二色の炎が入り乱れる……という事もなく、茜刃の怒涛が封絶の空を暴れ狂う。
「どうした、俺を敗北させるのではなかったのか。いくら時間を稼いだところで、『スティグマ』がある限り追い詰められるだけと解らぬ貴様ではあるまい」
その渦中に、剣の雪崩を以てヴィルヘルミナを追い詰めるサブラクの姿があった。
「だが、その傷付いた身体で俺の攻撃を捌く技巧には畏敬の念を抱かずにはおれんな。『戦技無双の舞踏姫』とはよく言ったものだ」
ブツブツと語りながら、恐ろしく鋭い斬撃が絶え間なく続いている。その暴威に曝されながらも……ヴィルヘルミナは一太刀たりとも食らってはいない。
異常な耐久力を誇るサブラクは全ての力を攻撃に回せる。その優位性は何ら損なわれていないのに、ヘカテーのようにいかない。
サブラクの剣技さえも優に上回る桁外れの絶技が、それを可能にしていた。
「っ……!」
しかし、それは“開戦後”に受けた傷に限った話。初撃の不意討ち、ヘカテーを庇った際の傷は残っている……どころか、自在法『スティグマ』で広がり続けている。
サブラクがこのまま何もしなかったとしても“勝手に死ぬ”。はっきり言って勝負にすらならない。
実際、『約束の二人(エンゲージリンク)』と共に旅していた頃に度重なる襲撃を受けていた際は迷わず逃げていた。
だが、
「(それでも、戦う)」
今この時、ヴィルヘルミナは自滅に繋がる戦いに身を投じていた。
得体の知れない企みに『零時迷子』を利用させてはならないという討ち手としての使命、友の仇を討つという執念、そして……新たな絆を護りたいという想いが為に。
「く……っ」
身体が動かなくなって来た証明のように、一つの斬撃が『ペルソナ』を両断する。
ヘカテーが戦っていた間もずっと、『スティグマ』は彼女の身体を蝕み続けていたのだ。こうして防戦ながらも時間を稼げていたのは、強靭極まる精神力で耐えぬいていたに過ぎない。
しかし、それも限界……
「疲労を舞に表すほど力も失せたか。ならばそろそろ決別の頃合いだ、『万条の仕手』!」
羽ばたくように外套を広げたサブラクが、ヴィルヘルミナから距離を取る。
瞬間、剣の泳ぐ灼熱の津波を、手負いの討ち手に容赦なく殺到させた。
「(この期に及んで、まだこれほどの……!?)」
万全のヴィルヘルミナなら、その炎を払い、全ての刃を投げ返す事さえ出来ただろう。
だが、もう身体が動かない。投げ返すどころか、避ける事も、防ぐ事も叶わない。
「(―――ここまで、でありますか)」
奥歯を軋ませるヴィルヘルミナの眼前で……
―――迫る怒涛が二つに割れた。
直下から天に向かって放たれた、一条の虹によって。
「(これ、は……)」
消耗か、安堵か、飛ぶ力すら失ったヴィルヘルミナが弱々しく落下する。その襟首を、浮かび上がって来た男の手が ついでのように掴んだ。
「……祭りには来ないのではなかったでありますか?」
不満か、照れ隠しか、いじけたような声を掛けられても、男に気にする様子は無い。
「なに、思ったより面白そうな事になって来たようだからな」
ただ、眼前の強敵を見て、不敵に笑う。
「俺も混ぜて貰おうか、“壊刃”サブラク」
銀の長髪を靡かせて、七色の炎を迸らせて―――“虹の翼”メリヒムが、戦場に踊り出た。
どうして考えもしなかったのだろうか。
“壊刃”はずっと御崎市に潜んでいた。討ち手らはこの場所を、教授の企みを阻む拠点として使っていた。
依田デパートが敵の標的になる可能性を、どうして考えもしなかったのだろうか。
