「何故、ハルケギニアのメイジは予備の<力>を蓄えておかないのだ?」 これは、数日前に『瞑想』を始める準備の最中に、太公望がポロリと零した言葉である。それを聞いたタバサは、最初は彼が何を言っているのか、理解できなかった。「予備……とは?」「いや、そのままの意味なのだが。普通に『パワースポット』とかあるではないか。どうして利用しない?」 太公望曰く。世界の各地には『霊穴(パワースポット)』と呼ばれる<力>の溜まり場が存在し、そこで『瞑想』を行うことにより、自身の根源たる<力>の回復を、普通に眠るよりも圧倒的に早く行うことができるのだという。 さらに、そこにある<力>を取り込み、自分が持つ本来の<力の器>の中とは別に、予備として体内で循環させておくことで、より大きな事象を発生させることができるのだ、と。「そもそも、わしがずっとこの塔の上で『瞑想』をしておるのは、ここがその『パワースポット』に相当するからなのだ。おそらくだが、魔法学院を建てようとした人物が、この地が<力>の溜まり場であることに気付いていて、その上でこのような設計をしたのであろう」 ――魔法学院の5つの塔と、その周囲に張り巡らされた外壁が、大地から効率よく<力>を吸い出す形――五芒星に見立てられたそれに沿って建てられており、中央塔に集められた<力>が結集しているのだ――と。「そういえば、このあいだガリアへ行ったときに、上空を通り過ぎた湖……たしか、ラグドリアン湖といったか? あそこからも強い<力>を感じたのう」 今度、暇なときにでも、あそこで釣りをしながら<力>を蓄えるというのも悪くない……そんなことを言いながら『瞑想』の準備に入った太公望。だが、彼の隣で、タバサは驚きのあまり打ち震えていた。 <力>を使わずに溜めておくだけならばまだしも、蓄えたり、あまつさえ予備を持つなどという考えは、そもそも現在のハルケギニアには存在していない。<精神力>の最大量は、本人の資質と、メイジとしてのランクアップ時に増加するものだと考えられているからだ。だが、彼にはそれができるのだという。さらにこの魔法学院が、そのことを前提に設計されていたという事実に驚いていたのだ。 それはつまり……過去、ハルケギニアにもそういった技術が存在していたが、何らかの理由で失われてしまったということだ。当然のことながら、タバサはこの話に飛びついた。「教えてほしい。<力>の蓄え方と、予備の循環のさせかたについて」「な、なんだ、まさか本当に知らんかったのか!? 別にかまわぬが……」 そう言うと、ちらりと下のほう――食堂の方向に目を向ける太公望。「本日の日替わりデザートを進呈する」「よしわかったこのわしに全て任せろ」 ――こうして。遙かなる昔に失われた技術は、その価値にも関わらず、実に安い値段でハルケギニアの地へ復活することとなった。○●○●○●○● ――それから数日後。ついにタバサの念願である、太公望との対戦が叶うことになった。太公望が「ようやく準備が整った、3日後に模擬戦をやるぞ」そう通達してきたからだ。 だが、その日が近付くにつれ、タバサの胸に不安が押し寄せてきた。今のわたしが、まともに彼と戦った場合、そもそも勝ち目があるのだろうか? ――わしの本気だ。覚悟はいいか?「タイコーボーは、あの時……確かにわたしにそう言った」 しかも、これまで見せてこなかった『切り札』を、わたし限定で開示するつもりらしい。あの用心深い彼が『異端』とまで言うからには、相当変わったものであると覚悟しておかなければいけない。 それを考えると、タバサはより心配になってきた。そもそも彼女は頑なに<力>を追い求めてこそいるが、別に戦い自体が好きだというわけではない。あくまで、自分の実力を上げたいがために、太公望との模擬戦を求めただけなのだから。「こんなとき、彼……タイコーボーなら、どうするだろう」 ふと、そんな思いがタバサの内に浮かんだ。