――場に、一陣の風が吹いた。ただし、それはあまり心地よいものではなかった。 それに当てられて、内心で頭を抱えていた者たちが大勢いた。彼らは、とりあえず現状を整理しようと、己の脳みそをフル回転させた。それからすぐに、最初のひとりが事態を収拾すべく、基本的な確認作業に取りかかった。「ワルド子爵。失礼ですが、念のため確認させていただいてよろしいでしょうか?」 そう切り出したのは、太公望である。「はい、何でしょう?」「その模擬戦の実施日程というのは……いつをご希望で?」「実は、明日の昼にはこちらを立たねばなりませんので……このあと、すぐに」 やはり、これはまずい。模擬戦云々ではない――それ以前の問題だ。即座にそう判断した太公望は、いったん彼から視線を外すと、ラ・ヴァリエール公爵に言を向けた。「閣下。大変ぶしつけとは存じますが、本日の進行予定についてお伺いしても?」「うむ。ただし、今回の歓待については、わが娘エレオノールに総責任者として全般を取り仕切らせておるので、そちらから説明をさせよう。さ、エレオノール」 そう言って娘に役目を引き渡したヴァリエール公爵の片眼鏡の上で、形の整った眉がごくごくわずかに上がったのを、太公望は見逃さなかった。いっぽう、父親から指名を受けたエレオノールの口端がひくひくと動いていたのは、誰の目にも明らかであった。「はい。あと30分程で、皆さまをお部屋へご案内させていただくこととなっております。なお、現在全ての客室に備え付けられた浴槽に、湯を張る支度をさせておりますので、本日の疲れをそちらで癒やしていただければと。なお、この風呂には先程ミスタがご用意くださった『水酒』を使わせていただいております」「丁寧なご説明、痛み入ります。質問を重ねるのは失礼と承知しておりますが……このお屋敷から模擬戦が可能と思われる平地、可能であれば練兵場に移動するまでに、どのくらいの時間がかかるのか、お教え願えますか?」 この質問に答えたのは、カリーヌ夫人だった。彼女の眉は見事に吊り上がっている。「馬車で1時間ほどの距離に練兵場があります。庭では被害が大きすぎますから。よって、本日模擬戦を行うのは、事実上不可能です」 彼らのやりとりを聞いて、ワルド子爵は硬直した。自分が犯してしまった大変な失態に、ようやく気付いたからだ。 ……そう、本来であれば。今回のホストであるラ・ヴァリエール公爵にまずお伺いを立てるのが筋であり、最低限の礼儀なのだ。しかも、太公望がわざわざ日時の確認をするという気配りを見せてくれていたにも関わらず、直後を指定してしまった。王宮勤めの騎士隊長ともあろうものが、正直これはいただけない。 場になんともいえない空気が漂ったところで、再び太公望が口を開いた。「ありがとうございます。それでは、これらの状況を踏まえた上で……ご主人さま」「あなたの裁量に任せる」 即座に切り返すタバサ。伊達にこの数ヶ月間、太公望と過ごしていたわけではない。このあたりの意思疎通については見事なものである。「承知致しました。ワルド子爵が模擬戦を希望されておられるわけだが――才人よ、おぬしはどうだ。彼と一戦交えてみたいか?」 この発言に周囲がどよめいた。ワルド自身も驚いた。思わず太公望に対し、聞き返してしまったほどだ。「日を改めて、機会を設けてくださると?」 だが、そうは問屋が卸さなかった。「ミミズはね、土壌を改良できるすごいヤツなんだ。うん、エライ。俺とは大違い。つまり俺はミミズ以下。微生物。小さな小さな存在です。生まれてきてごめんなしゃい」 ……と、指名された張本人が、下を向いてぶつぶつと意味不明なことを呟き続けていたからだ。こんな状態では、模擬戦などできようはずもない。「うぬぬぬぬ……ワルド子爵には誠に申し訳ないのですが、本人がこの調子でございますので、さすがに模擬戦の申し入れはお受けできかねます」 頭を下げる太公望と、彼と才人のふたりを交互に見遣ったワルド子爵は、顔の端々に無念の色を滲ませていた。銀色に輝く美髭が微かに揺れている。そして、いかにも残念だと言わんばかりに首を振った。「そ、そうですか。