「……………」
斬り刻まれて中途から倒壊したビル、砕かれた瓦礫で無茶苦茶になった室内、至る所で黒煙を上げる炎、どれもこれも、封絶の中では珍しくもない光景。
「……………や」
一つだけ違うのは、一人の少女の存在。
「平井、さん……」
現れた悠二を弱々しい笑顔で迎える、平井ゆかりの姿。
冷たい床に横たわり、浅い呼吸を繰り返す少女の着物は―――真っ赤な鮮血に染まっていた。
「何、で……」
瓦礫に潰された池も、剣に貫かれた佐藤も、地上に落下した田中も、封絶によって因果を切り離されている。サブラクにさえ勝てれば、後から修復する事も出来る。
平井ゆかり唯一人が、宝具『ヒラルダ』の加護によって封絶の影響を受けていない。……だからこそ、修復する事も叶わない。
「どう、して……」
視界が揺れる、頭が痛い。身体全体が目の前の光景を拒絶する。
そんな少年に対して……
「……ヘカテー、『スティグマ』受けてるの?」
立ち上がる事も出来ない少女は、やはり弱々しい声で訊ねた。
悠二はただ、訊かれたまま首を縦に振る。
「……だったら、早く敵から、引き離さないとね」
平井は、その右手を着物の胸に当てた。そこに隠された『ヒラルダ』が意志を受け取り、琥珀の風を呼ぶ。
「『ミストラル』、発動」
宝具『ヒラルダ』に刻まれた唯一の自在法が、絶命に近付く巫女を柔らかく包み込む。
琥珀の竜巻はヘカテーを乗せて、あっという間に空の彼方へと消えて行った。
「……よし」
それを見送って、平井は満足そうに頬笑む。自らが命の危機に瀕している状態でそうした少女の姿を見て、悠二は無意味な自失から立ち戻った。
「(っ、何をやってんだ僕は!?)」
“諦めかけていた自分”にこそ恐怖して、悠二は膝を着いて平井に顔を寄せた。『玻璃壇』も箱庭が砕かれて銅鏡に戻ってしまっている。
頼みの綱は、他でもない平井ゆかりしか残されていない。
「平井さん、攻撃される直前まで『玻璃壇』に何が映ってたか、憶えてる?」
「ん……」
それを待っていたかのように、平井はずっと手にしていた携帯電話を悠二に手渡した。
開きっ放しにされた画面には、撮影された『玻璃壇』の画像が映っている。悠二が求めていた自在式の全容も、また。
「(よしっ、これなら……!)」
一縷の希望に爆発しそうになる歓喜、それすらも理性で押さえ込んで、悠二は画面の中の自在式を一心不乱に仰視する。
丁寧に、慎重に、出来るだけ素早く、見たままの自在式を火線で描き……それを『グランマティカ』に宿した。
「平井さん、いくよ」
これで平井を助けられる。時と共に傷を広げる『スティグマ』があるからこそ、それが出来る。
そう強く確信して、悠二は自在式を起動させた。
―――だが、
「え……?」
何も、起きない。
「くそっ、何で……何処が違うんだ!」
式の再現に誤りがあるのかと画面と見比べるが、何度確認しても問題は無い。自在法は間違いなく発動している。
それなのに、思惑通りにいかない。……つまり、平井の傷は『スティグマ』ではない。
「何で…どうしてだよ!」
そこに、大きな理由など無いのだろう。フレイムヘイズ達の居なくなった依田デパートを攻撃するのに『スティグマ』を使う必要性をサブラクが感じなかった、ただそれだけの事。
そもそも『スティグマ』であんな深手を受けたなら、平井はとっくに息絶えている。少し考えれば解る事実に気付かないほど、悠二は僅かな希望に縋りついていたのだ。
「誰か! 誰かいないのか!?」
その希望すら潰えて、悠二は大声で喚き散らす。
