極度の緊張した神経は、浅い眠りを私に強いた。
木々のざわめきや鳥の羽ばたく気配。僅かな音にも反応しては起き、そして眠りを繰り返し、気がつくと陽が昇っていた。
硬い地面に太い木の幹。ベッドとしては最悪に近く、体の節々が痛む。さらに寝不足が堪え、立ち上がったものの足元は覚束ない。
ひとまず泉の水で顔を上がり、軽く歯を磨くと多少は眠気が紛れた。
「さ、て……今日はどうしよ」
幸いというべきか、今のところ私は他の受験生と遭遇していない。
何の妨害もなく拠点が手に入ったのは喜ぶべきことだが、果たして広い島の中でターゲットを見つけることが出来るか。いや、そもそもターゲットに勝てるのかという点からして疑問だ。
何しろ私のターゲットはハンゾーなのだから。正面からの決闘ですら勝ち目は薄いというのに、フィールドが深い森とあっては絶望的だ。
「どうにかして隙を作る……原作でゴンがやったように、プレートを奪うだけならどうにかなる? うーん……でも、私はあんな釣り竿テクニック持ってないし……ところで釣り竿テクニックって何かエロくない?」
思考が脱線したことを悟り、頭を殴った。反省。
まぁ、どうでもいい思考は置いておき、どうやったらハンゾーからプレートを奪えるか、だ。
実力で劣るものが一本を奪うためにはどうすればいいか。
一つには、数で攻める。個で勝てないならば軍で行くのは兵法の基本だろう。
だが、これは却下。自分の力でどの程度頑張れるかを考えて、アゼリアの協力も断ったのだ。これを使っては意味が無い。
では二つ目、罠を仕掛ける。
これは考える価値があるかもしれないが……私は罠なんて全然知らない。罠の知識も技術もハンゾーの方がずっと上だろう。付け焼刃のアイデアでどうにかなる相手とは思えない。
ならば、三つ目。局地戦。
総合力で劣っているならば、自分が勝てる土俵に相手を引きずりこむ。
やはりこれが最も有力な案だろうか……
とはいえ、私がハンゾーに勝てる部分など一つしかないわけだが……
「念を使えるか使えないか……この差を活かすしかないわよね……」
ハンゾーは凄腕だが、念を使うことは出来ない。
私は素人だが、念を使える。
とはいえ、私の「発」は除念に近いもの。念使い相手ならば効果は大きいが、念を覚えていない相手には「発」自体は有効ではない。
ならば――
「いろいろと工夫しなければならないわね……」
まぁ、まだ時間はたっぷりとある。
チャンスは多くて一度。
絶対にモノにしてやる……
「さて、とりあえずいろいろと探索してみるかな」
そう考えて荷物を手に取り、「凝」で警戒しながら先に進もうとして―――
「あ」
「なっ?」
二十メートルほど先に、人を見つけた。
相手は私の気配に気付かなかったのか、驚きを全身で表現している。
寝ている間は「絶」をしていたので、気配などなかったのだろう。
くりっくりの頭に、拳法をやってそうな胴衣の少年。
その顔に見覚えは、あるようなないような……とりあえず、原作で出番のあったキャラじゃない。多分。
ならば勝てる!
