「………ラミーのクソ野郎じゃないわね」
栗色の髪を軽く振って、美女はつまらなそうに鼻を鳴らす。
水面に石を投げ入れると、そこを中心に波紋が広がる。それは水面に在る異物に跳ね返り、新たな波紋となって異物の存在を中心に知らせてくれる。それが、彼女の使った気配察知の自在法の性質だった。
そうして掴んだ街に在る気配は……大きい。逃げるしか能の無い彼女らの標的とは明らかに違う。
「こりゃフレイムヘイズみてーだなぁ。ケーッ、面白くもねぇ」
おまけに、彼女が使った自在法の気配を察してここに急行しているらしい。
徒は普通、危険な上に何のメリットも無いフレイムヘイズとの戦いを避けるので、これは明らかに同業者の取る行動だった。
やがて気配は近づき、体感でもハッキリとフレイムヘイズだと解る。次いで、遠目に視認出来た。……見知った顔である。
「あいつ、か。こりゃもう狩り終えた後ね」
「ま、当初の予定通りにラミーの野郎を噛み千切るとしようや。我が執拗なる追跡者、マージョリー・ドー」
今後の方針を“決定した”一人にして二人の前に、あっという間に気配の主が降り立つ。
桜色の髪と瞳を持ち、浮世離れしたメイド姿のフレイムヘイズ。『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル。
「……貴女でありましたか」
気配を逆探知して急行し、ここ……御崎アトリウム・アーチの屋上に降り立ったヴィルヘルミナが真っ先に浮かべた感想は、
「(……最悪であります)」
というものだった。
只でさえフレイムヘイズは、復讐者という成り立ちである為に一人一党、同じ討ち手の言葉にさえ耳を傾けない者が多い。
中でも彼女は、ヴィルヘルミナが最も忌避していた人物である。
「久しぶり……って程でもないか。香港で会ったばっかりだもんね」
“蹂躙の爪牙”マルコシアスのフレイムヘイズ、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドー。
その気性と実力から、紅世の徒の間で『殺し屋』と呼ばれる程の戦闘狂。……だが、ヴィルヘルミナが彼女を危険視するのは、その気性ゆえではない。
「(絶対に彼女を、坂井悠二に会わせるわけにはいかない)」
「(断固阻止)」
彼女こそが、恐らくこの世の誰よりも“あの炎”を壊したいと願っているだろう事を知っているからだ。
「一応訊くけど、この街で暴れてた大食らいは もうブチ殺しちゃったわけ?」
「……この地を蚕食していた徒は“狩人”フリアグネ。既に、討滅済みであります」
「“狩人”!? かーっ、ここがあのフェチ野郎の巣だったのかよ! 美味しい獲物を取られちまったなぁ、我が鈍足なるブッ!?」
「おだまり、バカマルコ」
マージョリーが訊き、ヴィルヘルミナが答え、本型の神器『グリモア』に意識を表出させるマルコシアスが騒いで、その宿をぶっ叩かれた。
無論ヴィルヘルミナは、誰がフリアグネを討滅したかについては語らない。
「まぁいいわ。で、私たちは“屍拾い”ってザコを追っ掛けてここまで来たんだけど……あいつまで狩ったとか言わないでしょうね」
このまま空振りを嘆いて去ってくれれば……と淡い期待を持っていたのだが、続く言葉であっさりと砕かれた。
それも……聞き逃す事の出来ない標的の名によって。
「“屍拾い”……? 彼女は世界のバランスに配慮する例外的な徒であります。何故それを討滅する必要が……」
“屍拾い”ラミー。
その名の通り、屍……つまりトーチの存在しか摘み取らない徒。ヴィルヘルミナにとっては、古い友とも呼べる人物である。
しかし、マージョリーにとっては違う。伊達眼鏡の奥の瞳が、まるで猛獣の様に獰猛な光を放つ。
「例外? 例外なんてあるわけないでしょ。徒は全て殺す………殺して、殺して、殺して殺して殺して殺し尽くすしかないのよ!!」
叫ぶ口の端から、群青色の炎が荒い吐息となって吐き出される。
「(………やはり)」
香港で出会った時、既に予兆が顕れていた。こうなるだろうという危惧が見事に当たって、それでもヴィルヘルミナは言葉を重ねる。
「トーチとはいえ、彼女が永い年月を懸けて集めた存在の力は膨大なものになっている筈。その彼女を討滅すれば、制御を失った力が溢れて、周囲の存在は………」
「それが甘いって言ってんのよ。危ないからって放っておいたら、集めた力でいつ何をしでかすか解ったもんじゃないわ!」
その言葉さえ、最後まで言い切る事も出来ず遮られた。
「…………………」
実際、こういう事は珍しくない。
人間なのに人間じゃない、多少の悩みや苦しみなど無視して突き進める力と、それを忘れてしまったわけではない心が混在するのがフレイムヘイズだ。
知らず知らず奥底に蓄積した負の感情が行き着く先が、今の彼女……切迫感と殺戮衝動の塊。
「……説得は、不可能なようでありますな」
「装着」
だからと言って、ヴィルヘルミナも看過できるわけがない。頭上のヘッドドレスが解け、広がり、純白の鬣を溢れさせる妖狐の仮面へと変貌する。
「へぇ、やる気?」
「ヒャッハー! いいねいいねー、いつになくノリがいいじゃねーの!」
マージョリーもまた、その全身を群青の炎で包み、己が戦闘形態を取る。
