――ユルの月、フレイヤの週、オセルの曜日。 その日の夜。プチ・トロワの謁見室で、従姉妹から任務完了の報告を受けたイザベラは、まっすぐに自分の部屋へと戻っていた。 彼女の頭の中には、とある思いが渦巻いていた。従姉妹のシャルロットが<サモン・サーヴァント>に失敗した。それについては、調査の上改めて父上に報告しよう。だが、その前にすべきことがある。「あの娘ができなかった<サモン・サーヴァント>で、わたしが素晴らしい使い魔を呼ぶことができたなら、召使いや、宮廷貴族たちも……それに父上だって、わたしのことを認めてくださるに違いないわ。別に、ネズミやフクロウのような、普通の使い魔でも構わないんだ。少なくとも『失敗』にはならないんだから」 イザベラには、致命的なまでに魔法の才能がなかった。おそらく『無能王』と称されるジョゼフ一世――魔法を一切使うことができないために、侮蔑を込めてそう呼ばれる父親の血を色濃く受け継いでいるのであろう彼女は『ドット』レベルの魔法を日に数回唱えるのがせいぜいであった。 にもかかわらず、イザベラと血を分けた従姉妹シャルロットは。今、自分の配下として仕えさせているあの娘は。溢れんばかりの魔法の才能を持ち、幼くして『シュヴァリエ』の爵位を得るほどの存在であった。このハルケギニア社会において、魔法の才能は人望と比例する。それは、このガリア王国も例外ではない。 イザベラは本来、謁見室で垣間見せたような粗野な娘などではなく、知性溢れる少女だ。その証拠に、この広い宮殿の中にいる貴族たちだけでなく、側近くに仕える侍従たちまでもが――自分よりも、魔法の才能に優れる従姉妹姫こそがガリアの王女に相応しい、そう考えていることを熟知していた。彼女には、それが悔しくてたまらない。だからこそ、あんな馬鹿な真似をして、鬱憤を晴らしているのだ。それが、自分の評価をさらに下げることを承知の上で。しかし、どうにもやめることができない。 それだけに、イザベラは<使い魔>を欲した。唯一、自分が憎い従姉妹に勝てるかもしれない存在を。だが、イザベラはそれを人前でやるほど無謀ではなかった。万が一、自分が失敗するところを誰かに見られたら――それが己の立場に致命傷を与えかねないと、充分わかっていたから。 だから、たったひとりで自分の部屋に籠もり、周囲を入念に探って誰もいないことを確かめると……愛用の杖を取り出した。そして、ゆっくりと力在る言葉を紡ぎ出す。「我が名はイザベラ・ド・ガリア。5つの<力>を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし<使い魔>を召喚せよ」 呪文は完成した。魔法が成功したのならば、そこには白く光る円鏡のような召喚ゲートが開くはずであった。しかし――彼女の前に現れたのは、まるで空間を切り取ったような『四角い窓』。「……よぉやく、繋がった」 窓の奥から、声がした。と、同時に細長く……青い手がイザベラに向かって伸びる。悲鳴を上げる間もなくその腕に掴まれるイザベラ。 ……そして。イザベラ・ド・ガリアは、ハルケギニアから消えた。○●○●○●○● ――時は、1ヶ月ほど前まで遡る。 ハルケギニアの暦で語るならば、フェオの月、フレイヤの週、ユルの曜日。そう、トリステイン魔法学院において<使い魔召喚の儀式>が執り行われた、あの日。 ハルケギニアとは異なる世界、蒼き星、地球――そこに在る国『周』。大陸全土を巻き込んだ大戦が集結し、徐々に平和を取り戻しつつあったその国の外れにある荒野を、ひとりの若者が大陸を渡る風のように、ただ……歩いていた。 青年の名は、伏羲(ふっき)。 彼には、かつて強大な『敵』がいた。滅びた『自分の世界』を再現すべく、星の歴史を影から操り……思い通りの世界に進化しなければその全てを破壊。また同じ『歴史』を1から作り直すという作業を、数億年もの間――まるで子供の砂山遊びの如く繰り返してきた存在。それが『歴史の道標』だった。 その圧倒的存在にして最大の『敵』である『歴史の道標』を、星の始まりから監視し……そして打倒せんと、数千年に渡って秘密裏に進められてきた壮大なプロジェクト『封神計画』の立案者にして実行指揮者であった彼、伏羲は、戦いに勝利した後……人々の前から姿を消した。 ――いちばん面倒な戦後処理を全部押しつけて逃げたとか言ってはいけない。 ……と、まあそんなわけで彼はあちこち気ままにブラブラしていたわけだが。「御主人んーッ! どこッスかー!!」「お師匠さまーっ!」 当然のことながら、そんな彼を捜し出そうとする者達がいるわけで。 本人からすれば、ちゃんと自分がいなくても世界が廻るように後進を育ててきたのだから、もう一線から退いてぐうたらしていてもいいはず。そう言いたいところだろう。しかし、伏羲はだからといってそうホイホイと取り替えがきくような人材などではないのだ。 ――何故なら、彼は地球の『始祖』。星の生命を、誕生の時から見守ってきた『最初の人』のひとりなのだから。 追われるから、逃げる。そんな日々を過ごしていた時『事故』は起きた。 トコトコと草原を歩いていた時にふと気がついた、追っ手の存在。追跡をかわすため、いつものように『空間ゲート』を開いて『自分の空間』に入り込もうとしたその時……空間同士の接続ポイントに、ごくごくわずかな――ヨクト単位レベルのズレが生じた。 それは、本当にわずかな……優れた『空間使い』であった伏羲にすら気付かないような『揺らぎ』。だから、ゲートをくぐった時点では、彼は異常に気付けなかった。 ――最初に違和感を覚えたのは、彼の内にある魂魄を構成するうちの半分。 伏羲の魂魄は、複数に分裂するという特異性を持つ。これは、彼と『歴史の道標』と呼ばれた存在にしかなかった<能力>にして、最大の特性だ。分裂させた魂魄のどれかがわずかにでも残っていれば、たとえ他の魂魄が消滅したとしても復活できるという、味方にすれば心強く、敵に回すと非常にやっかいな<力>である。 伏羲はこの『封神計画』を実行するにあたり、自分の『始祖』としての<肉体>と<力>と<記憶>を無くすという多大なリスクを背負いながらも、あえてその魂魄を2つに割り、全く異なるふたりの人間――後に仙人となる者として生まれ変わることで、地上世界に降り立った。 ――そのひとりは『太公望』。 伏羲の心の『光』を司り、何も知らず『封神計画』の『表』の実行者となる。 ――もうひとりは『王天君(おうてんくん)』。 こちらは伏羲の心の『闇』を司り、太公望と同様……当初は何も知らされぬまま、後に事情の一端を理解し、世界の『裏』から『封神計画』の遂行を手伝うこととなる。 後に、彼らの魂魄は再びひとつに戻り、それと同時に伏羲としての<記憶>と<力>を取り戻すのであるが……今回の『異変』に気がついたのは、その『闇』の部分。優れた『空間使い』として成長していた、王天君の記憶であった。 ――オレが創った『自分の部屋』に、妙なノイズが発生している。 おそらくは、王天君に伏羲としての<力>が戻った状態でなければ気がつかなかったほどの、ほんのわずかな歪み。だが、それを修正しようとした――その時だった。(……は……タバサ) 何処からから聞こえてきたその声と共に、突如歪みが大きくなった。(……召喚せよ) そして『部屋』の中に、光り輝く円鏡型の『ゲート』が現れた。そう……亜空間の中に、全く別種の『道』が、突然割り込んできたのだ。『空間をねじ曲げるほどの強大な力』同士が、計算もなく強引に交差したのだから、ただですむわけがない。 当然その影響で、大きく揺らぐ『部屋』。空間震と呼んで差し支えないであろうその振動により、伏羲の身体がぐらついた。そして、そのせいで『円鏡のゲート』に左手が触れてしまい……猛烈な勢いで、全身を引きずり込まれそうになった。 ――このままでは、飲み込まれる! 瞬時にそう判断した伏羲は、必死で謎の『ゲート』を解除すべく空間宝貝を展開しようとした――だが。もがけばもがくほど、引き寄せる<力>は強まっていき――そして、引く<力>と戻そうとする<力>が強大だったがゆえに――彼の身体は、文字通り引き裂かれた。その『魂魄』と共に。 円鏡状のゲートが消えた後。空間震の影響で発生した、どこでもあり、どこでもない場所。ひとつの輪のように閉じられた球体状の亜空間。その中に――元は伏羲であった者のひとり、王天君は取り残され……その『半身』である太公望は、いずこかへと消えていた。 ――連れ去られた太公望がどうなったのかについては、この物語の冒頭より語られているので、そちらを改めて見ていただくとして……ここから先は、ひとり取り残された王天君が、これまで何をしていたのかについて、語らせてもらうこととする。