「なるほど。やっぱり、ただの一人遊技(ソリティア)なんかじゃなかったわね」「あの人形が命令用の『通信機』で、模型全体が『世界』ってワケだ。こいつァまた、随分とスケールのでけェ遊びじゃねーか。なァ?」 『空間』を隔てた『部屋』の中。ふたりの傍観者が、グラン・トロワ宮殿の最奥で蒼き髪の狂王が行っているゲームの正体を知り、驚嘆の声を上げていた。「まさか、父上が『レコン・キスタ』の黒幕だったなんて! 完璧に見誤っていたわ。裏から糸を引いているのは、9割方ゲルマニアの皇帝だと思ってたのに」 狂王の娘、イザベラ王女が肩をすくめると。それに同調するように、彼女のパートナー・王天君が口を開く。「アルビオンを内側からかき回して、トリステインを動揺させる。ロマリアは色々ヤバ過ぎて間違っても頼れねェし、ガリアのトップは『無能王』。とくれば、残るはゲルマニアだけだ。トリステインとしちゃ、嫌でも皇帝が出した条件を飲む以外にねェしな」「白の国が疲弊すれば、ゲルマニアは空からの脅威が無くなるに等しいわ。おまけに、アンリエッタを娶れば『始祖』の血を皇家に入れることができる。いかにも、あの強欲な皇帝が考えそうなことなんだけど……周りにそう思わせるのも、計算のうちなのね」「そういうこった。だからこそ、トリステインからの支援要請をのらりくらりと躱してきたんだろぉよ。弱り切った『シャルル派』に対抗するフリしてな」 ニヤリと口端を上げた王天君に、イザベラは微笑み返した。ただし、一般的に『微笑』と呼ばれるものとは、ほど遠い表情で。「父上の悲願っていうのは、ほぼ間違いなくハルケギニアの統一に違いないわ! そう考えれば、色々と辻褄が合うもの。ガリアの防衛のためだけに、新型船をあんなに揃える必要なんて、ないものね」 イザベラの言葉を聞いた王天君が、吐き捨てるように言った。「バッカじゃん?」 一瞬、イザベラは何を言われたのかわからなかった。なにしろ王天君は、これまで一度たりとも――少なくとも、イザベラに対して否定の言葉を吐いたことがなかったからだ。「ば、ば、ば、バカって、こ、このわたしがッ!?」 興奮するイザベラを見た王天君は、フンと鼻を鳴らした。「この程度でガタガタ騒ぐんじゃねぇよ。オレにはオメーの親父が、んなダセェ野望で動く男にゃ見えねぇっつってるだけだ」「え?」 王天君は、ジョゼフが落とす影に覚えがあった。かつて――己の身の上を嘆き、周囲の全てを呪った自分とどこか似通ったものを、狂王と呼ばれた男に見出していた。だが、彼はそれをイザベラに告げることなく、全く別のことを口にした。「火竜山脈、だったか? 名前からして硫黄が取れそうじゃねぇか」 イザベラは、王天君の言葉に頷いた。「ええ。あの一帯のほとんどがガリア領よ。今や硫黄は、黄金と同じ重さで取引されるくらいまで値上がりしてるわ……って、そう! そういうことなのね!? ガリアから遠いアルビオンで内乱を起こせば、危険を冒さずに金が手に入る――火薬や、火の魔法の触媒として使う硫黄は、戦争には欠かせないものだからね。あなたが言いたいのは、父上がアルビオンの内戦に介入したのは、自分の手を汚さずに懐を暖めるためってことなのかしらッ?」「タダ同然で手に入るもんが金に変わるんだ。利用しねぇ手はねーだろ」「そうね。戦争で相手から領土やモノを奪うには危険を伴うわ。死人も大勢出る上に、絶対勝てるとは限らないし。だけどこの方法なら、ガリアは安全を保ちながら、他の国からたっぷりお金を搾り取った上に、弱らせることができる。逆にこっちはどんどん豊かになって、防衛のための戦力増強にお金を回す余裕が持てる。いいことづくめじゃないのさ!」「ま、そういうこった。戦争ってのはなぁ、血を流さなくてもやれんだよ」 感嘆のため息をついた後、イザベラは呟いた。「まさか、こんな方法があるなんてねえ……今まで、思いもよらなかったわ」 イザベラは、ますます父親への尊敬の念を深めると同時に、自分が呼び出したパートナーを誇りに思った。