そこで彼女は、彼のように、考えることから始めることにした。 戦いにおける基本――それは、彼我の戦力差をしっかりと認識すること。 タバサは、まず徹底的に自己分析を始めた。手持ちの魔法についてだけでなく、太公望から教わった『力のプール方法』によって、これまでの<精神力容量>に加え、予備によって増強されているため、通常よりも手数が増やせることを念頭に置きつつ。 ……そして、彼女は次の段階へ移行した。敵――つまり、対戦相手である太公望の能力について、思い出せる限りを手元の羊皮紙に書き出した。 ・鋭い敵観察能力、及び解析能力を持つ ・元軍人、師団指揮の経験有り(単独戦闘も可能) ・風の『スクウェア』 ・触媒があれば<火>も『トライアングル』レベルで使用可能 ・魔法を、ハルケギニアの常識とはかけはなれた形で使用する ・<念力>使用で、風竜以上の速度で飛行可能 ・同時に4つまでの魔法を展開可能(さらに多い可能性有) ・正面以外の方向から『空間座標指定』による攻撃が可能 ・『瞑想』によって<力>をさらに蓄えている可能性大 ・近接格闘技の達人(何故か飲酒によって強化される) ・非常に高い回避能力を持つ(トリッキーな動きで翻弄) ・出身地特有の<フィールド>で相手の<力>の流れを感知可能 ・現在に至るまで本気を出していない。つまり全能力上昇の可能性大 ・本気時に使用する『切り札』が存在する(能力不明)「……これで才能がない? シュウのメイジは、みんな化け物……?」 タバサは本気で頭を抱えてしまった。正直、まともに彼と戦った場合――現時点で集めうる情報だけでも勝てる気がしない。 まず最初に、飛ばれた時点でアウト。間違いなく空から魔法を撃たれる。しかも『複数同時展開』と『空間座標指定』持ちのため、こちらの攻撃が届かない場所から呪文が飛んでくるだろう。 次に、接近されたらアウト。ほぼ確実に、あの格闘術で『杖』を奪われ終了。 さらに、距離を取られてもアウト。これは空中戦とほぼ同義。 おまけに、本人の回避能力がとてつもなく高いため、先手を取れても避けられた上に、反撃を受ける可能性大。 仮に、不意打ちをしようとしてもまずアウト。ほぼ間違いなく接近を察知された挙げ句、反撃を受ける。下手をすると『空間座標指定』でこっちが先に不意打ちをかけられる。 最後に、正面からの力押しもアウト。そもそもメイジとしてのランクが違う。そんな真似をすれば、逆に押し切られて終わってしまうだろう。「タイコーボーなら、たとえエルフと正面から戦っても、普通に完封しそうな予感がするのはわたしだけ……?」 タバサは改めて戦慄した。自分の<使い魔>たる彼の能力に。しかも、戦いが基本的に嫌いであるため、本気を出していないのだというから怖ろしい。ハッキリ言って、この世界において、彼に対抗できるメイジがいるとしたら――それは、伝説の『烈風』カリンそのひとくらいではなかろうか……と。「こういう圧倒的強者を相手に戦うとき、彼ならどうする?」 タバサは、さらに考えた。と――ここであることに気がついた。太公望の基本。あのコボルド相手にすら、彼はそれを持ちかけようとしたではないか!○●○●○●○●「よしよし、よく気がついたな。まずは第一段階合格だのう」 部屋へ戻ったあと、タバサは早速太公望へ『交渉』の申し入れをした。それに対する彼の返答がこれであった。「あきらかに格上であるわしに対して、真正面から挑みかかろうとする時点で間違いだからのう、その選択は正しい。で、どういった話がしたいのだ?」「ハンデ戦を申し込みたい」 そう頭を下げたタバサへ。「内容は? そして、それに対する対価はなんだ?」 太公望は、静かに答えた。どうやらハンデの内容と対価によっては受け入れてくれるらしい。それならば、まずは彼が持ち、かつハルケギニアのメイジにとっては驚異的なあれを封印してもらおう。