先手必勝、と私は駆けだした。
一瞬呆けていた相手も、流石にこの試験まで残ってくるだけのことはある。すぐに気を取り直し、しっかりと構えを取り迎撃する。
「ふっ!」
念で強化された体は、身体能力だけならば念無しの達人に匹敵する。
走る勢いをそのままにヴァイオリンケースを思いきり叩きつけた。
「くっ!!」
だがそんな大ぶりな一撃は容易く見切れるということか。
余裕を持って回避した少年は、鋭い中段蹴りを放ってきた。
オーラに包まれているためにさしたるダメージは受けないが、カウンターで入ったその攻撃に体制を崩す。
それを好機と見たか、さらに一歩を踏みこむ少年。
大地を震わす震脚とともに加えられた中段突きは、私の腹部に深々と突き刺さった。
「か、ふッ……!!」
肺から、空気が漏れる。
体はよろけ、お尻から倒れこむ。
少年は確かな手ごたえを感じたのか、僅かな警戒の後に近づいてきて―――倒れた。
寝転んだ姿勢から繰り出した蹴りは、彼の切なくなる部分に突き刺さったからだ。
合掌。
「ふー、まずは一人……」
悶絶している彼に、アゼリアから貰った眠り薬をしみこませたハンカチを押しあてて意識を奪った。
そしてポケットを適当に漁ると、362番のプレートが手に入った。
「うーん、しかし……「堅」をしても結構痛いものね……」
先ほどの中段突きは見て取れたので、腹部にオーラを集中させたのだが……純粋な身体能力の差は如何ともし難いらしい。
私はまだ多少重い痛みの残る腹部を擦ると、溜息をついた。
名前も知らないモブキャラでこれだ。
念を知らないとはいえ、ハンゾー相手にどうすれば……
「先は長そうね……はぁ……」
とりあえず、しばらくは起きないであろう362番をどこかに捨ててこよう。
本当に、厄介な試験だと思った。
島の朝。
ヒソカは一本の木の幹に背を預け、肩の傷痕に寄ってくる好血蝶と戯れながらゆっくりと時間が過ぎるのを楽しんでいた。
血に濡れる戦場こそが何よりも好きなヒソカだが、彼の好みはなかなかに手広い。
奇術や言葉遊びは言わずもがな。実は恋愛シミュレーションのようなことも好きだったり、時にはまったりと散歩もする。
気まぐれな性格故に、すぐに行動を転換させてしまうことが難点ではあったが――散歩の最中にふと人が殺したくなったりだ――ともあれ、こうした時間の過ごし方もまたヒソカは嫌いではない。
そんな一時は、ピピピと無機質な電子音が携帯から響いたことで中断させられた。
画面を見ると、そこに示された名前はまだ付き合いの浅い友人だ。
闇の世界に所属するくせに、どうでもいい相手に情けをかけたり、かと思えば冷徹にして非情な合理主義が本当の顔であったり……割と面倒見がいいくせに、本質的にはビジネスライクな関係であったりと、掴みにくい人物だ。そうしたところが気があったのかもしれないが。
ともあれ、電話に出よう。
通話ボタンを押すと、念によって骨格ごと変わった友人の声が聞こえてきた。
「もしもし♦」
『ヒソカ? プレートもうとったか?』
「いや、まだだよ♣」
『どうせ獲物が誰だか判らないんだろ?』
「うん❤」
『教えてやろうか?』
「いいよ♠ 適当に三人狩るから♦ キミのターゲットは判っているのかい?」
『当然だろ。さっき見つけた。これから狩ってくる』
「流石だね❤ ああ、ボクのおもちゃは出来るだけ壊さないようにしてよ❤」
『善処するよ。じゃあな』
そうして、電話が切れた。
ヒソカは電話をしまい、再び好血蝶と戯れる。
その姿からは血に濡れる死神の姿は想像できない。
だが、一度だけ。
試験を通じて出会った、何人もの新しいおもちゃを想像して、彼は嗤った。
それは、正しく不吉そのものだった。
さて、ヒソカが不吉な笑みを浮かべている頃、ハルカはその辺の蔓を使って手足を縛った362番を抱え、拠点とした泉から数百メートル離れたところまで来ていた。
拠点の傍に彼がいたのでは困るので、捨てに来たのだ。
大分歩き、そろそろ彼を置いて行っても問題はないだろうと思えたので、引きずってきた362番を適当に放り出した。
疲れた肩をぐるぐると回す。
コキコキと小気味よい音が響き、大分楽になった。
それでは戻ろうかと振り向いたとき、それが目に入ったのは偶然に過ぎない。
しかし、それになんとか反応出来たのは、こちらに来てからの訓練の賜物と言っても問題はなかった。
「なっ!!」
大きく横に体を投げ出し、受け身を取って素早く体制を立て直す。
音もなく木の上から来襲したその男は、着地の音すら立てずにこちらを視界に収めた。
「チッ! よく避けたな」
あまりに特徴的な忍装束は、自分のターゲットその人だ。
碌に準備も整わないうちに、私はハンゾーと出会ってしまった。
「まあいい。どうだ、362番のプレートを持ってるだろ? それを渡せば、ここは退いてやるぜ」
「……なに、あんた何時から見てたの?」
「そいつをずっと追ってたんでな。アンタが戦ってるときから、ずっとだ」
チッと舌打ちした。
自分は「凝」で警戒していたというのに、まるで気付けなかった。
ハンゾーは念など使えないはずだが、なるほど、流石はキルアが自分よりも強いと評しただけのことはある。
気配を消すのは野生の獣並だ。
さて、どうするか。
準備が整っていない以上、ここで戦うのは諦めてプレートを差し出すか、それとも―――
「―――覗きなんて趣味悪いわ、ね!」
闘うか、だ!
