ソング大陸最大の都エクスペリメント。普段なら夜と共に煌びやかなライトアップがなされ、多くの人々によって賑わう時間。だが今そこは完全な戦場へと姿を変えた。銀術兵器シルバーレイという存在によって。その脅威から逃れようと数えきれないほどの人々が街から避難せんと駆けるもそれは敵わない。シルバーレイと共にもう一つの脅威が彼らの前に立ち塞がる。
「くそ……一体どうなってるんだ!?」
「何やってる!? ちゃんと狙え!」
「やってるさ! でもあいつら弾が当たってるのに全然平気そうな顔してやがる!」
目の前の信じられない光景に街の治安を守る警察はただ狼狽し恐怖するしかできない。そこには無数の鬼と思われる集団がいた。まるで避難する人間をこの街から逃すまいとするかのように鬼達は攻撃を開始する。もちろん警察もそれに黙っていたわけではない。持てる力の全てを以て鬼達に対抗せんと奮戦する。だがその全てが通用しない。無数の弾丸が鬼達を貫くも全くダメージを与えることができない。まさに不死の軍団。その進軍を止めることすらできない。警察と避難する住民たち達は悟る。自分たちがどうしようもない絶望に囚われているのだと。そしてついに防衛線が突破されようとしたその瞬間
「風よ」
静かな声と共に全てが吹き飛ばされた。
「――――」
人々はただ目の前に光景に目を奪われていた。そこには白いコートを纏った一人の青年がいた。戦場であるこの場に現れたにも関わらず表情を全く変えることなく冷静さを感じさせる姿。だがそれだけではない。人々は同時に目にする。それはついそこまで鬼達がいた場所。そこには既に何もない。まるで全てを凄まじい暴風が削り取って行ったかのように。人々は悟る。間違いなく目の前の惨状を作り出したのが目の前に現れた青年であることを。恐らくは自分達を救うためにこの場にやってきたのだと。だが人々が青年に声を掛けるよりも早くさらに信じられない事態が起こる。
「ば、馬鹿な……」
「あいつら……不死身だってのか……?」
人々はただ恐怖する。青年によって倒されたはずの鬼達がまるでゾンビのように再生しながら再び立ち上がってくる悪夢のような光景。手足はもちろん中には頭すら切り離されたにもかかわらず全く意に介していないかのように鬼達は不敵な笑みを浮かべながら一歩一歩向かってくる。自分たちの常識が全く通用しない未知の存在。だがそれを見ながらも
「……あなた達は邪魔です。早くこの場から離れなさい」
全く気圧されることなく青年、ディープスノーは静かに告げる。この場から去れと。その言葉によってようやく我に返った人々はそのまま礼を述べながらその場を去って行く。人々は感謝した。自分たちの危機を救ってくれたことに。だが彼らは知らなかった。ディープスノーにとってこの街の人々のことなどどうでもいいいことを。ただ単純に自分に課せられた命令を遂行する上で邪魔になる。奇しくも口にした言葉通りの意味でしかないことを。何故ならディープスノーは新生DCの最高幹部六祈将軍の一人。本来なら人々を恐怖させる側の人間なのだから。
(とりあえず第一段階はクリアといったところですか……ですがやはり厄介ですね、ネクロマンシーというのは……)
避難民がこの場から離れて行くのを確認した後、ディープスノーは改めて目の前の鬼達と対峙する。その数は優に五十を超える。しかもその全てが鬼神の戦闘員であり中にはDBを持っている者もいる。だがそれ自体はディープスノーにとって大きな問題ではない。例え五十対一でもあってもその全てを殲滅することができる力がディープスノーにはある。六祈将軍の称号を持つ者の力。だがそんな彼を以てしても厄介極まりない力を鬼神達は有している。
『不死』
死者を蘇らせる反魂の術。それによって操られているネクロマンシー。彼らにはどんな攻撃も通用しない。その証拠に先程のディープスノーの攻撃も鬼達には通用しなかった。ゼロ・ストリームによる風の攻撃によって吹き飛ばされ、体を切り裂かれたにもかかわらず既にダメージどころかかすり傷も残っていない。まさに不死に相応しいデタラメぶり。しかしそれを前にしながらもディープスノーには恐れはない。何故なら目の前の事態など想定内。以前の帝国での戦いから既に分かり切っていたこと。先の攻撃も実際に自分の目で確かめるための物。そしてディープスノーは的確に自らの置かれた状況と任務達成までの道筋を見出す。