「平井さんが死にそうなんだ!! 『弔詞の詠み手』は!? 『儀装の駆り手』は!? 誰かいないのか!!?」
居るわけが無い。居たとしても、どうしようもない。そんな事は百も承知で、それでも絶対に認めたくなくて、坂井悠二は叫び続ける。
「お願い、だから……!」
しかし、当然、その声は届かない。
「何でもするからっ……!」
絶対にどうしようもない、変える事の出来ない現実だけが、そこにあった。
「僕は…何で、こんな事なら―――」
いつまでも叫び続ける少年の手に、
「坂井君……」
穏やかな笑顔を浮かべた少女の手が、触れる。
「……身体、起こして、くれないかな……」
―――それは、残された時間を笑って過ごしたいという、最期を受け入れた者の笑顔だった。
「ハアッ!!」
爆ぜるような笑いと共に、サーベルが虚空を一閃する。その軌跡に沿って虹の爆光が空を奔り、不死身の殺し屋に突き刺さった。
「ぬぅ……!?」
それはサブラクのみならず、遥か後方に立つ高層ビルまでも泥のように斬り裂いた。
「やはり、単に硬いというわけじゃないか。確かに厄介な相手だな」
もはや当然のように無傷のサブラクではなく、“貫通した”という事実を認めてメリヒムは肩を竦める。
圧倒的な破壊力を誇るメリヒムの『虹天剣』も、当たらないのでは意味が無い。いや、手応えはあるから当たってはいるのだが、それは空蝉を裂いたような虚ろなものでしかない気がする。
「数百年前に死んだと聞いていたが、よもや貴様と会えるとは思っていなかった。まったく、この地はどこまで俺を楽しませてくれるのか」
その空蝉が、もう何度目かという茜色の怒涛を放って来る。こんな莫大な力を無尽蔵に繰り返すのが傀儡に過ぎないとすれば、どんな仕掛けであろうと紛う事なき化け物だ。
「勝負を楽しみたいんなら、お前本人が姿を現したらどうだ? 気の済むまで付き合ってやるぞ」
だが当然、“虹の翼”はそんな事で怯まない。
高々と掲げたサーベルを、縦一文字に振り下ろす。その切っ先から伸びる閃虹を受けて、剣の津波はモーゼの十戒のように割れた。
「馬鹿な……!?」
デタラメな威力にサブラクが目を見開く。その頭上に、いつの間にかメリヒムが飛び上がっていた。
そして再びの、『虹天剣』。
「墜ちろ!!」
「な――――」
爆発的な光輝の塊がサブラクを押し潰し、街の真ん中に風穴を穿った。
天井という物を失った部屋、淀んだ陽炎を空に頂く瓦礫の中に、少年と少女は在った。
「……綺麗だね」
陽炎に踊る銀の炎を見つめて、少女は眩しそうに眼を細めた。少年の腕に背中を預けて、か細い溜め息を吐く。
「あたし、さ……」
泣きそうな少年を見つめ返す少女の瞳は、信じられないほど穏やかで……言葉を失うほど寂しかった。
「全部、わかってたよ……。どれだけ危ないのかも、いつか“こうなる”かも知れないって事も……」
それでも少女は、微笑んでいる。今ここに在る少年に、喜びだけを残そうとするかのように。
「……全部、わかった上で、あたしが選んだの……」
自分の生き方は自分が決める。いつかの言葉が、少年の頭の中で残酷に響く。
あの言葉を、強いと思った。
あの姿を、眩しいと思った。
だが……こんな結末が待っていると知っていたら、同じ気持ちを持てただろうか。
「だから……」
ゆっくりと伸びた少女の掌が、少年の頬に触れる。
「泣かないで」
声も無く涙を流す少年の頬を、少女は優しく撫でる。
生気の薄れた掌は、涙に濡れた頬よりも冷たかった。
