「さて」 場の雰囲気が落ち着いたところで、太公望が再び演壇へと戻る。「ルイズの今後について、ある程度の見通しが立ったということで、今日はこのあたりで場を締めたいと思うのだが……」 そう告げた太公望に、待ったをかけた者がいた。「あの、ミスタ。まだ日も高いことですし、せっかくですから、例の『約束』を、ここで果たしてはもらえませんこと?」 妖艶な笑みを浮かべながらそう言い放ったのは、キュルケであった。片眉をつり上げ、口を開こうとした太公望を手で制止しながら、彼女は続けた。「本当なら、あの時のメンバー限定という約束だったんだけど。あたし、ロバ・アル・カリイエは、ハルケギニアよりもずっと魔法文明が発達してるんだって、実家に出入りしている商人から聞いたことがあってね。どうしても東方のメイジから、直接話を聞いてみたかったのよ。それに、こういうお話は、学院長先生やコルベール先生も興味がおありになるでしょうし」「そ、それは是非とも聞かせていただきたい!」 鼻息荒く立ち上がったコルベール。「エルフの住まうサハラに遮られておるせいで、ロバ・アル・カリイエの情報がほとんど入ってこないのは確かじゃ。それに、わしも君の故郷に伝わる魔法には興味がある」 太公望が東方出身でないことを知っている、オスマン氏までもが賛意を示す。「もちろん、本来の『約束』を違えることになった罰は、きちんと受けるわよ。そうね……明日から1週間分のデザートを、あなたに譲るわ。これでどうかしら?」 それまで苦い顔をしていた太公望の表情が、微妙に緩んだ。それを見た全員が思った。彼に何か頼み事をするときには、甘味を与えるのがいちばんなのだ――と。「うぬぬぬぬ、そこまで言うなら仕方がない。その代わり、全員。ここでの話は、外へは絶対に漏らさないこと。これを守れるか? それと、今のような条件の後付けは、二度と受け付けぬからな!」「守る! 守りますぞ!!」 真っ先に声を上げたのは、またしてもコルベールであった。どうやら彼は、異国の魔法技術について、大いに関心があるらしい。さらに、その場にいた全員が顔を輝かせながら頷くのを見るに至って、太公望は完全に折れた。キュルケの作戦勝ちである。ちなみに、後日オスマン氏とコルベールから、彼女へ特別に単位が授けられたのだが……それはまた、別のお話。「まあ、よかろう。ただし、門外不出の技術については、当然のことながら答えられぬので、それだけは前もって言っておく。では、聞きたいのか、それとも教わりたいのかで、一旦優先順位をつけさせてもらうぞ。わしに『聞きたい』者は手を挙げよ」 ここで手を挙げたのは、ルイズと才人であった。「よしルイズ。わしに聞きたいこととはなんだ?」 指名されたルイズは、どうしてもこれが聞いておきたかったらしい。まっすぐ太公望の目を見て質問した。「えっとね、よくミスタが話している『空間ゲート移動』についてなんだけど……あそこまで詳しいってことは、ひょっとして……あなたもできるんじゃない?」「そうそう、それだよ!」 才人も全く同じことを質問したかったようで、しきりにルイズに同意している。 と、これを聞いた太公望は、少し渋い顔をして答えた。「それなのだがな……今は、できないのだ」「今は、ってことはさ。前はできたってことだよな?」 才人の言葉に頷いた太公望は、ちらりとタバサのほうへ視線を向けると、頭を掻きながら少し考え、その後――おもむろに口を開いた。「タバサよ。あれはあくまで偶然の『事故』だったのだし、わし自身はなんとも思っておらぬ。いやむしろ悪かったとすら考えておるので、おぬしには決して気に病まないでもらいたいのだが……」 そのように前置きされたことで、才人以外のメンバー全員が、太公望が何を言おうとしているのかに気がついた。そう……あの日、彼が召喚されたときのことだ。「あ、それは私も興味がありますぞ」「わしもじゃ。<サモン・サーヴァント>で呼ばれる側、しかもメイジとしての見識が聞けるなど、まず起こりえない事態じゃからの」 そう言って盛り上がる教師陣。だがしかし。続く太公望の言葉は、彼らにとって完全に予想外のものであった。「それなのだがな……わしはおそらく才人とは違い『呼ばれた』わけではない。あくまで『事故に巻き込まれた』だけなのだよ」「どういうこと?」 普段めったに変わらないタバサの表情が、変化した。それを見た太公望は、だからおぬしが気に病む内容ではないのだ……と、慌てて言葉を続ける。「前に、わしが休暇をもらって旅をしていた、という話をしたと思うのだが」「召喚初日。覚えている」 タバサ以外は、うわそれ初耳! という顔で話に聞き入っている。