「………はっ!?」
がばっとアキは上半身を凄まじい勢いで起こす。同時に体中が軋むような痛みが襲いかかり悶絶するもアキは何度も何度も自分の体を確認する。手足を、胸を、頭を。何も知らない人が見れば頭がおかしくなったようにも見えるだろう。だがアキにとっては大真面目、決してふざけているわけでも錯乱しているわけでもなかった。
よ、よし……手も足もくっついてる! 体に穴もあいてないし凍りついてもいない! た、助かったのか……? 確か俺、あのまま氷漬けにされちまったはずなんだけど……どういうことだ? 見逃してもらえた? あの状況から? いやいやあり得んだろう!? だってあの人確実に殺りに来てたよ!? それだけは間違いない! じゃ、じゃあどうして……い、いや待てよ? 大体前提からしておかしくねえ? 何でこんな序盤で四天魔王とやりあったりしてんの? 明らかにおかしいだろう!? そ、そうだあれはきっと夢だったに違いない! だってそうじゃなきゃ俺が生きてるのが説明できないし……と、とにかくマザーに確認をとってみよう! あいつが全ての元凶みたいなもんだしな、色々な意味で。おい、マザー! どこにいるんだ!? さっさと出てこ……い……?
アキはそのまま固まってしまう。それは目の前の光景。そこはどこかの部屋だった。そしてアキはその部屋のベッドに寝かされていたらしい。だが明らかに異常なことがあった。白銀。その全てが白銀の世界。床も、天井も、家具も全て白銀、氷漬けになってしまっている。まるでおとぎの国のよう。それが意味するのは一つ。まだ絶望の宴が終わっていなかったということ。
や、やっぱそうですよね……そんな都合のいい展開あるわけないよね……。ち、ちくしょう……夢だったらどんなに良かったか! と、とにかく落ち着け俺! まずは状況を確認しなくは……お、マザー! お前どこに行ってやがったんだ!? え? ちょっと友人と話してた? お前に友人なんていたのかよ? そ、そんなことより何がどうなってんだよ!? ここはどこだ!? それに俺、氷漬けにされちまったはずだろ!? 何でまだ生きてるんだ!? は? 本人から直接聞いた方が早いって? 一体何を言って
「目が覚めたようね……」
そんな聞き覚えのある女性の声が背後からアキに向かってかけられる。それは透き通った、それでも圧倒的な存在感を感じさせる声。瞬間、アキの背中に凄まじい悪寒と汗が流れる。その声はアキにとってはトラウマになってしまうほどのもの。
四天魔王『絶望のジェロ』
出会った時と変わらない無表情な、人形のような女王がそこにはいた。
「――――っ!?!?」
瞬間、アキは声にならない声を上げながらも何とか戦闘態勢に入ろうとするもDBたちは近くに見当たらず右往左往するしかない。しかも何故かベッドから動くこともできない。完全なパニック状態だった。だがそれは無理のないこと。自分を殺したはずの相手が目の前にいてしかも自分は丸腰なのだから。
ど、どどどどうなってんのっ!? どうしてまだここにジェロがいるんだよっ!? ま、まさか俺にとどめを刺しに来たのか!? そ、そんな……せっかくどういうわけか助かったと思ったのにこれかよっ!? お、おいマザーてめえ何でこの状況で笑ってやがんだっ!? 元はといえばてめえがあいつを蘇らせたせいでこんな目にあってんだろうが! あんな化け物にどうやって勝てっつーんだよ!? は? 初めから勝てるなんて思っちゃいない? ど、どういうことだそれ……?
