遂に訪れし日曜の午前10時。駅前から出るシャトルバスに揺られて、坂井悠二一行は辿り着いた。
「キターーー!!」
今回はいつものメンバーにシャナと緒方を加えた大所帯。流石に男子は席に座れなかったものの、スムーズにここまで来れたのは実に運が良い。
「喜ぶのはまだ早いよ。遊園地って年中混むものだし、並ぶのはバスだけじゃないからね」
押し上げた眼鏡のレンズを光らせるメガネマン。プロデュースを任されただけあって、リサーチは完璧なようだ。
因みに、準備万端なのは池だけではない。
「(さ、坂井君と遊園地……!)」
人数分の昼食を詰めた巨大なバスケットを必死に運んで来た吉田一美(今は悠二が持っている)、
「こんな大勢で遊園地なんて、中学時代のアンタ達じゃ考えられないわよね~」
「それを言うなって……」
「勘弁してくれ……」
些か以上に空回り気味の覚悟を抱いてこの場に臨んだ緒方真竹も、今日という日を心待ちにしていた。
……もっとも、緒方の方は既に当初の目的が外れつつある。久しぶりの遊園地と、田中栄太。他者への警戒以上に、自分自身の目先のイベントに主旨が移っているのだった。
「……ゆーえんち」
「…………………」
一方で、小さな二人は初めての遊園地に目を奪われている。瞳を輝かせているヘカテーは勿論、シャナの方も隠しきれない好奇心が滲み出ていた。
何だかんだ言ってこの二人、似た者同士なのではないかと思う悠二である。
「いざ往かん! 娯楽と興奮のパラダイスへ!」
誰よりテンションを上げている平井の雄叫びを受けて、一行は楽園へと乗り込む。
―――その姿を、一人の中年に見られている事に気付かぬまま。
敵は、思わぬ所に潜んでいた。
「…………………」
表情には出さずとも期待に胸を膨らませて、ヘカテーは並んでいた。
並ぶ列は、ファンシーパーク最大のアトラクション『スクリーム』。関東有数の高さと回転を誇るジェットコースターである。
「いきなりメインディッシュかよ」
という佐藤のぼやきに対する池の答えは、
「いきなりって言うか、今を逃したら多分乗れないんだよ」
というもの。
メガネマンの事前調査によれば、昼のメンテナンスに滑り込むようなこのタイミングこそが、人気の『スクリーム』に乗る絶好のチャンスらしい。そして実際に、一行は割りと楽に列に並ぶ事が出来た。
しかし、敵は思わぬ所に潜んでいたのだ。
「(……迂闊だった)」
それは……ヘカテーやシャナの暴走でもなければ、悠二の隣に座らせようと考えていた吉田が絶叫マシーンに乗れなかった事でもない。
「では、計りますよ」
遊園地の警備員、である。
サングラスを掛けたライオンのぬいぐるみ・サッキーに促されて列から連れ出されたかと思えば、そこはスタッフ用の準備室。
用件は即ち、ヘカテーとシャナの身長。身長140㎝未満の子供は、絶叫マシーンに乗らせてもらえない決まりがあったのだ。
まずはシャナが、測定する。至近の皆が息を呑む中で………
「……141㎝、はい結構です。お手数をお掛けしました」
ギリギリ、合格して通過する。小さく安堵の吐息を漏らしたシャナを平井が抱き締めた。
……されど、まだ危難は去っていない。
「あの……帽子を取って貰えますか」
「ヤです」
「これはヘカテーの身体の一部なんです!」
「二人共やめなさい」
不安の裏返したる、
「背伸びしないで下さい」
「してません」
「……踵が浮いてますよ?」
懸命な悪あがきを経て、身長計の可動部がヘカテーの頭に当たった。
『…………………』
誰もが、口を閉ざす。
「…………………」
スタッフの女性も、何も言わない。
身長計の測定値は…………“137㎝”という値を、無情にも弾き出していた。
「………………」
誰も、何も言えない。
ベンチに座って力なく虚空を見つめる少女の姿には、無粋な声援も半端な慰めも憚られてしまう。
「(小さいとは思ってたけど、まさか140ないなんて……)」
事前に知っていたとしてもどうしようも無かっただろうが、それでも池は自身の迂闊さに頭を抱える。
「(一緒に怖いの以外を回ろうって、誘おうかな……)」
それは、ヘカテーに仄かな対抗意識を持つ吉田でさえ同じだった。それほどまでに、今のヘカテーは痛々しい。他者の心情に疎いシャナでさえ余計な口を挟まない事が、悲嘆の程を物語っている。
「ぃよし! 来ねンゴァ!?」
来年また来よう、と言おうとした佐藤の脇腹に悠二の、割りと痛い肘鉄が刺さった。佐藤は来年になればヘカテーの背が伸びているだろうと思って言ったのだろうが、それは酷な励ましというものだ。
「(来年だろうと、同じだって)」
悠二も細かくは知らないが、今までの経緯からヘカテーは数百年単位で生きている。恐らく、外見も身長もずっと同じだったろう。当然、一年程度待ったところで何が変わるとも思えない。
「(けど、どうしようもないよな……)」
もちろん悠二もヘカテーを可哀想に思っているし、何とかしてあげたい。今日という日をヘカテーがどれだけ楽しみにしていたか、誰より近くで見てきたのだ。……だが、無理なものは無理なのである。
順番確保の為に列に残った緒方と田中を除いた皆にお通夜のような空気が下りる………直前、
「いつまでもオガちゃん達待たしとくわけに行かないでしょ。ほれ、みんな戻って戻って」
平井が、平然とそんな事を口にした。
