「だからね、一美に勝ちたいからってチョークはいかんと思うよ、チョークは」
「………………」
祭りの喧騒とは少しばかり趣の異なる緊張に包まれた出店に並び、ヘカテーと平井、ヴィルヘルミナがラムネの型抜きに没頭している。周りからこれでもかというほど浮いているが、当人達は気にしていない。
「要するに坂井君の気を引きたいんでしょ? 今さら戦闘力1の一美やっつけても、坂井君の評価は上がんないよ」
困った風な平井の忠言に、ヘカテーの肩が判りやすくピクリと震えた。その手元で、完成を間近に控えていたクマさんが割れ砕ける。
恨みがましい(と彼女なら解る)視線を受けて、平井はこれ見よがしに肩を竦めた。
「(解りやすい子……)」
そんな彼女らから僅か離れた別の出店では、悠二とシャナが火花を散らしている。
「十匹目!」
左手に茶碗、右手にポイ、視線の先には水槽を泳ぎ回る赤と黒。平たく言えば金魚すくいだった。
「…膜が破れないように強化してるんじゃないだろうな」
「決められたルールは守る。言い掛かり付けてないで続けるわよ、破れるまでやっていいんでしょ?」
この状況になった経緯は、呆れるほどにいつもの流れ。初めて回る屋台の内容を知ったシャナが、悠二に勝負を吹っかけて~と、そういう形である。
いつもならうんざりして然るべき展開に、今ばかりは感謝する悠二。先ほどの事もあり、今は吉田やヘカテーとは一緒に居づらい。
「は、初めまして、坂井君のお母さん! 先ほどはみっともない所をお見せしてしまって……!」
「こっちこそごめんなさいね。ヘカテーちゃんには、後で私からも言い聞かせておくから」
そんな悠二の気持ちを察している吉田は、自身の気恥ずかしさも手伝って距離を置いている。代わりに……というのも妙な話だが、悠二の母・千草と話していた。
……実のところ、悠二の居心地の悪さの80%はこの母の存在のせいだったりするのだが。
「(坂井君のお母さん、優しそうな人で良いなぁ……)」
そんな吉田の隣で、緒方真竹は和やかに話す二人の姿にある種の羨望を抱く。
別に緒方が母親を嫌っているというわけではないのだが……彼女の親は中学時代の事もあって、田中と佐藤が大嫌いなのである。殆ど第一印象に基づく直感に過ぎないが、この千草にはそういうしがらみも包み込んでしまいそうな大器の片鱗が見えた。
はっきり言って羨ましい。自分の親にも少しはこんな部分があればと思わずにいられない。
「何で後から合流にしたんだ?」
その悩みの元凶たる田中栄太はと言えば、例年と変わらず佐藤と二人で祭りに来ていた。高校に入って友人が増えたにも係わらず、だ。
「馬鹿、こんなテンションで混ざっても雰囲気ぶち壊しだろ。終わり寸前くらいに合流して、坂井とだけ話せる状況つくるんだよ」
祭りどころではない、というのが正直なところだった。もっとも、マージョリーから安全だとお墨付きを貰っているので、決定的な恐怖は薄れている。
「(まったく、悩んでたのが馬鹿みたいだな)」
それと似た境遇にあって、誰に何の保障を受けたわけでもない池速人は、ただ見たままに思う。
吉田が頑張って、ヘカテーが怒って、悠二が慌てて、平井が笑う。この日常が……あんな世界と同じ場所にある筈が無い。ここにいる誰が、存在を失って忘れ去られる代替品だと言うのか。
「(もう忘れよう。それで、何の問題も無いんだから)」
カムシンの調律によって歪みは消え去り、二度と紅世の徒は現れない。過去の喪失は消えずとも、未来への憂いは既に無い。
その確信を持って、人間の少年は空を見上げる。―――そろそろ、花火が上がる頃だ。
祭りの喧騒から離れた堤防の土手に、一人の少年が佇んでいる。
『儀装の駆り手』カムシン。最古のフレイムヘイズにして、この世の歪みを均す調律師。彼が今ここにいる理由もまた、その使命を果たす為だった。
