夜明けと同時に魔法学院を出発した水精霊団一行は、街道沿いにまっすぐラ・ロシェールの街へと向かった。途中の駅で幾度も馬を変え、ただひたすらに飛ばし続けたおかげで、日が落ちる頃には目的地までの三分の二ほどを走破していた。 馬に初めて乗った才人や、体力のないモンモランシーが一行に加わっていたことを考えると、これは驚異的なペースともいえるだろう。「今日は、この先にある旅籠で一晩過ごそう」 馬を降り、地図を見ながら仲間たちに提案したレイナールに、ルイズが異を唱えた。「ねえ、もう少しペースを上げたほうがいいんじゃない?」「いや、これで充分だよ」 顔に戸惑いの色を浮かべたルイズに、レイナールは丁寧に説明した。「このままの速度で行けば、明日の昼にはラ・ロシェールに到着できる。どっちみち、フネは明後日の朝にならなきゃ出ないんだから」「あら、どうして?」 今回、生まれて初めてアルビオン大陸へ渡航するというキュルケが疑問の声を上げた。いっぽう、幼い頃にロンディニウムへの旅行を経験していたルイズは、彼の返答を聞いて即座に理解できたらしい。「あ、そっか。明日がちょうど『スヴェルの月夜』だったのね」「そういうこと」「ちょっと。ふたりだけで納得してないで、説明してもらえないかしら?」 キュルケの問いかけに答えたのは、レイナールだった。「『スヴェルの月夜』については、もちろん知っているよね?」「当たり前じゃない。ふたつの月が、ひとつに重なって見える日のことでしょう?」「うん。実はその翌朝がアルビオン大陸がラ・ロシェールにいちばん近付く日なんだ。それで、燃料になる<風石>を節約するために、ほとんどのフネがその日に発着するんだよ」「なるほど。だから、急ぎ過ぎても意味がないってことね」 キュルケは、素直に感心した。もしもこの事実を知らなければ、全員が限界まで飛ばした挙げ句、アルビオンへ渡る前に、体力を無駄に消耗してしまっていただろう。「うへ~、やっと休めるのか。もう部屋に入った瞬間、寝落ちしそうだぜ」 ぐったりと馬に身体を預けていた才人が、大きく息を吐いた。「どうして、わざわざベッドの上から転がり落ちる必要があるんだね?」「いや、寝落ちってそういう意味じゃ……」 そんなギーシュと才人のやりとりを苦笑しながら見ていたコルベールが、パンパンと手を打ち鳴らした。「さあさあ皆さん。こんなところで固まっていないで、宿へ入りましょう」「ミスタ・コ……じゃなかった、エンジン!」 今回同行しているコルベールにも、他のメンバーと同様の暗号名がつけられていた。その名も『ミスタ・エンジン』。これは、もちろん彼の発明に敬意を表した才人の命名だ。 そのコルベールの言葉に、太公望が同意した。「休めるときにしっかりと休む。これは行軍における基本だ。幸いなことに、追っ手らしき者の気配もない。だが、明日以降はもっと厳しくなると考えておいたほうがよいであろう。今のうちに、しっかり体調を整えておくのだ」「わかりました」「はーい!」「了解した」 ちなみに今日の太公望は、魔法学院の制服に身を包み、頭には水精霊団のベレー帽を乗せている。いくら囮役を務めているとはいえ、いつもの道士服では目立ち過ぎるため、自分とほとんど背丈の変わらないレイナールから、予備のマントと制服を借り受けたのだ。 才人も、普段着ている青いパーカーではなく、シンプルなシャツにスラックスという、同世代の平民が身に付けるような服装をしていた。 傍目には課外授業の一環で遠出をしてきた魔法学院の生徒と教師と、彼ら付きの従者にしか見えない一行は、ゆるゆると馬を進めると、最寄りの宿へと向かった。○●○●○●○● ――いっぽうそのころ。 王都トリスタニアでは、王国宰相マザリーニが執務室の中で灰と化していた。室内の空気は、完全に冷え切っている。そこはまるで、通夜の席のような雰囲気であった。 彼の対面に座る老爺――オールド・オスマンもまた、真っ白に燃え尽きていた。 半日ほど前のことだ。引率の教師と子供たちが出立するのを見送った後。