「…………はあ」
大きな溜息を吐きながらルシアはとぼとぼと山道を下って行く。背中には哀愁が漂っている疲れたサラリーマンのような有様。そんな姿からは不釣り合いな光景が辺りには広がっていた。見渡す限り全てが灼熱に包まれた死の山。一歩間違えばマグマへ落ちかねないような危険な場所に今、ルシアは身を置いている。
ウルブールグ。魔界の中でも最も熱い地方であり、同時に四天魔王の一人である獄炎のメギドの城がある場所。ルシアはようやく長かった魔界探検ツアーから解放され、晴れて人間界へと帰還すべくゲートが使用可能になる山のふもとまで下山している最中。しかしルシアの表情には全く安堵は見られない。確かに人間界に戻ってもルシアに安寧という言葉は存在しない。むしろ今まで以上の厄介事が待ち受けているのは想像に難くない。だがそれ自体はとうに分かり切っていたこと。既にこれまでに散々思い通りにならない、想定外の事態に振り回されてきたルシアにとってはもはや日常茶飯事。そんなルシアであっても困惑し、恐怖しなければならない事態が今、発生していた。
「…………」
氷が割れるような足音を奏でながらソレは確かにルシアの後ろを着いてきていた。同時に背筋が凍るような寒気が襲いかかってくる。冷気自体は大したものではなくせいぜいエアコンの風が当たった程度。問題は冷気ではなく存在感。ルシアは後ろを振り返ることなく、後ろに振り返ることができないままその視線を背中に感じ取り、息を飲むことしかできない。
(何でこんなことになってるわけ……?)
自らの後ろから着いてきている氷の女王、絶望のジェロにルシアは顔面を蒼白にしたままただ絶望することしかできないでいるのだった。
(いやいやいや……何でこの女、俺に着いて来てんの!? 何のドッキリ!? 嫌がらせにしても限度があるだろ!?)
ルシアは心中で頭を抱えながら今の状況が理解できずに混乱するしかない。いや、正確には現実逃避をしているだけ。既にルシアはジェロが自分に着いてくる理由は知っていた。
大魔王であるルシアを守護するため。
それがジェロがルシアの後を着いてきている理由。大魔王の配下である四天魔王として役目を果たすためジェロはルシアと共に人間界へ戻ろうとしている。確かに理屈としては筋が通っている……はずなのだがまさか四天魔王が自分に着いてくるなどとは夢にも思っていなかったルシアとしてはたまったものではない。ただでさえ人間界は問題だらけ。物語で言えば終盤に向けて一気に状況が動き始める時期。そこにジェロが加わればどんなイレギュラーが起こるか分かったものではない。火薬庫で火遊びをするレベルの危険行為。
(しかもいくら言っても帰ってくれねえし……俺、大魔王になったんじゃねえのかよ? なのに命令を無視するなんて……これじゃ六祈将軍の方がまだマシじゃねえか……)
死んだ魚のような目をし、げんなりしながらルシアはあきらめるしかない。もちろんルシアも黙ってそれを受け入れたわけではない。自分には既にDCという組織があり護衛は必要ないこと。人間界には自分に対抗できるような存在はいないと何度も説明し、魔界に残るように命令という名の説得を行ったもののジェロは聞き入れることはなかった。曰くDCの戦力など当てにはならないと。無理やり振り切る、もしくは力づくで言うことを聞かせる手も考えたが勝手に人間界にやってきてドリューの時のように好き勝手される方が何倍もリスクがあるため仕方なく(半ば強引に)ルシアはジェロを引きつれたまま人間界に戻ることになってしまったのだった。
(とにかく今はさっさと人間界に戻ることを考えねえと……)
ルシアは頭を振りかぶり、額に手を当てながらこれからのことに思考を切り替えんとするもそれは
「…………どうかしたのかしら?」
いつの間にか身体が触れ合うほど近くにいたジェロの氷の吐息によって妨げられてしまった。
「―――っ!? ジェ、ジェロ!? いきなり驚かすんじゃねえよ!?」
「……何をそんなに驚いているの。それよりもどこか具合が悪いのかしら。さっきからずっと頭を気にしているようだけれど……」
「い、いや……何でもねえ! それよりももうちょっと離れてくれねえか……?」
「……? ええ、あなたがそう言うのならそうするわ」
ルシアの言動の意味が分からぬままジェロは言われるがままに距離を取りながら再び歩き始める。自らが放っている冷気が強すぎたのかとジェロは思案するも全く的外れ。その原因はもっと根本的なもの。
(ま、マジで心臓に悪い……本当にずっとこれが続くのかよ!? というか何でそんなに近づいてくるわけ!? 来る時はこんなに近くで歩いてなかっただろ!?)