「いつも一番苦労する協力者探しが、これほど円滑に済んだのは僥倖でしたね」
「ふむ、賢明なだけでなく、芯も強い少年じゃった。その覚悟には、我らも相応の結果で以て応えるとしよう」
肩に担いでいた長物の布を解く、中から現れた、身の丈を優に越える鉄の棒を、まるで指揮棒でも扱うように右手で軽々と振る。
「ええ、それでこそ守る甲斐があるというものです」
「起動」、という呼び掛けと同時に、左の掌上に野球ボール大の褐色の火球を生み出した。それは見たままの、破壊を齎らす通常の炎ではない。今日の昼間、池速人によって構築されたイメージ……この街の在るべき姿の写し身だった。
その調和の炎が鉄棍に絡み付き、高度な紋様へと結晶する。
「自在式、カデシュの血脈を形成」
それに連動して、彼が昨夜の間に街中に仕掛けたマーキング……カデシュの血印が同色の光を放つ。
「自在式、カデシュの血流に同調」
その光全てが、鉄棍・『メケスト』に浮かぶ調和と共鳴し、同じ紋様へと変質した。
全体に散りばめた血印を基点に、歪んだ流れを在るべき姿へと矯正する。喪失を、空虚を、安寧と懐しさが埋めていく。
これが、調律。
「調律、完了」
これで歪んだ街に調和の姿が訪れる。
―――はずだった。
誰も彼もが歩き回るのが常の祭りも、今だけは皆が足を止めて空を見上げている。
悠二らも例に漏れず、仲良く並んでシャクシャクとカキ氷をつついていた(平井曰く様式美)。
シャナ、ヴィルヘルミナ、千草の三人とはついさっき別れた、というのが、悠二にとっては救いだったりする。一少年として、家族を友人の前に晒し続けるなどちょっとした拷問に等しい。
「ほらヘカテー、メロン味もお食べ」
(あむあむ)
「シャナちゃんも坂井君のお母さんと知り合いだったんだね」
「た、たまたまだよ。きっと…偶然……」
それでもまだ、男2女4というアンバランスな構成は変わらない。必然的に、悠二は池の隣に並ぶ。
「……お前が今更そんな事言うわけ?」
その池に、佐藤と田中の遅刻について何の気なしに愚痴ったところ、そんな返事を承った。思い当たる節が無いわけでもないので、悠二は咳払いで返すしかない。
「(ホントに解ってるのかねぇ、こいつは)」
そんな悠二を横目に睨んで、池は視線をヘカテー、そして吉田に移動させる。
吉田は元よりヘカテーも、好意を持たない相手にあんな態度を取るわけがないと、普通なら解りそうなものだが……悠二の場合は今一つ怪しい所がある。
「(しっかりしろよ、冗談抜きで)」
少女の為にそう願って、池は視線を空へと戻す。
と、いよいよアナウンスが花火の打ち上げを宣告した。
「おっ、ヘカテー始まるよ。ちゃんと上、見てなさいな」
「はなび……多色の炎なら、珍しくもありませんが」
少年は、少女は、この瞬間、間違いなく日常の中に在った。
「一美、坂井君の隣に行かなくていいの?」
「い、いいの。池君に退いてもらうわけにいかないし」
それはこの世の真実を垣間見た池速人にしても同然で、心地好い日常の空気に触れた彼の意識は、既に馴れ親しんだ日々に傾きつつあった。
「携帯のカメラなんて構えるなよ。こういうのは生で見るから良いんじゃないか」
そんな彼らの見上げる空に、大輪の華が咲いた。
咲いて―――歪んだ。
どことも知れない部屋の中、騒がしく稼働を続ける種々雑多な機械が、馬鹿みたいに白けた緑の炎を噴き上げていた。
よくよく見れば、稼働しているのは機械だけではない。噴き出す炎と同色の自在式が、まるで歯車のように複数噛み合い、回転している。
「ドォーーミノォォーーー!!」
その騒音にも負けない声量で、一人の男が裏返る寸前の叫びを上げた。
だらんと長い白衣を纏ったヒョロ長い男。年齢の判別がつかない顔に愉快としか呼べない笑みを張り付け、白けた緑色の長髪を首の後ろでいい加減に縛っている。
