラの言葉が胸へと落ち、それを理解するのに縮小された体感時間で暫時を要し、やがて湿っぽい何かが広がっていく。
「……先へ進んでください、ソノラさん」
「あっ……!」
顔を僅かに向け微笑を送り、そして疾走を開始する。
返事はせず、彼女の声に答えることはしなかった。
────ああ、嘘みたいだ。
再開した動きの中で熱に囃したてられ、それに浮かされるように瞳が潤いを纏う。
覚えていてくれたのだ。例え夢のような朧げな残滓でも、ソノラはあの夜の思い出を抱いてくれていたのだ。
今度向かい合った時は、もう一度友達になろう。
勝手な約束、けれどとても大切な約束を胸に、ファリエルは双眸をあらゆる決意で固めた。
そこにはもう水で濡れた跡は見られない。
「っ! スクリプト────」
「させない!」
「!?」
閃光。
右手に凝縮した魔力をアルディラに叩きつけ、コマンド入力を阻止する。
咄嗟に張り巡らされた魔抗壁が紫紺の光波と衝突し、激しいスパークが巻き起こった。
「ファリエル……ッ!!」
「過去は、兄さんはっ、戻ってこないよ!!」
吐き出されるのは万事の感情を込めた叫びだ。
明滅する光を浴びるアルディラの顔を見据えながら、ファリエルはありっ丈の想いと力を注ぎこむ。
願望と現実の狭間に苦しみ、過去を映し出す鏡(じぶん)を前にして歪む彼女の相貌を、心底からの言で叩き飛ばした。
「もう悪夢に囚われないで、義姉さん!!」
「ヴァルゼルド、あれを黙らせろ!」
『了解!』
迎撃兵器を沈黙させようと奮起するフレイズの援護にヴァルゼルドを送り出し、ウィルはアティの元へと辿り着く。
歯をあらん限りに噛み締め苦悶する彼女の前には、金色の絶対領域が未だ存在している。
「遺跡」中枢からの共界線、膨大な魔力を用いて展開されているこの魔障壁を突破するのは困難に尽きる。
同等の出力を備える「剣」でも用いなければ取り払うことはまず出来ないだろう。
(時間なんてかけるか!)
元よりこの障壁を抜くるもりはない。
カイル達が魔障壁をどうにかしようと躍起になるのを横に、ウィルは己の精神を研ぎ澄ませる。
「剣」に接触した際にまいた種、最悪を予期しての対抗策を切った。
(繋げっ……!!)
「剣」に自らの意思を介入させる。
あのイスラ反乱の折、ウィルは「剣」へ我を割り込ませることで行使権利を無理矢理構築させた。
補助ユニットの名目で「剣」へ干渉する術を確保したのだ。
「レックス」の時と同じ要領で「剣」の機能を阻害、もしくは完全に支配下に置く心算。
「遺跡」からの逆ハックに晒されていた「今あの時」とは違う。負担を背負わされていない今ならば書き込みも止めることが出来る筈。
ウィルは自己を「剣」へと埋没させた。
────照合確認
────資格保有
────条件達成
────アクセス認可
────…………緊急コード、承認
────オートディフェンサ、作動
『!!?』
弾き、飛ばされた。
「────づっ!!?」
脳髄に激しい衝撃。頭を盛大に揺さぶられる。
「剣」内部へと干渉しようとした正にその瞬間、光壁がウィルの我を阻みそのままはね返した。
干渉を拒絶された状況に混乱をきたす。何が起こっているのか全く理解が追いつかない。
(まさ、か……!?)
反動によりぶれる思考と視界を抱えながら、ウィルはアルディラにばっと顧みる。
青と紫の光に照らし出される彼女の表情には余裕の欠片も見られない。ファリエルと相対して防御に構うのが精一杯だ。
しかし徐にその空虚な瞳が此方へぐるりと向けられた。
その暗色に染まった平坦な瞳孔を見て、ウィルは愕然として悟る。
────手の内を、読まれていた?
クリプスに張られた魔力隔壁。アティを今閉じ込めている魔障壁のように、外部からの干渉を全て寄せ付けない。
直接接触を阻む対物理障壁に加え、精神介入も断ずる対魔力障壁。
後者は明らかに自分に対する防衛策。先を見透かされていたというのか?
万が一の保険も打ち砕かれ、ウィルの思考が瞬間的な停止を余儀なくさせる。
舐めていた。アルディラの理知を、あの黒く淀んだ果てしない狂気を。
自分は、彼女の抱き続けていた秘奥の渇望を、計り切れていなかった。
「あ、ぐっ、ぁ、A、A、aaぁaaあアアAAAあAAAぁぁAaaaあアアアああaアアああAあっ、ぁ、あ゛…………」
身体中に碧色のラインを走らせるアティより壊変の音が絞り出されていく。
刻々と迫る崩壊という名の終曲。「剣」に浸食された身体は噴き出す魔力と共に波打つように跳ね、その度に瞳が大きく見開かれた。
幾重にも折り重なる禍々しい碧の刻印。妖艶の輝きを放つそれが、まるで手を這わすかのように、ずるりとアティの頬を食らい伸びていった。
「冗談でしょ……っ!?」
「堅過ぎるっ……!!」
「くそがぁあああああああああっ!!?」
斬線が、召喚術が、拳打が、あらゆる干渉が阻まれる。
アティを内包した半球の膜は微動だにしない。カイル達の惨澹な叫びが焦燥を貫き、無作為に残響していった。
(どうする、どうする、どうするっ!?)
このままでは到達するであろう惨状。頭をもたげ待ち構えている最悪の結末。
血液と情動の激流が体中を猛り狂う。汗が吹き出し、喉が枯れ、鼓動が喚き叫んだ。
(どうすればいい!?)
金色と碧、現実と共界線に張り巡らされた二重障壁。
突破は適わない。干渉も拒絶される。除去は元より不可能。
彼女を、助けられない。
(ふざけんなっ!)
脳裏を掠める光景を罵倒と共に押し潰し、神経が焼き切れるほどに思考を行使。あらゆる手段を模索する。
技術と経験、身に埋まる全ての知識を掘り起こしていった。
(「俺」の時は!?)
「自分」はどうやってやり過ごした?
「過去」における「自分」は、この状況をどのように切り抜けた?