(確かに鬼達を倒すことは物理的には不可能……だが足止めをするだけならば十分に可能ですね……ですが)
目の前の鬼神達の足止め。それを果たすだけなら造作もないこと。確かに不死であることは厄介だがそれでも力の上では完全に格下の者達。それを足止めするだけであればディープスノーにとっては何の問題にもならない。十分に役目を全うすることができるだろう。
「ヨォ、やっぱあの時の兄ちゃんじゃねェか。まさか生きてるとは思ってなかったぜ」
それが目の前たちの鬼達であったなら。
「…………」
ディープスノーは自分に向かって掛けられた声の主に向かって静かに目を向ける。だが纏っている空気が既に先程までとは比べ物にならない程研ぎ澄まされている。だがそれは当然のこと。何故ならディープスノーはその声の主が何者であるかを知っていたのだから。奇しくも状況は数日前と酷似している。
「どうした、そんなに怖い顔しちまって。まるで幽霊を見たような顔だぜ。ん? そういえばオレもゾンビだし似たようなもんか?」
クチャクチャとガムを噛みながら男は愉しげに姿を現す。だがその男も鬼神達同様全く生気が感じられない。だがそれが当然だとばかりに馴染んでいる程。当たり前だ。ネクロマンシーとしては彼の方が鬼神達より圧倒的に格上なのだから。
『粉砕クッキー』
かつて世界を震撼させた最悪の殺人鬼でありドリュー幽撃団一の強者。文字通り全てを粉砕できる力を持つ存在が再びディープスノーの前に現れる。だがそれだけではなかった。
「なるほど……どうやら本当に六祈将軍らしいな。それが何故帝国にいたのかは分からないが……まあいい。邪魔者は全て皆殺しだ」
新たな声がもう一つディープスノーに向かって掛けられる。まるでディープスノーを逃がすまいとするかのように。クッキーに引けを取らない程の風格を持った鬼『ガワラ』鬼神の戦闘員の中で最強の存在。ドリュー幽撃団と鬼神、両組織のナンバー2が今、同時にディープスノーの前に姿を現していた。
だがそんな絶望的な状況を前にしてもディープスノーは冷静に今の状況を分析する。それはいくつかの疑問。一つがあまりにもこの場にクッキーたちが現れるのが早すぎること。ディープスノーがこの場にやってきたのはつい先程であるにもまるでこちらの動きが読まれているかのような手際の良さ。もう一つが先のガワラの口から出た六祈将軍という言葉。だがそれはあり得ない。ディープスノーは他の六祈将軍のように人々には知られておらず、クッキー達にとっては帝国兵であると思われているはず。にも関わらずクッキー達はまるで見抜いたかのようにディープスノーの正体を言い当てた。それはつまり
「……なるほど、どうやらあなた達の仲間には情報戦に長けたDBを持つ者がいるようですね」
情報戦に向いたDBを持つ司令塔となる者が存在しているということ。恐らくは戦場の様子や個人の情報を盗み見とれるような能力。それならば帝国やここエクスペリメントで見せたあり得ないような手際の良さに説明がつく。だが逆を言えばそれを倒せば鬼神達の統率、連携を崩すことができるということ。ディープスノーにとっては最優先で排除しなければならない存在。だが
「フム……どうやら頭も回るらしい。流石は六祈将軍と言ったところか。だがこの状況でそれが分かったところで何の意味もない。お前はこれからここで死ぬんだからな」
それは目の前の二人をどうにかしない限りは不可能。ガワラは余裕の表情を崩すことなくその拳に力を込める。指には指輪に模した一つのDB。『ストーンローゼス』触れた物を石化させるオールクラッシュにも引けを取らない能力をガワラは持っている。
「ま、そーいうことだ。それにしてもどうして六祈将軍が民間人を守ってるわけ? いつからDCは正義の組織になったんだ?」
既に臨戦態勢のガワラとは対照的にふざけた態度を崩さないクッキーはある意味当然の疑問を口にする。何故悪の組織であるDCが民間人の避難を援護するような真似をしたのか。