彼は、その日の職務を教員たちに任せ、すぐさま王宮へと向かった。「魔法学院の長として、学生を戦場へ送り出すなどという無体な決定を下した王政府に――いや、正確にはマザリーニ枢機卿に対し、断固抗議せねばならん」 王室じきじきの命とはいえ、教育者としてこのような横暴は許し難い。しかし、自分が騒いで国の機密に関わるとおぼしき『密命』を表沙汰にするわけにもいかず。 オスマン氏は内心の怒りを必死に押し隠し、学院運営に関する陳情を述べに来たという、いかにもそれらしい理由をつけ、マザリーニとの対面を望んだのだが――多忙を極める宰相殿と面談が叶ったのは、陽が中天より沈みかけてからのことであった。「オールド・オスマンが、わたしとの面談を希望している? 珍しいことがあるものだ」 取り次ぎの秘書官からその報告を受けたとき、マザリーニは少なからず驚いた。 通常であれば、必ず約束を取り付けてからやって来るオスマン氏が、前置き無しで直接会談を申し入れてきた。これは、魔法学院内で貴族同士の大きないざこざがあったのではないか。そう考えた枢機卿は、慎重に人払いをした後、執務室の中へ客人を通したのだが――事態は、彼の予想をして、遙か斜め上を超えていた。「なんと! ヴァリエール公爵令嬢と彼女の友人たちが、王室からの密命を帯び、戦争中のアルビオン大陸へ赴いたと仰るのですか!?」 まさしく寝耳に水。そのような話は聞いていないと言うマザリーニ枢機卿。「何を寝ぼけたことを! 命令を下されたのは、王政府ではございませぬか!」 戸惑いを隠せぬ枢機卿と怒り狂った学院長の間で一悶着あった後、しばらくして。どうにか落ち着きを取り戻したふたりが、双方が持つ情報を交換するに至り――そこで初めて、お互いの認識に大きな齟齬があることに気が付いた。「王政府からの命を下すために、ミス・ヴァリエールを呼びつけたのではないと?」 オスマン氏の言葉に、枢機卿は頷いた。「ええ。そもそもですな、ヴァリエール嬢に登城願ったのは、詔の巫女を引き受けてもらうためであって、それ以外の役目を申し渡すような真似は――」 と、そこまで言ったマザリーニ枢機卿は、目を見開いた。「まさかあの後、姫殿下が……!」 オスマン氏に確認の時間を頂きたいと断りを入れた後。即座に王女の居室へと向かった枢機卿は、表面上は静かな湖面のような顔で。だが、内心にはさざめく波の如き焦りを抱きつつ、麗しき姫君を問い質してみた結果。彼女はさめざめと泣きながら事情を語り始めた。「ずっと前から、あのかたを愛していたのよ……わたくし」 姫君の言葉を聞いて、マザリーニは衝撃を受けた。驚くべきことに、アンリエッタ姫とアルビオンの皇太子ウェールズは恋仲であった。彼女がルイズに回収を命じた『手紙』とは、ふたりが交わした恋文だったのだ。「ま、まさか、ただの恋文を回収するためだけに、戦場へ使者を遣わしたのですか!?」 マザリーニの問いかけに、アンリエッタはしばし俯き黙っていたが……やがて、ぽつりぽつりと詳細を語り始めた。「あれは、ただの恋文ではないのです。実は……」 話が進むに従って、枢機卿の顔からは血の気が引いていった。これが、単に愛の言葉をしたためた程度の手紙であったなら――何の問題もなかった。王族の一員として、確かに迂闊な行動ではあるのだが『たかが恋文』で流せた。偽造であると誤魔化すこともできた。 ところがその恋文は、国を瓦解させる巨大な爆弾たりえたのだ。何故ならそこに、『始祖ブリミルの名に於いて、アンリエッタ・ド・トリステインは、ウェールズ・テューダーに永遠の愛を誓う』 このような一文が書き添えられていたからだ。「よりにもよって『始祖』ブリミルへの宣誓文……それも、王女の印と署名入りとは。しかるべき場所へ提出すれば、婚姻の証明書となりうる物ではありませんか!」 そう――アンリエッタ姫は、受け取りようによってはアルビオンの皇太子ウェールズと結婚していることになるのだ。これは、間違っても『子供が戯れに書いた懸想文』などという言葉で片付けられるようなシロモノではない。 