対価については、デザートでいいのだろうか? いや……ちょっとここは彼を見習って、出方をうかがってみよう。タバサは、じっと太公望の目を見て言った。「『複数同時展開』の封印。対価は……第一段階合格の、わたしへのご褒美」 それを聞いた太公望は、目を見開いた後――大声で笑った。「かかかか、面白い! わしは、そういうやりとりが好みなのだ。受け入れよう。第二段階合格だな。で、他にはもうないのかのう? ああ、わかっているとは思うが、同じ手はもう通じぬぞ」 タバサは、ほっと胸を撫で下ろした。下手にあそこでデザートを材料に出すよりも、こういうやりとりのほうが彼の性格的に喜ぶのではないか。そう考えた末の発言に、うまく乗ってくれた。それならば、次にすべきことは……。「『空間座標指定』による魔法展開を封印。対価は……明日のデザートを1個追加」「よし、受け入れようではないか」 これで、だいぶ楽になった。さすがにこれ以上は受け入れてくれないだろう。それでは、次に改めてルールの確認を。そうタバサが考え、行動に移ろうとしたそのとき。太公望が、ふいに口を開いた。「では……今度は、こちらから交渉を申し込みたいのだが」「内容と、対価による」「うむ。試合開始前の条件として、お互いの距離を200メイル以上あけること。なお、これに対する対価は……あとふたつだけ、わしに備わっていると思える<能力>のうち、いずれかを封印して構わぬ」 この内容に、正直タバサは驚いた。距離を開けるだけであと2つ封じていいのか――ここは飲むべき? いや、よく考えよう。ここで重要なのは数じゃない。あの彼がわざわざ指定してきたということは、つまり距離を重視しているのだ。それならば……。「条件付きなら受け入れる」「ほう、それはどのような?」「距離を100メイルにしてほしい。ただし、封印する能力はひとつで構わない」 それを聞いた太公望は、顎に手をやり……少し考え込んでいた。やはり、距離がポイントだったのだろうとタバサは思った。「ん……まあ、よかろう。では、封印したいと思う<能力>を提示するのだ」 太公望は、腕を組んで考え込んでいる。思った以上に距離が重要だったらしい。最初の『2つ』という数に乗らなくて正解だった。最後のひとつ……ハッキリ言って、断られる可能性大。でも、やってみる価値はある。そしてタバサは、踏み込んだ。「あなたの<風魔法>を封印してほしい」 この申し入れに、太公望は破顔した。そして笑いながらこう答えた。「そりゃまあ、そうくるのが当然だろうな。あきらかに、わしが持つ最大の<能力>だからのう。よかろう、受け入れようではないか。これで交渉は終了だ。では、改めてルール確認に入ろうか」 タバサは驚いた。まさか受け入れられるとは思わなかったのだ。しかも、あきらかに彼の中では想定していた内容らしい。でも……これで、本来彼が苦手とする属性にして、限定条件つきの<火>の『トライアングル』として戦わせるに等しい条件まで落とすことができた。これならば、最も怖いのは彼に接近されることだけだ。それさえ気をつければ、何とか戦いに持ち込めるだろう。彼女は、そう判断した。 ――そして、彼らはルールの設定を行った。 ・1対1で戦う ・互いの地形に不利が生じないよう、見通しのよい平原で行う ・制限時間はなし ・相手を降参、あるいは気絶させたら勝利とする ・開始時、お互いの距離を100メイル開ける ・交渉によって決めた封印を破った場合は太公望が即座に敗北となる ・お互いに、位置についたらいつ仕掛けてもよい ――設定の結果。以上が、今回のハンデ戦条件となった。 交渉終了後。部屋を出て行ったタバサを見て、太公望はニヤリと笑った。 「ふぅむ……年齢の割にはなかなかやると言いたいところだが、正直まだ甘いのう。今回の『交渉』における最終段階合格は、残念ながら出すことはできぬな」○●○●○●○● ――そしてハンデ戦当日の夜。 