巫女さんの朝は早い。
木の葉から朝露が滴る博麗神社。霊夢は境内を掃除していた。紅葉や銀杏の落ち葉を箒で掃き、境内の隅へ寄せていく。
赤や黄に色づいた美しい葉は見る者の心を楽しませてくれるが、地に落ちてしまうと見る影もない。だが、そうでなければ紅葉は風情がない。
(1日に何度も掃き掃除しなきゃいけないのは面倒だけどね)
と思いつつ霊夢は落ち葉を集めていく。この季節は特に落ち葉が多いから、うんざりもする。
朝食後に博麗神社の境内を掃除するのが彼女の日課である。自覚は薄くとも、巫女としての職責は全うしている・・・と言えばまだ聞こえはよいが、単に自分の家だからというだけだったりする。参拝客が絶無なので、掃除しなければ困るのは実質自分だけなのが物悲しい。
あらかた落ち葉を集めきった霊夢は箒を持ったまま大きく伸びをした。
「ん~・・・っと。お茶にしようかしら」
つぶやき、うず高く積もった葉っぱの山を後にする。掃除の後に縁側でお茶を飲むのもまた日課。昨日、魔理沙から年寄りくさいと言われたばかりだが、そんな事を気にするほど繊細な神経は持ち合わせていない。
自分でもそう思っていたのだが。
「・・・・・・」
昨日の事、と考えて慧音と紫の話を思い出し、ふと足を止めた。
これまで彼女は『紅霧異変』『春雪異変』『三日置きの百鬼夜行』『永夜異変』と数々の異変を解決してきた。しかし、それらのほとんどが幻想郷の生物に重大な影響を与えかねない規模でありながらも、首謀者の割と個人的な野心や事情が起因するものだった。
だが、今度のアンデッドの件はそれらとは根本から性質が異なる。最初から幻想郷の生き物を根絶する事が目的なのだ。もっとも、これは慧音の推測に過ぎない――が、霊夢の勘はそうは言っていない。彼女のそれは良く当たる。いいものにせよ、悪いものにせよ。
本来ならばこれまでと同じく、彼女が異変の元凶を叩かねばならない。だが、彼女にはアンデッドを封印する事は出来ない。唯一の対抗手段を持つ人物・一真に頼る他ないのだが、彼でさえ今回の事態を彼女ほど深刻に考えてはいまい。長くない人生でこれまで悔しいなどと思った事はほとんどないが、今回に限っては自分が動いても事態は動かず、状況をちゃんとつかめていない者に任せなければならない事が悔しく、歯がゆい。
無意識に箒を強く握り締めていた。
昨日戦ったイーグルUも、手強い相手には違いないが勝てないとは思わない。だからこそ、封印できない事が余計に腹立たしい。
「・・・考えてもしょうがないか、こんな事」
ため息を吐く。神社裏の壁に箒を立てかけ、縁側に上がるべく靴を脱ごうとした時。
ブォン!
「ん?」
今しがた自分が来た境内の方から聞き慣れない――だが、つい最近どこかで聞いたような――音がした。踵を返して境内へ向かった。急がず、のんびりゆっくりと。近づくにつれ、低く唸るような音が聞こえてくる。そして境内に着いてみると、これまた見慣れないが最近見かけた物と似ている物体が鳥居の真下にあった。車輪が2つついた、バイクとかいう乗り物。それにヘルメットをかぶった男がまたがって周りを見ている。
「あなた、誰?」
その男は霊夢の声に気づき、顔を彼女へ向けた。
「ここはどこだ?」
「聞いてるのはこっちなんだけど・・・ここは博麗神社よ」
彼の方へ歩を進める。男はヘルメットのバイザー越しに霊夢をきっとにらんでいる。警戒されているようだが、敵意というほどではない。
「あなた、外来人でしょ。それ、一真のにそっくりね」
バイクに目を向けながらそう言うと、男の顔色が変わった。
「一真・・・?」
その態度に霊夢が顔を上げると、男はヘルメットを取ってその素顔を晒した。
「剣崎を知っているのか?」
◇ ◆ ◇
魔法使いの朝は早い。
魔理沙は早寝早起きが信条である。今日も朝から魔法の森の奥に構えた自宅を元気よく箒で飛び出し、博麗神社へ向かっていた。のんびり屋の霊夢の事だからまだ家にいるだろう。行けば大抵お茶にありつける。
「魔理沙!」
そんな事を考えながら空を飛んでいると、森の切れ目の上空あたりで呼び止められた。聞こえてきた下方を見やると、人影が森の中から浮上してきた。
「よう、アリス。魔法の研究ははかどってるか?」
「よう、じゃないわよ。また異変なんですって?」
飛んで来た少女は停止した魔理沙の横で止まり、人形のように美しい顔をしかめた。年齢は魔理沙と同じくらい、だが美しい顔立ちからこちらの方が大人びた雰囲気がある。スカート丈の長い青のワンピース、肩に羽織った白いケープにかかる金髪の頭にはリボンが巻かれている。
彼女――アリス=マーガトロイドは魔法の森に住む魔法使いである。
幻想郷において『魔法使い』という言葉は2つの意味で使われる。広義には魔法を扱う者全てを指し、この場合は魔理沙もアリスも含まれる。狭義、即ち本来の意味は妖怪としての種族名だ。魔理沙は人間だが、アリスはそれに該当する。さらに妖怪としての魔法使いには生まれついての者と、人間が寝食を不要とする魔法を用いて変化した者とがあり、アリスはその後者、つまり元人間の妖怪である。
「まあな。誰から聞いたんだ?」
「昨日の夜、人間の里に行ってみたら様子がおかしいんだもの。里の人に聞いたら、怪物に襲われたって話じゃない」
朝の光に輝く金髪を右手でかき上げ、アリスは真剣な表情を見せた。左腕には洋風の装丁が施された本を抱え、彼女の傍らには金髪の少女を模した可愛らしい人形が付き従うように浮いている。
彼女が最も得意とするのが人形を生き物のように使役する魔法で、アリスに魔法で与えられた指示通りに人形が自動で動くのだ。歩く、跳ねる、物を持つといった簡単な動作から、空を飛ぶ、弾幕を放つ、掃除や洗濯や食事といった複雑な動作までこなす。藍のような式神にも似ているが彼女とは違って人形に意思はなく、あくまでアリスが出した指示通りに動くだけである。が、その『指示』が多彩であるほど人形の取れる行動も多くなる。
魔理沙はふっと笑みを浮かべ、
「耳が早いな。永夜異変に絡めなかったのをまだ根に持ってんのか?」
「違うわよ。あれはまあ、私の行動が遅かったのもあるしね・・・」
小指で首をかくアリス。
永夜異変の際、魔法使いである彼女も夜空に昇っているのが偽りの月である事に気づいた。そこでそれを解決するために、顔見知りの魔法使いで異変にしょっちゅう首を突っ込んでいる魔理沙に協力してもらおうと考えたのだが、彼女が魔理沙の家を訪ねても魔理沙はいなかった。その時すでに魔理沙も月の異変に気づいて家を飛び出していたのだ。だが人間に過ぎない魔理沙は月が動かない事にしか気づかず、その原因であると予測した紫に1人で勝負を挑んだ。
紫と一緒に異変解決に動いていた霊夢も同時に相手にする事になったが結果は散々なもので、しぶしぶ後の事を霊夢らに任せて引き下がり、家に帰ってみるとアリスがいた。
魔理沙はアリスがいれば2対2でまだ勝負になったかも知れないのにと悔しがり、アリスも魔理沙が勝手に先走ったせいで異変に気づいていながら手を打てなかったと腹を立てた。その夜は思い通りにいかなかった事を互いのせいにして毒づき合っていたが、真の満月が夜空に復活するとそんな事はどこ吹く風と2人で神社へ繰り出し、解決祝いの宴会に参加した(魔理沙はそういう方向に話を誘導するのが上手いのだ)。
そういう事もあって、この2人は特別親しいと行かないまでも友好な関係である。魔理沙が時々アリスの家から勝手に本を持って帰ったりしなければ。
「昨日、あなたと霊夢がその怪物とやりあって仕留め損ねたそうね」
「ああ、アンデッドっていう外の世界の怪物だ。不死身な上に強いんで梃子摺ってるんだ」
「詳しく聞かせて欲しいんだけど」
「じゃあ着いて来いよ。今から神社で霊夢とその話をしに行く所だ」
「・・・そう。じゃ、そうさせてもらうわ」
魔理沙とアリスは共に神社へと飛んでいった。
「ねえ、不死身ってどういう事?」
「文字通り、死なないって事だ。幽々子もそう言ってたらしい」
「蓬莱人なの?」
「それとも違うらしい」
秋の朝、上空の風はかなり強く冷たい。2人とも風にたなびく髪を片手で押さえつけている。
「そうだ。蓬莱人と言えば、妹紅が積極的に動いてるそうだぞ」
「妹紅って、あの肝試しの時の蓬莱人?」
魔理沙とアリスも永夜異変の1ヶ月後に輝夜から持ちかけられた肝試しに参加していて、それゆえ妹紅とも面識はある。
「私も霊夢から聞いただけでよく知らないが、最初にアンデッドと接触したのがあいつらしい」
「・・・不死同士で引かれ合ったのかしら」
「この幻想郷じゃ、有り得ない話じゃないな。ともかく、私も聞いただけで細かい事はわからん。詳しくは霊夢に聞いてくれ」
そう言われて、色々と聞きたがっていたアリスも黙るしかなかった。
「・・・本当に知らない?」
「本当だ。私が嘘をついた事があるか?」
「それはもう、しょっちゅう。ていうか私の本返してよ」
「別にいいじゃんか、死ぬまで借りるだけだ」
「・・・それこそ嘘であって欲しいんだけど」
「死んだ後まで借りてていいのか?」
「いやそっちでなく」
二枚舌の魔理沙相手に手応えのない言い合いをしていて、気づけば神社付近まで飛んできていた。裏の方へ回って下降すると、洗濯物を干していた霊夢が2人に気づいて顔を上げた。
「よっ」
「あら、アリスも来たの?」
「いけない?」
「いた事をたった今まで忘れ去ってしまっていたわ」
干し竿に手ぬぐいをかけた霊夢はぱんぱんと両手をはらった。地面に置かれた籠には何も入っていない。
「あなたね・・・まあこの所、魔法の研究で殆ど家を出なかったのは確かだけど」
「で、何の用? お賽銭箱は表よ」
神社の表の方を左手で指しながら、籠を右手に持って縁側へ上がる霊夢。
「アンデッドの事を聞きに来たのよ。今、大変な事になってるらしいじゃない」
霊夢は家の奥へ入っていき、彼女の姿はアリスらから見えなくなった。
「聞いてどうするわけ?」
奥の方から霊夢の声と、かちゃかちゃと音が聞こえる。
「それは聞いてから決めるつもりだけど、多分私はそいつらに喧嘩を売ると思うわ」
魔理沙と縁側に並んで腰掛けつつ、家の奥へ声を飛ばす。
「里の人間達が襲われたんだもの。見過ごせないわよ」
アリスは横に座る魔理沙に真剣な表情を見せた。その後ろで、アリスの人形も真剣そうな顔つきを作っている。
彼女は人間から魔法使いに変わってまだ期間が短く、本来なら不要な食事や睡眠を取って人間らしい生活を送っている。まだそういう習慣が抜けていないのだ。里へ買い物にも行くし、祭の時などは得意の人形を使役する魔法で人形劇を披露する。そういうわけで、彼女は幻想郷で最も人間に対して友好的な妖怪の1人である。
「正直、あんまり関わらなくていいわよ」
「なんでよ!?」
あっさり即答されてしまったので思わず大きい声が出てしまう。振り返ると、奥からお盆を持って霊夢が戻って来ていた。
「はい、お茶」
「あ、ありがと」
お盆を置いた霊夢にその上に乗っていた湯飲みを渡されて、アリスは礼を言いながら受け取り、すすった。
「魔理沙からどれくらい聞いてる?」
「不死身って事くらいしか」
「だったら、すごく厄介だってわかるでしょ」
「・・・確かにね」
「しかも、それだけじゃないのよ。今回はこれまでとだいぶ違うわ」
「それを聞かせて欲しいのだけど」
霊夢と魔理沙も湯飲みに手を伸ばす。
「霊夢、私ももうちょっと詳しく聞かせてほしいんだが。正直、今回はいつもみたいにいい加減にやってちゃ対処できないと思う」
「いつもいい加減にやってたわけ・・・?」
アリスが魔理沙に半眼を向ける。
「じゃあ・・・最初から順を追って話すわね」
~少女説明中・・・
霊夢が話し終わった頃には、空になった3つの湯飲みが盆に乗せられていた。アリスは腕を組んで唸った。
「確かに、妖怪の異変とは色々わけが違うみたいね・・・」
「でしょ? 私達がどれだけ気を揉んでも、結局は一真に全てかかってる。私達じゃ解決できないんですって。幻想郷そのものが狙われてるのに」
膝の上に頬杖をついてぼやく霊夢。魔理沙は彼女が、説明している間に段々とイライラが募ってきている事に気づいていた。
「で、このまま指をくわえて静観してるつもりか?」
「それはなんか嫌」
即答して、霊夢は盆を持って立ち上がった。アリスはそれを見上げ、
「かといって、手立てはないんでしょ?」
「それがムカつくんじゃない」
そう吐き捨てて再度奥へ行った霊夢。程なく、お茶が満たされた湯飲みを持って戻ってきた。座るなり、自分だけ湯飲みを持ち上げる。
「まったく、これじゃ私の立場がないじゃないの。冗談じゃないわよ、もう」
そうぼやいて、ずずっと茶をすする霊夢。
「あんた達もそうよ。もっと早く来てくれれば説明の二度手間が省けたのに、余計な手間をかけさせて」
愚痴に顔を少ししかめるアリス。
「二度手間って、どういう事?」
「1時間くらい前かしら。外の世界から一真の仲間だってやつが来たのよ。それでこっちの状況を教えてあげたの」
アリスと魔理沙はその言葉に顔を見合わせた。
「もしかして、あれ? ええと・・・仮面ライダーって言ったっけ」
「そう言ってたわ」
「でもそれ、本当にその人の仲間なの? 今の話じゃ、人間に化けられるアンデッドもいるって話だったじゃない。何を根拠にそいつの言う事を信用したの?」
「勘」
ずるっとアリスの体が縁側から滑り落ちた。
「アリス、こいつが日頃から勘主体で動いているのは今に始まった事じゃないぜ」
「それじゃ私がいつも何も考えてないみたいじゃないのよ」
やれやれと両手を広げる魔理沙、言い返す霊夢、のろのろと立ち上がって服についた砂を払うアリス。
「・・・じゃあ聞くけど、その勘ではその人は安全な人?」
「なんか普通じゃなさそうな感じはしたわね。でも嘘は言っていなかったと思うわ」
あっさり飲み干した湯飲みの中を覗き込みながら答える霊夢。
「で、その人それからどうしたの?」
アリスは盆に乗った湯飲みを1つ霊夢に差し出しながら聞いた。霊夢はそれを受け取り、中身を自分の湯飲みに移し替える。
「慧音の所へ行くように言ったわ。そうすりゃ一真と合流できるでしょ」
「ま、そんなとこだろうな。で、お前はこれからどうする?」
魔理沙は自分の湯飲みをすでに確保していた。
「・・・とりあえず、永遠亭にでも警告に行こうかしら」
「ま、そんなとこだろうな。運がよければアンデッドに出くわすかも知れんし。巫女も歩けば異変に当たるってな」
「私ゃ犬かい」
「あなたと来たら、誰彼構わず噛みつくじゃないの。言い得て妙だわ」
「あはは、確かにな」
口を大きく開けて笑う魔理沙と、口元に手を当てて上品に笑うアリス。人形も笑顔になっている。霊夢は2人に半眼の視線を突き刺しながら、また空にした湯飲みを縁側に置いた。
「ま、歩いて行かないけどね。それ片づけといて」
霊夢は後ろに置いてあった御幣を持って靴を履き、飛んで行ってしまった。残された2人がきょとんと見上げている間に、紅白のシルエットはあっという間に見えなくなった。
「・・・怒ったのかしら」
「こりゃ誰彼構わず噛みつくぞ」
顔を空へ向けたままつぶやく2人。
「で、あなたはどうするの?」
「決まってるだろ? アンデッドを探し出して退治するんだよ」
「倒す事も封印する事も出来ないんでしょ?」