是非とも東方の剣術を拝見したかったのですが……」 と、そんなワルドの様子を伺っていた太公望が、タバサに小声で許可を取ると、彼へ向けてこう切り出した。「ワルド子爵は、どうやら東方に感心をお持ちのようですな。連れが模擬戦をお受けできなかった代わりといっては失礼ですが、互いに風呂を頂戴した後に――そう、2~3時間程でもよろしければ、個人的にかの地の話などを披露致しますが、如何でしょう?」 その申し出に、ワルド子爵は破顔した。それからすぐに、ヴァリエール公爵家の者たちとタバサたち招待客へ向けて深く頭を下げた。先程の失敗を取り返すかのように。「どうか、ミスタとふたりで話し合う機会と、場所をご提供願えませんでしょうか?」○●○●○●○● ――さてと。あのワルドとやらが何が考えているのか、巧く聞き出せればよいのだが。 太公望は、内心でここまでに拾い上げた情報の精査を行っていた。 最初は、彼が自分と才人に対し、妙に関心が高いのが気に掛かった。何くれとなくルイズの世話を焼いているようでいて、その実こちら側をさりげなく伺っている。長年『観察眼』を磨いてきた太公望には、それが手に取るようにわかった。 そこで、誰にも気取られないよう、会話を進めながらワルド子爵を『観察』してみると、ある特定のキーワードに反応が見られた。『東』と『マジック・アイテム』だ。 そして、彼が才人に模擬戦を申し込んできたとき――ワルド子爵が、自分たちを探ろうとしているのだと確信した。そもそもこの世界の常識から考えて、魔法の使えぬ平民と模擬戦がしたい、などという発想が出てくること自体がおかしい。それも近衛部隊を率いる隊長がそんなことを言い出すなど、不自然にも程がある。ただ、どうしてそんな真似をするのか、その理由がわからない。 そんな風に分析を続けていたとき、ワルド子爵が漏らした言葉が太公望の意識を捉えた。 ――是非とも、東方の剣術を拝見したかったのですが。 ここにも『東』というキーワードが登場している。つまり……彼、ワルド子爵はかの地、あるいは方角に強い関心があるということだ。東には『ロバ・アル・カリイエ』と呼ばれる諸国の他には、何があっただろうか? そうだ、確かエルフと呼ばれる種族が支配しているという土地と、ハルケギニアの民の間に広がっている、宗教という概念。それを信ずるブリミル教徒たちにとって『聖地』とされている場所だ。 ここまで思考を巡らせ、ようやく太公望は思い至った。ずっと以前――ルイズが背負う運命を知った、あの日。オスマン氏から聞いた才人の持つルーンと、自分がそうなっていないのが不思議だと称された存在について。彼は『フェニアのライブラリー』に収められていた書物の中から、重大な情報を得ていた。それは、かつて『始祖』ブリミルが使役していたとされる、使い魔たちに関するものだ。 あらゆる武器を使いこなす『神の盾』『神の左手』<ガンダールヴ>。 あらゆる魔法具を使いこなす『神の本』『神の頭脳』<ミョズニトニルン>。 あらゆる生物を操る『神の笛』『神の右手』<ヴィンダールヴ>。 そして最後のひとりは、記すことすら憚られる者。 ……最後の一文がいろいろと不吉なものを連想させるが、それ以外の者についてはだいたいのところを把握した。「もっとしっかり情報を残しておかんか、ブリミルめ!」などと、書をめくりながら恨み言を吐き出していた太公望であったが、ともかく『伝説の使い魔』とやらが全部で4体いたらしきことだけは確認できた。また『ひとり』という単語から、彼らが人間、あるいはそれに近しい存在であることも念頭に置いていた。実際に才人が人間であることから、この推測はほぼ正しいのであろう。 ――そこから導き出された、太公望の答え。それは、『自分が<ミョズニトニルン>という存在と間違えられている』 これであった。そういうことなら、ワルド子爵が<マジック・アイテム>という単語に反応する理由として納得できる。さらに言えば、彼がルイズの系統に気が付いている可能性が高い。そして最悪の場合、ルイズが<ガンダールヴ>を、タバサが<ミョズニトニルン>を呼び出したと認識しているのだろうと当たりをつけた。 