ソング大陸最大の都エクスペリメント。人口十万を優に超える大都市の中心部にある一つのビルの最上階、現在は新生DC本部である場所に一人の少年がいた。金髪に黒一色の服、だが目を引くのは胸元にある二つの石。だがそれは唯のアクセサリではない。シンクレアと呼ばれる魔石であり、世界を崩壊させる程の力を持つといわれるもの。それを操ることができる少年もまた常軌を逸した力を有している。
『ダークブリングマスター』 『金髪の悪魔』 『DC最高司令官』
聞けば誰もが恐怖によって身を振るわせるほどの異名を持つ少年、ルシア・レアグローブ。だがそんなルシアの姿は明らかにいつもと異なっていた。
「…………」
ルシアは自らのデスクの前で腕を組み、顔を俯かせたまま微動だにしない。その表情は前髪によって伺うことができない。だがそれがいらだちを示していることは誰の目にも明らか。その証拠に部屋には凄まじい重圧とでもいえる圧迫感が充満している。もし一般人がその空間にいれば卒倒してしまうほどの威圧感。DC最高司令官に相応しい圧倒的な強者のみが持つことができる風格。だがそれを受けながらもその場に留まる事ができるもう一人の人物がその場にはいた。
「……申し訳ありません、ルシア様。命を救って頂いたにも関わらず何の役にも立つことができず……」
ルシアの前で跪きながら白いコートを身に纏った青年が口にする。彼の名はディープスノー。DC最高幹部六祈将軍の一人であり帝国のスパイを行っていた人物。だがディープスノーの言葉の節々にはおよそ冷静沈着な普段の姿からは想像できない感情が見え隠れしている。それは苦渋、自らが失態を晒したしてしまったことに対する悔しさ。そうなってしまうほどの事態がつい数日前にディープスノーの身に巻き起こった。
『帝都崩壊』
世界最大国家である帝国が一夜にして崩壊する悪夢のような事態。その場にディープスノーは居合わせたもののネクロマンシー、不死となってしまっている鬼達には対抗することはできず、その戦力を削るという本来の役割を果たすことができずそのままシルバーレイという兵器によって帝国本部は消滅させられてしまった。帝国のスパイとして長年潜伏してきたにもかかわらずその役割を全く果たせなかった形。何よりもディープスノーが己のふがいなさを感じているのが自らがルシアによって救われたこと。本当ならシルバーレイの攻撃によって死ぬはずだったにも関わらずディープスノーは一命を取り留めた。ルシアの持つDBの一つ、ワープロードの力によって。鬼神が帝国に奇襲をかけてきた一報を聞きつけたルシアが状況の確認のためにディープスノーをワープロードによって召喚したことによってディープスノーは九死に一生を得た。もしあと数秒遅ければ間に合わなかったであろうタイミング。だがディープスノーにとっては己の命が助かったことよりも自らの醜態を主であるルシアに晒してしまったことの方が問題だった。
「……いや、気にするな。おかげでドリュー達とシンクレアの現状が分かったんだからな」
だがそんなディープスノーをねぎらうかのようにルシアは告げる。ルシアにとってはディープスノーが無事でいてくれたことが何よりの幸運。例え再生を司るアナスタシスを持っていたとしても死者蘇生は不可能。そしてドリュー達の情報を持ち帰ってきてくれたことはむしろ賞賛に値する。帝国のスパイとしての役割を十二分に果たしてくれたと言えるだろう。だがそんなルシアの言葉を受けながらもディープスノーはそのまま沈んだ様子でその場にとどまったまま。忠義の騎士である彼にとっては自らの失態を晒したことはどうしても許せないこと。そしてルシアの苛立ち、焦りのようなオーラが未だに収まっていないことが余計にそれを際立たせていた。だがそれは決してルシアがディープスノーを咎めているわけではない。ただ単純に今起こっている事態を前にして現実を受け止めることができないだけ。
『ふう……なあ、マザー。俺、これからどうしたらいいかな……?』
『とうとう考えることを放棄したか……気持ちは分からんではないがそろそろ正気に戻ったらどうだ。気つけに頭痛をくれてやっても構わんぞ』
『それもいいかもな……できれば数日起きれないぐらいの奴を頼む……』
『……重症だな。流石の我もドン引きのレベルだぞ。アナスタシス、お前も何とか言わんか』
『……アキ様、そろそろこちらに戻ってきてはいかがですか。今は六祈将軍も前にいるのですからいつまでもこのままでは……』
『…………ああ、そうだな。ちょっと現実逃避したかっただけだ。ま、ある意味いつも通りと言えばいつも通りだしな。気にすんな……』
『全く……いつものように右往左往するならともかくそんな風に意気消沈されては面白くもなんともないぞ。もっと派手に慌ててくれなければ面白くないではないか』
『てめえ……後で砂漠に送りこんでやるから覚悟しとけよ』
あまりにもあんまりな現状から目を逸らし、現実逃避をしていたもののそれすらも許されないのが今のルシア。それを気遣ってくれるアナスタシスとは対照的にマザーはまるでもっと盛り上げろといわんばかりの態度。要するにいつも通りの流れ。やること為すこと裏目に出る、計画通りに事が進まないのはもはやルシアにとっては当たり前。一種の様式美。ちょっとやそっとのことでは動じない程の経験と言う名の理不尽をルシアは乗り越えてきた。だがそんなルシアをしても現実逃避をせざるを得ない程の事態が今、世界で起きていた。
(一体何が起きたらこんなことになるんだよ!? 原作崩壊とかそんなレベルじゃねえ……もはや別物みたいな最悪の状況じゃねえか!?)