枢機卿は、今後起こり得るであろう最悪の事態を想定し、全身を震わせた。 もしも、この事実がアルビオンの貴族派連盟に知れたら。彼らは、ウェールズ皇太子を生きたまま捕らえ、軟禁するだろう。その上で、件の手紙を血眼になって探すはずだ。 そして、レコン・キスタの総帥であるブリミル教大司教オリヴァー・クロムウェルの手に『宣誓文』が渡ってしまったら。 彼はブリミル教の寺院でそれを詠み上げ、ふたりの結婚を笑顔でもって祝福し――ハルケギニア全土へ向けて、派手に喧伝するに違いない。その後、ゲルマニア皇帝の元へ証拠の品を届け、こう問うはずだ。「閣下は、重婚の罪を犯されるおつもりですか?」 ……と。 ブリミル教の教義において、重婚は重罪とされている。ウェールズ皇太子が既に死亡していた場合はその限りではないが、彼が生存している現在、これが大きな枷となる。 まず、ゲルマニアの皇帝アルブレヒト三世は、たとえこの婚姻が形式上のものだとはいえども、法的そして対外的な意味で、アンリエッタ姫を諦めざるを得なくなる。軍事防衛同盟の締結は、大幅に遅れるだろう。いや、完全に頓挫する可能性のほうが高い。 トリステイン王家としても、国辱ともいうべき失態を国内外に晒すことになる。そればかりか、ウェールズ王子が『レコン・キスタ』に身柄を拘束されている限り、アンリエッタ姫の婚姻が事実上不可能となってしまう。ゲルマニアへの降嫁ができなくなるだけではない。彼女は別の誰かの元へ嫁ぐ、あるいは婿を迎えることすら叶わなくなるのだ。 未だ同盟条件受け入れの返答には至っていないため、重婚の罪を負わされたなどという理由を掲げたゲルマニアが『レコン・キスタ』と手を組み、攻め寄せてくるという最悪中の最悪の事態にだけはならずに済みそうだが、マザリーニが密かに立てていた『計画』が破綻してしまうことだけは間違いない。「つまるところ。わたしは、姫殿下から全く信用されていなかったということだ」 静かに涙を流し続ける姫君に、念入りな口止めをした後。執務室へ戻ったマザリーニは、オスマン氏に思わず零した。もしもアンリエッタがこの激白を耳にしたら、そんなことはないと強硬に訴えたことだろう。だが、全ては遅きに失した。「ロンディニウムが貴族派連盟によって包囲される前に、わたしに一言でも相談してくださっていれば、いくらでも対処のしようがあったのだ。それが……それが……ッ!」 両の手で顔を覆い、椅子にぐったりと身を預けたマザリーニ枢機卿に、オスマン氏は深い同情と憐憫溢れる視線を投げかけた。「とはいえ、今から別の使者を立てるわけにもいきますまい?」「その通りです。大使としての身分証明書を発行するだけで、外部へ情報が漏れかねませんからな」「ミス・ヴァリエールには……?」「姫殿下が手ずから、確実に身の証となる品を手渡したそうです」「それはまた、ずいぶんと用意がよろしいことですな」「ええ、まったく。おそらくですが――詔の巫女の件は単なる隠れ蓑で、本来の目的はミス・ヴァリエールにアルビオン行きを命じることだったのでしょう」「猊下ともあろうおかたが、してやられましたな」「いやはや。姫殿下のご成長を、喜んでいいものやら……しかし正直なところ、オールド・オスマン。あなたが真っ先にわたしの元へいらして下さった事に、心から感謝します。一歩間違えば、ゲルマニアと同盟を結ぶどころか、内乱の口火が切られるところでした」「……猊下の心痛、お察し申し上げる。幸いなことに、今回使者となる者たちは、双方共に元軍人。揃ってとびきりの腕利きですじゃ。彼らならば、間違いなく役目を果たしてくれるものと信じております」 オスマン氏の言葉に、マザリーニはようやく顔を上げた。「既に杖は振られました。とはいえ、失敗した時のことも考えておかねばなりません。成功を信じ『始祖』に祈りを捧げるだけで、全てが解決するというのなら……どんなに気が楽であることか」 聖職者らしからぬ問題発言に、さもありなんとオスマン氏は頷いた。「ならば、わしが猊下の代わりに祈ろう。