「あの日な、たまたま旅先から『ゲート』を開き『自分の部屋』を作って、その中へ移動したのだ」「……部屋を作る?」「ああ、これは『空間制御』の中級でな。どこでもない空間……別の『次元』。専門的な言い方をすると『亜空間』と呼ばれる場所。便宜上『自分の部屋』などと例えることが多いのだが」 何と説明すればよいか。そうだのう……と、右手人差し指でポリポリと頬をかきながら、太公望は答える。「<サモン・サーヴァント>で『入り口』だけ作る。その後、出口側を作る代わりに『扉』の奥にある『空間』を歪めて好きな形にするのだ。だいたいは球形であったり、立方体だったりするわけだが……その『空間』は、外からは決して見えない。その中はまさに『自分専用に作り出した小さな異世界』となるわけだ」 そんなことができるのか! と、驚愕するメイジたちと、いきなり話が魔法よりもSFっぽくなってきたせいで、持ち前の好奇心がむくむくとふくれあがってきた才人。「これは『空間ゲート』の接続に比べて少ない<力>で行うことのできる技術であるから、将来的にはルイズもやれるようになると思うぞ。『部屋』を自分の側に作り出して、どこにいても物を出し入れ可能な倉庫にするなど、いろいろと使いようがあってすごく便利なのだ」 ほえ~っとした顔で聞いているルイズに、さらに太公望は告げる。「ちなみに『自分の部屋』は、余程大きな<力>を持った者でない限り、作った本人にしか干渉できないものなので、泥棒対策、または<サイレント>以上に機密性の高い空間を確保できるという意味では、最高の環境なのだよ」 面白そう! そう顔を輝かせるルイズを微笑ましく思いながら、太公望はやや脇に逸れてしまった話を元に戻すべく先を続けた。「……でだ。その部屋にはいった途端、いきなり『光の道』が割り込んできた」 本来、とてつもない<力>でもって曲げている空間に、そんな『割り込み』が生じたら大変なことになる。そのせいで激しい衝撃を受けた太公望は、自分の身体を支えきれずに倒れ込みそうになった。その時に『光の道』に触れてしまい……気がついたら、ここハルケギニアに召喚されていた、というのである。「本来であれば、あの『道』は別の場所へ繋がるはずだったのであろう。あのような割り込みは、普通ならばまずありえぬことなのだよ。何が原因で発生したのかは不明だが、本当に偶然、それこそ涅槃寂静――0.000000000000000000000001%程の確率なのだ」 まさしく天文学的数値である。彼らの感覚から言えば、正直ゼロだといっても過言ではないだろう。「でだ……どうもその衝撃の影響で、亜空間を『掴む』ことができなくなってしまったようでのう。まあ、この症状自体は前にも経験しとるから、早くて数ヶ月……遅くとも数年以内には治ると思うのだが」 頭を掻きながら言う太公望。王天君のことについては、話がややこしくなるのでここではあえて口に出さない。実は今まで忘れていたとは別の意味で言えない。「そういう意味では、わしが逆にタバサの<召喚>の邪魔をしてしまった可能性も否定できぬのだ。今まで黙っていてすまなかった」 そう言って頭を下げた太公望に。「謝らないで。むしろ歓迎する」「ミスタほどのメイジを呼べたなんて、邪魔どころか素晴らしいことなのではないかとぼくは思うよ」「そんな確率で起きた事故のおかげで、わたしは魔法が使えるようになったのね。まさしく『始祖』ブリミルのお導きだわ!」「いやまったくですぞ」「呼ぶ側としては、ある意味羨ましい事故だわ」「畏るべき話じゃの」 と、答えて大騒ぎするメイジたち。ちなみに、上記はそれぞれタバサ・ギーシュ・ルイズ・コルベール・キュルケ・オスマンの言葉である。 そんな中、ぽつりと発言したのは才人だった。俺の時とはだいぶ違うな……という前置きをした上で、太公望の発言に補足する。「なるほどな、地震が起こったみたいなもんか。『道』同士がぶつかって、歪んで……それが元通りになろうとして跳ね返る。んで、当然反動があるわけだから、その衝撃でめちゃくちゃ大きく揺れる。そんな状況じゃ、魔法使って逃げる余裕なんてねーよな」 この発言に、太公望は本気で驚いた。眉をひそめ、まじまじと才人の顔を見つめている。一方、その他のメンバーにとっては何のことだかわからないので、一様にぽかんとした顔を並べている。「才人よ……おぬし、いったい何者だ?」「何者って……ただの高校生」「高校生とは?」「えっと……ここの学院みたいに、俺たちと同じ年頃のやつが通う、色々なことを勉強するための場所でさ。俺の国では、ほとんどの人間がそこに行くんだ」 その答えに、口をあんぐりと開ける太公望。しばしフリーズしていたようだが、ややあって再起動を果たす。