広場での決闘騒ぎに一応の決着が着いたあと、タバサと太公望のふたりは、揃って本塔にある図書館を訪れていた。ハルケギニアで生活するにあたって、必要な知識を身につける。そのためには、まず文字を覚えなければならない――。 太公望がこの国の文字が読めない事に気がついたのは、昨夜、タバサの部屋でハルケギニアの書物を見せてもらった時だった。そこには、彼がこれまで見たこともない線状の何かが列をなしていたのだ。そこで、今日からタバサに文字を教えてもらうことになっていたのだが――その課程で、タバサと太公望はおかしなことに気がついた。 最初に違和感を覚えたのはタバサだった。太公望の習得力が、異様なまでに速いのだ。教材に使用したのが子供向けの本とはいえ、1時間もたたぬうちに1冊全ての意味を読み取れるようになるなど、もはや異常といっても過言ではない。 いっぽうの太公望も、現状に戸惑いを感じていた。1文字ずつ読み方を教わっている時には、発音だけ――それも「アー」「ベー」「セー」といった、これまでに全く聞いたことのないようなものが聞こえていたのにもかかわらず、それが『単語』という形になった途端『序章』『勇者』『姫』と、いったように、自分に理解できる言葉となって、頭に染み込んでくるのだ。 それを伝えると、タバサはしばし考え――口を開いた。「犬や猫を使い魔にすると、人間の言葉を喋ったりできるようになる」「それと似たような現象が、わしに起きていると?」「あくまで仮説。そもそも、あなたとわたしは同じ言葉を話しているのに、使用されている文字が全く異なるという事実が不可解」 タバサの発言を受けた太公望の脳裏に、ふいに閃くものがあった。同じ言葉を話しているのに、使う文字が違う――?「ひょっとすると……だが。わしらは、同じ言語を用いて会話をしているわけではないのかもしれぬ」「どういうこと?」 太公望は、口にした仮説を証明すべく確認を始める。「確かめてみよう。そうだのう……『覆水盆に返らず』と、書いてみてはくれぬか」 言われるまま、ペンを取って手元の羊皮紙にサラサラと記すタバサ。書き終わったメモを受け取った太公望は、それを一瞥して言った。「『一度行ってしまったことは、二度と取り返しがつかない』と、書いてある。これは、わしが言ったことと、一字一句間違いないかのう?」 タバサは首を左右に振った。普段表情の乏しいその顔に、僅かながら驚きの色が混じっている。「違う。私は『皿の上のミルクをこぼしてしまった』と書いた。でも、これは取り返しのつかないことをしてしまった、という慣用表現。だから、その意味自体は同じこと」 羊皮紙に記された文章を睨みながら、太公望は言う。「わしがタバサに書いてくれと頼んだ言葉も『器に入った水をこぼしたら元には戻らない』すなわち、取り返しがつかないことの例えだ。意味は同じ、だが」 理解を示すタバサ。「お互いに、口から出した言葉が異なっている、つまり」 彼女の言葉に頷き、太公望は断言する。「わしらは互いに異なる言語を使っているが、なんらかの方法で会話が成立している。召喚された時点で既に言葉が通じておったことから考えるに<サモン・サーヴァント>に、そういった機能がついておるのだろう。文字の習得速度や、書かれた内容によって受け取る側の認識に何らかの齟齬が生じることについては、また別の検証が必要になるが」 タバサは驚愕した。ハルケギニアにおいて、それぞれの地方訛りのようなものはあっても、言語そのものが異なることはないのだ。何故なら『ガリア語』と呼ばれる共通語(コモン・ワード)が存在するからである。 トリステインでも、タバサの出身国ガリアでも、人類の宿敵とされるエルフでさえも共通語を使って会話を行う。