『始祖』ブリミルの加護と、アルビオンに吹き征く風に幸あらんことを」○●○●○●○● ――翌日、昼過ぎ。 水精霊団の一行は、予定通りその日の昼間にラ・ロシェールの手前まで辿り着いた。険しい岩山の中を進んでゆくと、深い峡谷の間に挟まれた街らしきものが見えた。街道沿いに、岩を穿って造られたとおぼしき建造物が所狭しと並んでいる。 才人は、怪訝な顔をして周囲を見渡した。ここは山の中である。海どころか川や池の類すら見当たらない。 行き先が浮遊大陸だと聞いてはいたが、そんなことを言われても、地球生まれの彼には実感が湧かなかった。もしかすると、この山を越えれば港と船の発着場が見えてくるのかもしれないと考えはしたのだが、しかし。それでも言わずにはいられなかった。「なんで港町が山の中にあるんだよ! おかしいだろどう考えても!!」 才人の心からの叫びを聞いたギーシュが、呆れたように言った。「きみ、アルビオンの話はもう何度も聞いただろう? ぼくらの間では常識なんだが」「あのな。ここの常識を、俺の常識と思ってもらっちゃ困る」 と、彼らが互いに疲れたような笑い声を上げた、そのときだ。 轟音と共に、才人たちの跨った馬めがけて、崖の上から大きな岩が転がり落ちてきた。続いて、何本もの矢がびゅんびゅんと風を切り裂いて飛んでくる。「奇襲だ!」 ギーシュが叫んだ。 カッ、カッ、カッと軽快な音を立て、複数本の矢が地面へと突き刺さった。 馬は、元来臆病な動物だ。軍事用の訓練を受けているならばまだしも、単なる乗馬用の馬が突然の襲撃に耐えられるはずもない。馬たちは驚きと恐怖で大きく嘶き、前足を高々と上げたので、才人を含む数名が地面に転げ落ちた。そこへ、さらに追撃の矢が飛んでくる。「キャアァァア――ッ!!」 ルイズとモンモランシーが悲鳴を上げた。しかし才人も、すぐ側にいたギーシュも、この不意打ちに完全に身体が硬直してしまって動くことができなかった。 才人が声にならない叫びを上げそうになった、その直後。一陣の風が巻き起こり、飛んできた矢を全て明後日の方向へはじき飛ばした。 思わず顔を上げると、杖を構えたタバサが全員の前に立ちはだかっている。「大丈夫?」「あ、ありがと」「助かったわ……」 タバサは小さく頷くことで仲間たちに応えると、周囲に風の流れを生じさせた。「まさか『レコン・キスタ』の仕業……!?」 崖の上を睨み付けながらキュルケが杖を抜く。同じく杖を構えたレイナールが答えた。「貴族が弓を使うとは思えないけど、敵が雇った傭兵だっていうならありえるね」 降り注ぐ矢の雨を風で受け流しつつ、太公望が指示を飛ばす。「皆の者、気を散らすでない! まずは落ち着いて陣形を立て直すのだ!」「は、はいっ」「わか、わかりましたっ」 その指示に、慌てて『ワルキューレ』を錬成しようとしたギーシュだったが、そこへ、狙い撃つかのように石つぶてが飛んできた。だが、それが彼の腕に当たる寸前。光線のように伸びてきた<炎の蛇>が石弾をくわえ、蒸発させた。 油断なく杖を構えながら、コルベールが小声で言った。「ミスタ・ハーミット。崖上の敵兵ですが……攻撃の範囲、及び内容から判断するに、平民の傭兵集団。最大でも30名程度の構成と推測します」「わしもおぬしと同意見だ、ミスタ・エンジン。捕らえて、何者なのか尋問しよう」「了解しました」「残りの者たちはここで<盾>を展開し、身を守りつつ待機するのだ。他の場所からも襲撃があるやもしれぬ。この場の指揮権は、スノウに一任する」「了解」「き、気をつけてね……」 生徒たちの応援を背に受け、風を纏って崖を駆け上がろうとした太公望とコルベールに、才人が待ったをかけた。「師叔、俺も連れてってくれよ!」「……相手は『人間』だぞ。わかっておるのか?」「あ、ああ。もちろん」「ならば、どうしてそのようなことを言う?」 太公望の目をまっすぐと見返した才人は、相棒の柄を握り締めて言った。「もし上にメイジがいても、デルフがいれば魔法打ち消せるだろ?」 才人の手が微かに震えているのを、太公望は見逃さなかった。しかし、少年の決意が固いと見て取った太公望は、ふっと息を吐いて告げた。