「レックス」は、一体どうして助かった?
(「俺」の、時は……っ!!)
「自分」は、「あの時」、閉じられた闇の世界の中で────
【嘘つきに────】
────声を、聞いた。
「っ!!」
ばぁん、と魔障壁へと身を打ちつける。
両手を金色の壁に貼り付け、顔をぐっと押し寄せた。
目と鼻の先に、隔たれている僅かもない境界の奥に、顔と顔が触れるか否かの距離にいるアティに、ウィルは声を張り上げた。
「何やってんですかっ、先生ッ!!」
記憶の淵で喚起されたのは少女の声。
塗り潰されていく「自分」に届いたのは、気弱で照れ屋で、とても強かった、一人の少女の声だった。
「奇行走ってないでさっさと正気に戻ってください!! どこまで天然発揮すれば気が済むんですか、貴方はっ!!」
芯の籠った声。懸命に呼び掛けてきた声。涙に濡れた、かすれた声。
自分を繋ぎ止めてくれた、あの娘の叫び。
忘れはしない、彼女の心の吐露。
「大概にしないと僕怒りますよ!? 切れますよ!? ぶん殴りますよっ!? 修復不可能などぎつい噂、島中にばらまきますよ!? いいんですかっ!!」
胸を過るのは確かな不安。
こんな自分の声が彼女に届くのか?
自分の声なんかに、彼女は応えてくれるのか?
果たして、自分にあの娘のような芸当が出来るのか?
「冗談じゃ……ないっ!」
違う。
「貴方が消えるなんて、そんなことっ!!」
出来るかではない。やるのだ。
彼女が目を開けてくれるまで、ずっと、何度でも、呼び続けてやる。
「あの時」聞いた声を、届いてきたあの娘の叫びを────今度は、自分が。
「目を開けてください! つうか、開けろっ!!」
【目を開けてください! 先生っ!?】
「言ってたじゃないですか!? 僕のこと、ちゃんと見てくれてるって!」
【約束したでしょう……!? 私のこと、ずっと守ってくださるって!】
「僕は一人じゃないって、そう言ってくれたじゃないですかっ!?」
【絶対守ってくれるって、先生おっしゃったじゃないですかっ!?】
「嘘だったんですか!? あれ全部、ただの気休めだったんですかっ!? 僕を慰めるだけの、その場凌ぎだったんですかっ!?」
【破っちゃうんですか!? 嬉しかったのにっ、先生の言葉、私っ……本当に嬉しかったのにっ……!! 】
「無責任な嘘なんてつかないでください! あのふにゃけた笑顔で……っ、平和そうで、馬鹿々しい、あの子供みたいな笑顔でっ、そんなことないって証明してくださいよっ!!」
【消えないでっ、居なくならないでくださいっ!! いつもみたいに、笑顔を見せてください!? ほら、目を開けて、私に……っ!】
「先生……っ!」
【お願いだから……っ】
「嘘つきに、ならないで!!」
【嘘つきに、ならないでっ……!!】
「うっ……!! ──────アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」
光砕。
裂帛の咆哮が障壁の内より放出され、硝子の割れるような音と共に金色の破片が舞い散った。
眩い閃光。眼前で飛散する光片にウィルは思わず目を瞑って顔を両腕で覆った。
キィィンと甲高い音が鼓膜を滑って身体の内まで反響していく。
やがて、音響は細くなっていき、終にはその姿を消した
後ずさり、だがすぐに顔をあげ視界を復帰させる。
取り戻した視線の先にいたのは、碧の瞳を薄く開けて力なく佇むアティの姿。
すぐ霧散するかのように緑色の魔力が辺りの光景を包み、それが収まることで抜剣状態から解放される。
元の姿に戻った彼女は膝から折れ、地面へと引かれていった。
「っ!」
間髪いれず身体を滑り込ませ、全身でアティを受け止める。
ぼふっ、と音と共に此方の胸へへたり込んだ彼女をしっかりと抱き締め、すぐ横にある顔へ不安が抑え切れない声で呼びかけた。
「先生!? 平気ですかっ!?」
「…………ウィル、くん」
肩にもたれかかっているアティの細い声が耳朶をくすぐる。
弱々しい、けれど他の誰でもない彼女の声に、胸にじんと伝わっていく熱がこもる。
それが心からの安堵だと、ウィルは動かない頭で漠然と理解した。
「……ありが、とう。君のおかげで、私っ……」
「っ……!」
枷が外れたかのように、足から力が抜けゆっくりと地面へ身を落としていく。
アティを抱きとめたまま、両足を伸ばした状態で腰を床につけた。
「勘弁してくださいよ……っ」
「う、ん、ごめ、ん、ねっ……」
定まらない声。熱い吐息。触れるようにして胸を掴む小さな手。
確かな彼女の存在に、鼓動が応えるようにどくどくと打ち震える。
肺から空気を一杯に吐き出し、彼女を引き寄せるように、背へ回した腕にか細く力をこめた。
耳元で繰り返された「ありがとう」の言葉が、首筋を伝う涙と一緒に、身体の奥へ溶けて行った。
◇
「あ、ああっ……!」
折り重なるアティとウィルの姿を見て、アルディラは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
目を伏せる姿は諦念にまみれ、喉から漏れ出す声は嘆きに満ちている。
計画の破綻。彼女が為し得ようとした願いはここに打ち砕かれた。
「義姉さん……」
「終わりですね」
崩れ落ちたアルディラの姿をファリエルは哀切の瞳で見詰め、その隣に厳しい面立ちをしたフレイズが降り立った。
身に纏う雰囲気は先程の戦闘から依然変わらぬまま、緊張は途切れていない。
彼は急ぐことのない動作で、しかし無駄なくアルディラの元へと足を運んだ。
「何か弁明はありますか?」
「…………っ」
「過去よりの掟を破り、あまつさえ島に住む同胞を危険に陥れようとしたその罪……決して許されるものではない」
