「ハアッ……ハアッ……」
巨大要塞アルバトロス。その中の一画に一人の青年がいた。黒い髪に整った美青年と言ってもいい容姿。六祈将軍の一人、ユリウス。だがその姿は普段からは考えられないようなもの。美しい衣装は既に見る影もなく、ところどころはまるで焼き焦げたかのようになくなってしまっている。その隙間からは痛々しい肌が見え隠れしている。それを証明するかのように表情にはいつものような優雅さはなく全く余裕がみられない。今にも倒れてしまいそうな状態を必死に耐えながらもユリウスは自らの前に立ちふさがっている男へと目を向ける。
「ここまでか……だが流石だな六祈将軍。オレ相手にここまで持ちこたえるとはな」
凄まじい威圧感と風格。鍛え抜かれた肉体と巨大な死神のような鎌を持ちながら男は一歩一歩ユリウスに向かって近づいて行く。そこには一部の隙もない。それがルカン。六つの盾の一人であり、その全てを束ねる将の姿だった。
「ふふっ……お褒めにあずかり光栄だね。僕も君の美しい強さには驚かされたよ。もっとも容姿の美しさでは僕の足元にも及ばないけどね」
「ほう……まだそんな口が叩けるとはな。だがもうそれも終わりだ。後も控えている。さっさと終わらせてやろう」
ユリウスは不敵な笑みを見せながらルカンへと向かい合う。だがそれが虚栄、やせ我慢であることは誰の目にも明らかだった。それを理解しながらも微塵の油断も慢心もなくルカンはその鎌に力を込めながらユリウスに近づいて行くる。さながら死刑を執行する死神のように。
(さて……意気がってはみたもののどうするかな……ちょっと僕じゃあ荷が重い相手だね……)
浮かべている笑みとは対照的にユリウスの背中には冷や汗が流れ、知らず息を飲む。六祈将軍の座についてから今までユリウスがそんな感覚に囚われたのは二人だけ。キングとその息子であるルシア。その二人と相対した時とまでは言わないもののそれに近い重圧が目の前の男、ルカンにはある。。六つの盾のリーダーであり最強の存在。六祈将軍でいえばハジャにあたる存在。それに相応しい実力をルカンは持っていた。
(流石は六つの盾のリーダーといったところかな……でもまさかここまで差があるとは……)
ユリウスは内心溜息を吐きながらも改めて自分とルカンの戦力を分析する。既に戦闘は開始され何度かの攻防を行っているがその結果は歴然たるもの。ユリウスは満身創痍。いつ動けなくなってもおかしくない程のダメージを受けてしまっている。体中に火傷を負ってしまったかのようなダメージ、その痛みによって顔が歪んでしまいそうになるのを必死に耐えるしかない。対するルカンは全くの無傷。それどころか息一つ乱していない。あまりにも対照的な状況。だがそれは決してユリウスが弱いからではない。ユリウスはその手にある自らの持つ六星DBアマ・デトワールに力を込める。氷の力を司るDBでありあらゆるものを凍りつかせてしまうほどの力を持つもの。それを操るユリウスもまた六祈将軍に相応しい実力者。だがそのユリウスであっても全く敵わない程の怪物、それがルカン。その力の前にはアマ・デトワールさえも通用しなかった。氷結という自然の力すらもルカンの身体を凍らせることができない。それが届くよりも早くルカンの持つDBの力によって全てが無効化、いや溶かされてしまうという信じられない事態によって。
「あきらめるんだな……お前ではオレに傷一つ負わせることはできん」
『アシッドルール』
あらゆるものを溶かす酸のDB。それがルカンが持っているDBでありその力の正体。ルカンの身体に触れた物を全て溶かしてしまう強力無比なもの。その証拠にユリウスの攻撃は全て無効化されてしまっている。氷の魔法も、氷による物理的な攻撃もその体に触れた瞬間に消え去ってしまう。まさに反則と言ってもいい能力。それを前にしてユリウスは悟るしかない。悔しいが今の自分ではルカンには敵わないと。
「……そうだね。ここは負けを認めよう。でも溶かされるのはお断りさせてもらうよ!」
ユリウスは残された力を振り絞りながらもその手をかざす。瞬間、見えない力がルカンに襲いかかって行く。同時にルカンの体がまるで固まってしまったかのように動きを止めてしまう。だがそれは氷の力ではない。
『行動停止』
使った相手を数秒間行動停止にする力。擬似的な凍結。例え触れることができないルカン相手だとしても通用する手段。
「なるほど……で? 動きを止めて……どうするんだ?」
