銀の炎が揺蕩う陽炎の世界、人の残影と見える異界の住人を前にして、坂井悠二は身構える。
「……平井さん、下がってて」
右手に大剣を握り、左手に半透明の切片を浮かべ、吉田と、ヘカテーの身に意識を宿す平井を庇うように前に出た。
「(何で、こんな近くに来るまで気付けなかったんだ……!?)」
外見だけなら、街で見掛けるトーチと変わらない。胸に灯火も見えるし、ヘカテーのような存在感は………
「(! ……そうか)」
無い、という事実を再確認して、接近に気付かなかった理由を悟る。超常を操る紅世の徒にしては、あまりに力が小さ過ぎるのだ。それこそ、普通の人間と変わらない……悠二でも直接眼で見ないと判らないほどに。
「(何かされる前に仕掛けるか……いや、迂闊に手を出すのはマズいか……!?)」
完全に想定外の事態に大いに慌てながらも、悠二は必死に思考を巡らせる。現れた徒、後ろの平井、破壊なら修復できる封絶、喰われたら二度と戻らない、吉田や他の人たち。
それらの判断要素を数瞬で流し、攻撃、という短絡的な結論を選ぼうとした時………
「……やれやれ、これはまた随分な挨拶だ」
目の前の中年が、困った風に嘆息した。
敵意の無い穏やかな声、只それだけで悠二が足を止めたのは、経験の浅さからくる自信の無さ故だ。その躊躇を掬い上げるように中年は続ける。
「彼を止めてくれないか“頂の座”。とにかく封絶だけでも解いて貰いたい、今すぐに」
言って、立てた指先に深緑色の火を点した。それが何かの証明になる、なって当たり前だと言うように。
「(ヘカテーの……)」
「(知り合い?)」
その言葉と仕草の意味する事に悠二……とついでに平井は気付いて、短絡的な攻撃を思い直した。
しかし、ヘカテーの知り合いだから敵ではないとは言えない。紅世の徒は、この世に存るだけで人間を喰っていると断言できる存在なのだから。
「(………まずい)」
そもそも、ヘカテーとどの程度の知り合いなのかも判っていない。……となれば、迂闊に会話を続ける事も難しい。今のヘカテーは平井………すなわち、外れた世界での戦いなど全く出来ない無力な少女。この状態を知られれば、相手が一体どう出るか判らない。
が、しかし………
「? ……どうした、何を隠れている」
沈黙を保てばバレないというわけもない。中身が人間だなどと普通は考えもつかないだろうが、あまり怪しまれるのは不味い。
「……戦う気は無いって事か?」
「それも含めて、巫女殿から説明して貰った方が早いと思ったのだ。どうも、君には随分と警戒されてしまっているようだからな」
仕方なく悠二が会話するも、やはり知り合いのヘカテーが話さないというのは不自然だ。矛先はすぐ平井に向く。………そろそろ、限界だった。
「………何かする気なら、わざわざ馬鹿正直に出て来ないか」
本当に弱いのか、それとも気配を隠すのが巧いのかは判らないが、気付かれていないのに正面に姿を現したという事実を飲み込んで、悠二は一先ず警戒を解く。
「僕は坂井悠二。トーチで……気付いてるだろうけど、ミステスだ」
と言っても、封絶を解くわけでも、大剣を納めるわけでも、ヘカテーの状態を話すわけでもない。そのままの状態で話を聞こうと決めただけだ。
「私は“屍拾い”ラミー。真名の示す通り屍……つまりトーチしか喰わない徒だ」
そんな悠二の疑心を感じてか、中年……否、“屍拾い”ラミーは、いきなり核心を突いて来た。
「……トーチしか、喰わない?」
「そう。それも、代替物としての機能を殆ど失った消えかけのモノだけをだ。灯りの強いトーチを摘めば、世界に歪みが生まれてしまう」
まるでフレイムヘイズみたいな事を言う徒だ、と思いつつ、悠二は傾聴する。
「フレイムヘイズは“討滅の道具”などとも呼ばれるが、その目的はあくまで世界のバランスを守る事。故に無害でさえあれば、無為に同胞を殺そうなどとは考えない。この身体も、顕現の規模を抑える為にトーチの姿を借りている」
「………なるほど」
人間を喰いたくないから、などという話よりは余程説得力があるし、筋も通っている。……だが、口で言うだけならと思えてしまうのも確かだった。ヘカテーに説明を預けたがるのも頷ける。
ラミーの方はと言えば、この期に及んで肯定の一つもしてくれないヘカテー(平井)をジッと見ていた。数秒見つめてから、諦めたように悠二に視線を戻す。
「無為に同胞を殺さないとは言ったが、それは契約した王の話でな。器である人間の方は、その限りではない」
「フレイムヘイズは普通、復讐者だもんな」
「実は今も、厄介な連中に追われている。封絶を解いて欲しいのはその為だ」
理屈は確かに、通っている。ヘカテー(平井)の前に堂々と姿を現したのも、助力を願っての事なのだろう。そろそろ信用してもいいだろうか、と悠二が思い始めた時………
「!?」
「来たようだな」
封絶の中に、圧倒的な存在感の塊が飛び込んで来た。一瞬“厄介な連中”とやらを連想して身を震わせた悠二だが、これは……違う。
(ドンッ!)