顔と瞳を伏せるアルディラをフレイズは鋭い目つきで見下ろす。
淡々と罪状を言い渡す彼の姿は、本来の責である天使の役割を彷彿させた。
断罪は為されるが必定。
普段の柔らかい物腰を治め、フレイズは厳格にそう言い渡していた。
「その身をもって償いを果たすべきです」
静かに宣言を落とし、フレイズは右腕を振りかぶる。
審判の光を散らす剣が暗澹に染まった天を衝き。
そしてフレイズは一気にそれをアルディラ目がけ振り下ろした。
「ダメッ!」
「なっ────」
だが、あわやと言った所でアティがそれを阻止し。
「去ねえっ!!」
「────にぶっ!!?」
ほぼ同刻に、ウィルのドロップキックがフレイズへぶちかまされた。
アティ+アルディラの目の前から吹き飛び消えるフレイズ。
メトロノームのように上体がぶれ、床に横転していった。
場の雰囲気に飲まれていたカイル達は一斉に後頭部から汗を噴出させる。
「誰かの命を奪って全てを終わらせようなんて、絶対にダメです!」
「何やってんだよてめぇええええええっ!? 女性に手あげるなんて、そこまで堕ちやがったのか犬天使ィイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!!!」
「「「「「……………………」」」」」
何かが致命的にずれた二つの光景が繰り広げられる。
「もう生きてる意味なんてないの!」と贖罪を叫ぶアルディラに張り手かますアティ。
「ぢょ、なにっ、ぐあっ!?」と呻くフレイズに拳を注ぐウィル。
「死ぬなんて簡単に口にしないでっ!」と涙で頬を濡らしながらアティは声を張り上げる。
「裏切ったな、僕の気持ちを裏切ったな!?」と血で拳を染めながらウィルは腕を振り上げる。
アルディラの命を繋ぎ止めようとするアティの後ろ姿に胸が突き動かされつつ、フレイズを撲殺する勢いでマウントポジションするウィルの後ろ姿に塞ぎこみたくなる衝動に促される。
二極化して相反するキテレツな状況。
方向性が一切掴めない阿鼻叫喚の図。こんなもの見たくなかった。
誰かコレなんとかしてくれ……、とこの場を取り巻く被害者達は心から思った。
「……なにやってるかな」
そこに、転機。
「「「「「ッ!?」」」」」
神速の勢いで声の方向に振り向くカイル一同。
後方、識得の間に通ずる一本の通路に中隊規模の帝国軍兵士を率いるイスラが佇んでいた。
その顔はやはりというかなんというか、兎に角呆れ顔だった。
「同士討ちしてくれるかな、って思ってたけど……なんか予想の斜め上いってるし……」
どこかげんなりしてコメントを寄せるイスラ。
目に力がない。
「えっと……やる?」
一応の確認。
出来たら私帰りたいんだけど、と言外に語られていた。
「「「「逃がすかっ!!」」」」
『スマヌ……』
咆哮。
「てめぇら、今まで隠れてやがったな! 許せねえ!」
「出てこなければ良かったって後悔してるよ……」
「だけど本当に助かったっ恩に着るっ!!」
「どっちさ!?」
「アタシら海賊に不意討ちなんていい度胸してるじゃない! でもそこが素敵!」
「うわっ鳥肌たった!?」
「愛してるよイスラ!」
「お断りだよ!? ていうか君もかソノラ!?」
「私こんなんばっかかっ!?」と響き渡る少女の悲鳴。
後ろに控える帝国兵達の瞳全てに彼女への労りの念が宿っていた。
「救いもたらす彼等に慈悲の光を! 滅べぇええええええええええええええええええっ!!!!」
「ちょっ!? って、うわあああああああああああっ!!?」
『……スマヌ』
矛盾に満ち溢れた詠唱から放たれたヤード特大の召喚術。
帝国陣営に紫の閃光が容赦なく炸裂した。
後ろから聞こえてくるアルディラの泣き叫ぶ声とフレイズ殴打の生々しい音をかき消す為に手段を選んでる場合じゃなかった。
あの空間には耐えられない。
「あー、もうっ!? 期待してた展開と全然違うし!! 全隊戦闘準備!」
『はっ!』
「目標は『剣』の確保! だけどなるべくあの人達やっつけて!!」
『はっ!』
「というかみんな、お願い!? 助けて!?」
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!』
冗談抜きの少女の涙。
帝国兵達のボルテージが一瞬で最高潮に達した。
「俺達の姫に手をだすんじゃねえええええええええええっ!!!」
「守ってみせるぅうううううううっ!!!」
「イスラを泣かしたぁぁぁぁぁぁ!!」
「失せろっ、お前等が在たままだと、彼女が二度と笑えないーーーーーー!!!!」
漢達の雄叫びが轟き渡る。
決して広くない一本の通路を夥しい人数が雪崩のようになって驀進した。
実際、雪崩と相違なかった。
「上等だぁあああああああああああああああっ!!!!」
『らあああああああああああああああああああっ!!!!』
全軍衝突。
収拾は、つきそうになかった。
◇
「むっ!?」
ドゴッ、グシャ、メキッ、という拳の打撃音が塗り潰されるほどの騒音が背後から響いてきた。
凸凹になった犬天使の首襟を片手に掴んだまま振り返れば、彼方には暑苦しい程の熱気をふりまき白熱するカイル達と帝国軍の姿が。
「しまった! こんなことやってる場合じゃなかった!?」
「にゃにゃー……」
コレの行為は俺のポリシーに反する、っていうか許容範囲を遥かにぶっちぎっていたので有無を言わせず鉄拳制裁をしていたのだが……頭が真っ白になってこの展開の配慮が全く出来ていなかった。
くそっやってくれる……っ! 思わず悪態をつきながら犬天使の襟を離し立ち上がる。
べちゃ、とピクリとも動かず地面に落ちたそれはもう放置してカイル達の下へ向かった。
ワンちゃんはそこで反省! ご飯は抜き!!