事態が飲みこめないアキに向かってマザーがどこか楽しそうに説明、もといネタばらしを始める。
ジェロとの戦いが試験、いわゆる模擬戦のようなものであったことを。
マザーはずっとアキが実戦を経験できていないことを気にしておりどうにかしたいと考えていた。だが手軽な相手もおらずまたアキ自身が戦闘を忌避しているために頭を悩ませるしかなかった。だがそんな中ある偶然が、好機が訪れた。それはこの街、パンクストリートに氷漬けにされたジェロがいたこと。それを感じ取ったマザーはあることを計画する。それはジェロにアキの実戦の相手になってもらうこと。ジェロの力ならば相手として申し分なく何よりもアキも逃げ出すことができない。そしてジェロ自身の目的ともアキの力試しは合致している。出会った一瞬で取り決めを交わしたマザーとジェロはそのままアキとの模擬戦を行うこととなった。もちろんアキには本当のことを伝えないまま。その理由は言うまでもなくアキの本気を見るため。ある意味アキの性格を知りつくしているマザーだからこそできるドッキリのようなものだった。それが成功したことが嬉しいのかそれとも今のアキの狼狽した姿がおかしいのかマザーは笑い続けている。だがアキにとっては笑いごとではなかった。
ふ、ふざけんなああああっ!? そうならそうと早く言えやこらああああっ!? は? 言ったら模擬戦の意味がない? いくら何でも限度があるだろがっ!? あれが模擬戦!? 何の冗談!? 間違いなく相手殺る気満々だったじゃねえかっ!? 当たり前? どういうこと? え? ジェロに認められなければ殺されてたって? そうか、俺、認められたのか……え? 何それ? じゃあ認められなかったら俺殺されてたってこと? それ模擬戦じゃねえよっ!? どんだけスパルタなんだよ!? は? 俺なら出来ると信じてた? そ、そっか……マザー、そんなにも俺のことを……って誤魔化されるかあああっ!? てめえいい加減にしろよ!? 大体何だよお前いつも大きな口叩いてるくせに使えねえんだよ! 結局何の役にも立たなかったじゃねえか! 俺が未熟だから? 他人のせいするんじゃねえよ! 今日という今日はもう勘弁ならねえ! 覚悟しろよこの馬鹿石が
「少しは落ち着いたかしら?」
混乱しているアキに向かってジェロが瞳を閉じたまま静かに話しかけてくる。瞬間、アキはマザーとの言い争いをいったん中断しながらもそのまま恐る恐る振り返る。だがアキは内心ビビりまくりだった。いくら模擬戦(とてもそう呼べるようなものではなかった)だったとはいえ殺されかかった相手。しかもさっきまでマザーと言い争いをしていたせいでアキが自分を無視しているかのようにジェロには見えたはず。だがジェロは全く気にした様子を見せてはいなかった。
「あ、あの……」
「そういえば名乗っていなかったわね……ジェロ、それが私の名前。四天魔王……魔界の王の一人よ。あなたは?」
「え!? あ、え、えーとア、アキです……」
「そう……アキ、覚えておくわ」
ジェロの一挙一動に内心おどおどしながらもアキは何とか自己紹介を始める。そこでようやくアキは思い出した。まだ自分はジェロの名前すら聞いていなかったことを。
あ、あぶねえ……思わず名前で呼んじまうところだった。まだ俺、ジェロのことも四天魔王のことも知ってちゃおかしいんだよな。時々忘れそうになるから気を付けなければ。そ、そういえば思わずアキって名乗っちゃたけど大丈夫だよな? ルシアって名乗ってもいいんだけど事情を説明するのが面倒だし……ま、まあそれはともかく本当にジェロはもう戦う気はないっぽい。圧倒的な力と存在感、重圧は相変わらずだが心なしかそれが弱まっているような気がするな……た、助かったんだな……俺? な、何か涙が出てきそう……
「どうかした?」
「い、いえ……何でもありません、ジェロ様!」
「そう……それと様付けと敬語はいらないわ。一応あなたのことを器として認めたのだから」
「え……? 器……?」
な、なんですか……それ? そういえばそんなこと戦う前になんか言ってたような……
事情が掴めていないアキに向かってジェロが今までの経緯を説明していく。
ジェロが今回アキの模擬戦を引き受けたのは何もマザーの提案だったからだけではない。もう一つ、ジェロ自身の、四天魔王としての目的があった。
『大魔王の器』
それを見つけることこそが今の四天魔王にとっての、引いては魔界の悲願でもあった。
今、魔界は四人の魔王によって統治されている。
『絶望のジェロ』 『永遠のウタ』 『獄炎のメギド』 『漆黒のアスラ』
