ソング大陸最大の都エクスペリメント。多くの人で賑わっている中、一人の女性が優雅にヒールの足音をたてながら歩いている。その美しさは男であれば思わず振り返ってしまうほど。ドレスを纏った完璧な美貌を持つ美女。だが同時に何人も近寄れないような凄味を放っている。それを証明するかのように女性の腕には一つの輝きがあった。
『ダークブリング』
持つ者に超常の力を与える魔石であり兵器。世界を混乱に陥れる意志を持つ存在。エンドレスの意志を継ぐ欠片達。そして女性が手にしているのはただのDBではない。六星DBと呼ばれる自然の力を操るシンクレアに最も近いDB。DC最高幹部である六祈将軍しか持つことが許されない称号。
(……やっと戻ってきたわね)
髪をかきあげながら六祈将軍の一人、レイナは一つの大きなビルの前で立ち止まる。一見すれば何の変哲もない企業ビル。だがそれは表向きの話。限られた者しか知らぬもののそこは間違いなくDC本部。最高司令官であるルシア・レアグローブが拠点としている本拠地だった。
レイナは一度呼吸を整えた後、それまでの迷いを振り切るように力強くビルの中へと入って行く。通常であればその時点で警備という名のDC構成員によって部外者は弾き出されるものの、兵たちはレイナを見た瞬間に驚きながらすぐに頭を下げ、道を開けて行く。最高幹部である六祈将軍の帰還を前にして当然の反応。しかしそんなことなどレイナにはどうでもよかった。受付の者にルシアへの面会の許可を得た後、レイナはそのままエレベーターに乗り込み、最上階へと昇って行く。
自らの命運を決めるに等しい審判を、けじめをつけるために。
(妙な感じね……これから会いに行くのはルシアだっていうのに。何でこんなに緊張してるのかしら……?)
自嘲気味な笑みを浮かべながらもレイナは腕を抱き、知らず自分の体が震えていることに気づく。 普段ならこんなことはあり得ない。ルシアと面会することはレイナにとっては特別なことではなくむしろ楽しみでさえある。最高司令官とはいえルシアはかつての先代キングのように畏怖する存在ではない。力の上では先代キングを超えるがそれ以外の面では劣っており、甘さが見える。レイナからすればからかい甲斐がある弟のようなもの。だがそんなことすら気休めにならない事情が今のレイナにはあった。それは
(命令違反に敵前逃亡……どう考えても処刑は免れないわね……)
今のレイナはDCにとっては裏切り者。いつ処刑されてもおかしくない命令違反を犯した存在なのだから。
数日前の世界を混乱に陥れたドリュー幽撃団による世界への宣戦布告。その傘下になった鬼神と銀術兵器シルバーレイによる虐殺。その爪痕は未だエクスペリメントにも残っている。そしてその大戦のさなかレイナは独断専行し、ルシアの命令を無視したまま交戦を行ってしまった。
亡き父が作り出した銀術兵器であるシルバーレイを取り戻すこと。
レイナがDCに参加した、悪魔に魂を売ってまで成し遂げようとした戦う理由。それを前にして立ち止まっていることなどレイナにはできなかった。しかしその結果は最悪に近いもの。止めんとしたシルバーレイは入れ違いになる形でエクスペリメントへ。ドリューを倒すためにレイヴマスター達と共闘するも敗北。シルバーレイを止めるどころか状況を悪化、混乱させるだけの体たらく。加えて敵であるレイヴマスター達を見逃し、シンクレアを手に入れることすらできなかった。これ以上にない失態。
(いくら考えても無駄ね……でも逃げるわけにはいかない。けじめだけはつけなければ……)
最上階、ルシアの部屋の前に辿り着きながらもレイナにはもはや迷いはない。当然レイナからすればわざわざ本部に戻ってくる必要などない。そのままDCから脱退し、逃亡する選択肢もあった。事実、部下であるランジュやソプラはそうレイナに進言してきた。本部に戻るなど自殺行為、わざわざ死にに行くようなものだと。それは正しい。もしかすればルシアであればいつものような対応で許してくれるかもしれない。そんな淡い期待もなかったわけではない。だがそれを抜きにしてもレイナはそのまま逃げることはできなかった。例えシルバーレイがなくなり、戦う理由が無くなったとしてもDCに所属し、六祈将軍として行ってきた罪がなくなるわけではない。その清算をつけなければ前に進むことはできない。例えそれが自らの死であったとしても。