もっとも、エルフには種族固有の言語も存在しているらしいのだが、あくまでそれは噂でしかない。 にも関わらず、自分が呼び出した存在は、サハラも含めたハルケギニア全体とは全く異なる『別の言語』で会話しているのだという。そして、それが事実だということは、今の実験結果が証明していた。 タバサは思った。召喚された当日、彼は「お互いに存在すら知らないほど遠い国から喚ばれてきた」と言っていた。いったいどれほど遠くの地からやって来たのだろう――? 見知らぬ異国へと、想像の翼をはためかせ飛び立ちそうになっているタバサをよそに、太公望はとある懸念――しかも割と深刻な――を抱いていた。魔法の影響を受けて、会話が成立している。逆に言うなれば、その効果が消えてしまった場合、この世界での意思疎通が非常に難しくなるのではないか、と。 <サモン・サーヴァント>および<コントラクト・サーヴァント>は、召喚者あるいは被召喚者の死によって無効化――契約が切れる仕組みになっていると、契約する前に学院長から説明を受けている。が、太公望は、それ以外の方法で『魔法の効果を打ち消してしまう可能性があるもの』を持っていた。 ――それは、彼の持つ最大の切り札。スーパー宝貝『太極図(たいきょくず)』。 これは、展開した領域内において、宝貝の使用を完全に封じ、さらには宝貝によって引き起こされた全ての事象を鎮め、無効化し、癒やしの<力>へと転換。敵味方、生物・物質を問わず全てを回復させるという、究極のアンチ宝貝なのである。 かつて、敵対する仙人が宝貝を使って発生させた1万貫の土石流を瞬時に鎮め、その全てを、砂粒1つに至るまで『元通りの位置に回復』してしまったことを例に取っても、効果の程は伺えよう。 ハルケギニアの魔法に対して『太極図』が有効か否か、近いうちに色々と試そうと考えていた太公望だったが、これではうかつに使用するわけにはいかない――少なくとも、この世界の言語を自分のものとするまでは。比較的早い段階で、それに気がつけただけでもよしとするべきか。 ぐうたら生きるのも、楽じゃないのう――。 もうひとりの使い魔が聞いたらマジ泣きしそうなことを考えながら、太公望は生活基盤をしっかりと固めるべく、タバサに講義の続きを促すのであった。 ――その夜。 時間を忘れて書をめくっていたタバサと太公望は、閉館時間を過ぎてもそこから動かないふたりに業を煮やした司書の女性によって、外へつまみ出されていた。そこに至って、彼らは初めて夜になっていることに気付いたというのだから、その熱中度がいかほどのものであったのかは推して知るべし、である。 既に食堂は閉まっていたので、軽めの食事を厨房に頼んだふたりは、タバサの部屋へと――塔外壁の窓から――戻ろうとした……のだが。無人のはずの部屋の奥から、なにやら声が聞こえてくる。「まさか、泥棒か?」「わからない、でも用心に越したことはない」 外壁を背にして張り付くような体勢をとった彼らは、気取られぬようこっそりと中の様子を伺う。そこにいたのは……興奮気味に何事かをまくし立てる桃色の髪の少女と、それをあしらうように笑う赤髪の娘と、その間に挟まれ、天国と地獄を同時に味わっている黒髪の少年であった。 ――キュルケ曰く。 昼に聞けなかった『策』の内容を確認しに来たが、扉に鍵がかかっていた。ノックをしても無反応。タバサは<サイレント>をかけた状態で本を読んでいることが多いので、確かめるために解錠の呪文<アンロック>を唱え、部屋の中へ入ったところで、通りがかったルイズ――タバサ達に何かを言いに来たらしい――に、見咎められたのだという。「勝手に他人の部屋の鍵を開けるなんて!」 と、説明中にも関わらずいきり立つルイズを「あら、こんなのいつものことだし、タバサは気にしてないわ」 暖簾に腕押し、柳に風で受け流すキュルケ。