いるかどうかも不確かな恋敵を見極め、自身の恋路を一歩踏み出さんと決意を持って今日を迎えた緒方真竹。
……だが、その成果は今のところ全く挙げられていなかったりする。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
『スクリーム』の名に恥じぬ超速回転を味わった緒方は、半ば放心状態でか細い呼吸を繰り返す。
因みに、ジェットコースターで叫びを上げる彼女の女の子らしい一面を隣席で見ていたのは……田中栄太ではない。
「…………♪」
スリルと昂揚に紫の瞳を輝かす平井ゆかり、である。近衛史菜と吉田一美は別行動を取っており、そもそも彼女が大上準子を誘ったという経緯もあって、当然平井が大上の隣に座るとばかり思っていたのだが。
「オメガ」
「……え? それ、私の事?」
そんな緒方に、平井がファンシーパークのパンフレットを見せて来る。見れば平井は、バンジージャンプの紹介欄を指で差していた。
「えっと……次はこれに行きたいの?」
表情は変えず、瞳だけを光らせて、何度も首を縦に振る平井。
確かに平井は、如何にもこういう場所を全力で楽しみそうな性格ではあるが………凄まじい違和感があるのは何故だろうか。
「それなら、午後の1時半がベストだね。今だと一周回って来た客が引っ掛かるだろうから」
その横から、幹事を自認する池が解りやすく説明を入れる。
「これは?」
「ああ、それなら多分大丈夫」
「では、行きましょう」
脇目も振らず、早歩きに次の標的を目指す平井。何だかんだで積極的に続くシャナ。その弾む背中を見ながら………
「……平井ちゃんって、あんな感じだったっけ?」
一連の流れを見ていた佐藤が、零れるように呟いた。
「きゃあああああーーー!!」
「吉田さん!?」
井戸の中からろくろ首が飛び出し、それを見た吉田一美が悲鳴を上げて脱兎の如く逃げ出した。
「……吉田さん、お化け屋敷もダメだったのか」
「……まあ、予想は着いていましたけど」
同伴していた悠二とヘカテーは、必然的に置いてきぼりを食う形となった。
性格と身長、それぞれの理由で絶叫マシーンに乗れない吉田とヘカテー。悠二はその付き添いである。
しかし、そうして巡る絶叫マシーン以外のアトラクションは、初っ端から失敗したと言わざるを得ない。
「……これで良かったの?」
あっという間に闇の彼方へ逃走した吉田を見送り、悠二は丁度いいからと傍らの少女に訊いてみる。
「一美本人が行きたいと言ったのですから、今回は仕方ありません」
「そうじゃなくて……」
別にお化け屋敷をチョイスした事を言ったわけではなかったので、もう一度訊き直す。
「これなら確かにヘカテーは楽しめるけど、平井さんが乗れないだろ? 絶叫マシーン」
「ええ、だって今回のメインはヘカ………」
それにごくごく自然に答えようとしたヘカテーは、そこで言葉を切った。
「…………………」
長いようで短い沈黙を経て、
「あ、あはは……もしかしなくても、バレてる?」
ヘカテーは、悪戯が見つかった子供のように笑って後ろ頭をポリポリと掻いた。
そのヘカテーらしからぬ仕草に「やっぱり」と納得して、悠二は軽い溜息を吐く。
「まぁ、『リシャッフル』の事を知らなかったら、すぐには気付かなかっただろうけど」
「あちゃ、やっぱり無理だったか。さっすが坂井君だね」
むしろ嬉しそうに、腕を組んで何度も首肯するヘカテー………否、“ヘカテーの身体に意思総体を宿した平井ゆかり”。
「いつから気付いてたの?」
宝具・『リシャッフル』。
「殆ど最初から。ヘカテーは自分を“あたし”なんて言わないし、平井さんがあの時のヘカテーを放っとくわけないだろ」
いつぞや依田デパート……“狩人”フリアグネが根城にしていた廃ビルで見つけた、『覗き込んだ者と覗き込まれた者の意思総体を入れ換える』黒い筒である。
「あり? “あたし”って言ってた?」
「思いっきりね」
平井はこの宝具を使って、自分とヘカテーの身体を一時的に交換したのだった。140㎝未満なのは“ヘカテーの身体”、だったら、別の身体を使えば身長制限は難なくクリアである。
「うっわー、気付かなかった。クセって怖いね~」
今頃ヘカテーは、平井の身体で絶叫マシーンを思う存分堪能している事だろう。「ヘカテーが全力で楽しめるようにする」とはつまり、こういう事だったのだ。
「で、話を戻すけど……良かったの? 平井さんは」
ただ、この方法には一つ問題がある。即ち、ヘカテーの身体に入った平井の方が、身長制限に引っ掛かるという問題が。
「フフン、あたしがヘカテーボディで楽しんでないとでも思うのかね、少年?」
何故か勝ち誇った平井の声に目を向ければ、優越感たっぷりの瞳と眼が合った。……“同じ目線の高さ”で。
ヘカテーの小柄な身体と目線の高さが同じ、という違和感に、視線を下に向けてみたらば……平井はフワフワと宙に浮いていた。
「浮かぶな! って言うか何で浮けるんだよ!?」
「これでもあたし、小学生の時は舞天術の練習してたの。内緒ね?」
「……そんな理由で飛べるのか」
誰かに見られたらマズいので、肩を掴んで着地させる。
慌てる悠二を、ヘカテーの顔でひとしきり笑った平井は、スキップするような軽い足取りで少し前に進んだ。
そうして、ワンピースの裾を花のように広げて振り返る。