一度目を閉じ、息を整えた後レイナはドアをノックする。だが中からは何の反応もない。間違いなくルシアが部屋にいることは受付で確認済み。どうしたものかとレイナは思案するも
「入れ」
ようやく部屋の中からルシアの返事が聞こえてくる。だがその声はいつも聞き慣れているようなものではなく、感情を感じさせないような機械的なもの。訝しみながらレイナはドアを開き、そのまま入室するも同時にようやく理解することになる。先程までの覚悟も消え去ってしまうほどの圧倒的な殺気という名の重圧によって。
「――――っ!?」
部屋に一歩踏み入った瞬間、思わずレイナはその場から逃げ出したい衝動に駆られる。戦士としての本能。その場に踏み入れば命はないと悟るに十分すぎるほどの重圧が部屋に満ちている。まるで異界に踏みこんでしまったかのように身体に重さがのしかかる。先のドリューとの戦いで受けたヴァンパイアの引力斥力の類ではないかと錯覚するも今のレイナが感じているのは物理的な圧力ではない。
「レイナか……久しぶりだな」
この部屋の主であり、DC最高司令官であるルシア・レアグローブの放つ重圧。その力によってこの場は支配されている。しかもその全てがレイナに向けられている。金髪にスーツという見慣れた姿。にも関わらずレイナにはルシアが全く別人になってしまったかのように感じる。確かに戦闘の際にはルシアの重圧に圧倒されることもあったが今のルシアはその比ではない。その全てが自分に向けられていること、何よりも存在感が以前とは桁外れ。先代キングですら霞んでしまうほどの出鱈目ぶり。六祈将軍であるレイナですら今のルシアに睨まれれば戦うことはおろか立っていることしかできない。それが今のルシアの領域。四天魔王すら束ねる力を手に入れた大魔王の風格。
「……ええ、久しぶり。あなたも元気そうで安心したわ。でもすっかり見違えたわよ。ますます化け物じみてきてるわね。何かあったのかしら?」
「まあ色々な……ちょっと三途の川を引き返して来ただけだ」
「そう……相変わらず面倒に巻き込まれてるみたいね」
「ああ……おかげさまでな」
変わり果てたルシアの力に当てられながらも何とかレイナは平静を装いながらいつもの調子で話しかけ続けるも声の震えを抑えることはできていない。ルシアの言動はいつもと変わらない。だがその瞳には確かな敵意がある。いつものような砕けた雰囲気も甘さは微塵もない。眼光に晒されることによってレイナは息を飲むもそれから一瞬でも逃れるために視線をルシアから外さんとするもさらなる驚愕が襲いかかってくる。それは
「っ!? あ、あんたは……!?」
この場に自分とルシア以外の第三者が存在していたこと。だがレイナが驚いているのはその人物を知っていたからこそ。忘れることができるはずもない、ある意味ルシア以上の戦慄を与えられた女性。
四天魔王 『絶望のジェロ』
先のドリューとの大戦で突如乱入し、自分達を無視したままドリューを瞬殺し姿を消した氷の女王がそこにはいた。
「…………」
だがレイナの驚愕と叫びを耳にしながらもジェロは身じろぎどころか瞬き一つすることはない。氷の彫像のように無表情のままただルシアの後ろに控えるように立っているだけ。以前と違うのはスーツを身に纏っているということ。
「何をそんなに驚いてやがる。てめえはもうジェロとは会ったことがあるはずだろが」
「そ、そんなことは分かってるわ! 私は驚いてるのはそんな奴がDCにいるなんて知らなかったからよ! 一体そいつは何なわけ!?」
「そういえばお前達にはまだ紹介してなかったな。四天魔王……魔界の王の一人、ジェロだ。今は俺の配下、DCの立場でいえば俺の側近になる」
「魔界の……王? ルシア、あなた魔界の王を配下にしたっていうの……?」
「ああ……他の三人の王も同じだ。もっとも人間界にいるのはジェロだけだがな……」
淡々と説明しているルシアとは裏腹にレイナは一体何が起こっているのか分からず混乱するしかない。
(四天魔王って……ベリアルの奴がいつか言ってた魔界の王のこと!? そんな化け物を四人も従えたっていうの……!?)