「……泣いちゃ、ダメ。これからはもっと、強くならなきゃ……」
少女……平井ゆかりは、少年に強さを求め、
「嫌、だ……」
少年……坂井悠二は、弱さでそれに応える。
「……ヘカテー、泣かせちゃ、ダメだからね」
「嫌だ」
「……最期、くらい……カッコいいトコ、見せてよ……」
「嫌だ!!」
悠二は、子供のように泣き喚く。少年の知らなかった一面を見て、少女は困った風に笑う。
悲しさと等量の喜びを精一杯の力に変えて、一秒でも長く坂井悠二という少年に手を這わせる。
もう、彼の顔も見えない。それでも、ここにいる事を確かめていたくて。
「坂井君……」
名前を呼ぶ。
その行為が、悠二に終わりを予感させた。
「……あたし、後悔してないよ」
言葉の一つ一つが、
「……貴方に会えて、この道を選んで」
心に落ちて、沈んでいく。
「……でも」
否応もなく悟らされる、永遠の別離。
「……あの、景色を……二人で一緒に、見た、かった…な……」
どうしても押さえきれなかった、たった一粒の涙が……少女の瞳から零れ落ちた。
「(あ、ぁ……)」
頬に触れた掌が―――
「(ぁ、ぁあ、あ……)」
涙に濡れた指先が―――
『お隣さんだね、よろしく!』
『誰の頭が触角かーーっ!!』
『いや〜食パン咥えて登校するなら走らなきゃ! みたいな鉄則があるから』
『あたしが首突っ込んだ結果でしょ。坂井君がそんな顔しない!』
『あ、あはは……もしかしなくても、バレてる?』
『今は内緒。もっとベストタイミングな時に、また二人で来よっ!』
ゆっくりと、落ち……
「っあああぁああああぁあぁああああああぁ――――!!!」
―――血を吐くような慟哭が、封絶の空に響き渡る。
膨大な炎を凝縮した力の塊と化した“壊刃”サブラクが、自身を穂先とした巨大な槍となって飛んで来る。
「そぉらぁ!!」
それを、昂揚に吼えるメリヒムが迎え撃つ。七色の閃虹が茜の大槍と正面から衝突し合い、数秒の均衡の後―――突き破る。
「ちいっ……!」
その身を削られながら、サブラクが光の濁流から横っ飛びに逃れる。
大通りから路地裏に飛んだサブラクを、メリヒムがサーベルの切っ先で追った。『虹天剣』を放ち続けながら。
「―――――」
圧倒的な破壊の渦が、逃げる敵を追って“街を削っていく”。ヘカテーをも越える凶悪極まる攻撃力に、サブラクは漸くの危機感を覚えていた。
「(不味い、このままでは)」
これだけの暴威に曝されながらも、サブラクは変わらず傷一つ無い。いや、“傍目にはそう見えるだけ”だ。
実のところ、メリヒムの推測は良い線はいっていても、外れていた。
今ここにいるサブラクは傀儡ではない。サブラク本人の意志総体を宿す、紛れもない本体だ。……ただし、本体ではあっても“全体”ではない。
“壊刃”サブラクの正体とは即ち、『薄く巨大な身体を広域に浸透させる徒』なのだった。不死身に見える耐久力は、全体のごく一部を攻撃させられているが為に起きる錯覚に過ぎない。
もちろん、その全体が広域に広がる巨体なのだから、仕組みが解ったところで容易に倒せるような相手ではないのだが……メリヒムの『虹天剣』は、そんな仕組みなど知らぬまま街を削り続けていた。
常にメリヒムの上方で戦えば良いとも言えるが、不自然な動きで正体に気付かれるのは更に不味い。
「(いや、焦る必要は無い。奴がこれほどの力を躊躇いなく振るうのは、俺に接近されるのを避ける為だ)」