「……私にとってはDCが悪だろうが正義だろうが構いません。私はルシア様にこの場を任された。それだけです」
クッキー達の疑問を前にしながらもディープスノーは全く動じることなく即答する。DCが悪の組織であることは周知の事実。現にかつてのDCは世界征服を目論み、新生DCはそれを受け継いだかのようにシンクレアを集めている。間違いなく悪と断じられるべき組織。だがそんなことはディープスノーにとってはどうでもいいこと。例えDCが俗に言う正義の組織だったとしてもディープスノーは変わらずその忠義を貫き通すだけ。かつては自らの父であり敬愛するキングのために。そして今はその血を受け継ぐ存在であるルシアのために。それこそがディープスノーの全て。それがたまたまDCであっただけ。単純な、それでもこれ以上ない行動理念。
「オーオーかっこいいねェ。でもそのルシアってのももう殺されちまってると思うぜ。シルバーレイを止めに行ったみたいだけどあそこにはオウガちゃんがいるからヨォ」
「……! オウガが……!?」
「そういうことだ。総長がいる以上誰もシルバーレイには近づけん。残念だったな」
クッキーはまるで小馬鹿にするように告げる。クッキー達は既に仲間であるヤンマの能力によってルシアがシルバーレイに向かっていることを知っていた。しかしクッキー達に焦りはない。何故ならシルバーレイの護衛には鬼神総長であるオウガがついているのだから。シンクレアを失った今でもその力は健在。むしろ不死になったことで力を増したと言っても過言ではない。故にクッキー達はシルバーレイの護衛ではなく避難をする者たちの足止め、それを邪魔するディープスノーを排除するためにここにやってきていた。六祈将軍という大物を逃がすまいとするために。だが
「……そうですか」
「オ? 思ったよりも冷たいねェ……自分のとこのリーダーが危ないってのに」
「逆です。情けない話ですがオウガがいれば流石に私一人ではどうしようもありませんでしたから……」
ディープスノーは自らの王であるルシアの危機を知らされても全く動じることはない。本来なら主の危機に動揺し、援護に向かうべき場面。だがディープスノーには確信があった。今のルシアであればオウガが相手だとしても後れを取ることなどあり得ないと。同時に自らに課せられた鬼神達の足止めという任務を達成できる可能性が不本意ながらも高まった。もしオウガもこの場にいたのなら足止めは命を捨てたとしても長くは保たなかったのだから。
「……妙なことを言う。お前達に勝機は全くない。なのに何故この場に留まっている? お前一人なら逃げ出すことも不可能ではなかったろうに」
「モノ好きな奴だねェ……せっかく助かったってのに自分から死にに来るなんて。悪いけど前みたいに瞬間移動では逃げれねェヨ? 足止めなんて無駄なことあきらめてさっさと降参した方が身のためだ。ま、もっとも生かす気はこれっぽちもないんだけどヨォ」
理解できないと言った風にクッキー達はディープスノーを嘲笑う。数日前の帝国戦において自分たちの力はその目にしているはず。にも関わらずのこのこと再び自分たちの前に現れた愚かさ。例え万が一足止めができたとしても結局はシルバーレイによって消滅させられてしまうだけ。何の意味のない戦い。だが
「……心配には及びません。もはやシルバーレイが使われることはありません。それと一つ、間違いを正しておきましょう……」
ディープスノーは被っていた帽子を脱ぎ捨てながら宣言する。シルバーレイが使われることはあり得ないと。それはつまりルシアがオウガもシルバーレイも止めるということ。ディープスノーの瞳には全く恐れはない。ただあるのはルシアへの絶対の忠誠と信頼だけ。同時にディープスノーはこれまで感じたことのないような感情に支配される。それは高揚感。まるで昂ぶっているかのような感覚。常に冷静沈着、戦闘は作業でしかない彼にとってそれはあり得ないこと。だがそれが今起こっている。
一つが今の状況、一度自分が敗北してしまった相手との再戦だということ。ルシアによっては咎められなかったとはいえ敵前逃亡にも近い形で生き残ってしまったことはディープスノーにとってはこれ以上ない屈辱。その汚名を返上できる機会が巡ってきたことによるもの。