「先生! アルディラと一緒にそこに居てください!! ああ、金髪のタラシはもう立ち上がれないので大丈夫です!」
「な、何が大丈夫なのかちっとも解らないんですけど……」
「兎に角そこに待機! そんな状態でしゃしゃり出てもらっても迷惑です! いいですね!」
「……はい」
顔を顰めるように眉尻を下げたアティさんの返事を聞いて、今度こそ前だけを見て走り続出す。
間を置かず「頑張って」と僅かに背中へ届いてきた声に、俄然テンションが上がった。
任せろい。
「す、すげー気だっ……!」
「ミャミャッ……!?」
『戦闘能力20000、21000、22000…………ば、馬鹿なであります!!』
(……アルディラはこいつのセンサーに何を取り付けたんだ)
迎撃装置を沈黙させ合流してきたポンコツの発言に違和が拭えない。
マッドの手によって自分の守護獣は確実に変貌の一途を辿っていた。
「と、とにかく……」
ヴァルゼルドから視線を剥がし、前へと戻す。
そこには凄まじい戦闘が今もなお繰り広げられていた。
『うおおおおおおっ!!』と野太い叫びが充満する戦場は未だかつてなく激烈だった。
高い段差で左右を縁取られている通路は帝国兵で埋め尽くされ、それの進行を阻止しようとカイルとスカ―レル、ファリエルが前方に出て鎬を削り合っている。
ファリエルはともかく、カイルとスカ―レルの動きの切れもまた半端じゃない。一人で三人くらい相手請け負ってあの破竹の勢いに対抗している。
技を越えた純粋な強さ、それがパワーだ! などと両陣営とも言わんばかりだ。
お互いの陣営から溢れる気が突風を生み出し 大気を上へ上へと押し上げていた。
魔力とかに混じって香るこの漢の香りは一体……。
「取り敢えず……くたばれっ!!」
懐からサモナイト石を取り出し召喚術を放つ。
召喚するのはドリトル。上昇した魔力資質によって扱えるようになった機属性の中級召喚術を行使。
ドリルラッシュ。この「身体」になってから初行使である。
「ウィル!?」
「ごめん、遅れた!」
一直線に帝国陣営へ突き進んだドリトルを見送ってソノラが此方に振り返る。
俺はテコ&ヴァルゼルドと共に彼女の隣へ並んだ。
「で、今どういう状況なの? なんか果てしなく男気臭いんだけど?」
「ウィルのせいでしょうがっ!!」
「は? 何で?」
「自分の胸に聞いてみなさいよ!」
自分に向けられている怒りの矛先に何か理不尽だと感じながら胸に手を置いてみる。
目を瞑って僅かな間で一思案。先程までの光景を巻き戻してみた。
…………ふむ、そうか、とどのつまり……。
「ごめん、さっぱり分からない」
「何でよ!? ていうか無自覚!?」
「あっ、分かった。あれだ、帝国さんちのクマさんが復讐に燃えてその熱が伝染してるんだ」
「超的外れだから?! しかもそれ何気に私達のせい!?」
「『劇場版エンパイアモンスター ギャレオの逆襲』近日公開」
「やめいっ!!?」
「あべっ、前売り券買うの忘れた」
「もう喋るな!!」
口を塞げ! といわんばかりにそう宣うソノラ嬢。
沸点が低いぞマイシスター。
「あーっ、もうだからっ! 何でフレイズにあんなことしたのよ!? 突拍子過ぎるでしょ!?」
「いやぁ、此処にいると嫌でも『昔』のメモリー思い出しちゃって、こう、つい……」
「此処に来たの初めてでしょうが!!」
シュッシュッ、と軽いシャドーをやってみせる俺に、思い出も糞もないだろとソノラは突っ込む。
嘘じゃないんだけどなぁ。「此処」で起こった一連の出来事を思い出してこうカッとなっちゃって……。
……クソ、本当に腹が立ってきてやがった。あの「クソ忍者」「此処」で調子乗りまくってやがって……!!
『マスター!!』
「ん? なんじゃいヴァルゼル、って、なぬっ!?」
ヴァルゼルドの上げた大声に、「過去」にメラメラ私怨を馳せていた俺は意識を現実に戻す。
そして、次の瞬間驚愕。
「む、無傷!?」
視線の先には召喚術を被ったにも関わらず、ちっとも堪えていない帝国兵達の姿が。
結構な魔力を割いたというのに誰一人として致命傷を負っちゃいない。「ふぉあああああああっ!!」とか訳の分からない奇声あげながら依然カイル達と打ち合っている。
わ、わいのドリルラッシュが!? は、初公開だったのに!? 初公開だったのに!? 大事なことだから二度言うけど、進化ドリルの初陣だったのにっ!!?
「なして!?」
目の前の光景にぶったまげることしか出来ない。
取り敢えずドリルは置いとくとして、実際召喚師でもない帝国兵達が無傷ってのはおかし過ぎる。くたばらないにしても致命傷に近いダメージは与えられる筈。
繰り返すが魔力だってかなり込めたんだ、一人や二人くらい再起不能になってもらわきゃ割に合わない。
……あのスーパーモードのせいなのか?
何が彼等を駆り立てるのかは知らないが、その源によって水を得た魚ならぬ星を得たヒゲ並みに無敵状態に……って、ざけんな。それは余りにも理不尽過ぎる。時間制限も無視だなんて許されることじゃない。
破損した鎧や若干鈍くなった動きから見るに、完璧に無傷という訳ではなく少々の被害はあるようなのだが……
「……って、そうか。『反魔の水晶』……」
戦場となっている通路の左右両端に走っている純白の大理石。
その段上には薄い光を宿す結晶体が文字通り浮かんでいて、通路沿いに幾つも連なっていた。
魔力効果緩和石。
アンチサモナイトとも言われるそれは、範囲内における魔力効果および召喚術の力を減少させる属性を有している。攻撃は勿論、回復や性質付加など魔力的要素全てが阻害の対象だ。
俺のドリルラッシュもあの水晶により威力を多大に削がれてしまったのか。
それならば帝国兵達の健在ぶりにも納得がいく。彼等が無茶苦茶な存在になったのではなく、戦場そのものが召喚術効果の薄れる環境であったのだ。
更に言えばあの通路はそこまで広くない一本道。左右均等に反魔の水晶が敷き詰められていれば、嫌だろうがなんだろうがそれの効果領域に誰しも含まれることになる。
馬鹿か。此処の地形条件を忘れていたなんて。
どうやらアティさん達のことで気を詰め過ぎて頭が上手く機能していないらしい。切り替えねば。
つまり、あれか。戦場の中心地ではほぼ召喚術は役に立たないということか。
敵の方も同じ条件だから何とも言えんが…………少しやりづらい、か?