「勝手に暴れてりゃ、そのライダーとやらが勝手に来るだろ。いずれにせよ、指をくわえて見てるだけなんて真っ平だぜ」
魔理沙が立ち上がったので、アリスも釣られるように腰を上げる。
「お前は来なくてもいいんだぞ?」
「そう言わないの。あのオリジナルトランプに封印されていたっていうアンデッドも一度見ておきたいしね」
「さっきもそこに食いついてたよな、お前」
「もちろんよ! きっとこんなチャンス、永遠に来ないわ」
人形にお盆を奥へ運ばせながら、アリスは目を輝かせる。さっき霊夢からラウズカードの事を聞いた時、アリスはそれがオリジナルトランプの事だとすぐに看破した。
魔法使いは先人の知恵を得る事に余念がない存在である。それゆえ多数の古書を所有しているアリスはその存在についても本から知識は得ていた。と言っても、オリジナルトランプについて言及された書物は非常に少ない上にはっきりしない記述ばかりだった。1枚ごとに怪人が封じ込められているとか、生命の起源を司る、という風にどうにか解釈できる、という程度の伝承だけで、実在しない物だろうと考えていた。それが今、幻想郷にあるとわかって、魔法使いとしての知的好奇心が俄然湧いてきていたのだ。
「私は、あなたがオリジナルトランプを知らない事に驚いたわよ」
「お前に比べりゃ私は若造だからな。だから本をたくさん集めてる」
「集めるだけ集めてろくに目も通さないくせに」
腰に両手を当てて口を尖らせる。振り返り、人形が家の中から戻ってきたのを確認して、本を持つ。
「で、やつらはどこにいるのかしら?」
「さあ、知らん」
「知らないのに戦う気なの?」
「まあまあ。私だって何も考えていないわけじゃないんだぜ。とりあえず行くぞ」
颯爽と箒にまたがって飛び立つ魔理沙。それを追ってアリスも人形と共に空へ舞い上がった。
「それで、考えって何?」
「おう。飛んでいればまあ目立つからな。こうして飛び回っていれば、私を狙って出て来るだろ。そこを返り討ちにするって寸法だ」
「自分をエサにしておびき出すつもり? 危険よ。大体、そんな都合よくアンデッドが近くにいると限らないじゃない」
「魚釣りと一緒だ。辛抱して釣れるのを待つしかないんだ。それに、大物を釣るためにはエサも豪華じゃないとな」
「釣れるかしら?」
頬に指を当てながら首を傾げる。そんな手段、結局は行き当たりばったりと変わらない。
「そういえば、どこに向かってるの?」
「ん、適当」
「・・・・・・」
とうとうアリスは右手で頭を抱えた。そんな事に気づかず、魔理沙は箒をしっかり握る。
「さあ出て来い! 弾幕でお出迎えだぜ!」
「あなたね――っ!?」
言いかけて、すぐ近くを飛行していた人形からシグナルを感じ取った。人形には視覚や聴覚も与えられており、その感覚をアリスと共有する事が出来る。人形が何かを察知したという事だ。
「魔理沙っ!」
「ぐえっ!?」
その察知したものを即座に理解したアリスがほとんど反射的に魔理沙の首元を引っつかんで制動をかけたその瞬間、急に止まった2人の眼前をエネルギーの塊が通り過ぎていった。
「げぇほげほっ」
咳きこむ魔理沙。
「だ、大丈夫?」
「ああ、ちょっと痛いが今のを食らうよりはマシだ」
と、首をさすりながら魔理沙は弾が飛んできた方向をにらみ、アリスもそちらへと目をやった。2人の視線の先には、4枚の翼を持った緑の怪物が咢を大きく開いていた。
「おいでなすったな! 出てこなかったらどうしようと思ってた所だぜ!」
「そんな事だろうと思ったわよ。あれがアンデッド?」
「昨日見た奴とは違うけど多分な!」
「クァァァァッ!」
アンデッドらしき怪人は奇声を上げながら2人に突進した。怪人の突進を魔理沙とアリスは左右に分かれるようにかわす。
「急に襲ってきたんだもの、1人で相手する必要なんかないわよね!」
「それもそうだな!」
通り過ぎた怪人が再度向かってくる。魔理沙とアリスは冷静にスペルカードを宣言した。
「『霧の倫敦人形』!」
「『ミルキーウェイ』!」
魔理沙は大量の星型弾幕をばらまき、アリスは出現させた多数の人形に緑の弾を発射させながら自分も撃つ。弾幕の真っ只中に突っ込む形になった怪人は両腕でそれらをガードし、切り返して側面に回り込もうとする。
「逃がすもんですか!」
人形がそろって向きを変え、怪人の動きを追って弾幕を撃ち込む。身を翻す怪人の背中に弾が突き刺さり、弾けた。アリスが怪人の動きを予測し、そこに命中するように計算して人形に攻撃させたのだ。
怪人はスピードを上げ、不規則に動き回るがアリスはその動きを正確に読み、人形から放たれる弾幕はことごとく怪人の緑の体を捉え続けた。
「相変わらず冴えてるな、アリス!」
「何度も言ってるでしょ。弾幕はブレインよ!」
アリスの攻撃で怯んだ所に、容赦なく流星雨の如き弾幕を撃ち込みながら魔理沙が軽口を叩く。
多数の人形を自在に操る柔軟さと、相手の行動予測の正確さを初めとする知能的な立ち回りがアリスのスタイルである。読みを重視する点は同じだが最終的に力技で押し切ろうとする魔理沙とは、霊夢とはまた違う意味で対照的と言える。
怪人は2人の弾幕に飲み込まれて姿が見えなくなった。
「意外にこのままいけるかな?」
「・・・いえ、来るわ!」
つぶやいた魔理沙にアリスが警告する。その直後、緑の怪人が急に弾幕の中から迫って来た。2人に突き出した両腕から炎が噴き出す。
「わっ!?」
咄嗟に横へ避ける2人。アリスは人形にも避けさせようとしたが、間に合わず2体が炎に飲み込まれた。
「あーっ、私の人形!」
燃え上がって落ちていく人形。その間にも火炎放射で追い回される。
「こんにゃろっ! 私は焼いたって美味しくないっての!」
「確かにあなたは煮ても焼いても食えないけどね!」
逃げ回りながらも、2人は口と弾幕を止めない。怪人は腕の火炎放射器の部分を回転させて刃を伸ばし、弾幕を全身に受けながらも魔理沙に接近して腕を振りかぶった。
「魔理沙っ!」
「この!」
魔理沙の体から霊撃が発せられる。衝撃で真正面から弾き飛ばされた怪人が体勢を崩した所に『ミルキーウェイ』の弾幕を集中的に浴びせられる。だが、それをものともせず怪人は再度魔理沙へ向かっていく。
「しつこいぜ!」
星弾幕を中断し、青い流線型の『マジックナパーム』を連発する。直撃したマジックナパームは次々に爆発、怪人の速さは鈍ったがそれでも止まらない。その間に魔理沙は急降下、真下から今度は『イリュージョンレーザー』を放った。白く細い光が怪人の背中を焼き、翼の1枚を貫いた。
「ギャゥッ!?」
悲鳴を上げる怪人の翼に、さらにアリスが集中砲火を打ち込む。人形達が翼の根元一点に弾幕を集め、皮膚に裂傷が生じるが翼を折るには至らない。
「タフね・・・」
険しい表情を見せるアリス。動きは単純だが、速さや頑丈さなど身体能力は妖怪以上だ。下手に長引かせると、万が一という事もありえる。
「・・・やってみるか」
なにやら苦い表情でつぶやき、アリスは魔理沙へ声を飛ばす。
「魔理沙、ちょっとヤツの動きを抑えてくれる?」
「あ? おう、いいぜ」
存外軽く受けた魔理沙はスペカを切った。
「リクエストにお答えして、『アースライトレイ』!」
光の魔法陣が5つ、魔理沙の指先から地面へ放たれた。魔法陣が地面に接し、その中央が光る。
「カァァァッ!」
迫る怪人。すると魔法陣から一筋の光が空へ向かって伸びていった。レーザーは反射的に急停止した怪人の体を掠め、その部分が音を立てて焦げた。そして他の4つの魔法陣から縦に発射された4本のレーザーが怪人の四方を囲んだ。
「今だ! 『リモートサクリファイス』!」
アリスの人形が1体、彼女の前に進み出る。そして、その人形は全身から赤いレーザーを放射した。レーザーは赤い光の粒を撒き散らしながら、光の檻に閉じ込められた怪人の胸に直撃した。赤い光は数秒間照射され続け、それが途絶えた時には人形は完全に燃え尽きて灰になってしまっていた。それを受けた怪人も、緑の体の胸全体が焼け焦げて真っ黒に変色し、煙がもうもうと上がっている。相当のダメージを与えた事が見て取れるが、それでも予想より軽そうだ。犠牲にした人形のように、灰になるまで焼き尽くすつもりだったのだが。
「もらいっ――」
アリスの攻撃に目を丸くしていた魔理沙だったが、勝負を決めるチャンスと見て畳みかけようとした。
「ウォォォ!」
しかし、体から煙を立ち上らせながらも怪人が口からエネルギー弾を撃ちまくり、魔理沙とアリスは慌ててそれらを避けた。
「ち、往生際の悪い――」
「グゥァァァッ!」
怪人が両腕から火炎を噴出させる。かなり距離を置いている2人も火傷しそうなほどの熱量を放つ炎の中に、怪人はエネルギー弾を放り込んだ。
ボン!と炎の中でエネルギーが弾け、周囲に熱と赤い光が拡散する。
「きゃ!?」
「おわ!?」
咄嗟に結界を形成したので2人とも難を逃れたが、飛び散った炎が治まった時には怪人の姿はなかった。
「・・・逃げられたみたいね」
「今のは目くらましか」
まだ空気に残っている熱気を肌で感じながら、2人は辺りを見回して言った。
「あれじゃ、あいつ自身もただじゃ済まないだろうに」
「それでもやらなきゃいけないほど追い詰められていたのよ。私もあんまり利口な手段じゃないと思うけど」
「しかしアリス。お前が人形を使い捨てるとは、ちょっと驚いたぜ。お前らしくない」
「しょうがないじゃない。あの子、もう40年くらい直しながら使ってたのよ。長持ちさせすぎると妖怪になっちゃうもの。あえて壊すのも作った私の責任よ」
アリスは腰に手を当てて眉を片方吊り上げた。
どうせ処分してしまわなければならないのなら、ただ壊すだけではなく別の物を巻き込む自爆攻撃に活用する事を考えた。それが『リモートサクリファイス』だ。人形にとって最後の活躍に相応しいものにしようと、大抵の妖怪ならば一撃で倒せる程の破壊力を持たせ切り札として使う事を想定した。実際に使うのは今回が初めてだったが、威力・精度共に予想通りの結果が出た。だが、怪人にそこまでの重傷を負わせるには至らなかった。奴の体の丈夫さはアリスの予想を大きく上回っていた。
「そういうもんかね」
風が吹きつけ、辺りの空気は一気に冷えていった。
「なあ。あいつ、逃がさなければ私達が勝ったと思うか?」
「・・・有利だったのは私達だけど、断言は出来ないわ。今のだって、逃げずに攻める隙は有ったといえば有ったもの。それに私達の弾幕で受けた傷、回復してたわ」
「本当か?」
「微妙にではあったけど、あんな見てわかるほどの早さで治るなんて妖怪でもありえないわ。アンデッド・・・確かに恐ろしい存在ね」
真剣な表情で腕組みするアリス。
「ねえ、昨日あなた達が戦ったのとさっきのと、比べてどうだった?」
「そうだな。昨日のヤツは1発も食らわないように見事に避けてた。完璧主義者だったのかもしれん。なんか神経質そうだったし」
イーグルUを思い出しつつ、帽子を直す。
「だが、今のヤツは被弾するのも構わずに突っ込んできてた。スタイルが根本から違うって気がする」
「なるほどね・・・」
あるいは、イーグルUも多少被弾してもどうという事はなかったのかもしれない。それでもなお、かわし切る事にこだわったのは始祖生物としてのプライドだろう。
一方、今戦った怪人は頑丈さに任せた強引な戦い方だった。それはこの2体の戦いに対する姿勢が異なる事を示している。そういう点は弾幕ごっこでも如実に現れる事を2人はよく知っている。
「で、どうする? 今のを追うか?」
「どっちに行ったか、もうわからないわよ」
「そうだな。逃げられた時の事も考えないといかんな・・・」
魔理沙も腕組みする。
「ねえ、自分を囮にするのやめましょうよ。今みたいに不意打ちして下さいって言ってるようなもんじゃない」
「じゃあどうするんだよ」
「さっき霊夢の話で、妹紅があのワーハクタクならできるって言ってたらしいじゃない。彼女を頼ってみましょうよ」
上方に目をやりながら頬を指でかく魔理沙。
「他人と同じ手段を取るっつうのは私の主義じゃないんだがな」
「結果を出せれば、経過や手段なんてどうでもいいのよ」
「幻想郷的にはそれアウトじゃねえ?」
「いけないかしら」
「むしろ乗ったぜ」
魔理沙は手の平を上に向けてあっけらかんと即答した。
◇ ◆ ◇
剣崎一真の襲撃に失敗し、トライアルCは慎重になっていた。
肉体の能力はアンデッドと同等以上のものを有しているが、生み出されたばかりで戦闘の経験がない事が不安要素だと彼の創造者も悩んでいた。存在そのものが兵器と言える力を有しているトライアルCだが、それをどう使えば効率よく生物を殺害できるかはよくわかっていない。たいていの人間や動物ならば適当に力を振るえば殺せるからだ。
剣崎一真は非常に強い戦士だ。ライダーシステムの性能と、それを使いこなしてアンデッドと戦い勝利した経験も十分にある。
トライアルCはさしあたって別の生物を襲い、殺しの経験を積む事にした。アンデッドから生み出されたためにアンデッドの闘争本能も持ち合わせており、それを持て余した面もある。それで動物や妖怪や妖精(という事を全く知らずに)を適当に襲ったが、いずれも腕を打ち下ろすくらいで死んでしまうため(妖怪や妖精は死なないが、動きが止まるのでトライアルCは死んだと思った)経験も何もなかった。
だが、今しがた遭遇した黒と青の服を着た少女らはそれらなど比較にならないほどの能力を持っていた。剣崎一真と同様、能力と経験を併せ持っているのだろう。どちらにも傷を負わせることさえ出来ず、逆に自分が逃げる羽目になってしまったが、必要だった経験は少し得られた。体の頑丈さに任せて強引に突っ込むばかりでは致命的な威力の攻撃が来たらおしまいだし、動きが単調になって相手に予測されやすい。
今度はなるべく素早く不規則な動きをする事を意識する。高い学習能力を持たされた人造アンデッドの頭脳でそうやって考えながら、森の中で息を殺すトライアルC。胸全体に負った火傷も修復が進んでいる。計算ではあと1時間足らずで全快する。まずは森の中で獲物を探し、いなければ森の外へ出る。剣崎一真を倒すためには昼夜を問わず襲うつもりでいる。
人造アンデッドには昼も夜も関係ない。
◇ ◆ ◇
「ったく、あいつら、私を何だと思ってんのよ・・・」
ぶつぶつと不満を口にしながら、霊夢は青空を飛んでいた。堂々と犬呼ばわり――それも狂犬のように言われれば機嫌が悪いに決まっている。異変の最中などは妖怪や妖精に対しては口より先に弾幕が出るので魔理沙やアリスの言う事もけっこう的を射ているのだが、本人に自覚はない。
「まあ、妖怪に果敢に噛みつくくらいでないと異変の解決なんてできないんだろうけどね」
「だから、誰が犬みたいだってのよ」
突如虚空から聞こえてきた声に対してあっさり返事する。まるで、そこに誰かいると最初からわかっていたように。
「にはは、段々異変だって意識し始めたみたいだね。いつものように」
霊夢の周辺の空気が白み始め、その白い気体が集まって人の形を取り、萃香が姿を現した。
「うっさいわね。あんたから退治するわよ」
「おお恐。まるで狂犬病だ」
白い霞の上に寝そべった姿勢で紫の瓢箪を掲げてみせる萃香に、霊夢はいよいよ声を荒げ始めた。
「あんたね」
「まあまあ。実はさ、ちょいと面白い物を拾ったんだ」
そう言って萃香は紙の束を差し出した。
「何よ、これ」
それを受け取って、目を走らせる。