そしてもう一つ。それは先程のルシアとのやり取り。自分に死地に行けと命じた時の言葉。ディープスノーは知らずルシアによって触れられたその肩に手を置く。ディープスノーはルシアがどこか最高司令官を演じていることを知っていた。しかし特段それはおかしいことではない。人の上に立つ上では誰しもが行っていること。だがそれでも自分に対する負い目のような物がルシアにはあった。それが何故なのかディープスノーには知る由もない。そんな中であっても先程のやり取りは今までの物とは明らかに違っていた。
『……頼んだぜ、ディープスノー』
全く違和感も気兼ねも感じられない純粋な自分への言葉。まるで初めて自分の名前を呼んでもらえたかのような感覚。だがそれをディープスノーは覚えている。ルシアにとって自分がどんな存在なのかは分からない。だが確かにディープスノーは感じ取った。人のぬくもりを。かつて父であるキングによって抱かれた時に感じた忘れることができない感覚を。それがディープスノーに雪のような冷たい心に火をつける。
「あなたちは今、ここで私に『倒される』……それだけです」
足止めではなくこの場でお前達を倒す。不死であるネクロマンシーに対する宣戦布告。瞬間、ディープスノーにとっての自らの心と命を賭けた戦いが始まった――――
「クラッシュキーッコォー!!」
叫びと共に凄まじい勢いでクッキーの蹴りが繰り出される。上空から地面に向かって落下するような軌道を描いたそれをディープスノーは間一髪のところで体を翻し回避する。だが同時にクッキーの攻撃によって地面のアスファルトが跡形もなく粉々に砕け無に帰していく。それこそがクッキーが持つDB『オールクラッシュ』の力。触れたもの全てを粉砕する力を得たクッキーはまさに無敵の殺人鬼。例え掠っただけでも致命傷となる一撃必殺。触れることすら許されない死神。だがそれだけではない。
「KILL(殺す)」
その隙を逃さないとばかりにもう一人の死神がディープスノーに間髪いれずに襲いかかる。鬼神遊撃隊長ガワラ。鬼神の戦闘員の中で最も優れた戦闘力と防御力を兼ね備えた鬼。その拳が繰り出されるも体を捻ることによってディープスノーはそれを躱す。まさに神技と言ってもいい反応と速度。だがその纏っているローブが拳に触れた瞬間、まるで石になってしまったかのように姿を変えて行く。
「っ!」
ディープスノーは大きく跳躍し、距離を取りながらもすぐさま纏っていたローブを破り捨てる。瞬間、ローブはその全てが石へと変わり果て衝撃によって粉々に砕け散る。あと数秒遅ければディープスノーもそれによって石化させられてしまっていただろう。
(なるほど……これは思っていた以上に厄介ですね……)
ディープスノーは一度大きく深呼吸しながら改めてクッキーとガワラと対面する。攻防は一瞬ではあったもののディープスノーは目の前の二人が六祈将軍に引けを取らない程の実力者であることを感じ取っていた。何よりも厄介な点が両者とも触れることで発動する一撃必殺のDBを有していること。故に肉弾戦は不可能。相手の攻撃は全て回避するしかない。だがそれは至難の業。二対一と言う状況に加え相手は不死の体。だがそれをディープスノーは成し遂げていた。それは
「それにしても兄さん、ほんとにやるねェ……っていうかゾンビのオレがいうのもなんだけどホントにあんた人間かい?」
「確かに。先程の反応といい、動きといい明らかに常軌逸している。人間どころか亜人すら超える身体能力だ」
五十六式DB。ディープスノーの体に埋め込まれているゼロ・ストリームではないもう一つの切り札。限界以上の身体能力を引き出す生物兵器の力によってディープスノーは何とか二人の猛攻に対抗していた。本来ならそれはキングによって禁じられていた物であり使うことができないもの。だが今、ディープスノーはそれを最初から使っていた。そうしなければ対抗できない程に目の前の二人の力は凄まじいのだから。
一つはその能力。粉砕と石化。それがある以上ディープスノーは全ての攻撃を避けるしかない。五十六式DBの力がなければそれは不可能。