かつてない威力に動揺しかける心を、サブラクはほんの数秒で鎮める。いくら『虹天剣』が強力だろうと、余波で壊れる範囲など高が知れている。結局はいつもと同じ、一撃入れて『スティグマ』を与えてやれば、それで勝敗は決する。
「……キリが無い、『ラビリントス』に囚われた獲物はこんな気分だったのかもな。いっそ街ごと消してやろうか」
同様にメリヒムも、敵のしぶとさに眉根を寄せていた。これだけ確かな手応えを感じて平然と反撃される、というのは、戦歴の永いメリヒムにも経験が無い。
暖簾に腕押しなのは解っているつもりだったが、実際に目の当たりにすると精神的に堪える。
「「……………」」
浮かび上がったサブラクと、滞空していたメリヒムが、一定の距離を置いて向かい合う。
緊張感が火花となって互いの間で爆ぜる。いつ再びの激突が始まるかという空気を………
「っあああぁああああぁあぁああああああぁ――――!!!」
唐突に、獣じみた咆哮が木霊した。
怒号とも悲鳴ともつかない叫びに目を向ける先で、尖塔ほどもある巨大な火柱が天を衝いた。
燃える炎は、燦然と輝く……銀。
「あの色は……」
メリヒムが呟く間に、火柱から炎の塊が流星のように飛来し、あっという間にメリヒムの隣で弾ける。
銀炎を払って現れた姿を見て……メリヒムは一瞬、それが誰だか解らなかった。
「坂井悠二……か?」
身に纏う凱甲と衣、その全てが緋色。髪のように後頭から伸びるのは漆黒の竜尾。
異形異装に姿を変えた坂井悠二が、これまでに無い不気味な存在感を持ってそこにいた。
その悠二は、メリヒムの問いには応えず、代わりに静かな声で求める。
「メリヒム……こいつは、僕に戦らせてくれないか」
視線はずっとサブラクから外さないまま、
「頼む」
重ねて、求めた。
どう見ても常の坂井悠二ではない。姿以上に、その態度に何かを感じ取ったメリヒムは、
「好きにしろ」
考えるというほどの間も置かず、そう答えた。
ありがとう、と不気味なくらい素直に礼を告げた悠二は、自分が相手だと示すように僅か進み出る。
「(何だ、こいつは……?)」
それに対するサブラクもまた、予想外の事態に思考を巡らせていた。
『万条の仕手』が「自分に“壊刃”は倒せない」と言ってこのミステスを逃がしたのは憶えているが、それを特に脅威とは考えなかった。
邪魔者を全て排除した後、見つかりもしない打開策を捜し回るミステスを捕えて終わりだと考えていた。
故に、この段階で割って入られる事は想定していなかった。
「(まさか、本当に策を見つけて来たとでも―――)」
訝しむサブラクに向けて、少年が右掌を広げる。そこから、身の丈ほどもある銀の炎弾が放たれた。
「ぬ……っ」
弾ける爆炎、それが戦闘再開の合図となる。
炎弾の直撃などまるで意に介さず、サブラクは広げた外套から無数の短剣を嵐のように飛ばした。
逃げ場など無い斬撃の雨は一直線に悠二へと向かい……半透明に輝く鱗壁に一本残らず弾かれる。
「本気で来いよ」
その鱗壁に映る自在式が一瞬にして形を変えて、そこから数多の炎の槍が飛び出して来た。炎槍は弧を描いて飛来し、サブラクの身体に突き刺さって大爆発を巻き起こす。
「これから死ぬお前が、依頼の心配なんてしても仕方ないだろ」
その爆炎が晴れるのも待たず、悠二は右手に炎を生み出す。燃える銀は気体から液体へ、液体から固体へ流れるように変質し、蠢きながら一つの形を取る。
それは柄と峰に蛇の鱗を這わせる、美しい銀の直刀。
その宝剣を片手に、悠二は炎の中へと飛び込んだ。
振り抜く刃の先には、当然のように無傷の“壊刃”サブラク。
(ギィン!!)