前を留めていない白衣のあちこちから虫眼鏡なら何やらの器具をジャラジャラとぶら下げ、ズレた眼鏡を直す手は……何故かマジックハンドである。
「はぁーーーーい!!」
そんな男の声に、同じく元気の良い声が返った。
声の主は、2メートルを越すガスタンクのようにまん丸な物体。両目は大小の歯車、頭頂部からちょんまげのようにネジが飛び出しており、手足も“それらしく、いい加減に”形作られている。
無論、こんな二人が人間である筈が無い。人を喰らいて世を荒らす紅世の徒と、その燐子………の中でも、最悪に類する二人だった。より正確には、最悪の『王』+オマケ一人だが。
「見ぃーなさいこのエクセレントな稼働の様をーー!! デカい歪みにヤマを張って……、……」
「三百三十五回目でふひはひひはひ」
言い淀んだ主をフォローしたガスタンクの頬っぺたを、“教授”のマジックハンドがつねり上げる。見た目金属な癖に、つねると美味しそうに緩む頬っぺただった。
「そぉーんな事は私にだってわーかっています! そぉーれよりお前は……」
「はぁーい! 直ちに『夜会の櫃』の受け入れ準備に入りますでぇーっす!」
「だぁーれが私の台詞を横横取りにしろといいましたかぁー? しくじったらもーっと痛いですからねぇー」
上半身をあり得ない角度に曲げながら涙ぐむ燐子の顔を両手で横に伸ばす教授に命じられて、健気な燐子は渦巻く炎の中に消えた。
「さぁーって、では私もそろそろ発進しましょーうかねぇー?」
自分一人しかいなくなった空間で、堪えきれない笑みを漏らして教授は眼鏡を光らせる。
咲いた花火が渦巻き、捻くれ、揺らいで跳ねる。その異様な乱舞に誰もが混乱して―――直ぐ様、何事もなかったように感嘆する。
「(何、だ―――)」
その異様な光景に、それ以上に響く気持ち悪い感覚に、坂井悠二は反射的にヘカテーを見た。
「これも調律とやらの影響なのか」と、そう直ぐにでも訊ねたかった。
……が、出来なかった。
「………は?」
「どういう状況でぇコリャ?」
緒方の隣に居た筈のヘカテーの姿はそこには無く、代わりに居たのは………ワイシャツとスラックスをラフに着崩した栗色の髪の美女。
「弔詞の、詠み手……」
「何か、めんどくさい事になってるみたいね」
茫然と呟く悠二の顔を、美女……マージョリー・ドーは、不機嫌を装った顔で睨み付けた。
死闘を経た相手との思わぬ再会に悠二は面食らい掛けるが、それどころではないと踏み止まる。頭を振って視線を巡らせると……ヘカテーだけでなく、平井も池も居ない。平井が居た場所には見知らぬ老婆が、池が居た場所には……
「……あれ、姐さん」
今日はまだ合流していなかった、田中栄太。即座に感覚を研ぎ澄ませてみると、ヘカテーの気配は消えたわけではない。少し離れた場所に移動しただけだ。
「……人の場所が、入れ替わってる」
「みたいね。今もそれっぽい気配は感じないってのに、どういうカラクリなんだか」
思わず呟いてしまった悠二の独り言に、マージョリーが平然と言葉を返す。返されてから、悠二は自分の失言に気付いた。
この場には池がいなくとも、吉田と緒方、それに池と入れ替わったのだろう田中が居るのだ。
「……場所を変えたい。ついて来てくれるか?」
多少 変に思われるのは承知の上で、悠二はマージョリーを促して去ろうとする。
どうせロクな説明は出来ないが、それでも一言断ろうと吉田らに向けて口を開こうと……
「あ、姐さん!」
したところで、慌てた大声が上がった。花火の最中に周りの目を集めてしまう程の、大声が。
妙な呼び方で誰かを呼んだのは……田中。細い目を信じられないように見開いて彼が見ているのは、悠二ではなく……マージョリーだった。
「坂井と、知り合いなんですか……?」