ルシアのジェロに対する恐怖。トラウマと言い換えても差し支えのない事情があった。ヘタレであることを差し引いても一年前に氷漬けにされ、殺されかけた相手に加えて魔界の王であり、女王でもあるジェロと行動を共にすることはルシアにとっては計り切れない程のストレスとなり得る。常時胃痛をアナスタシスで再生しなければならないレベル。例え実力的にはジェロを超えたと言っても根本的な意識が変わるわけではない。要するにルシアにとってジェロは大魔王になったとしても絶望に変わりないということ。しかも大魔王になってから明らかに変化したことがある。
近かった。ただひたすらに近かった。
共に下山をする中で何故か気づけばジェロがすぐ近くにいるという意味不明な事態がルシアに襲いかかっていた。確かに自分の後ろを着いてきていたはずなのに気づけばすぐ傍にいる。ルシアからすれば恐怖以外の何者でもない。しかもジェロも意識しているわけではなく無意識でそうなっているらしい。考えられるとすれば大魔王になったこと。仮の器ではなく本物の大魔王になったことでジェロの言うように守護する対象になったからかもしれないと全く嬉しくない昇進にルシアは辟易するもまだ問題はこれだけではない。
『くくく……どうしたどうした主様よ。顔面が蒼白になっておるぞ。せっかく大魔王になったというのにいつもより酷いではないか、情けない』
シンクレアという名の騒がしい共犯者達もまた変わらずその胸元にいるのだから。
「や、やかましいっ! 他人の気も知らねえで……儀式の時ぎゃあぎゃあ泣いてたくせに偉そうにすんじゃねえよ!」
『さて、何のことやら? 我には何のことかさっぱり分からんの。死んでおる間に幻聴でも聞こえたのではないか?』
「て、てめえ……」
『ふん、そんなことなどどうでもよい。それよりもまだジェロを連れて行くことに納得しておらんのか? 喜びこそすれ嫌がることなどなかろう』
くくく、という邪悪な笑いを漏らしながらマザーは自らの主の右往左往している姿にご機嫌だった。もはや儀式の時の姿は微塵も残っていない平常運転。むしろジェロの同行という予期していなかったハプニングによっていつも以上にハイテンションになってしまっていた。ジェロとはまた違った意味で頭痛の種が残っていたことを思い出し、ルシアは途方に暮れるしかない。
「お前……分かってて言ってやがるな。そもそも俺には護衛なんて必要ねえんだよ! お前もそう言ってただろうが!」
『ふむ、確かに今のお主に勝てる者など人間界にはおらぬ。いや、それは魔界も同じか……まあよい。ともかくお主が負けることなどあり得ぬがそれでも戦力を持っておくことは無駄ではない。一人では対応できぬことでもジェロがおればできることもあろう。しかもジェロは四天魔王。その力は身を以て知っておるはずじゃが?』
「そ、それは……でもジェロは四天魔王だろ? ならやっぱり勝手に魔界から連れて行くのはまずいんじゃ……」
「心配ないわ……私の領地はメギドに任せてあるし、二万年前からそうだったのだから今更何の問題もないわ」
「…………」
自らの職務を放棄している氷の女王のどこか誇らしげな言葉にルシアは言葉を失い、呆れ果てるしかない。わずかな光明すらその言葉によって遮られてしまう。間違いなく為政者としては落第のジェロに呆気にとられながらも同時に今もまた仕事を押し付けられているであろうメギドの同情を禁じ得ない。そのつもりはないがもし一緒に仕事をするときには負担を減らしてやろうとルシアは心に誓う。
『それともジェロが気に入らんというのか? なら他の四天魔王を連れて行けばよかろう。ウタ辺りなら喜んで着いてくるのではないか?』
『っ! そ、そうよ! その手があった……じゃなかったその方がきっといいわよ! 何もジェロにこだわる必要はないんじゃないから?』
『ん? バルドル、いたのか。城から出てから一言もしゃべっておらぬから死んだのかと思っておったぞ』
『何それ!? あたしが静かだと死んだことにされちゃうわけ!? いくらなんでも死んだりしないわ。それよりもやっぱりジェロ以外の四天魔王の方が……』
城を出てから一言もしゃべらずずっと絶望していた新たなシンクレアであるバルドルはまるで生き返ったかのように声を弾ませながらルシアへと提案する。もちろんルシアのためではなく全ては自分のため。ジェロがいては好き勝手ができない枷を何とかする最後のチャンス。もはやなりふり構っていられない事情がバルドルにはあった。だがそれは
「…………」