剣と剣の衝突が、銀の爆炎を一撃で吹き飛ばす。鍔迫り合う刃越しに、両者は互いの眼を見据える。
「何を言い出すかと思えば、ミステスごときがこの俺を倒すだと? 思い上がりもそこまで行くと哀れに映るな。“頂の座”や“虹の翼”でさえ、俺を倒し切れなかった事実を見ていただろうに」
口は達者だが、やっている事は今までの者らと変わらない。結局、託された役目も果たせず戻って来ただけか、とサブラクは悠二を見縊る。
その悠二の顔には、一切の表情が無い。吸い込まれるような黒い瞳からは、どんな色も掬い上げる事が出来ない。
「ああ、お前は強い」
交叉する双剣と直刀の均衡。それが……
「っ!?」
「だから、解らないんだろうな」
悠二の剛力、振り下ろされた一閃によって破られる。
双剣と身体を両断されるサブラク、という結果を以て。
「無自覚な力に呆気なく潰される、ちっぽけな存在の気持ちなんて」
それでも変わらず、サブラクに傷は無い。幻でも斬ったかのように、一瞬すら待たずに再生する。
「っ…………」
同様に、その両手にも新たな双剣が握られていた。逆に、直刀を振り下ろした悠二には隙がある。
力任せの一撃で隙を生んだ“ヘタクソ”に、サブラクの斬撃が迫り……
「ぐ……っ!?」
届く寸前で、硬い何かが頭上からサブラクを打った。
叩き落とされるサブラクが振り返り見上げれば、それは少年の後方から伸びた、生物のように動く漆黒の竜尾。
「ぬお……っ」
それを当てにでもしているのか、少年はまたも距離を詰めて来る。
確かに変幻自在に動く竜尾は厄介だが……両者の間には、その程度では覆せない技量の差があった。
さして長くもない斬撃の乱舞を経て……剣の切っ先が悠二の頬を派手に刳る。
「(やはり、この程度か)」
標的が目の前にいる今、慎重になる必要は無い。『スティグマ』によって裂かれた傷口は、みるみる内に“塞がった”。
「な……っ!?」
攻撃を仕掛けたサブラクの方が、逆に目を見開く。かつてない衝撃を受けた心が、一瞬だけ身体の動きを止めた。
その硬直を、伸長した竜尾の一掃きが殴り飛ばす。
「馬鹿なっ……我が秘奥『スティグマ』をミステスごときが破ったと言うのか……!」
高速で飛ばされるサブラク―――その眼前に、坂井悠二が並走していた。
「驚く事じゃないだろ。この自在式は、元々おまえ達が使おうとしていた物なんだから」
さらに一撃、特大の炎弾がサブラクを吹き飛ばす。灼熱の業火に焼かれながら、サブラクは悠二の言葉の意味を考える。
『おまえ達が使おうとしていた自在式』、そして、与えた傷は広がらぬどころか、瞬く間に塞がった。これの意味するのは……
「そう、教授の『逆転印章(アンチシール)』だ」
“傷の拡大の逆転”。その正解を先取るように答えて、悠二は吹き飛ばしたサブラクを更に追う。
「これもあの変人のせいだと言う事か。次から次へと厄介事ばかり、今後は雇い主も選ばねばならんな」
サブラクもそれを、迎え討つ。今まで一度も破られた事の無い『スティグマ』を封じられたのは許し難いものがあるが、それだけの事。逆転させられるくらいなら、『スティグマ』を使わなければ良いだけの話だ。
「『スティグマ』を封じられたとて、俺の絶対的優位は動きはせん。貴様らの攻撃では、俺に傷一つ付ける事は出来んのだからな!」
烈迫の気合いと共に、サブラクの身体から炎が溢れた。それは無数の剣を内包した燃え盛る海となって悠二を囲み、一斉に殺到する。
今度は『スティグマ』の掛かっていない、『逆転印章』を使っても塞がらない通常の攻撃。
「お前は不死身の怪物なんかじゃない」
間髪入れず、後頭の竜尾が悠二を球状に隙間なく包んだ。