通路の特性上で場が狭いだけに、直接相手とぶつかり合う人数は限られてくる。
取り換えがきく帝国軍はともかくカイル達には連続戦闘を強いることになってしまう。召喚術の援護、サポートが効果を発揮しにくいとなると益々まずい。
しかもあっちは勢力のほぼ全員投入しているだけに数は多いし何故か知らんが能力向上してるしその上以心伝心してるような動きを見せるし。
ぶっちゃっけ、普通に強いのだ。
くそ、とうとう人間にも忌まわしき呪いの効果が現れてしまったのか……!
普段のカイルを始めとしたスーパー無双が発動していない。このままではいずれ数の多寡がカイル達前衛にのしかかっていくことになる。
……いやまぁ、カイルとかスカ―レルも帝国兵と似たような状態になってるから、悲観することでもないのかもしれないけど。
「まだまだぁーーっ!!」とか吠えて押し負ける気配ないし。
(いや、それよりも問題は……)
視線を主戦場より後方、高低差が生じている通路奥に移す。
高い場上で陣取っている少女。どこか拗ねたような顔で此方を見下ろしているイスラ、今はあいつの方が厄介だ。
嫌な位置にいる。
遠くもなく近くもない距離。援護は十分な射程内に落ち着いており、またすぐに自ら戦闘へ駆け付けることが出来る。
それに戦場全体を一望できるあそこからは、戦況がどのように推移しているか手に取るように解るだろう。
イスラの動き一つで流れがどうとでも変わる。
前回の戦闘を振りかえっても何をしでかすか解らない為、なおさら怖い。
背後からグサッなんてもう洒落にならん……。
「……んっ?」
(……気付いた)
イスラの瞳に俺の視線がぶつかる。
首にかかる程度に短く切り揃えられた髪をくるくると弄っていた手は止まり、黒塗りの眼が僅かな時間此方に固定された。
「…………あはっ」
そしてすぐに、相貌へ薄い笑みが貼り付けられる。
双眼を細めてくるイスラは纏う雰囲気をがらりと変え、明らかな臨戦状態をとった。
……嫌な予感しかしない。
「久しぶりっ、ウィル! 会いたかったよ!」
「ハイお久しぶり。僕はもうちょっとまともな所で会いたかったです」
「そうかなっ? 戦場で巡り会う二人っていうの素敵だと思わない!? 運命、って感じでさ!」
「病院行こう、イスラちゃん? お願いだから、ねっ?」
頭ちょっと見てもらおう? と結構マジ入って憐憫の目を送る。
それに対してイスラはクスクスと可笑しそうに笑って肩を揺らす。普通に流された。
そして隣からにゅっと伸びてきた足に何故かマイフット踏まれた。痛いよソノラさん。
何すんの…、と問いかけたら「……くっちゃべってないで集中するっ!!」と叱られた。
なんでやねん。俺のせいじゃないだろう、それは。……理不尽だよ。
「じゃあ、再会のしるし! 受け取ってね!! ────全隊伏臥!」
馬鹿な戯言をほざいたと思ったら、後には打って変わって鋭い指示が飛ぶ。
不敵な笑みを浮かべたまま、イスラは片手で抜いた剣を大横に振り抜いた。
剣の軌道上には────反魔の水晶。
「!?」
破砕する結晶体。
水晶上部が綺麗に破壊され、そして次には散弾のごとく、青に煌めく小塊が此方目がけ飛来してきた。
「うおっ!?」
「ちっ!?」
『ヌゥウッ!?』
原因不明のステータスアップしている帝国軍は一矢乱れない動きで地面に伏せ、間髪いれず開けた視界から魔弾が襲いかかる。
前方にいるカイル達はそれを存分に被り、俺達後衛組にもその余勢が届く。微小の結晶群により燦爛とする空気中に、血の斑点が飛び交い入れ混じった。
「なんてことしやがるっ……!?」
「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
続けてイスラは剣を振るう。
水晶の砕かれる甲高く奥深い鳴音が間の隅々まで伝播。哄笑と光粒が次々とばらまかれていく。
一発一発は致命傷になりうる筈ないが、無数の弾丸となって押し寄せるとなると馬鹿正直に頂く訳にはいかない。ステップを踏み、剣で切り払い、どうにか往なしていく。
拡散する攻撃に自ずと回避動作も大きくなってくる。反撃が封じられた。
畜生、あいつもよく考える……!
「みんな、結晶破壊して!」
『了解!』
弾幕を張り続けるイスラが、俺達同様身動きが取れない兵達に指示を出す。
それを受け、帝国兵はなんと寝そべったまま自分達の得物を投擲。超殺到した武器群により、あろうことか、此方の領域内にあった反魔の水晶は破壊された。
「ちょっ!?」
眼前で起こった光景に間抜けな声を漏らしてしまう。
明らか無理な体勢で武器を投げたにも関わらず、両サイドの水晶は完全粉砕。パラパラと蒼銀の欠片が大理石の上に零れていった。
何故ゆえ!? その状態で破壊とか在りえんだろ!? つうか何があんた達をそうさせる?!
思わず目をひん剥いて固まってしまったが、しかしすぐに容易く破壊されたその要因を察した。
散弾の狙いは俺達だけではなかったのだ。いや、あくまで本命はこちら、召喚術を妨げる反魔の水晶。
俺達を強襲すると見せて、散弾は確実に水晶の身を削っていた。
つまり、イスラの目的は────
「ブラックラック!!」
────広範囲召喚術!!