魔法の腕でしか父を見ない愚かな貴族たちとは違い、彼はジョゼフの王としての本質をしっかりと見抜いてくれている。それが、何よりも嬉しかった。 再び『窓』を通して盤面を見ながら、イザベラは嗤った。「それにしても、アルビオン王家も気の毒なことだわァ~。まさか自分たちの王国が、サイコロで滅ぼされただなんて、思ってもみないことでしょうから!」「最後の最後に噛みつき返してきたみたいだがよぉ……ちぃとばかし遅すぎたな」「普通の司令官が相手なら、すっごくいい策だったと思うんだけど。残念ながら、最後の詰めで失敗したわね」「あァ……相手が悪かったな」○●○●○●○● ――水精霊団の一行が魔法学院へと帰還し、王党派が潜伏場所に落ち着いてから数日後。ケンの月、ティワズの週、エオーの曜日。 トリステイン王国の王女アンリエッタと帝政ゲルマニアの皇帝アルブレヒト三世の婚姻が国内外へ向けて正式に発表された。ふたりの結婚式は、1ヶ月先のウィンの月上旬に執り行われるはこびとなり、それに先立ち、両国の間で軍事防衛同盟が締結された。 ある者はその報を素直に祝福し、またある者はそれを歯噛みして悔しがったが――その翌日に、テューダー王家の滅亡と『神聖アルビオン共和国』設立の報が全世界に向けて発せられ、上を下への大騒ぎとなった。 アルビオン新政府の公式発表によると、ニューカッスル城で籠城を続けていた王党派は、城の奥深くまで貴族派連盟軍を誘い込み、火の秘薬を用いて自爆。大勢の兵を巻き添えに、全滅したという。 城の焼け跡には黒焦げとなった焼死体が残るのみで、個人の判別は不可能。そのため、元アルビオン国王ならびに皇太子の亡骸らしきものは発見できなかったとされている。 王党派の兵300に対し、貴族派連盟側の死者は2000名。火傷による負傷者を併せると、5000の損害。アルビオン革命戦争の最終決戦・ニューカッスル城攻防戦は、100倍以上の貴族派連盟に対し、自軍の10倍以上の損害を与えるという、文字通り伝説の戦いとなった――。「やられましたな。この勝負、まことに失礼ながら殿下の負けです」「僕の甘さが、事態を複雑にしてしまった。彼の進言通り、メッセージを残して逃げるだけに留めておけばよかったものを……!」「まさに。硫黄入りの樽を見て、敵が火計を用いるところまで思考を誘導できた、そこまではお前の目論見通りであった。じゃが、今回ばかりは相手が悪かった! まさかあのクロムウェル大司教が、我らの死を偽装するためだけに、2000名もの兵を平然と犠牲にするような狂信者だったなどとは、想像もつかなんだ」「……いえ、父上。例の『指輪』の件がありました。当然、予測しておいてしかるべきことだったのです。僕の未熟な考えが、この結末を導いたのです」 フォンティーヌ家屋敷の客間で。トリスタニアから取り寄せた最新の情報紙を手に、ラ・ヴァリエール公爵とアルビオン王国の元皇太子ウェールズ、そして元国王ジェームズ一世が膝を突き合わせて談話をしていた。その顔に、暗澹たる表情を滲ませて。「僕たちは、ていのいい『伝説』にされてしまった。せめて、自爆に巻き込まれたのが『死兵』だけであることを祈るのみだ」「ええ、まったく」 テューダー王家のふたりのみならず、ラ・ヴァリエール公爵も、アルビオン革命戦争の壮絶な結末に頭を垂れた。 いくら立派なお題目を掲げてはいても、いざ自軍が困窮したとなれば、民たちから略奪を行う。あるいは、彼らを辱めようとする者たちが現れるかもしれない。それを心配したウェールズ王子が、逃亡作戦最後の締めくくりとして仕掛けた『策』。 空になった宝物庫に「風は遍在する」などという、どうとでも取れる言葉を残し、これみよがしに硫黄入りの樽を置いたのは――5万もの兵で包囲していながらも王党派を取り逃してしまった貴族派連盟側へ、城へ火を放ち、兵たちの目を逸らした。あるいは、自爆して果てたなどという、もっともらしい『言い訳』を作らせ、大軍の展開を一時的に中断させるためだったのだ。 秋も深まり、冬の足音が近付いてきた今、軍事行動を継続することは自殺行為である。