「でも、それ坂井君だって同じでしょ。あたしに気を遣ってこっちに来なくても良かったのに」
「え……あっ」
言われて、悠二は初めて気がついた。ヘカテーを優先して身体を交換した平井と、それを気に掛けて追い掛けて来た自分は、ファンシーパークの全てを満喫出来ないという点では同じなのだと。
要領が良いようで何処か抜けている少年をクスリと笑って、平井は大きく一歩近寄った。
「ねっ、また今度二人で来よっか」
「は!? えっ、と……」
その近さに、本来ならまず見られない太陽の様な“ヘカテーの笑顔”に悠二は当惑する。それに気付いているのかいないのか、平井は構わず続ける。
「だって今回、あたし達だけフルに楽しめないもん。埋め合わせしても罰当たんないと思うわけよ。坂井君の奢りで」
跳ねる心臓に焦燥を煽られ、微妙にぎこちない動きで後退る悠二。そんな少年に首を傾げる平井に、悠二は何となく顔を背けた。
「……池とじゃなくて、いいの?」
「? 何で池君が出て来るの?」
「はあっ?」
悠二からすれば至極当然な提案に、平井は心底不思議そうに頭上に疑問符を浮かべる。
その態度に、曲がりなりにも協力者を自認していた自分が何だか馬鹿らしくなって、悠二は大袈裟に天を仰いだ。
「はぁ……解ったよ。また今度、一緒に来よう」
「やたー! 坂井君の奢りだー!」
「ちょ、待った! 解ったってのはそっちじゃなくて……!」
飛び跳ねながらお化け屋敷の奥に逃げる平井を、悠二が慌てて追い掛ける。
「(………可愛かったな)」
どうにも落ち着かない自分の胸を、服の上から押さえつけるようにして。
「んめー! 坂井はいつもこんなの作って貰ってんのかよ!」
良く油を切ったカツサンドを齧った田中が、割りと恥ずかしい大声で喝采を上げた。
「いや、マジで美味いわ。坂井に軽く殺意が湧くくらいに」
佐藤は田中ほどオーバーではないが、だからこそ深みを感じさせる呟きを漏らし、
「うぅ……美味しいんだけど、何だろ……この複雑な感情」
同じく一般的な女子高生たる緒方は、女の子としての劣等感から やや凹みつつ卵焼きを頬張り、
「良い仕事してますね」
平井は吉田に向けてビッと親指を立て、
((モグモグ))
ヘカテーとシャナは、ひたすら一心不乱に食べる。
因みに、まだヘカテーと平井は入れ替わったままなので、ヘカテーな平井にグッジョブを出された吉田は、チョークに怯えて密かに身構えていたりした。
「うん、やっぱり美味しい」
一番心尽くしを届けたかった少年も、本当に美味しそうに食べてくれている。それが、吉田にとっては何より嬉しかった。
その笑顔を横目に見て、池速人は静かに唐揚げを食す。心中は……やや気負い過ぎた自己嫌悪に沈んでいる。
「(何やってんだ、僕は………)」
吉田のサポートをするつもりで付いて来たというのに、蓋を開けて見れば悠二、吉田、ヘカテーの三人を一緒に行動させているだけ。
身長制限のあるヘカテーを、無難に吉田と別行動させる方法も思い付かない。これなら、あのまま成り行きに任せた方がマシだったのではと思えるほどだ。
救いと言えば、吉田とヘカテーの間の空気が比較的穏やかな事くらいである。
「午後はどうする?」
「午前と同じでいいだろ……って言いたいトコだけど、坂井、代わるか?」
「いや、いいよ。実は僕も絶叫とか苦手なんだ」
悩めるメガネを脇に置いて、暢気に午後の予定を話す男子共。もちろん、池も反対しない。吉田とヘカテーがセットならば、せめて悠二を付けないと意味が無いからだ。
「吉田さん、何処か行きたいトコある?」
「えっと、その……メリーゴーランドに……」
「では、“わたし達”は東周りで行きましょう」
そして、その悠二組も十分に今の状況に対応している。
それは間違いなく良い事である筈なのに、そこに自分の手助けが入っていない事にやるせなさを感じる池だった。
「まずは、ばんじーじゃんぷをするんです」
「あの、ゆかり? それ……私たちもしなくちゃダメ?」
「足を縛って飛ぶんだから、怖がる必要なんて無い」
「理屈じゃないんだってば!」
ふと見れば、池と同チームの三人娘も かしましく会話に華を咲かせている。その後ろからパンフレットを覗き込んだ佐藤と田中も混じる。
「(……余計なこと考え過ぎだな)」
一人だけ今日という日を楽しめていないような気がして、池は密かに自分を戒めた。
悠二らが思い思いに遊園地を楽しんでいる頃、
「何よこの街、トーチだらけじゃない」
「ヒヒッ、こーりゃまた派手な喰いっぷりじゃねーか。久々に大物が狩れそうだぜぇ?」
彼らの街・御崎市に、人ならざる存在が足を踏み入れていた。
そしてそれは、悠二の良く知るメリヒムでも、ヴィルヘルミナでもない。
栗色の長髪をポニーテールに束ねた、モデルも裸足で逃げ出すプロポーションを誇る美女だった。
「まだ生きてればの話でしょ。とりあえず今感じてる気配が、徒なのかフレイムヘイズなのか、確かめるわよ」
その美女が、画板を幾重にも重ねたような巨大な本を開く。
「“マタイマルコルハヨハネ 四方配して 寝床の夢を破るオバケを小突かれよ”」
その内に秘された式をブースターとし、詠み上げる詞を自在法に変えて広げる。
群青色の波紋が彼女を中心にして街全体に広がり、外れた存在を洗い出す。
―――その内の一つが、一人のフレイムヘイズに触れた。