黒鱗に覆われた竜尾は雪崩れ込む剣を悉く撥ね退け、押し寄せる炎は『アズュール』による火除けの結界に阻まれる。
「街全体に身体を浸透させる、薄く巨大な徒だ」
その殻を解いた悠二が、サブラクの無自覚な自信を削り取るように語り掛ける。
「だけど、その知覚は単一個人程度の狭い範囲しか持っていない。だから、“お前の身体の上にいる”僕達の位置を、殆ど把握できない」
もはや『スティグマ』だけではない。完全に正体を看破されている。その事実に戦慄するサブラクの頭上で―――雷鳴が轟いた。
「ぐあぁ……!?」
瞬間、銀の稲妻がサブラクを直撃し、眼下の市街地に叩き落とした。
削られた力は即座に全体から本体に供給されるが、今までのように反撃に移れない。
「身体が、痺れ……っ」
指摘された通りの小さな感覚が、全身を駆け巡る雷撃によって悲鳴を上げていた。
仰向けに倒れて天を見上げるサブラク。その視線の先に………
「どんなに全体が大きくても、お前の意志総体はその人型の中にしか無い」
空に広がる、巨大な時計のような自在式が、見えた。
その、時を示す十二の数字全てから、銀に輝く光の柱が撃ち下ろされる。
「だったら、こうすればいい」
突き立った光柱はそれぞれが大爆発を巻き起こし、銀の炎を溢れさせる。
その炎はすぐさま半透明の鱗壁へとなって、破壊の爪痕を点から円に、円から球に広げていく。街に浸透したサブラクの身体を、問答無用で咬み千切って。
それは正に、地中を含めた一帯を包む球状の結界だった。
「これでもう、“自分から”力を供給できないだろ」
悠二が、上向けた右手の五指を軽く立てた。その動きに応えるように、鱗壁の結界が空へと浮上し始める。
「させる、かぁーー!!」
次に受ける攻撃を予期して、漸く自由を取り戻したサブラクが咆える。
いま操れる全ての力を両手の双剣に込めて、鎖された空めがけて一直線に飛び上がった。
本体さえこの結界から抜け出せれば、再び街に浸透させた身体と繋がれる。
だが―――
「オ、オオオオオォォ―――!!」
渾身の刺突をもってしても、『グランマティカ』の結界は突き破れない。
切り離された力の一部ではこの程度なのかと失望するサブラクの眼前で……剣の炎が蛇鱗に吸収されていた。
「終わりだ、“壊刃”サブラク」
鱗壁の遥か向こうで、坂井悠二が右手を顔の高さで握り固める。その拳に小さな鱗が貼りつき、莫大な力を乗せた銀炎が宿る。
「惨めに嘆いて、無様に足掻け」
燃える掌を、勢いよく突き出した。
「絶望の果てに、消えろ!!」
そこから放たれたのは、蛇。
燦然と輝く牙と鱗を持った、龍とも見紛う銀炎の大蛇。
「―――――」
凍り付くサブラクの姿を、黒い瞳が映した刹那―――
「っ!!」
結界を擦り抜けた銀蛇の一撃が、内に在る全てを呑み込んだ。
高熱高圧の炎が一瞬にして建物を溶かし、人々を砕き、大地を消し飛ばす。
銀輪の華の咲いた空から、御崎市の一部だった物が灰と火の粉になって降り注ぐ。
「………よし」
―――それを眺める一人の少女の小さな呟きが、戦いの終幕を告げた。
歪んだ花火、日常から零れ落ちた親友と、外れた世界に関わる友人達。
まるで夢の中のような出来事を、現実の脅威として受け入れなければならない異常な世界。
そんな中で、池速人は歯を食い縛って耐えていた。既に自分の役割を終えて、後は異能者達に任せるしかないという状況で、ひたすらに無事を祈っていた。
……筈なのだが、
「え?」
その様子が解る唯一の物、ずっと凝視していた筈の箱庭が、いつの間にか消えていた。
目を離してもいないのに、いつの間にかも何も無い筈なのだが、そうとしか表現出来ない感覚である。