「『花果子念報』? 天狗の新聞?」
「そ。今朝まで妖怪の山の中で霧になって寝てたんだけど、起きたら近くにこれが束で捨ててあったんだよね。で、その内容がちょっと面白くてさ」
その花果子念報とやらの記事を読み進めていくにつれ、霊夢の顔はにやにやと緩んでいった。
「なるほど、これは珍しく面白い事が書いてあるわね」
さっきまでの仏頂面はどこへやら、霊夢は満面の笑みを萃香に向けた。
「ねえ、これもらってっていい?」
「いいよ。私もう読んじゃったし、これ全部あげる」
「よーし、行く先々にばら撒いてやろ。萃香、ありがとね」
霊夢は上機嫌で踵を返し、鼻歌など歌いながらふわふわと飛び去っていった。
「単純だねえ。あんなゴシップごときであんなに喜ぶなんて」
呆れたような顔で酒をあおる。
「ぷはー。ま、あんな膨れっ面で空飛んでいかれちゃ酒がまずくなるしね」
つぶやいて、また酒をごくごくと飲んだ。
「ぷは~っ」
天を仰ぎながら大きく息をつき、そのまま自分の体の一部で作られた霞の上に寝そべった。やはり、余計な事は考えずに酒に酔うに限る。後で霊夢が慧音からもらったはずの酒を飲もう。神社に置いてあるはずだ。
鬼は朝から晩まで酒に酔っているものだ。
◇ ◆ ◇
寺子屋教師の朝は早い。
毎朝授業の準備があるからなのだが、現在アンデッドによって寺子屋は開かれていないので早く起きる必要はない。しかし習慣というものは異常事態の中でも変わらないもので、慧音は今日も朝早くに目が覚めた。のだが他にやる事もなく。
「・・・・・・」
ぼんやりと朝食を作って食べ、それからずっと思案にふけっていた。考えているのはもちろん、アンデッドの事だ。
昨日、藍に答えた事が論理的である事には自信があるが、それが真実かどうかについては別だ。一夜明けて、紫達に話したのは少々軽はずみだったかもしれないと彼女は思い始めていた。
慧音は真実であると確証を得られない事は口にしない。全ての歴史を知るはずの彼女が誤った事を人々に伝えようものなら、誰も彼女の言う事を信じなくなるだろう。しかし、あらゆる歴史を見ているからこそ、様々な思惑が絡み合うほどそれは形になって現れる事を知っている。将校がクーデターを画策したならば、そのために兵力を集結させる。逆に権力者が反乱を察知したなら、スパイを送り込んでその詳細を探る。
アンデッドが幻想郷に侵入した事についてもそうだ。異なる種族の共存のために創造された幻想郷に、種族間の生存競争の象徴とも言えるアンデッドが現れた。この点に、どうしても何者かの意思を感じずにはいられない。そして、その『何者か』とは統制者以外に有り得ないのだ。
――だが、それを指し示す決定的な証拠はない。外の世界の歴史を見る事が出来ない以上、慧音に外の世界の事を断言する事は出来ない。結局、これは彼女1人の推測――言い様によっては妄想に過ぎないのだ。
「・・・はあ」
ため息。
ふと窓に目を向けると、太陽がだいぶ高く昇っていた。自分が朝食を取ってからどれくらい時間が経ったかよくわからない事に気づいて、また唸る。茶でも飲んで気分を切り替えるかと腰を上げようとした時、ドンドンと戸が叩かれた。
「はい?」
玄関へ歩き、戸を開けると、洋装の男が立っていた。どちら様かな?と慧音が言おうとするより早く、彼は無表情に口を開いた。
「お前が上白沢慧音か」
「・・・ああ、そうだが」
愛想というものがロクに感じられない話し方に軽く眉をひそめながら(愛想のなさでは彼女も人の事は言えないのだが、それが余計に不愉快だった)短く答える。
「剣崎はどこにいる?」
◇ ◆ ◇
吸血鬼にとって、朝は眠る時間である。
◇ ◆ ◇
蓬莱人は別に早起きをする必要はない。
仕事なんてしていないし、誰か近くに寄るならばその時に動けばいい。不老不死だから、どれだけ不健康な生活をしようとも体を壊す事などない。だから昨夜のように夜明け前まで飲み明かして、太陽が高く昇るまで寝ていても一向に構わないのだ。
「ふぁ~あ・・・」
雨戸をのろのろと開けた妹紅は大きくあくびをした。
「ああ、さすがに寝すぎたな、こりゃ・・・」
頭をぼりぼりとかきながら、寝ぼけ眼で真っ青な空を見上げる。狭い家の中を振り返ると、散らかった部屋が目に入った。たくさんの徳利が畳や卓の上に無造作に転がり、昨夜もらった八目鰻の蒲焼は包みしか残っていない。そして卓の脇でひょろ長い男が大の字になっていびきをかいていた。
「ったく・・・」
一真のその様子を見て、ため息が出た。雨戸を全て開け、部屋へ取って返す。
「・・・ちょっと飲ませすぎたかな?」
すっかり眠りこけている一真の寝顔を見下ろして独りごちた。
昨夜、蒲焼を肴に一真と2人で始めた酒盛りは大いに盛り上がり、2人とも箸も酒も話もぐんぐん進んだ。妹紅が蓬莱の薬で不老不死になる前の話を聞かせると一真も自分の昔話を始め、互いに酌をし合いながらじゃんじゃん飲んだ。
蓬莱人である妹紅は酔いが覚めるのが人より早い。ところが彼女はその事を失念して、自分のペースで一真にも酒を勧め続けたのだ。飲んでいる一真がとても楽しそうだったのと、妹紅もあんなに楽しく飲んだのは慧音以外では初めてだったため、ついやりすぎてしまった。そんなわけで、ほろ酔いで眠った妹紅に対して一真はぐでんぐでんに酔い潰れて正体をなくしてしまった。
「・・・飯作るか」
部屋の惨状は一真が起きた後でどうにかする事にして、とりあえず朝食の準備に取りかかった。
「う~ん・・・」
一真が目を覚ましたのはそれから30分ほど経ってからだった。寝癖のついた頭をかきながら台所に顔を出した一真に、妹紅が言葉をかける。
「おう、起きたか」
「・・・おはよう」
彼女は火の入った竃の前で、袖をまくった手に箸と鍋の蓋を持っている。
「食うだろ? 朝飯」
「うん・・・」
「じゃ、部屋片づけて」
「・・・えっ?」
冴えない顔でちょっと間を置いて聞き返す一真に、箸で部屋を差す。
「片づけないと飯も食えないだろ。ほら、飯は私がちゃんと作るから、早く。もうすぐ出来るよ。燃えるごみは今、薪と一緒に燃やしてるから、徳利は縁側の下に出しといて」
「・・・うん」
言われるままに一真は徳利を集めて外に出した。それが終わって、外の井戸で顔を洗って戻った所で朝食が出来上がったので2人で配膳をした。ご飯と味噌汁と漬物。簡単な食事ではあったが、食卓は穏やかな雰囲気だった。
「一真、今日はどうする?」
「いや、聞きたいのは俺の方だよ。どうする?」
「お前ね・・・」
さっきまで寝ていたとは思えないペースで食べながら相談する2人。
「やっぱり慧音にアンデッドの居所を教えてもらって、そこに行くしかないんじゃない?」
「うん、俺もそれしかないと思ってた」
「本当かよ」
「いや本当だって。なんか他に考えがあるかと思って」
「んなもん、そうぽんぽんと出てくるもんか」
「・・・だよなあ」
相談する事およそ10秒。とりあえず行動方針は固まったので食べる事に集中し、ほどなく食事を平らげて片づけも速やかに終わらせた。
「よし、行こうか」
「ああ。すぐ行くから先に出てて」
食器や鍋を仕舞っている妹紅。そして、それが待ち切れないという風にライダーグローブを手につけながら外へ駆け出す一真。
「早く来いよ。あんまりのんびりしていられ――」
ガンッ
「いて!?」
だったが、玄関で頭をぶつけた。妹紅の方を見ながら外へ出ようとしていて、上を見ていなかったのだ。
「あーあ、またやったか」
「くそ~、昨夜は気をつけたのに・・・」
うずくまって頭を押さえる一真の横に妹紅もしゃがみこむ。
「大丈夫?」
「すっげー痛い・・・」
妹紅が右手で顔を覆ってため息をついたが、一真はそれどころではなくて気づかなかった。
蒼穹の下、空と同じ色のバイクが細い道を走る。一真が運転するブルースペイダーに妹紅は揺られていた。
南中を過ぎた直後の太陽を、手をかざしながら見上げる彼女の顔はほぼ真上に向けられている。風は少し冷たいが日差しは暖かで、ややもすればこのまま一真の背に身を預けて寝てしまいそうなほどだ。本当にそんな事をしたら大惨事になるが。
(なんていうか・・・平和だなあ)
流れる雲をぼーっと見ながら、何気なくそんな事を考える妹紅。
(・・・いや、違うな)
すぐ前にある一真の背中を見て、その考えを打ち消した。
のどかな雰囲気は自分の目に見える範囲だけで、今もどこかで誰かがアンデッドに襲われているかもしれない。
2日前に見たイーグルUの姿を思い出す。妖が跳梁跋扈する幻想郷でさえ異質な怪物。一応人間とされているとはいえ、普通とは一線を画す力を持つ妹紅でさえ致命傷を負わされた。不老不死ゆえの油断もあったかもしれないが、その強さと冷酷さは恐るべき存在だ。
誰かが、自分ほどの力も持たない誰かが同じ状況に陥っているかもしれない。それを見て見ぬ振りをする事ができないから、自分は今こうやって一真と共に走っているのだ。
急ごう、と一真に声をかけようと口を開きかけたその瞬間。
殺気を感じた。
「――っ!」
妹紅が喉から出かけた言葉を飲み込むのと同時に、ブルースペイダーが甲高い音を響かせながら急激に向きを変えた。その直後、彼らを狙った矢のようなものが周囲の地面に突き刺さり、激しく火花が散った。
「大丈夫か、妹紅っ!?」
同様に危険を察知してハンドルを切った一真はブルースペイダーを急停止させて後ろの彼女を振り返る。
「ああ、大丈夫・・・今のは――!」
答えながら殺気の源――空を見上げた。青い空の中に、大きく翼を広げた黒い影が羽ばたいている。それはつい今しがた妹紅が思い出した異形の姿に間違いなかった。
「貴様っ・・・!」
「フ・・・我々を追ってきたか、ブレイド」
宙に浮かぶ怪人――イーグルUは両腕を広げながら薄ら笑った。
「貴様だけは厄介だ。死んでもらう」
「このっ・・・!」
不意打ちを受けた事で頭に血が上った妹紅は短く口走り、炎の翼を出して一真の背から空へ飛翔した。イーグルUと同じ高度まで上昇し、向き合う。
「用があるのはブレイドだけだ。邪魔をしないでもらおう」
「私がお前に用があるんだっ!」
叫ぶや否や、腕を突き出して火球を撃つ。ヒュッと風を切る音と共にイーグルUは横へ体を滑らせてそれをかわし、小さく首を傾げて見せた。
「私はお前に用はないのだがな」
「黙れっ!」
更にカッとなった妹紅は炎の弾幕を撃ちまくる。イーグルUはそれらを最小限の小さな動きで左右へ体を振って避けていく。
「フン」
鼻で笑い――やはり鼻はなさそうなのだが――更に上昇する。
「仕方ない。相手になろう」
上空から妹紅を狙って爪を撃つ。その数は非常に多く、弾幕と呼べるものだった。
「上等だっ!」
爪の弾幕をかいくぐり、妹紅も炎の弾幕で応戦する。
「妹紅!」
せわしなく動き回りながら撃ち合う2人を追って一真はブルースペイダーのアクセルを吹かす。すでに腰にはブレイバックルが装着されている。
「変身!」
『 Turn up 』
ウィリーし、加速しながらオリハルコンエレメントをブルースペイダーごと通り抜ける。
ブレイドに変身した一真は、激しく弾を撒き散らしながら遠ざかる2人を追いすがる。かなりの速度で移動しながら戦っていて、地上の一真には手が出せない。ならば、と走りながら腰に差したブレイラウザーに手をかける。昨日トライアルCに使った手で――
その瞬間、ブレイドの目の前に雷が落ちた。
「うわああっ!?」
直撃はしなかったが、衝撃で倒れたブルースペイダーから前方へ投げ出された。背中から地面に落ち、ごろごろと転がる。
「一真!?」
それを見て驚く妹紅にイーグルUの爪が飛ばされ、彼女の腕をかすめた。
「よそ見とは余裕だな」
「くっ――!」
血のにじむ腕を押さえ、妹紅は一真とイーグルUのどっちに注意を向ければいいかわからなった。
「う――!?」
一方、ブレイドは何が起こったのか分からなかった。とにかく立ち上がろうとした時、彼の目に灰色の影が飛び込んできた。
「貴様の相手はオレだ!」
「うあっ!?」
急に殴られ、野原に再び倒れ込む。突っ伏したまま上げた顔の先に立っていたのは、長い爪の生えた手をぼきぼきと鳴らすウルフUだった。
「お前――!?」
「呆けすぎだ。上手くいきすぎて拍子抜けなくらいだぞ」
殴られた頭が上手く回らず、少々理解が追いつかないがとにかくブレイドは膝をついて立ち上がろうとした。
「ハアッ!」
立ち上がりかけた所にウルフUが素早く距離を詰め、拳が顔面へ打ちつけられる。ぐらついたブレイドのボディを腕の爪が切り裂き、火花が飛ぶ。更に蹴りを受け、ブレイドはたたらを踏んで後ずさる。
「く・・・」
「一真っ!」
「おっと」
叫ぶ妹紅だったが、ブレイドの所へ向かおうとした先にイーグルUが回り込み、立ちはだかった。
「俺が相手をしてやるといっただろう」
「こいつっ・・・!」
相手の術中にはまった事を理解し、妹紅は歯噛みした。
いいように攻められていたブレイドだったが、ウルフUのパンチを防ぎ、反撃を試みていた。腰のブレイラウザーは抜く余裕がなく、素手で応戦する。
ブレイドのフックは屈んでかわされ、ウルフUの斬撃を両腕でブロックする。ボディブローがウルフUの腹に入るが、今度はブレイドアーマーの胸に拳が叩き込まれる。
「うおおっ!」
ブレイドの渾身の右ストレートがウルフUの左手で受け止められる。咄嗟に左手も振るうがそれも押さえられた。
「おい、今だ!」
両腕を押さえられたまま、ウルフUが短く叫ぶのを訝しむブレイド。
「一真、後ろ!」
妹紅の怒号が飛ぶ。
その一瞬後に、飛びかかったディアーUの2本の七支刀がブレイドの背中に振り下ろされ、金属同士が激しくぶつかる高い音と共に火花が飛ぶ。
「ぐああっ!?」
「一真!」
2体のアンデッドに挟まれて打ちのめされるブレイド。妹紅は眼前のイーグルUをきっと睨みつけた。アンデッド3体が結託していた事に驚きの色が隠せなかったが、とにかくこのままでは一真が危ない。
「そこをどけ!」
左手から炎を放ちながら、スペルカードを右手で抜く。
イーグルUも下がりながら爪を撃つ。
「不死『徐福時空』!」
妹紅のポケットから赤と青の札が舞い、二重の卍を描く。見事に直角に整列した札は青の逆卍と赤の卍を中央から崩すように空間をスライドしていった。瞬時に展開した札の弾幕にイーグルUの飛ばした爪が触れると、札から生じた衝撃で爪が砕けた。それを見ても、そして前後左右を赤と青の札に囲まれてもイーグルUは平然としている。
多量の札が前後から迫る。
しかしイーグルUは札同士の隙間へ身を滑り込ませ、細かく動いて的確に避け続ける。あまつさえ、避けながら爪を撃ち返してきた。
「うっ!?」
それを避ける妹紅の顔に動揺が走る。イーグルUの動きを抑制して一真を助けに行くつもりだったが、足止めにすらならない事に驚愕していた。ここまで精密に避けるのは幻想郷で弾幕ごっこを何度となく経験していないとできるものではない。先日妹紅が1度スペルカードを使ったが、その程度で身につくとは思えない。
「ぬるいな。あの赤と黒の娘達の方が手強かったぞ」
「赤と黒・・・まさか、霊夢と魔理沙と戦ったのか?」
「名前まで覚えていないが、あの娘どもはかなりの手練れだった。おかげでこういう事には慣れた」
弾幕を避けながら言うイーグルU。その声には余裕さえ感じさせる。
(くそ、あいつら余計な事してくれて・・・!)