それも当然だ、さきほど才人が語った内容は<仙人界>では幹部候補生以上の者にしか開示されない機密情報であるからだ。「なんでもないことのように言うがな、今おぬしが話したことは、わしらの間でもごく一部の者にしか知られていない高度な学問『自然科学』に属するものだ。それが、国民のほとんどに知られているとは……もしや、相当に国力のある国なのではないか?」「うーん……確かに、科学技術は全世界でもトップレベルっていうけど……俺はただの学生だから、詳しくはわかんねーぞ」「確かおぬしの国には魔法が存在しないのだと言っていたな? ちなみに、人口はどのくらいで、現在はどの程度の科学レベルに到達しておるのだ? たとえば……まさかとは思うが『宇宙』へ出られる、などというような?」「え、ああ。人口は確か1億ちょっと……くらい? 宇宙だったら、同盟国が月までなら有人飛行で行けるようになってるけど」「なん……だと……!?」 人口1億越えだと? おまけに宇宙まで進出! 魔法や宝貝なしで!? 太公望は驚愕した。人口の多さも大変なものだが、なんという技術力と叡智を備えた国なのであろうかと。しかも、それらの知識を惜しげもなく民に与えているという。そうか、だからあの『破壊の杖』のような『武器』が生まれるのか。「のう学院長。ちと提案……というか進言したいことがあるのだが。無料で」「なんとなく言いたいことはわかったが、念のため頼む」 これまでになく真剣な表情を浮かべた太公望を見て、学院長以外の者は何のことやらさっぱりわからず、ぽかんとして彼らの様子を伺っている。「あのな、人口1億越えだぞ? しかも、ワイバーンを一撃で吹き飛ばす『武器』を生産できる国家だぞ? おまけに魔法なしで、空の月まで行ける船を造り出す天才が集まる同盟国がついておるのだぞ!? おぬしらメイジは、魔法が使えないからと才人を馬鹿にしておるようだが、それほどの国の民が、突然誘拐されたとしたら……王は、どうすると思う?」 ――本当にわからないのか? 静かに告げた太公望の声に、小さく震え始めた者たちがいた。だが、まだ理解していない者もいたため、彼はさらに続ける。「最悪の場合だが。王は、自分の国に対する侮辱と受け取るだろう。そして、全力で探し始めるだろう……才人の行方を。まだ『空間ゲート』の技術は無いようだが、案外すぐに開発されるかもしれぬ」 もしもそうなれば……全軍をもってこのハルケギニアに侵攻を開始するかもしれない。その圧倒的な破壊力を持つ『武器』を手に。太公望は、そう締めた。 そこまで聞いた全員が震撼した。才人としては「いや……日本だしいくらなんでもそんなことはしないと思うんだけどなあ。せいぜい遺憾の意が発射されるだけで」なんて暢気に構えていたわけだが。「と、いうわけで早急に才人の待遇改善を行うことを進言する……とはいえ、他の貴族に知られたら色々と面倒なのは理解できるので……」 腕を組んで考え込む太公望。と、何やら思いついたようにパン、と両手を叩く。「そうだ、たとえばだな……ルイズの役に立ったから、これからは貴族と同じ食事をとる栄誉を与える。とかなんとか言って、そういうところから周辺を慣らしてゆくというのはどうであろう?」 パチン、と指を鳴らしてオスマン氏がそれに応える。「それいただきじゃ。明日からサイト君はアルヴィーズの食堂で食事をとってよい。もちろん、その食費は今後学院側で出そう。入場については、許可証を作成する。ミス・ヴァリエール。そしてサイト君。すまんが、まずはそれでかまわんかね?」「い、い、い、異存、あ、あ、ありませんわ」「本当ですか! やったあ!! まかないも美味いけど、やっぱみんなと一緒に食事したかったんだよなあ」 カタカタと震えながら答えるルイズ。今まで興味はあったものの、まさかそこまでとんでもない国だとは考えてもみなかった彼女にとって、太公望の『進言』はまさに晴天の霹靂だったのだ。もう、間違ってもパンツ洗わせたりなんかできない。 ただし、彼女はちゃんと才人を故郷から連れ去ってしまったことを自覚しており、帰すために努力しようとしていたことは間違いないので、あまり責めてはいけない。だいたい、わざと彼の前に『鏡』を出現させたわけではないのだから……まあ、わざとじゃないなら何をしてもいいというわけではないので、そこをはき違えてはいけないわけだが。 いっぽうの才人は、ただ無邪気に待遇改善を嬉しがっていた。良くも悪くも現代っ子、平和な国・日本出身の高校生である。「とはいうものの、それだけではちと教員たちを説得する材料としては弱いのう。今すぐでなくとも構わんので、何か良い知恵があったら助けてもらえんじゃろうか。