疑問の形でありながら、既に答を知っている。知っていて、否定して欲しいのかどうかも良く解らない……そんな表情。
それを見た悠二は、田中の視線を追って、マージョリーの顔で止めた。
「あんた、まさか……」
「……知り合いだったわけ?」
「世の中ってのは狭ぇなぁオイ」
悠二が、田中が、マージョリーが、それぞれが驚愕を持って互いの顔を代わる代わる眺める。
のも、束の間……
「あの、坂井君」
考えを整理するには短過ぎる混乱は、しかし、何も知らない第三者には長過ぎるものだったらしい。
悠二の半袖を、吉田が控え目に引っ張っていた。
「また、坂井君のお知り合いですか?」
その視線は、“いつの間にかやって来ていた”モデル顔負けの美女へと向けられていた。
吉田の質問に引っ張られたのか、緒方までもが叫ぶ。
「あ、あ、姐さん!? 姐さんって何! ちょっと田中、説明しなさいよ! 今までその人と一緒だったわけ!?」
但し、吉田の何倍も激しく狼狽して。幸か不幸か、吉田も緒方も“入れ替わり”に気付いていない。
それ自体はある意味 好都合なのだが、ヘカテーと入れ替わった相手が悪かった。吉田と緒方の警戒心が凄まじい。
「悪ぃな嬢ちゃん達、痴話喧嘩ならもっと時間に余裕ある時に頼むぜぇ」
と、そこで予想外の助け船が入る。マージョリーの手にぶら下がって……そのまま地面に着いていた画板ほどもある本、それに意識を表出させるマルコシアスが早口で告げるや否や、群青の閃光が二人の視界を奪ったのだ。
「って、えぇ!?」
「場所変えろって言ったのはアンタでしょうが。注文の多い男は嫌われるわよ」
同様に目の眩んだ悠二と田中の手を引いて、マージョリーはあっという間に人混みの中へと消える。
日常と非日常が不安定に混在したハプニングを前にして、悠二はすっかり怒るタイミングを逸してしまった。
友人を“こちら側”に引き込まれた、という怒りの矛先を。
真南川に架かる御崎大橋のA字主塔の頂、これ以上なく見つけやすい場所に群青の灯火を光らせて……悠二らは他の異能者を待っていた。
敵の居場所は掴めないのに妙な自在法が発動している状況、常ならば敵が“釣れる”のを薄く期待すべき場面だが……今回ばかりは違う。ただ、味方を呼び寄せて作戦会議をしたいだけである。
というのも……
「……封絶が使えないなんて、こんな事して何が狙いなんだ」
人を、物を、外れた戦いから守る因果隔離空間……徒、フレイムヘイズ、どちらにとっても必要不可欠とさえ言える自在法・封絶が使えない。
悠二どころか、近年ではマージョリーでさえ想定した事の無い、これは外れた世界に於いての異常事態だった。
「“螺旋の風琴”が残ってれば何か解ったかも知れないけど、無いもの強請りしてもしょうがないわね」
「ヒャーハッハッ! この間までブチ殺そうとしてたヤツが言うと、余計に都合良く聞こえんなぁ我が身勝手なるブッ!?」
「おだまり、バカマルコ」
担いだ本『グリモア』をマージョリーがブン殴る。戦闘時の彼女しか知らない悠二は、何だかお約束っぽいそのやり取りに思わず吹き出しそうになる。
四六時中“あんな狂態”を見せているわけはないのだが、何だか少し安心した。
「ひぃ、ふぅ……やっぱり、敵らしい気配は無いな。って言うか一人足りない、メリヒムか」
「いつもの長椅子で寝ているのでありましょう。今から行って呼んで来るのであります」
「……いや、いいや。余計面倒な事になりそうだし」
今にも飛び出しそうなヴィルヘルミナの肩を掴んで止める。封絶の使えない今、下手に『虹天剣』など撃たれたら取り返しのつかない事になる。むしろ寝ててくれた方が心安らかだ。
因みにここにいるのは悠二とマージョリー、元から付近にいたヴィルヘルミナ、そして……
「やっぱり、その人もなんだな……」