誰にも見られていないことを確認したふたりは、前もって探しておいた場所――開けた平原であり、かつ近くに民家などがない場所へと移動した。 その途中で、タバサにはひとつ気になったことがあった。「タイコーボー。それは何?」 太公望の腰に、重そうな布袋が4つ――それぞれに赤・青・黄・緑の可愛らしいリボンがあしらわれたものが括り付けられていたからだ。「ああ、所謂『錘(おもり)』だ。別に、これを使って戦ったりするわけではない。おぬしが気になるなら、中を見せても構わぬぞ」「興味ある。見せてほしい」「中身を取り出してもよいが、ちゃんと元入っていた袋へ戻すのだぞ」「わかった」 タバサが早速中身を取り出すと、そこには『煉瓦(れんが)』が入れられていた。全ての袋に、それぞれ1個ずつ入っている。「<魔法探知>を試しても?」「もちろんかまわぬぞ、試合前に確認するのは当然だからのう」 本人の了承を得て、タバサは早速<魔法探知>を唱えた。ふたつの煉瓦には何の反応もなし。残りの2個に<固定化>がかけられている他は、本当に何の変哲もない煉瓦であった。念のため、腰の布袋についても調査したが、こちらもただの袋であった。 なんのために、わざわざ『錘』などくくりつけてあるのだろう……そう訊ねたタバサであったが、さすがにそこまでの情報は開示してもらえなかった。つまり、何らかの理由があって、太公望はそれを持ち込んでいるのだ。 それにしても。あんなものを4つもくくりつけていたら、近接格闘をする上でも、全体のスピードも相当落ちてしまうはず。もしかして、さらにハンデを背負ってくれようとしているのだろうか。思考の淵へ沈み込もうとしていたタバサへ、太公望が声をかけた。「それでは、そろそろ始めるかのう。お互い位置につこうではないか」 ――こうして、ふたりの試合は始まった。 太公望は、精神を集中し……『打神鞭』を構える。そして、その先に取り付けられた宝玉――彼最大の切り札・スーパー宝貝『太極図(たいきょくず)』に<力>を集める。 フイィィィイイ……ン。という静かな音と共に『太極図』が起動した。それから、サァァァ……ッと、文字――当然、ハルケギニアのそれではありえないものが列をなし、螺旋を描き、宙へ向けて、流れるように書き記されていく。「太極図よ! 支配を解き放て!!」 太公望の号令と共に、並んでいた文字列が太公望を中心に、渦巻き状になって地面へ染み渡る。それからすぐに、彼だけの魔法にして<フィールド>は完成した。その効果範囲は、約50メイル。「ククク……相手との距離が100メイルもあれば、さすがにこの程度の範囲展開は余裕だの。さてタバサ……どうくるつもりかのう」 一方のタバサはというと。太公望が、宙に向けて何かしているのはわかったが、周囲が暗い上、距離があったために詳細まではわからなかった。輝く光のようなものが彼の周囲に消えていったところまでは見えていたのだが……しかし。 このまま仕掛けるのは危険だろう。少し様子を見たほうがよさそうだ。そう考えたタバサであったが……その『何か』以降、太公望は左手に持った杖を天に向けて掲げたまま、その場から全く動かない。「おそらく、あれが彼の<フィールド>。あそこに何かがある」 それならば。そこから彼を出してしまえばいい。タバサは<風の槌>のルーンを紡ぐ。そして、太公望へ向けて打ち下ろした……だが。それは、彼に届くどころか、はるか手前で消えてしまった。「どういうこと!?」 太公望は、相変わらずその場から動いていない。当然のことながら『風の流れ』も変わってなどいない。「それなら……ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」 再び遠距離から、今度は得意の<氷の矢>を打ち出した……しかし。