自らの身体の自由が一時的に奪われているにもかかわらず全く動じることなく逆にルカンはユリウスに問いかける。この状況であったとしても追い詰めているのは自分だと告げるように。それは正しい。いかにルカンの動きを封じたところでユリウスにはルカンを攻撃する手段がない。だが
「決まってるだろう……逃げるのさ、美しくね」
そんなルカンを嘲笑うかのようにユリウスは笑みを見せながら全くためらうことなくその場を離脱していく。あまりにも唐突に、そして鮮やかに。これ以上ない程絵になるような見事な逃走。もしルシアがその場にいれば呆気にとられて口をあけっぱなしにしてしまうような光景。
だがまるでふざけたように見えながらもそれはユリウスの戦士としての冷静な判断。このまま戦闘を続けても勝ち目はない。ここは一時的にでも戦線を離脱するしかない。相手の情報は得られた。後は他の六祈将軍と何とか合流し対抗策を見つけ出すしかない。それがユリウスの判断。それは間違いではない。だが間違っていることがあったとするならば
「ふざけた奴だ……オレから逃げられるとでも思っていたのか、六祈将軍?」
それが相手がまさしく六祈将軍を超える怪物だったということ。
(バ……バカな……!? 一体どうやって……)
ユリウスは信じられない事態に目を見開くことしかできない。当たり前だ。先程までルカンは行動停止に陥っていた。ルカンほどの相手ならば持って数秒だろうが確実の動きは止めた。まだその時間も経過していないにも関わらずルカンは一瞬でユリウスの背後へ現れた。そう、目の前ではなく背後に。そんなことがあり得るのか。既に離脱を開始していたユリウスに追いつき気づかれずにその背後を取るなど。自らを襲う予想外の出来事の連続にユリウスにわずかな隙が生じる。秒にも満たな刹那。だがそれはルカンにとっては十分すぎる勝機。
「終わりだ」
無慈悲な宣告と共にその鎌が振り落とされる。首どころか身体を両断して余りある死の一撃。即死は免れない一閃にユリウスは防御することも回避することも叶わない。まるで走馬灯のように意識が遠のいていく感覚と共にユリウスが自らの死を覚悟した瞬間
「あら、そんなところで死ぬなんて『美しく』ないんじゃない?」
そんなどこかからかうような女性の声と共に銀の鎖たちが凄まじい速度でユリウスへと巻き付いていく。さながら獲物を捕えた蛇のような動きをもって。それが何なのか理解するよりも早くユリウスは文字通り一本釣りをされてしまう。
「――!」
「うわあああああっ!?」
ユリウスはいきなりあり得ないような方向から引っ張られたことで悲鳴を上げながらもされるがまま。突然の事態によって一瞬であるが動きが鈍ったルカンの一撃は紙一重のところでユリウスの首を落とすことは叶わず空を切る。ユリウスはそのまま無造作に勢いそのままでルカンから離れた壁まで吹き飛ばされ激突する。その衝撃と痛みによってユリウスは悶絶することしかできない。だがそんなユリウスの姿をどこか楽しげに見ながら近づいて行く一人の女性がいた。
「まったく……何をやってるかと思えば。あんまり手間をかけさせないでくれる?」
やれやれと言った風な笑みを浮かべながら六祈将軍の一人、レイナはユリウスの元にやってきながらその体に巻きついていた銀を解除する。言うまでもそれはユリウスを救うためのもの。あのままでは間違いなく死んでいたユリウスからすれば九死に一生を得た形。だが素直に喜べないような有様だった。
「レ、レイナ……た、助かったよ。でもできればもう少し美しく助けてくれれば嬉しかったんだけど……」
「あらそう? ならこのままもう一度あの男の前まで放り投げてあげましょうか」
「な、何を言っているんだい。せっかく来てくれた君の厚意を僕が受け取らないわけだろう! ああ、持つべきものは美しい仲間だね!」
「まったく……最初からそう言えばいいのよ。バカなのは死にかけても変わらないんだから」
調子を取り戻しながら好き勝手に騒いでいるユリウスに辟易しながらもレイナはそのまま戦闘態勢のままルカンと向かい合う。冗談のやり取りはさておきレイナもルカンの強さは感じ取っていた。直接戦闘を見たわけではないがここまでユリウスが一方的にやられていることからも一目瞭然。いかにバカといえどもユリウスも六祈将軍の一人。それをここまで追い詰めるなど只者ではない。
「援軍か……だが無駄だ。六祈将軍が一人増えたところでオレには勝てん」