立てたクッションのように不細工な、ずん胴の獣。『弔詞の詠み手』が纏う炎の衣・『トーガ』である。
「今の貴女を放置する事は出来ないのであります。フレイムヘイズとして」
桜色の炎が舞い踊り、陽炎の結界が周囲一帯を包み込む。
「あらそ、別にいいわよ? こっちも手加減しないから」
着ぐるみ染みた獣の、牙だらけの口を三日月型に歪めてマージョリーが笑う。
『万条の仕手』と『弔詞の詠み手』。
思想の噛み合わぬ二人のフレイムヘイズが今、ぶつかり合う。
緑地の斜面に並んで座り、悠二、平井、吉田の三人はファンパー名物の抹茶アイスを食す。
頻りに遠慮する吉田の分を、『お昼をご馳走になったから』と奢るのも一苦労であった。
「(今の僕らって、どういう風に見られてるんだろ)」
先ほどのメリーゴーランドのせいか、周囲の視線が厭に気になる悠二である。
元々今日は吉田のデートをエスケープした埋め合わせという事もあり、基本的に吉田の要望を優先する形となっている。
ここに同行しているのが本当にヘカテーならこうは行かないのかも知れないが、実際はヘカテーボディの平井である。ある意味、池の作戦は彼の預かり知らぬ所で滞りなく進められているとも言えた。
「(近衛さんって……本当は坂井君の事、どう思ってるんだろ)」
その事実が、密かに吉田を混乱させてもいる。
吉田は勝手にライバル視してはいるが、ヘカテーが“それらしい”行動を起こしたのは昼食の際の一度きり。今回のデートに同伴しようとしたのも、単に自分が行きたかっただけなのかも知れない。
その上、三人という……或いは直接対決と言えなくもない今の状況で、まるで張り合って来る気配が無い。
根拠の無い確信に疑問を抱き始める吉田である。……もっとも今のヘカテーは平井なので、その葛藤は意味の無い空回りでしかないのだが。
「(ううん、近衛さんは関係ない。大事なのは、坂井君が誰を好きかどうか)」
空回りと言えば、お化け屋敷は酷かった。
吉田としては、『怖くて男性の腕に抱きつくシーン』に仄かな憧れを抱いてのチョイスだったのだが、結果はあの有様。やはり、恐慌状態の自分などに期待するものじゃない。
「さ、坂井君!!」
頑張るべきは、事前に心の準備を終えた自分。本当ならば夕陽の沈みそうなタイミングが望ましいが、いつどんなハプニングがあるか判らない。やるなら、目標に程よく近づいた今。
「わ、わわ、私と一緒に! 観覧車に乗ってくれませんか!」
倒れるのではないか、と心配するくらい顔を真っ赤にして、吉田は精一杯の大声で言い切った。
「あっ……うん」
その勢いに、悠二は半ば呆気に取られつつ頷かされていた。無粋な少年は、何故に今に限って吉田がこんなに興奮しているのか解っていない。
一方、
「(一美、意外と頑張るじゃん)」
平井は当然、解っている。吉田は、良くも悪くも恋に恋する恋愛至上主義である。わざわざ察するまでもなく、好きな男の子との観覧車など憧れのシチュエーションだろう。
「(軽い気持ちで応援ってわけにもいかないけど、コレくらいなら良いかな)」
残ったコーンをバリバリと噛んで、平井はヨイショと腰を上げる。
「では、行きましょうか」
乗る直前で離脱して、さりげなく二人きりにしてやろう。そんな事を思いながら先に立って進む平井。
―――その肩を、後ろから悠二が掴んだ。
「悠二………?」
何事かと振り返ると、肩を掴む少年は、見ているこちらが怖くなるほど強張った表情で前を睨んでいた。
その視線を追って、平井は再び視線を前方に戻す。
「(………トーチ?)」
そこには、四十代半ば程に見える、落ち着いた物腰の中年が立っていた。胸の中心には、人魂とも見える揺らめく灯火……存在を失ったモノの証があった。
「(え……なに……)」
平井は、トーチを見るのは初めてではない。ヘカテーの身体に意識を宿す今は勿論、普段も宝具『ヒラルダ』の加護によって在りのままの世界を認識できている。
だから、目の前に居るトーチも……特別に珍しい存在ではない。
……なのに、目が離せない。そこにおかしなモノがあるように思える。まるで……ヘカテーやメリヒムを見ている時のような感覚。
「封絶」
平井の感じた悪寒を肯定するかのように、悠二の唇が一つの自在法を唱えた。
バンジージャンプを終え、飽きる事なく次なる楽しみを模索するヘカテー。その忙しい背中を見失わないように、池ら四人が懸命に続く。
「も、もうムリ……もう怖いのヤダ……」
「なははは! 情けないこと言ってますなぁオガタクン?」
「……いや、俺もそろそろキツいぞ。田中、お前よく平気だな」
「……平井さん、あっちのミラー・ラビリンスなんてどうかな?」
よろめく緒方の背中を田中が笑いながらバシバシと叩き、やや顔色の悪い佐藤の呟きに同調した池がさりげない回復を目論む。
それら、自分には共感出来ない皆の様子に首を傾げるヘカテーは、鏡の迷宮も気になるのか、大して悩みもせず首を縦に振った。
「ふぅ…………」
実は誰よりもグロッキー寸前だった池は、大きく安堵の溜め息を吐いて……ふと、気付く。
「………大上さん、どこ行った?」
最後尾を歩いていた筈の大上準子の姿が、どこにも無いという事に。