ルシアは脳内で頭を抱え、机に頭をぶつけながらどうしようもない現状に喚き散らすしかない。今までルシアは様々なイレギュラーに対応してきた。キングの六祈将軍召喚、BGとの戦争、覆面の男と超魔道シャクマの乱入。小さな物も合わせればそれ以上の数の不測の事態。だが四苦八苦しながらもルシアは何とかそれを乗り越えてきた。だが今回のそれは今までの比ではない。
ドリューがオウガを倒し、シンクレアを二つ手に入れたこと。
ルシアが考えもしなかったある意味最悪の状況。ドリューがヴァンパイアに加えてラストフィジックスまでも手にしてしまったことがルシアにとってはどうしようもない言わば詰みに近い状況だった。
『しかしドリューとかいう奴も二つシンクレアを手にしているとはな……』
『恐らくアキ様が私達を持っていることに対抗するためでしょう。元々ドリューという者がヴァンパイアとラストフィジックス、どちらを手にしていたのか分かりませんが……ともかく二つ持っているのは間違いないでしょう』
『ふむ……我はヴァンパイアの奴がドリューに仕えていると見た。あやつは性根が腐り切っておるからな。ネクロマンサーという根暗そうな術を使うなどあやつの好みそうなタイプだ』
『あ、あなたは……間違ってもヴァンパイアの前ではそんなことは口にしないで下さい。面倒なことになるのは目に見えているのですから』
『ふん、それを抑えるのはお前の役割だ。今頃ラストフィジックスと一緒になってストレスを溜めておるだろうからな。子守は奴には荷が重いであろう』
『……あなたも他人のことは言えないと思いますが』
およそ理解できないシンクレアの井戸端会議が行われているもののルシアには全くその内容は頭には入ってはいなかった。そんな余裕は今のルシアにはない。ドリューが二つのシンクレアを手にしてしまったことの意味を誰よりも理解しているからこそ。
(ラストフィジックスを持ったドリューなんて反則にも程があんだろうが!? どうやっても今のハル達じゃ勝ち目がねえ……)
『物理無効』
それがラストフィジックスのシンクレアとしての能力。単純であるがゆえに強力無比な最強の一角。その脅威をルシアは知っていた。この能力の前では今のハル達では手も足も出ない。TCMの能力は剣である以上その大半が物理攻撃でありラストフィジックスの前では通用しない。能力の上では真空の剣や双竜の剣など物理以外の能力もあるがあくまでそれは補助であり直接敵を倒せる威力ではない。ネオ・デカログスを持つルシアであればいくらでも方法はあるが今のハルでは打つ手はない。切り札足り得る太陽の剣も光属性ではあっても剣である以上通用しない。ムジカとレットに至ってはほぼ全ての攻撃手段が物理であるため手の打ちようがない。例え魔導士であるジークがいたとしても勝機は薄い。ドリュー自身が魔王に相応しい闇魔法の使い手であるにも加えヴァンパイアの引力支配の能力もあるため生半可な魔法は通用しない。まさに死角のない完璧な原作を超える魔王が誕生してしまっていた。
『何だ、怖気づいたのか主様よ。情けない、例え奴らがいたとしても我らの敵ではないというのに……』
『…………』
『アキ様、恐れることはありません。確かにヴァンパイアとラストフィジックスの力は侮ることはできませんが私達の力もそれに劣るものではありません。となれば後は担い手の強さの勝負。アキ様なら四天魔王級でないかぎり後れを取ることはありません』
『ふん、小難しいことは抜きにしても今のお主なら例えバルドル以外のシンクレア全てをドリューが持っていたとしても問題ない。我だけいれば十分だ』
意気消沈しているルシアに気づいたようにマザーとアナスタシスが次々に言葉をかけてくるもルシアの様子は変わることはない。それはアナスタシスの勘違い。ルシアは決してドリューと戦うことを恐れているわけではない。もちろん戦うことがないならそれに越したことはないというヘタレ思考ではあるが戦って易々と後れを取るほどヤワな経験をしてきたわけではない。確かにラストフィジックスは脅威ではあるがルシアであれば対抗手段はいくらでもある。ネオ・デカログスであれば十分にドリューを瞬殺できる威力がある。ヴァンパイアの極みは油断できないがそれと同じようにルシアにはマザーの極み、次元崩壊がある。上回ることができなくとも最悪相殺することはできるはず。加えてアナスタシスという回復手段もある。負ける要素はほぼない。ドリューと戦うことになってもルシアは問題ない。だがそれよりも大きな問題がルシアにはあった。それは
(ダメだ……! ドリューを倒しちまったらシンクレアが四つ揃っちまう……!)