鎌を肩に担ぎながらルカンはまるで先程と変わらない態度を取るだけ。自らの力に絶対に自信を持っている強者の姿。例え六祈将軍が一人増えたところで何も変わらないと告げるように。一国に匹敵する六祈将軍を二人同時に目の前にしながらも恐れも迷いもない。だがそれは油断でも慢心でもない。それだけの力がルカンにはある。それを感じ取りながらもレイナにはどこか余裕すら見せる笑みを浮かべる。小悪魔のような男なら魅了されてしまう笑み。それは
「そう……でも残念だったわね。『一人』じゃないのよ」
自分達六祈将軍の優位を確信しているからこそのもの。
瞬間、ルカンの周囲に異変が起こる。先程まで何もなかったはずの地面から新たな生命が生まれ始める。鉄の船であるアルバトロスには不釣り合いな大いなる樹の力。それによってルカンは無数の樹の力によって包囲される。小さな花の集まりとルカンの何倍もあるかのような巨大な樹々。種子砲と王樹の刃。どんな相手でも一撃で樹に変えてしまう銃とどんな相手でも切り裂く剣。それが六星DBであるユグドラシルの力。六祈将軍の一人、ジェガンの実力だった。
「やれ」
呟くように自らの腕にあるDBに力を込めながらジェガンはその全ての力を解放する。誰であれ突破できないような全方位からの攻撃。出し惜しみなしの全力。コアラを相手にした時とは比べ物にならない程の攻撃。だが
「――――無駄だ」
その全てをルカンはこともなげに防いでしまう。その鎌による一振りによって。種子砲のマシンガンにも似た弾雨も王樹の刃の斬撃もその身体能力と技量によって全てルカンは捌いて行く。およそ人間とは思えないような動きを以て。それがルカンの実力。無敵に近いDBアシッドルールだけはない。それを操るに相応しい自身の強さをルカンは持っている。それは例えDBがなくとも他の六つの盾を凌駕するほどの物。だがジェガンの表情にはわずかな変化もない。自分の攻撃が通用しなかったにもかかわらず。それを訝しみながらもルカンは凄まじい速度でユグドラシルの包囲を突破しジェガンへとその鎌を振り下ろさんとする。しかし
「そこまでです」
静かな、それでも確かな声が告げられる。同時にルカンの身体に異変が生じる。その動きが止まってしまう。だがそれは先程の行動停止とは根本的に違うもの。その証拠にルカンの腕や足はまるで見えない力によって操られてしまったかのように捩じれ出す。ルカンは一瞬で自分の身体に何が起こっているのか悟りその視線を声の方向へと向ける。そこには六祈将軍ではなくともそれに匹敵する実力を持つ男、ディープスノーがいた。ディープスノーは自らの首元に掛けられている六星DBゼロ・ストリームの力によってルカンの身体の自由を奪う。いや、それはユリウスの行動停止とは目的が異なる。ディープスノーのそれはまさに相手を捩じり殺す程のもの。流れるもの、相手の血液さえも操ることができる反則にも近い力。だがそれは
「なるほど……確かに一人ではないな。だがどれだけいようと変わらん」
さらなる埒外の力によって覆されてしまう。ルカンがその拳に力を込めた瞬間、ルカンの血液の流れを操っていたディープスノーの力がねじ伏せられてしまう。自力で血液の流れを正常に戻すという荒技。常識を超えた身体能力を持つルカンだからこそできること。だがそれだけではないことをディープスノーは感じ取っていた。それはDBの力。まるで先のジラフとの戦いにも感じたように別のDBの力が介入してきたのだと。恐らくは自らの身体に,影響を及ぼすDBを持つからこそできる芸当。
「大したものです……ですがもう私の役目は終わりました」
それを前にしながらもディープスノーは静かに自らの勝利を宣言する。それが何を意味するかを理解する前に全ては決した。
銀の雨。
何もないはずの空間から無数の銀の弾丸、槍の雨がルカンに向かって降り注ぐ。ルカンはそれを何とか防がんとするも叶わない。万全の状態であればそれを捌くことも避けることもできたはず。だが今はそれは不可能。ジェガンの攻撃、そしてディープスノーの力によって一瞬であるがルカンに隙が生まれた。それを作り出すことが二人の狙い。その逃れようのない隙を狙い絶対包囲からのレイナの銀術によって全てを決する。まさに阿吽の呼吸。それがDC最高幹部六祈将軍の力だった。
「どう? これが六祈将軍の力よ。お気に召したかしら?」