石畳を砕くほどの高さから降って来たのは、黒衣を纏う炎髪灼眼のフレイムヘイズ。悠二が呼ぶところのシャナだった。封絶の気配を感じて急行して来たのだろう。
「……何やってるの」
わざわざ封絶を張っておきながら棒立ちの悠二を横目に睨んだシャナは、その灼眼をそのままラミーへと移した。そんな少女を見て、ラミーは漸くの安堵を口にする。
「久方ぶりだ、“天壌の劫火”。早速で済まんが、彼に封絶を解くよう言ってくれないか」
シャナではなく、その胸の『コキュートス』に意識を表すアラストールに。
「“屍拾い”ラミーか……。坂井悠二、封絶を解け」
言われたアラストールも、いともあっさりそんな事を口にする。あまりの急展開に、悠二だけでなくシャナも呆気に取られた。
「あんた……“天壌の劫火”とも知り合いなのか?」
「古い友だ。これで少しは信用して貰えたかな」
ヘカテーの知り合いと言うならともかく、アラストールの知り合いと言うなら話は別だ。徒がフレイムヘイズに見逃されるのは、人を喰っていない場合のみに限られる。
「………解ったよ」
漸く悠二は警戒を解いた。シャナの踏み砕いた路面を修復し、大剣と自在法を納めて、隔絶された世界を解放する。
「……あれ、大上さん?」
それは、変わらず日常の中に居る吉田一美も同じだった。“少し目を離した隙にやって来た”大上準子の姿に目を丸くしている。
「……吉田さん、ちょっとここで待ってくれる?」
「え……あっ、はい! 待ってます!」
そんな吉田に短く言い残して、悠二は人ならざる者らを促して場所を変える。
大上準子が、近衛史菜が、そして見知らぬ中年が続く背中を……吉田は呆然と見送った。
「観覧車………」
少しずつ離れていく距離が、どうしようもなく切ないモノであるように思えて仕方なかった。
「驚いたのは私も同じでね。まさか、“頂の座”と『炎髪灼眼の討ち手』が行動を共にしているとは思わなかった」
手近な喫茶店に足を運び、五人にして四人の異能者は向かい合っていた。ブラックのコーヒーを傾けるラミーの仕草は、いちいち上品で紳士的である。
「まぁ、説明すると長くなりますから、今はザックリ省きましょう。それより……“厄介な連中”について詳しく訊きたいんですけど」
さっきまで置物かと思うほど無言だった平井も、敵ではないと判るや否や堰を切ったように喋り出した。
その豹変ぶりに、悠二を除く三者が一斉に注目する。
「様子がおかしいとは思っていたが……君は“頂の座”ではないな?」
「身体はヘカテーなんですけどね。『リシャッフル』って言えば解りますか?」
「……なるほど、意志総体を入れ換えているわけか」
しかし、シャナやメリヒムの時といい、相変わらず凄まじい順応力である。いくら相手がトーチしか喰わないと言っても、人外の存在である事に変わりないというのに。
勝手に話が進められる傍らで、
「(……本当に、平井ゆかりだ)」
シャナは密かに、宝具『リシャッフル』の発現を観察していた。ヴィルヘルミナから聞いていた話ではあるが、こうして実際に目にするのとでは やはり違う。
「(心の壁があると発動しない宝具………)」
それは、御崎市での生活が打算や演技ではあり得ない事の証明でもある。平井ゆかりは、御崎市で普通に生活していた一般人なのだから。
思う間にも、会話は進む。
「私を追っているフレイムヘイズは『弔詞の詠み手』、討ち手の中でもとりわけ徒の討滅に拘る戦闘狂だ」
「うぁちゃ~………」
ラミーから追跡者の聞いて、平井は間髪入れずテーブルに頭を打ち付ける。そのリアクションを訝しみつつ、シャナは胸元のアラストールに視線で訊ねた。
すぐに応えが返って来る。
「いま聞いた通りの戦闘狂だ。恐らく、同じフレイムヘイズたる我らの言葉にも耳は貸すまい」
「だけじゃないですよ。このままいくと、坂井君が超ピンチです」