こちらは空中で、まるで砂の山が崩れるように、さらさらとかき消えた。太公望のほうはというと、相変わらずその場から移動してはいないが……左手の杖をまるで指揮棒のように軽く振りながら、何かを口ずさんでいる。まるで、唄うように。 タバサは、慎重に近付いて行った。そして、地面をよく見て気がついた。そこに何かが描かれていることに。ひょっとすると、これが彼の言っていた切り札にして<フィールド>なのか。 ――絶対にこれを踏んではいけない。彼女のこれまでの『経験』と、それらによって磨かれた『直感』がそう語っていた。よって、タバサは距離を取ったまま魔法を打ち続けた。しかし、それらはやはり、これまでのものと同様、全て<フィールド>に入った途端かき消えてしまった。「まさか……ありえない」 もしや……これは『遠距離からの攻撃を届かせないための場』なのか。それならば納得がいく。確かにハルケギニアでは『異端』とされる可能性がある。そして、彼があそこまで体術を鍛えている理由も。何故なら、彼と戦うためにはこの不思議な<フィールド>を踏まずに側へ近寄り、近接攻撃を仕掛ける以外にないからだ。 『自分のペースに巻き込む』 そうだ、召喚初日から、一貫して彼が見せ続けてきたスタイル。まさしく、この<フィールド>は、それを体現したものなのだろう。タバサは、ぎゅっと杖を握り締めた。わたしはお世辞にも近接攻撃が得意だとは言えない。しかし、ここまで来てそんなことは言っていられない。それなら――。「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ……」 タバサは<フライ>のルーンを紡ぎ出した。空を飛び、太公望の側まで近づき<風の剣(ブレイド)>で仕掛けるために。 そして彼女は、1メイルほどの高さに浮き上がり、高速で太公望へ向かって飛びかかろうとした……しかし。<フィールド>の範囲へ入った瞬間。全身が、まるで鉛のように重くなって墜落。全身を激しく地面へと叩き付けられた。 ――そして、そのままタバサは意識を失い、気絶してしまった……。○●○●○●○●「タバサ、大丈夫か?」 ふいに目が覚めた時。タバサは、自分の目の前に太公望の顔があることに驚いた。そして、彼が自分の身体を抱き起こしていたことに。「試合は」「おぬしの気絶により、わしの勝ちだ。どうだった? わしの『本気』は」「……よくわからなかった」 カッカッカ……と、笑い声を上げながら太公望は言った。「そうであろうな。初見であれを見切れる者はまずおらんからのう。まあ、それはともかく……部屋に戻って、反省会をしようかの」「反省会?」「うむ。今日行った試合の内容について、話し合いをするのだ! そして、何が良くて、どこがいけなかったのかをしっかりと確認する。そのための模擬戦であろう?」 確かに……と、タバサは頷いた。今まで行ってきた『任務』では、たとえやろうと思ってもこういったことはできなかった。太公望が召喚される前は常にひとりで戦い続けてきたし、前回一緒に着手した『任務』では、状況が状況だっただけに、そういった話し合いが持ちづらい雰囲気だったからだ。 そういう意味でも、試合を行った価値がある。タバサは、了承し……身を起こそうとして、ふいに気がついた。あれほど激しく地面に叩き付けられたというのに、どこにも怪我がないどころか、痛みすら感じていないことに。立ち上がり、自分の身体を改めて確認してみる。全く異常はない。むしろ……なさすぎるといってもいいくらいに。「ああ、心配することはないぞ。おぬしの傷は、わしが全部癒しておいたからのう」 どこも痛んだりはしていないであろう? そういって笑う太公望に、タバサは問うた。彼女は本気で驚いていたのだ。「あなたは……<治癒>も使えたの?」「<火>以上に、怖ろしく厳しい限定条件つきだが使えるぞ。そういえば、これも見せたことがなかったのう」 そう言って、再び笑う太公望の顔を見ながら、タバサは思った。 