レイナが不敵な笑みを見せながらも自分たちの勝利を宣言する。自らの持つ六星DBホワイトキスと銀術による攻撃。それに貫かれた確かな姿を見て取ったからこそ。それは他の六祈将軍も同様だった。
「ダメだみんな! まだ終わっていない!」
たった一人、ルカンと直接戦っていたユリウスを除いて。
「なっ!?」
それは誰の声だったのか。それが分からない程の衝撃が六祈将軍達を襲う。それは確かに倒したはずのルカン。銀の槍によって串刺しにされた状態がまるで幻であったかのようにその手に鎌を持ちながらルカンは最も近い位置にいたジェガンに向かって突進していく。ジェガンは咄嗟のことで反応に遅れるもののその鎌を自らの剣によって防がんとする。だがそれは叶わなかった。
「……!」
「よく反応したな。だがここまでだ」
その光景に今まで無表情だったジェガンの顔に焦りが浮かぶ。それは自らの剣が真っ二つにされてしまった光景。しかもそれは物理的に斬られてしまった感覚ではない。まるでそう、ゼリーを切るかのように自らの剣が両断されてしまうという信じられないもの。だがそれだけでは終わらなかった。ルカンの持つ大鎌。その形状が大きく変化している。まるで飴細工のように。その塊がジェガンに向かって振るわれるもジェガンは直感と言ってもいいものでそれを紙一重のところで躱す。しかしそれだけでは足りなかった。
「ぐっ……!」
ジェガンの顔が苦痛に歪む。同時にジェガンの身体が、服が溶け始める。まるで酸の雨を浴びてしまったかのように。それはルカンが振るった酸の鎌による飛沫。まるで液体になってしまったかのように形態を変えた鎌の一撃を躱すことはできたもののその飛沫まで躱すことができなかった代償。だがそれはあまりにも大きかった。
「ほう……あれに耐えるか。どうやらまともな人間じゃねえみてぇだな」
ルカンは液体のようになってしまった鎌を再び元の形に変えながらジェガンとその傍に集まりつつある六祈将軍に目を向ける。自らが放った攻撃は普通の人間なら一瞬で溶けてしまう程のもの。それに耐えることができる者がいることに少なからずルカンは感心していた。もっとも耐えることができただけであり、効かなかったわけではない。その証拠にジェガンの身体は火傷のようになり、服は無残にも破れ去ってしまっている。ジェガンはそのままでは酸が広がると瞬時に判断し自らの上半身に纏っていた服を破り捨てるも間に合わなかったダメージがその姿。それでも溶けずに済んだのはジェガンは人間ではない竜人であったからこそ。もし人間、他の六祈将軍であったなら先の一撃で勝負は決していた程の攻撃。
「ジェガン……大丈夫かい!?」
「…………」
「その様子じゃまだ大丈夫みたいね……でも一体何なのあいつは? 確かに銀で貫いたと思ったのに……」
「いえ……どうやら攻撃は通じていなかったようです。あれを見てください」
「あれは……!」
ディープスノーの言葉に導かれるようにレイナはその光景に目を奪われる。そこにはレイナがホワイトキスによって生み出した銀の槍がある。だがその穂先が全て失くなってしまっていた。まるで飴が溶けてしまったかのように。あり得ないような光景にレイナは戦慄するしかない。それはつまり銀の攻撃が、引いては物理攻撃が効かないことを意味しているのだから。
「触れた物を全て溶かす能力……それがあの男、ルカンの力だよ。流石は六つの盾のリーダーだね。見た目はともかく美しすぎる強さだよ」
「なるほど……あんたがそんなになるわけね。でもどうしようかしら。それじゃああいつには何も通用しないってこと?」
「少なくとも僕の攻撃は全て通用しなかったよ……行動停止を除いてね……ああ、何て罪な男なんだ、僕は……」
「そう……なら私とジェガンの攻撃も全て通じないと見た方が良いわね……」
レイナは思考する。自分たちに残された手を。敵は触れた物を全て溶かす酸の身体を持っている。先の攻撃で銀の攻撃は全て通じないことは明らか。ジェガンの剣も同様。既に剣は使い物にならない。ユグドラシルによる攻撃も恐らくは通用しない。確かに種子砲は一撃必殺の攻撃だが触れた瞬間に溶かされれば何の意味もない。そして自分たちのダメージも深刻そのもの。ユリウスは既に満身創痍であり戦闘に参加することも難しい。ジェガンはまだ動けるものの少なくない負傷を負ってしまっている。レイナ自身はルカンから攻撃は受けていないが先のレオパールとの戦いで受けた足の傷がある。長時間の戦闘は厳しいため先程の奇襲で一気に決めたかったのだが目論見が外れた形。故にこの状況を打開できる可能性があるのは
