戸が開く音が聞こえて、慧音は読んでいた本を閉じて顔を上げた。
「おーい、連れてきたぜ」
「ああ、待っていたぞ」
窓の外を見上げ、太陽の位置を確認すると確かに2時間ほど経っていた。上がってきた霊夢と魔理沙は畳の上に腰を下ろした。
「・・・誰もいないようだが?」
2人しかいないのを訝り、そう聞く。
「ああ、堂々と里に顔を出すのはちょっとまずいからな。こっそりと来てる。ほら」
そう言って上方を指す魔理沙。見上げると、外から霧のような白い気体が入り込んで来ていた。その霧から妖気を感じる。それもかなり強い。霧は下りてきて畳の上に集まりだした。
「これは・・・」
そして濃度の増した霧の中から小さい人の形が現れた。外見は10歳前後の少女。袖が千切れた白いブラウスに紫のスカート。長い金髪に赤いリボンを結び、そして頭から2本のやや歪な形の長い角が生えていて、片方に紫のリボンが結わえてある。ハクタクのそれとは明らかに形状が違う。
その角を見て、慧音は驚きの声を上げた。
「まさか・・・『鬼』か!?」
鬼といえば、日本において人間から最も恐れられた妖怪である。幻想郷でもそれは例外ではなかった。しかし幻想郷から鬼が姿を消して長い年月が流れており、人々は鬼の事はほとんど覚えていない。記録すらほぼ全く無い――膨大な蔵書量を誇る紅魔館の大図書館にすら鬼について書かれた書物は無かったという――が、正しい歴史を知る慧音はもちろん知っている。
確かに、鬼を人里へ連れて来ると知っていれば許可しなかっただろう。
「そう。伊吹萃香。今回はこいつに手伝ってもらうわ」
霊夢に紹介されて、胡坐をかいた萃香は酔っ払ったような赤ら顔で手を上げた。萃香の両腕に繋がれた、球・立方体・三角錐の3つの分銅がついた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。
「あんたが慧音だね? 私は萃香。よろしく」
「あ、ああ・・・うっ!?」
とりあえず返事をしようとして、強烈な酒の匂いに思わず鼻をつまんでしまった。
「ん? どしたの?」
萃香が赤い顔で可愛らしく首を傾げたかと思うと、持っていた紫の瓢箪に入っている液体をぐいぐいと勢いよくあおった。
「ぷはぁ~」
大きく息をつく萃香。その吐息から強いアルコールの匂いが漂ってくる。
「むむ・・・鬼は酒好きと聞いてはいたが、これほどとは・・・」
慧音が両手で鼻と口元を押さえているのを見て、萃香はあははと笑う。
「あんた、面白いね。飲むかい?」
瓢箪を差し出す萃香。中身は酒だろう。
「け、結構! 昼に酒は飲まない主義だ!」
「ふーん。じゃ、私が飲む」
そう言ってまた瓢箪の中身を飲みだした。
「しょうがないわね」
呆れた表情の霊夢。魔理沙は酒のにおいを払うように手を振っている。
「そうだ。酒は用意しといてくれたか?」
「あ、ああ。これだ」
部屋の隅に置いておいた1升の徳利を卓に置く。
「おー、どれどれ」
萃香は体をふらふらと揺らしながら徳利を取り、木の蓋をぽんと外して直接口元に運んだ。見た目幼い少女がごくごくと酒を飲んでいる光景はなんとも言えない。
「ん~、まあまあかな。悪くない。お駄賃には十分ね」
そう言いつつまた酒をあおる萃香。
「戸板は用意してある?」
「ああ、里の入り口辺りに運んでもらった」
「よし、じゃ早速行くか」
立ち上がる霊夢と魔理沙。
「ほら、行くわよ」
「はいはい、っと」
霊夢に促され、萃香は空になった酒瓶を転がしてふらふらと立つ。
「ほいじゃ、里の外で待ってるからね」
萃香の体は霞になって窓から出て行った。
「・・・・・・」
慧音は空の徳利と萃香が出て行った窓を呆然と見ていた。
「驚いた?」
「ああ、なんというか・・・まあ、鬼が手を貸してくれるなら心強いか」
頭を押さえつつ、慧音は自分を納得させるようにつぶやいた。
◇ ◆ ◇
霧の湖は先ほどの戦いが嘘のように穏やかだった。妹紅が起こした爆発で立っていた波も静まり、小さい波音が聞こえるだけ。
霧が立ち込めるそのほとりを3つの影が歩いていく。
「なあ、その紅魔館ってどこにあるんだ?」
ブルースペイダーを押している一真が、先を歩く咲夜に声をかける。
「この湖の中央にある島よ」
「不便そうな立地だな」
振り返らずに返事する咲夜に、一真の隣を歩く妹紅がぼやく。
「そういう風に勿体つけたがるものなのよ、貴族って」
「いや、そうかも知れんけど」
ポケットに手を突っ込んで歩きながら、またぼやく。
と、一真が、
「そういえば、お前も貴族なんだってな」
「え?」
「あら、そうなの?」
虚を突かれた妹紅と、振り返る咲夜。
「ああ、慧音から聞いたのか・・・そんなの大昔の話だよ」
手を左右に振る妹紅。
「なあ、もしかしてそういう酔狂な貴族に心当たりがあったりするのか?」
「まあ、ない事もないけど・・・」
興味津々の一真と、はぐらかす妹紅。一真がなおも聞こうとした所で咲夜が足を止めた。
「ここが紅魔館に一番近い岸よ」
一真と妹紅は湖の方へ目を向けるが、濃い霧の中には館の姿どころか影すら見えない。
「どうやって渡るんだ? 橋とか舟とかは?」
「ないわよ。そんなの用意したら、わざわざ湖の中なんかに建てる意味がないわ」
「もしかして、飛んで行くしかないわけ?」
「そういう事。あなた、飛べる?」
尋ねられた一真は首を横に振った。
「いや・・・空を飛べるラウズカードもあるけど、持ってないし・・・」
「私達が抱えて行く?」
妹紅がそう言うと咲夜は、
「やってもいいけど、手が滑って湖に落ちるかもしれないわよ?」
「・・・遠回しに嫌だって言ってるだろ」
睨み上げるように半眼になる妹紅。
「まあ、こっちの方が楽だし」
咲夜の足がふわりと地面を離れ、水面の上を滑る。湖の上を少し進んだ所で振り返り、一真に視線を固定する。
すると。
「お、おわ!?」
一真の体が浮き上がった。慌てて手足をじたばたさせるがバランスは崩れない。
「あなたは自分で飛んで来てくれるかしら?」
「ああ、いいよ」
妹紅は背中に炎の翼を作り出して飛び上がり、ふとブルースペイダーを見た。
「ブルースペイダーはどうする?」
「置いて行かない?」
眉をひそめる咲夜だが、一真は首を傾げ、
「でも、こんな所に置いてて誰かに盗られたりしないかな?」
「そうでなくても、通りすがりの妖怪や妖精に壊されたりするかもしれないし・・・」
一真と妹紅が同時に咲夜を見、視線を向けられた咲夜は額に手を当ててため息をついた。
「わかったわよ。それもちゃんと持っていくから」
咲夜がそう言うと、ブルースペイダーは揺れる事なく宙に浮き上がった。
「じゃあ行くけど、変な話はしないでね。私の気が散ると、あなたもそれも湖へ自由落下よ」
「う、うん」
釘を刺してから咲夜が前を向くと、彼女と一真とブルースペイダーが湖の中へ向かって水平に動き始めた。妹紅も飛行してついて行く。
「なあ・・・これ、どうやって浮かせてるんだ?」
不安げに下の湖面を見ながら、一真。特に力が加わっている感じはせず、割と安定している。
「私は空間を操る事もできるの。これはその応用よ。他にも、投げたナイフを加速させたり、飛ぶ方向を曲げる事もできるわ」
「便利だな」
落ち着かない様子の一真を面白そうに眺めながら妹紅が言う。
「なあ、浮かせたものをくるくる回したりできるかな?」
「ええ。見てみる?」
「おい、ちょっと待て!?」
空中で慌てる一真に、妹紅は笑い出した。
「ははは。冗談だよ、冗談」
「あら、やらないの? つまらないわね」
「おいおい」
さも面白くなさそうに言った咲夜に一真と妹紅が同時につっこむが、咲夜は聞こえないふりをして前を向いている。
「そろそろ着くわよ」
「この人のペースがつかめない・・・」
「同感」
半眼の一真と、お手上げという風に両腕を広げる妹紅。
前方の霞の中から陸地が現れ、更にその向こうに大きな影がうっすらと見えている。咲夜と妹紅は高度を下げて着地し、一真とブルースペイダーも地面に降り立った。
「もうすぐそこよ」
水辺から遠ざかるように陸地の奥へ歩を進める咲夜に妹紅と一真も続く。湖の外側と変わらないような黄色がかった草地で、木もまばらに生えている。
「湖の中の島って言うからもっと小さいのかと思ったら、案外大きいんだな」
ブルースペイダーを押して進む一真の言葉に妹紅も頷く。
次第に霧の向こうの影ははっきり輪郭を現し、大きな館と高い塀が迫ってきた。霧で白んで見えるがどちらも赤く、塀には大きな門が設えられている。
その立派な門構えの前に、動く影が1つ。赤い長髪に緑の服と帽子の、妹紅や咲夜より少し年上ほどの少女がゆっくりした動作で体を動かしていた。どうやら太極拳のようだ。
と、彼女はこちらに気づいて動きを止めた。
「あ、咲夜さん。お帰りなさい」
「暇そうね」
やたら冷たく鋭い視線を向ける咲夜。
「あはは・・・こう見えて、門番って大変なんですよ?」
そのナイフのように突き刺さる視線に困ったように手を頭に当てる少女。それに咲夜は嘆息した。
「まあ、昼寝するよりはましね」
「と、ところでそちらの方々は?」
汗をかき始めた少女は咲夜の後ろに立っている一真と妹紅を示して話を逸らした。
「お客様よ」
2人を振り返る咲夜。一真は少女に会釈した。
「初めまして。剣崎一真です」
「私は藤原妹紅」
「あ、ご丁寧に。私は紅美鈴、紅魔館の門番です」
彼女――美鈴は笑顔で頭を下げた。
「美鈴、門を開けてちょうだい」
「はい、わかりました」
返事をして、美鈴は門に手をかけた。
いかにも重そうな両開きの門は、ぎしぎしと音を立ててゆっくりと内側へ開いていった。
「どうぞ、お入り下さい」
美鈴は開いた門の脇に身を寄せ、開いた門の向こう側を開いた手で示した。ブルースペイダーを門の外に置いて、3人が門をくぐると大きな館の全容が目に飛び込んだ。
一真と妹紅が見上げる西洋風の館はほぼ全面が赤い壁で、かなりの大きさだと思ってはいたが、やはり間近でみると非常に大きい。中庭の花壇には色とりどりの花々が咲き乱れ、その中を横切るように門から館の入り口まで小道が続いている。
「おお、キレイだな」
「そうでしょう? ここのお花は私がお手入れしてるんですよ」
感嘆の声を上げる一真に、自慢げに胸を張る美鈴。
「これでネズミを館に入れさせなければ文句はないのだけれど」
「ネズミ?」
「そう。昨晩も入り込んでたみたいだし」
「あはは・・・すいません」
居心地悪そうにうつむく美鈴とそれを冷たくにらむ咲夜を見つつ、妹紅は首を傾げた。
「ところで、塀の内側だけ霧が無いような気がするんだけど」
「あ、そういえば」
妹紅に言われて一真が庭を見渡すと、確かに庭の中に霧はかかっていない。空を見上げると、晴天の中で太陽が自らの存在を地上に知らしめるように強い輝きを放っている。だが塀の上を見上げると、その先には霧が立ち込めて見通しが悪い。
「私が空間をいじって館の周りに霧が入らないようにしているの。花の生育に悪いから」
「凄いんだな、お前」
どことなく固い表情で咲夜を見ながら妹紅が言う。
「その気になれば、太陽や月を止める事もできるわよ。永夜異変の時もお嬢様の命令があればやっていたんだけどね」
「あの時お嬢様、霊夢に後れを取ったーって悔しがってましたよね。気づいたのに一晩放ったらかしにするから・・・」
美鈴はそこまで言って、咲夜にキッと睨まれて口をつぐんだ。
「・・・すいません」
謝った美鈴はしゅんとしていた。咲夜は美鈴に何も言わず、妹紅と一真に向き直る。
「じゃあ行きましょう。お嬢様がお待ちかねのはずよ」
「あ、ああ」
咲夜が美鈴に目配せすると、彼女は門の外へ出て門を閉め始めた。庭を進む3人が小道の半分も進まぬ内に、門は大きな音を立てて閉じられた。
「ふう」
門を閉じて、する事がなくなった美鈴は霧が立ち込める門の脇に寄りかかった。
「さて、どうやって暇つぶそうかな・・・」
深い霧の奥に目をやりながらつぶやくが、その先には白い空間しか見えない。
門番なのだからもちろん監視が任務なのだが、立地条件などから紅魔館を訪れるどころか通りがかる者も非常に少なく、ましてや許可無く侵入しようとする者などはさらに少ない。いる事はいるが。
当然美鈴は単に門の前にいるだけの時間が長く、いつも太極拳などしながら時間をつぶすのだが塀に寄りかかって寝てしまう事も多い。その隙を突かれて魔理沙に侵入を許すケースが多く、咲夜から二重の意味で大目玉をしょっちゅうくらっている。多分、昨夜もそうだったのだろう。
とはいえ門番の仕事がきつい事は理解しているようで、割と大目に見てもらってはいる。寛大な主人と上司で幸運だと思っている。
見上げていて首が疲れてきたので視線を下ろすと、門の傍らに置かれたブルースペイダーに目が留まった。
「・・・なんだろ、これ?」
ブルースペイダーに近づき、物珍しそうにしげしげと観察する。
「車輪が縦に2つだけついてるって変わってるなあ。これじゃ自分で立てないと思うけど・・・って、じゃあなんで今立ってるんだろ?」
ぶつぶつと言いながらブルースペイダーの周囲を回っていると、後ろの車輪の左側面にスタンドが立ててあるのに気づいた。
「あ、なんだ。こうなってるんだ」
納得しながらしゃがみこんでスタンドに指で触れる。
と。
うっかり力が入ってしまい、スタンドが後方へずれた。一真のスタンドの立て方が中途半端だったせいもあり、車体は自身の重みでスタンドを折りたたみながらゆっくり傾いていく。
「え?」
車輪が縦に2つ並んでついていてはバランスが取れない。自分の分析が正しかった事を、彼女は身を持って知る事になった。
「きゃー!?」
悲鳴を上げながら美鈴は成す術も無く、倒れたブルースペイダーの下敷きになってしまった。
「う~ん・・・」
100kg以上ある車体にのしかかられ、美鈴は目を回して伸びてしまった。