そんな行軍の常識を、相手方の意識から掘り起こすために。 この策を実行することで『レコン・キスタ』を自壊させることはできなくなるかもしれないが、それなりの金銭的損害を負わせることは可能だ。それに、残された民の間に不必要な犠牲を出さずに済む。トリステインとゲルマニアが軍事防衛同盟を締結し、軍備を整える時間を稼ぐこともできるだろう。 そう考えたウェールズが、空城にどうとでも取れるメッセージのみを残して消え去るという太公望の出した案に、父王に許可を得た上で手を加えた。その結果がこれだった。「敵方は、僕のそんな思惑を逆に利用してきたのだ。大量の死者を出すことによって、味方にも『王軍の手による自爆』と信じ込ませた。ある意味、見事な口封じだよ」 ウェールズは、悔いた。自分が余計な真似をしたせいで、敵兵とはいえ2000名もの無意味な犠牲を出してしまったことに。「おまけに、王党派逃亡における対費用効果まで薄れさせてしまった。王族が自らの手で果てたのだと信じられてしまっては、各国のブリミル教会へもたらすであろう影響も、軽微なものとなるだろう」 しかもだ。クロムウェルは己の失策を隠すためだけに、このような真似をしでかしたのである。もはやどのような事態が発生しても、彼は一切躊躇うことなく突き進むだろう。たとえ、それが氷雪に閉ざされた冬の最中、炎が舞い散る地獄の釜の中であろうとも。わざわざ敵が抱えていた狂気に拍車をかけてしまったようなものだ。「僕の甘さが、取り返しのつかない失敗を生んでしまった……!」 顔を伏せ、懺悔の如くそう漏らしたウェールズを励ますように、ジェームズ一世が、息子の肩へ静かに手を載せた。「お前の判断は、民を案ずる王族として正しいものだった。それだけは間違いない。それに最終的な許可を出したのは、朕だ。責任は朕にある」「いいえ。この案を出した上で、実行したのは僕です。それに、戦場では出た結果が全てですから。僕は、いったい何をもって償えば……!」「そこまで仰るのでしたら、殿下。どうか我らに力を貸してください」 ラ・ヴァリエール公爵の言葉に、王子は顔を上げた。「クロムウェルは、間違いなく狂っています。狂人の考えることなど、常人には図りきれませぬ。ですが王党派の皆さまは、その<狂皇>を相手に杖を交えてきました。どうか、我らにその情報と経験を分け与えてください。さすれば、力無き我らトリステインにも、きゃつらと戦う術が見出せるやもしれません」「是非もない。もとより、そのつもりだった」 亡国の王子は公爵の手を取ると、しっかと握り締めた。○●○●○●○● ――それから、さらに数日後。 神聖アルビオン共和国初代皇帝オリヴァー・クロムウェルは、トリステインとゲルマニアの両国へ特使を派遣し、不可侵条約の締結を打診してきた。 両国は、協議の結果この申し出を受け入れることにした。トリステインとゲルマニア両国の空軍力を合わせても、世界最強のアルビオン艦隊に対抗するのは難しい。未だ軍備が整わぬ両国は、それを受け入れるより他に術がなかった。「予想通り、かの国々は暖かいパンに飛びついてきましたわね、大司教どの。テューダー王家滅亡の様は、彼らの脳裏にしっかりと焼き付いていたはずですから」「まさにその通りだ、ミス・シェフィールド。あなたの言うことは、常に正しい」 アルビオンの王都――いや、現在では既に『始祖』に連なる王国はなく、神聖皇帝と貴族議会が治める共和国の首都・ロンディニウムにあるハヴィランド宮殿の執務室で、皇帝の地位に上り詰めた男と、黒衣の女性秘書が談笑していた。 ただし、その関係は到底『皇帝』と『秘書』と呼べるものではなく――まるで、女王と下僕のようであった。「外交には二種類ございます。それが、杖とパン。時間に飢えている彼らに、暖かいパンを差し出せば……手を伸ばしてくるのは道理ですわ」「まったく。しかし、いずれトリステインは我らが版図に加えねばなりますまい」「ええ。それこそが、あのお方が望むことですから」「『始祖の祈祷書』ですか。