インターミッション2 ライオットの場合
出発の予定を一日延期した一行は、ルージュとレイリアが用意した夕食を楽しむと、団欒のひとときを終えて各自の部屋に下がっていた。
ピート卿もイメーラ夫人も、起き上がって食事をとれる程度には回復した。明日の朝には再びターバを目指すことになるだろう。
その夜。
ライオットは仲間の同意を取り付けると、戦利品のレイピアを携えてニースの部屋を訪れた。
「このような夜更けに、何のご用ですか?」
護衛として同じ部屋に泊まっているアウスレーゼが、非常識な訪問者に冷たい視線を向けてくる。
まるで氷の刃だな、と思いながら、ライオットは言った。
「話がある。これからのことについて。君にもだ、アウスレーゼ」
少なからず驚いたのか、蒼氷色の瞳がわずかに大きくなり、無言で部屋の奥を振り返る。
「お入りいただいたら? 私は構わないわよ?」
穏やかなニースの声がすると、アウスレーゼはドアの前から体を引いた。入って良いという無言の許可なのだろう。
「失礼。ニース様も、夜分に申し訳ありません」
会釈しながら部屋に入ると、椅子に腰掛けていたニースは、穏やかに微笑んで首を振った。
「いいえ。あなた方に閉ざす扉を、私は持っていないわ。いつでも歓迎しますよ」
「恐れ入ります」
招き入れた客人が帯剣していることには少し驚いた様子だが、ちらりと視線を向けただけで何も言わない。それだけ信頼している、ということの意思表示なのだろう。
背後に回ったアウスレーゼが緊張と警戒で気を尖らせているのを感じて、ライオットは苦笑した。
初対面で言われたとおり、これではいつ斬られても文句を言えない状況だ。
「これはシンが昨日の騎士から分捕った戦利品です。アウスレーゼが言うにはけっこうな名剣だとか」
鞘のない、抜き身のレイピアの刃を持つと、柄をアウスレーゼに差し出す。
金髪の密偵は、すらりとした眉を軽く上げると、おとなしく剣を受け取って解説した。
「この剣の名はピアシング・スレッド。“貫く糸”という意味です。言うまでもなく蜘蛛は王国の紋章。その銘を持つ時点で、アラニア王家伝来の品だというのはお分かりいただけると思いますが」
言いながら、受け取ったレイピアをニースに差し出す。
だがニースは黄金造りの柄を一瞥しただけで、手を伸ばそうとはしなかった。
「そんな剣を、どうして邪教の司祭が持っていたのかしら?」
「昨日来襲したラスカーズ卿は、御前試合で三連覇した技量の持ち主です。国王陛下がその腕前を愛でられ、その場でこの剣を下賜されたと聞いております」
アラニア王国には2つの騎士団がある。
ひとつは鉄網騎士団。いわゆる騎士たちの集まりで、鋼の鎧をまとい、馬上槍を操って戦う正規の騎士団と言える。
もうひとつは銀蹄騎士団。こちらは貴族の子弟の中から魔法の素養のある者だけを選抜し、彼らで編成したエリート集団だ。数こそ少ないが、魔法を併用した攻撃力はモスの竜騎士たちに匹敵すると言われている。
「ラスカーズ卿は、この銀蹄騎士団の中でも高い位階を持つ上級騎士です。彼の存在は、貴族が他の一般騎士より優れているという選民思想の象徴でした」
努めて無表情を装い、再びライオットに剣を渡そうとするアウスレーゼ。
きっと返したくないんだろうな、と内心苦笑したライオットは、手を振って言った。
「いや、いい。その剣は君が持っててくれ」
杞憂でも何でも、不安材料は払拭するに限る。
アウスレーゼは視線だけで感謝を告げると、剣を持ってニースの後ろに下がった。
「それで、お話というのは?」
小さな丸テーブルをはさんで椅子を勧めると、ニースは水を向けた。
どこから話したものか、と考えながら、ライオットは勧められるままに椅子に腰掛ける。
「ニース様は“砂漠の黒獅子”という名を聞いたことがありますか? まあぶっちゃけ、シンのことなんですが」
「な……ッ!」
分かりやすく驚きを表したのはアウスレーゼ。
ニースは首を傾げると、肩越しに振り向いて尋ねた。
「私は聞いたことないわね。あなたは知っているの?」
少し悩んだ後、アウスレーゼは肯いた。