意識を取り戻した美鈴が悪戦苦闘しながらどうにかブルースペイダーの下から脱出できたのは、それから1時間後の事だった。
◇ ◆ ◇
昼下がりの秋空の下、紅白・白黒・青と妙に彩りの華やかな一団がのんびりと歩行していた。
遺体を回収に向かう慧音らだが、それに似合わないはずの『のんびり』という表現がぴったり当てはまる雰囲気だった。
「時に霊夢、文の話聞いたか?」
「文? そういえば見ないわね。こういう時はしゃしゃり出てくるはずなのに」
両手で水平に持った箒を首の後ろに担いで歩いている魔理沙は、いかにも楽しそうににっこり笑った。
「それがさ。さっき萃香を探しに妖怪の山に行った時に聞いたんだけど、昨日山に変な妖怪が出たらしいんだよ。多分、アンデッドの事だろ」
「へえ。それで?」
「天狗どもが追い払ったらしいんだが、文のやつ、そいつを激写しようとして雷の妖術みたいのを喰らっちまったらしいんだよ」
「へ~。あいつがそんなヘマやらかすなんて珍しいわね」
「写真取ろうとして一瞬止まった所を狙われたらしい」
話題に上っている射命丸文は妖怪の山に住む天狗の一種・鴉天狗である。
天狗は妖怪の山において独自の社会を築いており、その中で鴉天狗は情報収集を担当していて、天狗社会内外に新聞を発行している者が多い。文もその一人で、『文々。新聞』という新聞を作っている。
「で、怪我でもしたの?」
そう聞く霊夢だが心配している様子は全く見られない。
「いや、咄嗟に結界を張ったんで大した怪我はなかったらしいんだが、商売道具のカメラがぶっ壊されたらしい」
「あらら」
「しかも、たくさん写真を取り溜めたフィルムもパァになっちまったもんで、がっくりきて寝込んじまったんだってさ」
同時に大きな笑い声を上げる2人。
「それは哀れだわね。カメラがないんじゃ新聞に写真載せられないもんね」
「全くだ。それでもあいつ、落ち込みながら『新聞休刊のお知らせ』っていう号外を作ってるらしいぜ」
「自分の不幸までネタにするなんて、転んでもただじゃ起きないわね。さすが天狗だわ」
「その逞しさは見習わなきゃいかんのかなあ」
片手を開いてみせる魔理沙と皮肉っぽく笑う霊夢。その様子を横目に見ていた慧音は、あまりの緊張感の無さに内心こっそりとため息をついた。だが、かといってそれを咎める気もない。彼女達とて、状況がわかっていないはずがない。せめて目的の場所に着くまでは平常通りでいさせてやりたい。
「たまにはこうやって歩くのも悪くないわね」
「だな。萃香につきあって歩くってのも変な話だが」
「・・・・・・」
歩きながら後ろを振り返る霊夢、魔理沙、慧音。その後ろでは角の生えた少女が戸板の上に寝そべってぐびぐびと瓢箪の酒をあおっていた。
「ん~? どしたぁ~?」
ほろ酔い加減で寝転がったまま首を傾げる萃香。
「なんかムカつくんだけど」
「気が合うな」
ジト目で萃香を睨む霊夢に同意する魔理沙。
「だが、確かにものを運ぶのには適していると思うぞ」
戸板の下を覗き込むように頭を下げつつ慧音が言う。
3枚重ねられた戸板はわずかに地面から浮いていた。その下の隙間では体長20cmくらいの小さい萃香が数十体、戸板を持ち上げて行進している。
「『密と疎を操る程度の能力』か・・・」
霊夢らから聞いた、あらゆる物体の密度を操作する萃香の能力。
自分自身の密度を下げて霧に変えたり、自分の体を分割して小さな分身を作り出したりできるのはその能力によるものだ。話によると物体の密度を変えるのみならず、人間や妖怪を1ヶ所に萃められるらしい。巨大化する事までできるという。
「・・・・・・」
幸せそうに酒を飲む萃香を見つつ、慧音は自分の知る鬼の歴史に思いを馳せた。
強大な力を持ち、神格化さえされる事もあったほどの存在。現在は妖怪の山を実質取り仕切っている天狗すら、鬼の配下に甘んじざるを得なかったほどだ。
その割には人間と関わる事を好み、人間を酒の席に誘ったり力比べをしていたという。その力比べに負けた人間はさらわれて鬼の住処に連れ込まれてしまい、それを助けに来る人間とまた勝負をする、というのが古来からの鬼と人間の付き合いだった。それゆえ、現代でも『鬼』という言葉は強さと畏怖の代名詞として人々の心に浸透している。
だが鬼は地上から姿を消し、人々の記憶からも忘れ去られてしまった。
力に差がありすぎて、鬼に勝ち目がほぼ無いという事に人間が気づいたのが始まりだった。鬼に勝つための武器や技術も考え出されてはいたが、誰でも対等に渡り合えるというものではなかった。そのため、人間は鬼を欺いて出し抜く手段を講じるようになった。その非情なやり口に、豪快で乱暴だが実直な鬼達は隣人のように親しくしていたはずの人間に裏切られたと悲しんだ。
だが人間からすると、鬼の事を弱者に対して最初から結果の見えている勝負をふっかけた末にさらっていく乱暴な妖怪と見る者が多くなっていた。人間は鬼を追い立て続け、とうとう彼らは人間と関わる事を諦めてしまった。
幻想郷では博麗大結界が構築される少し前ごろにはもう鬼はいなくなっていたようだ。
そうして人間は脅威を排除する事ができたが、鬼を倒す術は必要がなくなったために失伝され、現在そういった資料は残存していない。今では節分の豆まきさえ行われなくなったほど、『鬼』という名前以外は完全に人々の記憶からも忘れられてしまった。
「そういえば、彼女はどこにいたのだ? だいぶ探し回ったようだったが」
盛り上がっている霊夢と魔理沙に話しかける。
「それがねー、紫の家にいたのよ」
「八雲紫の?」
「うん」
~少女回想中・・・~
博麗大結界の北東の端、八雲紫の邸宅は博麗神社同様、その境界上に構えられている。
霊夢は一度博麗神社へ萃香を探しに行った後、ここへ飛んで来た。
紫と萃香は旧知の間柄らしいので、ここにいるかもしれないと考えたのだ。
空から館を見下ろしていると、外壁の陰に妙な物体を見つけた。
黄色と白の大きな房が揺れている。
その近くに降り立つと、房の後ろから女性の顔がのぞいた。
「やあ、霊夢」
「こんにちは、藍」
藍と呼ばれた女性が立ち上がって向き直る。短めの金髪と金色の瞳を持った美しい顔立ち。青と白の道士が着る物のような、ちょうど紫の服の紫色の部分を青に変えたような服を着ている。
藍は妖怪『九尾の狐』であり、房に見えたものは9本の尻尾だった。見事な毛並みで、後ろから見れば藍自身を覆い隠すほどの大きさがある。ちょうど藍が薪を並べていてしゃがんでいたようだ。頭には白い帽子をかぶっているが、その下には狐の耳が生えているはずで、帽子はそれに合わせて2つの山のような形をしている。
「よく働くわねえ。私も『式』が欲しいわ」
「ははは。だが私ほどの式を操れるのは紫様くらいのものだろう」
自慢げに笑う藍。
妖怪が作り出す『式神』を憑依させる事で『式』として妖怪を使役できる。式神とは主の妖怪の能力・思考を移植したもので、主が強力であるほど式もより強い力を付与される。逆に式神の内容にない行動には融通が利かないし、またそれ以上の能力を発揮できない。以前、紫はそれを外の世界でいうコンピューターのプログラムのようなもの、と言っていた(霊夢にはさっぱりわからなかったが)。
「紫はどうしてる?」
「まだ調子は良くないが、今は起きていらっしゃる。客人と話しているよ」
「もしかして萃香じゃない?」
それを聞いて、藍は目を丸くした。
「よくわかったな?」
「萃香を探してる所なのよ。ここにいるかなって思って」
「相変わらず勘が鋭いな。縁側にいらっしゃるはずだ。お茶を持っていくよ」
「ええ、いただくわ」
藍は台所へ引っ込み、霊夢は館の縁側へ足を向けた。広いとはいえ程なく縁側に辿り着くと、紫と萃香が並んで腰かけていた。
「あら、霊夢」
「おー? いいとこに来たねぇ。ほら、霊夢も飲もうよ」
「あんたは飲みすぎよ」
萃香に瓢箪を差し出されるが無視。
萃香と来たら、常時酔っ払っていて素面な状態でいるのを一度も見た事がない。本人曰く、最後に酒が抜けていたのは500年前との事だ。
萃香から目を離し、紫に向ける。
「調子はどう?」
「いまいちね。お酒が美味しくないわ」
両手を膝の上に置いたまま肩をすくめる紫。傍らに盃が置かれている。寝すぎてかえって体を壊したんじゃないかと言おうとすると、
「そんなら紫の代わりに私が飲んでやるよ」
そう言って萃香が瓢箪の酒をがぶがぶ飲み出した。霊夢は萃香から瓢箪を取り上げ、
「萃香、飲んでる場合じゃないわ。あんたに仕事よ」
「仕事~? 働きたくないでござるぅ~」
「ふざけてる場合じゃないの! ちゃんとお礼のお酒も用意してあるから、来なさい!」
「お酒ぇ? いい酒じゃなきゃ駄目だよ~?」
「はいはい、わかったから」
瓢箪を投げ返し、腕を引っ張って立たせた所で、お盆に湯飲みを乗せた藍が障子を開けて現れた。
「あれ、もう帰るのか?」
「ごめんね、急いでるから」
湯飲みのお茶を一息で飲み干し――飲みやすいようにという配慮だろう、ぬるめだった――、お盆に戻す。
「また今度ゆっくりお茶飲みに来るわ。じゃあね」
きょとんとしている紫と藍を尻目に、霊夢はそのまま萃香を引っ張り上げて空へ舞った。
「それで、どこに行くのさ?」
「その前にまず魔理沙と合流しないと。あんたを探して無駄な時間を食ってるからね。ていうか、あんた飛びなさいよ」
「にへへ~」
霊夢に腕をつかまれたままぶら下がっている萃香はへらへらと笑うだけだ。
「大体あんた、どうして紫の家にいたのよ?」
「あのね、具合が悪いって聞いたから、お見舞いに行こうと思って」
「お見舞いにかこつけて酒飲みたかっただけじゃないの?」
「まあ半分はそうなんだけどね」
頭に手を当てる萃香に、霊夢はため息をついた。
「・・・で、魔理沙も探して来たってわけ」
「知ってる場所を片っ端から当たろうかと思ってた所だったからな。助かったぜ」
丘を登りながら霊夢達の話を聞いていた慧音は、見上げていた顔を彼女達の方に戻した。
「そうか。苦労をかけたようだな」
「気にすんなよ。大した事じゃないしな」
「そ~そ~。大した事じゃないない」
「あんたが言うな」
3人の後ろ、締まりのない笑顔で傾きながら登っている戸板のへりに両手で掴まっている萃香に霊夢がつっこむ。そうしている内に彼女達は丘を登りきった。
「・・・ここだ」
慧音の言葉に霊夢らが顔を向けると、丘の上に骸が転がっていた。
◇ ◆ ◇
紅魔館の薄暗い玄関ホールに入って2人が抱いた最初の感想は、赤い、だった。洋館と聞いて想像する、そのままの光景が眼前に広がっている。赤い壁、高い天井、石製と見られるタイルの赤い床。
ホールから左右に廊下が伸びていて、その先は暗くてよく見えないほど長い。正面の大きな階段は踊り場から奥の通路と左右の階段の3方向に分岐し、左右に分かれた階段はホールを回るように造られた廊下へ続いている。
階段にも赤い材質が使われていて、手すりとその根元あたりだけは白い。薄暗さが手伝って、これでもかと赤い空間はかなり不気味な雰囲気を醸し出している。
「そうか、窓が無いんだ」
どうしてこんなに暗いのだろうと考えていた一真は、妹紅のつぶやきでその原因を理解した。明かりは壁にかけられた燭台の炎のみで日光が全く入り込んでいない。
「吸血鬼が建てた屋敷だからね。日光が極力入らないようにしているの」
入り口横の壁に据えつけられた棚の中から燭台とロウソクを取り出していた咲夜が言う。ロウソクに火がつけられ、燭台が掲げられるとわずかに周辺の明るさが増した。
「お嬢様の所へ案内するわ。ついて来て」
階段へ足を向ける咲夜に続いて妹紅と一真も歩き出した。
静まり返ったホールにカツカツと足音が反響する。
階段にさしかかった所で、一真は手すりの端の四角い部分に目を留めた。
ライダーの活動拠点だった『人類基盤史研究所 BOARD』の施設が、中は洋風でなんとなくこのホールと雰囲気が似ていた。その奥のエリアには持っている携帯端末や網膜などの認証を行わねば入れない厳重な作りになっていて、ちょうどこういう手すりの所に指紋と掌紋の認証装置があった。認証の手順は面倒だったが、そういういかにも秘密基地という雰囲気が面白くて気に入っていた。
(・・・・・・)
一真は手の平を手すりに置いた。
ボードに入ってわずか2ヶ月で施設は破壊されてしまい、それからアンデッドとの戦いは苛烈になっていった。あの頃はまだ戦いの勝手もよくわからず、1人では満足にアンデッドとも渡り合えなかった。拠点を無くし、ボードに利用されていると疑念を抱いた橘ともはぐれ、正に五里霧中だった。それでも人々をアンデッドの手から救うために歯を食いしばって戦い続け、多数のアンデッドを封印してきた。
(なんだか、遠い昔の事みたいだな・・・)
石の冷たい感触を手の平全体で感じながら、一真は感慨にふけっていた。思い起こせばそれらはいずれも今年の事なのに、何年も戦い続けてきたような気がする。その間、ライダーとして戦う道を選んだ事を後悔した事は一度もない。
手すりの上に置かれた自分の手。剣を握り続けたその手で成してきた事がまざまざと頭をよぎっていった。
「あまり触らないでくれるかしら。触られた跡とか、お嬢様がうるさいから」
上から聞こえた咲夜の声で、一真の思考は現実に引き戻された。
「あ、ああ、ごめん」
慌てて手を離し、だいぶ先に上がっていた咲夜と妹紅に続く。踊り場の奥へ続く、薄暗い通路をずっと進んでいく。
「なあ、お嬢様ってどんな人かな?」
隣を歩く妹紅に、身を屈めて小さめの声で尋ねる。咲夜は聞こえていないのか、歩き続けている。ポケットに手を入れて歩いていた妹紅は一真の顔を見上げ、
「人じゃないよ。吸血鬼だ」
「・・・ヴァンパイア?」
「そう、それだ」
「今度は西洋の妖怪かよ・・・ホント、幻想郷には何でもいるんじゃないか?」
「かもな」