その実力も風格もまさに魔王に相応しく魔界は彼らによって問題なく統治されている。だが彼らはある存在を探し求めていた。それが四天魔王の上に立つ存在、大魔王。永らく空席となってしまっているその座につくに相応しい者を探し出すことこそがジェロの目的であり、その資格を持つものこそが母なる闇の使者を持つ者。全ての闇を統べるに相応しい力を持った存在だった。それが現れた時にのみ氷漬けにされた状態が解けるようになっていたのだが今回はマザーの強制的な呼びかけによってジェロは目覚めてしまったのだった。
「そ、それじゃあジェロさ……じゃなくてジェロはマザーのこと知ってんのか?」
「ええ。もっとも二万年前はこんなに小さくはなかったけれど……今は五つに分かれてしまっているのね。マザーに聞いたわ」
「そう……ってちょっと待て!? お前マザーと話せるのかっ!?」
「そうよ。あなたが何を話しているかは分からないけれどマザーの声は聞きとれるわ。元々私たち四天魔王は同じ力から生まれた存在なのだから当然よ」
「同じ力……?」
「エンドレスよ。マザーから聞いていないの? DBはエンドレスという力の一部。正確にはエンドレスと名のDBのね。私たちはほぼ独立した存在だけど……」
な、何か色々とさらっと凄いこと言ってるような気がするんですけど気のせいですか? っていうか四天魔王ってエンドレスから生まれた存在だったの!? そ、そういえば原作でルシアが四天魔王を召喚する時に『エンドレスの子』とか何とか言ってたような気が……と、とりあえずそれは置いておいて……
「そ、そうえいば俺を認めたってその……どういうこと……?」
「言葉通りの意味よ。まだ荒いところもあるけれど私に身代わりを使わせたのだから及第点ね。あなたを大魔王の器だと認めるわ。もっともこれからの成長次第だけれど……」
「………」
そうか……俺、知らない間に大魔王になることになってたわけか……ってちょっと待って!? なんか知らない間に話がとんでもない方向に向かってるんですけどっ!? 何で模擬戦からこんな話になってるわけ!? い、いや百歩譲ってそれはいい。全然よくはないがいいことにしよう! でも何でジェロだったわけ!? 原作じゃあルシアを大魔王の器だって認めたのメギドじゃなかったけ!? 何で俺もそうじゃないの!? あの四天魔王の中での常識人(アキの独断)の方が良かったんですけど!? っていうかこの差は何? ルシアはメギドに一目見られただけで認められたのに俺は殺されかかってやっと。しかもなんか仮免許っぽい扱いなんですけど……ち、ちくしょう……これが本物と偽物の差か……
そ、それはともかくとして俺って結構すごいんじゃねえ? だってあれだよ? 四天魔王に認められたんだぜ? 原作最強クラスの相手でしかも模擬戦とはいえ良いところまでやれたんだし……これはもしかして俺の時代がきたんじゃ……え? 師匠? 何です? 調子に乗るな? い、いやでも俺ちゃんとやって……え? 相手が手加減してくれてたって? いやいや冗談でしょ? だって明らかに殺す気できてたじゃん……う、嘘ですよね? あれで手加減してたとか……ちょ、ちょと確かめてみるか……うん、い、一応……
「あの……ちょっと聞きたいんだけど……さっきの戦いってもしかして手加減とかしてくれてた……?」
アキはどこか引きつった笑みを見せながらジェロに確認する。だが知らずアキは悟っていた。恐らくはデカログスが言っていることが正しいのだと。だがそれでも聞かずにはいられなかった。ジェロはそんなアキの動揺と事情を知ることなく
「そうね……大体半分くらいの力よ」
何でもないことのようにアキの想像をの遥か斜め上を行く事実を口にした。アキはそのままどこか乾いた笑みを浮かべながら固まってしまう。まるで氷漬けにされてしまったかのように。
半分ですか、そうですか……あれで半分っ!? 何の冗談!? い、いやいやあり得んだろっ!? じゃあ何か!? 俺は五十パーセントの相手に向かって本気で戦ってしかも呆気なく負けちまったってこと!? どこのフリーザだよっ!? バランスおかしいだろ!? 何でこんな無理ゲーなことになってんの!? というか何でこんな化け物にハル達勝てたんだよっ!? 何かチートでも使ったんじゃねえのか!? 補正か!? 補正なんだな!? ちきしょうこうなったら俺も主人公補正でなんとか……あれ? 俺って悪役だからもしかして補正がかからない? いや決して悪役ではないのだが……
「でも私も勉強になったわ。内側からの攻撃なんて考えてもいなかったし……」
「そ、そうですか……」
アキは先程までとは違う汗をかきながらもジェロの言葉に相槌を打つしかない。だが内心は気が気ではなかった。
何故なら自分が先の戦いでジェロに弱点を教えてしまったのだから。恐らくはもう二度と同じ手段は通用しない。それはつまり内側からの攻撃をジェロは警戒してしまったということ。
あれ……もしかして俺、とんでもないことしちゃった……?