凝縮された魔力の波が大気を押し潰しながら此方へ突進してくる。
この状況での回避は不可能。一本に仕立てられているこの通路は上方及び後方を除けば密閉とほぼ相違なく、俺達を逃しなどしない。
光の氾濫が怒涛の如く押し寄せてきた。
「ヤード、ファリエル!!」
「! はぁああああああああっ!!」
『オオオオオオオオオオオオッ!!』
迫りくる閃光を前にして二人の名を張り上げる。
俺の意思を汲みとってくれたのか、ヤードとファリエルは魔力を集中させ防護障壁を形成する。
紫紺の輝きを纏う壁がパーティの前面へ姿を為した。
そして、炸裂。
閃光の束が障壁と衝突し、激しいスパークを巻き起こす。
光が爆発を伴って、障壁そのものを絶えず震わしてきた。
「ああああああああぁっ!」
微力ながら補助しようと、霊のサモナイト石と「水夫のお守り」を媒介に魔抗を発動。
耐霊属性の効力を魔力に着色させ、特大の魔抗を放出した。
大気がうねり、二つの力の拮抗が世界の音を占領する。
やがて炸裂を重ねた光の波動は四散するように弾け、紫紺の粒子となって宙へ舞っていった。
此方の負担は決して小さくないが、障壁は健在。
「!!」
「お前の属性じゃ、ちょっとやそっとの魔力籠めたって届かない」
瞠目するイスラを希薄となった障壁越しに見つめる。
こっちには霊界のスペシャリストとも言える召喚士が二人もいるのだ。しかもどちらも無色に伝えられている術式を使用している。ファリエルなんぞ共界線からの知識で祓いの儀式や結界関係にはめっぽう強い。消費が大きいのと鎧で受け止めるのに慣れちゃったのでお披露目することは少ないようだが。
同じ土俵なら、二人がそう簡単に負ける筈がない。
障壁は取り払われると同時にカイルとスカ―レルが前へ出た。
得物を失った帝国兵達をここぞとばかりに潰しにかかる。電光石火の勢いに、帝国兵達は対処が間に合わない。
「ソノラ、ヴァルゼルド! 撃って!」
「任せて!」
『了解!!』
此方も間を置かずにソノラとヴァルゼルドへ狙撃を指示。
指で方角を示した先には、イスラの狙い同じく反魔の水晶。
「っ!」
イスラが散弾として利用したそれは既に半壊状態。強度は決して高くない。
ソノラとヴァルゼルドの精密射撃により、イスラの側に控える水晶も音を立て完璧に砕け散っていく。
これで、あいつもまた守りを失った。
「「召喚!!」」
ヤードとファリエルの声が重なり魔力が一気に立ち昇る。
既に説明は不要。あちらが仕掛けてきた戦法をそっくりそのまま返してやるだけだ。
雷精と光輝く武具が異界の門より召喚される。
「テコ!」
「ミャッ!!」
テコの魔導書が光発するのを合図に、三者三様の召喚術が一斉に放たれた。
「!!?」
イスラの元に雷条と武具が光の軌道を作って押し寄せる。
更に逃さないと言わんばかりに床より幾つもの氷柱が露出。全方位から飛び出してきた氷塊に、イスラは周囲まるごと一挙に噛み砕かれた。
着弾。
雷光と剣戟が付近一帯を飲みこみ、塵灰を巻き上げた。
直撃だ。「召喚・深淵の氷刃」により回避行動も許されなかった。少なくとも、すぐには戦闘を続行するのは適わない筈。
イスラが討たれたことで帝国兵達に動揺が走っている。この機を見逃す筈もない。
(畳みかける……!)
ウィルは剣を抜いて床を蹴る。全滅を目前にした敵を前にして足を止める理由などどこにもない。
慎重になる動機も警戒する対象も払拭された疑いようのない戦況。
誰もがそう思ったように、ウィルもまた自分達の優勢を疑っていなかった。
いや、疑える筈もなかった。
「惜しかったね」
だから、それは彼にとって不意打ちを超えた奇怪でしかなかった。
「────────」
未だ続く戦闘の律動を抜いて届いてきた一つの発声。鼓膜を震わした確かな声に、ウィルの時が止まる。
脳がそれを幻聴だと示唆する。あり得る筈がないと。今この時この場所でこの状態で少女の声が存在する筈がないと。偶発的に発生した誤認情報だと、降りかかった事象に対して拒絶の意を示す。
だが、理性を含む戦闘本能は警鐘を限界まで鳴り散らした。
培った戦闘経験は行動の停止を良しとせず、反射的に顔を上へと導く。
戦慄にまみれる眼球が向かう先は戦塵が舞い上がっている空間。少女が立っていた通路奥。
内奥を遮っていた灰煙が、何かの圧力に押し退けられるように放射状へ散っていく。
顕になった先の光景。紫電が千切られたように細かく大気へ走り、五振りの武具が無残に転がり或いは突き刺さっている。
更には罅割れて、先端が溶解している幾多もの氷柱の連なり。
最後にその中心には、漆黒の少女が悠然と佇んでいた。
(────在り得ない)
連続で叩きこんだ中級召喚術。
結界も無しに、あの規模と威力を直撃しながら無傷など、絶対に在り得ない。
「もう少しで抜かれる所だった」
「!!」
口元に曲線を描くイスラの周りに幾つもの炎の帯が螺旋を作る。
彼女を守るように取り囲むそれは火の欠片を散らせ、識得の間を橙に照らし出す。
誰もが動きを止め、彼女の方向へと向き直った。
続くようにイスラ自身にも変化が現れる。
臀部からは極上の毛並みを持つ淡色の尾、頭には白く尖った獣耳。
人の持たざる器官が彼女の内から生え出した。
「なっ……」
ふくよかな尻尾は弧を描き艶やかに舞い、獣耳は尻尾ほど滑らかな動きではないが、両方同時に上下へコトコトと揺れた。
作り物には出来ない確かな生物の動作、ともすれば偽りの類には見えない。
理解の範疇を越えた光景にウィルは言葉を失い、イスラはそれを見て愉快げに目を細める。
そして、炎の帯に付属するように、夥しい呪符が次々と具現した。
「────────」
悟った。
目の前の光景も、今自分達の置かれている現状も、ウィルは全て理解した。
一連の流れは全て布石。
反魔の水晶を攻撃手段に用いたのは此方の召喚術を誘発させるため。
召喚術が力を発揮できないこの場で、その原因を担う結晶を壊してみせれば嫌でもそちらに注意がいく。
ご丁寧にもイスラ自らその攻法を実践してみせ、そして見せつけることで此方にそれを行う段取りを植え付けていた。