一真のリアクションに妹紅は含み笑いしながら答える。
「私も詳しい事は知らないけど、なんでも異変を起こした時に幻想郷で初めて霊夢と弾幕ごっこをした妖怪って事で有名らしい」
「そうなんだ・・・おっかない人じゃなきゃいいなあ」
「多分大丈夫だろ。1度会っただけだけど、見た目はむしろ可愛い方じゃないかな」
「お嬢様の前では、それは言わない方がいいわよ」
前から声。ちゃんと聞こえていたらしい。一真と妹紅は軽く汗をたらしながら顔を見合わせた。
時折曲がり角にさしかかったり扉を通り過ぎるがひたすら真っ直ぐ進み、やがて通路の突き当たりに大きな扉が現れた。
「ここよ」
揺らめく蝋燭の明かりに浮かび上がる扉を見上げる2人。
「今からお嬢様に会ってもらうけど、その前に・・・」
咲夜は一真の手に目を落とし、
「その指輪、銀製?」
「え? ああ、シルバーだけど」
「吸血鬼は銀が苦手だから、それは私が預らせてもらうわ。後で返してあげるから」
そう言って左手を差し出す。
「ああ・・・わかった」
一真は指輪を外して咲夜に渡した。
「ブレスレットとペンダントもシルバーだけど」
「それも預っておくわ」
「でも、お前のナイフも銀だって聞いたけど」
「そうだけど、私がお嬢様を傷つけるわけないもの。それに苦手と言っても致命的ってほどじゃないし」
咲夜は一真のアクセサリーをポケットに入れながら妹紅に答える。
「そういえば、吸血鬼って苦手なもの多いよな。日光にニンニクに十字架に」
「水もダメよ。もっとも、お嬢様はにんにくも十字架も平気だけどね」
「え、そうなの?」
「なんでそんなもの恐がらなきゃいけないんだって仰ってたわ」
えー、と首を傾げる一真。
「今から正しい吸血鬼の姿をしっかり見るといいわ」
そう言って咲夜は扉に向き直り、ノックした。
「失礼いたします、お嬢様」
「通して」
扉の向こうから返事が聞こえて、咲夜が扉をゆっくり押し開けた。3人が扉をくぐり、やはり赤い部屋の中へ入った。白いテーブルクロスがかけられた大きなテーブルが中央に置かれ、それが部屋の赤さを一層引き立てている。
その向こう側に大仰な椅子が鎮座し、その上に小さい影が座っている。薄ピンク色のドレスをまとった幼い少女。部屋の中には彼女しかいない。
「お嬢様。客人を連れてまいりました」
「ご苦労様」
咲夜が手を体の前でそろえ、少女に対して折り目正しく頭を下げた。
「あ、あの・・・その娘が、お嬢様?」
「そうよ」
頭を上げた咲夜が一真にそう答えると、少女は高い椅子から飛び降りた。スカートがふわりと広がり、背中の黒い翼が動く。それを見て一真は、咲夜の言う事が真実だと認めざるを得なかった。少女は余裕を感じさせる笑みを、異常なほど肌の白い顔に浮かべた。
「私が紅魔館の主、レミリア=スカーレットよ」
「えっと・・・け、剣崎一真です」
テーブルよりも低いレミリアの体を見下ろし、一真は狼狽しながら名乗りを返した。レミリアは一真を見上げてまた微笑んだ。
「背が高いわね。何センチ?」
「ひゃ、185センチです。体重は56キロ・・・」
その長い体を縮こまらせて答える一真。
「聞いてないよ。ていうか軽いなお前」
と、妹紅。
レミリアは今度は意地の悪そうな笑みで、
「吸血鬼がこんなにちっちゃくてがっかりさせてしまったかしら?」
「い、いやそんな事は」
「どう? これが本物の吸血鬼よ。しっかり見ておきなさい」
胸を張るレミリアだが、体が小さいので迫力は無い。
「あら、もしかして聞こえていましたか?」
「どの口がそれを言うのかしら。聞こえているってわかってて言ったくせに」
「ふふ、やはりお嬢様には敵いません」
笑い合うレミリアと咲夜。微笑ましいその光景に、妹紅と一真は、この主従の信頼関係は相当に厚いものだと直観した。
「紅茶をお持ちします」
そう言って咲夜は部屋を後にした。
「とりあえずかけて頂戴。あ、それから割とタメ口で構わないわ」
「あ、うん・・・」
言われて椅子に腰かける妹紅と一真。レミリアが黒い翼をはためかせ、高い椅子にひょいと身軽に飛び乗った所で、
「紅茶をお持ちしました」
ワゴンにティーポットとカップを乗せて咲夜が部屋に入って来た。
「早っ!?」
驚いた妹紅と一真は危うく椅子からずり落ちそうになった。
「な、なんでこんなに早いんだ? 今部屋を出たばかりなのに」
「時間を止めている間に厨房へ行って、お湯を沸かすのは時間を早めて、そして時間を止めて持って来たの」
「便利でしょう、咲夜は」
「恐れ入ります」
唖然とする2人を尻目に、咲夜は紅茶を注いだカップとソーサーを2人の前に置いた。
「すごいんだな」
「うん・・・こりゃ、私が勝てなかったのも無理からぬ事かな」
咲夜の能力の機能性の高さに舌を巻く2人。とりあえず気分を落ち着かせようと紅茶に手を伸ばす。いただきます、と言ってカップに口をつけるが、一口飲んで2人とも眉をしかめた。
「口に合わなかったかしら?」
「いや・・・この紅茶、ちょっと濃すぎないかな?」
「うん、私もそんな気がする」
それを聞いた咲夜はポットの蓋を開けて中を覗きこんだ。
「・・・これも時間を進めたんだけど、進め過ぎたかしら。さすがに時間を戻す事はできないのよね」
やってしまった、という風に眉を片方吊り上げ、独りごちる咲夜。
「あれか。盆に水が・・・何だっけ?」
「覆水盆に返らず?」
「そう、それ」
またかい、とうんざりした様子の妹紅。
「以前も同じ事言われたのよね」
「盆水に返らずって?」
「覆水盆に返らずだっつの」
とぼけた事を言った一真と、それに即座に突っ込む妹紅を見て、レミリアは声を上げて笑った。
「面白いわね、あなた」
「あはは・・・」
恥ずかしそうに笑って誤魔化しつつ、紅茶をすする一真は話題を変えようと口を開いた。
「ところでさっき、勝てなかったって言ったけど、弾幕ごっこの事か?」
「うん。この2人と戦って負けた事があるんだ」
「1対2で? なんでそんな事に?」
そう聞くと、妹紅は昼にも見せた険しい表情になった。
「輝夜だよ」
憎々しげに吐き捨てる。それに咲夜が続ける。
「以前、輝夜が永夜異変という異変に関わって霊夢に退治された事があるの」
「永夜異変って・・・さっき門番の人が言ってた?」
「ええ。それから1月経った頃に、輝夜が霊夢に肝試しを提案してきたのよ」
「肝試し?」
「丑三つ時に2人1組で迷いの竹林に入るっていう内容だったの。そこに彼女がいたのよ」
言って、目で妹紅を示す咲夜。妹紅はテーブルに頬杖を突いていた。
「輝夜の奴、霊夢達を私と戦わせるためにそんな事を企んだんだよ。肝を試されたのは私の方だったんだ。実際四組と戦わされて全部負けたからね。次の日、筋肉痛がひどかったよ。全くロクな事をしないんだから、あいつは・・・」
言いながら紅茶をごくごくと飲み干す。
「なんでそんな事を?」
「嫌がらせだろうさ。それまでもそういう事は何度もあったし。あいつ、わざわざ私を怒らせるような事ばっかりしてきやがるんだよ、まったく」
「なんだか、気を引こうとわざと意地悪をする子供みたいね」
口汚い言葉を言い放つ妹紅にレミリアが笑う。
「んな可愛いもんじゃないよ。私の腹を立てさせた所で、こいつで仕返しするだけだってのにさ」
椅子の背もたれに体を預け、開いた手の平の上に炎が踊る。
「人の家の中でいきなり火を出すのはやめてもらえないかしら」
咲夜に言われて炎を握りつぶすように消した妹紅は、両手をポケットに入れて仏頂面で天井の隅に目をやった。
(なんか、ご機嫌斜め30度って感じだな・・・)
紅茶をすすりながら妹紅の様子を横目で伺う一真。
(なんか話題を変えた方がいいかな。えーと・・・)
「それにしても、すごい豪華な屋敷だよな、ここって。まるで貴族みたいだ」
そう言うと、レミリアは自慢げに胸を張り、
「みたい、じゃないわ。由緒正しい吸血鬼の家柄なのよ」
「ずっと幻想郷に住んでるのか?」
「いいえ。ここに来てからまだ10年と経っていないわ」
「あ、結構最近なんだな」
「幻想郷では新参者ね。でも結構顔が利くのよ」
「吸血鬼は生まれつき強いカリスマ性を持っていると言われているわ」
「私の実力と言いなさい、咲夜」
「存じ上げております、お嬢様。失礼いたしました」
「吸血鬼ってすごいんだな。でも家柄ならこっちも負けてないぞ。な、妹紅」
笑顔で妹紅の肩をぽんと叩く。
「へっ?」
いきなり話を振られた妹紅はきょとんと一真を見た。
「妹紅も貴族の家のお嬢様なんだぞ。な、そうだろ?」
「い、いや、だからそれは昔の事で・・・」
「あら、それは知らなかったわね」
レミリアが興味を示したように言う。咲夜は無言で空になった妹紅のカップに紅茶を注いでいる。
浮き足立った様子の妹紅に一真は椅子ごと向き直り、
「なあ、どんな家に住んでたんだ? いいもん食ってたのか?」
「いや、貴族って言っても、私の母は身分が低かったから父様と一緒に住んでたわけじゃなくて、世間より少しいい家に住んではいたけど・・・」
「そうなんだ。兄弟は?」
「えーと、母親が違う兄や姉がいたらしいけど、あまり会った事もないままだったな。父様はごくたまに訪ねてくれて、私だけは館にも入れさせてくれたけど」
「館ってどんな所だった? 広かったか?」
「うん、あちこち歩き回ってたら迷子になっちゃって、後で叱られたな・・・」
表情がだんだんとしんみりしたものに変わってきた妹紅に、一真は楽しそうに聞き続ける。
「食べ物は? 三食いいもの食べてたのか?」
「いや、あの時代は一日二食が普通だったよ。館の食事はかなり豪勢だったけど、母様はそういうのは食べられなかったな。母様に食べさせてあげようと思って、こっそり持って帰ろうとしたこともあったっけ・・・」
「親思いだな、お前・・・」
目を細めてうんうんと頷く一真。妹紅はそれを横目で見て、
「別に面白くもないだろ、こんな昔の話」
「そんな事ないって。ほら、レミリアも楽しそうに聞いてるしさ」
にこにこと笑っているレミリアを示す。その笑顔からは歳相応の可愛らしさが感じられた。
「まあ、興味なくはないわね」
「そうだろ? 何か聞きたい事とかないか? 例えば――」
しゃべっている途中で咲夜に肘で肩をつつかれ、振り向くと咲夜は半眼で一真の隣を顎で示した、見ると、妹紅が悲しそうな顔でテーブルに頬杖を着いてうつむいていた。
「あ・・・」
一真の心がずきりと痛んだ。
「ご、ごめん妹紅。つい調子に乗っちゃって・・・」
言われて、妹紅は顔を上げた。
「え・・・あ、いや、別にそんな事は」
「いや、本当にごめん・・・」
一真もうつむいてしまい、気まずい空気が部屋に流れた。
「・・・う・・・あ、俺トイレ行きたいんだけど」
「じゃ、案内するわ」
一真が咲夜に連れられて席を立ち、部屋には妹紅とレミリアだけが残った。
「デリカシーがないわねえ。私も人の事は言えないけど」
扉が閉まってから口を開くレミリア。うつむき加減にそれを見る妹紅。
「そう言うなよ。あいつは悪気はないんだ」
「悪気がない方が、かえって深々とえぐるのよねえ」
嘆息しながら肘掛けに肘をつく。
「別に私は気にしてないよ。単に昔の話になって妙な気分になっただけ。こんな話、慧音ともした事ないし。それに多分、私が不機嫌になったんで気分を変えさせようとしたんだと思うし」
妹紅はカップの取っ手を指でくいくいと回しながら言った。
「思い出したくない事をほじくり返されたんじゃないの?」
「違うよ。ただ・・・すごく懐かしかっただけ。普通の人間だった頃を思い返す事なんてなかったからね」
カップを手に取り、紅茶の水面を覗き込む。
「ホント、懐かしいよ。思い出せるのが不思議なくらい・・・あいつのおかげかな」
皮肉げに口の端を上げる。
「ずいぶんあの男の肩を持つのね。襲われたのを助けられたって霊夢から聞いたけど」
そう言うとレミリアは少し身を乗り出して口元に片手を沿え、
「もしかしてあんた、あいつが好きなの?」
「馬鹿言え。誰があんなバカに」
即答する妹紅。レミリアの顔からにやけが一気に引いて、さもつまらなそうな表情になった。
「ま、愛すべきバカではあるけどね。単純でことわざが苦手でお人好しで」
「じゃあ、なんでそんなに思い入れてるわけ?」
「そりゃ、アンデッドは放っておけないし・・・あいつ見てると、なんか自分自身も素直になれる気がするんだよな」
軽くカップを揺らす。
「蓬莱人になってから私はろくでもない生き方をしてきたから、あいつみたいに何に対しても真っ直ぐな生き方に・・・憧れてる、のかな」
手を止め、目を落とすと中の紅茶だけが揺れている。
「多分私は・・・あいつが羨ましいんだ」
ゆらゆらと揺れる紅茶を見ながらつぶやき、カップに口をつけた。
◇ ◆ ◇
「余計な事しちまったな・・・」
一真は肩を落としてため息をつきながら廊下をとぼとぼと歩いていた。
「いっつもこうなんだよな、俺。何かしようとしても空回りして裏目に出て・・・」
「そういう事もあるわ。だけど、他人の過去に不用意に踏み込むのはよくないわね」
落ち込んだ表情の一真を振り返る咲夜。
(詰まる所、彼は霊夢と一緒なのね)
咲夜は彼に対する分析をそう結論づけた。一見似ても似つかないが、どちらも自分が思った事を率直に口に出す点では同じだ。
ただ、一真は相手の心の機微に疎いようで、うっかり失言してしまう危うさがある。霊夢はその逆で、暢気なようで鋭い所があり、相手を傷つけかねない事は言わない。が、タチの悪い事に、鋭い上に口が悪いものだから挑発や皮肉など余計な所にまで気が回る。一真はそういう事は言わなそうに思える。
どちらも一長一短だが、面白いほどに対照的だと咲夜は見た。
「特に彼女の場合、色々あったでしょうから。人には、どうしても触れられたくない過去があるものよ」
「・・・君もそうなのか?」
(・・・言ってるそばから聞くわけ?)