「<アンロック>は重大な校則違反なのよ? わかってんの!?」「あなたの<アンロック>が『あン、爆発!』だから禁止なのはわかるんだけど」「けけ、ケンカを売ってるのかしら、つつ、ツェルプストー?」 こんな調子で、部屋主が戻ってきても収まらない少女たちだったが、とうとう付き合いきれなくなった太公望とタバサのダブル<風>攻撃――太公望が天井付近まで舞い上げ、タバサが空気の縄で縛り付けるというものによって押さえ込まれ、静かになった。 そして、どうにか事の顛末――発端から決闘の推移に至るまでを語り、ついでに策の内容について、念入りに口止めをし終えた頃には、夜もだいぶ遅い時間になってしまっていた。 部屋へ戻るという彼らを見送り、寝支度を始めようとしたタバサは小さくため息をついた。召喚の儀式からまだ2日しか経っていないのに、なんだかもう1ヶ月ほど過ごした気分だ。これからも、こんな嵐のような日々が続くのだろうか――。 それが果たして良いことなのかどうか、まだ彼女にはわからなかった――。○●○●○●○● 太公望がハルケギニアへと召喚されてから数日が経った。最初の2日間こそ怒濤のような騒ぎの中にあったものの、その後はおおむね平穏であった。そんな彼の使い魔? 生活を紹介しよう。 朝、日が昇る前に目を覚ます。同居人を起こさぬようにそっと外へ出て、本塔の屋上へ移動し、そこで1時間ほど『瞑想』を行う。 その後、部屋へ戻ってタバサを起こす。彼女が身支度を整えている間は外――もちろん窓ではなく廊下で大人しく待機。出てきた彼女と共に、朝食を摂りにアルヴィーズの食堂へ向かう。 テーブルマナーのなんたるかすらわかっていない太公望の食事姿は、控えめに見ても良いとはいえないものだが、すぐ隣の席につき、まるで手のかかる子供に指導をするように世話を焼くタバサの姿と相まって、ほのぼのとした空気を醸し出す。 朝食の後は、タバサと共に授業を受ける。夢のぐうたら生活を実現するためには、この世界の魔法、そして『言語』について詳しく知っておく必要があり、その手段として魔法の授業は最適なのだ。ある意味、この場にいる生徒たちの誰よりも真剣に、教師の言葉と黒板に書かれる文字に集中し、タバサから譲り受けたメモ帳へ、それらの内容を書き付けている。 将来の怠惰のためには今の努力を惜しまない――太公望とは、そういう男であった。 昼食後の1時間は、ひとりで学院の敷地内をうろつく。そして、時折出会う学院の使用人たちや、使い魔の仕事――ルイズの部屋や廊下を掃除したり、彼女の衣類の洗濯をさせられている才人に出くわしては交流を深めている。 ある時、こんな事があった。 貴族さまに洗濯するよう命じられていた絹のハンカチが、風に飛ばされてどこかへいってしまった。このままでは手打ちにされてしまう……と、嘆くメイドがいた。シエスタである。偶然その場にいた才人が一緒に探して回ったが見つからず、途方に暮れていたところへ太公望が現れた。才人が事情を話すと、太公望は一言、「薪(まき)を1本もって来たら、なんとかしてやろう」 と、告げる。 なんで薪!? という疑問はあったものの、以前の経験から「コイツの言うことなのだから、何か意味があるのだろう」と考えた才人は、大急ぎで裏庭の薪置き場へ向かうと、そこから1本の薪を頂戴し、太公望に手渡した……のだが。 ――太公望の起こしたアクションは、才人の想像の斜め上を行った。「見ておれ、才人よ! この薪を使った『炎占い』で失せ物の行方を占ってやろう!」 『杖』を取り出して、薪の先をがんがん叩き始めた。しかも、まき~まき~教え給え~とか、軽くイった目をしてブツブツ呟いている太公望を見た才人は、そのまま回れ右してハンカチ探索に戻ろうとしたのだが……『占い』という言葉の響きにすっかり魅せられてしまったシエスタによって引き留められる。 ……と、それまで変化のなかった薪の先端が、勢いよく燃え始める。揺らめく炎を見つめながら、ムゥ……と唸った太公望は、才人とシエスタに『結果』を告げた。「よいか、これから急いで厨房へ行き、コップに1杯の飲み水を手に入れよ。そして、それを持って炎の名を持つ塔の側にある建物の前へ行け! そこにひとりの男が立っておる。そやつにコップの水を渡せば、失せ物が見つかるであろう」 そんなバカな……と、思いっきり疑いの目を向ける才人だったが、藁にもすがる思いで『託宣』に聞き入っていたシエスタの手前、それを無碍にするわけにもいかず。言われた通りに厨房で水を手に入れ、炎の塔の側にあるという建物へと向かった。 ――そこにいたのは、コルベールであった。 何かを探しているのか、周囲をきょろきょろと見回している。と、彼は才人とシエスタの姿を見て何かを目に留めたのか、ふたりの方へ近づいてきた。「おお、きみたち。ちょうど誰かに飲み物を持ってきてもらおうとしていたところなんだよ。良かったら、その水を譲ってもらっても構わないかね?」 才人が言われるままにコップを差し出すと、コルベールはひと息で中身を飲み干した。そして懐から一枚の布を取り出し、額の汗を拭う。「いやあ、おかげで人心地ついたよ。ありがとう」 笑顔で礼を言い、コップを返そうとしたコルベールは、ふたりの視線が手元の布きれに集まっていることに気がついた。「……どうかしたのかね?」「き、貴族様、そ、そ、そのハンカチは」 シエスタが、震える声でコルベールに問う。「おっと、いけない! さっき偶然拾ったものなのに、ついうっかりと……もしかして、これはきみの物だったのかね?」 ――それからが大変だった。 占いが当たった! と、おおはしゃぎのシエスタと、なんでもありかよファンタジー! と、頭を抱える才人。 そんな彼らから事情を聞いて『炎を使った占い』にいたく興味をそそられたコルベールに、根掘り葉掘り聞かれそうになったり。 貴族のせいで困っていたシエスタを助けてくれた! などと、厨房で働く料理人たちに才人共々大歓迎されたり。 噂を聞きつけた多くの女性達――平民、貴族を問わず――に、自分のことも是非占って欲しいと押し掛けられたり。 『イワシ』なる魚があれば、より精度の高い占いが可能だなどと太公望が言い出したせいで、厨房に大勢の人間が殺到したり。 ――最終的に、学院長から「学院内での占いは禁止」という触れが出されるまで続いたこの一連の騒動によって、太公望はちょっとした有名人になってしまったが、その対価として、 『身分を問わず人当たりのよいメイジ』『東方の秘術を知る異国人』 などというそれなりの評価を得られたことは、今後の学院生活を送る上でプラスになることは間違いないだろう。と、まあこんなふうに着々と『自分の居場所作り』に精を出すのがこの時間帯だ。 その後は、再びタバサと合流して午後の授業に出たり、本塔にある図書館に籠もってハルケギニアの歴史や地理などを学ぶ。本の虫であるタバサの解説は、簡潔にして要を得たもので非常にわかりやすい。 タバサとしても、理解の早い生徒である太公望にモノを教えるのは思いのほか楽しくやり甲斐があるし、自分自身の復習にも繋がるので、勢い熱心になる。その結果、大幅に閉館時間をオーバーして、ふたり揃って司書の手で外へつまみ出される……というのが既に日課となりつつあった。 ――と、こんな調子で日々を過ごす太公望。今のところは、まだ平和を満喫していた。○●○●○●○● ――そして、召喚から数日後。フェオの月、ティワズの週、虚無の曜日。 その日、タバサと太公望のふたりは、友人たちと共に乗合馬車に揺られながら、トリステインの王都トリスタニアへ向かっていた。 