「昨年の話です。風と炎の砂漠で蛮族同士の争いが激化したという情報が入り、間隙に乗じてオアシスの街ヘヴンを支配下に収めようと、ノービス伯が策を巡らせたのです。その謀略を叩き潰した蛮族の英雄が、砂漠の黒獅子だと聞いています」
ニースが知らなかったのも無理はない。
千年王国アラニアに比べれば、風と炎の砂漠など野蛮人の住む不毛の地でしかない。そこでいくら名声を得ようとも、せいぜい猿山の大将程度の認識しか持たないだろう。
裏の情報に精通したアウスレーゼですら、“砂漠の黒獅子”の本名を知らなかったのだから。
ところが、とライオットが言った。
「困ったことに、バグナードは知っていたんです。そして、シンがニース様の近くにいるという事実も。それを知られた以上、情報は宮廷にも広まるでしょう」
「……なるほど、それは厄介ね」
ライオットの言葉に、ニースは渋い表情を浮かべた。
悪意に悪意を重ねてみれば、マーファ教団が炎の部族と組んで宮廷に対抗している、と邪推できなくもない。
ただでさえ宮廷に目を付けられているニースのこと。貴族たちに揚げ足を取られるような事態は避けたいはずだ。
難しい顔で考え込む最高司祭に、ライオットは追い打ちをかけた。
「そしてレイリアのこともあります。カーディス教団が宮廷に根を張っている以上、権力を利用してターバに圧力をかけてくることは必定です。今の状況では一方的に攻められっぱなしだ。何とかして敵の正体を掴んで、反撃しないと埒があきません」
確かに自分たちがいれば、少人数での直接戦闘には負けない。
だが権力機構にとっては、個人の武勇など蟷螂の斧のようなもの。考慮するほどの障害にはならないのだ。
宮廷の反対派がその気になれば、自分たちなど簡単に踏み潰されてしまう。
それは間違いない。
「あなたはいったい、何者なんです?」
一介の冒険者とは思えない分析に、アウスレーゼの目が鋭くなる。
政治的な視点から断片的な情報を分析し、見えない未来を予想するなど、一般民衆には到底不可能なことだ。
「昔、とある国で司法官憲をやっていた。けどまあ、今は関係ないだろ」
ライオットはニースを見ると、正面から切り出した。
「ニース様が名声の故に、政治や権力からあえて身を遠ざけてきたのは分かります。ですが、これからはそれでは困る」
厳しい顔で見返してくるニースに、おそらく耳に痛いはずの提案を続ける。
「権力に対抗できるのは権力だけです。宮廷内に親ニース派というべき派閥を作って、敵を制肘する必要があります。相応の利権さえ用意すれば、貴族を何人か取り込むくらいできるでしょう?」
特にアラニア北部に領地を持つ貴族や上級騎士なら、民心の安定を餌にしてニース派に引き入れることも難しくなさそうだ。
「一定の勢力があれば、レイリアの保護にも繋がります。しかし勢力が大きくなりすぎると、王家の警戒心を刺激しますから、匙加減が難しい」
こういう策謀めいたことはキースの担当だったのだが、彼が不在では仕方がない。
シンはこういう活動には不向きだ。ルージュも中身が理系の技術者なので、権力の本当の恐ろしさは理解できないだろう。
個々の『警察官』はたいして怖くない。
だが『警察』ほど怖いものはない。
それを嫌と言うほど知っているライオットが、宮廷の恐ろしさを誰よりも理解できるのだ。
「あなたの言うことは分かるわ。けど、それは簡単じゃないわよ」
ため息混じりにニースが言う。
確かにそのとおり。
今のマーファ教団はアラニア北部に根を張る半独立国家であり、その影響力は王家のそれに匹敵する。
だからこそニースは王国への恭順を示し、内戦の可能性を否定してきたのだ。
貴族がマーファ教団に近寄る姿勢を示すことは、それだけで王家への反逆と捉えられても仕方がない。
「おっしゃるとおりです。だからこの計画には、核となる貴族が必要不可欠です。あの人がニース派なのだから、自分が参加してもいいだろう。あの人なら国王陛下に反逆したりしないだろう、そう思われるような派閥の領袖が」
そしてライオットは、アウスレーゼに視線を向けた。
いつになく真剣な表情で問いかける。
「だから教えてほしい。条件に合致する貴族はいないか?」
国王に親しく、他の貴族の上に立てる身分で、ニースに反感を抱かない人物。
無茶な要求だ。
「そんなことを言えるわけがないでしょう。私を何だと思っているのです?」