絶対零度にも近いジェロの眼光によって終わりを告げる。表情は何も変わっていない。だが確実にその瞳には殺意があった。短い間とはいえ共に旅をしてきたバルドルにはジェロがこれまでに見たこともないほどに怒りを露わにしていることが分かる。もしこの場にルシアがいなければ間違いなく絶対氷結によって氷漬けにされ、そのまま砕かれてしまうであろう光景が目に浮かぶほどの威圧感。
『……と思ったんだけどやっぱり決めるのはアキよねー。アタシハジェロガイイトオモウワヨ』
『……心中察しますが本音が駄々漏れですよ、バルドル。それはともかくアキ様、もし他の四天魔王が宜しいのでしたら再考することもできますが?』
「え? い、いや……それは……」
もはや魂が抜けたかのようなバルドルと変わらず無表情ながらもどこかいつもと違う雰囲気を纏っているジェロを見ながらルシアは一瞬で思考する。もはや四天魔王を連れて行くことは確定事項。だがその人選の余地は残されているらしい。しかしすぐさまそれが無駄なことを悟る。
まずはウタ。もはや考えるまでもない。自分の命を狙いかねない相手を連れて歩くなど正気の沙汰ではない。トラウマという点では実際に殺されているためジェロよりも酷い。あらゆる意味で連れて行くことなどあり得ない。
次にアスラ。謎が多い、直接接触したことが少ない存在だが何よりも意志疎通ができない点でアウト。DBマスターであるルシアであっても意志疎通ができないなど理解できないがずっとホムしか言わないじいさんと行動を共にするのは精神的な意味で擦り切れてしまいかねない。言葉にできない不気味さもその理由。
最後がメギド。これに関してはむしろこちらからお願いしたい程の存在。四天魔王唯一の常識人といっても過言ではない男。だがそれ故に最も連れて行くことができない存在。もしメギドを連れて行けば魔界が崩壊するだろう。比喩でも何でもなく本気で。というか魔界は彼一人で支えていると言っても過言ではないことがルシアが魔界に来て数日で看破した事実だった。
「……ジェロ、宜しく頼む」
ルシアは悟りを開いたかのような表情で告げる。もはや選択の余地はなかった。
「……ええ。もちろんよ」
ルシアの心中など知る由もないジェロもまた淡々とした口調で応えるだけ。しかしその言葉によってバルドルだけは絶望し、また黙りこんでしまう。ある意味ではバルドルにとって死刑宣告に等しいのだから。
『どうやら話はまとまったようですね……ですがマザー、本当にジェロを連れて行っていいのですか?』
『? 何を言っておる。我がジェロの同行を拒むわけがなかろう。奴がおればはっきりいってDCなどもはや必要ないのだからな。それに個人的にもその方が面白そうだ……くくく、見ろ、あのアキのざまを。これからはずっとあれが見れるのだぞ』
『……そうですか。確かに私は忠告しましたよ』
『ふふふ……あなたも絶望することになるといいわ……マザー。道連れよ、後悔しても遅いんだからね……』
『とうとうおかしくなったか、バルドル。キャラがヴァンパイアと被っておるぞ』
ぎゃあぎゃあと騒がしい自らの胸元に頭を痛めながらルシア達はようやく下山し、ゲートの使用可能な地域までたどり着く。体力的には全く問題ないのだが精神的にはさっさと帰って横になりたいレベルだった。しかしそういうわけにはいかない。戻ればすぐに状況を確認し、動かなければならない。何よりも第一に本部にいる人間であるレディ達にはジェロを紹介しておく必要がある。恐らく役職としては側近に等しい地位に着くのだから。だがそこでようやく気づく。ルシアはゲートを手にしたままただジェロを凝視する。正確にはジェロの全身を。もはやセクハラと言われてもおかしくない程。それがいつまで続いたのか
「…………ジェロ、お前その格好のまま着いてくる気か?」
ルシアはぽつりと、それでもはっきりと問う。その場にいる全員の視線がジェロの服装に釘付けとなる。そこに全く違和感はない。これ以上にないほどの完璧な肉体美とそれを際立たせる衣装にも似た服。だがはっきり言えば水着のような格好。今までそれが当たり前だと思っていたがゆえに気づけなかった当たり前の事実。
「ええ。何か問題が?」
さも当然とばかりにルシアの言葉の意味を解することなくジェロは応える。その瞬間、ある意味人間界の状況確認よりも優先すべきミッションが開始されたのだった――――
「……とりあえずここでいいか。おい、ジェロとりあえずここで適当に服を買うぞ、いいな」
「そう……私は別にこのままで構わないんだけれど。あなたがそう言うなら仕方ないわね」
ルシアは淡々と自分に着いてくるジェロを連れながらある場所に訪れていた。それは服屋。エクスペリメントにある店の一つ。言うまでもなくジェロの服を手に入れるために。
(流石にあの恰好で本部にいさせるのはヤバすぎる……っていうか間違いなく俺がヘンタイ扱いされちまう! それだけはごめんだっつーの!)
