大剣が風を切って振り下ろされ、大太刀が往なして斬り返す。その切っ先を受けた瞬間に幅広の刀身に血色の波紋が揺れて、少女は身体ごと大太刀を引いた。
半端な距離は危険と判断して大きく跳び下がる少女に向けて、悠二は追撃の炎弾を放り投げた。体勢の不利を狙った……しかし直線的な投擲を、少女の灼眼は捉えている。
満足に膝を曲げる暇すらないが、少女は足裏に爆発を起こす事で横に跳んだ。
「弾けろ」
悠二の両眼が見開かれる。瞬間、少女の真横を通り過ぎようとしていた火球が炸裂し、銀炎が海のように溢れ返った。
「(少しは、効いたか……?)」
制服の下に隠すように首から提げた火除けの指輪『アズュール』を、悠二は敢えて使わない。通りを挟む建物を三角跳びに蹴ってパチンコ屋の屋上へと逃れる。
燦然と燃える火炎の中を睨んで見ると、少女の身体を黒衣が幾重にも包んで護っていた。……まともなダメージは期待出来ない。
「(……けど、何とかなりそうだな)」
緊張を解かないまま、悠二は確かな手応えに拳を握り締める。
あの少女の技量は確かに凄まじいが、『戦技無双の舞踏姫』の異名を誇るヴィルヘルミナとは比べるべくもない。今の悠二でも、『吸血鬼(ブルートザオガー)』の能力を威嚇に使えば距離を取る事くらいは出来る。
悠二の攻撃も殆ど通用していないが、それは大した問題ではない。要は、ヴィルヘルミナが来るまでの時間さえ稼げれば良いのだ。
………と、思っていたのだが……
「(これ、本当に収拾できるのか……?)」
沈痛な面持ちとなる悠二の頭上では、星と虹が連鎖的な爆発を飽きる事なく続けている。
一方は言うまでもなく、封絶に気付いて急行してくれたヘカテー。そしてもう一方は、さっきまでコソコソと隠れていた気配の正体……“虹の翼”メリヒム。
何のつもりでこんな事をしているのかは解らないが、甚だしく迷惑である。最悪、ヴィルヘルミナまで再び敵になってしまうのではという危機感まで湧いて来る。
………いずれにしろ、この状況で悠二に出来る事など限られているのだが。
「…………っ」
眼下で紅蓮が爆ぜ、そこから飛び出した少女が放物線を描いて悠二と同じ屋上へと着地する。油断無く大太刀を構える少女は……
「………お前、なに?」
初めて、悠二に向けた言葉を発した。悠二は思わず、胸を撫で下ろす。
「僕は坂井悠二、『零時迷子』のミステスだ。上の彼女は“頂の座”ヘカテー。徒だけど……この宝具がある限り、人を喰って世界を歪めたりはしない」
漸く得た機会を逃さず、一息に安全を確保しようとする悠二。所詮は言葉だけ。保身の為の出任せと取られても無理はないとも思うが、言うしかない。
しかし、悠二の予想に反して………
「そう……シロがどこから存在の力を得たのか不思議だったけど、やっと解った」
少女は、納得したように溜息を吐く。その仕草に悠二が心から安堵したのも束の間……
「だったら尚更、『零時迷子』を渡して貰う」
「ええぇ!?」
今まで以上の紅蓮に煌めく炎髪と灼眼。大いに慌てる少年に構わず、少女は次なる一撃を己の内で練り上げる。
「(“頂の座”と、『零時迷子』………)」
悠二に言われるまでもなく、少女は空の炎の色に気付いていた。『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女を討滅する事が結果的に更なる歪みを生む可能性も、同様に。
しかし現在ヘカテーを容認しているフレイムヘイズと彼女では、同じ討ち手でも見方が違った。
「(何を企んでるか知らないけど、肝を潰してやればいい)」
つまり、ヘカテー本人ではなく、宝具の方を押さえておくべきだという判断。
無論『仮装舞踏会』の反感は買うだろうが、“頂の座”を放置するよりは遥かに少ないリスク……という考えだ。『仮装舞踏会』の秘蔵っ子がこんな所で『零時迷子』のミステスと一緒に居るという時点で、良からぬ企みがあると決め付けるには十分過ぎる。
そんな、一見フレイムヘイズらしい思考の中に―――
「(………『零時迷子』さえあれば)」
隠しきれない私情が混ざる。
彼女は『炎髪灼眼の討ち手』。ヘカテーの睨んだ通り、メリヒム(彼女は彼をシロと呼ぶ)に鍛え上げられたフレイムヘイズ。当然のように、彼女は彼に深い親愛の情を持っていた。
だが……厳しい鍛練の果てに待っていた最後の試練。己が存在を懸けて立ち塞がったメリヒムを……彼女は討った。フレイムヘイズとして、紅世の徒を。
奇跡としか呼べない再会を果たした今でも、メリヒムが徒であるという事実は変わらない。存在するだけで力を消耗し、人を喰う事なくいずれ消える。
「(だけど………)」
そんな運命も―――『零時迷子』があれば覆せる。いつか描いて、いつか潰えた夢の続きを、もう一度見る事ができる。
「(今度こそ、シロと一緒に……!)」
少女は自身を純粋な一個のフレイムヘイズと定めているが故に、“それ以外”を持つ事に対する拒否感情も強い。しかしこの場合、“虹の翼”という強大な王を味方につける事はフレイムヘイズとしても大きなメリットである為、その遂行に一部の迷いも無かった。