オモチャの山を押し退けた空間には、代わりに丸い銅鏡が転がっていた。
「……なぁ、箱庭どこ行った?」
「箱庭って……『玻璃壇』か?」
「さあ、ヘカテーちゃんが持ってるんじゃ……あれ?」
一方で、同じく見守る立場にあった佐藤と田中は、まるで最初から箱庭など無かったような態度を取った後……その矛盾に気付いたのか、困惑顔でしきりに首を捻っている。
わけがわからない状況だが……池の聡明な頭脳は、知ったばかりの知識と今の状況を結び付ける事が出来た。
「……もしかして、封絶が張られてたんじゃないか?」
敵の妨害で張れなかった封絶が張れるようになったとすれば、この状況にも説明が着く。
自分と二人で影響が違うのは、おそらく調律の核となった影響だろう。
「ああ、そっか、なるほど。……ん? で、その封絶が解けたって事は、戦いは終わったんだよな?」
「……姐さん達が勝ったん、だよな?」
池の言葉で真実に気付いた二人が、意外な思考の早さで危機を悟る。解る筈もない問い掛けを互いに交わしてから、不意に思い付いた。
「そうだメガネマン、おまえ携帯あるだろ!? 坂井に連絡してみてくれよ!」
「え……けど、邪魔になるかも知れないじゃないか」
「封絶が解けてんだから、大丈夫だってきっと」
詰め寄る二人に急かされて、池は今一つ気後れしながら携帯を取り出して、
―――唐突に、思い出した。
「………平井さんは?」
ここにいるべきもう一人の少女の姿が、何処にも無いという事に。
「平井さん! 平井さん!!」
オモチャの山で死角が多いから、もしかしたら見えないだけかもと思って呼び掛けても、返事が無い。
「おい池、落ち着けって」
「封絶が張られてたのにここにいないって、どう考えても可笑しいだろ!」
佐藤や田中の悠長な反応が信じられない。まだ状況を良く解っていないのかと苛立つ池の耳に、
「そもそも―――ヒライさんって誰だ?」
―――あり得ない言葉が、届いた。
冷たい、底が見えない闇の中に沈んでいく。
―――怖い。
そこに堕ちてしまう事が、そこに堕ちて、二度と会えなくなってしまう事が、堪らなく怖い。
それなのに、もう抗う事も出来ずに沈みゆく少女を、何かが貫いた。
―――剣だ。
と、何も見えない筈なのに、はっきりと解った。
胸に突き立てられた刃は、しかし背中を突き抜けず、ただ埋まる。
痛みは無い。その代わりに、熱さがあった。
―――熱い。
そう思った瞬間に、今さらになって傷口から鮮血が噴き出した。
しかし、違和感がある。
血と共に命が抜けていく感覚とは違う。そう感じた時、気付いた。
―――炎。
それは血ではなく、炎。脈動する命を表す、血色の炎だった。
胸から噴き出す炎は、やがて少女の全身を包み込む。
だが、それによって焼かれているのは身体ではない。
―――人間。
過去、現在、未来、この世に広がる自分という可能性の全てが、残らず焼き払われていくのを感じる。
あのまま闇の底に沈んでいれば失わなかったものまで、何もかもが消えていく。
残されたのは、血色に燃える器のみ。
―――違う。
この炎は自分を傷つける敵ではなく、形を変えた自分自身なのだと、感じるままに理解した。
ならば、何も怖れる事は無い。
「……………」
目を、開く。
そこから少女は、もう一度歩き出す。
―――その胸に一つ、灯火を宿して。
(あとがき)
いつも本作品を読んで頂き、ありがとうございます。作者・水虫です。
完結済の作品のリメイクにも拘らず感想なども頂けて、本当に身に染み入る思いです。
折り返し地点という事もあり、ここで一区切りにして『水色の星A2』に移ろうと思います。まだ本作品に興味を持って頂ける方は、そちらでまたお会いしましょう。