気づかれないように顔をしかめる。だが、話の流れを切るには気まずいだろうし、自分もそうだとアピールしているように聞こえたかもしれないと思い直し、別に気にしないしと答える事にした。
「私はね、昔の事が思い出せないの」
「えっ?」
思わず聞き返す一真。静まり返った薄暗い廊下には足音が大きく響き、この広い館の中に2人だけしかいないような錯覚を覚えさせる。
「この紅魔館の近くに倒れていたのを拾われたそうなんだけど、それ以前の事を全く覚えていないの」
「・・・記憶喪失?」
「そうとも言うわね。私の十六夜咲夜っていう名前もお嬢様につけていただいたの。あの方は人の上をいくネーミングセンスしてるから」
「・・・かっこいい名前だと思うけどな」
「かっこつけすぎると、かえってかっこ悪いものよ」
自分の主人に対する言葉とは思えないなと感想を抱きつつ耳の後ろを指でかく一真。
「それからここに住むようになったんだ?」
「ええ。吸血鬼に人間が仕えるっていうのは結構大変だったけど、もう慣れたわ」
後ろから覗き込むように咲夜の表情を伺うと、彼女は腕を組んだままあまり感情の読めない顔をしていた。
「大変って、例えば?」
「・・・・・・」
咲夜が足を止めた。遅れて一真も彼女の横で立ち止まると、彼女は一真の顔を見上げ、
「あなた・・・お嬢様をどう思ったかしら?」
「え? そうだな・・・案外いい人なんじゃないか?」
「吸血鬼でも?」
「別に恐そうには――」
「それはあなたが吸血鬼の事をよくわかっていないからよ」
一真から顔を逸らす。
「吸血鬼が何故『吸血鬼』と呼ばれるか知ってる?」
「そりゃ、人間の血を――」
言いかけて、自分が吸血鬼に関して最も重要な事を失念していた事に気づいてはっとした。
咲夜が再び一真を見上げる。
「人間の血を飲む妖怪だからよ。実際、お嬢様は毎日人間の血を紅茶と称して飲んでいらっしゃるわ」
「な――」
「さっきあなたたちの分だけ紅茶を出したのは――もちろん、普通の紅茶よ。さすがに幻想郷に来て日の浅い人間の前で血を飲むほどお嬢様も分別のつかないわけじゃないからよ」
愕然と絶句する。あの可愛らしい少女が人の生き血をすすっているとはどうしても想像できない。だが、そういうのは見た目で判断できない事もよく知っていた。
「用意しているのはいつも私」
「用意って・・・」
「詳しく聞きたい?」
ロウソクに照らされた咲夜の冷たい視線に思わず身震いした。
「よくそんな生活が出来ると思っているでしょう? だから大変だったって言ったのよ」
あっさり言い放つ咲夜の言葉にうろたえる。
「あの門番の人も苦労してるのかな?」
どうにか平静を保とうと、言葉を搾り出す。
「美鈴は妖怪よ」
「えっ、そうなのか!?」
てっきり美鈴も人間だと思っていた一真は驚いて聞き返した。
「見た目では区別できない妖怪もいるのよ。お嬢様だって、翼が無かったらわからないでしょう?」
驚く事ばかり聞かされ、一真の顔はすっかり色を失ってしまっていた。
「お嬢様だけじゃないわ。妖怪というのは基本的に人間を襲って食うの。美鈴が人間を食べる所は見た事ないけどね。で、幻想郷には妖怪がたくさん住んでいるわ」
咲夜と目が合う。彼女の瞳からは感情が読み取れない。
「ただ、妖怪の間での取り決めが有って、幻想郷の人間を食ってはいけない事になっているの」
「・・・じゃ、どこから・・・」
「外の世界からさらってくるのよ。八雲紫が先頭に立って、犯罪者とか浮浪者とかを連れて来るらしいわ。紫は『神隠しの主犯』という二つ名で呼ばれているわ」
「そんな・・・!?」
一真は背中から冷水を浴びせられたような心持ちで、目を大きく見開いた。つまり、この幻想郷の妖怪は一真のいる世界の人間を食っているという事だ。
「そうしなければ、人間と妖怪が共存する事はできないのよ」
一真が口を開こうとするのを制するように咲夜。
「・・・人間を食わないわけにはいかないのか?」
確かに、それ以外に方法はないだろう。しかし理解は出来ても、もちろんすんなり受け入れられるわけはない。
だが、咲夜は首を横に振った。
「そんな事したら、妖怪は消滅してしまうもの」
「人間を食べないと生きていけないのか?」
「それもあるけど」
考えるように目線を宙にやる咲夜。その表情からは年齢相応の少女らしさが垣間見えた。
「これは知り合いから聞いた話だけど・・・そもそも妖怪や妖精というのはね、人間の力の及ばない自然現象や未知の存在、言うなれば『幻想』に対して人間が心の中に持つ恐怖や不安、畏敬の念などが自然界にある霊的なエネルギーと結びついて具現したものなの。妖怪を恐れる、妖精を信じるという事は即ち、幻想に対してそういう念を持っているという事」
妖精と聞いて、さっき勝負を挑まれたチルノを思い出した。かなり抽象的な概念だが、かえって納得できる部分もあった。
53体いるアンデッドには妖怪や妖精の始祖はいない。人間の存在によって副次的に出現したものならばそれは頷ける。美鈴やレミリアが人間に非常に近い外見なのも、そのせいかもしれない。
「当然、人間は妖怪に対して戦う手段を色々と講じたわ。それはそれで自然災害などに対して備えを行うのと同じ事、幻想に対する畏怖の表れだからあって当然のもの。でも、いきすぎて人間に親しみを持っていた妖怪に愛想をつかされることもあったようね」
咲夜は、頭に角を持ち酒に目がない少女を思い起こしながらそう言った。
「妖怪は人間を襲う事で自分のアイデンティティを確立する。だけど、人間の念から生まれるから人間がいなくなると自分達も存在できない。元々、そういうジレンマを抱えた存在なのよ」
自然界においても、草食動物の数が減れば肉食動物も減るという事が起こる。少し違う気はするが大体そんな感じなのだろうと一真は考えた。
「でも、今の外の世界ではほとんど妖怪や妖精は信じられていないんでしょう? 科学で解明できないものはない、幻想などありはしない、妖怪なんか迷信に過ぎないと考えて」
「ああ・・・」
――街中の川はほとんど護岸工事とかして川原なんて見かけないし、排水流してるから水とか飲んだら腹壊しちまう。色々便利になってるんだけど、こういう田舎暮らししたがる人も多いらしいぞ
――外の世界じゃ少なくなったらしいね。ほら、さっきお前、外の世界は自然が少なくなったって言ってたろ? 妖精は自然から生まれるものだから、それが少ないと妖精も少なくなるんだ
頷き、数時間前に妹紅と話した事を思い出す。外の世界で自然に溢れた土地が急速に少なくなっているのは、確かに人間の自然に対する畏敬の念が薄れているからかも知れない。今や妖精が生まれる、自然に恵まれた地の方が幻想になってきているのだ。それは同時に、妖怪の居場所もなくなってきたという事か。
「つまり・・・妖怪にとって危機的な状態にある?」
「そう。外の世界の妖怪や妖精は相当数が減ってしまっているはずよ。それを憂いた紫が幻想郷を作ったの」
咲夜は一真を見上げていた顔を下げ(首が疲れてきたのだ)、首を軽くひねりながら、
「幻想郷の結界の事は聞いているかしら?」
「博麗大結界の事か?」
「それともう1つ、八雲紫が作った『幻と実体の境界』っていう結界があるの。幻想郷は二重の結界で閉ざされているのよ」
『幻と実体の境界』は外の世界から幻想郷が途絶される以前に作られたものだ。幻想郷を完全に隔離する際に、幻と実体の境界と同じ範囲に博麗大結界が形成されたのである。
「この幻と実体の境界はね、外側で忘れられてしまったり姿を消してしまったものが内側――つまり幻想郷へ入ってくるっていうものでね。少なくなった妖怪や妖精がここに多いのはそれによるものなの」
じじっ、とロウソクの音が響く。小さい音だったが、はっきり聞こえるほど館の中は静まり返っている。
「妖怪以外にも、道具や生き物もね。例えばこの数年、幻想郷では蛍が非常に増えてきたらしいわ。外の世界では減ってきているんじゃないの?」
言われて頷く。確かに蛍などほとんど見た事がない。
「言うなれば、幻想郷は妖怪その他の絶滅危惧種の保護区みたいなものなのよ。そうやって妖怪が暮らせる場所を確保しなければならないほど、妖怪は追い詰められているの」
再度一真を見上げる咲夜。
「ただ、人を食う妖怪と人間が同じ空間で共存する事に問題がある事は、紫も最初からわかってたみたい。それで幻想郷を外界から完全に隔絶する際に、外の世界からさらってくる人間を食べていいから幻想郷の人間を絶対に襲ってはいけないと妖怪達に言ったそうよ」
そんな特殊な空間を作り出せるほどの力を持った者ならば、妖怪も言う事を聞かざるを得ないだろうと一真は思った。
「だけど、さっきも言ったように妖怪は人を襲って畏怖の念を抱かれないと存在できない。当時の妖怪達は干上がった川の魚みたいに気力をなくしてしまっていたらしいわ」
咲夜は思わせぶりにまた顔を下げた。
「そんな状況でさらに・・・妖怪達に脅威が降りかかった」
「脅威?」
3度顔を上げる。
「数年前・・・私が幻想郷に来る少し前ごろに、幻想郷に現れた吸血鬼が妖怪たちを次々に支配していったの。『吸血鬼異変』と呼ばれているわ」
「吸血鬼って・・・」
「レミリアお嬢様のお母様だそうよ。この紅魔館もその時に幻想郷へ移ったんですって」
「その、幻と実体の境界だっけ? それは外国の妖怪も呼び寄せるのか?」
「妖怪が住みにくくなったのは日本だけじゃないみたいね」
ふうん・・・と頷く一真。
「かなり野心的な性格だったらしいわ。彼女は瞬く間に腑抜けきった妖怪達を屈服させて勢力を拡大していったけれど、妖怪の中でも特に強い力を持った者達によって倒されてしまった。まあ、当然よね」
嘆息する咲夜。
「そうして脅威は去ったけれど、また同じような事が起こったら今度は対処しきれないかもしれない。そういう危機感を抱いた妖怪達は打開策を求めて博麗の巫女――霊夢に相談したわ」
「霊夢に?」
「そして生まれたのがスペルカードルール。これで妖怪は割と気軽に人間に喧嘩を吹っかける事ができるようになったわ。返り討ちにされやすいから」
メイド服のポケットをぽんぽんと叩く咲夜。一真は思わず苦笑した。
「おかしな話だな」
「でも実際、そのおかげで人間と妖怪はひとまず良好な関係を築けているわ。妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。そういう関係を構築する事で、妖怪は幻想郷で自分の居場所をしっかりと確立する事ができているの」
「あれか。雨降って・・・何が固くなるんだっけ?」
「地固まる、でしょ」
「そうそう」
頭に手をやる一真に、咲夜はジト目を向けた。
「そう考えるとすごく画期的なんだな、スペルカードって」
「霊夢は暇つぶしに考えたらしいけどね」
やれやれとかぶりを振る咲夜に、またも笑みをこぼす。
「しかしさ・・・スペルカードを作る直接の原因になったのはレミリアのお母さんだろ? レミリアからすると、なんていうか・・・」
「それなんだけどね」
言いにくそうに口ごもる一真だったが、すぐに切り返された。
「制定されたはいいけど、最初はスペルカードルールを実際に行う人間も妖怪もほとんどいなかったの。ここには法律なんてないし」
そして咲夜は自分達が歩いてきた通路の方に目をやる。
「でも、お嬢様が異変を起こし、弾幕ごっこで霊夢に敗れてから一気に広まったわ。かつて妖怪たちを震撼させた吸血鬼という妖怪に人間でも勝てる、ってね」
「・・・もしかして、最初からそのつもりで異変を起こしたのか?」
「仮に本人に尋ねても、勝って幻想郷を我が物にするつもりだったに決まってるとしか答えないでしょうね・・・真意がどうであれ。あのお方はプライドが高いから。吸血鬼の性かしら。だけど」
きっ、と一真を真っ直ぐに見据え、
「幻想郷が抱える問題に一石を投じた吸血鬼の娘として、その責任を全うした・・・という風にも取れると思うのよね、私は」
その目からはレミリアに対する強い畏敬の念が伝わってきた。
「それに、お嬢様が妖怪達から一目置かれるようになったのもその頃からね。それまではけっこう敬遠されてたんだけど、強大な力を持つ吸血鬼が人間相手に対等の勝負を挑んだ事が評価されたみたい」
なるほど・・・と頷く一真。
「度量が広いんだな、レミリアは」
恐らく、そういう所が咲夜を惹きつけて止まないのだろう。