何故最悪なのか。それは、自分たちが現在の治世に不満を持っている者たちにとって、都合の良い御輿として担ぎ上げられるという危機が、目前に迫って来ているからだ。太公望やタバサが黙ってそんな状況に甘んじているわけがないが――ルイズと才人に関して言えば、権力争いの醜さや戦争の厳しさを一切知らない子供だ。ふたりの性格からして、下手にちやほやされたら舞い上がってしまうかもしれない。その末に、戦の道具として利用される。 しかも、ワルド子爵は妙に焦っていた。そうでなければ、礼儀を重んじる王宮貴族が、あのように露骨なマナー違反など、やらかすはずがない。何をそんなに慌てているのだ? 自分の立場とヴァリエール家との関係を利用すれば、少なくともルイズと才人について確認する機会など、いくらでも捻出できるはずだ。何か、急いで調べなければならない理由があるのだろうか。 こうなったからには仕方がない。公爵家に失礼のないように対応してから、情報を収拾してみるか。あんなことを言われたら、才人のことだ。ほぼ間違いなく模擬戦を受けるはず。ならば、あえてぶつけることも念頭に置いていたほうがいいだろう。 そう判断した太公望は、念のため本人の意思を確認しようとしたのだが……結果はご覧の通りである。才人は、ルイズと自分の間に突如現れた巨大な壁にぶち当たって、それを打ち破ろうとするどころか、地面に深く潜り込んでしまった。これは、正直太公望にとって予想外の事態であり、戦略面における大きな敗北であった。「才人のやつめ、ここまで精神的に打たれ弱かったのか! わしとしたことが、完全に見誤っておった。武成王のような、常に前向きで豪快なタイプだと思い込んでおったわ」 人物観察眼の鋭い太公望としては、正直珍しい部類の失策である。ただ、彼は昔から時折こういうポカをやるクセがある。特に、自分の『正しさ』あるいは『勝利』を確信しているときに、それは顕著となる。 才人についてはあとで何とかするとして。まずは早急に目の前の男が何者なのか、見極めなければならない。何故ならば、このまま放置しておいた場合、自分のみならず周囲に大きな危険をもたらす可能性があるからだ。よって太公望は、手札を1枚切ることにした。果たしてそれが吉と出るか、凶と出るかは――まだわからない。○●○●○●○● ――それから2時間後。 中庭を臨む客間のひとつを提供されたふたりは、揃って部屋を訪れた。中に入った直後、ワルドは腰に差していた細剣風の拵えの軍杖を軽く一振りした。すると、きらきら光る粉が部屋中に舞い散った。「ふむ、<魔法探知>ですか」 太公望の問いに、ワルドが頷いた。「その通り。どこに目が、耳が光っているかわかりませんので」 ワルド子爵はそれだけで満足せず、さらに<サイレント>を展開した。その後、ようやく揃って対面に着座した。と、同時に太公望がいきなり会話の口火を切った。「それで? このわしに相談したいこととは一体なんだ?」 付けていた仮面をいきなり剥ぎ取られてしまったかのように、ワルドの表情が変わった。先刻まで浮かべていた爽やかな笑みが消え、瞳には戸惑うような色が見え隠れしている。「どうした、ワルド子爵。わしの『頭脳』に頼りたいのではないのか? それとも、わしの見込み違いであったのかのう」 ワルドは、まるで胸に氷の刃を突き立てられたかのような心境であった。目の前にいる、子供にしか見えぬ男が纏う空気は、先程までと変わらぬ穏やかなものだ。しかしその眼差しと語り口は、これまでとはまるで別人。太公望のあまりに突然の変貌に、彼はつい気圧されてしまった。 絶句した後、しばしの間を置いて。ワルド子爵は姿勢を正すと、改めて口を開いた。「その前に、君……いや、まずはあなたの正体について、教えていただきたい」 思いも寄らぬ素直な質問に、太公望は小さく笑った。「なかなかまっすぐな男だな、おぬしは。嫌いではないぞ、そういう性質は。ただ……そこへ至るための、試験をさせてもらいたい」「試験、とは?」 太公望は、まるで魂を譲り渡す契約書へサインを迫る悪魔のような笑みを浮かべた。それを見て、ワルドの顔が僅かに強張る。