○●○●○●○●「ったく……なんだってんだよ、今のはよぉ」 そう言って立ち上がった王天君は、すぐに己の身体に起きた異変を察知する。「オイ、フザケんじゃねぇぞ。なんでオレだけがココにいんだよ。あいつぁ……太公望はドコ行った!?」 急いで座標確認用のモニター宝貝を展開する。だが、その表示がおかしい。太公望の行き先はもちろんのこと、自分の現在位置すら把握することができない。最初に開いた『ゲート』への接続ポイントすら見失っている。 ギリッと唇を噛み、王天君は吐き捨てた。「故障……ってワケじゃあねぇよな、こいつは」 おそらく、さっきの「割り込み」が原因だろう。王天君は、周囲の空間を『感覚』で捉える。すると……まるで、複雑に絡み合った糸のように、亜空間同士が混在し、彼自身がその糸と糸の間――そう、閉ざされた輪の中にいることを『理解』した。「閉じこめられた……だとぉ!?」 ふと、かつて自分が『人質』として敵地へと送られた挙げ句、凶暴な妖怪たちから保護するという名目で、封印籠の中に監禁されていた時のことを思い出す。忌々しい記憶。あそこでの経験が、自分の心を壊し――今に繋がっていることを。 いや、待て……王天君は冷静に考え直す。「あの時とは状況が違う。今のオレになら、時間はかかるだろうが、この空間を紐解いて、外へ出るだけの<力>がある」 助けなど期待できない。何せ、王天君は<仙人界>の中でも最高の『空間使い』なのだ。唯一、彼の能力をコピーすることができる天才がいるにはいるのだが、その彼をもってしてもオリジナルの王天君を捉えることは叶わなかったのだから。その王天君を閉じこめるほどの『空間』に、救助が来ようはずもない。 『半身』である太公望のほうはというと、空間を把握する能力はあっても、開け閉めするような<力>は持っていない。それに。「太公望にゃ間違っても期待できねぇ。あいつぁとりあえずぐうたらできる環境作って、調べるにしてもそれからだ。いや、オレのほうから勝手に迎えにくるだろう……なぁんて考えて、放置しやがる可能性のほうが高ぇんじゃねぇか?」 ――『半身』だけあって、相方の性格をよく掴んでいる王天君であった。「ったくよぉ……面倒なコトになりやがったぜ」 イライラと爪を噛みつつ、モニターで周囲の空間座標を計算。そして、そもそもの原因となった、割り込みの追跡(トレース)を開始する。解明のヒントとなるのは、あの時聞こえてきた『声』だろう。 それからわずか数日後。王天君は、問題の『道』を発見したのだが、しかし。「一方通行のゲートだとぉ!?」 そう。ようやく見つけた手がかりは、片側の閉じられた特殊空間ゲートだったのだ。苛立ちのあまり、王天君は被っていた帽子を乱暴に手に取ると、バンッと床――亜空間とはいえ、いちおう<底>は存在するのだ――へと叩き付ける。しかし、文句は言えない。何せ、彼自身もそういった『一方通行の空間』を武器のひとつとして扱う者であったから。「クソッ。こうなったら、この空間座標の近辺だけ集中的に監視して……『窓』が開いたら、こっちで無理矢理繋げるしかねぇか」 彼は辛抱強く、その時を待った。そして――それから数週間後。ようやく例の『声が作り出す道』に近しいものを捕捉したのである。 『我が名はイザベラ・ド・ガリア。5つの<力>を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし<使い魔>を召喚せよ』 王天君は、いずこかへ繋がろうとしていたその『道』に干渉し、ねじ曲げ……その上で、自分のいる亜空間へと、綿密な操作でもって接続した――再びあのような『事故』が発生しないように。 道同士を繋いだ際に、何やら身体に『入り込んでくる』ような違和感を覚えたが、今すぐどうこうなるような問題ではなさそうなので、とりあえずは後回しにする。「……よぉやく、繋がった」 彼が繋いだ『窓』の外。そこは、豪奢といって差し支えない部屋だった。そして、目の前には、青い髪の――いいトコのお嬢さん風な娘が立っている。 この女は太公望を連れ去った犯人ではないだろう。だが、この『道』について詳しく聞き出す必要がある。それに……調査なしで見知らぬ場所へと自ら出向くのは、彼の性格に合わない。騒がれるのも面倒だ。ならば――! 繋げた『道』を起点に、新たな『自分の部屋』を瞬時に作り出した王天君は、これまで閉じこめられていた亜空間の位置だけ記録した後『部屋』へ移動する。