胸中で霊夢達を罵るが、そんな事をしても事態が好転するわけもなく、汗が頬を流れる。
「ウリャア!」
「くっ!」
囲まれないように何とか距離を取ろうとするブレイドと、それを攻め立てるウルフUとディアーU。飛び交う弾幕越しに睨み合う妹紅とイーグルU。
どうにかブレイドの元へ行こうと隙を伺うが、イーグルUのプレッシャーにはそれがない。
頭を働かせるが、焦燥感ばかりが募っていく。
妹紅とは逆にイーグルUは、計画通りの状況に内心ほくそ笑んでいた。
ブレイドを見つけたら、まず娘の方を相手すると見せて空中へ引きつけ、2人が離れた隙を突いて、離れた場所で待機させておいたウルフUとディアーUがブレイドを包囲する。ウルフUとディアーUには自分の気配で位置とタイミングを知らせる。そうやって分断した上で娘は自分が足止めして、ウルフUとディアーUにブレイドを倒させる。
ブレイドを倒して封印用のカードを奪ってしまえば、自分達を封印する事は不可能になる。そうなれば不老不死の娘をはじめ他の者には手も足も出せない。
そして現在、ブレイドはアンデッド2体にいたぶられ、娘の方は自分が足止めできている。あとは、ウルフUとディアーUがブレイドを倒すまで娘の相手をしていればいい。
とはいえ彼女もブレイドを助けるために必死だし、ブレイドも簡単には倒せない。自分には先日よりも激しい弾幕が迫っている。それにブレイドも懸命に反撃を試みている。気を抜けないが、それでも有利なのはこちら側。冷静に追い詰めていけば十分勝機はある。
「ウェイ!」
「ウグッ!」
ブレイドはウルフUの突き出した左腕をひねりながら右腋に抱え込んで押さえ、横から来たディアーUを蹴り倒してブレイラウザーを左手で逆手につかんで抜き放った。体を回転させながら逆手に持ったブレイラウザーでウルフUの腹を切り裂く。飛ぶ火花。さらに腹にキックを打ち込み、ブレイラウザーのトレイに手をかける。
「カードなど使わせるか!」
痛みを堪えてウルフUはブレイドに肉薄する。ライダーに勝つには、とにかくラウズカードを使わせない事だ。2日前の戦いでは結局カードを使う隙を与えたせいで逃げ帰る羽目になった。そもそもラウザーを持たなければカードの力は引き出せないので、その隙さえ与えないつもりだった。それでもラウザーを抜かれて悔しい思いだが、そうなった以上はカードの使用を全力で妨害する他ない。
突進するウルフUに素早く反応したブレイドはジャンプでウルフUを飛び越える。
「ヤツに隙を与えるな!」
ディアーUがブレイドに飛びかかる。2本の七支刀をブレイラウザーで受け止め、鍔迫り合いになる。一瞬動きが止まり、ウルフUが即座に近づく。七支刀を力任せに弾き返したブレイドはウルフUの右フックをしゃがんで、続けて振るわれた左腕も地面を転がって避けた。転がったのは間合いを取るためでもあったが、ウルフUに素早く距離を詰められてしまう。斬りかかるが刃を跳ね上げられ、ウルフUにボディブローを打ち込まれる。身をよじるがかわしきれない。ラウザーを振り下ろそうとした所に組みつかれた。密着されては剣で攻撃できず、逡巡する。
「やれ!」
命令を受け、ディアーUがジャンプする。振りかざされる七支刀を見て、ブレイドはもがくがウルフUに力強く抑えられている。
七支刀が振り下ろされる直前、ディアーUの背中に青白い光が突き刺さった。
「ギャッ!?」
「何!?」
空中でバランスを崩したディアーUは落下し、地面にうつ伏せに倒れた。ウルフUが驚いたその一瞬を突き、ブレイドは膝蹴りを打ち込み、ウルフUを強引に振りほどいた。なんとかウルフUから逃れたブレイドが上空を見上げると、そこには青い服と髪をたなびかせる女性が浮かんでいた。
「慧音!」
妹紅の声に慧音は微笑み、妹紅の顔からも笑顔がこぼれた。その場にいた全員の目が慧音に集中したその瞬間に、彼らは唸るような低い音に気づいた。
「ん・・・?」
「これは・・・バイクか?」
つぶやくブレイドとイーグルU。今度は全員の視線がその音の聞こえる方向へ向けられた。近づいてきた1台の赤いバイクが彼らから少し離れた位置で止まった。シャツとジーンズを着た、明らかに外来人とわかる服装。
「あれは・・・!」
ブレイドとイーグルUがさらに強い驚きを込めた声を異口同音に上げる。
乗っていた男がヘルメットを外す。茶色がかった髪から垣間見える大きい目から、感情の感じられない、刺さるような厳しい視線をアンデッド達に向ける姿からは冷酷な印象を受ける。
「始!」
「はじめ、って・・・」
一真の言葉をオウム返しにつぶやく妹紅。彼女の近くで浮遊しているイーグルUは立ち尽くしている。
「あれは・・・? ヤツもここに・・・?」
不思議そうな声を上げるウルフU。それぞれ異なる反応を示す彼らの目を集める本人は低い声で言った。
「やっと見つけたぞ」
彼――始は持っていたヘルメットをバイクの上から投げ捨て、ポケットから『♥A CHANGE』という字とカマキリの絵が描かれたカードを出した。
「なに?」
「ラウズカード・・・!?」
ウルフUと妹紅がつぶやいた時、始の腰に白と赤のベルトが浮き出るように現れた。
「変身」
抑揚の抑えられた声音の短い言葉と同時に、彼はカードをベルトの中央の溝に上から下へと通した。
『 Change 』
電子音声が響くと彼の姿は黒い影に包まれ、白い光の粒子が飛び散った。そして影と光の中から漆黒の異形の姿が現れた。顔にはハート形の赤い大きな単眼。黒いカマキリを連想させる、刃の様に細く鋭い体。変わっていないのはベルトだけだ。同時にバイクもどことなくその姿に似た印象の、黒いボディに変わっていた。
「なんだと!?」
「カリス・・・!」
それを見てウルフUは驚きの声を、イーグルUは怒りのこもった声を上げた。
「なぜカテゴリー2がカテゴリーAに・・・!?」
そして、変身した始――カリスは黒いバイクを走らせた。
「まさか、ヤツは――」
ウルフUのつぶやきは、黒いバイクが突進してきた事で中断された。
「クッ!」
猛スピードで向かってきたバイクを横に跳んでなんとか避ける。
「始、来てくれたんだな!」
急停止したバイクから降りたカリスに声をかけるブレイド。どことなく嬉しそうにしている。
「お前を助けに来たんじゃない」
低い声でそっけなく返事をしながら、向かってくるウルフUに相対する。カリスの手に、刃と弓が一体になった武器『醒弓カリスアロー』が不意に現れた。
「ハアッ!」
「ぬん!」
ウルフUが拳を打ち出す前にカリスが自ら踏み込み、カリスアローで袈裟懸けに斬りつける。
「グァッ――」
その呻きも消えない内に2度3度とカリスアローの2つの刃が閃き、ウルフUの体から激しい火花が飛ぶ。
「一真、そいつが――?」
ブレイドが空にいる妹紅を見上げる。
「ああ、相川始。『仮面ライダーカリス』だ!」
ウルフUはカリスの鋭い後ろ回し蹴りを頭に受け、たまらず倒れこんだ。
「ウグゥッ!?」
続いてカリスはカリスアローを、刃を開いたブレードモードから刃を閉じたボウモードに切り替えてディアーUに向け、カリスアローの中央からエネルギーの矢『フォースアロー』を3発放つ。
「ギャアッ!?」
胸に3発ともくらって動きが止まったディアーUに、カリスは再びブレードモードにしたカリスアローをジャンプして振り下ろす。それは七支刀で受け止められたが、すぐさま七支刀を跳ね上げた。がら空きになったボディに、全身の筋肉をひねり上げてのキックと斬撃を叩き込まれる。流れるような連続攻撃を立て続けに受けたディアーUも地に倒れた。
「すごい・・・!」
上空から見ていた妹紅は、瞬く間に2体のアンデッドを叩き伏せたカリスの強さに思わず感嘆の声を上げた。
「おのれ・・・!」
呻いたイーグルUがカリス目がけて急降下する。
「あっ!?」
妹紅はそれを追おうとしたが、イーグルUが後ろ向きで放った弾幕に阻まれてしまう。
そしてイーグルUが地上の2人のライダーに爪の弾幕を連射する。
ブレイドとカリスはいち早くその気配を察し、それぞれ違う方向へ転がって弾幕から逃れた。
「お前の相手は俺だ」
カリスは腰のベルトからバックル部分『カリスラウザー』を取り外してカリスアローの真ん中に取りつけ、右腰のホルスターからカードを1枚取り出した。
「こいつめ!」
それを見たウルフUとディアーUは起き上がってカリスに向かおうとした。
「待てっ!」
しかしウルフUはブレイドが斬りかかって制し、ディアーUは慧音の赤と青の弾幕を浴びて身じろぎした。
『 Float 』
カリスラウザーにトンボが描かれた『♥4 FLOAT』のカードを通すと、始の体は宙に浮かび上がった。
<カリス初期AP 7000>
<『FLOAT』消費AP 1000>
<カリス残りAP 6000>
飛びあがりつつフォースアローを撃つカリス。イーグルUはそれを素早く避ける。
「貴様・・・!」
呪詛のような呻き声をあげ、イーグルUも弾幕で応戦を始めた。もう妹紅の事は眼中にない。どうせ3対2だった数的優位は、慧音とカリスが現れた時点で3対4とひっくり返されてしまっている。
妹紅はというと、カリスとイーグルUが空中戦を始めたのを呆気に取られて見ていたが、
「妹紅!」
慧音の声にはっと顔を上げる。
「こっちは私達が引き受けます! あなたは相川始を援護して下さい!」
言われて、頭を巡らせる。
4対3。数はこちらの方が多い。さっきまでアンデッド達は空を飛べる自分を同じく飛べるイーグルUが足止めして、一真を1対2で倒す算段だった。だから今度は他の2体を一真と慧音が食い止め、アンデッド側で唯一飛べるイーグルUを2人がかりで倒すという事か。
「わかった! 気をつけて!」
「ええ、あなたも!」
イーグルUとカリスの方へ飛んでいく妹紅を見送りながら、慧音はディアーUに弾幕を浴びせ続けた。
「一真、こいつらは我々が抑える! いいか!?」
「ああ!」
ウルフUと組み合いながらブレイドが大きく声を上げる。
黒い爪と光の矢が飛び交う蒼天。さらに赤い炎の弾も空を切り裂く。
「く・・・!」
2方向からの弾幕はさすがに避けにくく、呻くイーグルUは後退して距離を取った。
「お前が藤原妹紅か」
すぐ横まで上昇してきた妹紅に、始が声をかける。
「上白沢から聞いている。剣崎と一緒に戦っているそうだな」
剣崎に上白沢という呼び方に一瞬違和感を覚えてしまったが、それはひとまず置いておく。
「私もあんたの事は聞いてるよ。アンデッドなんだって?」
表情は変わらなかったが、なんとなく嘆息が聞こえた気がした。
「口の軽い奴だ」
「気にするな。私も同類だ」
「それも聞いている」
「そう」
そうでなければ、初対面の者に協力はしてくれないだろう。イーグルUが体勢を立て直し、2人の上方へ位置取った。
「戦うのは構わないが、俺の邪魔はするな」
そう言い残し、カリスは横へ滑るように飛んで行った。イーグルUの側面へ回り込むつもりのようだ。
「・・・まあ、いいけどね」
冷淡なセリフに片眉をひそめる。なんとなく彼は本当にアンデッドだという実感が湧いてきた。
「おのれ――ジョーカー!」
イーグルUが憤激のこもった声で叫び、カリスと妹紅とに爪を撃つ。
「俺をその名で呼ぶな――!」
フォースアローで応じるカリスの声にも微/かに怒気が混じる。
「その姿で――よくもカリスの姿でまた私の前に現れたな!」
爪と炎と矢が宙で交錯し、一部は衝突して砕け散る。
「貴様からカリスを取り返し、解放してやる!」
妹紅はイーグルUの言葉に疑問を抱いた。
(カリスを解放って、どういう意味だ?)