レイナはかつてその存在をベリアルから聞かされたことがあった。曰く魔界は絶対的な強さを持つ四人の王によって統治されているのだと。ベリアル自身は笑い話のように語っていたものの話しの節々から見え隠れするベリアルの声色からそれが真実なのだとレイナは感じ取っていた。唯我独尊のベリアルが敬意を払わなければならない存在という時点でその異常性は見てとれる。だが同時にレイナは納得する。あのドリューを子供扱いし、瞬殺できるほどの力を持つ存在。魔王の名に相応しい怪物。何よりもそんな怪物を従えてしまったルシア。もはや自分の常識では計り切れない次元の話に翻弄されながらもレイナはさらに言葉を繋げる。
「そう……何だか雲の上の話で実感が湧かないけれどいいわ。でも何でそのことを私達に教えてくれなかったの? ドリューの時にそれが分かっていれば私もあんなに驚くことはなかったわ!」
何故四天魔王がDCに加わったことを知らせてくれなかったのか。その一点。もしそれが分かっていれば先のドリューとの戦いの際に驚愕し、混乱することもなかった。それどころかもっと事態を簡単に収めることもできたはず。レイナからすれば当然の主張。だがそれは
「それをお前が言えた義理か……? 命令違反をした挙句におめおめと戻ってきた負け犬のお前がよ」
ルシアの死刑宣告にも等しい言葉によって粉々に打ち砕かれてしまう。瞬間、部屋の空気が緊張し重くなっていく。ルシアの殺気に当てられ手は震え、汗が滲む。蛇に睨まれた蛙同然。かつてキングによって感じたことがある重圧など子供だましに思えるほどの恐怖。
「そ、それは……」
「言い訳は聞いてねえ。大方お前の親父が作ったシルバーレイを自分で取り戻したかったってところだろ? だがてめえは六祈将軍だ。俺の命令を無視できるほどてめえはいつ偉くなったんだ?」
腕を組みながらルシアは鋭い視線でレイナを貫き続ける。視線だけで人が殺せるのでは思えるほどの圧倒的強者だけが持ち得る存在感。
「おかげで俺はてめえの尻拭いをさせられる羽目になったわけだ……まだ言ってなかったがシルバーレイは消させてもらった。ついでにオウガもな。文句はねえな? 全部お前の自業自得なんだからな」
ルシアはどこかレイナを煽るように事実を伝えて行く。シルバーレイを取り戻すこと。それがレイナの目的でありDCに参加している理由。だがそれは文字通り消え去った。その仇であるオウガもろとも。本来ならシルバーレイを破壊されたことに怒りを覚えるべきだが今のレイナにそんなものは残ってはいなかった。ルシアの言葉通り、全ては自らが命令違反し、先行した結果。むしろレイナからすればルシアに感謝したい程。シルバーレイがこれ以上大量破壊兵器として使用されることを結果として防いでくれたのだから。だがそんな事情がありながらもレイナは未だ厳しい顔をしたまま。
「それで……勝手にドリューに挑んで負けた挙句、レイヴマスター達からシンクレアの一つも手に入れられなかったお前が一体どういうつもりでここに来た? まさかいつもの調子で許されるなんて馬鹿なことを考えてんじゃねえだろうな?」
ルシアは呆れ果てながら最後通告を告げる。一体何のためにここに来たのか、と。度重なる命令違反、裏切り者以外の何者でもないというのに。だがそれを前にしてもレイナには退く気配はない。これはここに来る前から分かり切っていたこと。後はただ報いを受けるだけ。
「ええ……そんな甘いことは考えていないわ。六祈将軍として全ての責任をとるために私はここに戻ってきただけよ」
残された全ての決意を以てレイナは真っ直ぐにルシアを見つめ返す。死を覚悟した、罰を受けることを受け入れた罪人の姿。もはや今のレイナはDCを、六祈将軍を続けることはできない。自らの目的であるシルバーレイ、父の仇であるオウガも消え去った以上レイナに戦う理由は残されていない。何よりこれ以上レイナは誰かの命を奪うことはできない。ムジカというもう一人の銀術師と心を通わせ、絆を取り戻したレイナには。だがそれでもこれまで奪って来た命が帳消しになるわけでも、許されるわけでもない。だからこそその報いをここで受ける。それがレイナの選んだ決断だった。