そして『窓』から腕を伸ばし、少女の腕を掴み取ると――強引に、部屋へと『ご招待』した。 ……そして、時は現在へと繋がる。○●○●○●○● ――イザベラは、暗がりの中で目を覚ました。 カッチ……コッチ……と、何処かから規則的に刻まれる、不思議な音が聞こえてくる。いったいなんの音だろう? そう思って身体を起こそうとした、その時。イザベラは、自分が見たことのないビロードの長椅子に、その身を横たえていることに気付く。「ここは、わたしの部屋じゃない。なら、いったいどこ!?」 自分の状況を把握する間もなく、何処か……おそらく、今イザベラが横たわっている長椅子の正面方向から、声がした。「お目覚めかい? 眠り姫さんよぉ」 このわたしにそんな口をきくだなんて、無礼な! いったい何者だ。急いで起き上がり、そう叫ぼうとしたイザベラだったが、己の視界に飛び込んできた相手の姿を見て、絶句した。 古ぼけた……しかし、脚部や天板側面に施された彫刻といい、使われている材質といい、まさしく高級といって差し支えないテーブルの向かい側に、今自分が座っている長椅子と同じようなものが置かれている。声の主は、そこに腰掛けていた。 不気味なまでに青白い肌。全身をぴったりと張り付くように覆う、黒い服。身体のあちこちに、銀製と思われる装飾品を身につけた――少年といってもいい年齢に見える男。しかし、イザベラが真っ先に注目したのは、それらではなかった。 彼女の瞳に映っていたのは、正面にいる少年の――細く、長い耳。「え……エル……フ……」 ――エルフ。それは、ハルケギニアの歴史において、長きに渡り人間の『宿敵』とされてきた存在。強力な先住の魔法を操り、戦士としても非常に優秀。メイジが彼らを倒すには、10倍以上の人数差が必要とされるほどの、絶対的強者。ハルケギニアに住まう人間にとっては、まさに『恐怖の象徴』といって差し支えない存在である。 イザベラは、そこでようやく思い出した。自分の身に何が起きたのかを。 従姉妹に対抗し、人知れずこっそりと唱えた<サモン・サーヴァント>。だが、それは失敗し……突如現れた『窓』の奥から伸びてきた腕に掴まれた挙げ句、その奥に引きずり込まれてしまったのだ。 あの手だ。おそらく、自分は……召喚に失敗したばかりか、エルフを呼び出そうとしてしまったのだ。だが、逆にこうして囚われてしまった。イザベラは、そう判断した。「オメーに、聞きてぇコトがあんだけどよぉ?」 そう問うた『エルフ』の声は、イザベラの耳には届いていなかった。「な……なんで……どうして……」 両腕で身体を抱え込むようにして、ガタガタと震えるイザベラ。その瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。わたしは<サモン・サーヴァント>で『呼ぶ』ことすらできないのか。それどころか、逆にエルフに捕らえられるなど……王族として、いや、メイジとしてあってはならないことであろう。「泣くんじゃねぇよ! 話があるって言ってんだろぉ!?」 忌々しげにそう告げる少年に、イザベラは答えられない。ただただ、震え、涙を零すばかりであった。「どうしたもんかねぇ……これは」 王天君は、ぎっと親指の爪を噛んだ。「ったく、太公望……あのイイコちゃんなら、こんな小娘ひとりくらい簡単に落ち着かせられるんだがなぁ。ったく、イライラさせられるぜ」 舌打ちした王天君の耳に、目の前の少女の呟き……いや、小さな声ではあったが、まさしく魂の叫びといってもいいだろうそれが飛び込んできたのは、歴史の必然だったのだろうか。「わたしばっかり……どうして……こんな目にあうの。なんで、あの子だけが……わたしが代わりに……あの子ばっかり……こんなの、酷すぎるわよォ……」 彼――王天君にも覚えがあった、それは。『闇』に棲む者にとって眩しすぎる者。『光』という存在に対する羨望……そして、強い嫉妬の念。 ……なるほどねぇ。オレが、この小娘のところへ比較的簡単に『接続』できたのは、それなりの理由があったってことかよ。 引っ張り込まれたあのアホについては、後でいいか。この『世界』にいるのは間違いねぇ。何故なら、オレの魂がそう言っているからだ。とりあえずは……今、目の前にいるコイツで遊んでみよう。結構楽しめるかもしれねぇ。 ――こうして。裏を司る蒼き姫と『始祖』の心の闇を写した鏡は、運命の出会いを果たした。