誰よりヘカテーを可愛がっている筈の平井のこの発言に、誰もが耳を疑う。怪訝な視線を一身に受ける触角娘は、涼しい……どころか微妙に得意気な顔で胸を叩いた。
「ヘカテーの事ならアタシに任せてよ。今日一日、フルパワーで楽しめるように元気づけて見せるから♪」
悪戯っぽくウインクを一つ残して、風となって走り去る平井。呆気に取られる一同を置き去りに、ヘカテーだけが攫われて行く。
「ゆかりちゃん………?」
吉田の呟きが訝しげに漏れても、それに明確な答えを返せる者はこの場にいない。
言われた通りに『スクリーム』に戻るわけにもいかず、呆然とその場に立ち尽くす……も、2分と経たずに二人は戻って来た。
「……皆、『スクリーム』に戻っていると聞きましたが」
そして、いつもと変わらない調子で口を開くヘカテー。ついさっきまでの、目を覆いたくなる程の悲痛なオーラが、綺麗サッパリ消えている。
どんな手品を使ったのかと目で訊ねても、平井は何も言わない。表情一つ変えずに触角を揺らすのみだ。
「……あたしはもう大丈夫です。一美と一緒に絶叫マシーン以外を回りますから、皆は気にせずジェットコースターに行って下さい」
「え? えぇ!?」
そういうワケにも行かないだろう、と言う間すら待たず、ヘカテーは吉田の手を引いて駆け出した。
一度、ピタリと足を止めて……
「12時半に中央広場の時計の下です」
ビシッと、昼食の際に集まる時間と場所を言い残し、今度こそ姿を眩ました。
物理的にも心情的にも置いてきぼりを食らった池と佐藤、シャナの前で、さらに勝手に事態は進む。
「行きましょう」
ヘカテーを元気づけると言って飛び出した筈の平井が、何食わぬ顔で『スクリーム』に向けて歩き出したのだ。……心なしか、楽しげなオーラが滲み出ているような気がする。
「(別に“頂の座”が落ち込んでても、私には関係ないか)」
無神経なりに空気を読んでいただけのシャナが、何を思うでもなく続く。
「……まぁ、しょうがないか。ヘカテーちゃんも元気になってたみたいだし」
追い掛けたところでジェットコースターに乗れてあげられるわけではないと悟って、佐藤が続く。
「(吉田さんまで、連れてかれちゃったな……)」
二人の少女への申し訳なさに胸を痛めつつ、池が続く。
「……やれやれ」
種類の判らない溜息を零した悠二が……続かない。
「………悠二?」
「僕はヘカテー追い掛けるよ。これ持ってちゃジェットコースターなんて乗れないし、やっぱり放っておけないしね」
振り返って怪訝な目を向けて来る平井に、悠二は手にしたバスケットを軽く持ち上げて見せた。
何を思ってか、平井はその眼をじ~っと数秒見つめてから、コクリと頷いた。然る後にテテテと走り去る。
「お前、今から二人を捜し回るの?」
「大丈夫、すぐ見つかるから」
「……いや、何を根拠に言ってんだよ」
悠二もまた、バスケット片手にヘカテーの後を追う。その行動に最後の心残りを預けて、池と佐藤も今度こそ平井の背中を追った。
「(……これで坂井と吉田さんも一緒か。ヘカテーちゃんも居るけど、こればっかりは仕方ない)」
歩きながら、池はそんな事を思う。
最初はアトラクションに夢中になるヘカテーを悠二から引き離す計画だったが、こうなってしまっては絶叫マシーンに乗れないヘカテーと吉田を別々に組ませる事は難しい。
などと考えてしまう自分に自己嫌悪を抱きながら、不意に気付いた。
「(……何で僕、ここまで吉田さんに肩入れしてるんだ)」
公正明大を身上とする筈の自身の、矛盾した行動に。
悠二やヘカテーがファンシーパークで遊んでいる最中、御崎市に唯一人残された異能者たるヴィルヘルミナ・カルメルは、シャナの暮らす館の中を掃除していた。
「…………………」
その手にした箒が、先程からずっと同じ所ばかりを掃いている事にティアマトーは気付いているが、敢えて指摘しない。
迷えるメイドの頭の中では、昨日の夕方のとある場面が延々と回り続けていた。
『もうホテルは予約取っときましたから、ちゃんと時間通りに行って下さいね』
『解ってる。何度も言うな』
『も~、メリーさんがミスしないように言ってるんですよ? あたしも明日は忙しいんですから』
昨日から何処かに出掛けている“虹の翼”メリヒム。それを駅前で見送っていた平井ゆかり。偶然目にしたそれらの光景が、頭にこびり付いて離れない。
当の平井に訊ねても「ん~、内緒にしとけって言われてるんですよね」という答えしか得られなかった。
「(何故、平井ゆかり嬢に………)」
まさか“そんな事”はあり得ないとは思うが、そうでなくとも納得できない。
現代に不慣れなのは判っている。誰かの力を借りねばならない場面もあるだろう。しかし、ならば何故、その“誰か”が自分ではないのか。……そう思わずに居られない。
「………嫌な奴」
消え入るような呟きが、唇の先から漏れ出た。ティアマトーに聞かれている事は判っていても、それでも。
「(嫌な奴……!!)」
今度は心の中だけで、罵倒する。
報われる事もなく、捨てる事も出来ない気持ちを、ずっと、ずっと抱かされる。そんな、心の底から忌々しい想い人を。
「姫」
「……何でありますか、ティアマトー」
余計な事を口にすれば殴り付けてやる、という気を隠しもせずに拳を固めるヴィルヘルミナは……
「気配」
その一言と、我に帰った己が感覚によって、掴む。―――この世ならざる存在感の持ち主が、この御崎市に来ていると。