「いえ……まだ手はあります。みなさん、私に力を貸していただけませんか」
無傷でありレイナ達も知らない力を持つ男であるディープスノーだけ。ディープスノーは何かを決意した瞳を見せながらレイナ達に告げる。自らの無謀にも等しい作戦を。大きな代償を払うその突破口を。唯一レイナだけはそれに反対しかけたのだが口を紡ぐしかなかった。戦うことを決めた男の姿を前にして女が言えることなど何もないのだと悟ったかのように。
「どうした……もうあきらめたのか、六祈将軍?」
そんな六祈将軍の姿を見ながらも最強の将であるルカンはただ変わらずそこに君臨していた。自らの圧倒的な優位を知りながらもそこには全く油断は無い。ただハードナーの敵を排除するだけの駒。それが今のルカン。
「まさか。でもあきらめれば逃がしてくれるわけでもないでしょう?」
「あたりまえだ。てめえらを皆殺しにすることがオレの役目だ。全員がここにいるってことは……他の六つの盾は全滅ってことか……」
「その通りです……ですがいいのですか。組織としてはもはや壊滅的な損害ですが……」
自らの仲間、配下である六つの盾が全滅したと知りながらも全く動じることがないルカンに対してディープスノーは問う。それは当然の問い。数の上では敗北したといってもいい状況。そして四対一と言う圧倒的不利。それを前にしても臆することなく、君臨している男。
「関係ねえ……オレ一人で六つの盾全員分の働きをすればいい。それだけだ」
それが六つの盾最強の男、ルカン。一人でもなお六つの盾の力に匹敵する力を持つ怪物を示す言葉だった。
瞬間、最後の攻防が始まる。先に動いたのは六祈将軍だった。
「はあ!」
「そこだよ!」
レイナとユリウス。銀と氷の攻撃が同時にルカンに向かって放たれる。その全てが全力。並みの相手ならそれだけで決着がつく程の圧倒的物量。だがその全てがルカンには通用しない。しかもそれはDBの力ではない。その体にレイナとユリウスの攻撃は触れることすらできない。ルカンはその身体能力と大鎌によって銀と氷の同時攻撃を捌き、回避しながら迫ってくる。例え通じないとしてもわざわざ攻撃を食らってやる必要はないと告げるかのように。まさに歴戦の戦士だからこそ為し得る絶技。だがそれに挑むもう一人の戦士がいた。
「ほう」
ルカンの口から初めて感嘆の声が漏れる。それは目の前に現れたジェガンに対するもの。その無謀とも言える特攻によるもの。そこはルカンの間合い。すなわち接近戦の領域。だがそれはあまりにも無謀な、愚かな選択。こと接近戦に置いてルカンは無敵に近い。ジラフとは違う意味で接近戦を挑むことは自殺行為。触れれば瞬時に溶かされる相手の間合いに踏み込むなどあり得ない。その証拠にレイナとユリウスはその外から遠距離戦を仕掛けている。ジェガンとてそれは分かっている。何よりも先程の攻防で酸による攻撃をその身に受けているのだから。それでもなお挑んでくるその姿にルカンは初めて六祈将軍に称賛を贈る。確かにこれならば他の六つの盾を倒したのも納得がいく。戦士としてそれに応えるためにルカンはその鎌でジェガンを両断せんとするも
「…………!」
それはジェガンの決死の特攻によって防がれる。それは意識の差。それを避けるだろうと読んでいたルカンと前に出ることで防がんとしたジェガン。小さな、それでも確かな差。それを突くかのようにジェガンの拳がルカンの鎌を握っている手を貫く。瞬間、その衝撃によってルカンは鎌を失ってしまう。それこそがジェガンの狙い。間合いの広い鎌の内側に飛び込むことで武器を奪い、肉弾戦にもっていくためのもの。だがそれは普通はあり得ない。何故ならいくら攻撃とはいえルカンに触れた時点で勝負は決まってしまうのだから。いかに人間よりも優れた肉体を持っている竜人であってもそれは変わらない。だがそれを覆すかのようにジェガンはその拳で、蹴りでルカンに肉弾戦を挑む。
「いいだろう……オレに倒されるのが先か、溶けるのが先か。どっちにしろお前はここで死ぬ」
ジェガンの狙いに気づきながらもルカンはあえてそれに乗りながら接近戦が始まる。無駄なものが割り込む隙もない程の肉弾戦。それは全くの互角。間違いなく最高レベルでの戦士の戦い。剣を持つジェガンではあるがその体術においてもジェガンは凄まじい実力を持っている。竜人最強の戦士に相応しい力。だがそれを以てしても拮抗するのがやっとの強さ。そしてそれは訪れる。