確かに、聖地へ赴く折には是非とも携えたい品ですな」「『始祖のオルゴール』が行方知れずとなった今、『祈祷書』だけでも手に入れねば、あのお方に顔向けができないわ」 その言葉を聞いたクロムウェルは、ばっと床に伏せ、頭をこすりつけた。「ま、誠に、申し訳なく……! あれほどの舞台を整えていただきながら、きゃつらを取り逃がすなど、あってはならぬこと。にも関わらず、寛大にもお許しを下されたご恩、必ずやお返ししてご覧に入れましょうぞ!」 シェフィールドと呼ばれた女は、笑みを浮かべてクロムウェルの前にしゃがみ込むと、彼の顎をくっと持ち上げ、告げた。「何度も言わせないでちょうだい。こんな真似をして、誰かに見られたらどうするの? あなたは聖地回復を目指す、神の戦士。その先兵なの。ハルケギニアをひとつに纏め上げ、始祖の御心に沿うために努力する、偉大な神聖皇帝なのだから」「そ、その通りです……いや、その通りだ。助言を感謝する、ミス・シェフィールド。わたしは、白の国から世界を睥睨する共和国の議長にして、神聖なる初代皇帝だ」 立ち上がった道化の姿を見た黒衣の女は、満足げに微笑んだ。「ふふっ、あなたは本当にいい子ね。いい子には、ご褒美をあげなくては」 シェフィールドは一枚の設計図を取り出すと、クロムウェルに差し出した。 こうして。ハルケギニアに再び穏やかな――それでいて噴火直前の火口に立つような、危険の一歩手前にある――かりそめの平和が訪れた。 世界中の政治家たち、特にトリステインとゲルマニア両国の舵取りを行う者たちには、夜もろくに眠れないような忙しい日々が待っていた。だが、ごく普通の貴族や大勢の平民たちにとっては、普段と何ら変わらぬ毎日が在るばかりであった。 それは、トリステイン魔法学院も例外ではなかった……はずなのだが。○●○●○●○●「な~んか、こう、雰囲気が悪いのよねえ……」 食堂のテラス席に腰掛けたキュルケが、自慢の爪を磨きながら呟くと。周辺を固めていた少女たちが、うんうんと頷いた。最初に、ルイズが小声で囁いた。「例の日からね、なんだかサイトの様子がおかしいのよ。ちらちらとこっち見てると思ったら、急におどおどし始めたり。外を眺めてぽけっとしてたりするの」 それを聞いたモンモランシーも、これまた小声で囁き返す。「ギーシュもね、なんだかヘンなの。今までだったら、最低でも一日二回はわたしの部屋に来て、詩を詠んでくれてたのに、それがぱったりと止んじゃって。また浮気してるのかと思って彼の後をつけてみたら……ねえ、あいつってばどこにいたと思う!?」「図書館」「んもう、タバサったら即答しないでよ! あのギーシュがよ!? レイナールと一緒に、図書館に籠もって勉強してるのよ! ありえないわ!!」「コルベール先生もよ。あたしが研究室を訪ねていっても、扉を開けてくれないの! そおっと中に入っても、熱心に調べ物してて。話しかけても、うわの空。試しにジャン、なんて呼びかけてみてもね、ああ。とか、うむ。なんて生返事するだけなのよ!」「キュルケ。あんた、もう先生のことファーストネームで呼んじゃうんだ……」「いいじゃない、別に。前と変わらないのは、ミスタ・タイコーボーくらいかしらね」「そんなことない」 親友の言葉を、タバサが言下に否定した。「ふうん。たとえば? あたしには、いつもと同じように見えるけど」「彼の趣味は釣り」「ねえ、タバサ。もう少しわかりやすく説明してくれないかしら?」 少し苛ついたような表情のルイズに、タバサは言った。「あなたは、彼の持つ釣り針を見たことがあるはず」「え、ええ……あの、まっすぐな針、よね?」「何よそれ。そんなんじゃ、魚なんか釣れるわけないじゃないの!」 女子生徒の中で唯一、太公望の釣り針を見ていないモンモランシーが、素っ頓狂な声を上げる。ルイズとキュルケも、そういえばと顔を見合わせた。「彼があの針を使うのは、魚を傷付けるのが嫌だから」「つまり、例の公式発表を聞いた彼は、周りには何でもないように見せかけているけど、実は落ち込んでるって言いたいの? 