まさか、彼が<水>まで扱えるとは思わなかった。しかも、これほど完璧な<治癒>を行った後にも拘わらず、彼には全く消耗している様子がない。水メイジとして相当の実力がなければ、こうはいかないだろう。なるほど、ハンデとして<風>を封じられても、なんとも思わないわけだ。 ……しかし、これで才能がないとか……タバサはなんだか泣きたくなってきた。そして、思いを馳せた。その彼をして『才能がない』と言わしめるほどの実力者たちが集まるシュウとは、いったいどんな場所で、どれほど酷い戦禍に見舞われていたのだろうか――と。 押し黙ってしまったタバサに、太公望が声を掛けた。「ところで、そろそろ部屋へ戻らぬか? ちと冷え込んできたことだし、厨房へ寄って温かい茶と、何か菓子でも用意してもらおう」 ――タバサは頷いた。そしてふたりは、自室へ戻るべく空へと舞い上がった。○●○●○●○●「準備の仕方が間違っていた」「ふむ。それはどういう意味でだ? タバサ」「あなたの実力を完全に把握していなかったにも関わらず、調査が足りなかった」 ニッと笑った太公望は、ポンポンと軽くタバサの頭を叩いた。「その通りだ。まあ、そもそもわしはわざと自分を『見誤らせる』ように行動しておるから、奥まで見抜くのは難しいだろうがな」 ニョホホホ……と、笑って言う太公望。現在、タバサの部屋では『反省会』が開かれている真っ最中である。「まあ『交渉』を考えついたところまでは正解だったのだが……残念ながら、話の持っていきかたが、ちと悪かったのう」 厨房からもらってきた紅茶とお菓子を楽しみつつ、太公望は答えた。「話の持っていきかた、とは?」「うむ、さっきタバサが自分でも言っておったであろう? わしに関する調査が足りなかった……と。そう感じていたのならば、何故聞かない?」「えっ?」「タバサは、いままでわしを見てきた結果から、自ら『ハンデ戦』を申し込む必要があるくらいに差があることに気がついていたわけだ。さらに、未だわしが『さっぱり効果がわからない切り札』を持っていると明言していた。ここまではよいな?」 コクリ、とタバサは頷く。それを見て、一口茶を啜ると太公望は先を続ける。「ならば! そこでいきなりハンデ戦を申し込むのではなく……わしが持つ<能力>について『今まで見せてもらっているもの以外についての情報を、ある程度開示してくれ』と切り出すべきだったのだよ」 タバサは唖然とした。まさか、そういう方向からの指摘を受けるとは思わなかったのだ。いや、そもそも……。「聞いたら、教えてくれたの?」 そのタバサの問いに、太公望はニヤリと笑って頷いた。「交渉の内容次第ではな。もちろん、対価や話の持っていきかたによって、開示される情報の量は大きく変化したわけだが。もしもおぬしがそういう交渉に来たら、ある程度教えるつもりでおった。これはあくまで『模擬戦』なのだからな」 そう語る太公望を前に、タバサは頭を抱えてしまった。正直、敵対する相手が情報を教えてくれるなど想像の埒外であったからだ。まあ、普通はそうだろう。タバサの反応が正常なのだ。「わしの『切り札』を体験してみて、どう思った?」「驚いた」「それ以外には?」「……怒らないでほしい。正直、怖かった」 俯いて呟いたタバサに、うむ……と呟き返した太公望は、こう言った。「相手のことを知らないということが、いかに怖ろしいか。今回のことで改めて理解できたのではないか?」 頷くタバサ。過去の『任務』においても、そういった経験を積んできたから。「逆に言えば、自分のことを出来うる限り悟らせないということ……そして周囲、また現状をしっかりと把握しておくことで、そのぶんだけ恐怖を抑えることができ――さらには敵から自分の身を守る効果を高めることができるのだ!」「自分をよく知り、敵についてできるだけ情報を得る……それが大切」「敵だけではないぞ。