「ぐっ……!」
ジェガンの顔が歪み、額には大粒の汗が滲み始める。ルカンと接近戦を行う代償。酸による肉体の融解が始まりつつある証。しかしそれはジェガンだからこそできること。目にも止まらない速さの拳の応酬が行われている中でも確かにその輝きが力を放つ。六星DBユグドラシル。そのもう一つの力、あらゆる力を吸収する能力。ジェガンは今、それを使いながらルカンへと挑んでいる。それがジェガンが溶けることなくルカンと戦えている理由。しかしユグドラシルであってもその全てを吸収しきることができない。DBとしての力、そしてそれを扱う力がルカンの方が上回っている証。徐々にではあるが確実に終わりが近づいてくる。坂道を転げ落ちるように抗うことができない結末。それに抗うようにジェガンの猛攻と共にレイナの銀術が、ユリウスの氷が降り注ぐもその全てが通用しない。だがそれでも三人にあきらめはない。何故ならこの状況。例えダメージを与えられなくともルカンの動きを止め、意識を集中させることこそが彼らの狙いだったのだから。
「―――――」
それは刹那の感覚。ルカンは知らずその光景に目を奪われた。それに気づけたことがルカンが強者である証。そこには男がいた。先程自分の血液を操った冷静な印象を受ける男、ディープスノー。しかしそれがまるで違う者にルカンには見えた。その胸にある石が輝きを放っている。最初見た時は何かの間違いだと思ってしまったそれが何であるかをルカンはこの時ようやく確信する。DB。超常の力を持つ者に与える魔石。その力が今、解き放たれた。
瞬間、時間が止まった。まるでそう感じてしまうほどに凝縮された刹那。その中をディープスノーは駆ける。一直線に。ただがむしゃらに。それ以外にはないにもないといわんばかりに。文字通り目にも映らないような速さで。その拳に全ての力を込めながら。
五十六式DBの力を全て込めた拳による一撃必殺。
それがディープスノーの、六祈将軍達の狙い。銀や氷では触れた瞬間に無力化されてしまう。だがジェガンはその身体能力からそれに耐えることができた。ならば人間の限界以上の力を発揮できるディープスノーであればルカンに触れ、そしてダメージを与えることもできる。もちろん無傷で済むはずもないがそれ以外に手は無い。そしてそのために隙を作り出すことがレイナたちの役目。
(そういうことか……だが……!)
一瞬でディープスノー達の狙いを看破したルカンは驚異的な反応でディープスノーの動きに、拳に対応せんとする。まさに神技に等しい反応。レイナ達の猛攻を受けながらもさらに切り札の一撃にすら対応して見せる恐ろしさ。だがそれすらも六祈将軍の手の内。
「――――何っ!?」
ここに至って初めてルカンが驚愕の声を上げる。それは自らの身体が一瞬とはいえ動かなくなってしまったことによるもの。だがそれを先の攻防でルカンは受けていた。
「美しいだろう? これがこの世で最も美しいDB、アマ・デトワールの力さ」
『行動停止』
不敵な笑みを見せながらユリウスはその力を振るう。まるで自分の親友を紹介するかのように。取るに足らないと侮辱された自らのDBの力を誇示するかのように。それは既に一秒も持たない程の凍結。だが覆すことができない確かな勝機。
瞬間、全てを打ち貫く、人間の拳がルカンの胸に突き刺さる。心臓と言う生物である以上逃れることができない弱点。それを砕くことによる必殺。一撃で息の根を止めるディープスノーの拳によってルカンはその場に崩れ落ちる―――――はずだった。
「驚いたぞ。まさかこれを使わされるとはな」
それはあり得ないような光景だった。確実に心臓を貫かれたはずのルカンがまるでなんでもないかのように声をあげていること。何よりもその体にディープスノーの拳が、腕がめり込んでいること。一見すれば既に勝負は決まっている光景。だがそれはディープスノーにとっての敗北を意味するもの。六祈将軍たちはその光景に目を奪われるだけ。そこには
まるで身体全体が酸になってしまったかのように変化しつつあるルカンの姿があった。
「アシッドルールは己の体をも酸に変えられる。ここまでだ、六祈将軍」
それこそがルカンの、アシッドルールの奥義。自らの体を液体へと変化させる能力。まさに無敵と称するに相応しい反則技。その前にはいかなる攻撃も通用しない。人間の限界を超えた力を引き出す五十六式DBでさえその力の前では無力だった。そしてその恐ろしさは防御力だけではなくその攻撃力にもあった。