「…………そうか。じゃあ仕方ねえな」
レイナの姿をしばらく見つめた後、ルシアはゆっくりとその手をかざす。レイナはそれを前にしながらただ目を閉じ、その時を待つ。瞬間、紫の光、DBの力がルシアによって放たれる。裏切り者であるレイナに対する粛清。だがいつまでたってもレイナの身体には変化が見られなかった。
「…………え?」
呆然としながらレイナは目を開け、自らの身体を確認するも傷一つ見当たらない。確かにルシアが何かのDBを使ったのは間違いないはず。混乱するレイナに見せつけるようにルシアはその手の中にあるものを晒す。
「これは返してもらう。元々は俺の物だ。六祈将軍じゃないてめえには必要ねえ」
『ホワイトキス』
空気を操る六星DBであり六祈将軍の証。ルシアはワープロードの力によってホワイトキスをレイナの腕から回収すると同時にもはや用はないとばかりにイスを回転させ、背中を向けたまま告げる。
「命令違反をするようなクズはDCには必要ねえ。さっさと消えろ。二度と俺の前に姿を見せるんじゃねえ」
レイナに対する解雇通知。命令違反を犯したレイナに対するルシアの罰。本来なら処刑されてもおかしくないにもかかわらず命だけは見逃すという甘さ。あり得ないような処遇にレイナはしばらく放心するもすぐにその全てを悟る。
ルシアが放っていた重圧。
自分の感情を逆なでするような言葉。
ホワイトキスというDBの回収。
それらが示す本当の意味を。不器用ながら最高司令官を演じつつも最後まで非情になり切れないお人好しの悪魔。それを目に焼きつけながら
「…………ええ。役立たずはここで退場するわ。さようならアキ、短い間だったけど楽しかったわ」
ありがとう、と聞こえないように告げながらレイナはDCを去り、舞台から下りて行く。いつもと変わらない優雅な足取りを見せながら――――
「…………はあ」
レイナが部屋を退出してからしばらくした後、まるで電池が切れたかのようにルシアは大きな溜息とともに机に突っ伏してしまう。ある意味本部にいるときは日常茶飯事だった光景。だがルシアにとっては何度こなしても慣れることが無いストレスに悩まされる生活が戻ってきたことを意味するものだった。
(な、何とかなったか……戻ってきていきなりこれかよ? ちょっとは息抜きさせてほしい……でもまあタイミング的には悪くなかった……のか?)
げんなりとしながらもルシアはとりあえず一つ大きなイベントが終わったことに胸をなでおろすしかない。
命令違反を犯したレイナの処遇。
それをどうするかがルシアの課題の一つだったのだが魔界探検ツアーがあったため先送りにせざるを得なかった。しかし幸か不幸かDC本部に帰還するとほぼ同時にレイナの戻ってくるという事態が起こる。とりあえずジェロにスーツを着せることに成功し、満足していたのも束の間、ルシアは大慌てで体面を整えレイナと面談をする羽目になったのだった。
(ま……これでレイナの奴が死ぬことはねえだろ。一応ホワイトキスも回収したし……)
ルシアは手の中にあるホワイトキスを宥めながらおおよそ上手く言ったであろうことに安堵するしかない。だがいくらルシアといえども何の用意もせずにここまで首尾よくはいくはずもない。ここまで上手くいった理由。それは以前からレイナをDCから脱退させるようにシナリオを用意していたからだった。
(予定とは大分変わったけど及第点か……命令違反は参ったが口実はできたし良しとしよう……もう二度と御免だが)
オウガとシルバーレイというレイナにとっての因縁を排除した後に理由をつけてレイナを脱退させる。それがルシアの計画であり今回はそれが早まった形。もっとも命令違反は完全に想定外だったので気が気ではなかったのだが。
ホワイトキスを回収したのにもいくつか理由はあるが一番はレイナがDCではなくなったことを一番分かりやすく意味づけることができるから。レイナの罪の意識が少しでも軽くなればというルシアなりの気遣いともう戻ってくるなという決別を意味する行為。もっともそれを知らないホワイトキスは自分がルシアを怒らせてしまったかの思い、かつてのフルメタルのように怯えているのでルシアは何とか宥めることに必死だった。そんな中