「行く」
決意そのまま、石畳に亀裂を入れるほどの踏み込みで飛び掛かった。……が、真っ正面から行く気は無い。
「(あの剣が厄介)」
感知しか取り柄の無い非力なミステス。先に“王”を見つけてしまえば注意する必要も無い雑魚……と聞いていたが、実際に手を合わせて そんな情報は吹き飛んだ。
「(“王”だと思って、戦う)」
大太刀を脇に掻い込んで迫る。ミステスが大剣を振りかぶる。もう半秒で互いの間合いに入ろうかという所で………
(ガッ)
少女は、切っ先を真下のコンクリートに突き刺した。
同時に、爆発。
「ぷあっ!?」
至近で紅蓮が弾けて、広がる爆炎に変な声を出すミステス。視界を奪われたのは少女も同じだが、少女の方は自分で起こしたが故の心の準備が出来ている。
「(要は、防御すらさせなければいい)」
低い姿勢から俊足で地を蹴り、一秒と待たずに回り込む。爆炎に目を灼かれたミステスの背後に。
「(もらった!)」
宝具を取り出すまでは壊せない。死角から神速、右腕を落とさんと刃を奔らせ―――
「………!?」
防がれた。
大剣に、ではない。少年は動いていない。刃の軌道に発現した、半透明に光る菱形の切片が、少女の大太刀を止めていた。
「いい加減に……しろッッ!!」
間髪を入れず、振り向き様に大剣が横薙ぎに払われる。咄嗟にバックステップして躱したものの、ライダースーツの腹部に横一閃の切れ目が入った。
「そういえば、感知能力が高いんだっけ」
「油断するな。“頂の座”が使役するほどのミステスだ」
胸のペンダントに意識を表出させる契約者と短く言葉を交わす。
実際“王”と比べれば隙だらけの敵に思えるが……どうにもやりにくい。
「…………はぁ~」
そんな、戦う気満々の少女の様子に……悠二は重く長く息を吐く。
メリヒムに育てられたらしいという話は聞いていたから、こう来る事も可能性の一つには違いなかったが………まあ、言っても言わなくても同じだったと思えば、仕方ないとも言える。
「(やるしかないか)」
もしヴィルヘルミナが方針を変えれば、自分とヘカテーで三人の強者を相手にしなければならなくなる。最悪の場合も想定して、今の内に一人を戦闘不能にするしかないと、悠二は覚悟を決める。
その口の端が、僅かに緩んだ。
「(笑ってる場合じゃ、ないんだけどね)」
恐怖はある、憤怒もある、理不尽も感じている。なのに不思議と、昂揚にも似た熱さが自分の奥に灯っている。
空に瞬く水色の星を視界の端に捉えて、ああそうか、と納得する。
「(僕は今、戦えている)」
ヘカテーに守られているばかりだった自分が今、不恰好ながらも戦えている。彼女の隣に立てる自分に近づきつつある。
それが、嬉しいのだ。
「さっきから思ってたんだけど……あんた、炎が出せないのか?」
そんな感情も存在を燃やす炎に変えて、悠二は眼前の少女に大剣を向ける。
『吸血鬼』の能力を知りながら執拗に接近戦ばかり仕掛けて来る少女に、構成の粗い爆発しか起こせていなかった少女に、率直な質問を投げ掛ける。
「………………」
返答は無い。代わりに、眉根が微かに険しく歪んだ。解り易い……と言うほど顔に出たわけでもないが、ヘカテーと過ごしている悠二には充分過ぎる反応である。
「図星か。剣技だけじゃ、僕はともかくヘカテーには勝てないぞ」
言いながら、左足を密かに下げる。
「無謀かどうか………」
言葉の中途で膨れ上がる、少女の力。それが足下に集約され、紅蓮の爆発を呼ぶ。
「見せてあげる……!」
自身を高速の砲弾と変えた少女が、一直線に飛んで来た。
さっきより距離が近過ぎる。到底躱す事など出来ない。
「――――――」
爆発の勢いと全身の力を一点に集中させた刺突。それを………
(ガキィン!!)
悠二は間一髪、幅広い刀身を盾の様にして受け止めていた。すぐさま大剣の力で逆撃を狙う。
しかし―――
「(ここだ)」
少女は敵の防御を予測していた。既に追撃の準備は出来ている。
刃を通して存在の力を流し込まれるより先に、剣尖に集中させていた力を解放した。
狙いはミステスそのものではなく、その生命線たる魔剣。この刺突を受けた直後に爆撃を食らえば、如何な怪力の持ち主だろうと剣を握ってはいられない。
あの大剣さえ手放させれば勝ったも同然、返す刀で斬り伏せる。
そんな確信を持った、必殺の爆発が―――
「(出ない……!?)」
血色の波紋が、脈を打つ。
「あ―――――――」
刻まれた傷から、血飛沫が迸る。
「寝てろ」
―――銀に燃える鉄拳が、少女の頬を殴り飛ばした。
(あとがき)
メリヒムの口調に関して迷ってます。前作では十巻の喋り方を参考に、今作では五巻の喋り方を参考にしてたのですが、やはり違和感が大きいでしょうか。
と言っても、十巻は基本マティルダとイルヤンカとしか喋ってないから、五巻ベースでも近しい相手には十巻の喋り方で書くつもりだったのですが。