もう一つが不死の力。どんな攻撃を受けても再生する身体とは別の利点。疲労がないという生物の範疇を超えた反則。つまりクッキーとガワラは全力の動きを常に続けられるということ。ある意味では限界以上の身体能力を行使できるディープスノーと同質の力。その証拠に普通ならついてこれないであろうディープスノーの動きに二人はついてきている。今はディープスノーの方が上だが時間が経つにつれてその天秤はクッキー達に傾いていく。
「ま、とりあえず頑張ってみなよ。粉々か石になるか、好きな方を選んでくれや」
無言のまま応えることのないディープスノーに呆れたのかクッキー達は再び二手に分かれながらディープスノーに襲いかかって行く。挟撃という戦法、二対一という状況を利用したもの。ドリュー幽撃団と鬼神、水と油のような両者であるがこと戦闘においては甘さはない。触れることができない最強のタッグが今、この場に完成していた。
「っ! 風よ―――!」
目にも止まらぬ高速移動を行いながらディープスノーは指を振るい風を操りながらクッキーへと放つ。それこそが流れを操る六星DB『ゼロ・ストリーム』の力。遠距離戦というクッキーの能力に対抗し得る唯一の攻撃手段。カマイタチにも似たそれは地面を切り裂きながらクッキーへと襲いかかって行く。避けることができない完璧なタイミング。だが
「甘ええええ!!」
あろうことかクッキーは自ら風の中に突っ込みながらディープスノーへ向かって行く。だが風によってその右腕が斬り飛ばされるも瞬時にそれは再生され元に戻ってしまう。不死であるネクロマンシーの恐ろしさ。それは自らの負傷を気にすることなく捨て身の攻撃を行えること。十五年以上死者として戦い続けてきたクッキーには既に恐怖は存在しない。
「くっ……!」
「どうした、動きが鈍ってきているぞ」
全く怯みを見せないクッキーに圧倒されながらもディープスノーはバックステップをしながら拳の連撃を躱していくことしかできない。だがそれだけではない。その背後からディープスノーの隙を狙わんとガワラもまた拳によって襲いかかってくる。前後を取られた躱しようがないタイミング。だがその瞬間、まるで地割れが起こったかのような衝撃が二人を襲う。それは
「水よ―――!!」
大量の水のしぶき。まるで生き物のように水が荒れ狂いながらクッキー達を飲みこんでいく。それこそがディープスノーの狙い。風によって地面に亀裂を作り出し、地下にある水道から自らの武器足り得る水を確保すること。それを為し得る力がゼロ・ストリームにはある。風はその力の一部に過ぎない。流れるものの全てがディープスノーの武器。水もまたその中の一つであり切り札。突然の奇襲によって二人は水によって飲み込まれていく。その規模と威力は滝にも匹敵する。何人であれ抗うことができない水力。だが
「風の次は水かい? 中々面白いもの見せてくれるじゃないの。お次は火でも見せてくれるのかな?」
「不死のオレたちには何も通用せん。もっとも水は鬼には元々通用しないがな」
それを受けながらも全く気にした風もなくクッキーとガワラは水の中から姿を現す。生前の彼らであれば水力で圧殺することも溺死させることもできた。だがその全ては通用しない。まさに無敵の存在。
「…………」
「どうだ、震えたかい。ま、運が悪かったと思ってあきらめるんだな。生身の人間にしては頑張ったと思うぜ」
「悪いが後も控えているんでな。そろそろ終わらせてもらう」
既に万策尽きたかのように無言のままのディープスノーは見ながらももはや容赦はないとばかりにクッキーとガワラは全力を以て動き出す。その拳によってディープスノーを粉々にせんとするために。戦闘開始から既にかなりの時間が経過している。その証拠に辺りはクッキーの能力によって破壊しつくされ、ディープスノーは逃げ場のないビルの中へと追い詰められている。ここでは動きが制限される上に風を操る力も半減。さらに万が一も考えビルの中には残る戦闘員たちも待機している。まさに逃げ場のない処刑場。
「確かにこれではもう逃げ場はなさそうですね……」