始の正体がジョーカーというアンデッドだという事は聞いているが、カリスというのも始の事ではないのか?
疑念が脳裏をよぎるが、今はそれどころではないと頭を切り替え、次に切るカードを考えながら炎を撃ち続けた。
「『エフェメラリティ137』!」
慧音は赤と青の弾幕で牽制しながらスペルカードを宣言、ディアーUの左右に白い弾幕を発射した。その白い弾が泡のように弾け、赤と青の弾幕が飛び散る。
左右から波のように包み込む弾幕にディアーUは飲み込まれていった。時間にして1秒程度。弾幕が命中する音が何十と響く赤と青の空間から、ディアーUが慧音の目前へ飛び込んできた。
「!」
「グォォォッ!」
七支刀が振り下ろされる。だが慧音はそれから逃げるどころか逆に踏み込んだ。
「ふんっ!」
「ウッ!?」
どてっ腹に頭突きを受け、ディアーUはバランスを崩して倒れた。ダメージそのものは微々たるものだが、アンデッドを転倒させる程度のパワーはある。慧音は頭を軽く払いつつ後ろへ飛び退き、弾幕を再開した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
慧音の頭突きがあまりにも見事だったので、その様子をちらりと見ていたブレイドとウルフUは剣と爪を交えた姿勢のまま、一瞬動きを止めてしまった。
(すっげぇ頭突き・・・)
(あの女も人間ではないのかもしれんが・・・アンデッド相手によくやる)
だがそれも一瞬だけ。同時に相手を押し返し、少し空間的余裕を作った上で得物を振るう。刃と刃がぶつかり合い、剣戟の響きが刹那に消え、静寂が生まれる。
ウルフUは退かない。余裕を与えればカードを使われる。だがイーグルUの作戦で勝てる見込みは薄くなってしまった。『ヤツ』が――忌むべき存在がこの場に現れてしまった事で。こうなったらブレイドだけでも倒す。その意志を押し通すために。
一真も退かない。この戦いにおいて、アンデッドを封印する役目は自分である必要はない。
始が助けに来てくれた。
かつては心から憎み合い、剣を交えた男。それが、こんな別世界にまで駆けつけてくれた。その事がとても嬉しくて、一真の意気は高揚していた。彼の強さはよく知っている。始と妹紅、信頼できるこの2人に任せておけば大丈夫だ。助けに来てくれた始のためにも、自分は絶対に後ろに下がらない。思いには、思いで答えなければならないから。
3人は空中で射撃戦を繰り広げていたが、膠着状態に業を煮やしたらしいイーグルUが、カリスに対し弾幕での牽制から接近戦に持ち込んだ。
「死ねっ!」
幾度も爪を振り回すイーグルU。明らかに頭に血が上っている。冷静なこいつが、らしくない――そう妹紅は思った。
2人が接近戦に入ったので弾幕は迂闊に打ち込めず、妹紅はいつでも動けるように身構えながら、一時成り行きを見守る事にした。
カリスは落ち着いて攻撃をいなすが、流石に空中戦はイーグルUに分があるようだ。上からかぶせるように両腕を振り下ろされ、カリスがそれを防いだ瞬間、蹴りがカリスの腹に打ち込まれる。
「ぐっ!?」
わずかに体を曲げるも、次々に振るわれる爪を防ぐ。だがいずれも際どく、畳み込まれつつある。
「いけない――!」
妹紅は静止状態から一気に加速した。
「はぁぁぁっ!」
「うぐっ!」
ついにカリスは数回目の攻撃を胸に受けた。
「こいつ!」
更に攻撃しようとしていたイーグルUの背中に体ごとぶつかる。攻撃の手を一瞬止める事は出来た。妹紅が即座に離れたその直後、カリスがイーグルUの胸をX字に斬りつける。
「くっ!」
力任せに横から叩きつけられた爪をカリスアローでブロックするが弾き飛ばされるカリス。今度はその直後にイーグルUの背中に炎が爆ぜる。
「こうるさいっ!」
自分を標的に定めたイーグルUに、妹紅は札を投げつつ炎も発射する。イーグルUはそれらをすり抜けるように妹紅へ近づきながら爪を撃ち返す。
「私の邪魔をするな!」
「さっきまで落ち着き払ってたのに、一体何をそんなにムキになってるんだ?」
イーグルUに疑問を投げかける。気を散らせる狙いもあるが、それ以上にただ気になっていた。
「黙れ! アンデッドですらない貴様に何がわかる!」
互いに撃ち合いながら、空中を縦横無尽に駆け回る。
「私はカリスとの――友との約束を果たさねばならぬのだ!」
「友との約束――?」
その言葉に驚いた直後。
「お前の都合につき合う義理はない」
『 Bio 』
「!?」
後方から重なるように聞こえたその声にイーグルUが振り返った時、植物の蔓のようなものが2本、イーグルUの両腕に巻きついた。
目でその蔓を辿ると、カリスの背中から2本の蔓が伸びていた。その手には2本の触手と大きな口を持った動物とも植物ともつかない怪物の絵柄のラウズカード『♥7 BIO』が握られている。
<『BIO』消費AP 1600>
<カリス残りAP 4400>
蔓に絡め捕られ、動けないイーグルUにカリスがフォースアローを撃ち込む。
この好機を逃すまいと、妹紅もスペルカードを取り出した。
(悪く思うなよ)
「虚人『ウー』!」
カリスを睨みつけながらもがくイーグルUの背中に向かって、妹紅の手から3本の炎の筋が走る。炎は爪のようにイーグルUの背中を切り裂き、2つの翼が根元から切り落とされた。
「ぐあああっ!」
イーグルUの背中に刻まれた3本の爪痕や翼の切断面から緑の体液が飛び散り、切断された翼は落ち葉のように地上へ落ちていった。蔓が消え、翼をなくしたイーグルUの体も地上へ吸い込まれるように落下していく。それを見下ろしながら、カリスは2枚のカードをカリスラウザーに読み込ませた。
『 Drill 』
『 Trnade 』
『 Spining Attack 』
ドリルがついたオウムガイのような生き物が描かれた『♥5 DRILL』と、翼を大きく開いた鷹の絵の『♥6 TRNADE』がラウズされ、2つのカードから四角い光がカリスの胸部に吸い込まれる。
「ハァァァッ!」
カリスは両腕を胸の前で交差させながら、全身を捻り込んで駒のように回転し、重力に逆らえないでいるイーグルUに突っ込んでいった。
周囲の空気が彼の周りに収束していき、風がその回転に沿って巻きつくように黒い体を包み込む。小さい竜巻のような空気の渦がカリスの足先を頂点とする三角錐を形成し、その中にいる黒い姿は猛烈な速さで回転していて霞んで見える。
<『DRILL』消費AP 1200>
<『TRNADE』消費AP 1400>
<カリス残りAP 1800>
黒い旋風が空気を切り裂き、無防備な状態だったイーグルUの横腹に三角錐が先端から衝突した。
「うわああああぁぁぁぁっ!!」
激しい衝撃音と、何かが砕けるような鈍い音、そして悲鳴が同時に青空に響き渡る。地上で戦っていた4人が見上げると、不自然に折れ曲がった大きな体が、宙で滅茶苦茶に回りまくりながら吹き飛んでいた。
直後、その体は空中で赤い閃光と爆音を発し、爆発した。炎を上げるイーグルUの体はばさっと意外に軽い音を立てて落下、直後にカリスも地上に降り立った。
「やった!」
ウルフUと一進一退のインファイトを続けていたブレイドは快哉の声を上げた。
「クソッ! おい!」
イーグルUがやられたのを見て取ったウルフUはディアーUに指示を出し、ブレイドを突き飛ばした。ディアーUの角から電気が走り、ブレイドと慧音の周囲に数発の稲妻が落ちる。
「うっ!?」
咄嗟に防御姿勢を取ったブレイドと慧音だったが、彼らには落雷は当たらなかった。しかし2人が顔を上げた時にはアンデッドの姿はなかった。
「逃げられたか!?」
「妹紅! やつらは!?」
慧音が上方の妹紅へ声を上げる。
「ごめん、わからない。逃げ足の速い奴らだ」
妹紅が謝るが、一真も慧音も責めない。3人が立ち込める煙の源に目を向けると、イーグルUが炎の上がる体を横たえ、漆黒の戦士がそれを傍らで見下ろしていた。
◇ ◆ ◇
ウルフUの心中は苦々しかった。同じ相手に対して3日間に2度も撤退を余儀なくされたからだ。息を切らせて駆け込んだ先は、昨夜イーグルUとディアーUに遭遇した森。
イーグルUを見捨てて逃げたように見えるが、あの状況は不利を挽回できまかったイーグルUの自業自得だ。こっちもひっくり返されまいと必死だったのに。自分の体へと視線を下せばブレイドに斬られた傷がいくつも目に入る。ディアーUも弾幕を受けた小さい傷跡が全身を覆っている。
最初はイーグルUの作戦が的中し、有利なはずだった。ヤツが現れるまでは。
「カテゴリーAと1万年前の勝者を封印していたか・・・やはりヤツは恐るべき存在だ」
予期せぬ乱入者の姿を思い出し、手を強く握りしめる。
「冷酷な殺し屋――ジョーカー」
畏怖の念を抑え込んだ声が、暗い森の中に吸い込まれていった。
◇ ◆ ◇
原型は留めながらも燃え上がるイーグルUのバックルはすでに開いている。
「ふ・・・また負けたか・・・」
並んで自分を見つめる2人の少女と、青と黒のライダーにゆっくり目をやるイーグルU。
「今回はカリスの姿を目にしたからといって油断などしなかったのだがな・・・」
「カリスの姿・・・?」
つぶやく妹紅。慧音がそれを受けて口を開く。
「カリスというのは、ハートのカテゴリーA・マンティスアンデッドの事です」
言われて、始が変身に使ったラウズカードの事だと思い至った。
「ジョーカーはラウズカードに封印されたアンデッドの姿や能力をコピーする事が出来るのです。今の彼はマンティスアンデッド・・・カリスではなく、マンティスアンデッドの姿を借りたジョーカーなのです」
その言葉でイーグルUが言っていた事のほとんどがようやく理解でき、妹紅はゆっくりと頷いた。
「友・・・っていうのは、そのマンティスアンデッドの事なのか?」
「そうだ・・・太古に約束を交わした、私の友だ・・・」
苦しそうに声を発するイーグルU。つまりイーグルUは、友を封印した上、その姿に変身している始が許せなかったのだと妹紅は考えた。
「約束って何だ?」
そして最後に1つだけ、まだわからない点を口にした。
「互いに勝ち続け・・・そして最後は2人で、最高の敵として勝利を賭けて戦おう・・・と・・・」
「友と・・・殺し合う約束を!?」
妹紅は驚きの声を上げた。
「貴様らから見ればおかしいだろうな。だが私達はアンデッドだ。その存在価値は戦う事以外になく、自分以外のアンデッドは全て敵。ならば、永遠に続くこの戦いに目的を持って何が悪い?」
「――!」
永遠の戦いに目的を。その言葉を耳にした瞬間、妹紅の脳裏に輝夜の姿が閃いた。
イーグルUはゆっくりと右手を上げ、
「その2人もそうだ。今は手を取り合っていても、いずれは戦い、雌雄を決する運命にある――」
ブレイドとカリスを震える手で指し示し、絞り上げるように言った。
「運命からは逃れられんぞ・・・」
死にかけと言える状態の割には饒舌だなと意識の隅で考えながら、妹紅はイーグルUが力なく腕を落とすのを見ていた。
カリスがイーグルUに背を向ける。
「剣崎、封印しろ」
「あ、ああ・・・」
ブレイドがブレイラウザーのトレイを開いてカードを取り出し――その時、ブレイドの手が一瞬止まったのに妹紅は気づいた――イーグルUに投げつけた。封印される事を受け入れたかのように微動だにせずカードの中に消えていくイーグルUの姿には高潔ささえ感じられた。
そして黄金の鷲が描かれた『♠J FUSION』のカードが一真の手に受け止められた。
初めて遭遇し、苦戦した相手を封印したにも関わらず、妹紅の心境は複雑だった。
変身を解除しているブレイドから目を離すと、カリスもまたカードを手に取っていた。
「――?」
『 Spirit 』
カードが、カリスアローからベルトに戻されたカリスラウザーに通される。そのカードには『♥2 SPIRIT』と書かれており、その絵柄は動物ではなく、人に見えた。ラウザーからピンクの光の壁が現れる。彼がその光を歩いて通り抜けると、カリスの姿から人間の姿へと変わった。
妹紅はその光景に何か引っかかるものを感じた。
と、
「始、よく来てくれたな!」
一真が始に駆け寄り、肩に手を置いた。
「お前を助けに来たんじゃないと言っただろう」
始はその手を払いのけ、つっけんどんに言い放つ。
その時、妹紅は始が鎖骨のあたりに傷を負っている事に気づいた。小さい切り口だが、そこから緑の液体がにじみ出ている。一真にもそれが目に入り、表情を一瞬固くした。始は2人の気配を察したのかシャツで胸元を隠した。しかし一真は次の瞬間に明るい表情を見せ、
「そんな冷たい事言うなよー、大変だったんだぞ。6体も解放されちゃって、一昨日だけで3体も封印したんだからな」
言いながら、一真はポケットからラウズカードを取り出して始に見せつけた。わざと明るく振る舞おうとしているのが見え見えだった。
「3体か。1人にしてはまあまあだな」
「へへっ、すごいだろ? でもさ、俺1人でやったんじゃないんだ」
妹紅の両肩に手を置く一真。
「この妹紅に助けてもらったんだ。こいつ、すごく強いんだよ。お前もさっき見ただろ?」
そう言う一真に、始は初めて笑顔を見せた。といっても口の端をわずかに上げた程度のものだったが。
「確かに、お前よりは頼りになりそうだ」
そう言われて笑ったままひきつった一真の顔を見て、妹紅は思わず笑いそうになって口を押えた。
「そういえば慧音、なんでお前がいるんだ?」
にやつきながら慧音に聞く。