もちろん、相応の礼はする」 そのオスマン氏の申し出に、太公望は苦い顔をして答えた。「いや、これに関しては無料でよい。国家の安全は、何物にも代え難い重要事項だからのう。わしが欲しいのは平穏であって、戦争など万が一にも起きて欲しくないのだ」「そうか。そう言ってもらえると、こちらとしても有り難い」 ふたりのやりとりを聞いていた才人は、ずいぶんと大げさだなあ……などと思いつつも、自分の待遇改善に繋がることらしいので、黙っていた。と、そんな才人がふと気がついて、太公望に尋ねる。「……って、ちょっと待て。俺もお前に聞きたいことがあるんだが?」「何だ? 話せる内容ならば構わぬが」「お前の国には魔法があるんだよな? で、それが技術って扱いになってる。なのに『自然科学』とか『宇宙』って単語が出てくるってのはどういうことだよ? まさか」 自分の閃きに驚愕しながら、才人は訊ねる。「わしらの間では、ありとあらゆる事象を科学的に分析し、理解することで、より効率的に、少ない<力>で効果を発揮できるよう研究を行っているのだ」 『打神鞭』を振るいながら、太公望は熱弁した。「風は何故吹くのか。雷によって空が光った後、遅れて雷鳴が聞こえてくるのはどうしてなのか。河原にある石のほとんどが丸い理由とは。火の温度と共に色が変わる意味とは。雨が降るメカニズムはどうなっているのか。そういったものを学び、理解した上で、それらの知識を元に<力>を行使する。これが、ハルケギニアのメイジと大きく異なる点であろう」 ――ロバ・アル・カリイエは、ハルケギニア諸国に比べて技術や魔法が発展している。そう話には聞いていたが、予想以上に進んでいるらしいと驚愕する生徒たちと学院長。コルベールに至っては、興奮のあまり身体中が小刻みに震えている。彼は学問が大好きで、中でも新しい技術開発の話に目がないのだ。 だが、才人が聞きたかったポイントはそこではなかった。「もしかして、だぞ? もしかしちゃったりして、さ。その<魔法>と<科学>が合わさって、ひょっとして『宇宙船』があったりとか、しちゃうのかな? かな?」 いやまさか、でも……と、期待に胸を膨らませた才人に。太公望は満面の笑みでもって答えた。天空を指し示しながら。「あるぞ。そもそも、わしらの現在の本拠地は、地上より遙か空の上にある宇宙空間――星の海を征く船。人工的に作られた、生物が住むに足る環境。月の後ろ側。惑星と次元の狭間を隔てて浮かぶそれ。『スターシップ蓬莱』だ」「行きてェ――! ロバ・アル・カリイエ超行ってみてェ――!!」 大騒ぎする才人と、私もですぞ! と、激しく同意しているコルベール。ふたりは手を取り合い、興奮しながらぶんぶんと振っている。 そんなふたりに、わしはむしろ才人の国のほうに興味があるんだが……という太公望。大気圏突入とか『亜空間ゲート』なしで実現しているとするならば、もしや、わしが知らない、突入方法に関する独自の技術があるのかもしれない。それならば是非とも見てみたいのだが……と。 だが、そんなふうに盛り上がる3人をよそに、ポツリと呟いたのはキュルケであった。「そういうわけだったのね……あたしと同じか、1つか2つは年下のミスタ・タイコーボーが、先生たち並かそれ以上にすごいメイジになれるはずだわ。そんな環境で勉強していれば、当然よね」 でも、やっぱり悔しいわ……そう呟いたキュルケの言葉にオスマンが反応する。「あー、ミス・ツェルプストー。騙されちゃいかん。彼はあんな見た目だがの、君より10歳ほど年上じゃからな?」「何さらっとバラしとんじゃこの狸ジジイ!!」 ――いっときの間を置いて。「ええええええぇぇぇぇええええええ―――っ!!!」 平原に、本日最大級の叫声が響き渡った。○●○●○●○● 衝撃の――太公望の年齢がキュルケより10歳ほど年上という事実(?)発覚直後。「あたしより10歳ほど上ってことは……最低でも27? あれで?」「え、え、エレオノール姉さまと、お、お、同い年……」「さすがに倍近く離れているとは予想の範囲外だった」「ロリババアは有りだけどショタジジイとか誰得だよ!!」「きみが何を言っているのか理解できないが、とにかく驚いているのはわかった」 大騒ぎする生徒達と固まっているコルベールの隣で、口元を隠して笑いをこらえているオスマンを睨み付けた太公望は、あとで覚えておれよ……と、心の内で思いながらも場を鎮めるべく発言を再開する。「放っといてくれ、わしの年齢のことは! 悪かったのうこんな見た目で! さんざん言われてもう慣れておるわ、将としての威厳がないと!!」 