「私の勘違いかもしれないけどね。もしくは、勝っても負けても見返りがあると踏んでやったのかも」
「それはそれですごいんじゃないか?」
そう言いながらも顔を少しほころばせる咲夜。が、それをすぐに引っ込ませ、
「とまあ、事ほど左様に人間と妖怪が一緒に暮らすに当たっては大変な紆余曲折を経たわけなのよ。他の妖怪と吸血鬼の、妖怪同士の間でさえ一悶着あったくらいだし」
「・・・・・・」
妖怪と人間の複雑な関係についてはわかったが、それでも許容しがたかった。
「人間を守る仕事をしているあなたからすると、どうにも納得できないのはわかるわ。私も最初はそうだったから」
「・・・今は?」
咲夜はまた嘆息し、
「記憶喪失の私には、ここ以外に行く場所なんてないから仕方がなかったのよ。人間、衣食住は不可欠だもの」
無表情を取り繕っていたが、複雑そうな表情が少し見えた。えらくさっぱりしていると思うが、顔色からするに彼女もいろいろ悩んだのだろうか。
「でも、お嬢様はましな方よ。お体が小さい分、人が死ぬほどの量は飲まないから・・・それはそれで酷かも知れないけどね」
「・・・・・」
額にしわを寄せていると、
「紫はこう言っていたわ」
腕を組んだ咲夜がそれまで以上にはっきりした口調で、
「幻想郷は全てを受け入れるわ。だけどそれは、とても残酷な事なのよ」
まさしく断言する、と表現できるほどはっきり言った。
「まだ納得いかないなら・・・妖怪を全て倒す? あなた1人じゃ無理よ」
一真は黙り込んだ。
うつむいたまま、しばらく時間だけが過ぎた。
「・・・なあ」
「何?」
ようやくぽつりと口を開くと、それまでじっと待っていた咲夜はすぐに返事を返した。
「幻想郷で人間と妖怪が一緒に暮らしているように・・・人間とアンデッドも共存できると思うか?」
一真が投げかけた問いかけに、咲夜は目を丸くした。
「そうしたがってるアンデッドが1人いるんだ。そいつは正体を隠して人間の家族と生活していて、ずっとそうして暮らしていきたいと思っている」
咲夜は腕を組んだ姿勢のまま目線を斜め上に向けて考え込んだ。
「そうね・・・お互いが譲歩し合わないと無理でしょうね。人間は自分の理解を越えたものは煙たがるし、アンデッドは自分の種の繁栄に人間が邪魔らしいし」
「大変だって事は、俺もそいつもよくわかってる。壁も多くて諦めそうになった事もあったけど・・・」
一真は両手を握り締め、真っ直ぐ咲夜の目を見つめた。
「それでもあいつは、人間として生きていこうとしているんだ。俺は、あいつの望みを叶えてあげたい」
咲夜は考えるように少し目を逸らした後、一真の目を見返した。
「私には確かな事は言えないけれど・・・不可能ではないんじゃないかしら。幻想郷でも問題はあったけど、それなりにどうにかなってるしね」
「そうか・・・そうだよな」
安堵の表情を浮かべ、頷く一真を見て咲夜はちょっと首を傾げた。
(変わった人ね)
人の事は言えないけど、と胸中で付け足す。
「ところであなた、トイレはいいの?」
そう言うと、一真は少し身を屈ませた。
「じ、実はそろそろ我慢が・・・」
泣き笑いのような表情を見せられ、咲夜は嘆息した。
「もうすぐよ」
やや早歩きで進み出した咲夜を、一真はその後について歩き出した。
◇ ◆ ◇
高く昇った太陽の下、丘の上にいた3人の少女の表情は陰鬱なものだった。
慧音は立てた膝の上に頬杖を突き、魔理沙は顔に帽子を乗せて寝転んでいる。霊夢はいらついた様子で持って来た御幣の尻で地面を何度も突いていた。彼女の周りには引き抜かれた草が乱雑に散らばっている。
そこに後ろから声がかけられる。
「お~い、終わったよ~」
3人は振り返り、立ち上がって声の主――萃香の所へ向かった。
茣蓙がかぶせられた3枚の戸板の近くを、小さな萃香の分身がうろちょろしている。地面には血を吸い込んだ土が大きな黒い染みを作っていた。
「悪いな、萃香。きつい仕事やらせちまって」
魔理沙が萃香に笑いかける。だがその笑顔は少し陰っていた。
「いーよ。その代わりもっと酒もらうけどね」
「ああ、わかった」
慧音も薄く笑って言った。
遺体を発見し、全員が立ち尽くしていた所にそれらを戸板に乗せる事を自ら買って出たのが萃香だった。少し意外だったが霊夢や魔理沙に手伝わせるのも酷だと思い、彼女の言葉に甘える事にした。その間は3人ともほとんど口を聞かず、重苦しい雰囲気のまま今まで座っていた。
ふう、と萃香がため息をつく。
「死んだ人間を見るのは実に久しぶりだったよ・・・やっぱり気分良くないや。酔いが覚めちゃった」
そう言いながらも酒に手をつけようとしない。3人に気を使っているのだろう。
元々鬼は人間に恐れられながらも、そのさっぱりした性格には好感を持たれる事が多かった。もし鬼が地上から姿を消す前にスペルカードルールがあったなら、歴史は変わっていたかもしれない。それがあれば人間が鬼に勝てず卑怯な手段に走るというという事態は回避できたかもしれない。歴史にもしもはありえないが、萃香を見るとどうしてもそう思わずにはいられなかった。
「じゃ帰ろうか。早く新しい酒飲みたいしね」
「そうだな。行くとしよう」
4人は連れ立って丘を降り始め、萃香の分身達が戸板を持ち上げてその後に続く。先頭を行く慧音が後ろを見ると、やはり霊夢がいかにも不機嫌そうな表情だった。
萃香が遺体を片づけている間から、風向きが変わって血の匂いが漂ってくるとひっきりなしに草をぶちぶちと引き抜いていた。あんな有り様を見せつけられれば腹が立つのも無理からぬ事だが、爆発すると手がつけられないかもしれないと思った。
と、その隣を歩いていた魔理沙がぽんと霊夢の肩に手を置いた。
「霊夢、あの人達にお経でもあげてやったらどうだ?」
「あのね、私は巫女よ。お経はお坊さんがあげるものでしょ。これ以上ないくらいお門違いだわ」
半眼を向けて魔理沙に言う霊夢。
「まったく、魔理沙は・・・」
そうぼやく霊夢の雰囲気はわずかに和らいだようだった。さすが友達だ、と慧音の表情が緩んだ。
「・・・ん?」
と、霊夢が立ち止まった。
「どうした?」
慧音らも足を止める。
「・・・ねえ、幻想郷にあんな妖怪いたかしら?」
霊夢が指差した先を見上げると、黒いシルエットが空を飛んでいた。骨だけの翼に大きな爪、黒い体。
「あれは・・・イーグルアンデッド!」
思わず慧音が声を上げる。
それ――イーグルUは非常に早いスピードで真っ直ぐにこちらへ飛んできて、あっという間に彼女達の上空へ飛来した。
「集落から離れた迂闊な人間がいたと思ったが、私を知っているという事はブレイドの知り合いか」
宙に浮かぶその黒く大きな体躯は、離れていても強い威圧感を放っていた。
「へ・・・どうやら用心棒を雇ったのは正解だったようだな、慧音」
不敵に笑って帽子のつばに指をかける魔理沙。
「ふん、ライダーでもない人間が・・・私に勝てると思っているのか?」
「言ってくれるわね」
鼻で笑うイーグルUに対して前に出る霊夢。
「勝てると思うか、ですって? そっくり返すわよ」
きつく睨みつける。
「私は今、無性に腹が立っているの。謝るなら今のうちよ」
「おーおー。こいつは怒らせると恐いんだぜ? 知らないぞ」
魔理沙も霊夢の隣に並ぶように踏み出した。
「私からも警告だ。痛い目見たくなきゃ、さっさと幻想郷から出て行け」
慧音には、並び立つ2人の少女の背中がこの上なく頼もしく見えた。だが、イーグルUは意に介した様子もなく、
「愚かな・・・アンデッドを見くびった報い、その命であがなうがいい」
「ったく、愚かなのはどっちだか・・・」
目元を隠すように帽子をずらしてため息をつく魔理沙。
「そんなにやりたきゃ、やってやるわよ。あんた達は死なないらしいから、本気でやっても構わないわね。私達に勝てるとは思えないけどね」
「ちょっと待った、霊夢」
魔理沙が肩に肘をかけてきて、霊夢が横目を向ける。
「2人がかりはあれだろ? 順番にいこうぜ」
霊夢の動きが一瞬止まった後、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうね。私が先でいいでしょ? あんたの出番はなくなっちゃうけど」
「構わないぜ」
魔理沙が肘をどけると霊夢は空へ飛び上がった。
ほう、とイーグルUが声を上げる。
「空を飛ぶ者にお目にかかったのは2人目だ。ここは変わった所だな」
「さっきからなんかムカつきっぱなしだったんだけど、理由がわかったわ。あんたが近くにいるのがなんとなくわかったからだってね」
「それは違うんじゃねーか、霊夢?」
ぼそりと言う魔理沙の言葉を無視する霊夢。
「変わった所って言ったわね? もっと変わった事教えてあげるわ」
「ほう、なんだ?」
「この幻想郷では、この私がルールだって事。アンデッドだか何だか知らないけど、幻想郷で好き勝手する奴はこの私に退治されるのがお約束なのよ」
言葉と共に、霊夢は御幣をイーグルUに突きつけた。
◇ ◆ ◇
足音が薄暗い紅魔館の廊下に響く。
トイレに案内してもらった後、ちゃんと部屋に戻れるからと咲夜を戻らせ、考え事をしながら用を足した。
意外な事にトイレは水洗で、外の世界のそれと大差なく非情に快適な設計だった。動力が電気ではなさそうなのは気になったが、
(まあ、ここは幻想郷だからな)
とすんなり受け入れてしまった。2日目にして早くも幻想郷に慣れてきたようだ。それと、咲夜から幻想郷について話を聞いたからだろう。
「・・・・・・」
トイレの中からずっと考えていたのはそれについてだった。
妖怪と人間が共存する世界・幻想郷。その人間と妖怪の理想の関係を維持する方法、それは外の世界の人間を妖怪に食わせる事。そうすれば妖怪は幻想郷内の人間を食わない。だが、外の世界から連れ去られ、妖怪達のエサにされてしまった人間達は・・・
「・・・なんか、外国の童話が本当は残酷で恐いっていう話を思い出したな」
読んだ事はないが、そういう書籍も出回っているらしい。案外、日本も同じなのかもしれない。竹取物語にしても、かぐや姫に求婚した男達は哀れな末路を辿り、そして一人の少女が不老不死になってしまうという悲劇を生んでいる。
妖怪と人間の楽園、幻想郷。その幻想の真実も残酷だった。
「色々釈然としないけど・・・」
ぼりぼりと頭をかく。
「でも、人間とアンデッドだって同じだよな」
アンデッドも妖怪と同様、人間を襲う。そのアンデッドが人間と共に生きていくのも、人間と妖怪の共存とほとんど変わらない問題のはずだ。
「きっと始も何とかなるよな・・・」
アンデッドでありながら人の心を理解しつつあるジョーカー――始も、人間と共に生きていけるはず。もしかすると、幻想郷での人間と妖怪のあり方が参考になるかもしれない。
「・・・でもなあ」
ただ、それは幻想郷の妖怪が外の世界の人間を食う事を容認するという意味でもある。始は人間を襲う事はないはずだ。その点はやはり許容しがたい。しかし、自分は人間とそうでないものとの共存を望んでいる――
「あーっ! 一体どっちなんだよ俺は!」
思わず両手でがりがりと頭を掻き毟りながら大声を上げた。
「何悩んでるの?」
「・・・へ?」
不意に後ろから声がした。
ぼさぼさになった頭から両手を離し、振り向くが誰もいない。
「うふふ、こっちよ」
と、また後ろから声。再び振り返ると、すぐ後ろの足元に少女が立っていた。
「うおっ!?」
ちょっと驚いて後ずさる。
8歳か9歳、あるいはそれより幼く見える彼女は楽しそうな笑顔を浮かべて一真を見上げていた。白い帽子をかぶった頭は金髪で瞳は赤く、赤い服の襟元に黄色いリボンを結び、上下そろいの赤い短めのスカートをはいている。細い枝のような翼に赤・緑・黄など色とりどりの水晶のような羽がついている。彼女が笑うと、その羽が揺れた。その幼い顔立ちはなんとなくレミリアに似ていた。肌も彼女と同じように異常なほど白い。ただ、子供らしい笑顔や仕草、大きな目からはレミリアよりも活発そうな印象を感じた。
「あなた、だあれ?」
「え」
直前の不可思議な状況に驚いていた所に質問され、とりあえず気を取り直して答える。
「えっと、俺は剣崎一真。君は?」
「一真っていうんだ。私、フラン。フランドール=スカーレットよ」
「スカーレット・・・君、もしかしてレミリアの?」
「レミリアは私のお姉様よ。あなた、お姉様のお客様?」