「わかった。しかし」「斬ったりなんかしねーよ。俺は『盾』だからな。人殺しなんてゴメンだ」「ふふん、戦だというのに甘いのう。だが……」「だが、なんだよ?」「おぬしは、そのままでよい」 そして――彼らは、太公望が起こした<風>に乗って、宙へ舞い上がった。 その直後、崖の天辺で悲鳴が上がった。どうやら、襲撃者たちは上空から反撃を受けるとは思ってもみなかったらしい。 崖上に降り立った3名のうちふたりは、早速それぞれの仕事に取りかかった。賊の数はコルベールの見立て通り、30数名余。 焦って放ったのであろう敵の飛び道具を、太公望が全て<風>で逸らし。 コルベールが、敵対者の装備を一目見て「メイジはいない」と通達し、さらに懐へ飛び込んで<眠りの雲>を発動させた。途端に、複数名の男たちが崩れ落ちる。その、あまりの手際の良さに、彼が元軍人であることを知らない才人は驚愕した。「うは、なんなんだよ先生の動き! ハンパねェな」 呆然と立ちすくむ才人を尻目に、敵の矢弾が尽きたと判断した太公望が攻勢に出た。得意の拳法で、次々と敵を打ち据えている。師叔は魔法使いなのに、なんでわざわざ素手で戦ってんだろ……などとぼんやり考えていた才人は、はっとした。「って、俺は何しに来たんだよ! ボケッとしてる場合じゃないっつーの!!」 いつまでも衝撃に立ち竦んでいるわけにはいかない。ここは、まぎれもない戦場なのだ。才人は、改めて周囲を見回した。そして、稲妻の如き速さで残った賊どもの背後へ回り込むと、デルフリンガーではなく手刀と蹴りでもって相手を倒して回った。 数では圧倒的に上回る賊も<ガンダールヴ>と、彼の師たちを捉えることは叶わず――結果。5分とかからずに、全ての敵を気絶あるいは降伏させることに成功した。 ――それから十数分後。 周囲の安全を確保した後、一つ処に集まった水精霊団一同は、ギーシュが造り出した青銅製の鎖によって襲撃者たちを縛り上げると、早速尋問を開始した。子供にしか見えない太公望では相手に舐められるだろうということで、コルベールが自ら進んで賊の前に立った。「さて」 木製の杖をぽんぽんと手の上で弾ませながら、コルベールは賊どもにずばりと訊ねた。「きみたちの目的は、なんだね?」 その冷え切った声に、襲撃者たちは震え上がった。普段はどこか間の抜けた教師が持つ、もうひとつの顔を目の当たりにした生徒たちは、ぽかんと口を開けた。「ひ、ひいッ! 俺たちゃ、ただの物盗りで……」「こんな明るい時間帯にかね? しかも、相手は貴族だとわかっていただろう?」 才人以外、全員がマントを羽織っている。誰がどう見ても貴族の旅行者だ。「この国では、平民が貴族を相手におかしな真似をした場合、裁判などの正規の手順を踏まずにその場で無礼打ちにされても文句は言えない。にも関わらず、わざわざこんな場所で仕掛けてきたということは、何か特別な理由があるのではないかね?」 杖を構えながら、静かな声でそう言い募るコルベールに、賊の頭は震え声で答えた。「ぐ、軍の連中があちこちで張ってやがるから、狙える場所が少ねえんだよ! そっ、それに……ガキの集団だったから、上手いこと生け捕りにできれば、身代金が取れると思ったんだ! 本当だ、嘘じゃねえ!!」 太公望の目から見ても、彼らが偽りを述べているようには感じられなかった。どうやら追っ手や妨害工作の類ではなく、正真正銘、本物の物盗りであるようだ。 身に付けている装備から察するに、傭兵崩れといったところだろう。アルビオンへ渡る前に、一稼ぎしようと考えたのか。あるいは……。 少し考えた後、彼らの持ち物を一通り改めると、太公望は言った。「おぬしら、ひょっとして『王党派』の逃亡兵か?」 太公望の言葉に、集まっていた一同の顔色が変わった。賊たちも同様に。ただし、それぞれの面に表れた色は正反対であったが。「が、ガキのくせして、どうしてそんなことがわかるんでい!?」「おぬしらが身に付けておる装備を見れば一目瞭然だ。明らかに、何度も交戦した痕跡がある。