周りの地形、状況、その他にもよりたくさんの情報を持ち、かつ自分の手札を隠す巧みさ、それを活かせる力量を持つ者こそが、最後には勝利する。たとえ、お互いの実力に差があっても、だ。ちなみにこれは、別に戦いに限ったことではない。取引交渉などでも同様だ」 まあ、交渉も一種の戦いではあるがな……そう言った太公望は、さらに語る。「そうだのう、例えば今回の場合であれば、手持ちの情報だけでなく、他人――特に、わしと直接戦闘経験のある才人から話を聞くだけでもだいぶ違ったであろう」 その指摘に、タバサは衝撃を受けた。確かにそうだ。今回は、つい自分の持つ情報だけで判断してしまっていた……太公望について、いちばんよく知っているのはわたしだからという思いが、心のどこかにあったからかもしれない。「ああ、ちなみに例の切り札の件だが。あれについては申し訳ないが、これ以上の情報を開示するわけにはいかんので、以後聞かれても絶対に答えないから、それだけは覚えておいて欲しい」「異端の可能性があるからという以上に……それを隠すことによって、あなたが勝利する確率を上げる、そういうこと?」 タバサの問いに、太公望は破顔した。「そうだ。こればかりは、たとえ身内といえど教えられない。それほどのものなのだ。もっとも、そうでなければ『切り札』とは言えぬであろう?」「理解できる」「よし。では、もう1点。最後の取引で、わしに提示した『封印してほしい能力』についてだ」 わたしが駄目元で封印を依頼した<風魔法>。それがいけなかったのだろうか。タバサは頭をかしげた。「もっとよく、わしの『言葉』について考えるべきだったのう。わしは『わしに備わっていると思える能力』と言った。もしもわしが同じ交渉を持ちかけられたら……さて、どう切り返したと思う? ちょっと考えてみるのだ」 タバサは首をかしげた。タイコーボーなら、なんと言う? それを考えろ……? タイコーボーの能力……彼なら……いや、まさか、さすがにそれはないだろう。でも……!「魔法そのものを封じてほしい。そう持ちかけていた、と?」「その通りだ。もしもその申し入れがあった場合、わしは限定条件をつけることで受け入れる用意があった」 タバサはある意味、ここまでで一番の衝撃を受けた。まさか、そんな交渉まで想定していたのか、彼は……と。「ちなみに、その条件とは?」「『切り札』のみ使用してもいいなら、他の魔法は一切使わないというものだ」 ……確かに、あの<フィールド>と格闘術があれば、並大抵の者では勝てないだろう。あれはまさしく『切り札』だ。タバサは、がっくりと肩を落としてしまった。「まあ、そんなわけで。今回については最終段階合格は与えられなかった」 惜しかったのう。そう言って笑う太公望。だが、タバサは彼が発した言葉の意味に気がついていた。「今回? つまり、また試合を受けてもいいということ?」「よし、ちゃんと今の言葉に気がついたな! 会話に神経を研ぎ澄まし、その『咄嗟の言葉の意味に気付く力』をさらに磨くのだ。やはりおぬしには、その才能がある」 満足げにうんうんと頷いた太公望は、彼女にご褒美を与えることにした。「以後『切り札』なしで挑戦を受けよう。もちろん、事前交渉もそれに含まれる。まあ、1ヶ月にせいぜい1~2度程度にはしてもらいたいところだがのう。あと、今月はもう終わりということで頼む」「了解した」「では、今夜はこのあたりで休むとしようか」 その言葉で『反省会』はお開きになったのだが――タバサは、試合の内容についてはともかくとして、非常にためになるやりとりだったと満足してベッドに入り――そして、すぐ寝息を立てはじめた。○●○●○●○● ――タバサが眠ったことを確認した後。太公望は寝床から抜け出した。 そして取り出した。例の『赤・青・黄・緑』のリボンがあしらわれた、ちょっと可愛らしい『布袋』と、その中に入れられていた『煉瓦』を。