ドリューを倒した後。二つのシンクレアを手に入れてしまうこと。すなわち四つのシンクレアが揃ってしまうこと。それがルシアがドリューと戦えない最大の理由だった。
(いや……それだけじゃすまねえ……魔界に行けば五つ目のシンクレアも手に入っちまう……そうなっちまったらどうしようもねえ……)
心の中で顔面を蒼白にしながらルシアは考えられる限りで最悪の展開に身を震わすことしかできない。既に四天魔王に認められている以上魔界に行けば五つ目のシンクレアもすぐに手に入ってしまう。残る一つになってしまった時点でどんな言い訳もマザー達には通用しないため引き延ばすこともできない。そうなれば世界はおしまい。そうなることを避けるために最悪でもルシアはヴァンパイアをハル達に手に入れてもらうつもりだった。欲を言えばラストフィジックスも手に入れてほしかったのだがレイナを救うためにルシアはオウガだけは倒すつもりだったのでそれはあきらめていた。だが状況は大きく変化した。オウガは敗れ、二つのシンクレアがドリューの手に渡ってしまった。もしそれを倒してしまえば二つのシンクレアを手にしてしまうのは道理。どう言い訳しても手に入れない選択肢はない。ハル達がドリューを倒してくれれば何の問題もないが今のドリューをハル達が倒すことは実質不可能。それを放置すればハル達が全滅してしまう。しかも加えてオウガ達もネクロマンシーとして復活している。ディープスノーの報告によれば不死の存在。ある意味ラストフィジックスを持っていた時よりも強くなっているといえる。止めがシルバーレイの存在。原作では使用されることはなかったシルバーレイも既に使用されドリューの手の中にある。場合によってはそれによってハル達は全滅させられることもあり得る。
(……ん? ちょっと待てよ……俺、何か大事なこと忘れてるような気がするんだけど……)
これ以上ない混乱状態の中、ルシアはふと思考を止める。まるで何か忘れてはいけない大事な何かを忘れてしまっているかのような感覚。ある意味気づいても当然にもかかわらずそれ以上の事態の連続でかき消されてしまっている、喉まで出かかるも出てこない何かルシアは困惑するしかない。これ以上自分にとって都合の悪いことなど起こりようがないというのに。だがそんなルシアの考えは
「し、失礼します! ルシア様、至急お伝えしたいことが……!」
慌ただしさと共に部屋に現れた側近であるレディによって粉々に砕かれてしまった――――
「……これはいつのことだ」
「はい……数時間前のことだということです。恐らく今は既にサザンベルク大陸、ドリュー幽撃団と接触している可能性が……」
「…………そうか」
ルシアはただ黙りこんだまま目の前にある報告書、資料に視線を向けたまま。そんなルシアの今まで見たことのない常軌を逸した気配にレディはもちろんその場に居合わせたディープスノーも息を飲む。
『レイナが単独でサザンベルク大陸、ドリュー達の元へ向かった』
それが今、レディによってルシアに伝えられた事態。六祈将軍が最高司令官であるルシア許可もなく独断で動くという処刑されてもおかしくない命令違反。その証拠にルシアの顔には明らかな怒りが見て取れる。普段六祈将軍達の前では厳しい態度を取らないことを知っているディープスノーだからこそルシアがこれまでにないほど憤りを抱いていることを悟っていた。だがそれは表向きの話。実際は
(ふ、ふざけんじゃねえぞ―――!? よりによってこのタイミングでなんてことしやがるんだあの女―――!?)