「うん、まあね」
しゃがんで少女――フランと目線を合わせる。
「レミリアの妹って事は、君も吸血鬼?」
「そうよ。一真は人間?」
「うん、普通の人間だよ」
「ふーん。人間ってあまり見た事ないのよね。お外に出ないから」
「そうなのか? 吸血鬼だから?」
吸血鬼は日光に弱いからそのせいかと思ったが、フランは首を横に振る。
「ううん、お姉様が外に出させてくれないの。自分は普通にお出かけするのに、私は生まれて1度も館から出た事ないのよ」
「本当に? そりゃひどいな」
「でしょ?」
不満そうな表情のフラン。
「ね、私と遊ぼ?」
フランに手を引かれ、その手の冷たさに驚いた。
「ねえ、遊ぼうよ。お姉様は全然遊んでくれないし、咲夜も時々しか相手してくれないし」
「友達とかいないの?」
「いないよ」
フランは更に手を強く引く。
「ねー、遊んでよー」
腕をぐいぐい引っ張るフランを一真はじっと見つめた。
両親を亡くし、なかなか友人が作れなかった一真にはフランの寂しさがよくわかる。吸血鬼とはいえ、こんな小さい子供が外に出してもらえず友達もいないのは可哀相過ぎる。そんな事を妹に強いているレミリアに怒りさえ感じた。
「よし、じゃあ俺がフランの友達になってあげるよ」
「本当? 遊んでくれるの?」
一真がにっこりと笑いかけると、フランも顔を輝かせた。
「ああ。何して遊ぶ?」
「んーとね」
フランは右手の人差し指を立てて、びっと天井へ突き上げた。
「弾幕ごっこ!」
「・・・遊びってそれなのかよ・・・」
「えー、嫌なの?」
しゃがんだままがっくりうなだれる一真に対し、残念そうな声を上げるフラン。子供の遊びにしては少々過激な気がするが、案外それが遊びとして普通なのかもしれない。なにせ、ここは幻想郷だ。が、それを差し引いてもほとんど戦闘と変わりない行為を、吸血鬼とはいえ小さい女の子とする気にはなれなかった。
「いや、でも俺スペルカード持ってないし・・・」
「そうなの? でも何か出来るでしょ? お姉様が何も出来ない弱い人をここに入れさせるわけがないもの」
「えっと・・・それは、まあ・・・」
意地の悪い笑顔を見せるフラン。その表情はレミリアに似ていた。けっこう鋭いなと思いつつ、頭をかく。
「じゃあいいでしょ?」
そう言ってフランはポケットからカードを取り出しつつ宙へ浮かび上がった。
「あ、おい!?」
「いっくよー! 『クランベリートラップ』!」
2つの魔法陣が現れ、慌てる一真の周りを四角を描くように動きながら赤と青の弾幕を撃ち出した。
心の準備も何もできていなかったが、弾はそれほど速くない。取り囲むように四方から撃ち込まれる弾幕のコースを読み、弾の隙間をかいくぐってなんとか避けた。弾幕は一真がいた地点へ集束した後、そこから外側へ拡散するように広がり、廊下の壁や床に接触して弾けて焦げ跡を残した。
「けっこう上手いね。霊夢や魔理沙はもっと上手だったけど」
「ま、待ってくれよ!?」
楽しそうに笑うフランは一真の叫びに耳を貸さず、ポケットから次のカードを出す。
「じゃ、次ね。『レーヴァテイン』!」
宣言した直後、頭上に掲げたフランの右手から真紅の炎が伸びる。
「!」
フランが剣のように振るうそれに、一真の直感がこれは非常に危険だと警鐘を鳴らした。
頭が理解するよりも早く体が動き、カテゴリーAのカードを差し込んだブレイバックルを素早く腰に装着してハンドルを引いた。
『 Turn up 』
ベルトから放たれた青いビジョンと、フランの手から伸びる赤い剣が交錯し――
オリハルコンエレメントが粉々に砕け散った。
「うあああっ!?」
衝撃で一真の体は吹き飛ばされた。
オリハルコンエレメントで相当威力が削がれたはずだが、それを破壊してなお強力な衝撃が自分まで達した事に一真は戦慄した。
一真がブレイドの適合者に選定される前、ボードが行った変身実験で被験者がオリハルコンエレメントに弾き飛ばされ、片腕を失うほどの重傷を負ったことがあるという。この青い光の壁にはそれほどの力がある。これまで何度もアンデッドの攻撃を防ぎ、一真の身を守ってきたそのオリハルコンエレメントを打ち砕いたとなると、フランの攻撃の破壊力は計り知れないものだ。
「ダメだよー、ちゃんと避けないと。ほら、もう一回行くよ!」
しかし本当に恐ろしいのは、そんな破壊の力を平然と撃ち放つフランの無邪気さだ。
炎を撒き散らし、再び迫る炎の剣。
一真は衝撃で受けた痛みを堪えながら、再度ベルトのハンドルを引いた。こんな攻撃を生身で受けていては命がいくつあっても足りない。
「変身!」
『 Turn up 』
2度目の電子音声と共にオリハルコンエレメントが出現し、一真はそれを駆け抜けてブレイドに変身して地面を転がった。ブレイドの装甲ごしに皮膚が焼けそうなほどの熱さを感じつつ、真紅の長大な炎の剣はかわした。
が、レーヴァテインが払われた軌道を後から追うように炎の雨が降り注ぐ。かわす間もなく炎に飲まれたブレイドの全身から火花が飛ぶ。
よろけて膝をついてしまう。そこに炎の第二波が迫る。
避けきれないと判断したブレイドはブレイラウザーを抜き、カードをラウズした。
『 Metal 』
ブレイドの体が鋼鉄に変化し、炎の弾幕を弾き飛ばした。
<『METAL』消費AP 1200>
<ブレイド残りAP 3800>
「やっぱり。あなた普通の人間じゃないんだ」
ブレイドを見て嬉しそうな声を上げるフラン。それだけならば可愛いで済まされるのだろうが。
廊下の床と壁にはレーヴァテインで穿たれた爪痕のような痕跡。
「変身してない時はホントに普通なんだけどな・・・」
鋼鉄化した体が元に戻り、フランに聞こえるように言ったが、聞いているのかいないのか彼女は3枚目のカードを掲げた。
「どんどん行くよ! 『フォーオブアカインド』!」
今度はフランの体から赤い影が3つ飛び出す。その影は3つともフランと同じ姿をしていた。
「何!? 分身!?」
アンデッドの一体・シマウマの祖であるゼブラアンデッドも分身する能力を持っていたので、これが分身だと思い至るのは簡単だった。
昼に見たチルノのそれとは比較にならないほどの、4人のフランが撒き散らす大量の弾幕。
どうにか避けつつ、一真は頭をフル回転させて考えた。
こっちからフランに手は出せない。いかに危険な状況とはいえ、どうしても女の子に攻撃することはできない。
持っているラウズカードの内、弾幕をしのぐのに使えそうなものは2つ。『METAL』と『MACH』だ。『METAL』はさっき使った通り弾幕を防御できるし、『MACH』は動きが素早くなるので弾幕を早く避けられるはずだ。消費APは『METAL』が1200で、『MACH』は1600。残りAPは3800、『ABSORB』でのチャージも考慮すれば残り5800だ。カテゴリーJ・Q・Kでのチャージは1度の変身で1枚につき1回しか行えない。
ざっと頭の中で計算してみたが、APは『ABSORB』の分を含めても『METAL』もしくは『MACH』をあと計4回使える分しか残っていない。それまでに何とかしないと変身していても一真の身はもたないだろう。
「ふ、フラン! もうちょっとこう、優しくできないか!?」
「えー? これでも易しいよ? 制限時間一杯まで使ってないもん」
返されたフランの言葉に愕然とする。確かにチルノの時は先の2つよりも長い時間弾幕を放ち続けていた。
それで一瞬動きが鈍ったのか、足に1発被弾してしまう。そこに数発の弾が直撃コースで飛んでくるのが見える。
『 Mach 』
なんとか素早く立ち上がりながら『MACH』をラウズし、動きを加速させて弾をかわす。
フランは楽しそうに手を叩いた。
「やるねー。今のはやられちゃったかと思ったよ」
「勘弁してくれよ・・・」
息を切らせながら、ラウズアブゾーバーから取り出した『ABSORB』をラウザーに通す。
<『MACH』消費AP 1600>
<『ABSORB』AP回復 2000>
<ブレイド残りAP 4200>
弾幕が止み、フランの分身が全て消える。
『MACH』を使って逃げるべきだろうかとある意味最も現実的な考えがよぎるのだが、フランの笑顔が楽しそうなせいでどうにも踏ん切りがつかない。この遊びが命がけなのはわかっているのだが。
「一真って自分から撃ってこないから物足りないけど、久しぶりに楽しいかも。もっと頑張ってね。えーっと、次は・・・」
弾幕ごっこにギブアップのルールはあるんだろうか。というか、フランがギブアップさせてくれるだろうか。背筋の寒い思いをしながら、この危険な遊びから生き延びる方法を考えた。
◇ ◆ ◇
そよぐ秋の風が吾亦紅の花を揺らす。天高く雲は流れ、草原には虫が鳴いていた。
その高い空から、二陣の風が地上に吹き降ろされた。
赤と黒、2つの影が空中から地上へ降下し、地表すれすれを飛行しながら弾幕を撃ち続ける。
赤いスカートをはためかせ、霊夢は霊気が形作ったお札型の弾幕を撃ちまくり、イーグルUはそのお札の雨を黒い体に触れさせず腕から爪を撃つ。両者は飛行しながら上下に体を振り、加速と減速を繰り返し、一瞬たりと攻撃と回避を止めない。
霊夢のお札が草を散らせ、イーグルUの爪は地面に突き刺さる。互いに相手を追うように弾幕を撃ち続ける2人の体は、螺旋を描くように目まぐるしく飛び回る。
開始から数分経った現時点でまだどっちも被弾していない。
イーグルUが距離を詰めようとすると霊夢は素早く上昇し、赤と白の巴模様の球体『陰陽玉』を生成、そこからさらに正方形のお札型の弾『ホーミングアミュレット』が撃たれる。イーグルUはそれを避けようとするが、札型の弾は軌道を変えてイーグルUに迫る。
「追尾弾か」
イーグルUはホーミングアミュレットから真っ直ぐ身を引くように飛んで相対速度を合わせ、自分の体へ近づくのを待つ。ホーミングアミュレットは間もなくイーグルUの腕が届く範囲に入り――
その全てが爪によって切り裂かれた。
ばらばらになったホーミングアミュレットは霧散して消滅。イーグルUは頭をめぐらせて霊夢を探す。
イーグルUの真上に位置取った霊夢はもう1つ紅白の球体を作り出し、2つの陰陽玉から針状の弾幕『パスウェイジョンニードル』を撃つ。イーグルUは減速しながら横へ滑るように飛び、霊力の針は地面に無数の穴を残した。
両腕から爪を飛ばす。
霊夢はその爪の弾幕の隙間へ潜り込む。体すれすれを爪が掠めていくが顔色一つ変えない。軌道を読んでいるのではなく、全て勘でかわしている。
博麗の巫女としての力か、霊夢個人の生まれついての力かは定かではないが、霊夢の勘はよく当たる。過去の異変の際も、最初は特に当てがあるわけでもないのに最後には元凶の所へ辿り着けるのだ。その神懸かり的でさえある勘の鋭さは弾幕ごっこで遺憾なく力を発揮する。その的中率たるや、弾が自分を避けて飛んでいると霊夢が錯覚するほどである。弾幕ごっこが浸透してきている幻想郷において、霊夢はまさしく弾幕ごっこの申し子といえよう。
陰陽玉から再びホーミングアミュレットが出現し、霊夢の手からもお札型の弾が滑るように流れ出る。イーグルUは地表すれすれまで高度を下げ、霊夢の真下に潜り込んだ。お札の弾幕をぎりぎりまで引きつけた後、一気に前方へ加速。地面が小さく爆ぜ、イーグルUを追おうとしたホーミングアミュレットも方向転換が間に合わず、同じく地面で弾けた。
仰向けになるように滑空しながら両腕を上げ、霊夢と弾幕の両方に爪を飛ばす。互いの弾幕がぶつかり合い、ホーミングアミュレットは大半が相殺される。
霊夢は案外ゆったりした動きで爪を難なくかわしていく。
迎撃し切れなかったホーミングアミュレットが数個、イーグルUに迫る。さらに霊夢の手からお札、陰陽玉からパスウェイジョンニードル。イーグルUは自らホーミングアミュレット目がけて突っ込み、それらを撃ち落とした。先刻イーグルUがいた空間を滝のような弾幕が空しく通過した。
「やるじゃない、あんた」
空中で仁王立ちのポーズを取り、イーグルUを睨む霊夢。黒髪と服がはためく。
「なめてもらっては困るな。だが、これほどの力を持っていたのは驚いたぞ」
ホバリングしながら大きな爪を見せつけるように軽く腕を上げるイーグルU。だが霊夢はふん、と鼻を鳴らし、
「あんたこそ、私をなめてんじゃないわよ」
スカートのポケットに手を差し入れ、そこからカードを取り出す。
