―――“祭礼の蛇”。
紅世に於いて世界法則を体現する一柱であり、新しき物を流れを創り出す『創造神』。
未踏を目指し遼遠を越える事をこそ己が権能に持つ彼は、彼であるからこそ“それ”を見つけた。
歩いて行けない、しかし確かな『隣』に、異なる法則に因って進み続ける世界が……『この世』が在るという事を。
そして当然、彼はそこを目指し、辿り着いた。自身だけではない。神たるモノの権能によって新たな理を創造し、全ての同胞に両界の狭間を越える術を与えたのだ。
狭間を渡った紅世の徒は、辿り着いた新天地にて欲望の赴くままに放埒の限りを尽くし、それによって歪んだ世界を護るべくフレイムヘイズが生まれた。
両界の危機と同胞同士の殺し合い。………だが、神の蛇行はそれだけに止まらなかった。彼はこの世に、徒たちの都を創ろうと思い到ったのである。
多くの人間を薪に変え、この世の在るべき姿を歪ませんとする企みを、フレイムヘイズが看過するわけもない。数多の討ち手が命を賭して神に挑み、打ち破った。
天裂き地呑むとまで謳われた化け物は、神さえ無力な世界の狭間へと永久に放逐されたのだ。
―――この世に蔓延る徒の都……『大縛鎖』を創造すること叶わず。
「その『大縛鎖』を管理するため創られたと言われるのが、先程の『玻璃壇』。……もっとも、私にとっても御伽話の類の伝承でありますが」
長椅子に座って長々と語り終えたヴィルヘルミナは、舌を潤すべく持参したお茶を一飲みする。
寂れた廃屋でお茶を飲むメイド、と言うのは何とも言えずシュールである。頭上で光る水色の光球がオバケ屋敷のようで微妙な雰囲気を更に助長させていた。
「今の話が、ヘカテーにどう関係して来るんだ?」
話題の『玻璃壇』を「うちの」と言って回収した少女を見ながら、悠二は問う。当のヘカテーはと言えば、一人黙々とオモチャの山を探り回っていた。
「“頂の座”は、いま話した創造神の眷属でありますからな」
しれっと、とんでもない言葉が口にされた。
「かは……っ」
「平井さん!?」
思わず、血を吐いてよろめく平井。その肩を掴んで支える悠二。リアクションを食われている気がした。
「つ、つまり……ヘカテーはリアルエンジェルですか!?」
「……神の使いを無差別に天使と呼ぶなら、そう言っても間違いではないのであります」
応えが返り切るのも待たず、平井はヘカテーに飛び付いている。戯れつかれている水色の少女を見ながら、悠二は少し前の……なのに遠く思える過去を思い出していた。
『祈りましょう………神に、です……』
痛みすら忘れる存在の消滅、背中を合わせて手を紡いだ穏やかな夜を。
「(あれ、冗談じゃなかったんだ……)」
異界の住人から始まり、次いで徒最大級の組織の幹部、挙げ句の果てには神の眷属と来た。驚くと言うよりも、ピンと来ないというのが悠二の正直な感想である。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
そもそも今の話を聞いた限りでは、神と言っても全知全能ではなく、まして人の運命を弄んでいるわけでもないらしい。だったら、そんな肩書きに何を思う必要もない。不思議設定にはもう慣れた。
悠二にとってのヘカテーとは、強くて、無垢で、可愛らしい、今ここにいる少女なのだから。
「って言うか、宝具ってどうやって見分けるの?」
宝探しを再開して程なく、実に今更な疑問を口にする平井。手に取った、どう見ても宝具には見えないマニアックなフィギュアを放り捨て、お手上げと言わんばかりに大の字で引っ繰り返る。
「……とりあえず、存在の力を込めてみましょう。ゆかりには無理ですから、それっぽいのを分けておいて下さい」
大して有り難くもないアドバイスを返してくれたヘカテーの周りには、ファンシーなぬいぐるみばかりが集まっていた。宝具を探して無いだろう事は一目で判る。
「……力を込めたら爆発、とか無いだろうな」
「あり得る話でありますな」
「厳重注意」
マヨネーズのマスコットのような人形を過去のトラウマからおっかなびっくり手にする悠二が、ヴィルヘルミナの意地悪な一言を受けてそれを取り落とす。
「これ、一日二日で終わる量じゃないね……」
自分で言い出した事ながら、予想を超えて大変そうな作業に、平井は大きく溜め息を吐いた。
『玻璃壇』が見つかった時点で満足すべきなのかも知れないが、それが逆に『他の宝具もあるかも』という可能性を示し、安易なギブアップを許してくれない。
「(宝具は人と徒の願いが重なる時に生まれる。当然、人が徒を知らないと成立しないから、殆どの宝具は封絶普及以前に造られた物。なら、やっぱりデザインが古いやつかな……)」
最近になって学んだ、悠二も知らないような知識から判断し、平井は無造作にオモチャの山から黒い筒のような物を引っ込抜く。
「(望遠鏡……いや、万華鏡かな?)」
試しに中を覗いて見ても、映る景色には特に変化が無い。遠くが見えるわけでも、綺麗な華が見えるわけでも無い。オモチャとすら呼べない代物。