『お疲れ様です、アキ様』
『へえー、ああいう態度も見せれるのねー。ちょっと意外だったわ。これからずっとあんな感じでやってくの?』
ルシアの胸元にある二つの魔石がしゃべりかけてくる。アナスタシスとバルドル。アナスタシスにとっては見慣れた光景ではあるものの初めてバルドルはどこか興味深げに捲し立てていく。何もかもが新鮮なバルドルは心なしか興奮するように点滅している。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のよう。
「そんなわけねえだろ……今回は例外だ。いつもこんなことしてたら俺の方が保たねえよ……」
『ふーん。でもあの女を行かせて本当に良かったの? 面倒ならさっさと消しちゃえばよかったのに』
『そうですね……ホワイトキスを回収したとはいえ六祈将軍には変わりません。どうやらレイヴマスター達とも共闘していたようですし、排除しておいた方が良かったのでは……?』
「え? そ、それは……」
一瞬ぎょっとしながらもルシアは口ごもるしかない。最近すっかり忘れてしまっていたが間違いなくアナスタシスとバルドルがシンクレアなのだと分かるようなどこか人間味が感じられない言動にルシアはどうしたものかと思案するも
『ふん……そんなことどうでもよかろう。所詮あの女は六祈将軍級。例え敵に回ったとしてもアキはおろか四天魔王の足元にも及ばん……ということでよいかの? 我が主様よ?』
それはもう一つのシンクレア、マザーの言葉によって遮られてしまう。ルシアはそのまま自らの胸元ではなく目の前のテーブルに目を向ける。正確には机の上に座り、足をばたつかせている金髪幼女に向かって。
「あ、ああ……まあそうだが……何でそんな恰好してんだ? っていうか最近イリュージョン使ってなかったのにどういう風の吹き回しだよ?」
『ただの気まぐれよ。気にするでない。そもそもお主は巨乳にしか興味がないのであろう。なら別にどうでもよかろう』
「お前……もしかして年増って言ったことまだ気にしてんのか……?」
『っ!? な、何を言っておる! 我はこの姿の方がイリュージョンの負担が少ないだろうと気を遣っておるのだ! そんなことも分からんのか!?』
「気を遣うんなら最初から実体化すんじゃねえよ」
『ぬう……』
まるで痛いところを疲れたかのようにマザーは黙りこみ、そのままルシアを恨めしそうに睨みつけるも子供の姿では威厳も何もあったものではない(元々そんなものはない)
『まったく素直じゃないんだから。ジェロに対抗しようとしてるみたいだけど方向性がおかしいんじゃない?』
『いえ……恐らくは苦肉の策でしょう。同じ方向性からでは本物と幻の差は埋められませんから……』
『き、貴様ら……好き勝手言いおって! 大体貴様らがさっさと教えておればこんなことには……』
「さっきから何をぎゃあぎゃあわめいてやがる!? とにかくレイナの件はこれで終わりだ! 四天魔王も加わったし、六祈将軍が一人欠けたぐらい何てことないだろ!?」
何故かいつも以上にヒステリックになっているマザーを無視しながらも強引にルシアはこの話題を終わらせんとする。これ以上面倒なことになる前に終結させたいところ。だが今のマザーにとってはそれすらも火を油に注ぐ行為でしかなかった。
『ふん、なるほどそういうことか。ジェロが入ったからもうあの女は用済みというか。巨乳なら誰でもよいということか。全く、エリーに振られるのも当然じゃな』
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねえよ!? そもそも巨乳云々はてめえが勝手に言ってるだけだろうが!」
『え、違うの? よくジェロの胸を見てるような気がしたけど』
「い、いや……あれは衣装が派手だったからたまたまそこに目がいっただけで……」