それに、平井が沈鬱な面持ちで続ける。
「え゛…僕……?」
「『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーが契約する切っ掛けになった仇敵が、“銀の炎を持った正体不明の徒”なの。バレたらきっと、ラミーさんなんて そっちのけで狙われるよ」
悠二の顔から一気に血の気が引いた。無駄と知りつつ、抗弁してみる。
「僕……そんな人知らないんだけど……」
「そりゃそでしょ。そもそもあたし達が生まれる何百年も前の話なんだから」
ミステスの炎の色は通常、それを喰った徒の炎に準ずる。或いは内に宿した宝具によって変化する。
しかし、悠二を喰らった“狩人”の炎は薄い白。また、『零時迷子』の持ち主だった『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の炎は琥珀。どちらも悠二の“銀”には一致しない。
となれば、後は“壊刃”サブラクとやらが撃ち込んだという謎の自在式しか原因が思い付かない。
……といった話を、平井から早口で告げられた。
「……つまり僕は、完全なとばっちりで狙われるかも知れないのか……」
「ガンバレっ、巻き込まれ系主人公!」
「うるさいよ……」
情けなく肩を落とす少年は、来るべき戦いがすぐ傍にまで迫っている事を、まだ知らない。
「はあっ!!」
仮面から溢れる鬣が万条の刃となって、『トーガ』の獣を刺し貫く。貫いたリボンの表面に桜色の自在式が光り、内から粉々に爆砕した。
だが、飛散した獣の中身は……空。
「“サリー お日様の周りを回れ あっはっは”!」
「“サリー お月様の周りを回れ ヒャッハッハ”!」
無闇に高らかな歌声が反響し、飛散した『トーガ』が群青に揺らめく炎となって円を描く。
燃え盛る炎は輝きを増し、瞬く間に十を越える獣の群れとなってヴィルヘルミナを包囲した。
「(『屠殺の即興詩』……!)」
『弔詞の詠み手』が得意とする、自在法発現の予備動作。本来なら構築の難しい自在法も、歌という形式で発動させる事によって通常ではあり得ない速さで行使する事の出来る弔詞である。
「防御!」
全周に白刃を伸ばす事による迎撃は、間に合わない。
リボンで編んだ純白の壁で、自身を半円に覆い隠す。一拍遅れて、その壁をトーガの吐き出す炎の怒涛が呑み込んだ。一溜まりもなく焼き散らされたリボンの中は……空。
まるで先程のお返しと言わんばかりの回避に眉を潜めるマージョリーを、
「っと!?」
床から伸びる槍衾が襲った。咄嗟に跳び上がって避けようとしたトーガの半数が逃げ遅れ、貫かれる。
「下だぁ!」
ヴィルヘルミナはリボンの壁を隠れ蓑に、床を砕いて階下へと逃れ、再び床を目隠しにして攻撃して来た。
それを一瞬で看破したマージョリーは、熊よりも太い両手の先から特大の炎弾を放り投げた。
群青の火球は上層階を軽々とブチ抜き、その下に浮遊していたヴィルヘルミナに迫り………
「なっ―――」
リボンで編んだ盾に当たる寸前で、弾けた。轟然と吹き付ける火炎を、それでも懸命に凌ぐヴィルヘルミナを……いつの間にか炎から変じたトーガが再び包囲している。
「“パイ作ったのはぁ、だれ!?”」
背後から迫る巨腕にリボンを一条絡めて、右のトーガにぶつけさせる。
「“パイ取ったのはぁ、だれ!?”」
正面から伸びる爪の側面を軽く押して、岩をも砕く打撃を容易く流す。
「“かれ!!”」「“あのこ!!”」「“パイめっけたのはぁ、だれ!?”」「“おれ!!”」「“かれ!!”」
牙が、爪が、炎が、自在式が、
「“パイ食ったのはぁ、だれ!?”」「“あのこ!!”」「“おまえ!!”」「“おれ!!”」「“かれ!!”」「“あのこ!!”」
至近距離から暴風の如く襲い掛かり、“その全てを捌かれる”。正に『戦技無双の舞踏姫』の異名を取るに相応しい絶技。