自分がしでかしてしまった取り返しのつかないことに今更ながらに気づきアキが絶望しているのを知ることもなくジェロはゆっくりと動き始める。
「……じゃあ私はそろそろ魔界へ戻るわ。メギド達にも報告したいし……あなたはどうする? 一緒に来る?」
「えっ!? い、いや俺は……その遠慮しとくわ! まだこっちにやらなきゃなんないことがあるし……!」
「そう……仕方ないわね」
ジェロは一瞬考えるような仕草を見せるもののすぐにいつもの表情に戻る。それはまだアキを他の四天魔王に会わせるのはもう少し成長してからだと判断したため。だがそんなこととは露知らずアキはどもりながらも安堵していた。
じょ、冗談じゃねえ……これ以上こんな化け物連中に付き合ってられるかっつーの!? ジェロだけでもこれなのに同じようなのがまだ三人もいるんですよ!? 何の拷問っ!? メギドやアスラはともかくウタは絶対にヤバい! 腕試しとか言ってもうあの馬鹿でかい剣で襲いかかって来るのが目に浮かぶわ!? そんなことになったら今度こそ命がない! これ以上死亡フラグを立てたらもう対処できなくなっちまう! それだけは阻止しなければ……!
アキがそんなあきらめの悪いことを考えているなど知らないままジェロはアキに近づきながら何かを差し出してくる。それは一つのDB。
「これは……?」
「『ゲート』と呼ばれるDB。あなたが眠っている間にマザーに頼んで用意してもらったの。それを預けておくわ」
『ゲート』
魔界よりの門を開く最上級DB。それはキングも持っている魔界と人間界を繋ぐことができるDB。原作ではキングがハルたちを足止めするためにゲートを使い王宮守五神と呼ばれる集団を呼び出していた。
それと全く同じものをジェロはアキに預けてくる。アキは悟る。それが何を意味するか。
「そ、それって……」
「何か手が必要な時には呼び出しなさい。四天魔王の名に賭け力になるわ」
それはつまり四天魔王ジェロが力を貸してくれると言うこと。
RPG風にいえば召喚獣『絶望のジェロ』を手に入れた。といったところだった。
え……? 何これ? あれか。召喚のアイテムみたいなもんか。あれだな。絶望のジェロを召喚! 相手は死ぬ! って奴ですね……ってちょっと待てえええっ!? 何だそれ!? 危なすぎるんですけどっ!? 危険すぎてこんなもん使えるわけないだろうがっ!? 使われた相手絶対に死んじまうわ!? あ、ある意味マザーよりもヤバい代物だぞ……これ。あれだよね? 認められるたびに呼び出せる四天魔王が増えてくんですね、分かります。っていうかキングが王宮守五神で俺は四天魔王ですか!? 呼び出す俺が一番弱いとか何の冗談!? 返品したいんですけど……あ、やっぱ無理ですか……本音言えばできればもう二度と会いたくないんだけどそんなこと言ったら殺されかねん……
「それじゃあ行くわ。あなたも今度会うときにはもっと力を付けておきなさい。今度は本気で相手をしてあげるわ」
恐ろしい言葉を残しながらジェロはゲートの力によって魔界に戻って行こうとする。だが
「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
それをアキはどこか必死の形相で引きとめる。それはジェロが今まで見た中でもっとも鬼気迫るもの。
「何かしら? 一緒に魔界に来る気になったの……?」
「い、いや……帰る前にこの街の呪術を解いて行ってほしいんだ……」
「……? 何故?」
ジェロはアキの言葉の理由が分からず困惑するしかない。それはマザー達も同様だった。既にアキを凍らせていた呪術は解かれている。なのに何故そんなことを気にするのか。そしてしばらくの沈黙の後
「………服がくっついて動けないんだ……」
アキはうなだれながら白状する。それはアキの座っている場所。そこは氷漬けにされているベッドの上。何とか上半身は起こすことができたもののどうやっても下半身、ズボンがベッドにくっついたまま。それをジェロ達に気づかれないようにどうにかしようとしたのだがアキはあきらめるしかなかった。一番の理由としては氷漬けにされてしまった街を元に戻すことなのだがそれと同じぐらいアキにとっては切実な問題だった。もっとも凍りついたベッドの上に気を失ったまま長時間放置するというマザーのドSっぷりのせいでもあったのだが。
「…………」
ジェロは表情を変えることなく見つめ続ける。怒り狂いながら食ってかかって行くアキとそれをからかっているマザーの姿。ジェロは深く目を閉じながらも思った。
もしかしたら自分は早まった選択をしてしまったのではないか、と。
それが魔石使いアキと絶望のジェロの出会いだった――――