『いい加減認めたらどうだ、見苦しい。全く情けない。そんなに好きならジェロに胸を触らせてくれと頼んだらどうだ? そのまま永遠の眠りにつけるかもしれんぞ?』
「なっ!? だ、誰がそんなこと……」
異様に食い下がってくるマザーの言葉に思わずルシアは圧倒され、そのままジェロへと視線を向けてしまう。そこには
「…………」
いつもと全く変わらず無言のまま立ち尽くしている絶望の姿があるだけ。違うのは服装がスーツに変わったことのみ。その冷たい瞳がルシアを捕えたまま離さない。シンクレアの声が聞こえる以上間違いなくマザーとの会話は筒抜け。にもかかわらず、だからこそなのかジェロは一言も発することはない。ある意味アスラ以上に何を考えているか分からない。ルシアからすれば冷や汗すら凍りついてしまうような状況。だが
『いつまでジェロと見つめ合っておるのだ!? ジェロだけではない! アナスタシス達には優しいくせに何故我には冷たいのだ!? 我はお主の物だと言ってくれたのは嘘だったのか、アキ!?』
「何を訳が分からんこと言っとんだ!? けしかけてきたのはてめえの方だろうが! さっきからずっと噛みついてきやがって、一体何の話だ!?」
謂われのない難癖をつけ、襲いかかってくるマザーを収めようとルシアは四苦八苦するも焼け石に水。いくら言っても聞く耳を持たない有様。端から見れば黒のゴスロリを着た金髪幼女がルシアに向かって襲いかかり、そのたびに幻のためルシアの体を通過するという意味不明の光景が繰り広げられている。それだけならルシアにとって実害はないのだがそれに合わせて頭痛も起こされてはたまったものではない。
「…………随分マザーは荒れているようだけれど、そんなに胸の大きさが気になるのかしら」
『アキやマザーもだけどあなたの鈍感さも大概よねー。ま、あたしは面白いからいいんだけど。マザーったら嫉妬しちゃって、可愛いんだから!』
『あなたも人のことはいえないと思いますが……』
そんな二人を見ながらジェロ達はどこか観戦モード。ジェロに至ってはある意味この状況の原因でもあるにもかかわらず全く気づくことはない。だがそんな状況は
「し、失礼しますルシア様! 至急お伝えしたいことが……!」
大きなノックと焦りを含んだ女性の声によって終わりを告げる。参謀であるレディがやってきたことによって一気に部屋は静まり返り、同時にルシアは慌てながらマザーの実体化を解き、すぐさま閃光の速さで自らのデスクに戻る。マザーは恨みごとをブツブツと漏らしているもルシアはそれを完全に無視したまま最高司令官としての顔を見せながらレディを迎え入れることに何とか成功する。
「ルシア様……お戻りになられていたのですね! 申し訳ありません……緊急事態が起こり情報収集のために本部を離れていたため……」
ルシアの許可を得た瞬間、これまで見たことが無いほど慌てた様子のレディが入室しながら首を垂れる。そんな普段の彼女なら考えられない様子に内心圧倒されながらも一度咳払いをした後、ルシアはレディが慌てている理由を悟る。奇しくも先程まで自分が対処していた問題。
「そうか。それで、一体何の用だ。レイナのことならもう終わったところだぞ」
「い、いえ……その、その件ではなく……」
だがそんなルシアの予想は完全に外れてしまう。むしろそんなことなどどうでもいいとばかりの必死さと戸惑い、恐れがレディの言葉と表情には現れている。その意味を問うよりも早く、意を決したようにレディは口を開く。
「……ハジャ様がDCを裏切り、六祈将軍を率いてレイヴマスター達と接触。ハジャ様は所在不明……残った六祈将軍は全てレイヴマスター達に敗北した……とのことです……」
「…………え?」
ルシアは目を点にしながら間抜け面を晒すだけ。もはや素の反応をするしかない。幸いだったのはレディが首を垂れていたために顔を見られることが無かったことのみ。ルシアは何が起こったのか分からぬままその場に立ち尽くす。ただ一つだけ分かること。それは
数日留守にしている間にDCがほぼ壊滅していた。
そんな笑い話にもならないような現実だけだった――――