「ククク……なに、実に簡単なものだよ。さあ、答えるがよい。おぬしは、このわしをいったい何と見立てて『交渉』に乗り出してきたのだ?」 やや押され気味になりながらも、まっすぐに太公望の目を見据え、ワルドは言った。「僕は『本』と判断しています」 それを聞いた太公望はくつくつと低く笑うと、相手の目を見返しながら尋ねた。「ふむ、面白い見解だ。で? ワルド子爵。おぬしは、それをどこで、何を見て、何をして判断した? 端的に述べよ。これに答えられた場合、正式に交渉のテーブルにつくことを検討してやってもよい」 ワルドは胸に溜めていた空気を全て吐き出すと、再び大きく吸い込み――その後、いっきに答えを述べた。「以前、この屋敷でルイズの失敗を見た時に、あきらかにおかしいと感じました。よって、王立図書館で多くの書物を見、調べたのです。そこで、彼女の系統に関係あると思しきものに行き当たりました。ですので、それを確認するために本日の宴に出席し、観察した上で、貴君をルイズが<召喚>した使い魔だと判断しました」 ワルド子爵の言葉を聞いて、太公望は穏やかな笑みを浮かべた。しかしその内心は、穏やかとはほど遠いものであった。やはり、早急に対応して正解だった。こやつを放置しておいたら、大変なことになるところであったわ、と。 太公望は内心の安堵を一切表に出すことなく、ただ不敵に笑うばかり。それを不気味に感じたのだろうワルド子爵が、ゴクリと喉を鳴らす音が部屋に響いた。「なるほど、おぬしは『神の本』に手をかけておるようだな。ならば最後の質問だ。わしがいったい何者であるのか。与えられているルーンと二つ名を、知りうる限り答えてみよ」 睨め付けるような視線に負けることなく、ワルドは自身の内にあるものを口にした。「あなたは『始祖』ブリミルが使役した、伝説の使い魔のひとり<ミョズニトニルン>。『神の頭脳』『神の本』『知恵の塊』『導き手』『助言する者』ではありませんか?」 なんともはや皮肉なものだ。太公望は、その場で笑い出したくなった。ほぼ自分の予測通りの結果にではなく――才人がつけてくれた暗号名『ハーミット』(隠者・助言者)と同じ名を冠する使い魔と認識されていたとは。 ここまでの話を聞くに、少なくともこの男は『閃き』と『直感』そして『情報収集』及び『情報精査』に関して、非常に有能であることは間違いない。ただ、何かを焦るがゆえに、周囲の状況を的確に判断できなくなっているようだ。そのため、自分が見たいと思うように相手を見てしまう傾向にある。明日には帰らなければならないから、などという程度の焦りではない。もっと根深いものだ。 とはいえ、これほどの『直感力』を持つ相手に初対面で踏み込みすぎると、不要なことまで悟られる危険性がある。そう認識した太公望は、より用心深く相手の陣地へと攻め込んでいった。「不正解だ……と、言っておこう。今はな」 牢獄で死刑執行を待つ囚人が、遂にその時がきたかと観念した際に浮かべるような表情を見せたワルド子爵だったが、その直後。いきなり無罪放免の報せを受けたかの如く、顔色が青から白へ、それからすぐに興奮による朱色へと変化した。『今はまだ不正解だと言っておこう』 今は不正解。つまり、この場では『まだ』正体を開かせないということか!? そこへ思考が至ったワルド子爵は、次に放たれた言葉によって、完全に太公望の策に絡め取られてしまった。「久しぶりだよ、その名を聞くのは。そして……その結論を導き出すことができたのは、おぬしが初めてだ。我が主ですら、未だそこへ到達できていないというのに。見事だ、新しき<風>よ。わしは、おぬしを交渉の価値ある相手と認める」 その名を聞くのは久しぶり。そして主人よりも早く、自分の正体に気が付いた。つまり、ルイズは彼が何者であるのかをまだ知らない。そして彼は「その名を聞くのは久しぶり」と言った。つまり<ミョズニトニルン>と呼ばれたことがあるということだ。ワルドはそう認識し、全身を震わせた。「やはり、あなたは……」 目を見開いたワルドに、頷いて見せる太公望。 ……これは、オスマン氏から『ミョズニトニルンにならなかったのが不思議』と言われたことと、召喚数日後に図書館の蔵書で『主人』たるタバサと一緒に、自分の左足の裏に刻まれたルーンを調べた際に、古代魔法語で<知恵>を象徴するものであることを突き止めていること。これらを言い換えただけに過ぎない。 ついでに言うと、ルイズの系統に関しては正解なのだが、太公望のルーンについては完全に外しているため『不正解』だとしているだけだ。よって、ワルドに嘘をついているわけではない。所謂『言葉のマジック』というやつである。仙人界No.1の腹黒さは未だ健在だ。「迷いし者よ。まだ、お互いに出会ったばかり。即座にわしのことを信用しろなどとは、間違っても言えない。だが……もしも、少しでもよい。わしの言葉に、耳を傾けてくれる気があるのならば。話してもよいと感じてくれているのならば、わしの持つ知識を開示しよう。新たな<風>よ。いったいどんな『道』で迷っているのだ? 簡潔に、事実だけを述べよ。そこに推測はいらない。何故ならば、それは迷路の奥に踏み込む罠たりえるからだ」 ――静かに、深い叡智を湛える瞳を向けてきた少年に、ワルドは賭けてみようと思った。何故ならば、無風であるはずの部屋の中。彼から自分に向かって吹いてくる<風>が、直感的に神聖なものであるように感じられたから。自分を全面的に信じろ、などと言ってこなかったのも、その判断をする上で助けになった。 もはや、完全に太公望のペースである。ただ、ワルド子爵がここまであっさりと『策』に乗せられてしまったのには、理由があった。 ワルド子爵は、かつて自分が犯してしまった罪の意識に、強く縛られていたのだ。 それがゆえに<力>を求め、邁進していた。贖罪のためには、全てを失っても構わない。周りを犠牲にすることも厭わないと決意していたからこそ、彼は告白する気になったのだ。求められた通り、簡潔に。これは、まだ引き返せる『分岐点』にいたからこそできたこと。もしもあと1日遅れていたら、到底明かせなかった事実を述べた。「国境を越えた貴族連盟『レコン・キスタ』から誘いを受けました。彼らは東の『聖地』を取り戻すため、現在はアルビオン王国の貴族派と手を結ぶことで、かの国の王権を打破し、本拠地とすべく動いています。僕は、ある理由があって『聖地』に至るための<力>が欲しいのです。ですが、本当にこの連盟に加わってよいものか、迷っています。そしてこれは、明日までに返答をしなければなりません」 その言葉に深く頷いた太公望は『レコン・キスタ』に関する、現時点での見解を述べることにした。それが、ワルド子爵の迷いを打ち払う材料になると確信した上で。ロングビルの調査報告により知り得ていた情報を自分なりに精査した上で、彼に告げた。「なるほど、そのために『伝説』を欲したか。当然の帰結であるな。そこまで明かしてくれたのならば、答えよう。わしから言わせてもらえば『レコン・キスタ』なる者どもは、本気で『聖地』を取り戻す気などない、あるいは、その程度も判断できぬ無能者の集いだ」「無能者の集いですと!?」 思わず立ち上がって怒鳴ったワルドを手で制し、やれやれ……といった風情で首を左右に振った太公望は、まずは焦るワルドを落ち着かせるべく、声をかけた。「連中は『聖地』に対する戦を仕掛ける上での前提条件からして間違っておるであろうが」「それは、いったいどういう……」「その若さで、女王陛下の側近くに仕えるに至ったほどに優秀な軍人であるおぬしが、何故気付かない? 焦りとは怖ろしいな。では、ヒントをやろう。まずは、ハルケギニア全土の地図を頭の中に浮かべるのだ。次に『聖地』と『浮遊大陸』アルビオンの位置関係について考えてみるがよい」 そう言われたワルドは、考えてみた。そして、すぐにその結論に至った。「補給線が伸びすぎる。上位者との意思疎通も大きな手間となる!」「正解だ。しかもだ……浮遊大陸だぞ!? おまけに『王家を打倒して聖地を取り戻す』と宣言しているということは、つまり!」「飛び地で、孤立状態になる。いや、そうさせられる可能性が高い。『王権』を持つ三王家が『レコン・キスタ』そのものを敵とみなし、三カ国で同盟を結ぶかもしれない」「そうだ、おぬしはちゃんとわかっておるではないか。