ディープスノーはぽつりと呟く。絶体絶命の危機にもかかわらずそこかそこには他人事のような冷たさがある。既に疲労によって体は限界を超え、いつ倒れてもおかしくないような有様。自らの攻撃は一切通じず、敵の攻撃は全て避けなければならないという圧倒的不利の状況で戦い続けた代償。それは戦いですらない。一方的な蹂躙。
「それが遺言かい。悪いけど葬式はできねえヨ。死体も残らないからな―――!!」
「これで最期だ。六祈将軍!!」
クッキーとガワラ。二人はそのまま同時にディープスノーに迫る。既に退路はない。ゼロ・ストリームの風も水も通用しない。五十六式DBによる身体能力も通用しない。逃げ場のない最期の瞬間。だが彼らは知らなかった。この状況こそがまさにディープスノーによって作られたものであることを――――
「なっ――――!?」
それは一体誰の声だったのか。それが分からない程の刹那。だがクッキーは確かに見た。それは自らの拳。それが受け止められている。誰に。そんなことは口にするまでもない。ディープスノーによってクッキーは拳を止められている。その手によって。だがそれはあり得ない。自分に触れることは何人にも不可能なのだから。『オールクラッシュ』という無敵のDBがある限りクッキーの拳を止めることなどできない。だが今目の前にはそのあり得ない光景がある。自分だけではない。拳を止められているのはガワラも同じ。その表情も驚愕に満ちている。奇しくもそれは同じ理由。
ディープスノーの体が粉々になることも石化することもなく健在であるということ。
だがそんなことがあり得るのか。確かにディープスノーはクッキーとガワラの拳を両手で受け止めている。しかもまるで逃がすまいとするかのように拳を離すことなく。DBが発動していないわけではない。確かにオールクラッシュもストーンローゼスも力を発揮している。それはつまり二つのDBを遥かに超える力が今、ディープスノーの体を支配している証。
「言ったはずです……私はあなた達を『倒す』と」
瞬間、凄まじい力の奔流が辺りを包みこんでいく。二人は知らなかった。今、ディープスノーの身に何が起こっているのか。だがその視線が確かに捉える。ディープスノーの額に飾られている六星DB。それが凄まじい光を放っていることを。
『再生』
それが今、ディープスノーが使っている能力。オールクラッシュもストーンローゼスも能力を発揮していないのではない。ただ単にそれがディープスノーの体を侵食するよりも早く再生されているだけ。だがそれはただのDBではたどり着けない領域。シンクレアの一つであるアナスタシスと全く同じ頂き。
ゼロ・ストリーム。流動の六星DB。流れるものを操る能力。それは水であり、風であり、敵の血液さえも例外ではない。そしてその極みこそが『時間』の流れを操ること。今、ディープスノーはアナスタシスの再生と全く同質の力を身に纏っていた。
「っ! それがどうしたってんだ! 例えオレ達の力が通じなくてもオレ達は不死だ! お前をそのまま引き裂いちまえば―――」
クッキーは驚愕しながらもすぐに残された左の拳によってディープスノーを打ち抜かんとする。それに合わせるようにガワラもまた動き出す。それは正しい。例え能力が通じなくとも不死であるクッキー達が敗れることはあり得ない。持久戦に持ち込めばディープスノーに勝ち目はない。だが彼らは知らなかった。ディープスノーの、ゼロ・ストリームの極みがまさに自分たちにとっての天敵であったことを。
「―――――」
二人にはもはや声を出すことすら許されていなかった。二人はただ呆然とその光景に目を奪われるだけ。自らがディープスノーによって掴まれていた手から消滅していく光景に。まるで体が灰になって行くかのように全てが消え去って行く。だがそれは消滅ではない。ただあるべき姿に戻っているだけ。
『時間逆行』
それが再生の本質。その力が死者である二人に襲いかかって行く。そう、自分たちがネクロマンシーとして復活させられる前の姿まで戻されていく。だが生者が死者になることはできてもその逆はあり得ない。時間の流れに抗うことはできない。二人にあるのはただ恐怖のみ。同時にようやく思い出す。死というかつて体験した絶対の恐怖を。
時間という流れるものの中で最高位に位置する禁じられし領域。だがその領域にディープスノーは二つのきっかけによって辿り着いた。