ところが、金目のものは何一つ持っておらぬ。ごく最近戦があった場所といえば、アルビオンだろう? 勝っている貴族派連盟側についていたのならば、もう少し景気が良いはずだ。こんなところで物盗りをしている道理などあるまい?」 兵士たちの長らしき男は、がっくりと頭を垂れた。「ちきしょう……こんな連中を襲っちまったとはな。俺ぁとことん見る目がねえみたいだ。だいたい王党派なんぞに味方したのが、ケチのつきはじめだったんだ!」「けどよォ、隊長。貴族派の下についてたら、どうなってたかわかりやせんぜ?」「それは、いったいどういう意味かね?」 副官とおぼしき男の声に、コルベールが反応した。まるで獲物を見据える蛇のような眼に捕らえられた相手は、ひっ! と小さな悲鳴を上げると、堰を切ったように喋り始めた。 曰く。貴族派の軍勢には、人間とは相容れぬはずの亜人や妖魔の類が大勢混じっている。 曰く。死んだはずの敵の指揮官が、翌日何事もなかったかのように戦場に姿を現した。 曰く。『レコン・キスタ』の総帥オリヴァー・クロムウェルは、先住のものとは違う、何やら変わった魔法が使えるという噂が流れている……など。 ついには、「貴族さま、どうか命ばかりはお助けを……」 などと、涙声で命乞いを始めた敗残兵どもの話を聞きながら、太公望は以前から懸念していた、ひとつの事柄に行き着いた。「クロムウェル……」 この名を、太公望は覚えていた――あまり思い出したくない事柄も含まれているのはさておき、到底看過することのできない重要案件として。 独自に集めた情報や、ロングビルからの情勢調査報告、そしてワルド子爵の内偵などにより判明していた『レコン・キスタ』総帥の名前と。彼らが合流してからというもの、王党派から寝返る者たちが増加したという事実。そして、今仕入れた最新の噂話。それらは、彼にひとつの解答を示していた。 だとすると、事は想像以上に厄介なことになりそうだ。太公望はコルベールを促し、さらなる情報を引き出すべく物盗りたちへの尋問を続けさせながら、頭の片隅で、突如持ち上がってきた重大な懸念事項に対する検討を開始した。○●○●○●○● ――ラ・ロシェールは、白の国アルビオンヘの玄関口として設けられた港街である。峡谷の間に築かれた街なので、昼間でもなお薄暗い。人口は300にも満たぬ程度だが、ふたつの大陸を行き来する人々が大勢おり、住人の10倍以上の人間が街中を闊歩している。 狭い山道を挟むようにして、数多くの旅籠や商店が立ち並んでいた。全て立派な石造りの建物だ。と、それらを物珍しげな目で見ていたキュルケが、驚きの声を上げた。「ねえ。この街の建物って、ひょっとして全部一枚岩からの削り出しなの!?」 それを聞いた才人は、建物を注意深く観察してみた。一見すると、トリスタニアによくある石造りの建造物のようだったが、よくよく目をこらしてみると、一軒一軒が、全て同じ一枚岩から削り出されたもの――つまり、彫刻であることがわかった。「すげえな、これ。めちゃくちゃ手間かかってるだろ」 そんな彼らの称賛に、レイナールが彼としては珍しく自慢げな声で応えた。「そりゃあそうだよ。ここは、トリステインが誇る土系統の『スクウェア』メイジが、卓越した魔法技術で造り上げた街なんだ」「街全体が、ひとつの芸術品ってやつだな」「そうとも言えるね」 それからしばらくして。『女神の杵亭』という宿に立ち寄った一行は、一階に併設されていた食堂兼酒場でくつろいでいた。いや、正確には旅の疲れを癒やしていた。ただでさえ強行軍だった上に、途中で襲撃にあったとなれば、これは当然の帰結である。 椅子に腰掛け、周囲を見回しながらギーシュが言った。「あまり期待していなかったんだが、なかなか立派な宿じゃないかね」 それを聞いたタバサがぽつりと呟いた。「外の看板に書いてあった。ここは貴族専用の宿」「なるほど。そういう理由ならば理解できるな、うん」 『女神の杵亭』は、貴族を相手に商売をしているというだけあって、揃えられている調度品の全てが豪華な造りだった。