「ふっ……!」
小さな呼気と共に放たれたリボンが鋭く伸びて、全ての獣を貫いた。しかし今度も手応えは無い……どころか―――
「!?」
弾けたトーガの群青の光が自在式と結晶し、全てのリボンを取り巻いて這い登っ来た。咄嗟にリボンを切り離そうとするが―――間に合わない。
「(捕縛の自在式……!?)」
リボンを伝って獲物を捕えた自在式は、群青色の鎖のようにヴィルヘルミナを空中に縫い止めた。
「“パイ食べたいって言ったのはぁ”…………」
身動きの取れなくなったヴィルヘルミナの耳に、上から怖気を誘う吸気音が届き、次の瞬間………
「“みんなぁーーー!!!”」
容赦なく吐き出された群青の奔流が―――仮面の討ち手を攫った。
「あぁ~疲れた。ったく、余計な横槍入れてくれちゃって」
封絶の解けたアトリウムアーチの屋上で、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーは長く背に伸びたポニーテールを靡かせる。
あれからもしつこく挑み掛かって来る『万条の仕手』を撃退し、広がった破壊の跡を手近なトーチで修復し、足りない分は仕方ないので自前の力で補った。
たかが“ケンカ”でこれだけの力を浪費するのは、如何に戦闘狂と呼ばれる彼女らにとっても本意ではない。
「今日は疲れたからおしまい! ……って行きたいトコなんだけどねぇ」
「そうも行かねーわなぁ」
『戦技無双』との戦いを前にしても、二人は“それ”を逃さず捉えていた。
ヴィルヘルミナを感知した気配察知の自在法……その反響が、戦闘が始まる寸前にも返って来ていたのだ。
「せっかく獲物を見つけたってのに、むざむざ逃がす選択肢はねーわなぁ」
あれだけ遅れて反応があったという事は、それだけ遠くに気配があるという事だ。にも係わらず、ここまで跳ね返って来るほどの反響があった。
如何に紅世の徒と言えど、只そこに在るというだけでは こうはならない。何らかの自在法でも使っていなければ。
「確か、あっちの方角よね」
街に巣食っている徒ならともかく、そんな距離にいる徒を放置すれば明日にはもう居なくなっているかも知れない。そう判断して、迷わず指先を伸ばす。
「“娶ってみなけりゃわかんない!”」
「“いってぇ女房の膝と肘!”」
「“ノリでくっつけたもんなのか!”」
先のものとは違う、方角を一つに絞ったより精巧な走査の式を放つ。
今度は、自在法を使っていなくとも反応があった。徒かフレイムヘイズかまでは判らないが、間違いなく“王”の気配。
「見つけた……!」
美貌を凶悪そのものに歪め、『グリモア』に乗ったマージョリーは飛び立つ。
―――その去り往く炎を、ボロ雑巾のようにされたヴィルヘルミナが力無く見上げていた。
「(このまま、では………)」
本来のマージョリーなら、連戦という不利を押して実力の知れない敵を追ったりはしない。そんなフレイムヘイズなら、この世界で数百年の時を生き抜いて行けない。
そんな当たり前の判断も出来ないほど、今のマージョリーは己が殺意に取り憑かれている。フレイムヘイズとしては迂闊過ぎる選択だが、今のヴィルヘルミナにとっては最悪のケースだ。
彼女が向かった先は大戸………坂井悠二らが居る場所だった。
「………来る」
「『万条の仕手』が敗北した」というラミーの報告を聞いてほどなく、新たな気配察知の自在法を悠二らはその身に受けていた。
既にラミーは、大きな気配を持つ悠二達と別れて姿を眩ませている。
「…………………」
ヴィルヘルミナの敗北は、彼女を育ての親に持つシャナに少なからず衝撃を与えはしたが、こういったフレイムヘイズ同士の争いは片方が痛い目を見て終わり、というのが常だ。殺されている事はないだろう。
「『弔詞の詠み手』は自在法を縦横無尽に操る自在師だ。無双の戦技を得手とするヴィルヘルミナ・カルメルとは、些か以上に相性が悪い」