魚を傷付けるのを怖がるくらいに優しいひとだから、自分の策のせいで、敵軍とはいえ大勢の兵士が死んだことに対して責任を感じていると」 キュルケの補足に、タバサはコクリと頷いた。それを見たルイズが声を上げる。「そんな! ミスタは何にも悪くないわ。だって、お城に火を放ったのは……」「声が大きい」「う~」 タバサは注意深く周囲を伺うと、仲間たちにしか聞こえない程度の小声で言った。「彼は、近いうちにトリステインとアルビオンの間で、戦端が開かれると話していた」「嘘でしょ!? アルビオンとは、ついこのあいだ不可侵条約を結んだって聞いてるわ! それに、もうすぐ冬よ。こんな時期に、戦争なんか起きるわけないじゃない」 モンモランシーの反論に、タバサは小さく首を振った。「今度の相手は、そういった心の隙をついてくるのが巧いと言っていた。わたしも、彼の考えに同意する」 タバサの意見に、キュルケも賛同した。「言われてみれば『王権打破』を宣言してるあいつらが、自分から停戦を申し出てくるなんて、おかしな話なのよね。『レコン・キスタ』の理念を思いっきり否定するようなものだもの。つまり、冬に備えているように見せかけて、油断させるための策ってことよ」「じゃあ……やっぱり、もうすぐ戦争になるのかしら」 テラスの外、手入れの行き届いた庭を眺めながら、ルイズは呟いた。視線の先で、同級生たちがボール遊びに興じていた。魔法を使い、ボールに手を触れずに木に吊り下げた籠に入れて、得点を競うゲームだ。平和な光景――これがまもなく破られるなど、彼女には信じられなかった。いや、信じたくなかった。「だから、ギーシュも真面目に本なんか読み始めたのかしらね?」 モンモランンシーは思わずため息をついた。彼女の手元にあるハーブティは、すっかり冷めてしまっている。代わりの茶を側にいたメイドに注文した後で、キュルケは言った。「ふたりとも『ライン』クラスの中では、かなり優秀な部類だと思うんだけど……それだけじゃ足りないって、思い詰めてるのかもしれないわ」「ありえる」 キュルケとタバサの言葉を聞いたルイズは項垂れた。「もしかして、サイトもそうなのかしら」 本物の戦場を見て、かなりショック受けてたみたいだし。そんなふうに、あのときの才人の姿を思い出しながら。ルイズは、これまで以上にしっかりと才人の様子を観察していた。その理由については、まだ完全に認めるまでには至らなかったが。「先生も……なのかしらね。あ~あ、もう! なんだかあたしまで切ない気分になってきたわ。いやあねぇ! 戦争なんて、本当にいやだわぁ! そうは思わなくって?」 キュルケは集まった女性陣の顔を見回した後、大げさに嘆いて見せた。残る少女たちも、まったくもって彼女と同意見であった。 ――いっぽう、彼女たちの噂の一画を占めていた『図書館籠もり組』はというと。 彼らふたりは、確かに思い詰め、勉学に勤しんでいた。だが、その内情はというと……彼女たちが考えていたものとはまた違っていた。「逃げるほうが、玉砕するよりも敵に損害を与えるだなんて……ぼかぁ今まで、考えてもみなかった。貴族たるもの、ただ真っ直ぐに杖を構えるだけでいい。そう思ってた」「戦略的撤退の有効性は認めていたけれど……それを、まさか自軍の自爆で無理矢理覆すなんて、ぼくには想像すらつかなかったよ。真似したいとまでは思わないけどね」 ギーシュとレイナール。ふたりの少年は顔を見合わせると、力無く笑った。「なんというかだね。ぼくたちは、とんでもないものを見てしまったとは思わないか」「うん。ああいうのを、本物の『盤上の読み合い』って言うんだろうね」「ここだけの話だがね。彼が東方軍の元帥とか、伝説の参謀総長だとかいうアレは、正直なところ眉唾物だと思っていたんだ」「奇遇だね、ぼくもだよ。だけど、今はもう信じるしかないよね」「うん。見た目は、ぼくたちと変わらないんだけどなあ……」 それからしばしの間、ふたりは読書に集中していたが――ややあって、ギーシュがぽつりと呟いた。