椅子やテーブルに至るまで、床や建物と同様一枚岩からの削り出しで、極限まで磨き抜かれている。土メイジのギーシュは、それらにいたく感銘を受けたらしい。目をきらきらと輝かせながら、芸術品とも呼ぶべき品々に魅入っている。「このテーブル、ピカピカだなあ。ほら見てごらん、ミス・フローラル。顔まで映るよ」 岩製のテーブルを指して、ギーシュが言えば。「もう、恥ずかしいわね! 少しは落ち着きなさいよ」 色々な意味で顔を赤くしたモンモランシーが、それに答える。 と、そこへ『桟橋』に乗船交渉に出向いていたコルベールと太公望が戻ってきた。ふたりは揃って席に着くと、真面目な顔で言った。「明日の朝一番に出るフネを手配できた。予定通り出発できる」 コルベールは鍵束をテーブルの上に置くと、言った。「今は渡航者が少ないらしくてね。あっさり全員分の部屋が取れたよ。しかも安い値段で。いやあ、本当に助かったよ」「え? 魔法学院のお給料って、もしかして安いんですか?」 レイナールの質問に、コルベールは苦笑した。「いやいや、それなりにもらってはいるんだがね。ほとんど研究費に回してしまうから――と、私の懐事情はさておき。ミス・フレアとミス・フローラル、ミス・コメットとミス・スノウが相部屋だ」「あら、珍しい組み合わせですのね」 再びタバサがぽつりと呟く。「襲撃への備え」「ああ、なるほど」「残りは全員、大部屋だ。彼女たちの部屋と隣接しているのが、そこしかなかった」 それを聞いた才人が言った。「なんか修学旅行みたいな振り分けだな」「シュウ・ガク……なんだい? それ」「俺たちの国にある習慣でさ。3年生になると、全員で旅行に行くんだ。ただ、受験勉強とかの都合で、2年生のうちに済ましちまう学校もあるみたいだけどな」「へえ、面白い行事があるんだね」 揃って、そんな他愛のない話をしながら運ばれてきた食事を摂る一同。そうすることで、この先に訪れるであろう、大いなる不安に備えるかのように。 ――その夜。 才人はひとり、部屋のベランダで月を眺めていた。他のメンバーはまだ酒場にいて、まるで壮行会だといわんばかりに盛り上がっている。彼は、そこから抜け出してきたのだ。どうにも飲んで騒ぐ気分になれなかったから。 星の海の中、紅い月が青白い月の後ろに隠れ、ひとつだけになっていた。その月は、才人に故郷を思い出させた。今は遠い、地球の夜を。「サイト」 振り返ると、ルイズが立っていた。月明かりに照らされたその顔は、はっとするほど美しい。俺がホームシックにかからないで済んでいるのは、やっぱりこいつの側に居たいからなんだろうな。そんなことを考えていると、ふいに少女の顔が陰った。「ごめんね」「何がだよ」「……全部よ。月、見てたんでしょ。あんたの故郷とおんなじ、1個になってる」「それで、どうしてお前が謝るんだよ」「わたしが、ろくに考えもしないでこの任務を受けてきたせいで……もしかすると、あんたが帰るための『道』が……」「それ以上、言うな」「でも……」「そんな顔すんなよ、らしくねーな! だいたい、師叔があっさり死ぬようなタマに見えるか?」「…………確かに見えない、けど」「だろ? だから、言うな」 ふたりはベランダの縁にもたれかかると、揃ってしばし月を眺めていた。どちらからともなく、そっと互いの距離を縮めた後――ふいに、ルイズが口を開いた。「あのねサイト。小さい頃から、わたしずっと思ってたの。いつか、誰かに認めて欲しい。立派なメイジになって、父さまと母さまに褒めてもらうんだ、って」「そんなの、とっくに認められてるじゃねーか」 才人の言葉に、ルイズはふるふると首を横に振った。「違うの」「何がだよ」「最近になってね、やっとわかったの。わたしが認めてほしかったのは、他の誰かじゃなくて、自分自身になの」 ひとつになった月を見上げながら、ルイズは言葉を紡いだ。「子供の頃からいつも失敗ばっかりで、何をやっても上手くいかなくて。周りからは、ゼロゼロって馬鹿にされて。そんな自分が、どうしても好きになれなかったの。