「少し本気見せてあげるわ」
人差し指と中指ではさんだそれを頭上に掲げる。
「『二重弾幕結界』!」
巫女の声が秋の青空に高らかに響き渡る。瞬間、霊夢の体から半透明の立方体が広がった。
「む?」
◇ ◆ ◇
「霊夢の奴、とうとうスペカ使ったか。けっこうできるな、あいつ」
離れた場所で二人の空中戦を見ていた魔理沙がつぶやく。飛行の速さ、判断力、弾幕の威力といずれを取っても幻想郷の妖怪となんら遜色がない。口にした言葉以上に、魔理沙はアンデッドの強さに舌を巻いていた。
「ぷはー。けっこう面白いじゃん、あれ。外の世界にあんなのがいたとは知らなかったね」
2人の戦いが本当に面白いらしく、萃香は寝転がって酒を飲んでいる。
「魔理沙、霊夢は勝てると思うか?」
「んー・・・」
慧音に聞かれ、魔理沙は腕を組んで唸る。
「ま、少なくともあれをどうにかできないようじゃ霊夢には歯が立たないだろ」
言って、結界を広げる霊夢を顎で示した。
◇ ◆ ◇
立方体型の空間が二重に展開される。
青い内側の結界は霊夢とイーグルUの間まで、外側のピンクの結界はイーグルUを飲み込むまで広がった。結界に入ってもイーグルUの体には衝撃どころか何も異常はない。だが、アンデッドの本能がこの空間は非常に危険だと警告していた。
その瞬間、霊夢が全方位、前後左右上下に大量のお札を飛ばす。
「!」
イーグルUは後退し、2つの結界の外まで移動した。
直後、彼は自分の目を疑った。
内側の結界の青い境界面に触れた霊夢の弾幕が消え、外側の結界から内側へ――つまり霊夢に向かう弾幕が現れたのだ。
「――!?」
さらに外側の結界から撃ち出された弾幕は内側の結界に接触するとまたも消え、今度は外側の結界のピンクの境界面から外へばらまかれた。
即ち、イーグルUのいる所へ、である。
「ぬぅっ!?」
ひらりとかわしていくが、近い位置から現れる上、複数の弾が固まって飛んでくるため非常に避けにくい。全ての方位へ放たれているため、安全なエリアは存在しない。
爪を撃ち返す。
霊夢の弾幕と違い、爪は結界を通過して真っ直ぐに飛んでいく。しかし霊夢はそれを小さい動きながら悠然と回避する。
もっと距離を取れば楽にはなるが、それは霊夢にとっても同様。
「まだ余裕があるみたいね」
呟きにしてはよく聞こえる声で霊夢が言う。
「じゃ、これならどう?」
霊夢は周囲に複数の陰陽玉を配置した。紅白の球体の一つ一つから赤と白の楔形の弾が光線のように間断なく撃ち出される。真っ直ぐ放たれた弾幕はさっきのお札弾幕と同じように結界に触れて消え、外の結界面から内の結界面、そして外の結界面から外側へと真っ直ぐ伸びていく。
「――?」
その光景に何か引っかかるものを感じたが、すぐに思考を切り替えざるを得なかった。陰陽玉が弾幕の発射方向をずらしたため、結界外のイーグルUへ迫ってきたのだ。
紅白の光の帯がイーグルUを追い込むように距離を狭める。帯状になった弾幕の間をすり抜けるのは無理だ。
弾を食らう事を覚悟で飛び込むこともできるかもしれないが、仕留め損ねた場合は自分が不利になるだろう。この世界の人間達は厄介だ。あるいはライダーと同じくらいに。隙は見せられない。逆に隙を見出さねばならないが、弾幕には隙間がない。
瞬間的な判断の繰り返しで避け続けていたが、とうとう退路を塞がれてしまった。赤と白の弾幕が壁を成して迫る。
被弾覚悟での突破を考えながら頭を巡らせると、弾のない空間が見つかった。前方、結界の内側だ。
即断し、結界へ飛び込む。
ピンクの光をくぐった直後、後ろを大量の弾幕が通過していった。しかし、今度は左右から紅白の弾幕がやはり迫る。
今度は後方、結界の外の空間が空いている事を確認し、すぐに取って返す。
結界を境に目前で収束し、通り過ぎていく弾幕。
とりあえず窮地は脱したが、向こうが作り出した結界を利用して弾幕をかわすというのも皮肉というか相手の掌の上で踊らされている感が否めないのが腹立たしい。
「・・・・・・」
だが。
イーグルUは弾幕をかいくぐりつつ、その動きを観察する。結界を利用して避けることができるとわかれば、ある程度余裕ができる。
その様子を見た霊夢がさらに球形の弾も撃ってくる。それも同じように結界から消えて現れる。
結界の境界面を往復している内に、内側と外側の結界の間の空間越しに見える地上の様子がおかしいことに気づいた。境界面で切り抜いて別の景色を貼り付けたかのように、その範囲だけ不自然に途切れて見える。
右の方に目をやると非常に大きな山が目に入った。霊夢の真後ろにその山が見えるように位置取る。そして結界面の左端と山の中央が重なるように位置を調整した。
すると結界内に見えるはずの山の右側は結界面で中央から真っ二つにされたように消え、結界右端の左側に、同じように中央線が結界面に接するように山の半分が入っている。どうやら、外側と内側の結界の間では背景は左右対称に見えるようだ。
「・・・ふむ」
それを念頭に置きながら、丸い弾を注視する。
霊夢の手から放たれた弾は内側の結界面に触れて、外側の結界から出て内側の結界の、ちょうど先ほど触れた場所で消えた。そして外の境界面、内側向きに現れた所から外へ向かって弾が出てきた。いずれの場合も、最初に撃った時の延長線に沿って動いていた。
イーグルUは確信した。
(なるほど、そういう事か・・・)
2つの結界の間の空間では、弾の軌道の外側と内側の方向が逆転する。
一体どういう原理でこうなっているのかはわからないが(ましてや背景は左右が反転するのに弾は外と内が逆転するとはどうなっているのか)、よく見れば紅白の弾幕も結界の間ではそういう法則に従って向きが変わっている。見ようによっては、外と内の方向が逆になっているだけで弾はいずれも真っ直ぐ飛んでいる、といえる。
そうとわかれば、後は簡単だ。
霊夢と陰陽玉が撃つ弾幕に注意を払う。
「今だ!」
周辺の弾幕をすり抜け、一気に結界の中へ飛び込む。結界の間では後ろから弾が飛んでくるが、法則がわかれば弾道は予測できる。
予想通り弾幕の隙間ができているのを確認し、球形の弾を紙一重に避けて内側の結界も突破した。
「!」
間近に見えた霊夢の顔が驚きの色で染まった。
弾幕に捕まるより早く、腕を霊夢に突き出す。
爪が陰陽玉を2つ切り裂く。手応えはそれだけ。
霊夢は上昇し辛うじて難を逃れたが、イーグルUもそれを追う。引き離されないように全速力でくらいつき、腕を振るう。霊夢はその攻撃をことごとくかわしていくが、彼女の周囲を漂う陰陽玉が次々に破壊されていく。
そして、霊夢の左腕の袖を爪が引き裂いた。
「くぅっ!」
うめいた霊夢は両腕を広げ、体から不可視の衝撃波を発した。予想外の攻撃にイーグルUはバランスを崩し、きりもみ回転して落下する。
「むぅっ!」
独楽のように回りながらイーグルUは霊夢目がけて腕を伸ばし、爪を発射する。回転する視界の隅で、その爪が狙い過たず霊夢へ吸い込まれていくのが見えた。
地面すれすれで体勢を直して地上に降り立つ。
その目前に霊夢も着地してきた。
「・・・やるわね。私に『霊撃』を使わせるなんて。今のはちょっぴり焦ったわ」
霊夢は緊張から解放されたという表情でそう吐き捨てながら御幣に突き刺さった黒い爪を引っこ抜き、乱暴に投げ捨てた。
「貴様の方こそアンデッドを甘く見ていたようだな」
「どうもそうみたいね」
イーグルUは再び浮上し、霊夢を見下ろした。それを見ていた霊夢の顔がきっと引き締まる。
「もう出し惜しみなんかしない。全力でやるわ」
ポケットからカードを出す。
「これであんたをぶっ飛ばす!」
カードを人差し指と中指で挟み、横へ突き出し宣言する、そして。
「『夢想封――』」
「ちょっと待った!」
ぐぎっ!
「あうっ!?」
頭のリボンを後ろから引っ張られ、かくんと倒れた首から鈍い音が響いた。痛みに悶絶しながら霊夢が振り向くと、いつの間にか彼女の背後に箒を持った魔理沙が立っていた。
「何すんのよ!」
左手で首を押さえながら右手を上げて魔理沙に抗議する霊夢。
「交代だ」
そう言って、魔理沙は霊夢が振り上げた手を軽くパンと叩いた。
「ちょ、ちょっと魔理沙!」
霊夢がおろおろしている内に、魔理沙は箒にまたがってイーグルUへ向かって飛んでいった。
「おい、鳥がら野郎! 今度はこの霧雨魔理沙が相手だ!」
イーグルUと水平の位置で停止した魔理沙に、イーグルUは鼻を鳴らした。
「ふ、貴様が先に死にたいのか?」
「簡単に言ってくれるな。私は強いぜ?」
魔理沙は不敵に笑った。
「まったく、よくわからんが人間を目の敵にしやがって。そういうやつは普通の人間の魔法使いが退治してやらあ」
「その格好は魔女のつもりか」
「そうだ。これが魔法使いの正しい服装だぜ」
左手はまたがった箒をつかんだまま、右手を腰に当てて胸を張る。
「時代錯誤な」
「1万年封印されてたっていうお前に言われたかないな。バトルファイトだかなんだか知らないが、いつまで続けるつもりだよ」
「それこそ知らん。いつまでも続くのだろう。少なくとも、人間が覇者の時代はもう終わりだ」
イーグルUは腕を組む。
「それに、いつまでと言うなら人間こそ愚かな蛮行を繰り返している」
「へえ、例えば?」
「中世ヨーロッパなどにおいて、人間は動物を裁判にかけていた。子供を殺したブタや食料を食い荒らしたネズミに有罪判決を下して死刑にしたそうだ。動物に人間の倫理を押しつけた身勝手で間抜けな行為だ」
「動物裁判か。よく知ってるな」
「他の種族を抑えつけ、自らは繁栄を極める。バトルファイトの勝者になるというのはそういう事だ。だが、調子に乗りすぎたな」
軽く上げた腕が魔理沙へ向けられる。
「人間は勝手な理屈で命を奪う。自分の同属でさえな。ジャンヌ=ダルクはフランスでは聖女と称されたが、イギリスに捕らえられた後は魔女の烙印を押されて火あぶりにされた。聖女と魔女、殺す対象とそうでないものの境界など曖昧なものだ」
「境界がどうのこうのと抜かす奴なんざ、どっかのスキマ妖怪だけでたくさんだぜ」
平然と切り捨てる魔理沙。
「では、魔女狩りといこうか」
「火あぶりは遠慮するがな」
◇ ◆ ◇
「もうっ・・・」
「霊夢、大丈夫?」
霊夢が首をさすりながらため息をついていると、慧音と萃香が走ってきた。
「どうって事ないわ。今の魔理沙のが一番きいたくらいよ」
と軽く返す。
「二重結界をあんな簡単に見破られるとは思わなかったけど」
つぶやきながら、今しがた撃ち合いを繰り広げ始めた2人を見上げる。
「イーグルアンデッドはアンデッドの中でも特に知能に優れているからな。割と弾幕ごっこに向いているのかも知れん」
「感心してる場合じゃないでしょ」
腕を組んで言う慧音の脇を肘でつつく霊夢。3人は並んで空を見上げ、成り行きを見守った。
(やはりアンデッドは危険だ・・・早く倒さないといけない)
拳を握り締め、慧音は改めてそう感じた。
まだ余裕はあるとはいえ、博麗の巫女を追い込む程の存在が人間に敵意をむき出しているのは危機的状況と言わざるを得ない。本当なら今すぐ自分もイーグルUに頭突きと弾幕を見舞ってやりたい所だが、そんな事をすれば魔理沙と霊夢から非難されるのは目に見えている。どっちも、多少危険でも弾幕ごっこは弾幕ごっこというスタンスを崩す事はよしとしない少女達だ。
(それにしても・・・どうしてアンデッドが幻想郷に侵入したのだ?)
妹紅から話を聞いた時からずっと気になっている疑問。
いくら八雲紫が体調を崩していたからといって、そう都合よく幻想郷に入ってこられるだろうか。作為的な感じさえするものの、そうだとして理由は何か。
わからないまま、慧音は空を舞う黒い巨躯をにらみつけた。
◇ ◆ ◇
戦いが始まってすぐ、この相手はさっきの紅白とはタイプが違うとイーグルUは感じた。
縦横無尽に飛び回る様は霊夢とほぼ変わらないが、彼女が広い範囲に弾幕を放つのに比べて魔理沙は一点集中で撃ちこんでくる。緑色の弾丸のような『マジックミサイル』に爪を数発飛ばした所、炸裂して全て叩き落された。次いで『イリュージョンレーザー』の光が足をかすめ、皮膚がわずかに焼かれた。
どちらもまともに食らってしまえばひとたまりもあるまい。霊夢と戦法が違うので少々困惑させられながらもいなしていく。
(もしや、それが狙いで交代したのか?)