大規模の召喚術を発動させることで、次回への魔力関与の反撃及び防御手段を潰す。
彼女の目論みはそれだ。
おまけに自らがその火力を被って完全に防ぎきることを演出し、此方に動揺と隙を浮かび上がらせた。
事実、ウィルも縮まった脳内時間の中で思考展開するだけに留まっており、今は誰一人として行動を起こせていない。
最後に、召喚術に耐えきったイスラの防御手段。
“あれ”は恩恵。
召喚獣を身体に取り入れることで、彼等の力を一時的に身につける特殊形態。
攻撃補助、自然治癒、運動向上、そして魔効守護。召喚獣の数だけ存在する様々な強化形式。
────そう、憑依召喚。
イスラから生えた尻尾と獣耳が大きく揺れ始める。
そして遂には、蛹から羽化する流麗な蝶のように、イスラの背中から一体の召喚獣が姿を現した。
軽やかな矮躯を包み込んだ赤と白の礼装。
絹の如く滑らかで、清流のように零れおちる尾と同色の長髪。
双眼を覆う狐を模した白面。
鬼妖界シルターンの召喚獣「狐火の巫女」。
そして執行された召喚術は「憑依護法陣」。召喚師の中でもごく僅かの者達にしか扱えない専用召喚術。
憑依した対象を、ありとあらゆる召喚術から守護する────界壁術式。
散りばめられた要素が一本の線で繋がり、一つの結論を導き出した。
ウィルは悟る。
「ウィルはさぁ、何か勘違いしてたみたいだけど……」
自分は、嵌められた。
「私の十八番(おはこ)は、鬼属性(こっち)だよ?」
────女狐
口を吊り上げる少女の姿に、ウィルは硬直したままその言葉を紡ぎ出した。
「ココノエ!」
即座、イスラの疾呼が飛ぶ。
「ココノエ」という名で呼ばれた「狐火の巫女」は主の声に従い、瞬時に身を翻した。
前面に踊りたった狐火の巫女は呪符を自分の頭上へ纏め上げる。
数多の呪符が彼女の周りで踊り狂い、その薄身に抑え切れぬ魔力を発散させた。
「黒炎陣符!!」
爆砕
「──────ッッ!!!?」
「~~~~~~~~~~~っ?!!」
『ヌゥウウウウウウウウウッッ!!?』
呪符が一つの意思の元にウィル達の元へ殺到。
周辺へ環状に展開したそれは、立て続いて魔力の雲ともいえる紫紺の帯を構築し、次には大爆発を発生させた。
『マスターーーーーーーッ!?』
「ヤードッ、ファルゼンッ!?」
上級召喚術。
Aランクに相当する火力が華を咲かせる。爆発は広範囲に及びウィル達召喚師を一気に飲み込んだ。
燎原の火。危機一髪回避したカイル達を傍らに、膨れ上がり破裂する猛火が黒煙を吐き出していく。
「…………ッ!!」
周囲を炎で埋め尽くされる中、超反応による魔抗の行使で直撃を避けたウィルは、後ろに空足を踏みながらも咄嗟に視線を巡らせた。
ヤードはかろうじて倒れるのを踏み止まっているが、鎧を破損させているファリエルは耐えきれず膝をついている。
被害は甚大。そして何より、
(沈、黙っ……!?)
魔力が、封じられた。
「黒炎陣符」に付属されている異常効果。符に記された呪印は対象の魔力を束縛、「沈黙」させる。
────まずい。ウィルの頭の中で神経をすり潰すような軋轢が生じる。
「おまけだよ」
「っ!?」
イスラの隣で詠唱を開始する二人の召喚兵。
早過ぎる。この展開の為に、彼等だけはあらかじめ身を潜ませていたのか。
的中した懸念と予想を覆す速度の連続展開。
ウィルの貌から色が抜け落ちた。
召喚術────防御、相殺手段は殺されている。
直撃は絶対。
「放て」
第二波
「きゃああああああああっ!!?」
「ぐああああああああっ!?」
今度は例外なく誰をも完全に巻き込み、召喚術はカイル達を吹き飛ばした。
閃光と衝撃が世界を飽和させる。
「?! ヴァルゼルッ……!!?」
『────────グ、ガ』
ウィルの視界を黒影が塞ぎ、次には破壊の光によって薙ぎ払われた。
召喚術を放たれる前に行動を開始していたのだろう、ヴァルゼルドはウィルの前に立ち塞ぎ主を守る盾となった。
轟音を響かせ仰向けに転がる巨体、その頭部から瞳の光が消える。ボディを焼き焦がした従者は完全に機能を停止させた。
「終わりかな?」
「ッッ!!?」
漆黒が駆ける。
口を歪め、片手に剣を提げた死神が空間を走り抜ける。
烈火の勢いに肉薄する間断ない侵攻速度。
此方の対処行動を置き去りにする、疾風怒濤の体現。
速過ぎる。
止め。
たった一人。もう後はない。
為すがままに蹂躙される。
────負ける
凶気に染まる対の瞳が、ウィルを貫いた。
「スクリプト・オン!!」
「なっ!?」
「!?」
蒼光。
燦然と輝く燐光がイスラとウィルの眼前に介在し、刹那「エレキメデス」が召喚される。
何条もの雷電がイスラに向かって踊りかかった。
「アルディラ!?」
背後を振り返える。
ウィルの視界に入ってきたのは、顔を歪め四つん這いになり、それでも此方へと手を突き出しているアルディラの姿。
そして、白の外套をはためかせ疾走する、赤髪の剣姫。
「!!」
交じり合う瞳。邂逅は一瞬。
アティはウィルを抜いてイスラへと邁進した。
「……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
肉薄するアティを捉え、イスラは狂ったように笑い出す。
「エレキメデス」による電撃を被り後退していた彼女は、己の眼が映し出す光景の中へ飛び込んでいった。
トップスピード。
互いに速度を緩めることなくアティとイスラは存在する距離を駆け抜ける。
沈黙した「剣」を携えるアティは蒼眼に意志の光を乗せ。
狂笑にまみれるイスラは黒眼に悦楽の色を乗せ。
両者互い、瞳が射定める影に向かって突き進む。
そして激突、
「ッッ!!」
「!」
その寸前に、アティは旋回。
外套を身から取り外し、イスラの視界に押し放った。
イスラの前進が止まる。
「はあっ!!」
繰り出された剣突。
視界の全てが死角となったイスラへ「剣」が疾った。
アズリアをも破ったアティの戦法。虚はそのまま必殺へと繋がる。
刃が外套を貫き、イスラへと進み────
「無駄だよ」
「!」
────受け止められた。
「全体重をのせたお姉ちゃんの突きならともかく、ギリギリまで間合いを測っていた私に届く筈ない」
嘲笑と共に紡がれる言葉。