「ぼくも、今からしっかり勉強しておけば……いつかは彼らのように、戦場の中だけではなく、外の世界まで見渡せるようになるんだろうか」「やっぱり、ギーシュは軍人――それも、指揮官を目指してたんだね」「それ以外の『道』なんて、想像したこともないよ。そういうきみはどうなのかね?」「あれ、言ってなかったっけ? ぼくも軍志望だよ。ただし、参謀室が目標だけど」 レイナールの言葉に、ギーシュは破顔一笑した。「なら、いつかふたりで轡を並べて戦う日が来るかもしれないね」「酷いなあ。ぼくはそのために、今こうして一緒に勉強しているつもりだったんだけど」 くすりと笑ったレイナールに、ギーシュは気まずげに頭を掻いてみせた。「に、してもだね。やはり、魔法学院の蔵書の中には軍学書が少ないな」「それは仕方のないことだと思うよ。ここは士官学校じゃないんだから」「今度、父上にお願いして軍事教練書を何冊か送ってもらおうかな」「と、いうかさ。ミスタ・タイコーボーが書いてくれた教本、ぼくにも貸してよ」「あ~、あれなんだがね。実は兄上に取り上げられてしまって、手元にないんだ」「ええ~ッ、どうしてだい!?」 ぽりぽりと頬をかきながら、ギーシュは答えた。「ほら。夏休み中に、うちの領地で妖魔が大暴れしただろう?」「うん」「そのときに、ぼくの『ワルキューレ』を見た兄上が、今まで見たことのないゴーレムの運用法だ、いったいどこで覚えたんだって問い詰めてきてだね」「ああ……それで、見せちゃったんだ」「そうなのだよ。魔法学院へ戻る前には返してくれる約束だったのに……」「返却されてこないんだね」「まったく。我が兄ながら、困ったものだよ」 ――これよりしばらくして。「この本が『基礎編』なのだから、つまり『応用編』もあるわけだな!?」 ……などと、3人の兄はおろか父親からも突っ込まれたギーシュが、太公望に何度も頭を下げて、続きの執筆を依頼する羽目になるのだが……それはまた、別の話。○●○●○●○● どんよりとした曇り空を見上げながら、ひとりの少女が深くため息をついた。「はあ……」「もう5回目ですよ、シスター・ティファニア」「ひうっ、ご、ごめんなさい……」 修道女の格好をした金の髪の少女が、びくりと身体を震わせた。彼女のすぐ隣にいた、これまた修道服を身につけた年若い女性が思わず苦笑する。「謝るようなことではありません。ですが、あなたがずっとそのような顔をしていたら、子供たちが不安を覚えてしまいますわ」「そ、そうですね。気をつけるようにします、シスター・リュシー」 帝政ゲルマニアの首府・ヴィンドボナの郊外にある、小さな修道院。そこには、かつてウエストウッドと呼ばれた村から逃げ出してきたハーフエルフの少女・ティファニアと子供たち、そして。彼女たちの『守り手』として、改めて雇われたシスター・リュシーが、肩を寄せ合い暮らしていた。 リュシーの<フェイス・チェンジ>によって、耳の形を変えられた――顔全体よりも、一部のほうが消耗する精神力が少なく、また、効果が長持ちするというのが、その理由だ――ティファニアは、生まれて初めて広い『外』の世界に出た。 当初こそ、世間知らずが故のトラブルも多かったが、今ではリュシーや子供たちと共に町へ出て買い出しができる程度には、新たな生活に馴染んでいた。その美しさと、胸部の凶悪なまでの豊満さが故に、あからさまな視線を投げて寄越す者もいたが、身に纏った修道服がティファニアを数多くの危険から守ってくれた。 いくら情熱的なことで有名なゲルマニア人でも『始祖』ブリミルの敬虔なしもべたる修道女に手を出すなど、罰当たりにも程があるからだ。これは、当初リュシーからマチルダに提案した『偽装』のひとつであったのだが、彼女の想像以上に上手くいっていた。「それにしても、マチルダ姉さん……本当に大丈夫かしら」「やはり、心配ですか」「ええ。アニエスさんがついて下さってはいるけれど……たったふたりで、まだ戦争が終わったばかりのアルビオンを見に行くだなんて……」 と、そこへ、遠くから大勢の子供たちがふたりを呼ぶ声が聞こえてきた。