「ふむ……なるほど、やはりこういう結果になったか。赤は……うん、元通りの形に戻っておるな。青は……ふむふむ。黄色は……」 ……そう。太公望はハルケギニアの魔法に対する『太極図』の効果の詳細を確かめる為に『平民の手によって作られた煉瓦・2つ』『錬金で作られた煉瓦・2つ』を用意し、さらにそれぞれ傷をつけてみたりと、色々実験していたのである。 彼が必要としていた準備とは、これら袋と煉瓦を揃えることだったのだ。ちなみに、その過程で既に顔なじみとなっているメイドのシエスタに、「これこれこういったものを用意してもらいたいのだ。材料については、当然こちらで交通費他の全費用を負担するので、申し訳ないが購入してきてもらえないだろうか。量があるので、数名一緒に連れて行き、手伝ってもらってくれ。そうだのう……手伝いは3人もおれば足りるであろう。人選はシエスタに頼んでもよいか?」 と、依頼した。シエスタは、それに笑顔で答えた。「わかりました。無料で街へ行けるなんて、他の子も喜びますし」「ちなみにこの袋についてだが、絶対に魔法のかかっていない材料で、全て手作りしてほしい。当然、別途報酬を支払うことによって礼をさせてもらう」 そう申し入れた太公望に、慌てたのはシエスタのほうであった。「え、そんな、そこまでしていただかなくても……」「何を言う。普段とは別の仕事をしてもらうのだ。礼をするのは当然であろう?」 と……太公望は、ポンと手を叩いてさらに続けた。「わしとしたことが、肝心なことを言い忘れておった。この仕事や報酬については、他の者たちには絶対秘密にしておいてもらいたいのだ。つまり、口の堅い者を選んで連れて行ってもらいたい。頼んだぞ」 シエスタは喜んでそれを受け――同僚のメイド3名を伴い、トリスタニアの街へ出かけ、言われた通りの仕事をして太公望を喜ばせた。 ――なお、手伝いをしてくれた者たちに申し入れた報酬の内容はというと。 『金貨5枚』『トリスタニアの街で流行っている店の最高級デザート』 であった。はっきり言って破格の報酬である。どのくらいの価値があるのかというと、金貨(エキュー)120枚で、町で暮らす平民ひとりあたりの1年間の生活費がまかなえる――と、言えばおわかりになるであろうか。 さらに、貴族御用達の店のデザートつき。普段の彼女たちには到底口にすることなどできないものである。当然のことながら、喜んで飛びついた女性たちであった。むしろ、また何か仕事を頼んではもらえないかと期待している節すらあった。 ちなみに、報酬のデザートを購入する際に、ついでに自分とご主人さまの分まで確保してきた太公望であった。そう――既に言うまでもないことだが、彼は、甘味に対してとてもこだわりがあるのだ。「やれやれ……系統魔法については、今まで見てきた内容からして、まず間違いなく無効化できるとは思っておったが『癒やしへの転換』もちゃんとやれて一安心だ。地球にいたころとほぼ同じ使い方ができそうで良かったわ。機会があれば、先住魔法でも試してみたいところだが、近くに使い手がおらんのが問題だのう……」 ――まあ、結論を述べるならば。この男、ご主人さまとの模擬戦にかこつけて『太極図』の試し撃ちをしていたわけである。仙人界No.1の腹黒と謳われていたのは伊達ではない。たとえ女子供が相手でも、割と容赦のない太公望であった。 だが、しかし。ひとつだけ彼にも解けない謎が残った。「ここまでの結果を見るに<サモン・サーヴァント>の意思疎通能力と<コントラクト・サーヴァント>のルーンは消えとってもおかしくないはずなのだが……両方とも普通に残ったままなのは何故なのだろうか。これはもう少し検証が必要かのう」 このふたつが消えなかった理由。それは――魔法でも科学でも解き明かせないもの。これについては、追々物語の中で語らせていただきたいと思う。