あまりにも理不尽な展開に、そしてそれを見抜けなかった自分の馬鹿さ加減に対する絶叫だけだった。
そう、ルシアは見落としてしまっていた。ドリューがオウガを倒し、シンクレアを手に入れた。そればかりに囚われてしまった。シルバーレイという超兵器を使用されれば一体何が起こるか。それが何を意味するか。それに深い因縁を持つレイナが黙っているはずがない。完全に忘れていたわけではないが表向きには帝国が消滅しただけであったためルシアはそれを重要視していなかった。だがつい数時間前事態は動いた。ドリューによる世界に対する宣戦布告。そこで明かされたシルバーレイの存在。ルシアは弾けるように自らの持つDBワープロードを手に取る。その能力である瞬間移動、召喚を行うために。レイナにシルバーレイの存在を知られてしまった以上動かれるのはどうしようもないが単独で動かれては万が一の時に対処しようがない。しかもレディが持ってきた資料はレイナ自身がここに送りつけたもの。シルバーレイの情報とそれを踏まえた作戦の提示。レイナが囮になることでシルバーレイの奪還をおこなうためのもの。だがそれはルシアにとっては迷惑以外の何物でもない。確かにシルバーレイは脅威ではあるがルシアだけであればマザーの力によって無力化できる。レイナに死なれることの方がルシアにとっては問題だった。だが
(っ!? くそっ! やっぱ召喚に応じねえ! あいつ、ほんとに死ぬ気なんじゃ……!)
いくらワープロードの召喚を行おうとしてもレイナがこの場に現れることはない。それはつまりレイナ自身が召喚を拒んでいるということ。契約である以上ワープロードは了解なく対象を呼び出すことはできない。その特性上ルシアはレイナの元に飛んでいくこともできない。そんな中、ルシアは苦渋の決断を下す。自らが直接サザンベルク大陸に移動しレイナを止めることを。元々オウガとシルバーレイを止める予定であったためルシアは何年も前にサザンベルク大陸に移動できる場所を確保していた。もちろんドリュー達がどこを拠点にしているかまでは正確に把握できているわけではないため移動したとしてもそこからは物理的に移動するしかない。その際には移動手段としてドラゴンを使う手筈。だがいくらドラゴンといえどすぐに向かわなければ間に合うかどうかは分からない。ルシアは反射的にワープロードによって瞬間移動する。ドリューのことも、シンクレアのことも今は後回し。とにかく現場に向かわなければどうしようもない。だがそんなルシアの行動は
「なっ……!? これは……!?」
驚愕の声と共に止まってしまう。レディ達の前にも関わらずに素を出してしまうという失態。だがそうなってしまうほどの驚愕がルシアに襲いかかる。それは
(ワープロードが使えねえ……!? これじゃまるで……)
ワープロードが使えないという事態。まるでかつてのジェロ、ジークの結界にも似た何かの力がこの場に張られているかのように。瞬間移動への対抗策が今その力を発揮している。それはつまりここからルシアを移動させない目的があってのこと。
『ふむ……どうやらドリューという奴は中々やるようだな。ここまで早く手を打ってくるとはな』
『そうですね……恐らく先程の宣戦布告も私達の目を欺くためのものだったのでしょう。帝国を崩壊させたのもこの時のための布石だったということですか……』
『っ!? お、お前らなに勝手に納得してやがる!? どういうことか説明しろ!』
『喚くでない、騒々しい……どうやら奴らの方が一歩上だったということだ。周りに意識を集中して見ろ。そうすれば全てが分かるであろう』
『周り……? 一体何を……』
マザーの言葉の意味を解せぬままルシアはその意識を研ぎ澄ます。瞬間、ルシアは感じ取る。それはDBの気配。それも一つや二つではない。間違いなく組織クラスの数のDBがこのエクスペリメントを包囲するように存在している。その全てがDCではない未知の部隊の物。だがその内容からルシアは見抜く。マザーやアナスタシスから生まれたものではないDB達。鬼達が保有しているDBが今、エクスペリメントを包囲しつつある。間違いなくこの結界も彼らの仕業。
同時に次々にけたたましい無線の音が部屋に鳴り響く。レディはその全てに対応できず混乱するしかない。まるで嵐が来たかのような騒がしさ。だがその光景をディープスノーだけは知っていた。つい数日前に全く同じ光景を、展開を目にしたのだから。違うのはその標的が帝国からここ、DC本部に切り替わったということだけ。
「ルシア様……報告です。現在鬼と思われる部隊がエクスペリメントで行動を開始したとのことです。まだこの周囲までは来ていませんがそれも時間の問題です……そして」
どこか淡々とした様子でレディは報告を行っていく。だがその表情には恐怖が隠し切れていない。側近であるレディにはあるまじき姿。だがそうなってしまうほどの絶望がそこにはあった。レディは口にする。その事実を。
鬼達と思われる部隊がエクスペリメントに向かって無座別に攻撃を仕掛けていること。その全てがまるで狙ったかのようにここ、DC本部に向かっていること。そして
「銀色の船と思われるものが……この上空に向かっている、とのことです……」
数日前、帝都を消滅させた銀術の最終兵器が今、再びその姿を現したことを。
今、サザンベルク大陸ともう一つ、ここエクスペリメントでDCと鬼神の大戦の幕が切って落とされた――――