「テファ姉ちゃん! リュシー姉ちゃん!」「おつとめのじかんだよ!」「おてがみ! おてがみ! みんなでかくの!」「今日はフクロウさんが二羽来たよ! 片方は、マチルダ姉ちゃんからだよ!!」 ティファニアの顔が、その背に流れる髪のように輝いた。そんな彼女や子供たちを見つめながら、リュシーが微笑んだ。ティファニアたちと出会った頃とは、まるで別人のように穏やかな顔をしている。「あなたたち姉妹やここにいる子供たちには、本当に感謝しているのですよ。もしも、あのまま祖国に残っていたら、きっと今頃は――」「えっ?」「いいえ、なんでもありません。さあ、わたくしたちも仕事を始めましょうか。シスター・ティファニア」「はいッ、シスター・リュシー」 今、ティファニアたちが請け負っている仕事とは、現在の暮らしぶりや、子供たちが首府ヴィンドボナで聞いてきた数々の噂話、姉が各地から集めてきた情報を手紙にまとめ、トリステインに住む『雇い主』のところへ送ることだ。 子供たちに文字を教えながら、共に手紙を書く。既に毎日の習慣となっているこのやりとりは、諜報活動の一環でありながら、端から見ると微笑ましい文通のようであった。○●○●○●○● ――刻をほぼ同じくして。 トリステインの王都中央部に立つ大劇場『タニアリージュ・ロワイヤル座』では、最近若い男女の間で流行の芝居が上演されていた。 異国の王子と王女が身分を隠したままに出会い、そして惹かれあうという、割とありがちな台本であったのだが――結末がハッピー・エンドではなく悲劇であるという物珍しさが話題となり、連日大入り満員の大盛況となっていた。 誰もが夢中になって、繰り広げられる演劇に意識を集中している中で。全く舞台を見ていない者たちがいた。 ひとりは、銀色がかった金髪に白髪が混じった初老の男性貴族だ。彼を知る者が見たら、ほぼ間違いなく驚きの声を上げたであろう。もしかすると、仕事熱心なことだと感心したかもしれない。 この男の名は、リッシュモン。法の名の下に裁判を執り行う他にも、劇場で行われる歌劇や文学作品などの検閲から平民たちの生活を賄う市場などの取り締まりなど、行政全般を司る高等法院長の長である。 ふたりめは、私服に身を包んだ、これまた銀髪と美髭の見事な若い貴族――近衛衛士隊グリフォン隊の隊長・ワルド子爵であった。 残るひとりは、目立たぬ格好をした商人風の男。彼らはゆったりとした座席に並んで腰掛け、密談に勤しんでいるのだ。「で、近衛衛士隊の練度は?」 そう商人風の男が問えば。「マンティコアを中間とすれば、グリフォンが頭ひとつ抜けております。逆に、ヒポグリフが新人の多さゆえか、上手く統制が取れておりません。狙うならばそこでしょうな」 ワルド子爵が淀みなく答える。「艦隊の建造には、少なくともあと三ヶ月はかかる見通しだと聞いたが?」「同じく。ほぼ間違いない情報と見てよろしいでしょう」 リッシュモンの問いに、ワルドが同意を示す。「ふむ、なるほどなるほど」 ふたりの貴族の言葉に、商人が満足げに頷く。 小声で幾度となくそんなやりとりが交わされた後、商人風の男がふたりの貴族に小さな袋を渡した。彼らは、袋の中を覗いてみた。そこにはぎっしりと金貨が詰まっている。「それにしても……劇場で接触を図るとは、考えましたな」 商人がそう囁くと、至極満足げな表情でリッシュモンが答えた。「なに、密談をするのは人混みの中に限る。ましてやここは、小声で話をするのが当たり前の場所。なにせ、芝居の最中ですからな」 感心しきりといった体で、ワルドが同意を示す。「たしかに。どこぞの小部屋などで行えば、それこそよからぬ企みが行われているなどと喧伝するようなものですからな。さすがはリッシュモンさま、勉強になります」「子爵。きみはまだ若いが、なかなか見どころがある。これからは、目をかけてやろう」「なんと、それは誠でございますか! 有り難き幸せ」 そんなふたりを見て、商人風の男が笑う。「ははは。