白の外套が重力に引かれ落ち、アティの顔とイスラの顔の間にあった仕切りが取り払われる。
細められた瞳と見開かれた瞳、両者の視線が交差。
イスラの口が吊り上がった。
「ぼろぼろになった今のアティ一人で、私に敵う訳ないじゃん」
「一人ならな」
「────────っっ!!?」
下段。完璧な不意。
落ち行く外套の影、残った死角から飛び出してきたウィルが剣撃を見舞う。
地面すれすれから繰り出された細剣の一閃。
驚愕に目を染めるイスラの元に斬線が伸び上がった。
「くっ!?」
驚異的な反射速度でイスラもまたそれを既の所で回避する。
だが、アティはそこに生まれた隙を見逃さない。一気に前踏し、重心が後ろに傾いたイスラへ渾身の斬撃を放った。
「はぁああああああっ!!」
「っ!!?」
右袈裟斬り。
大上段から振り抜かれた一撃はイスラの剣を捉え、そのまま後方へと押しやった。
彼女の足が床を激しく擦過し、後退を余儀なくさせる。
「テコッ!!」
叫喚と共に突き出される獣のサモナイト石。
既にアイテムで異常効果を解毒させたウィルは高速召喚を発動。彼の最大魔力がこの術に根こそぎ注ぎ込められる。
巻き起こる巨大な召喚光。膨大な光源として現界する緑色の光華が、この場に存在する全ての瞳に煥乎の花弁を舞い落とした。
「……っ」
キャパシティを遥かに超えた過負荷。
絞り立てられていく魔力と悲鳴を上げる神経に、ウィルの顔が罅いるように歪んだ。
「────大丈夫」
「……!!」
だが、それも意に介さない。
今、自分は一人ではないのだから。
背後から伸ばされた腕。
ウィルの腕を抱くように、彼女の手は発光するサモナイト石を掴んだ。石を握りしめるウィルの小さな指ごと、包み込んでいる。
背中から感じる彼女の温かさ。そして、力強い息吹。
ウィルの瞳に絶対の意志が灯る。加速する鼓動を全身の源力へと変え、自分を包み込んでくる彼女と共に魔力の奔流を解放した。
「「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」」
喚び声に応えるのは魔装装束を身に纏う一体の召喚獣。
召喚術式を受け、本来の姿から成長を遂げたその身からは傑出した魔力を湧き上らせている。
召喚獣──テコは巨大な魔導書を前面展開。開くと同時に十字の陣が形成され、門が開通を至る。
書に内包される最強の術、紅の鱗に包まれる竜頭を現界させた。
────協力召喚────
「召喚・焔竜の息吹」
咆哮。
巨大な顎から放たれた竜炎が、通路を余すことなく迸った。
進路上にいた帝国軍全てを呑み込み、突き当たる壁面まで火焔が伸長する。
一直線に引かれた灼熱の軌跡。
大気をも蒸発させた咆火が通ったそこには無事な者は誰一人としていない。
極大の紅蓮が、全てを灰燼に帰した。
「…………手負いの相手に、これ?」
通路の一角で片膝をつけ姿勢を低くしていたイスラは自軍の惨状に呟きを漏らした。
炎に押し出される形となった帝国兵達は通路の奥で死に体となって固まっており、イスラ以外動く者は皆無だ。
彼女自身少なくないダメージを隠せていないが、彼等よりかはマシであった。
前髪をかき上げながら、イスラは肺に溜まっている空気を吐き出していく。
「…………」
ウィルはそんな彼女の姿を見据える。
召喚術を放った直後、自分の視界の隅に映った紅の光。
まるで血のような深い光彩は「レックス」の記憶に未だ鮮明に焼き付いている。
────「剣」の魔力を使ったのか。
でなければ説明出来ない。
あの火力をもってしても撃破を受け付けない、という事実は。
「……痛み分けって所だね。少し不甲斐ないけど」
ゆっくりと立ち上がったイスラはウィル達に向かい口を開く。
薄い笑みが張り付いた顔は、どこか楽しそうだった。
「撤退させてもらうよ。君達が追ってこれない内に」
「…………」
「…………」
踵を返しイスラは背を向ける。
それをウィルはアティと共に黙って見詰めていった。
「バイバイ。ウィル、アティ」
────今度は最後まで、やり合えるといいね
最後にそう言い残し、イスラは通路の奥へ消えていった。
「ボロボロ、ですね……」
「はい……」
暫く経ってからウィルは静かに呟き、アティも目を伏せながらそれに頷いた。
────肉体的にも、精神的にも。
ウィルは最後までそう続けることはなかったが、その言葉が後に隠れていることをアティも察しているだろうと感じた。
カイル達の方に目を向ければ、みんな意識はあるようだがやはり疲弊しきっている。
傷を負っている身体に鞭を入れて誰もが治療に回り、お互いを助け合っていた。
でも、それは外面だけのもので。
誰も思い感じている言葉を出せずに……彼女達の胸の内に、触れられずにいる。
誰も、動けずにいた。
「………………」
この光景を前にして胸に抱くのは僅かな喪失感。
解っていたとはいえ、彼女達に傷を負わせてしまったこの結果が堪らなく悲しい。
去っていったイスラが見せた最後の笑みが思い出される。
今の自分達と、これからの行く末をせせら笑っているようで、少し腹が立ち、本当に憎らしくなった。
「……」
もう「過去」とは大きく逸れている。
この先何が待ち受けているのかウィルには想像できない。
誰かが涙を流す未来を迎える気は毛頭ないが、この時ばかりは暗い緞帳が心に下りていて、少し気が重くなった。
「…………」
「ウィル、くん……?」
だけど、やっていけるだろう、と思う。
隣の彼女がいる限り、自分達はきっと間違わない。ウィルはそう思う。
今までの彼女の姿を思い出して。
みんなに向けられるあの笑顔を想起して。
今日自分を信じて、イスラに立ち向かっていった彼女を想って。
自分を助け、支えてくれた彼女を感じて。
ウィルはそう確信する。
今も手に感じる温かさは、きっと自分達を導いてくれる。
「…………」
「…………」
寄り添うように立っていた彼女の手の中。自分から絡めた指はトクトクと鼓動の音に震えている。
初めて、自ら握った彼女の手はやはり細く、やはりとても暖かった。
握り返してきた彼女の温もりに。
太陽みたいだ、とふとそんなことを思った。