オーラを爆発させ、表情一つ変えずに自然体のまま構えるハンゾーに向けて間合いを詰めた。
ここで退いたとしても、ハンゾーはそれで6P を手に入れて、後は守りに徹するだろう。
そうなれば、私では二度と見つけることはかなうまい。
ならば今こそが最大の好機。
作戦なんて戦ってる中で気合で考えろ!
「おいおい、無茶すんなよ、嬢ちゃん!」
ハンゾーの姿が、ぶれた。
音もなく、残像を残して一瞬で最高速へ。
速い! しかし、「凝」でオーラの残滓を辿れば、移動先は予想がつく!
「上、だァッ!!」
両手にオーラを集中させ、上空からの攻撃に備える。
木の幹を蹴り私の真上へ移動したハンゾーは、驚きに顔を歪めながらも手刀を繰り出していた。
「ぐっ……!」
空中で放ったとは思えないほど、鋭い一撃。
受け止めた左腕が、オーラの上からだというのに痛む。
だが、止めた……!
ハンゾーはまだ空中で身動きが取れない!
「吹っ飛べぇぇぇぇえええッ!」
手刀を放ったハンゾーの右腕を抱えるように脇に挟み、体を回転。遠心力をそのままに、ハンゾーを木の幹に向けて叩きつけた。
「うおおおおおおっ!?」
確かな手ごたえ。
驚愕したハンゾーは慌てて体と木の幹の間に手を差し込もうとするが、体制が悪すぎる。
勢いよく打ち据えられたハンゾーは、苦悶の表情を浮かべて後ずさった。
この機会を逃す手はない。
今の一撃は、ハンゾーが私のことを自分の早さに着いてこれないだろうと判定したが故の隙をモノにしただけだ。
実際、「凝」無しでは彼の早さに私は追いつけない。
一度体勢を立て直されたら、次はそのような失態を犯しはしないだろう。
今ここで彼を無力化する……!!
「てやああああああああああああッ!!」
オーラを足に籠め、先ほどの突撃を遥に超える速度で間合いを侵略する。
攻撃にオーラを使うわけにはいかない。オーラの攻撃は彼の精孔をこじ開けてしまう。そうなったら後々自分に問題が降りかかりそうで、責任が取れない。
だからこそオーラによる強化を純粋な速度に転換し、攻撃力を強化する。体ごとハンゾーにぶつかり、四十五キロの砲弾と化す。
……その、心算だった。
「―――あれ?」
一瞬、何が起こったのか判らなかった。
何故、横に流れていた筈の景色が上に流れていくのか。
何故、木々を見上げる形になっているのか。
背中から地面に叩き落とされたとき、ようやく自分が投げられたのだと悟った。
「かふッ……!」
オーラを足に集中していたのが仇になったのか。
防御を殆ど無視していたために、投げられたダメージはモロに体を襲い肺から空気が押し出される。
一瞬目の裏がスパークし、おとされた拍子に開いたヴァイオリンケースの中身が散らばった。
慌てて起き上がろうとするが、素早く足を刈られて地面と再開する。
ハンゾーは素早く私の腕を固めると、膝で背中の中心を抑えて一切の身動きを封じた。
「くっ……放しなさいよッ! 変態! 痴漢!! ロリコン!!」
「そう言って放す奴がいたら、UMAハンターに知らせるべきだぜ。ま、ちょっと驚いたな。オレの動きについてこれるとは思わなかったな。予想以上だったぜ、嬢ちゃん」
「ハッ……! 勝ったようなセリフを言うには早すぎるわよ!!」
「……いいねぇ。全く以て、その通りだ。相手を完全に無力化するまでは、その脅威は一切失われていない。下忍の時に教わったことだ」
身動きを完全に封じていながらも、ハンゾーには一切の油断はないらしい。
固めた腕を緩める様子もなく、散らばった私の荷物からクロロホルムの瓶を取った。
「ま、腕の一本くらい折ってもいいんだが、流石にオレも趣味じゃねーし……しばらく寝ててくれ」
彼は薬品を布の切れはしに染み込ませて、私の口元に近づけてくる。
私は眼を瞑り、溜息をついた。
ああ、これで負けた―――
「―――アンタがねッ!」
眼を瞑り、背後の気配に集中。
オーラの糸が背後の様子を鮮明に教えてくれる。
そして、極めて小さな念弾を一つ、放った。
精孔を開いてしまうため、ハンゾーをオーラで攻撃することは出来ない。
だが、ハンゾー自体に当たらなければ何の問題もない。
狙うは、彼の手にした薬品瓶……!!