どうだ? ワルド子爵よ。たったこれだけの事実で『本気で聖地奪還をする気がない』『あるいは無能者の集団』だとわしが判断した理由になるであろう?」 その通りだ、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。ワルドは、背筋を這い上がってくる恐怖に震えた。無理もない、危うく全てを捨てて、沈没確実の泥船に乗り込みそうになっていたのだから。 そんな彼に追い打ちをかけるべく、目の前の『頭脳』はとんでもないことを言い出した。「もしも、わしが『レコン・キスタ』を率いる長だったとする。その上で『聖地』を取ろうと本気で考えた場合――まずはゲルマニアと同盟を結ぶ。その上で、皇帝に世界征服という名の甘い蜜をちらつかせ、籠絡する。この程度のことができぬ者に『聖地』を取り戻すことなど不可能だ」「それは、立地条件と国力があるから、という意味ですか?」「それもある。だが『頼りにならない王家を打倒する』というご立派なお題目を唱えるのには、ゲルマニアが最適であるからだ。なにせ、由緒ある三王家の血を引いていないのだからな。まあ、わしならそんな馬鹿な宣言はしないがな。もっと上手くやってみせる」「ふむ。たとえば?」「わざわざ、身内に敵をつくる必要はないのだよ。そこで、まずはロマリアと手を組む」 ワルド子爵は、眉をひそめた。それは、彼も考えていたことだからだ。ロマリア皇国連合はブリミルの弟子『聖フォルサテ』が師の死後、彼が斃れた地に築いた国だ。ブリミル教の総本山であり『光の国』などと世界各地から持て囃されている。ただし――。「未だ『皇国連合』などという状態で、あんな小さな領域ですらろくに纏めきれない無能な坊主どもに、価値があると? 数年前など教皇選出にすら手間取り、我が国で宰相を務めるマザリーニ枢機卿に帰国要請を出した程の死に体ですが」「わしも、当初はそう考えた。だが、実際問題としてブリミル教が社会に与えている影響は大だ。連中と敵対すると面倒なことになる。それに『聖地』奪回のための『正義』を唱え、兵を挙げるには、絶対に三王家を敵に回してはならんのだ」 太公望の言葉をじっくりと検討したワルドは、その答えに行き着いた。背には、嫌な汗が滲んでいる。「『始祖』の血を受け継ぐ王家を敵に回せば『異端』認定されるという訳ですか……」「その通りだ。現時点で、いつロマリア宗教庁から『レコン・キスタ』に通達が行くかわからぬような状態だぞ。これも、連中のトップが本気で『聖地』奪還を目指していないと判断した理由のひとつだ」 ワルドは唸った。言われてみればその通り、ロマリアの教皇が使者を寄越すなどの介入をしてきた場合、たとえ王族であろうとも無視できない。それが出来るだけの<力>を持っているのがブリミル宗教庁なのだ。信じる『神』を敵に回そうとする者はまずいない。軍人、特にメイジであればなおさらだ。「だからロマリア――いや『ブリミル教』とは敵対せず、味方に引き入れると?」 心底嫌そうな顔をしながら、太公望は答える。「面倒だが、適当な貢ぎ物でも送ればよかろう。ただし、ああいった連中はやりすぎると調子に乗るので慎重にな」 ニッと口端を上げながら、ワルドが呟いた。「なるほど、その上で坊主どもの口から『聖地奪還』を言わせればいいのか。三王家はブリミル教をないがしろにしている、何故『聖地』を取り戻そうとしないのだ――と」「そうして世間の<風向き>を変えながら、ゲルマニア国内を完全に掌握し、国力を増強させ、さらにガリアとの同盟を結ぶわけだ」「ガリアは、ロマリアにとって『背中』にあたる土地。背後を安全にしておかなければ、戦はおぼつかない」「そうだ。そして最後にトリステインと『血』を通わせることができれば、ゲルマニアが『聖地奪還』の旗手となる大義名分としては充分だのう」「『王家と手を取り、聖地を目指す』なるほど、成り上がりのゲルマニア皇帝が好みそうな話ではありますな」 まるで伝説の知恵の泉に触れたかのように、頭の中にこんこんと案が湧いてくる。これが『神の本』なのかとワルドは驚嘆した。