ふと、思う。この部屋を見ただけでも“狩人”が相当な変わり者だとは判るが、いくら何でもこんな無意味な物を取っておくだろうか。
「(もしかして、もしかするかも……!)」
とにかく誰かに力を込めて貰おう、そう思った時………
「ゆかり」
相変わらず抑揚の無い、しかし何処か弾んだ声が平井を呼んだ。
筒を覗いた状態のまま首を向けると、ヘビのぬいぐるみを自慢気に見せて来るヘカテーの姿。
「おうおう! 良かった―――」
半ば習慣となりつつある癒しに返す、惜しみ無い賛辞。
「ねー、ヘカテー……………………え?」
の声が、途中で変わる。どころか、視界までもが一変していた。
手に持っているのは、さっきまでヘカテーが持っていたヘビのぬいぐるみ。視線の先には、不思議そうに手にした筒を見る“触角頭の女子高生”。
「え……あれ……?」
事態が飲み込めず、ペタペタと自分の顔を触る。困惑の声すら、自分のものではない。
視線を落とす。最近夏服に変わった、御崎高校の制服。だが少し、小さい気がする。サイズが合ってないという意味ではなく、身体そのものが小さい気がする。そして良く良く見れば、スカートの下が違う。
平井が履いていたのは紺のソックスだった筈なのに、今は黒のストッキングである。……胸に、触る。やっぱり小さい。
「坂井くんや」
もはや確信に近い気持ちを抱きつつ、少し離れた少年に声を掛ける。呼ばれた悠二は、“可笑しな呼ばれ方”に眉を上げた。
「あたしが誰に見えるかね?」
「? 誰って……ヘカテーだろ?」
「やっぱしかぁ〜〜!!」
頭を抱えて絶叫する水色の少女。あまりにもヘカテーらしからぬ態度に、悠二は目を白黒させる。
そう……何が起きたか解らないが、今の平井は、ヘカテーの身体に入ってしまっているらしかった。
「紛らわしいから先に言っとくけど、今はあたしが平井ゆかり! ほら、いつもみたく『ゆかりちゃん』って呼んでみそ!」
「何がいつもみたくだ! そんな呼び方した……事……」
打てば響くようにツッコミを入れる悠二だが、その言葉は尻窄みに擦れて途切れた。あまりにも“平井とのやり取り”みたいで、言葉を失ったのだ。
そもそも、ヘカテーにこんな演技が出来るともやるとも思えない。
「はあっ!? 本当に平井さん!? 何で、どうして……!?」
「わっかんないよ! 何か変な筒でヘカテー覗いたらヘカテーになってたんだもん!」
気付くと同時に、ひたすら取り乱す悠二。それが伝染するように騒ぐ平井。
そんな二人の頭上から、聞き慣れた声が聞き慣れない響きで降って来る。
「見た側と見られた側の意思総体を入れ換える宝具、のようです」
オモチャの山から滑り下りて来るのは、一人の少女。
焦げ茶色の髪を両端で縛った、紫掛かった瞳の女子高生。姿形こそ平井そのもの……だが、
「えっと……ヘカテー?」
悠二の確認に、無表情な平井の顔が首肯する。真逆なタイプの二人だからか、ちょっとした仕草にも凄まじい違和感があった。
「………ゆかり、何ともありませんか?」
不意に、無表情の中に隠し得ない危惧が覗く。
「え? あっ、うん。大丈夫大丈夫!」
「…………なら、いいんです」
その事に逆に驚いた平井は、これ見よがしにガッツポーズなど作って見せた。
悠二は少し、腑に落ちない。身体が入れ替わったのはお互い様なのだから、異変があればヘカテー自身も気付きそうなものだと思えたのだ。
が、
「いや、良くないだろ」
どう考えても、こっちの方が先に突っ込むべき部分だった。身体が入れ替わったで良いわけがない。
しかし、そんな心配はあっさりと杞憂に終わる。
「……これは『リシャッフル』でありますな」
黒い筒を指先で弄ぶメイドの発言によって。
「効果は先ほど“頂の座”が言った通り。心配しなくとも、再び両者が宝具を使えば戻れる筈であります」
「交換容易」
歴戦のフレイムヘイズのお墨付きに、三人は溜め息を吐いて胸を撫で下ろす。
「………むっ……」
ヘカテーの掌に、常にはない柔らかい感触が当たった。
「…………………」
それら何とも愉快な光景を、ヴィルヘルミナは鉄面皮の裏に一つの確信を隠して見ていた。
「(………『リシャッフル』が、発動した)」
身体が入れ替わるだけの、何のリスクも無い宝具。平井たちにとっては面白可笑しいイベントの一つに過ぎないだろうが、ヴィルヘルミナにとってこの現象は一つの事実の証明でもあった。
宝具『リシャッフル』は………“互いの心に壁があると発動しない”。即ち、それが発動されたヘカテーと平井の間には、相手を拒絶する感情が全く無いという事になる。
「(単なる偽りの生活、というわけではないようでありますな)」
「(事実確認)」
これは、演技や虚構では決して起こり得ない現象。ヘカテーがここにいる理由が、単に『零時迷子』を軸とした企みの一環ではないと示す確たる証拠だった。
「(人と徒の、絆………)」
目の前の仲睦まじい姿が、もう戻らない自分と友の姿と重なり、ヴィルヘルミナは密かに顔を俯かせた。