そんな少女を元気づける為か、或いは単純に敵の戦力を再確認する為か、シャナの胸元でアラストールが難しく唸った。
「他人事みたいに言ってるけど、それってつまり“僕らとも相性が悪い”って事だろ」
その隣には、悠二の姿も当たり前の如くあった。
「……何でそうなるのよ」
「シャナは剣しか使えないし、僕も今回は炎を使えない。体術主体って意味では、僕らも同じじゃないか」
「その名前で呼ばないで」
ややわざとらしいくらい威圧的に、シャナは悠二を突っ張ねる。そんな少女の悪態に、悠二はあくまでも心中だけで溜め息を吐いた。
しかし、本当の問題はそんな事ではない。
「………あれ、一番ピンチなのあたし?」
状況把握から間を置かず敵の探索網に引っ掛かってしまったせいで、未だにヘカテーな平井である。
直前の話からして、狙われるのはラミーや悠二だけだと思いがちだが、ヘカテーとてフレイムヘイズに狙われて当然の立派な徒なのだ。おまけに、今は無力な平井が入っている。
「シャナ、ヘカテーどこ?」
「うるさいうるさいうるさい! その名前で呼ばないでって言ってるでしょ! 大体、平井ゆかりだと思ってたのに連れて来るわけない」
手掛かりが一つ、潰えた。
「平井さん、ヘカテーは『ヒラルダ』を……」
『ヒラルダ』さえ持っていれば、ヘカテーも後れ馳せながら封絶を目指したかも知れない………という一縷の望みを向けた悠二の目の前で、平井がフリフリと『ヒラルダ』を揺らす。
「何で持って来た!?」
「だってヘカテーに持たせたら失くしそうだったんだもん!」
もう一つの希望も、潰えた。つまりヘカテーは、ここにフレイムヘイズが来る事どころか、さっきの封絶の発生にすら気付いていない。
「マッハで見つけて来る!!」
悠二に言われるのも待たず、平井は猛然と走り出した。その忙しない背中を見送って、悠二はより一層、己を強く顕現させる。
まるで挑発しているような存在感を至近で感じて、シャナは小さく鼻を鳴らした。
「怖かったら隠れてていいわよ。銀の炎、見せたくないんでしょ」
「ホントはそうしたいんだけどね。君が負けたら僕も、身体の入れ替わったヘカテーと平井さんもおしまいだ。足並み、嫌でも揃えてくれよ」
馬鹿にした風に言ってみても、悠二に怯む様子は無い。自分一人では勝てないと当たり前に受け入れているのも、彼に対抗意識を燃やすシャナとしては複雑だった。
そんな少女の胸元から、アラストールが諭すような声を出す。
「この戦いは、ただ己や知己を守る為の戦いではない。世界のバランスと、この地に溢れる多くの存在を守る戦いだ」
そういえば、シャナとの関係が良好ではないせいか、アラストールとはロクに話した事がないなぁ……などと思いつつ、悠二は首を傾げた。
「“屍拾い”は、ただ漫然とこの世を流浪う為にトーチを摘んでいるわけではない。ある一つの自在式を起動させる為、討ち手を刺激せぬよう細心の注意を払いながら、気の遠くなるような作業を繰り返している」
ある自在式、というのが何なのかも気になったが、今は訊かずに傾聴する。
「奴はそうして集めた膨大な力を、独自の自在法で制御している。もし奴が討滅され、制御を失った力が解放されればどうなるか………」
「とんでもない爆弾みたいな物か。………なおさら負けられなくなったな」
相槌を打ちながら、悠二は心中で密かに思う。
「(ラミーって、何者なんだ?)」
膨大な力を持っているという割に、そんな気配は微塵も感じられなかった。感知に優れた悠二でも全く気付けなかったヴィルヘルミナの敗戦を、彼だけが気付いていた。
とても、フレイムヘイズに怯えながらトーチを地道に摘んでいるような徒には思えない。
「(何にしても、生き残ってからの話だよな……!)」
神経を研ぎ澄ませる悠二の感覚に―――殺意の塊が侵入して来た。