自分が自分で無くなったようにすら感じる。とは言うものの、ここまで挙げられたのはあくまで理想論であり、机上の空論に過ぎない。実現できなければ意味がないのだ。「失礼かと存じますが、あなたにはこの案を実行できるというのですか?」 その質問を、太公望は別の角度から斬り返した。「3ヶ月だ」「はっ?」「わしが、ハルケギニアに<召喚>されてから3ヶ月目にして、既にヴァリエール公爵家及び、グラモン家に、モンモランシー家。それ以外にも多数のトリステイン有力貴族との繋がりを作っている。さらにゲルマニアの大貴族ツェルプストー家と、アルビオンの――名は明かせぬが、高貴な血に連なる者との『交渉』に成功している」 ……魔法学院の生徒たちとの間に築いた『繋がり』なのだが、そこは黙っている太公望。そんなことは知らないワルドは唖然とした表情で、太公望の服に付けられた略章を見た。「花壇騎士団の席も、ご自身の手で得られたと? と、申し訳ありません。実は、その略章は借り物だと思っていました」 その発言に、太公望は思わず苦笑した。そして、内心でほっとした。なるほど、タバサの正体は知られていないか。『ガリアの青』とやらは、想定していたほど民の間には広がっておらぬのだな、と。「まあ、この見た目だから仕方がない。とうの昔に慣れておるよ」「僕よりひとつ年上だとは聞いていましたが……本当なのですね」「それはさておき、わしはガリア王家との接触にも成功している。その上で、知力面での実力を認められて『シュヴァリエ』の爵位を賜ったのだ。どうだ? これらの事実は、おぬしにとって、わしが<力>になると判断するには足りないか?」「あ、いえ、そんなことは……」 実際、身知らぬ土地を訪れてから、たったの三ヶ月でこれだけのコネクションを築き上げるだけでなく、ガリア王国の花形である花壇騎士に叙されるなど、自分には無理だろう――と、ワルドは判断した。貴族の地位は、そんなに軽いものではないのだ。「それならばよい。さて、そろそろ『交渉』に移りたいのだが?」「内容にもよります」「即座には了承しないか。ふふん、気に入ったぞ。では、まずひとつめ。ラ・ヴァリエール公爵に言った通り、わしはルイズを戦の道具にするつもりなど一切ない。彼女が心から望むならば話は別だが、できうることならば、そっとしておいてやりたいのだ。『伝説』の肩書きは、あの小さな身体には重すぎる」 そう言ってふっとため息をついた太公望は、視線をまっすぐにワルドへと向けた。「よって、わしやルイズ、そして現在主人と呼んでいる娘及び各関係者に関する情報を、完全なる極秘事項として扱って貰いたい……それを厳守してくれるのならば、今後できる範囲内でわしの『知識』をおぬしに開示してやろう。急ぎの用件ならば、魔法学院を本拠とするわしに宛てて伝書フクロウを飛ばしてくれてもよい。どうだ?」 太公望の『知識』。これは間違いなく自分の<力>になる。ワルド子爵は、了承のかわりに頷いた。「受けてくれるか、助かる。おぬしを信頼して、あえて証文の類は作らずに交渉を進めることとしよう。それではふたつめ。おぬしの軍人としての実力とその情報収集能力を見込んで依頼する。あえて『レコン・キスタ』に潜入してもらいたい。所謂二重間諜というやつだ。いや、わしを含むから三重だな」 補足を入れつつ、顎に手を当てて考え込むようなそぶりを見せながら太公望は語る。「既に無能と判断しているが、奴らの本当の目的を絞り込むには情報が足りないのだ。少し考えればわかるような、愚かな戦をしかける理由。単に既得権益を破壊して、富の再分配を狙っているようにしか見えぬのだが、念のためにそれ以外の可能性も探っておきたいのだ」「その……対価は?」「おぬしがどちら側についても問題のない策を、最後の交渉後すぐに授ける。それにより、トリステインでの基盤を確立し、万が一の場合にも自領を保護できる。かつ、もしも『レコン・キスタ』に、実は本当に『聖地』を取り返せる実力があった場合、そちらについてもらっても一向に構わない。おぬしならば、あちらについてもすぐ上へ行けるはずだ。