我らが親愛なる皇帝陛下は、おふたかたが提供してくださる情報にいたく感心を寄せられています。雲の上までお越しいただければ、勲章を授与するとの仰せです」「アルビオンの皇帝陛下は、豪毅ですなあ」「ええ。見かけだけは豪奢でも中身の乏しいトリステインとは、そこが違う」「なに。まもなくこの国も、その名で呼ばれることになりましょう。あなたがたの熱心な助力のおかげで」 そう言うと、商人風の男は立ち上がり、劇場の外へ出ようとした。しかし、リッシュモンがそれを引き止める。怪訝な面持ちで、男が訊ねた。「他に何かご用でも?」「終劇(カーテンコール)はそろそろです。どうせなら最後まで見ていきませんか」 ――上演終了後。劇場を後にしたワルドは、まっすぐにグリフォン隊の宿舎にある自室へ戻ると、今日の出来事を整理した。 彼が『レコン・キスタ』に渡した機密情報は、全てラ・ヴァリエール公爵から流しても構わないと言われ、手渡されているものである。あえて防衛体制の隙を見せることで、敵の狙いを特定の箇所に集中させるというのが彼らの目論見だ。「公爵閣下と学者殿の見立て通り、降臨祭の前に『レコン・キスタ』が攻め寄せてくることは、ほぼ確実だろう。だからこそ、連中は防衛に関する機密情報にここまでの金を出してくるのだ」 手元にある金貨の袋を見つめながら、ワルドはひとりごちた。正直なところ、彼の心はかすかに揺れていた。もちろん、機密情報と引き替えに手にした報酬に対してではない。もしやすると『レコン・キスタ』には本当に『聖地』へ向かうだけの実力があるのではないか、そう思えたからだ。 ただ、彼の中にある軍人としての勘が、それに待ったをかけていた。確かに、常識では考えられない速度でアルビオン王国を陥とした彼らに、尋常でない<力>があるのは間違いないだろう。しかし――その軍事行動の詳細はというと、実にお粗末極まりない。まるで素人の寄せ集めのようだ。『有能な貴族の連盟』が聞いて呆れる。「特に、ニューカッスル城の最終決戦。城内に誘い込まれた挙げ句に5000もの損害を出すなんて、話にならない。しかも、結局王族の死体も発見できなかったというじゃないか。万が一、彼らが逃げ延びていたらどうするんだ? 陸・空共に完全封鎖していたとはいえ、少人数ならば夜陰に紛れて、何処かへ脱出できた可能性も充分にあるだろうに」 それに、かの王国は別名『風の王国』とも称されるように、優秀な風メイジを多数輩出することで知られている。<遍在>や<フェイス・チェンジ>などの風系統に属するスクウェア・スペルを巧く使いこなせば、まるで自爆したように見せかけるのも、敵兵の間に忍び込み、自然に離脱することも容易であるはず。 ワルド自身が風の『スクウェア』であるだけに、今回の件にはそういった『穴』が多数存在しているように感じられるのだ。「もしも僕の想像通りなら。『レコン・キスタ』は自分たちの失態を、大勢の味方を犠牲にすることで無理矢理隠蔽したことになる。そんな奴らを信用するなんて、自殺行為だ」 既に王党派は1000を切っていたという情報を得ていたし、かつて彼らを支持していた者たちの生き残りは、新政府樹立の際に、粛正されたとも聞く。よって、テューダー王家がアルビオン国内に潜伏し、単独で力を蓄えるのは難しいだろう。 だが、もしも彼らが海外に逃亡していたら。それも、ガリアやゲルマニアなどの強国に保護されていたとしたら。正統な『王権』を盾に、大軍を率いて戻ってくることも充分ありえるのだ。そうなれば、聖地奪還など夢物語と化すに違いない。 ワルドは、ふいにあの商人に身をやつした男が口にしていた「アルビオンへ来れば、皇帝自ら勲章を授与する」という言葉を思い出した。「実際にかの国へ行くことができれば、ある程度の見極めがつくのだが……こういうとき、近衛衛士隊の隊長という身分は足枷にしかならんな。実に面倒だ。仕方がない、また学者殿から知恵を借りるとするか」 ここまで、彼の助言が外れたことはない。ワルドは、自身の信頼する有能な『頭脳』に向けて、フクロウを飛ばした。