本当の年齢はそんなもんではないのだが、さすがにそれを言うと色々とまずい事態に陥りそうなので、太公望は現在27歳という設定で通すことにした。 ――もしかすると、彼のあの口調は、無理矢理威厳を出そうとしてやっていることなのだろうか。そういえば『男爵』だと名乗りを上げていたし、彼なりに苦労していたのかもしれない……。 ふとそんなことを考えたタバサであったが、実際は正真正銘ジジイな年齢なのでこんな喋り方になっている、ただそれだけのことである。あと、彼女は身分について変な誤解をしている。まあ、これはノリだけで名乗りを上げた太公望の、自業自得なのであるが。 そんな中、ギーシュがすっと手を挙げた。「ミスタ・タイコーボー。ひとついいだろうか。ぼくは今……さりげなく問題発言があったと思うのだよ」「なんだギーシュ、言ってみろ」 太公望からそう促されたギーシュであったが、彼の表情は見事なまでに強張っていた。「将軍としての威厳がないと言っていたようだけれど、ひょっとして……あなたは、それなりに位の高い軍人なのではないのですか?」 あ、しまった。太公望が気がついたときは、もう手遅れであった。「そう。しかも彼は、師団を率いるほどの指揮官」 おのれタバサ、ここであのときの仕返しをするか! なんという効果的な……と、頭を抱えた太公望。そして、そんなタバサの言葉に固まったのは、ギーシュ、才人、コルベール、オスマン氏。ルイズとキュルケにはわかっていなかった。 まあ、大貴族とはいえ女の子。軍の組織について、階級はともかく編成についてまで詳しく知っておけというほうが無理な話であろう。「師団って?」「簡単にいうと、1~2万程度の軍勢のことだね。それを率いることができるのは、トリステインでいうと最低でも少将、あるいは中将の地位にある将官だけなのさ」 ギーシュの説明に、さらに補足したのはコルベール。「軍隊の階級は、厳密には国によって異なるのですが……おおまかにいうと上から元帥、大将、中将、少将、准将、大佐、中佐……というように続いていくのです。つまり、ミスタ・タイコーボーは、国元において軍で上から3番目に高い地位に就いていた、と。こういうことになりますぞ」「あの観察眼、作戦立案能力、そして指揮の腕に交渉術。むしろ納得したわい……その若さで中将か。やはり君にはトリステイン貴族として生まれて欲しかった」 そう言ってため息をついたオスマン氏。その隣にいたコルベールは固まっていた。 ――まさか、彼が軍人……しかも高級将校とは。使い魔召喚の儀で、突然遠方から呼び出された上に、周囲を見知らぬ者たちに囲まれていたにも関わらず、落ち着き払っていたのも……あの会話交渉の巧みさも当然だ。 それにしてもだ。あれほど進んだ知識と技術を持つロバ・アル・カリイエ内の一国、その軍の中将位にある人物を、もしも――ろくに話しもせず、使い魔にしてしまっていたら……国際問題どころか、最悪トリステインは大軍をもって攻め滅ぼされていたかもしれない。コルベールは、背筋に冷たいものが流れるのを自覚した。 いっぽうのタバサはというと、内心の驚きを隠せないでいた。小隊のほうはまだしも、師団を率いた云々については、太公望なりの冗談だと思っていた。軽い仕返しのつもりで放った言葉が、まさか真実を言い当てていたとは、それこそ考えてもみなかったことなのだ。 ちなみにガリアの花壇騎士は、王軍に配属された場合、少佐と同等の権限を持つ。つまり大隊(200~600人程度の軍勢)を率いる権限を持つ、高級将校として扱われるのだ。それでも中将位には到底及ばない。タバサは、なんだか心臓のあたりがちくちく痛くなってきた。 ……実は、太公望は中将どころか大元帥に相当する地位にあり、かつ身分的には周のナンバー2。さらには本来次代の<教主>、あるいは、人類が知る歴史通りの道を歩んでいたのであれば『斉(せい)』の大公となるべき存在だったわけだが、そこまではわからないふたりであった。むしろそれは、幸せなことだったのかもしれない。 そんな硬直した場の中、がっくりとうなだれながら太公望は告げる。「うぬぬぬぬ……身から出た錆というか、色々面倒だから黙っておるつもりだったのだが、そこまでばれてしまった以上は仕方がない。だが、これからも今まで通りに扱ってもらいたい。口外するのもやめて欲しい。まあ、誰も信じないとは思うが念のため、な。だいたいわしは堅苦しいのが嫌いなのだ。よって、変に敬語なんぞ使わないでくれ、頼む」 パンッと両手を合わせ、頭を下げる太公望。才人とギーシュから飛んだ「よりにもよって、国の軍隊をあずかってる中将閣下が、祖国ほったらかしてハルケギニアに滞在していて大丈夫なのか?」という質問に対しては。