わしの『助言』は、そのどちらに対しても行う用意がある」「最後の交渉の前に、その『策』を授けていただくわけには?」「当然の疑問だな。やはり、おぬしに話を持ちかけて正解であった。実は、その最後の交渉――今から話す内容に関連するため、これを受けてもらえなかった場合、わしは第2及び第3の交渉自体を諦める必要があるのだ。もっとも、第1の交渉については、おぬしがどちらを選ぶにせよ有効である」 つまり『レコン・キスタ』の情報よりも、ルイズを守ることを優先しているという訳か。それが第2の交渉に関わってくる内容ということは――ワルドは、必死にここまで開示されている情報を整理しはじめた。そして、気が付いた。「ルイズとの婚約を破棄しろということですか? 僕の身に万が一……つまり、間諜であることが相手方、あるいはトリステイン側に悟られた場合、彼女を巻き込まないために?」 ワルドの解答に、太公望は拍手でもって応えた。「その通りだ。ああ、誤解してもらいたくないのだが。わしは別に、彼女やその姉妹のいずれかと結婚して、ヴァリエール家を乗っ取ろうだなどという、いかにも三流な策士が好みそうなことを企んでいるわけではない。これは絶対だ。なお、この条件を飲んでくれた場合、おぬしにさらなる『上』を見せてやる。ルイズの<フライもどき>を見たであろう?」 この申し出に、ワルドは硬直した。通常の<フライ>よりも遙かに速く飛べ、しかも慣れさえすればずっと楽に宙を舞うことができるというアレを教えてもらえるというのか!? 『閃光』の名を冠す者として、これは聞き逃せない。「あれを、僕に教えていただけると!?」 先程までとは一転、まるで欲しいおもちゃを前にした少年のような目を向けてきたワルドに内心で小さく驚きつつ、太公望は言った。「いや、その前段階だ。この交渉と、例の『策』の説明が終わった後……1時間でおぬしの<精神力の器>の大きさを1.5倍にし、さらに<精神力>の回復速度を通常の5倍にするための東の秘技を授けよう。もしもこれが実現できなかった場合には、相応の対価を別途用意させてもらう」 ワルドは驚愕した。自分のメイジとしての<力>をさらに上げられる……!? しかも、失敗しても別の対価を用意できるとは。 正直なところ、ルイズは彼にとって妹のような存在であり、結婚すること自体は好ましいことであるのだが――ワルドにとっての最優先事項は『聖地に至る可能性』を高めること。太公望の提示してきた内容と、ルイズとの婚姻を天秤にかけた場合……どちらに傾くかは、自明の理であった。「ルイズとの婚約破棄については、受け入れましょう。僕としても、今から辿ろうとしている『道』に彼女を巻き込みたくなどありませんから。ただ……第2の条件を飲む前に<精神力の器>を大きくする方法だけでも先に教えていただけませんか? それ次第で、受けるか否かを検討させてもらいたいのです」「いいだろう……いや、むしろ<力>を求める者として当然の提案だ。ますます気に入ったぞ。幸いにも、現在あの中庭は<パワースポット>に近しい状態になっておる。わしが解放した<アイテム>の効果でな。では……早速」 ――それからわずか30分後。ワルドは新たな<力>を手に入れ、歓喜した。まさしく彼は『助言する者』だ。いや、もしも彼が<ミョズニトニルン>でなくとも関係ない。彼との接触自体が、まさしく自分が求めていた<力>だから。そして、ワルドは受け入れた。全ての交渉を。そして得た。さらなる<力>を。 全ての交渉を終え、実に満足げな笑みを浮かべて部屋を後にしたワルドを見送った太公望は、思わずため息をついてしまった。「わしは本当に甘いのう。わざわざ面倒な条件を飲んだ上で、いちばん厚い壁を壊してやるとは。ただし……実際に乗り越えるまでの手助けなどは、一切してやらぬ。だいたい、そっち方面は管轄外なのだ。ここから先は自力でなんとかせい。ふたりとも、な」 ――重要な情報の取得に、身内の保護。自分の懐に影響を及ぼさない情報斥候の確保。ついでに、才人の前に立ちふさがっていた最大の壁を叩き壊すことに成功した太公望。彼は、結局『仲間』に対してとことん甘い男であった。