「彼が私の所を訪ねて来た時に、あなた方が戦っている事に気づいたんです。私は歴史を見て、彼はアンデッドの気配で」
「始が慧音を?」
一真がつぶやくと、始は目だけを彼に向けた。
「博麗から言われてな」
「博麗って・・・霊夢の事?」
幻想郷では霊夢を『博麗の巫女』と呼ぶ事はあっても、『博麗』と姓で呼ぶ者はほとんどいない。なので妹紅はどうにも違和感を感じてしまう。
「ちゃんと話しておきましょうか。先ほど彼が私の家を訪ねてきて――」
「剣崎・・・剣崎一真の事か?」
「そうだ。博麗霊夢から、お前が知っていると聞いている」
家の玄関、戸口の外と中で向かい合う慧音と始。
「お前は、相川始か?」
始の表情が険しくなる。
「なぜ知っている」
「一真から話は聞いている。ジョーカーが人間の姿を借りて、そう名乗っているとな。それと――」
慧音は腕を組んだ。
「霊夢からこれは聞いていないか? 私は歴史を知る事ができる。だからお前のその姿は、人間の始祖・ヒューマンアンデッドだと知っている」
彼の姿を見たその時点ではヒューマンUの事には思い至らなかったが徐々に思い出し、一真の名前が出た瞬間にそれらの事実が繋がった。
彼女を睨みつける始の視線が警戒の色を帯びる。慧音はそれを正面から見つめ返す。彼が発する威圧感は強烈で、少しでも気を緩めると押しつぶされそうだった。
「幻想郷の中にいては外の世界の歴史を見る事はできないが――その2つを総合すれば、ジョーカーがヒューマンアンデッドに変身しているのだろうという事は想像できる」
始はしばらく無言で慧音を睨んでいたが、やがて口を開いた。
「・・・博麗からここはおかしい世界だと教えられたが、これほどとはな」
「博麗・・・ああ、霊夢の事か」
始からのプレッシャーが軽くなり、慧音も内心ほっとしていた。
「この世界にはアンデッドのような不老不死の人間がいると聞いたが本当か?」
「ああ、本当だ」
「剣崎がそいつと行動を共にしているらしいとも聞いた」
「それも本当だ。あの2人は気が合うようでな」
「今、どこにいる?」
「多分、彼女の家に泊まったはずだ」
「彼女・・・女か?」
「そうだ」
「そいつの名前は?」
「藤原妹紅、私の友人だ。少々やさぐれているが根はいい奴だ」
「そいつの所へ案内してもらおうか」
「構わないが・・・色々聞きたい事がある。後で聞いていいか?」
「好きにしろ」
「じゃあ調べるから少し待ってくれ。取りあえず、上がっていいぞ」
そう言うと慧音は卓の前に座り、おもむろにハクタクに変身した。靴を脱いで上がった始はそれを見て大きな目を見開いた。
「・・・お前、人間じゃないのか」
「半分違う」
リボンの巻かれた角を凝視する始を尻目に、慧音は妹紅の歴史を調べ始めた。と、その時、始ははっと横へ振り向いた。
「!」
そして直後、慧音の顔も驚愕に染まった。
「何――!?」
角を引っ込め、慌てて立ち上がる慧音。
「始、妹紅と一真が今、アンデッドと戦っている!」
「そうか、この気配は剣崎達を襲っているんだな」
慧音には目もくれず、始は外へ飛び出した。
「待ってくれ、始! 私も連れて行ってくれ!」
慧音も靴を足にひっかけながら戸外へ身を躍らせた。走る始を追いかけるが、大柄とは言えない体格のくせにかなり速い。この状況にデジャヴを感じながら里の門を出ると、立っていた見張りの男が、バイクにまたがる始を何事かと見ている。その男が慧音の姿を認めると慌てた様子で声をかけてきた。
「あ、先生。この男、博麗の巫女の紹介で先生に会いに来たと言ってましたが――」
「あの妖怪が出現した。これから彼と一緒に退治しに行ってくる」
「えっ? あの、先生――」
「心配はいらない。里が襲われないようにしておく」
浮足立つ彼らに背を向け、始の乗るバイクへ近づくが、彼女はそこで固まってしまった。
「一緒に来るんだろう? 乗れ」
「・・・なあ、あまりスピードを飛ばさないでくれるか?」
無意識に背中を丸くして頭を下げながら慧音が頼むが、
「時間がないとわかっているだろう」
ぴしゃりと切り捨てられ、慧音は重い気持ちで始の後ろに乗った。
「行くぞ」
内心びくびくしながら始の乾いた声を聞き、やがてバイクが走り出すときゅっと目を閉じて彼の体にしがみついた。思っていた程早くない事に気づいて顔を上げたのは、しばらくそのまま走ってからだった。
「・・・慧音。こないだの、そんなに怖かったわけ?」
「いえその、まあ・・・夢でうなされるくらいに」
慧音に半眼でじろりと睨まれ、妹紅からも同じような視線を向けられて一真は目を泳がせた。4人は車座になっていて、妹紅・慧音・一真・始の順に並んでいる。
「でもさ始、お前どうやって幻想郷に来たんだ?」
左に座る始に顔を向け、慌てて話を逸らそうとする一真。始はそれらのやりとりを見ていながらも表情に何の変化もなかった。
「呼び寄せられたんだ」
「呼び寄せられた?」
慧音が前のめりになりながら聞き返す。妹紅と一真は顔に疑問符を浮かべるだけだ。
「アンデッドの本能が、あの神社へ俺を引きつけた。誘導するようにな。恐らく統制者の仕業だ」
「統制者?」
妹紅がつぶやく。それと同時に、慧音は地面に両手をついて勢いよく身を乗り出した。
「それは間違いないのか!?」
「ああ、それ以外に有り得ん。恐らく全てのアンデッドに対して、この世界へ来るように統制者が働きかけているんだ」
慧音の表情が真剣なものに変わった。
「やはりそういう事か・・・」
「どういう事? 統制者って何?」
と、妹紅が慧音に尋ねる。
「統制者というのは――」
~少女講義中・・・~
「――つまり今回のアンデッドの襲来は、統制者によって仕組まれたものだったのです」
慧音は昨日藍に話した事を妹紅らに説明し、その言葉で締めくくった。
「まさか、幻想郷を滅ぼそうとしているなんてね・・・」
両膝を立てて座る妹紅は、こめかみのあたりに手を当てながら苦い表情を浮かべている。
「そういえば始。さっき、全てのアンデッドが幻想郷に引きつけられてるって言ったよな? って事は、また別のアンデッドが来るかもしれないって事か?」
妹紅と同じようにずっと厳粛な顔をしていた一真が始に問いかける。始は慧音が話している間もずっと表情を変えなかった。
「この世界に入る前に神社の近くでジョーカーの気配を発しておいたからほとんどは近づいてこないと思うが、それも一時しのぎにしかならんだろうな」
それに慧音が続ける。
「弱まった結界を元に戻せば幻想郷へ入る事はもちろん、位置さえわからなくなるはずだが・・・八雲紫次第か。それに外からの侵入はそれで防げても、すでに侵入したアンデッドを排除しない事には・・・」
「つまり、アンデッドを早く封印しなきゃいけないって事だろ?」
言うなり、一真はすっくと立ち上がった。
「幻想郷は、人間と妖怪が一緒に生きていくために作られた世界なんだろ? 統制者はその人間と妖怪の共存っていう理想そのものを否定しているんだ。そんな事、許せるか!」
「一真の言う通りだ。この世界がなくなったら、私も慧音も住む場所がなくなってしまう。幻想郷が滅びるなんてごめんだ」
右手を握りしめる一真の強い口調に、妹紅も同調の声を上げる。2人は目を合わせ、互いに頷き合った。その目からは強い意志が感じ取れた。
慧音と始はじっと2人を見つめていた。
「始、お前も力を貸してくれるだろ?」
その始に一真が言う。
「この世界がどうとか、そういう事に興味はない」
一真から目を離し、そっけなく答える始。
「だが、アンデッドは封印する。それだけだ」
そう言った始の目は、刃物のように鋭い眼光を放っていた。すると一真は妹紅と慧音の方をばっと振り向き、
「2人とも、始も幻想郷を守るために協力してくれるってさ! よかったな!」
「お前は話を聞いていたのか」
「まあまあ、細かい事は気にするなよ」
笑顔で言う一真に始が顔を少ししかめてつっこむ。先ほどの険しい表情は一瞬で消えた。
「よし、そうと決まったら今逃げたあいつらを追うか。そう遠くへは――」
「剣崎」
「何だ、始?」
一真の言葉を遮りながら立ち上がった始は、いきなり一真の背中を叩いた。
「いてぇ!?」
叩かれた背中を仰け反らせ、たたらを踏んで叫ぶ一真。
「さっきの戦いでだいぶ痛めているだろう。無理をするな」
妹紅は、悶えている一真のシャツを後ろからめくった。
「うわ、お前すごい腫れてるじゃないか!? なんで言わないんだよ!」
ミミズ腫れが何筋も浮き上がっている背中を見て驚きの声を上げる。
「いや、大丈夫だってこれくらい――」
バチィッ!
「いってぇっ!?」
妹紅の全力の張り手を背中に見舞われた一真は絶叫を上げて大地に崩れ落ちた。
「ったく、どこが大丈夫なんだか。これじゃ退治されるのはお前の方だよ。今日はおとなしくしとけ」
片眉を吊り上げて両手をポケットに入れながら、地面に手をついて悶絶する一真を見下ろす妹紅。
「・・・容赦のない奴だな」
始はぼそりとつぶやいたが、妹紅は聞こえない振りをした。
「始、お前はどうする?」
苦笑を浮かべて頬を指でかいていた慧音が始にそう言うと、始は立ち上がり、
「今はアンデッドの気配は感じられない。初めて訪れた土地で闇雲に探すのは時間の無駄だ」
「それなら私が歴史を見ればすぐにわかるぞ」
「そういえば、昨日見たヤツの居所もわかるよな?」
悶えている一真をにやにやと見下ろしていた妹紅がそう聞いた。
「昨日見たヤツ?」
「うん。緑の体に4枚の翼を持ったアンデッド。もしかしてさっき言ってた、幻想郷に入り込んだ新しいアンデッドかな」
慧音と始は眉根をひそめて顔を見合わせた。
「そんなヤツを見たんですか?」
「うん。何ていうアンデッドかわかるか?」
慧音に聞かれて答える妹紅。慧音が始を振り返ると、始は訝しげな顔つきのままわずかに首を傾げた。
「そんなアンデッドはいない」
「え?」
「53体いるアンデッドの中に、緑色で翼が4枚あるやつなど見た事がない」
「私もアンデッドの歴史は調べた事がありますが、そんな個体は知りません」
漂い始めた不穏な空気に、地面に手をついていた一真も顔を上げた。
「そういえば、あいつ封印できなかったんだよな。って事はアンデッドじゃないのかな。あ、でもアンデッドじゃないやつにカード投げても戻ってくるはずなんだけど・・・」
妹紅が3人の顔を見比べてると、顎に手を当てて考え込んでいた慧音が口を開いた。
「始、今日の所はアンデッドを探すのは待ってもらいたい。調べたいのでな」
「・・・いいだろう」
始は両手をポケットに入れながら、ただ一言。
「慧音。わかるかな、そいつの事」
「もし幻想郷ができた後の時代に現れたのなら・・・私にはわからないでしょうね」
困った表情で頭に手を当てる慧音。
「でも、この幻想郷でどうしているかならわかります。とりあえず一度里に戻りましょう。おや、もうこんな時間だ」
慧音は空を見上げてつぶやいた。もう西の空が赤く染まりつつある。
「お前の話が長すぎたんだ。剣崎なんか、寝てしまいそうになっていたぞ」
始が毒づく。
先ほどの慧音の説明が詳細すぎてかなりの時間を費やしてしまっていた。途中、何度も寝落ちしそうになっていた一真を、妹紅が肘で小突いたりつねったりして必死に阻止していた。気づかれたら頭突きが待っているからだが、慧音自身は説明に夢中だったのでなんとかバレずにすんだ。背中が痛むのに眠くなるほど慧音の話し方は堅苦しく単調だったのだ(ちなみにその妹紅もけっこう眠かった)。
あくびをしながらブルースペイダーにまたがる一真に慧音が半眼を向けたが、本人は気づいていない(今の始の声も聞こえていなかった)。
「ああ、腹減ったな」
そう言って一真は腹を押さえる。それを見て妹紅は天を仰いだ。
「なんか私もだよ。慧音、里はどこか店空いてるかな?」
「確か、うどん屋が開いていました。今日は私がおごりますよ」
「いいのか? 悪いな」
一真は慧音に頭を下げ、彼女の厚意に甘える事にした。妹紅も慧音からよくおごってもらうと言っていたし、幻想郷の金を持たない手前、しょうがない。
「始も食うだろ? うどん」
「腹など減っていない」
腹をさすりながら言う一真に、始はヘルメットをかぶりながらぶっきらぼうに答える。
「でもこの間、俺が作ったメシは食べたじゃないか」
「あの時は消耗した体力を早く回復したかっただけだ」
「まあそう言わずにさ。ほら、あれだよ。作戦会議。うどん食べながらさ」
「・・・まあいいだろう」
始の後ろに慧音も乗り、2台のバイクは里を目指して走り出した。
(・・・・・・)
一真の背中に触れないように気をつけながら、妹紅はブルースペイダーに並走する始に目を向けた。
冷たい感じはするが、悪い人間ではないように見える(というか人間ではないのだが)。一度は憎んだと一真は言っていたが、2人のやり取りを見るとそういう風には感じられない。一真が構って、始はそれを邪険にしているようでまんざらでもない様子だ。反りが合わないなりに親しくしている友人同士と見えない事もない。
(相川始・・・ジョーカー・・・)
一真から聞いた話からは始に対する具体的なイメージは抱けなかったが、自分と輝夜に近い関係ではないかと類推していた。しかし実際は、自分達よりも踏み込んでいるように感じる。
もしも自分か輝夜のどちらかが歩み寄ることがあれば、自分達も――
(私は何を考えてるんだ。あいつと歩み寄るなんて――!)