「――――くっ!!」
苦悶の声を上げながらもディープスノーは一瞬で自らの腕を引き抜きながらルカンから距離を取る。だがその表情は苦悶に満ちていた。いかなる状態においても決して弱みを見せることがない彼をしてもそれを隠すことができない。何故なら
「無駄だ。もうその腕は使い物にならんぞ」
肘から先。ディープスノーの右腕はルカンによって溶かされ跡形もなく失くなってしまっていたのだから。
それがアシッドルールの真の力。酸の体と化したルカンの前には竜人も人間も関係ない。全てを溶かし消し去る怪物。その圧倒的な強さを前にすれば何者であれ絶望するしかない。ルカンがそのまま腕だけでなくその全てを飲みこまんとした時
「……ええ、確かにあなたは私より強い。ですがこの勝負は『私達』の勝ちです」
ディープスノーはボロボロになった身体でもなお自分たちの勝利を再び宣言する。それが虚栄ではないと悟るのと同時に新たな力がルカンを襲う。それは氷の力。ユリウスの持つアマ・デトワールからのもの。先程までであれば取るに足らなかった攻撃。だが今それは違う。何故なら今、ルカンは液体になってしまっているのだから。しかしその法則さえもルカンは捻じ曲げる。自らの持つアシッドルールの力を最大にすることで。強力な酸の力。凍りつく自らの体までその力は及ぶ。だがその瞬間、どうしようもない致命的な隙が生まれた。
「あら、ダメよ。こんな大事な物を忘れちゃ?」
それを見逃すまいとするかのように蛇女、レイナは怪しく笑う。その手には先程までルカンの首元にあったはずのものがある。確かな輝きを放つ石があるネックレス。
「お前……オレのDBを……!?」
レイナは自らの銀を操りながらそれを奪い取る。それこそがレイナの役目。無駄な攻撃を繰り返していたのもその布石。自分の攻撃がDBを狙ったものであることを悟らせないための物。まさに蛇のように狡猾な罠。だがそれを前にしてもルカンは府に落ちない。確かに相手の狙いに嵌められてしまっている。だがあまりにもできすぎている。どんな相手であれ液体となるという自分の奥義を、力を目の当たりにすれば戦意を失う。そこまではいたらなくとも動揺すらしないことなどあり得ない。まるでそう、最初から自分の切り札を見抜かれていたかのような――――
「どうやら気づいたようですね……ですがもう遅い。これで終わりです」
ディープスノーはルカンの思考を呼んだかのように告げる。最後の攻防の前にディープスノーは既にルカンの能力、液体になる切り札を持っていることを見抜いていた。きっかけは二つ。
一つが最初のジェガンを狙った鎌の攻撃。その際の形態変化。物質であるはずの鎌が溶け、それを操るという能力。そしてもう一つがゼロ・ストリームの力でルカンを攻撃した際の感覚。それによってディープスノーはルカンが恐らくは液体に変化することができる能力を隠していることに気づいた。
故にこの作戦は二段構えで行われた。一つがレイナ達の陽動とそれを狙ったディープスノーの渾身の一撃によるもの。もし液体になる能力がなければこれで勝負が決する。もう一つ、それが液体になった隙を狙いDBを奪うこと、そして
「風よ――――!!」
液体となってしまったルカンを風によって文字通り木っ端微塵に吹き飛ばすこと。DBを失ったルカンでは元に戻ることができない。氷とは違いどうあっても逃れることができない摂理。それがディープスノーの切り札だった―――――
「ディープスノー……本当に大丈夫なの?」
「はい……既に止血は済んでいます。ご心配なく」
戦いを終えレイナ達は満身創痍の体で何とか集まりながらもその光景に顔をゆがめる。特に酷いのがディープスノーの腕。既にゼロ・ストリームによって処置は済んでいるもののあまりにも痛々しい姿。右腕を失うという大きな代償。だがそれを前にしてもディープスノーは困惑することもなくいつも通りの姿を見せている。何故ならそれは最初から分かり切っていたものだったのだから。
「こうなることは分かっていましたから。それに腕一本で六つの盾のリーダーを倒せたのですから安いものです」
「あ、あなたね……」
「とりあえずそこまでにしよう。これは美しい忠誠の騎士である彼の決断なんだから」
「まったく……ジェガン、あんたも何とか言いなさいよ」
「…………」