背中に嫌な汗を流しながらもとりあえず服屋までたどり着いたことにルシアは安堵するしかない。あの後、ジェロに他の服は持っていないのか問いただすも似たような服しかないという答えにルシアは絶望するしかない。何でもジェロは服には興味がなく、今着ている物も側近であった部下が選んできた物を無造作に着ているだけ。その部下のセンスに感謝すればいいのかどうか本気で悩みながらもルシアは直接DC本部に戻ることなくエクスペリメントの街へと移動することにした。本音としては一直線に本部に帰りたいところだが流石に今の姿のジェロを連れたままレディ達と対面するのはハードルが高すぎる。後のことを考えればどっちにしろ着替えは必要になるためルシアは数時間ではあるが先にジェロの服だけ入手することにしたのだった。
『何言ってるのよジェロ! あたしも前に言ったじゃない、そんな恰好で街中を歩くなって! っていうか何であたしの時はダメでアキの言うことは聞くの!? いくら何でもあんまりよ!』
「…………」
『え? また無視? まだこの仕打ちって続くの?』
『そんなことはどうでもよい。それよりもこの店はハートクロイツと言ったな。確かエリーが好きなブランドだったはずだが……』
「う……よ、よく知ってんな。他のブランドはよく分かんねえからな。ここならいろんな種類の服があるし……」
どこか楽しげに話しかけてくるマザーの姿にルシアは圧倒されるしかない。間違いなく実体化していれば目を輝かせているであろうことが分かるほどの興奮ぶり。人間の服のブランドを知り、それに興奮するDBなど世界中探しても間違いなくこいつしかいないと自らが持つDBの非常識さを改めて実感した形。
『くくく……読めたぞ、我が主様よ。お主、さてはエリーと同じ格好をジェロにさせようとしておるのだろう?』
「は? 何の話だ?」
『ふん、照れるでない。そんなにあの恰好が好きなら早く言わぬか。主がどうしてもというなら我もあの恰好を見せてやらんでもないぞ?』
「寝言は寝てから言え。それに今はジェロの方だ。考えるならジェロの方にしろ」
『むう……つれない奴め。だがエリーの恰好をしたジェロか……』
ふてくされながらもマザーはそのままじっとジェロを見つめながら想像する。脳裏にはエリーがいつも好んで着ていた服の数々。タンクトップにミニスカート。
「……ないな」
『……うむ、ないな。済まなかったな、主様よ。やはりあの恰好はエリーだからこそ許されるものらしい』
即答だった。普段絶対謝ることがないマザーですら謝ってしまうほどにその組み合わせ、コーディネートはあり得なかった。
『お二人とも、とにかくジェロにどんな服がいいか聞くのが先では?』
『それもそうか。おい、ジェロ。お主どんな服がいいのだ?』
「…………」
ようやく本人の嗜好を聞くという当たり前のことに気づいたシンクレア達はジェロに話しかけるもジェロは全く反応を示さない。店内を見ているわけではない。その意識はここではないどこかに向いているかのよう。
「どうかしたのか、ジェロ?」
「……いえ、何でもないわ。服は何でも構わない。あなた達に任せるわ」
「そ、そうか……それが一番困るんだが……」
『いいじゃない! ジェロもこう言ってるんだし、好きな服を着せてやればいいのよ!』
『だからといって無茶苦茶な服を選ぶのは無しですよ、バルドル?』
『そ、そんなことするわけないじゃない……あはは……』
まるで考えていることを言い当てられたのように動揺しているバルドルをよそにルシア達は店内を回りながら各々にジェロの似合う服を探していく。だがやはり女物の服選びのセンスなどルシアにあるはずもなく途方に暮れるしかない何とか選べた物はOLが着るようなスーツだけ。本部にいる時にレイナが着ている物を参考に選んだのだった。
『なんだそれは? 全くお主にはセンスというものが全くないな。女の服選びでスーツを選ぶなど……』