自分の脳裏に浮かんだ考えにおぞましさを感じて、妹紅は思わず一真の背中に額を押しつけた。
「あだっ!?」
「おわぁ!?」
急に妹紅の体が激しく揺さぶられた。いきなり背中に痛覚が走った一真の手元が狂い、ブルースペイダーが蛇行したからだ。慌てて一真の背中に強くしがみつくと、一真の暴走がひどくなってしまった。
「いでででで!? おい、背中っ!」
「うわわわわわ!」
滅茶苦茶に揺れる車体上で2人がパニックに陥っているのを、始は冷ややかに見ていた。
「何を遊んでいるんだ、あいつらは」
「仲がいいんだよ。家に泊めるほどだからな」
慧音が微笑ましいという表情で右往左往するブルースペイダーを見ながらつぶやく。
「・・・それは冗談で言っているのか?」
「ユーモアは割と理解しているんだな」
「まあな」
ブルースペイダーが減速しながら倒れ、一真と妹紅も両腕を投げ出して倒れ込んだのを尻目に、始のバイクは里へ走り続けた。
◇ ◆ ◇
うどん屋の席で、妹紅と始は卓を挟んで向かい合って座っていた。
今は慧音が一真を里の医者の所に連れて行っている所で、それが終わったらここで4人で食事をすることになっている。さっき妹紅が、一真の痛めた背中を悪化させてしまったためだ。彼女達以外に客はおらず、店内は閑散としていた。
「・・・・・・」
妹紅は卓に頬杖をついて始の横顔を見ていた。
入ってから数分経つが彼は何もしゃべらず、時々出された水を口につけるだけだった。胸元の傷はもうふさがっているようだ。いつの間にか緑の血も拭き取られていた。数分間見ていて彼の顔に違和感を感じたが、その理由がわかった。瞬きが少ないのだ。
「俺の顔がどうかしたか?」
と、始が顔も向けずに急に口を開いた。
「え、いや別に」
不意打ち気味に話しかけられ、慌てた妹紅は顔を隠すようにお品書きを手に取った。
「あー始、お前何食べる?」
「どれでもいい。本来は何も食べなくても構わん」
思わず顔を上げた。始は顔を背けたままだ。
「ただ、人前で全く食べないと怪しまれるからな。一応、腹の減ったふりはする」
「・・・やっぱり、一緒なんだな」
お品書きを下ろしてうめく。始はそこでようやく妹紅に目を向けた。
「お前、人間の家族と一緒に暮らしてるんだって?」
「ああ」
「どんな人達?」
「・・・・・・」
始はしばらく押し黙っていたが、やがてポケットから1枚の写真を取り出して卓の上に置いた。
男性と女性、そして10歳ほどの少女。一目で家族だと知れた。3人とも寄り添って幸せそうな笑顔を浮かべている。妹紅は不意に1000年以上前に死んだ両親を思い出し、顔をほころばせていた。
「いい写真だな、これ」
「遥さんと天音ちゃんだ。父親は去年死んでしまって、俺が訪れるまで2人きりだった」
「大変じゃないか? アンデッドだって事をごまかすの」
「最初は常に神経を使っていたが、最近は多少慣れた。とはいえ、時々ひやりとする事がある」
「そっか・・・」
伏し目がちに肩をすくめる。
「普通の人間に混じって、普通じゃないってバレないようにするの、難しいよな」
「・・・そうだな」
短くつぶやく始に写真を返す。
「一真は知っててお前とつきあってるんだよな?」
「俺にはあいつの考えている事が理解できん。最初に会った時から、今でもそうだ。それ以前に――」
ポケットに写真を仕舞いながら、始はかぶりを振る。
「人間の姿で過ごして1年と少し経つが、未だに人間の考えている事はよくわからん。誰も彼も考え方が大きく異なる」
「正直、私もそう思う。1300年生きてきてたくさんの人間を見てきたけど、それでもいまいちよくわからないよ。人間って色々いるからな。だけど、あいつはわかりやすいだろ」
「だから余計にわからない。あいつは他の人間達とだいぶ違う。人間とはどんな生き物なのか、あいつを見ているとわからなくなる」
妹紅はあははと笑った。
「ま、珍しい人間には違いないな。でもああいうのがいて、むしろありがたいんじゃないか? 私達にとっては」
「・・・・・・」
少し間を置いて、始は妹紅にちらりとだけ目を向けた。
「お前には剣崎が理解できるか?」
「会ってまだ2日しか経たないけど」
笑みを見せながら頬杖をつく。
「確かにわかりやすすぎるくらいわかりやすいよな。そしていい奴だ。だからなんか放っとけないんだよな、あいつ。いい奴過ぎて危なっかしいから」
「それは同意見だ」
そう言った一瞬、始の口元が緩んでいたように見えて、妹紅もにっこり笑った。
「お待たせしました」
声に振り返ると、慧音と一真が入ってきていた。
「どうだった?」
「打撲程度で大したことはないってさ。背中に塗り薬をつけてもらったよ」
割とにこやかな表情でそう言いながら、一真は妹紅の隣に腰を下ろす。慧音も始の隣に座った。
「ああ、腹減った。早く食べようぜ」
「ちょっと、臭うよお前」
一真の体から漂う塗り薬の臭いに、妹紅は顔をしかめて鼻を押さえながら顔を背けた。
「お、俺だって臭いんだぞ!?」
言い返そうとした一真だったが、慧音も顔の前で臭いを払おうとするように手を横に振り、始までぎろりと一真を睨みつけている。3人の顔を見比べた一真は、彼女らの視線を避けるように慌ててお品書きで顔を隠した。
「え、えっと・・・俺、かきあげうどん大盛り!」
数分後、出されたかき揚げうどんを一真は勢いよくすすっていた。
「美味いな、ここのうどん」
「食いながらしゃべるなよ」
口をいっぱいにしながら、もごもごとしゃべる一真を妹紅がたしなめる。
「行儀の悪いやつには慧音が頭突きするぞ」
「んぐっ!?」
意地悪くささやかれ、一真は喉にうどんを詰まらせかけた。慧音が半眼で睨んでいる。忍び笑いをしながら、咳き込む一真に水を差し出す妹紅。ごくごくと水を飲む一真を見て、慧音は小さく嘆息してきつねうどんをすすった。
「子供じゃないんだ、しつけがなっていないとか言われるんじゃない」
「わかってるよ・・・」
山菜うどんを口に運ぶ始に、一真は口を尖らせた。
「しつけというものを理解しているのか?」
慧音が始に問いかける。
「何度か、天音ちゃんが叱られる所を見た事がある。なるべく俺に見せないようにしているようだがな。俺にもあまり甘やかさないでほしいと言われた」
「天音ちゃんも気分の差が激しいからな。お前がいると大抵ご機嫌なんだけど」
一真が食べる手を止める。
「お前がいなくなっちゃった時はホント、見てて可哀想だったんだぞ」
「・・・悪かったな」
そう言われた始の顔からは、申し訳なさそうな表情が少し伺えた。
「つうか、何も言わずにこんな所に来てよかったのか? ここ、携帯つながらないぞ」
「それは大丈夫だ。何日か泊りがけで写真の撮影に行くと言ってある。状況が過去に例のない異常さだったから、時間がかかると踏んでな。携帯はわざと置いてきた」
「そうか。ってカメラは?」
「駅のコインロッカーに置いてきた」
「人間の社会がだいぶわかってきたじゃないか、お前」
「箸をこっちに向けるな」
始はそう言い捨てて無表情に、一真は楽しそうに笑いながらうどんをすすった。
「でさ、アンデッドはどうする?」
と、月見うどんを食べていた妹紅が口を開いた(輝夜に勝つために縁起を担いでいるらしい)。
「幻想郷にいるアンデッドはあと2体・・・そして、正体のわからないのが1匹。今日はもう休むとして、明日にでも全滅できるんじゃない? 正体不明が問題だけど、始もいる事だし」
「確かに始は強いからアンデッドはそうだとしてもさ、正体不明はどうすりゃいいんだ? カードで封印できないんじゃさ・・・」
麺もかき揚げも食べ切ってつゆをすすりながら一真が言う。
「それについては私が可能な限り調べてみます」
慧音はそう言って席を立った。
「どこへ行くの?」
「八雲紫の所へ行ってきます。この異変の元凶は間違いなく統制者だとわかりましたから、それを知らせないと。それに、彼女ならばその正体不明についても何かわかるかもしれません。その前に始、お前の宿泊場所を探そう。いくつか宛てはある」
「俺は別に野宿でも構わんが」
そう言った始に一真と妹紅が反論した。
「そう言うなよ、始。人からの好意は素直に受け取るもんだぞ」
「そうそう。私が言うのもなんだけどさ、人間は素直が一番だぞ」
2人の顔を見比べていた始だったが、やがて頷いた。
「わかった。世話になる」
「よし。妹紅と一真はもう帰って休むといい。私は遅くなると思う」
金を卓に置き、始を引き連れて慧音はうどん屋を後にした。
「・・・大変そうだな、慧音」
慧音の後ろ姿を見送って、妹紅は箸を置いてつぶやいた。
「彼女も俺達と一緒に戦ってくれてるんだ。直接でも間接でもな」
一真はいつもサポートをしてくれた虎太郎と栞の事を考えながら、そのつぶやきに答えた。
「うん、そうだね・・・」
妹紅は、考えてみれば慧音と共に何かをするのは初めてだった事に気づいて、心を許した友人が一緒にアンデッドに立ち向かってくれている事を今更ながらに嬉しく思っていた。
「じゃ、俺達も行くか」
「うん。ごちそうさま」
店員にそう言って、妹紅と一真も店を出た。外は太陽が沈み切った直後で、月がすでに出ているとはいえ、かなり暗くなっていた。
「妹紅、家まで送っていくよ」
「送るって、お前は?」
「紅魔館に行くよ。約束してたからな」
門へ向かって並んで歩き、妹紅は眉をしかめて一真の顔を見上げた。
「本気でフランと遊ぶ気か? 危ないって」
「大丈夫だよ。多分」
「多分ってお前、アンデッドとも戦わなきゃいけないのに、無茶してる場合じゃないだろ」
「大丈夫だって。何とかなるさ」
ポケットに手を入れる妹紅に、一真は笑顔を向けた。
「なんなら私も一緒に行こうか?」
「いや、1人でいいよ。俺個人の事情なんだし。お前は家でゆっくり休んでろ。終わったら帰るから」
「不安だな・・・」
嫌な予感に首を傾げる妹紅だった。
◇ ◆ ◇
真円に限りなく近い月の下、紫は口を押さえながら大きなあくびをした。彼女の屋敷の縁側で、紫は目をこすり、隣に腰掛けるワーハクタクに目をやった。頭に2本の角を現した慧音が、瞑想するように目を閉じて動かない。これが10分ほど続いていた。
「ん~・・・」
暗転しそうになる意識を何度も持ちこたえさせていた紫はだらしなく半開きにした口から意味のない声を発し、とろんとした視線を虚空に泳がせる。男女問わず魅了される美しい顔も、今は見る影もない。今の彼女を見て、これが幻想郷で一番恐れられる妖怪だとは誰も思うまい。
寝ぼけ眼を右にやる。紫の右側の空間に小さくスキマが開いている。
彼女が眠いのは単に体調不良からではなく、そのスキマを維持している事も負担になっているからだ。万全の状態であればこの程度の小さい空間のスキマくらいはどうということはないのだが、今日の彼女には起きている事自体が辛いのだ。そんな無理を押してでもそのスキマを開いているのは、慧音が歴史を正しく読むためだ。慧音は今、紫の頼みで歴史を見ている。慧音が紫を訪ねて相川始から聞いた事を伝えた後、紫は彼女にそれを依頼した。
「・・・ふうっ」
慧音が一息つくと、角がかき消え、髪の色が緑から青に変わった。
「どうだった?」
スキマを消しながら、帽子をかぶる慧音に紫は聞いた。
「お前の予想通りだったよ。結界は外側から次元的な圧力をかけられていた。微弱ながら、1年ほどに渡ってな」
真剣な表情で慧音は告げた。
慧音が調べていた歴史とは、幻想郷の結界の歴史――結界の外の世界でも内側の幻想郷でもなく、“結界そのもの”の歴史である。
結界強化のために結界の状態を確認した際、紫は違和感を感じた。それを突き詰めていって出した仮説が、“自分の体調が悪いから結界が弱まったのではなく、結界が弱まったのが原因で自分は体調を崩したのではないか”というものである。スキマ妖怪は境界を操る存在であり、境界という概念から生まれた存在。だから彼女が直接管理する境界に異常が起これば、それは紫の存在そのものにも異常をきたす。それを知るために、訪ねてきた慧音に結界の歴史を調べさせたのだった。さっきまで開いていたスキマは、慧音が結界の歴史に触れられるようにするためのものだ。
「外の歴史までは見られんが、やはり・・・統制者か。時期的にも、一真から聞いたアンデッドの解放と重なる」
「もはや疑いをはさむ余地はないわね。恐らく、次元的なエネルギーを放出してソナーのように地上に異空間がないか探しつつ、同時に結界を少しずつ弱らせる効果も持たせている。バトルファイトが行われている最中は常にそれを放出しているんでしょう」
慧音に伝えられた事実は、紫から眠気を忘れさせるに足るものだった。
「気づかなかったのか? お前ほどの者が」
「気づかないくらい小さい力なのよ。知ってる? 毒もごく微量なら飲んでも人間は死なないけど、わずかずつ長期間与え続ければ衰弱して最後には死に至るのよ。この場合、毒を盛られてるのは私なんだけどね」
何も言わない慧音から目を離し、ため息をつく。
「結界の管理はほとんど藍に任せてたしね。あの子じゃそこまではわからないか。気づかず放っておいたらそれこそ私は死んでいたかもね・・・でも、こうやって幻想郷に踏み入る事が目的だったんだから、それはそもそもありえない事だったんでしょうけれど」
「それにしても、まるで幻想郷が作られる事を予期していたような仕掛けだな。統制者、なんと恐ろしい存在だ・・・」
「多分、統制者自身に次元を操る力があるんだと思うわ」
「お前のようにか?」
「ええ。だからバトルファイトの影響が及ばない異空間が現れるかもしれないと予測できたんだわ、きっと」
待宵月に雲がかかり、照らされていた2つの顔に影が落ちる。
「そんなものを相手に幻想郷を守れるのか?」
「大丈夫よ。そういう回りくどい手段を使うという事は、すぐに結界を破る力はないという事。そうとわかれば打つ手はあるわ・・・私は大変だけど」
紫は傍らに置かれた扇子を手に取った。
「ともかく、結界を維持する事。これで私の方針は完全に固まったわね。ありがとう、慧音。手間をかけさせて済まなかったわね」
「気にするな。幻想郷を守りたい気持ちは、お前達と同じだ。妹紅と一真も、幻想郷を守ると言っていた」
「そう・・・」
閉じられた扇子を口元に当て、かすかに微笑む。
「みんな、幻想郷のために戦ってくれている。嬉しいわね」
月が再び顔を覗かせ、幻想郷に青白い光が降り注ぐ。
「結界の方はなんとかするわ。それから、正体のわからない敵というのも調べてみる。私にかかればどんなものだろうと識別できるわ」
「わかった。アンデッドの方はこちらに任せてくれ。何かわかったら連絡を」
そう言って夜空へ飛んで行った慧音の姿を見届けた紫は、扇子を広げて口元を覆った。
「藍」
「・・・は」
低い声で名を呼ばれ、紫の背後に現れた式神は硬い表情で彼女の背中に向かって頭を深く下げた。
「結界の事、申し訳ございません。管理を一任された身でありながら浸食されているのに気づかなかったなど、この八雲藍、慚愧の念に耐えません」
「全くよ。主が毒を盛られているというのに見過ごすなんて、式神失格だわ。それにしても今時、慚愧なんて言葉を使っている人間はいるのかしらね」
下げたままの顔をさらに硬くする藍。
式神の思考パターンは使役者が作ったものなので、式神に至らない点があるのならそれは主である紫自身の失敗という事になる。だから紫が言っている事は責任転嫁と言えるのだが、藍は恥じ入っていてそんな事にも気づかない。
「罰として、ハクタクが言う所の正体不明の正体を探ってきなさい。何か掴んでくるまで戻ってきちゃダメよ」