「あっそ。好きにすればいいわ。ルシアが何か治療に使えるDBを持ってるかもしれないからそれに期待しましょ。ジェガン、龍を呼んでくれる? ひとまずはアルバトロスを離脱しましょ」
「いいのかい? まだルシアが残ってるけど……」
「仕方ないわ。これ以上私達も戦えないし足手まといになるだけよ。命令通り六つの盾は殲滅したんだから問題ないわ。ディープスノーもそれでいいわね?」
「……はい、分かりました」
「やれやれ……美しい勝利とは行かなかったけど何とかなったね。じゃあ行くとしようか」
反論は許さないといわんばかりのレイナの剣幕に流石のディープスノーもそれ以上口を出すことはできない。それは命令もそうだがこれ以上戦うことができないことを理解しているからこそ。レイナは足の負傷のみだがそれでも消耗していることには変わらない。ユリウスとジェガンもルカンとの戦いによって満身創痍。特にジェガンは両手が使い物にならない程に重傷を負ってしまっている。これ以上この場に残っても戦力にならないことは明白。しかも残る相手は六つの盾を超える実力を持つというルナールとハードナー。ルシアには悪いがその二人は何とかしてもらうしかない。危なくなればハジャを呼びだすこともできることも大きな理由。
ジェガンが離れた場所で待機させていたジュリアを呼びだそうとしている中、レイナはふと足を止める。それは自分が先程ルカンから奪ったDB。それを持って行くかどうかを思案した瞬間、レイナの表情が凍りつく。そこには
先程まであったはずのネックレスがまるで溶けてしまったかのようになくなってしまっている光景があった。
「―――――!!」
瞬間、六祈将軍は戦慄する。それは飛び散ったはずのルカンの身体である酸。その全てがいつの間にか消え去ってしまっている。まるで自分で動いてどこかに行ってしまったかのように。それはつまり
「流石だな六祈将軍……だが残念だったな。その攻撃はオレには通用しねえ」
まだ六つの盾のリーダー、ルカンが健在であるということだった。
六祈将軍たちは慌てながらもすぐさま戦闘態勢を取る。しかし既に戦う力がないことは誰の目にも明らか。対してルカンは全くの無傷。しかし何故そんなことがあり得るのか。六祈将軍は困惑するしかない。完璧にも近い勝利だったはずなのだから。
「理解できないといった風だな。教えてやろう。お前達が奪ったDBは偽物だ。本物はここにある」
六祈将軍の疑問に答えるかのようにルカンは手を自らの身体に埋め込む。同時にその中から小さな石、DBが取り出される。それこそが本物のアシッドルール。そしていつも身に着けているネックレスとその石は偽物。アシッドルールの極みである液体化と対極に位置する力。
『物質化』
それがその能力。ルカンが持つ鎌も、身に着けている服、靴すらもそれによって生み出された物。能力によって溶けた物を再び物質化し、自分が扱っても溶けないようにするためのもの。鎌のそれは攻撃にも有用であり攻撃の瞬間に再び液体化させることで酸の鎌とすることすら可能。そしてそれによってルカンは偽りのDBを身に着けていた。それは自らの能力の液体化、それが逆に弱点にもなりうることを知っていたからこそ。そしてそれはアシッドルールに限った話ではない。DBを持つ者なら絶対に気を払わなければならないDBを奪われるという事態。それを克服、逆手に取ったのがルカンの策。
表向きに偽のDBを首からかけ、本物は絶対に奪われることのない肉体の中に隠す。例え液体化の際にバラバラにされたとしてもDBさえあれば再生可能。まさにルカンだからこそできる究極の戦法。
「さて……じゃあ続きを始めるとしようか……」
狂気に似た光を灯した瞳でルカンは鎌を担ぎながら六祈将軍たちへと近づいて行く。最初と変わらぬ動作。だがそれだけで六祈将軍たちは知らず息を飲む。ある者は震え、ある者は後ずさりすら見せる。それは恐怖。自分たちが死力を尽くしてもなお敵わない、届かない怪物を前にしたことによるもの。
覆しようのない歴然たる力の差。それを感じ取りながらも六祈将軍たちにあきらめはない。それがキングに選ばれし六人の戦士。そして今はルシアの騎士たち。
「オレをここまで追い詰めてくれた礼だ。全員跡形もなく消し去ってやる」
それを葬り去らんと六つの盾を束ねる将であり、六つの盾全員に匹敵する力を持つ死神が最期の攻撃を仕掛けんとした瞬間、
凄まじい轟音と揺れがアルバトロスを支配した―――――