だから、誰からも認められるような大きな手柄を立てれば、たとえ魔法ができなくても、自分に自信が持てる。わたし、心の中でずっとそう思ってた」 ルイズの声が、か細くなった。「そんなわたしも、やっと魔法ができるようになったわ。でも、まだまだみんなの足元にも及ばない。せいぜい<念力>が得意な程度で、系統魔法は相変わらずさっぱり。なのに、いきなり『伝説の再来』とか言われて。それで、怖くなっちゃったの。本当に、わたしなんかでいいのか……って」 才人は、困ってしまった。彼の目から見たルイズは、自信と誇りに満ちあふれた、とても強い女の子だった。魔法がどうこうではない。この世界に召喚されるまで、ただぼんやりと毎日を過ごしてきた自分とは、心の在り方が根本から違う。俺は、彼女のそんなところに惹かれたのだと。 だが、今、目の前にいる少女は。まるで、冬の雨に打たれた雛鳥のように弱々しかった。いったい何と声をかければいいのか。才人が悩む間も、ルイズの独白は続いていた。「姫さまから任務を言い渡されたときにね、心のどこかで思ってたの。これで、わたしは自分が好きになれる。『伝説』の名に相応しい働きができるって、そればっかり考えてた。だから、これが本当に命懸けの仕事で。み、みんなを死なせちゃうかもしれないってこと、言われてみるまで……ぜ、全然。これっぽっちも気付かなかったのよ」 最後のほうは完全に嗚咽混じりになってしまったルイズの声に、才人は慌てた。「おい、泣くなって!」「だって……」「言われて気付けたんだろ。だったらいいじゃねーか。俺なんか、さんざん言われて、打ちのめされて。なのに、ホントにやってみるまでマジわかってなかったんだぞ」「なんのことよ?」 戸惑うようなルイズの声に、才人はつい先程まで考えていたことを口にした。「師叔たちについて行くつもりだったんだ、俺」「えっ!?」「ルイズの父ちゃんと母ちゃんに鍛えてもらってさ。こう言っちゃなんだけど、けっこう強くなったと思うんだ、俺。みんなと一緒に、ドラゴン退治もできた。今の俺なら、戦場でも絶対足手まといになんかならない。やっと師叔に借りを返せる。先生のことだって守れる。そう信じてた」「あんた、強いじゃない……」「全然ダメだよ。お前だって見てただろ? 矢射かけられただけで、頭ん中が真っ白になって、動けなくなっちまった。タバサが護ってくれなかったら、お前、絶対撃たれてた。もしかしたら、死んでたかもしれない」 ルイズは、才人をじっと見つめた。いつも自分の『盾』になって護ってくれる、まるで太陽みたいに明るい男の子。それが、これまでルイズが見続けてきた才人の姿だった。 並のメイジなど一歩も寄せ付けない強さを誇るばかりか、トリステインでも特に厳しい両親の稽古をも乗り越えた、暖かくて頼もしい、大きな背中が。今夜は何故か、小さくなってしまったように感じた。「そんでも意地張って、崖の上までついて行ってさ。んで、最初はやっぱり動けなかった。何していいんだかわかんなくて、師叔と先生が戦ってるとこ、ただぼけっと見てた。戦場のど真ん中でだぞ? ぶっちゃけ、ありえねーだろ」「そ、そりゃあ、最初は誰だって……仕方のないことじゃない」「その『最初』がもっと強い相手だったら……どうなってた?」 ルイズは、彼に何と言えばいいのかわからなくなってしまった。そもそも彼女がここへ来たのは――才人と話したい。彼と会話して、胸の内に溢れるこの罪悪感を消して貰いたい。そう考えていたからだ。ふいに、それがとてつもなく自分勝手なことのように思えて、ルイズは自己嫌悪のあまり、再び落ち込んでしまった。 いっぽう才人も、塞ぎ込んでいたルイズを励ますどころか、自分の不甲斐なさを見せつけてしまったと、情けない気持ちでいっぱいになっていた。 しばしの間を置いて。才人が、ぽつりと呟いた。「明日の朝、船……出ちまうんだよな」「……ええ。今夜は『スヴェルの月夜』だから」 ――地上を煌々と照らす月を見上げながら。伝説の主従は、最後まで心の内へ澱のように沈んだ想いを表へ出しきることができぬまま、ただ、その場に佇んでいた――。