タバサは、独りで居ることを好む少女だ。彼女にとっての他人とは、自分の世界に対する無粋な闖入者であり、騒音でしかない。数少ない例外に属する人間であっても、余程の場合でない限り鬱陶しく感じる存在に過ぎなかった……はずなのだが。 そんな彼女が、虚無の曜日にクラスメイトやその使い魔達に囲まれて、共に乗合馬車で街へ向かっているのには――ちょっとした事情があった。「街へ服を仕立てに行きたい」 ことの発端は、前日の昼に太公望が発した言葉であった。 太公望は替えの服を1枚も持っていない。これまで、胴衣については男性教諭から着古したローブを借りて凌いできたが、上に羽織っている着衣の汚れが目立ってきた。 『道士服』と呼ばれるらしいそれは、太公望曰く「ハルケギニアのメイジが羽織るマントのようなもの」 ……だ、そうだ。 タバサは思い出した。そういえば、彼の国では服装によって出される食事が変わると言っていた。つまり、身分を証明するために必要な衣服なのだろう。そう考えた。 太公望の生活に必要なものは学院の経費で落とせるし、タバサとしても、太公望に不自由な思いをさせるつもりはなかったので、翌日――学院が休日となる虚無の曜日に、トリスタニアの街を案内すると約束し、ひとまず話は済んだ。 ……と、思っていたら。太公望は、いつの間にか彼と仲良くなっていたらしい才人――ルイズが使い魔にした少年に、そのことを伝えたらしく。そこから、どういう経緯を経てなのか各所へと話が飛んだ結果、 曰く「使い魔に身を守るための武器と服を買い与える慈悲深い主人」ルイズと。 曰く「優しい主人を持って幸せだとうそぶく従者」才人に。 曰く「春の新作が気になるから一緒に行きたい」キュルケがついてきて。 現在の――控えめに言っても騒々しい状況が成立した。 トリスタニアの街まで、まだ1時間以上かかる――ふっとため息をついたタバサは、同行者たちと益体もない話を続けている己の使い魔を、少し恨めしげな目で見遣った後……持ってきた本に視線を落とし、ページをめくり始めた。○●○●○●○●「さて、残るは才人の武器……か」 仕立て屋での採寸を終えた太公望たちの一行は、それ以外の買い物の成果を両手に抱えて――荷物を持たされているのは太公望と才人のふたりだけだが――トリスタニアの街中を歩いていた。行きに乗ってきた馬車は、街の外で待たせてある。あちこちで買い物をするため、馬車では進めない、狭い路地を通る必要があったから。 太公望は、物珍しそうに辺りを見回していた。白い石造りの街は、これまで見たことのない風情であったし、道端には様々な露天商が店を開いていたからだ。と、そんな彼と同じく好奇心を剥き出しにしていた才人が、ルイズに耳を引っ張られる。「ほら、よそ見しない! このチクトンネ街は、スリが多いんだから」 ルイズ曰く、このあたりは割と物騒な地域らしい。こういう所は、どこの国でも同じなんだのう……などと感慨に耽っていた太公望に、ひとりの男の肩がぶつかった――その瞬間。男はその場へ崩れ落ちるように、どう、と倒れた。 ――突然のことに、通行人たちから悲鳴が巻き起こる。「人が倒れた! 急病人だ!!」「誰か衛兵…… いや、水メイジを呼べ!!」 広がる喧噪の中、真っ先に動いたのはタバサだ。小声で仲間たちに指示を出す。「この場から離れたほうが無難、ただし、慌てず普通の速度で歩いて」 病人を見捨てるのか! と、問うルイズと才人を、「今のわたしたちにできることは何もない」 と、ただの一言で黙らせて。 そのままタバサを先頭にして路地を抜けて大通りに出た一行は、平民向けだがなかなかに小洒落た感じの料理店へと入る。 