「ちょうど一段落ついたところでのう、休みついでに軍を退役しておるのだ。戦はもうこりごりなのでな……将来的に招集がかかる可能性はなくもないであろうが、しばらくの間は問題ない」 と、答えた。物は言い様である。「さて……なんだかぐだぐだになってしまったが、いい加減話を戻すぞ。とりあえず、ルイズと才人の質問は終わりかの? あとの3人は……そうだのう、申し訳ないがご主人様からということで、タバサ。わしに何を聞きたいのだ?」「魔法の『複数同時詠唱』について知りたい」「なぬ? 『複数同時詠唱』……とは? いったいなんのことだ!?」 何を言っているのかわからない。ぽかんとした顔をしている太公望に、タバサは苛立ちを覚えた。あれだけ見せておいて、とぼけるつもりなのか、と。ならば、情報公開をするまでだ……言える範囲で。「昨日まで、わたしたちは知人に頼まれて、妖魔征伐に出かけていた」 その発言に、ほうっと感心の声を上げる面々と、片眉をつり上げる太公望。「敵は先住魔法の使い手を含む妖魔、総勢45。手勢は、わたし、タイコーボーのメイジふたりに、平民の『騎士』がひとり。彼我戦力差は数だけで言えば15倍。それを、彼の指揮のもと一切の消耗なく完封、殲滅した」 彼女はコボルド……とは言っていない。逆に先住魔法の使い手がいた、との情報を出すことで、相手の勢力を、知らない者に対して意識的に高く感じさせているわけだ。思いっきり太公望の影響を受け始めている。 ただし、そこに嘘はない――もっとも先住魔法の使い手たるコボルド・シャーマンは、太公望の策によって、それを一切行使できない状態に追い込まれていたわけだが。そして当然、この話を聞いた太公望を除く全員が驚きの声を上げた。 その際に……と、タバサは続ける。「タイコーボーは、圧倒的な<力>を発揮した。そこでわたしが目にしたのは――彼が<フライ>を維持したまま<風の盾(エア・シールド)>を周囲に展開し、さらに<カッター・トルネード>で森をなぎ払い、加えて<ウインド>で倒した木を積み上げていく姿。しかも<遍在>を使うことなくこれらを全て同時に行っている。つまり彼は……一度に複数の魔法をコントロール可能な、常識では考えられない超技巧者」 ――メイジたちは思った。それが本当ならば、彼はまるでハルケギニアの歴史上最強と謳われた伝説の風メイジ『烈風』カリンそのものではないか、と。 『烈風カリン』とは、30年ほど前にトリステインを中心に活躍した、伝説的な騎士のことだ。カリンの活躍については、噂話のみならず書物にも記され、歌劇にさえなったほどの人気を博し、メイジであれば知らぬ者がない程の有名人だ。ある時期を境に、文字通り風のように消えてしまったが……その名声は、未だ衰えていない。 そんな『烈風』カリンの逸話の中に、こうある。「風に乗り、宙を舞いながら真空の刃を放ち、敵対する者全てを翻弄した」 ……と。 普通のメイジは、一度にひとつしか魔法を使うことができない。才能があり、かつ血を吐くような訓練を経てもなお、ふたつの魔法を発動させるのが限界とされている。だからこそ、複数の風魔法を同時に操るカリンは『史上最強』になれたのだ。 タバサは普段物静かな少女だが、平気で嘘を言うようなタイプの人間ではない。と、いうことは……全員が太公望のほうを、畏怖の目で見つめた。「ちょっと待て。常識では考えられないと言うが、おぬしらも普通にやっておることではないか。何かおかしいことなのか!?」 珍しく慌てた風情でそう訊ねてきた太公望へ。「そんなことやれるわけないわよ! いったいどこのバケモノよ!!」 そうツッコんだキュルケ。しかし太公望は、ある人物を指差してこう言った。「たとえば、そこにおるギーシュだが。7体ものゴーレムを使役し、同時に扱っておる。わしの<力>とギーシュのそれは、全く同じ理屈で動いておるものなのだぞ?」 それに……と、太公望は続ける。「たしか、タバサは<氷の矢(ウィンディ・アイシクル)>を得意としておったな?」 確認されたタバサが、頷いた。「何本同時に飛ばせる?」「3本。杖の側に待機しておき、任意のタイミングで放つことも可能」 はあ~っ、と、太公望はため息をついた。「そうか、そのあたりも無意識にやっとるのか……」 そして彼は、がっくりと肩を落として話を始めた。「あのな、その<氷の矢>は、そもそも『空中の水蒸気を集める』『それを風で冷やし凍結させる』『任意の位置に浮かせる』『発射まで任意の場所で待機』『自由意志で発射をコントロール』という、同時に5つの事象を発生させている魔法なのだ。つまり、それをちゃんと『認識』することによって……さらに複雑な動き、およびコントロールが可能となるであろう」「それとあなたの『同時展開』は」 タバサの言葉を遮って、太公望は続けた。