かつて自らの右腕をアナスタシスの力によって再生されたこと。その経験と感覚。そして
「ルシア様のために私は負けられない……あなた達の負けです」
ルシアのために。自分の身を案じ、言葉と温もりをくれた恩に報いるために自らの限界を超えたディープスノーの真の力。それによって二人の死者は元の物言わぬ骸へと変わり、消え去って行った――――
「お、おい……どうなってんだ!? 何であの二人が消えちまったんだ!?」
「し、知らねえよ! オレ達不死身になったんじゃなかったのかよ!?」
自分たちより格上であり、隊長であるクッキーとガワラが消滅してしまうというあり得ない事態に周りを取り囲んでいた鬼達は恐怖し、狼狽することしかできない。当たり前だ。不死であるはずの仲間が目の前で消滅させられてしまったのだから。しかもまだディープスノーは健在。その光景に鬼達が戦意を喪失しかけた時
「お前ら、何ビビッてやがる!? あいつにはもう力は残ってねえ! オレにはそれがちゃんと見えてる! 今がチャンスだ……六祈将軍を討ち取ったとなれば昇進間違いなしだぜ!」
まるで勝機を得たとばかりに高笑いと共に新たな鬼がその場に姿を現す。スキンヘッドにサングラスをかけたヤンマと呼ばれる鬼。ヤンマはそのまま戦意を失いかけた鬼達をけしかけて行く。だがそれは何も勝算がない強がりではなく勝機があってのもの。
(くくく……確かにあの力は予想外だったがオレにはバッチリ見えてるぜ。お前にはもう力が残ってないってことがよ……!)
ヤンマは邪悪な笑みを見せながらも自らの武器を手にとる。本来ならヤンマは戦闘員ではなく後方で部隊を指揮する立場。彼がこの場に姿を見せたのは功名心。六祈将軍を倒したとなれば昇進は間違いない。加えてそのサングラス型のDBでヤンマはディープスノーの状況を見抜いていた。既にその六星DBに力が残っていないこと。恐らくは先程の力を使った代償。さらにディープスノー自身の体力も限界。再生の力が使えない以上もはや恐れることはない。他の鬼達もそれに気づき、息を吹き返したかのように我先にとディープスノーに襲いかかって行く。だがそんな中にあってもディープスノーは全く身動き一つしない。肩で息をし、今にも倒れそうな状況にも関わらずただ真っ直ぐに自らの足元に視線を向けている。
(何だ……? 一体何を考えてやがる……?)
ヤンマはその姿に疑問を感じ、攻撃を止めそのまま自らの持つDBの極みを見せる。
『千里眼』
その名の通り全てを透視する力。その極みが読心。相手の思考すらも盗み見ることができる能力。一定の距離まで近づかなければならない制約はあるもの使いようによっては凄まじい効果を発揮するもの。それによってヤンマはディープスノーの思考を覗き見る。だが
「言ったはずです……『あなた達』の負けだと」
「―――っ!? お、お前最初から―――!?」
それはあまりにも遅かった。ヤンマが声を上げるよりも早くディープスノーの残る全ての力を込めた拳が地面を砕く。瞬間、全てが崩れ去る。床が、壁が、柱が。まるで積み木細工を壊すように呆気なく全てが崩壊していく。ヤンマは、鬼達は気づくのが遅すぎた。今この状況、ビルの中に自分たちがいる状況こそがディープスノーの狙いであったことに。
『ビルの崩壊によって鬼達全てを下敷きにすること』
それこそがディープスノーの作戦。帝国での敗戦から導き出した死者に対抗するための奇策。確かに死者は不死身であり倒すことはできない。だがあくまでもそれは倒すことが前提。体を持つ以上物理的な攻撃を無効化できるわけではない。つまりビルの残骸という大重量によって体の動きを封じられればいかに死者といえどもひとたまりもない。死ぬことはなくとも、死ぬことができないからこそ生き埋めになるしかない。
瞬間、高層ビルは跡形もなく崩壊し、鬼達とディープスノーはその下敷きとなり姿を消していく。
鬼達の敗因。それはディープスノーを帝国から逃がしてしまい、対策を練る時間を与えてしまったこと。同じ相手に二度負けることを許さない、同じ失態を繰り返さないというディープスノーの執念と忠義。
それがこの戦いの終わり、そしてディープスノーの勝利だった――――