平民の店なんて……と、ぶつぶつ文句を言うルイズを無視し、テーブルごとに衝立で仕切られたそこの一番奥にある席を確保したタバサは、手慣れた調子でウェイターに全員分の飲み物を注文した後、まっすぐに自分の使い魔――太公望を見据え、問い詰めた。「あなた、何をしたの」 全員の視線が、太公望に集中する。「何もしてはおらぬよ、わしは……な」「それは嘘。あのスリが倒れる直前、あなたの懐に手を入れたのを見た」 タバサの言葉に、あの男スリだったの!? とか、どういうこと!? だの騒ぎ出したルイズ・才人・キュルケの3人に黙るよう、口の前で指を1本立てるジェスチャーをして見せた太公望は、ふぅとため息をつくと、やれやれというように首を左右に振る。「わしの『ご主人さま』は思いのほか目敏いのう。少々見くびっていたようだ」「ごまかさないで」 彼女の二つ名『雪風』に相応しい、冷たい空気が場を支配する。降参だというように、太公望は軽く両手を挙げて答えた。「わしは本当に何もしてはおらぬよ。やったのは……これだ」 太公望は、懐から『打神鞭』を取り出してタバサ達に見せる。「この『杖』には、盗難防止用に『わし以外の者が持つと生命力を吸い取る』呪いがかけられておってのう。あやつは、わしの懐を探ろうとして、うっかりこの杖に触れてしまった。ただそれだけのことなのだ」 ――今度は、別の意味で場が凍り付いた。「なにそのヤバい杖」 さすがの才人も真っ青だ。「神聖な杖に、そんな処置を施すなんて……」 と、逆に憤りを覚えるルイズ。「……その呪いとやらがどの程度のものなのか、教えて頂けて?」 キュルケが震える声で問えば。「触れたくらいならばその場で気絶。持ち続ければ干涸らびて死ぬ程度、かの」 悪びれもせず、からからと笑いながら太公望が答える。一同、声も出ない。 そんな硬直した空気を打ち破ったのはタバサだった。文字通り、持っていた己の杖を太公望の脳天めがけて叩き付ける。 ごぃん。と、実にいい音が辺りに響き渡り……太公望は、その場に崩れ落ちた。「そんな大切なこと、どうして今まで黙ってたの……」 真冬に吹き荒ぶ寒風もかくやといった冷たい声で、ぽつりとタバサは呟いた。 無口な子。本の虫。他人を寄せ付けようとしない。完全に伸びてしまった太公望を尻目に、同行者の3名がそれぞれ己の『タバサ個人評価ノート』の片隅に「怒らせると怖い」と書き加えたのは、ある意味必然といえよう。 ――太公望が目を覚ましたのは、帰りの馬車の中であった。 道中、打撃を受けた箇所をさすりつつ、状況を確認する太公望へ「<レビテーション>で馬車まで運ぶのは、結構大変だったのよ」 と、ちょっと怖い笑みを浮かべながら話すキュルケや、「結局こんなさびた剣しか手に入らないなんて……」 と、悔しがるルイズに「あーるぴーじーだと、こういう剣が最強っていうお約束があるんだよ」 などと、意味のわからない話をして慰めて(?)いる才人。そんな彼らの騒ぎをよそに、タバサは手持ちの本を開いていた。しかし、行きの時のそれとは異なり、彼女は自分だけの世界に没頭してはいなかった。 あの瞬間――杖を振り上げた直後。ほんのわずかだが、太公望の身体が反応したように思えた。だからこそ、タバサは躊躇わずに杖を振り下ろしたのだが――結果、彼はそのまま攻撃を受け、倒れてしまった。 ふと、店で彼が呟いた言葉を思い出す。 ――わしの『ご主人さま』は思いのほか目敏いのう。少々見くびっていたようだ まさか――避けもせずに攻撃を受けたのは、彼の演技? だとしても、わざわざそんなことをする理由がさっぱりわからない。タバサは心底混乱していた。自分の<使い魔>の実像が、全く掴めないことに。 もっとも、それはある意味当然である。彼女は太公望が身体を張ってまで『究極のサボり』を開発すべく日々努力を続けていることなど、知る由もないのだから――。