ガシャン、と瓶が割れる音がした。
「ぷわッ!」
クロロホルムをもろに浴びたのだろう。
焦った声が聞こえ、背後からの拘束が緩む。
このチャンスは絶対に逃さない……!
全身を強化して、拘束を無理やり振り払う。
ハンゾーは急な力の変化に対応出来なかったのか、マウントポジションこそ崩さなかったが腕の拘束だけは放してしまった。
自由になった手を伸ばす。
掴んだのは勝利の機会。
碌に照準も定める余裕もなく、そこにいるであろうハンゾーに向けて引き金を引いた。
「ぐッ……! て、てめ、ぇ……!」
声からは威圧感が失われ、序々に圧し掛かる体の力が抜けていく。
軽く体をゆすると、ハンゾーは横に倒れて鼾をかき出した。
その胸に刺さるは一本の注射筒。
「大型動物用の麻酔銃よ……いくらアンタでも、すぐには起きないでしょ」
はぁ、はぁ、と荒く肩で息をして、地面に座り込む。
冷えた地面の熱が、今だけは気持ちいい。
体中が痛むが、それ以上に何かをやり遂げたという喜びがふつふつと体の奥から湧いてきた。
「やった……ハンゾーに、勝った……!!」
口に出しても、どこか現実味が無い。
目の前で眠りこけたハンゾーを見ても、とてもじゃないが信じられない。
けれども、時間が経つにつれて喜びが体中を満たしていき、ついに私はガッツポーズを天に向けた。
とりあえず、パッと頭に浮かんだ決め台詞。
「最っ高にハイ! ってヤツだー!!! 鼻歌でも歌いたい気分よ!!」
そう言って、しばらく横になろうと思った。
疲れたのだ。
硬いベッドでも、今はきっと気持ちいい。
流石のハンゾーもすぐには起きないだろうし、十分くらい休んでからでも十分だろう、と。
そう思って、空を見上げた時―――
―――何かが飛んできた。
「ふぇ?」
ビィィィンと揺れながら、木の幹に突き刺さった錐のようなもの。
音もなく高速で飛来したそれが、先ほどまで私の頭があった位置を通り抜けていた。
「―――あれ? 外しちゃった」
聞こえてくる、声。
カタカタカタ、という不気味な音。
嘘、でしょ……?
「ま、とりあえずクジ運無かったってことで、プレートもらうね」
飛び起きた私の視界に映るモノ。
体中に刺さった針。
骨ばった骨格と、モヒカンヘッド。
キルアにばれないためだろうか。「纏」をしていないものの、尚溢れる威圧感。
「ギタラクル……!!」
本当に、クジ運がない。
なんでアンタのターゲットが私なのよ……!
足が、一歩後ろに下がった。
〈後書き〉
スパーが女、だと……!?
すいません、完全に男だと思っていました。ELです。
アニメ版だと出番あるんですね……大失態です。
ただ、そこを改訂するよりは先を書いた方がいいと思うので、修正はまたいずれということにさせていただきます。
さて、今回はハルカメイン。
モブ → ハンゾー → ギタラクルの三連戦です。ハルカがターゲットなのはギタラクルでした。
ハルカは強くしない。罠とか策略とかの知識もない。ピンチになって特殊な能力とか目覚めない。
そうした、極めて一般人な状態を貫こうとしたので、盛り上げるのが難しい……
平和な日本で暮らしていたのに、忍者を超えるようなトラップワークなんて出来る筈もないし、その場で劣性を覆せるようなIQ200(笑)なんて出来ないので……
さて、次かその次で四次試験も終了の予定。お楽しみ下さい。
それでは、次の更新の時に。