「うるせえよ! 本部に出入りすんだからこれでいいだろうが!」
『ふん、だからお主はエリーに愛想を尽かされるのだ。もう少し女心というものをだな……』
「ほう……いつも似合いもしねえ黒のゴスロリばかり着てる年増には言われたくねえな」
『なっ!? お、お主でも言っていいことと悪いことがあるぞ! それにそれはカトレアに似合わんと言っているようなものだぞ!』
「な、何言ってやがる!? カトレア姉さんは関係ねえ! そもそも姿は同じでもてめえの腹黒さがにじみ出てんだよ!」
『……よかろう。どうやら久しぶりに頭痛を食らわされたいようだな』
『そこまでにしなさい、マザー。自分の服の趣味がアキ様には合わなかったと素直に認めれば』
『ふん、時代錯誤の着物などを着ている貴様には言われる筋合いはないぞ』
『……いいでしょう。表に出なさいマザー。ここでいつかの決着をつけて差し上げます』
『ねえ、この白いフリフリの服なんてあたしに似合いそうだと思わない? ちょっとイリュージョン、この服ちゃんと記憶しておいてくれる?』
「お前ら自分の服の話になってんじゃねえか!? ちゃんとジェロの服を選びやがれ!!」
流石に我慢の限界だとばかりにルシアは大声を上げながらシンクレア達を黙らさんとするも全く無意味。今までは二つだったシンクレアが三つに増えたことで騒がしさは以前の三割増し、いや五割増しといったところ。ドSと清楚と天然。個性が強すぎてまとめることなどできない混沌。だがそれを止めることができる存在がいる。ある意味シンクレア達に対する天敵。その力を借りようと顔を上げるもようやくルシアは気づく。
「…………ジェロ?」
この状況の原因とでも言える氷の女王がいつのまにかいなくなってしまっていることに。同時に店内にいる女性客たちからの視線がルシアにだけ突き刺さる。そう、ジェロがいない以上端から見ればルシアは女性の服を選びながら誰もいないにもかかわらずずっと独り言を叫んでいる異常者なのだから。
声にならない叫びを上げながらルシアはここにはいない絶望によって絶望させられることになるのだった――――
「…………」
いつもと変わらない足並みでジェロはただ大通りを歩き続けていた。本来ならジェロの美貌とその服装によって周囲の視線を釘づけにしてしまうのだが今はそれがない。その代わりに周囲はざわつきに包まれつつあった。人々はまるで事件が起こったかのように騒いでいる。パトカーと警官がその中心に向かって集まって行き、無線や人々の声が響き渡っていく。銀行強盗が起こり、三人組の犯人が逃走しているという物騒な事態。しかしそれを耳にしながらもジェロは全く気にした風もない。それどころか今のジェロには騒ぎすら目には入っていなかった。
闇雲に散策をしているような雰囲気ではなく確かな目的を持ってジェロは歩き続ける。ソレが確かにいることをジェロは感じ取っていた。
大魔王の守護という役目を果たすためにわずかな危険も見逃すわけにはいかない。例えまだ敵ではないにしても今、ジェロが感じ取っている力は常人ではあり得ない、質で言えば感じたことのないようなもの。ジェロはただ機械のようにそれに向かって近づいて行く。
そこには一人の女性がいた。長い髪とドレスのような服を纏った美女。だが同じく美女であるジェロとは何もかもが対照的。見る者に癒しを与えるような柔らかさと優しさ、どこか母性を感じさせる雰囲気。
「見つけたわ……お前がそうね」
「…………え?」
女性は突然話しかけられたことによってようやくジェロの存在に気づく。瞬間、女性はまるで金縛りに会ったように目を奪われる。初対面のはずにもかかわらず女性は本能で悟った。ジェロが自分と同じ魔法という超常を操る魔導士であることに。
『癒しの魔導士 ベルニカ』と『絶望のジェロ』
今ここに、あり得ない癒しと絶望の邂逅が実現したのだった――――