あのまま引っ張って来られた、田中栄太。ここに来るまでにあちらの事情を聞きはしたが、マージョリーの説明は「成り行きで宿借りてるだけよ」というあまりにも簡潔なもの。「なぜ巻き込んだ」と訊けば「アンタだって封絶の中に人間の女ツレ込んでたじゃない、偉そうにとやかく言われる覚えないわよ」と、ぐうの音も出ない正論で黙らされてしまった。
「……この人は『弔詞の詠み手』と同じフレイムヘイズだよ。シャナもね」
悠二からすれば、自分が人間ではないと知られてしまったショック……後ろめたさにも似た感傷が先に立って、マージョリーに怒りを向ける余裕が無い。事態に専念する事で目を背けていた、というのが正直な所だが……それもそろそろ潮時だろう。
悠二は頭を掻いて暫く俯き、深く思い溜息を吐いた。吐いて、観念したように話し出す。
「僕はミステス、身体の中に宝具が入ってる……トーチだ。……ヘカテーとメリヒムは、紅世の徒」
今までの反応から見て、この世の真実の基本的な事はマージョリーから聞いているだろう。語るべき事は、自分たちの正体くらいだ。
「けど、御崎市を喰い荒らした徒を倒してくれたのも、ヘカテーなんだ。僕の中にある回復の宝具のおかげで、二人が人を喰う心配も無い。……どう思われても仕方ないけど、実質的な脅威にはならないよ」
田中の方は見ず、遠くに咲く歪んだ花火の乱舞を眺めながら、出来るだけ不安を削るように語る。
悠二にとって、一生する事は無い……一生したくはないと思っていた告白。
に対して、
「って事は、平井ちゃんは人間なんだな。俺や佐藤と似たようなもんか」
拍子抜けするほど軽い言葉が、返った。
「……あんまり驚かないんだな」
「姐さんの話聞いた後だけど、実はある程度予想ついてたんだよ」
今までの間に気持ちの整理も着いていたのだろう。田中はポリポリと頬を掻いて、
「知られたくなかったってのは解るけど……まあ、その、なんだ……そんなに気にする事ないだろ。俺らの関係に係わるような事じゃないんだし」
あまつさえ、そんな言葉さえも言ってくれた。不覚にも感動して言葉を失う悠二の耳に……
「ふ、ん」
感情に乏しい、その割りに自己主張の強い相鎚が届いた。ジロリと横目を向けてみると、ヴィルヘルミナの半眼がジーッと悠二を見ている。
「……何?」
「いえ、別に。ただ、『私の時とは随分反応が違うな』、と思っていただけであります」
「男女差別」
「男女……、んなっ!?」
わざとらしく顔を逸らす仕草を見て、悠二はこの鉄面皮の意図に遅れて気付いた。つまり、これは、“からかわれている”のだ。
平井ゆかりを巻き込んだヴィルヘルミナに対して、逆上して殴り掛かった時の事を。
無駄に済ました横顔に何か言ってやりたい衝動に駆られた悠二だが、それを理性で強引に押さえ込む。
この話題を続けてはいけないと、頭のどこかが激しく警鐘を鳴らしている。
逃げるように、平井の名前すら知らないだろうマージョリーに目を向けた。
「今さらだけど、今回アンタは味方と思っていいんだよな」
「『敵の敵』って方が正しいわね。ま、舐めた真似してくれた徒をブチ殺すまでは手出さないから安心しなさい」
「十分だ」
“銀”に纏わる因縁のあるマージョリーだが、それでも彼女はフレイムヘイズ。最低限の協力を得て、悠二は安堵の吐息を漏らす。
だが、同時に微かな違和感も持った。
「(いくらなんでも、おとなしすぎるような……)」
以前の彼女は“銀”こそ全て、他の何を措いても仇敵に執着する復讐者そのものだったが、今は誰とも知れない見えざる敵を優先している。
無論、あの時とは状況が違うし、悠二はマージョリーの人格など殆ど把握していないのだが。
「(まあ、そっちの方が都合は良いんだけど)」
深くは考えず、悠二は再び空を見る。
方角の違う遠方から、褐色と水色が飛んで来ていた。