「しかし、それでは紫様の結界が――」
「あなたに心配されるほど焼きが回ってはいないわよ。それよりも、幻想郷の中にわからないものが入り込んだ事の方が問題だわ。わかったら行ってきなさい」
「・・・かしこまりました。必ずや紫様のご期待にお応えして、今回の汚名を返上いたします」
藍はさっと体を起こして踵を返したが、その背中を紫が呼び止めた。
「あ、ちょっと待って、藍」
「はい?」
「今日の晩御飯は?」
「まだ用意しておりませんが」
「じゃあ、作ってから行ってきなさい」
「・・・わかりました」
口元も隠さず大きくあくびする紫に、藍はまた頭を下げた。
式神の苦労は朝から晩まで尽きる事はない。
◇ ◆ ◇
紫の屋敷から里に戻った慧音は、家への道を歩いていた。彼女は律儀なもので、遠い所へも門から出て飛んで行くし、戻った時も門から里へ入る。
すっかり夜の帳も降りて、街灯もなく月明かりだけが頼りの暗さだが、慧音はそれでもまっすぐ自宅への道を、考え事をしながら進んでいた。紫の屋敷を出る時からずっと考え込んでいて、里の門で声をかけられたのにも気づかず、腕を組んで歩いていた。
とりあえず今日の事。里へ着く前に歴史を見たらアンデッドは鳴りを潜めているし、始は信頼できる所に下宿させる事にした。
そして明日の事だ。慧音は月を見上げた。明日は満月。慧音が毎月欠かさず行っている、歴史書を書く日だ。できれば明日の夜までに今回の異変を解決しておきたい。こんな時に自分の都合を心配しているのもどうかとは思うが、それは彼女にとって重大な用事――いや、使命なのである。
人間は歴史を繰り返す。誰かが犯した過ちを、100年後にまた誰かがやってしまう。100年前にその過ちを犯した人間がいた事を知っていたなら、同じ事は起こらなかったはずなのだ。歴史はただの過去の出来事ではなく、良き未来を創り上げるための地盤なのだ。そして、確固たる地盤にするためには歴史を正しく伝えなければならない。きっと自分は人間の歴史を人間に伝えるためにハクタクとなったのだ。自分がまだただの人間の娘だった頃の思い出など一瞬浮上してきたが、そんな事よりも明日ちゃんと歴史書が書けるかどうかの方が気がかりだ。
さっさとアンデッドを幻想郷から追い出したいと思いつつ、到着した自宅の戸を開けた。頭の中が歴史書とアンデッドの事でごちゃごちゃになりそうな状態のまま、靴を脱いで上がる。と、そこでようやく家の中が明るい事に気づいた。
「・・・ん?」
間の抜けたつぶやきを発し、光源を探して家の中に視線を巡らせた。
居間の行燈に明かりが灯されており、その手前の卓に金髪の少女が2人、なんだかげっそりした顔をこっち向きに卓に押しつけ、両手をだらりとぶら下げてぐったりしていた。どっちも見知った顔。魔理沙とアリスだった。アリスの頭の近くには、可愛らしい人形が目をバツの字にして転がっていた。
「・・・何をやっているんだ、お前ら?」
面妖な光景に首を傾げる。2人は顔を突っ伏したままで、疲れきったような声を絞り上げた。
「慧音・・・お前、今までどこに行ってたんだよ・・・」
「あなた、里の歴史を食っていってたでしょ・・・」
一様に怨嗟が込められた半眼で睨まれ、状況がよくわからないでいる慧音もたじろいだ。
「おかげで私は里がわからなかったんだぞ・・・」
「私には見えてたけど、魔理沙が外で待つのは嫌だって言うし、夕方ごろに里が戻ったから入ったけど、あなたはいないし・・・」
「一体何時間、飲まず食わずでお前を待ってたと思ってんだよ・・・」
「あ~・・・」
2人の恨み言で話がなんとなく飲み込めてきて、慧音は虚空に目を泳がせた。
この3人の1日は、こんな感じで終わったのだった。
◇ ◆ ◇
青白い闇が満ちていた。
部屋に広がるそれは光と呼ぶには弱々しく、暗闇と呼ぶには明るかった。
開け放たれた障子窓は小さく、畳と布団にまたがるように描かれた月光の四角形も同様で、そこから拡散する光量は部屋全体を照らすには些少に過ぎた。
6畳の狭い部屋の中に置かれた箪笥や小さな机も、よほど目のいい者でないとはっきりと見えまい。もしこれが太陽の光ならば、この小さい窓からでも部屋の中がはっきり見えるほど明るくなるだろう。それでもその光は確かに部屋全体を包み込んでいて、その幽かな明るさが部屋を幻想的な、もしくは妖しい雰囲気にしていた。
月の光には生き物の心を乱す魔力がある。かつて永夜異変で、紛い物とはいえ長時間月が空に存在し続けた時、幻想郷の妖怪や妖精は本能をかき乱され、発狂寸前だった者さえいたという。その部屋にいれば、月光の持つ異常な力――正しくは、月光の魔力にあてられてかき乱された自分の心だろう――をなんとなく実感できたかもしれない。
しかし、始の心にはそんなわずかな変化さえ起こらず、永夜異変についても今日幻想郷に来たばかりの彼は知る由もなかった。変わった点があるとしたら、栗原家以外の家に泊まる事と、畳の上に敷いた布団の中で横になるという事が初の経験である、という点だけだ。
慧音に紹介してもらった先は老夫婦の家だった。アンデッドの事など詳しい話は一切せず、数日、寝床を提供してやってほしいと彼女が頼むとあっさり承諾してくれた。そしてこの2階の部屋で寝る事になったのだった。昔、息子が使っていた部屋らしい。夜も遅いし、疲れているだろうからとあまり話をせず休ませてくれたが、穏やかな人達なのはすぐにわかった。だから慧音はここに頼み込んだのだろう。
布団に入ってずっと、始は天井を見つめていた。神経が研ぎ澄まされ、わずかな光しかないこの部屋の中も隅々まで目が届き、それでなくとも何も動くものがない事が見るまでもなくわかるほどだ。
環境が変わった事が原因で眠れないのではない。
アンデッドとて睡眠は取る。不死身だから疲れないわけではないという点は蓬莱人と一緒だ――それも始は知らないが。
しかし、アンデッドの戦いには時間など関係ない。夜に襲われた事など何百、何千回とあるし、こっちから夜襲を仕掛けた回数も同じくらいはある。
そういった気が遠くなるほど長い経験、そして戦いが目的で生み出されたアンデッドは感覚がどんな生物よりも優れている。そして何よりアンデッドの本能が否応なく意識を戦いに向けさせるのだ。
だから夜でも周囲の状況には鋭敏で、栗原家で過ごすようになっても最初の頃はそうだったが、次第に夜の過ごし方は変わっていった。
暗い部屋で横になっていると、『考える』ようになった。別の事に意識を向けていては敵の襲撃に即座に対応できないとわかっていても、頭がつい動いてしまう。そんな時間が段々長くなっていった。
人間という生き物。その事ばかりを考え続けた。自分はアンデッド、それもジョーカーでありながら。
「・・・・・・」
今考えている事はいつもと違う。
――今は手を取り合っていても、いずれは戦い、雌雄を決する運命にある。運命からは逃れられんぞ
イーグルUが言い残した言葉だ。以前、剣崎と共に封印した時も同じ事を言っていた。
剣崎は人間を守るライダーで、始は全てを滅ぼすジョーカー。いずれ、人間の生存を賭けて剣崎と自分は戦う。そう言っていた。
だが、考えていたのはイーグルUの事でも、その言葉の意味そのものでもない。
掛け布団をはねのけ、ランニングシャツに包まれた上半身とジーンズのままの下半身を空気にさらす。起き上がって窓から月を見上げた。
月が空にあるのはいつからだろう。最初のバトルファイトの時、月の光の下で戦った覚えがある。この月は彼らの戦いをいつも見てきたのだろうか。
そんな感傷的な考えはすぐに意識の奥へ追いやり、さっき布団の中で浮かべていた思考を引っ張り出す。
ジョーカーは全てを滅ぼすもの。だが始は人間に興味を持ち、特に2人の人物から大きな影響を受けつつある。
1人は栗原天音。そしてもう1人は、剣崎一真。
どちらも違う性格ながら、人間の持つ感情や他者への思いやりなどを自分に教えてくれた。自分が全てを滅ぼす者ならば、彼女らもその対象としなければならない。始はその自分の運命に対して恐れさえ抱きつつあった。
その運命を回避できるか? どうすれば?
「・・・・・・」
苦々しく月を睨みつけ、始は再び布団へもぐった。
(俺は・・・他のアンデッドを倒し、勝ち残るだけだ)
その結論も何度目か?
それでも始には、それ以外の答えは出せなかった。
部屋には、青白い闇だけが満ちていた。
◇ ◆ ◇
一真の背中でブルースペイダーに揺られながら、妹紅は後方へ流れ行く月夜の幻想郷をぼんやり見つめていた。
ブルースペイダーの乗り心地にはすっかり慣れた。疾走感と風を切る感触がむしろ気に入って、用がなくても乗っていたいと思うくらいだ。ただ、しがみついている一真の背中から薬のきつい臭いがするのは本当に勘弁して欲しいと、鼻をつまんだり顔を横に向けたりしながら切に思った。これではろくに考え事もできやしない。
「・・・・・・」
考え事とは、イーグルUが残した言葉だった。
――ならば、永遠に続くこの戦いに目的を持って何が悪い?
イーグルUのその言葉に、心外ながら妹紅は痛いほど共感してしまった。
イーグルUとマンティスUの関係は、自分と輝夜と同じだと一瞬で理解した。慧音から最初にアンデッドの話を聞いた時も同じ事を思ったが、彼らについては他人事には思えなかった。
何をどうしても自分には本当の『終わり』は永遠に来ない。
きっと、イーグルUとマンティスUの約束は彼らなりの抵抗だったのだろう。戦いだけを永遠に繰り返す自分達の運命への。自分の種族の覇権という大義名分があっても、そんなものだけで永遠に生きてはいけない。その事は誰よりも妹紅が痛感していた。妹紅も、輝夜と殺し合う事で自分の存在する意味を見出そうとしている。
だが――まるで自分を鏡に映したようなイーグルUのその姿を、妹紅は悲しいと思ってしまった。
自分が、悲しい。
薄々思ってはいた。同じ蓬莱人でありながら、アンデッドのように戦う事を運命づけられたわけでもないのに傷つけ合う事しかできない自分は、哀れだと。そう思っていても、それでも怒りや憎しみをぶつけずにはいられない。それが尚更悲しかった。イーグルUの、マンティスUへのこだわりを見て、それを強く意識するようになってしまった。
そして、一真と始。
――運命からは逃れられんぞ・・・
彼らも、イーグルUや自分と同じ――
「妹紅、着いたぞ」
思考に深く沈んでいた意識が、一真の声に引き戻された。いつの間にかブルースペイダーは妹紅の家の前に止まっていた。
「ああ、ありがと・・・」
一真の後ろから降りる。バイザーが上げられたヘルメットから彼の笑顔がのぞく。
「じゃ、俺、紅魔館に行って来るから」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だってば」
バイザーを下ろしてアクセルに手をかけた一真を、妹紅は思わず呼び止めた。
「一真」
「ん?」
ハンドルから手を離し、またバイザーを親指で押し上げる一真。
「なんだ、妹紅?」
「始の事なんだけどさ・・・」
うつむいてそう言ってから、妹紅は顔を上げた。
雲が月を覆い、夜の闇が濃さを増した。ブルースペイダーのライトがわずかに2人の顔を浮かび上がらせ、規則的なエンジン音が静寂を打ち消していた。
「お前さ、言ってたよな。あいつも封印しなきゃいけないって・・・もしジョーカーが勝ってしまうと、全ての生物が滅びるって・・・でも・・・」
そこで言葉を切り、またうつむいた。
一真とはこの3日間、一緒にいてすっかり打ち解けている。始に対しても、人間との狭間で苦しむ不老不死という同族意識を抱き始めた。そのせいだろう。一真が始を倒さねばならないという事に対して妹紅は不安を感じていた。
イーグルUとマンティスU、そして一真と始。彼らの関係は、妹紅と輝夜の構図とそっくりだ。立場は違えど、いずれも永遠の命という運命に翻弄された者ばかり――一真は不老不死ではないが、その運命に深く関わっている――。そして、全員が戦っている。互いを倒そうとしている。
輝夜は自分の人生を狂わせた憎い女だ。だが同時に、自分との数奇な因縁を感じずにはいられないのも事実。
イーグルUとマンティスUはアンデッド同士、戦う運命にありながら友情を交わした。
どちらも歪な縁を構築している。
そして、一真と始。仮面ライダーとアンデッド。この2人もそうだ。
人類を守るにはアンデッドを全て封印しなければならない。だが――
「さっき、始と話してたらさ、私も、あいつは悪い奴じゃないって思ったんだ。お前が、あいつを封印したくないって気持ちがなんとなくわかってさ・・・だけど、その・・・」
――お前達には、そんな悲しい関係にはなって欲しくない
一昨日、一真が言った言葉。今は、妹紅がその思いを心に抱えていた。この2人には、自分やイーグルUらのようにはなって欲しくないと。その気持ちを上手く表現できなくて言葉に詰まっていると。
「大丈夫だよ」
その不安を打ち消そうとするかのように、一真はヘルメットを取って笑顔を妹紅に向けた。
「あいつは、人が人を想う気持ちを少しずつ理解してきている。だから、あいつは人間を滅ぼしたりしない」
再び顔を出した月の光が、笑みを浮かべる一真と不安げな妹紅の顔を照らし出した。
「どうして、そう言い切れるのさ?」
「信じたいじゃないか」
即答。
「人を信じて、人を思いやる。それはとても素晴らしい事だって、あいつにわかって欲しいんだ。俺、あいつを封印しないで戦いを終わらせたいから。だから俺は始を信じる」
なんともこの男らしい答えだ。馬鹿みたいに真っ直ぐで、呆れそうなほど。だが自分はむしろそういう答えを期待してたのかもしれない。
「それに、お前みたいに心の優しい不老不死がいるんだからな。始だってきっとお前みたいになれるって、俺は信じてる」
そう言われて、妹紅は目を泳がせた。
「そんなんじゃないよ・・・私は」
「そんな事ないって」
ぽん、と妹紅の肩を軽く叩き、一真はヘルメットをかぶってブルースペイダーを走らせた。竹の中に消えていく青いバイクを見送り、妹紅は家へ踵を返そうとして立ち止まった。
――あいつは人間を滅ぼしたりしないよ
――俺は信じてる
その言葉を口にした一真の笑顔を思い出し、ふと、その笑みにわずかな悲しみが混じっていたような気がした。
なぜ、と考える。
――俺がライダーで、あいつがアンデッドなら、俺はあいつを封印しなければならない
(そうか・・・恐いんだ、お前も)
一真も、始を倒さなければならない時が来る事を恐れているのだ。始を信じている、という言葉は、その不安の裏返しなのかもしれない――いや、そうに違いない。
――俺、あいつを封印しないで戦いを終わらせたいから
この言葉は嘘偽りない一真の願いに違いない。そう願うからこそ、不安に立ち向かっているのだ。
(強がっちゃってさ。本当は自分が一番不安でしょうがないってのに)
そう思うと、悲しいのと同時に安心もした。彼も、自分と同じ思いなのだと。つくづく放っておけないヤツだ、とわずかに笑みをこぼしながら嘆息する。
(その願いが叶うといいな・・・)
穏やかな気持ちで、妹紅は月を見上げた。
――――つづく
次回の「東方永醒剣」は・・・
「ったく、世話が焼けるなあ・・・」
「なんか親近感を覚える名前だなーって思ってたんですけど」
「逃がさん!」
「妹紅っ!」
「馬鹿野郎、なんで私なんか・・・」
「おのれええぇぇぇ――」
『 Fusion Jack 』
第7話「心の形、強さの形」