「実はまったく同じことなのだよ。わしは基本<念力>で飛んでいると話したが、本当のところ、さっきタバサが言った行為は……全て<ウインド>を利用して、おぬしの魔法と同じように、同時に発生させていただけに過ぎないのだ」「なん……だと……!?」 <ウインド>単体でそれだけの威力を出していたこともそうだが、まさか『空中での待機』『盾の展開』『真空の混じった竜巻の発生』『木の積み上げ』これが、ひとつの魔法で、しかも同時に実現できるというのか。この発言に、才人以外の全員が驚いた。「これが、事象を科学的に理解し、利用する最大の利点だのう。どのように<力>を作用させれば、自分が思うような事象を起こせるか、無意識にではなく、完全に計算して行動することができる」 つまり……と、太公望は結論する。「ある意味において、ギーシュもまた『天才』なのだ。同時に7つの<錬金>を、個別に操作しておるのだから」 そう言って、ギーシュの前に立つと。彼に『打神鞭』を突き付ける。「つまり、訓練を積むことによって、たとえば<錬金>で……『盾を持つワルキューレで自分を守り』『地面の一部を油に変え、相手の足をすくい』『武器を持ったワルキューレで、倒れた敵を攻撃する』と、いったようなことが可能となる。どうだ、自分の持つ潜在能力の素晴らしさに気がついたか? ギーシュよ」 ――それは、まさに『ひとり軍隊』。自分はその『司令官』だ。言われてみて、ギーシュは初めて気がついた。己の持つ可能性に。そしてそれは訓練によってできるようになるということを教えられた。さらに……軍学を身につけることで、彼が例に挙げたこと以外にも、色々とやれるようになるのではないか、と。「ただし……この『同時展開』は、意識的に複数の思考を行う『技術』を必要とする。これは、いちおう訓練によって身につけることができるものではあるが、基本的には『生まれつき』備わった機能なのだ」 そう言うと、太公望はコンコン、と、自分の頭を叩く。「ここ……脳みその構造に関係することなのだ。ちなみにこれは男よりも、女にその『才能』が備わっていることが多い。ふむ、そうだな……タバサよ」「わたしに何か?」「うむ。たとえばだ、おぬしはワインを飲み銘柄について思いを馳せつつ、本を読みその内容をしっかりと頭に叩き込みながら、わしと言葉を交わし、話している内容をきちんと理解できるであろう?」「もちろん」 ……と。ここで複数名から驚きと賛同の声が上がった。「いや、そんなの無理だろ普通」「ぼくは、複数の女性の声を全て聞き分けて理解できるよ。もちろん薔薇の香りを楽しみながら、ね」「わたしも、本を読みながら話くらい簡単にできるわ」「彼氏たちみんなと話をしながら、次の日の予定を考えたりできるのと同じことよね」 この反応に、太公望はニヤリとした笑みで応える。「そう……実はこれこそが『同時展開』に必要な能力『複数思考』なのだ。よって、向いていないものがこれを習得しようとした場合、集中力が乱され、逆にメイジとしてのランクが落ちてしまうことになるから、取り扱いにはくれぐれも注意が必要だ」 太公望は、そう言うと、周囲の子供達を見回しながら言葉を続ける。「今の反応と、これまでわしの見たところでは……ギーシュとタバサにこの才能が備わっておる。ルイズにもある才能だが、今はまだせっかくの<力>を拡散させる結果となるので、わしがやっていいと認めるまで絶対に試してはならぬぞ」 そして、今度はキュルケの前に立つ。「キュルケにもできなくはないことだが、おぬしの場合はむしろ1本に絞り、一発の威力を増大させる方向の才能が高そうだ。これはこれで希有な能力なので、あえて『複数展開』はきっぱりと諦め、そちらを伸ばすことを勧める」 ――そう語る太公望は、まさに『新たな道へ導く者』そのものであった。「のう、ミスタ・タイコーボー」「学院で教鞭をとれというのは却下だ」 オスマン氏が言おうとしたことを即座に斬り捨てた太公望に、コルベールが疑問を呈した。ある意味、それは彼にとって必然とも言える問いかけ。「どうしてだね? きみの言動を見る限り、教師としての『道』が最も適していると、私は思うのだよ。その――軍人よりも」 そんな彼の問いに。「面倒だからに決まっておろうが!」 ある意味、最も彼らしい解答を出す太公望。「ええええええ」「面倒とかひでえ」「ないわ、その答えはないわ」 非難囂々の生徒たち。そんな彼らを見て、太公望は頭を押さえながら言う。「よいか、ひとに何かを教えるという行為は……ある意味、その者の人生に『道』を指し示すことなのだ。