アウスレーゼが即答する。
彼女は国王直属の密偵だ。その彼女が、王国の混乱につながるような情報を軽々しく教えるはずはない。
しかし。
「いない、とは言わないんだな」
ライオットが口許に笑みをひらめかせる。
不機嫌そうに黙り込んだアウスレーゼに、ライオットは切り札を切った。
「ただで教えろとは言わない。教えてくれたら、その剣を君に差し出す。好きに使ってくれて構わない」
王家伝来の宝剣“ピアシング・スレッド”。
魔法の剣でも何でもない、ただちょっと豪華な装飾が施されただけの、普通のレイピアだ。
だがアウスレーゼには、その剣が持つ政治的価値の巨大さを認識できるはずだ。
無言で手の中の宝剣に視線を落としたアウスレーゼに、ライオットは頭を下げた。
「頼む。俺たちはレイリアを助けたいだけなんだ。地位も名誉も興味なんかない。シンを見ていれば、それは分かるだろう?」
なおも無言を貫くアウスレーゼ。
その様子を見ていたニースは、細く吐息をもらすと、最初と同じ穏やかな微笑を浮かべた。
「私はあなたたちと出会えたことをマーファのお導きと感謝したけれど、もうひとつ感謝しなくてはならないわね」
心の奥底まで見通すような、“マーファの愛娘”の視線をライオットに向ける。
「あなたがシンと一緒にいるという事実が、これほど頼もしく思ったことはないわ。シンはまっすぐで前向きだけれど、背中を襲う刃には無力な性格だから」
「シンにはそのままでいて欲しいんです。あいつの剣はレイリアを暴力から守るためだけにある。裏表のない素直な人柄こそ、あいつの強さの根元ですから」
ならば、陰謀と策略からシンとレイリアを守るのは、自分の役目。
そう言い切ったライオットに、ニースは満足そうにうなずいた。
「正直言って、あなたのことはちょっと警戒していたのよ。いったい何を考えているか、底の知れないところがあったから」
けれど、とニースは続けた。
「あなたの持つ刃が彼らを守るためにあるのなら、これほど心強いことはないわ。ならば私も、持てる全てを使ってあなたたちを庇護しましょう」
そしてニースは立ち上がると、アウスレーゼに向き直り、その瞳を見つめた。
「アウスレーゼ。私からもお願いするわ。そんな貴族に心当たりがあるなら、ぜひ教えてちょうだい」
その人徳と威厳と、誠意。
手の中にある宝剣の価値。
その重さに耐えかねて、アウスレーゼは深々とため息をついた。
「……ラフィット・ロートシルト男爵夫人という方がいます。国王陛下の愛妾でいらっしゃいます」
男爵夫人と言っても、誰かの妻というわけではない。
愛妾という地位に付随して、本人が男爵の爵位を与えられたもの。れっきとした独身であり、女の身でありながら正式な貴族の一員だ。
現在、国王カドモス7世は独身である。まだ王妃も王子もいない。
ロートシルト男爵夫人が男児を出産すれば、正式に王妃に迎えられるだろうというのは、宮廷では暗黙の了解だった。
「女性であればマーファの教えに帰依するのも当然というもの。愛妾ならば国王陛下に逆らいはしないでしょう。そして時期王妃となれば、すり寄ってくる貴族にも不自由しません」
まさにうってつけ。
このためにいると言っていい人材だ。
「私にできるのはここまでです。念のために言っておきますが、私は男爵夫人とは面識がありません。紹介するのは不可能ですよ」
やれやれと言いたげなアウスレーゼに、ライオットは深々と頭を下げた。
「ありがとう。助かる」
「それと、この剣は約束どおり私がいただきます」
「もちろんだ。そのために持ってきたんだから」
安堵の笑顔を浮かべたライオットは、ニースに辞去の挨拶をすると、再び一礼して部屋を出た。
期待以上の手応え。
何とかして男爵夫人に取り入り、宮廷内のカーディス教団をあぶり出さなければならない。
「いつまでも防御一辺倒なんてごめんだからな」
小さくつぶやくと、ライオットは廊下から窓の外を眺めた。
東京で見るより少しだけ大きい月が、丘の上に顔を出していた。
シナリオ2『魂の檻』
獲得経験点 4500点
今回の成長
ファイター9レベル→10レベル(15000点)
セージ0レベル→1レベル(500点)
経験点残り 1500点