そして、それが本当に正しいものであるのか、それは本人の歩む、その先に至るまでわからない」 だから……と、彼は先を続ける。「よって、わしはこれまで志願者がいても、誰ひとりとして弟子を取ることはなかった。わしの国では、弟子を取らない者は真の意味での一人前、大人として認められない。にも関わらず……だ。弟子を取るということ、それはすなわち、その者の『人生』に責任を持つことに繋がるからだ。どうだ、実に面倒極まりないであろう?」 ――お師匠さま! と、自分を呼ぶ者がいたが、太公望は彼を正式に『弟子』にはしていない。『認めていない』わけではなく、あくまで側付きの者……というよりも、年の離れた弟のような存在として可愛がっていたのだ。「今回、ここで色々と教えたのは、あくまで例外中の例外。ハッキリ言うが、全員見ているだけで、こっちの心臓に悪いからだ! 特に、相手の実力を一切測ることなく正面突撃仕掛けるような奴! 当然自覚はあると信じたいがな!!」 ガーッ! と、大口開けて威嚇する太公望の声に、才人が俯いた。思いっきり覚えがあるからだ――そう、以前仕掛けた、太公望との模擬戦についてだ。 才人は、さっきのタバサの話を聞いて、内心冷や汗をかいていた。まさか太公望が、そこまでとんでもない<魔法使い>だとは思ってもみなかったのだ。 それに、ここまでのやりとりが真実だとするならば――既に退役済みとはいえ、軍隊を指揮していた中将閣下。この世界の軍人がどの程度の実力を持っているのか才人にはわからないが、どちらにせよ普通の高校生が挑みかかるなど、ハッキリ言って話にならない。「と……いうわけだ。よって、わしが教えるのはあくまでここにいるメンバーのみ。そういう約束であったし、そもそも、例の<フィールド>は異端すれすれなのだから、そう簡単に表へ出せるものではないことくらい、理解できるであろう?」 ったく、我ながら本当に面倒なことを引き受けたものだ。そうぼやく太公望を見て、コルベールは思った。きみはやはり、教師になるべきだよ――と。「さて。とりあえず全員の基本方針はよいとしてだ。キュルケ、ギーシュ。おぬしらのしようとしていた質問は、今までの解答によって満足できるものか?」「ぼくは大満足さ!」「あたしも。ああいう話が聞きたかったから」「オスマン殿と、コルベール殿は?」「正直に言えば聞きたいことはまだたくさんあるが、さすがにこれ以上話し続けるのは、体力的な意味で辛かろう?」「そ、そうですね。ただ、もしもまた機会がありましたら、色々と伺いたいです」 そうか。ふたりの声に頷いた太公望は、場を締めるべく声を上げた。「では……まだ時間がある。このあとだな、全員でもってトリスタニアの街へ出て、ぱーっとやるなんてどうだ? そうだのう……ルイズの魔法、初成功祝いに」 それはいい! と、盛り上がるメンバー。そして、その言葉にぱあああああっと顔を輝かせるルイズ。そうだ、わたしは今日、はじめて<召喚>以外の魔法を成功させたのだ! ……そして、街のなかなかシャレたレストランで大いに盛り上がった一行。ちなみに、これらの費用はオスマン氏が全てもつこととなった――もちろん、太公望の策によって。 ――その夜。ルイズは、家族に宛てて手紙を書いた。 はじめて、魔法が成功したこと。そして、それに至る経緯を……他人に話しても構わないと言われている範囲内で。 友達が、遙か東方、ロバ・アル・カリイエのメイジを招いてくれたこと。 自分と全く同じ失敗をしていたひとが、そのメイジの知人の中にいたこと。 その知人は『才能』がありすぎて、普通の魔法の枠に収まらず<爆発>を起こしてしまっていたこと――そして。自分が、それと同じ原因で失敗を繰り返しているのではないかと言って、色々と見てくれたこと。 結果は、そのメイジの言うとおりだったということ。きみは、いつか『スクウェア』どころか、それを凌駕する可能性すら秘めている――一緒に調べてくれていた先生たちも、そう言ってくれたこと。 今はまだ、物を浮かせることしかできないが……その東方のメイジ曰く、いつかわたしは、ハルケギニアの誰よりも速く空を飛ぶことが叶うであろう、そう話してくれたこと。そしてその彼自身が、学院の誰よりも速く空を飛ぶことができる、素晴らしい風のメイジであるのだ、と。 最後に。今日、自分の魔法が初めて成功した――それを祝う会を、先生たちと友達みんなが開いてくれたこと。とても嬉しくて、楽しくて、涙が出たことをしたため……伝書フクロウの足にくくりつけると、空へ向けて放つ。 ――この一通の手紙が、後の歴史にとてつもない嵐を巻き起こす結果となるのだが、それはまだ、ルイズにはわからなかった――