そうならば、この相手はかなり食えない。
それならばと接近を試みるがそうすると魔理沙はさっと下がり、ずっとつかず離れずの距離を保っている。
イーグルUの動く先を予測し、その機動力を活かして先回りして狙い撃つ。直進の速さ自体は霊夢より上である。
霊夢が弾幕の天才ならば、魔理沙は秀才といえる。魔法が使えるとはいえ普通の人間である自分には霊夢ほどの才能はなく、妖怪と戦うには限界がある事を魔理沙はよく理解している。
相手をよく観察し、動きを読み、一撃必殺の弾幕を叩き込む。それが彼女の、地力で自分を上回る相手とも渡り合うための戦闘スタイルである。新しい技の開発にも余念がなく、才能に胡坐をかいている霊夢とは実に対照的だ。だからこそ、この2人が組むと手がつけられないのだ。
「さて、そろそろ行くか」
魔理沙がポケットからカードを出したのでイーグルUは身構えた。ライダーのラウズカードとは違うが、カードで技を発動させるらしい事は重々承知だ。
「くらえ! 『スターダストレヴァリエ』!」
星型の大きな弾が8つ、魔理沙を中心に渦を描くように撃ち放たれた。その星から、さらに小さい星型の弾が撒き散らされる。
魔理沙を中心に色とりどりの星がさながら銀河系のようにきらめき、その光景は『星屑幻想』の名前に相応しい美しさだった。
だが幻想的な見た目に反して、その実は触れれば怪我をする凶悪な弾幕である。
とにかく、かいくぐっていくしかない。
密度そのものは先ほどの二重弾幕結界より余裕があるが、数はその比ではない。小さい玉の隙間をすり抜けるのはなんとかなるが、何度も放たれる大きい星型の弾が時折その隙間を埋めるように飛来するため、それら大小の弾幕を同時に避けるのはだいぶ読みを必要とする。
負けじとイーグルUも撃ち返す。
「よっと!」
魔理沙は笑顔さえ浮かべながら箒を巧みに操り、飛ばされた爪をすいすいと避けていく。
「ただ飛ばしてるだけじゃねーか、美しくもねえ。こんなもん弾幕とは呼べないな」
「何を・・・!?」
「よく覚えとけよ」
ニイ、と魔理沙の口の端が吊り上がる。
「弾幕はパワーだぜ!」
言うやいなや、魔理沙は星の弾幕を発射するペースを上げた。
「くっ!」
弾幕の真っ只中、イーグルUは視界をせわしなくめぐらせる。くらってしまったとしても自分の場合は死ぬ事など有り得ないが、確かにこれほどの攻撃を繰り出すその力は認めざるを得まい。
だが。
「確かに、こういう攻撃は私にはできん」
つぶやく。
直後、猛然と前へ突っ込み、流星雨の中を突き進んでいく。小さい星、大きい星、それらをすべて紙一重でかわし、上下左右のかずかな空間を縫うように魔理沙へ詰め寄っていく。
「おお?」
魔理沙は思わず目を丸くした。
イーグルUはかなりのスピードで弾幕の合間を駆け巡っている。スペルカードであるからあえてかわせるように多少の隙間ができるようになってはいるものの、霊夢でさえここまで素早くは動けないだろう。
「だが貴様は、進化を競う戦いがどれほど過酷か知らない」
思わず魔理沙は弾幕の量をさらに増やしたが、イーグルUは止まらない。弾の動きを予測し、弾を避ける隙間ができる位置を読み、弾を紙一重でかわす。
「環境に最も適応した個体がその環境で優位に立つ。その形質を受け継いだ子孫が種族全体を覆うほどに増加すれば、その種族がそのフィールドの覇者となる。それが進化だ。適応できなかったものはフィールドを追われ、衰退する」
進む速さは衰えることなく、次第に両者の間は狭まっていく。
「生物が持つ悠久の成長の力・・・お前達にこういう力が備わっているのも、進化なのかもしれん。だが、この程度の変化で・・・」
ついにイーグルUは魔理沙に接近し、
「始祖生物が動じるものか!」
腕を振り下ろした。
「やべえっ!?」
叫びながら上昇し、斬撃をかわす魔理沙。イーグルUはそれを追う。
「始祖生物が進化できないと思っているのなら、それは間違いだという事を教えてやる!」
振り払おうと全力で飛ぶがイーグルUは追いすがり、ぴったりとついて来て爪を撃ち込む。
(やべえやべえやべえ! 速ぇぞ、あいつ!?)
左右に体を振って避けつつ、後ろ向きに撃ち返すが向こうが減速する気配はない。腕が届く距離ではないが、下手にスピードを落とせばその限りではない。振り向いて迎撃しようとすれば、その一瞬の隙に自分はこの世とおさらばだろう。霊夢の二重弾幕結界の法則を短時間で看破した事から相当に頭が切れることはわかっていたが、後ろを取られて改めて強敵である事を思い知った。
(どうする!? いやその前にまず落ち着こうぜ私。そうだ、落ち着け)
対処法を必死に考えながら自分にそう言い聞かせる。
(そうだ、素数を数えると落ち着くって聞いた事あるな。えーと、素数素数・・・)
と考えながら後ろを振り返ると、イーグルUが両腕から多量の爪を飛ばしている所だった。
「3!」
短く口走り、帽子を右手で押さえてバレルロールしながら急降下する。その一瞬後に彼女の頭があった所を爪が通り過ぎていった。
地上すれすれまで一気に到達し、そこから水平に戻す。相当の速度だったが、イーグルUは事もなげについてきて爪を連発している。弾切れとかないんだろうか、と思いつつ、爪を避けるために蛇行しながら視線を巡らせる。
すでに霊夢らがいるはずの場所からだいぶ離れてしまった。今自分が幻想郷のどの辺りにいるのかよくわからないほど夢中で逃げている。右の方に川を見つけ、後ろへ弾を撃って牽制しつつそちらへ箒を向けさせる。川面ぎりぎりを流れに沿って――流れに逆らって、かも知れないがそこまで見ている余裕はない――全速力で飛ばす。
魔理沙が通った後を、水面を左右に切り裂くように白い波が立ち、水が舞い上がる。視界がわずかながら遮られるので、イーグルUは魔理沙の真後ろから少し右へずれた。
互いに撃ち合い、しばらく膠着状態が続く。
不意に魔理沙は前方の水面へ大きい星を1個飛ばした。大きく上がった水幕のような水飛沫が魔理沙の姿を覆い隠す。彼女はそのまま水飛沫を突っ切――らなかった。
「!?」
イーグルUは通り過ぎた着弾点を振り返るが、水飛沫の収まった川面の上に人の姿はない。魔理沙の姿はイーグルUの視界から忽然と消えた。
刹那、川に上から星が降り注いだ。
本能的に右へ動いたために弾幕から逃れることはできたが、今度は自分が後ろを取られた事を理解した。後ろを見上げると、魔理沙が何かを右手に持ってこちらへかざしている。
「くらえ!」
彼女の右手にある黒い八角形の物体に白い光が吸い込まれていく。この状況でカードを切るとしたら、切り札のはず。自分は今、非常に危険な状態にさらされている。それを理性と本能の両方で認識し、高度を上げようとした。
「『マスタースパーク』!」
魔理沙が高らかに叫び、彼女の右手から純白の閃光が放たれた。
イーグルUが上昇しようとしたのを見て、撃つ直前に角度を上に修正したため、ビームのような光は熱と衝撃を撒き散らしながらイーグルUへ真っ直ぐ伸びていく。
イーグルUは左へ切り返し、マスタースパークを辛うじて避けられた。しかし右の翼をかすめ、激しい熱によって表面が焼けた。
「ぐぅっ!」
上手く動かない翼で降下しながら魔理沙へ爪を撃ち、どうにか体勢を保って地上付近まで高度を下げて森の中へ突っ込む。
ふらつきながら木々の間を抜けながら後方を伺う。誰も追って来ない事を確認し、それでもスピードを緩めない。
「・・・・・・」
飛びながら、最後の攻撃を思い出す。
強烈な攻撃だった。まともに受ければ身動きも取れなかっただろう。翼が片方使えない状態であれに対抗するのは無謀だ。
「おのれ・・・」
歯噛みしながら、悔しさに拳を握り締めた。とはいえ、この世界の住人が侮りがたい実力を持っている事は覆しようのない事実。
(まあいい。どの道、やつらには我々は封印できん。ライダーを倒した後ならば時間さえかければ・・・)
どれほど強くても、アンデッドを殺す事は不可能。今は屈辱にまみれても、最後に笑うのは自分だ。
(それまでは笑っているがいい・・・見ていろ)
熱傷のせいかなかなか回復が始まらないのを少々疎ましく思いながら、イーグルUは飛び続けた。
◇ ◆ ◇
「ち、逃げられちまった」
マスタースパークの第二射を撃ち損ね、魔理沙は右手に持っていた『ミニ八卦炉』を懐に仕舞った。
連発するつもりだったが、正確に自分を狙っていたイーグルUの弾を避けた隙に森の中へ逃げ込まれてしまった。森ごと吹っ飛ばすと後で誰から何を言われるかわからない。
「ふー。しかし、さっきのはやばかったな」
「魔理沙ー!」
川の水をかぶって濡れた帽子の表面を払いながら一息ついていると、霊夢が飛んでやってきた。
「おう。奴さんはどうにか追い払ったぜ」
「そう。とりあえず戻りましょ」
2人並んで飛ぶ。
「魔理沙、なんで急にあなたが行ったの?」
「何だよ、横取りされて腹立ててるのか?」
「首を痛めた事にもね。私が『夢想封印』を使おうとしたから?」
「はは・・・」
首をさする霊夢を見て、魔理沙は指で頬をかきながら笑ってごまかした。
「あいつ、かなり強いみたいだからさ。手の内はあんまり見せない方がいいと思ったんだ。特にお前のはな」
「・・・そうかもね」
霊夢は、魔理沙の考えている事がそれ以上聞かずともわかった。
不死身のアンデッドに勝つ事はできても、倒す事はできない。戦い続けてこちらの手を明かすと、その後は不利になりかねない。永久に倒す事が出来ないならば有り得る事態だ。だから魔理沙は、霊夢の必殺技というべき夢想封印を止めさせたのだろう。
「どうも、私達が思ってた以上に深刻みたいだな。今回の異変は」
「うん・・・」
実際に戦ってみて実感したアンデッドの強さは2人の想像以上だった。早く手を打たねばならない。幻想郷の異変を何度も解決した2人の少女は明確な危機感を抱いていた。
やがて慧音と萃香のいる場所へ着いて、霊夢と魔理沙は地上に降り立った。
「大丈夫か?」
「へっ、この魔理沙様が負けるかよってんだ」
慧音にウインクしてみせる魔理沙。萃香は程よく酔いが回っているようで、赤ら顔でぼーっとしている。
「しかし、ちょっと危なかったからって即行マスタースパークを使ったのはアレだったな。反省反省」
ぼやく魔理沙。
弾幕ごっこは結果に遺恨を残さないという原則があり、そのため多分に遊びの要素を含んで行われる。だから今回の魔理沙のように露骨に勝ちを狙う行為は忌避される。とはいえ、それだけ危険だったという事をその場にいた全員が理解していた。
「なあ、アンデッドってのはどいつもあれくらい強いのか?」
「いや、奴は上級アンデッドだから最も強いグループに位置する。あれほどのは少ないという事だ」
「そうか」
「確か一真、あいつに勝って封印したって言ってたわね」
魔理沙と霊夢は顔を合わせた。
「そいつ、実はすげー強いんじゃないか?」
「そうは見えなかったけど・・・多分」
「見た目で言うなら、お前達だってそうだろう」
「にゃはははは!」
慧音のつっこみに、萃香が声を上げて笑い出した。
「あんたにだけは笑われたくないわよ」
「まったくだ」
萃香にジト目を向ける霊夢と、やれやれと両腕を広げる魔理沙。
「早いとこ里に戻ろうぜ。少し疲れた」
「賛成」
酔いが回った萃香の重い腰を上げさせるのにちょっと手こずったが、戸板を彼女の小さい分身に運ばせながら彼女達は里への帰途についた。
やがて里が見えてきて、魔理沙がつぶやいた。
「あんなもんに襲われたら普通の人間じゃ歯が立たんよな、やっぱ」
「そうだ。問題なのは、あいつらは人間を滅ぼすつもりだという事だ」
「あながち、出来ないわけでもなさそうね。今、外の世界は大変な事になっているのかしら・・・」
あごに手を当てる霊夢。魔理沙は腰に手を当てて、
「ま、仮に外の世界の人間が滅びたって幻想郷には影響ないだろうけどな」
「――!」
頭に何かが走り、慧音は立ち止まった。
「あのね、そんな単純じゃないのよ。あっちで大きな変化があればこっちにも絶対に何かあるの」
「おいおい、そんなムキになるなよ。そんなにしかめっ面してるとシワが増えるぞ」
「私はおばあさんか!」
「毎日縁側でお茶飲んでるのはババくさいと思うぜ」
「なんですってー!?」
それに気づかず、霊夢と魔理沙は足を止めずに言い合っている。だが慧音にはそんな事も耳に入らない。見開かれた目が意味なく右に左に動く。脳裏に浮かんだ事があまりにも衝撃的だったからだ。
(まさか、アンデッドが幻想郷に侵入したのは――)
己の頭に閃いた仮説に、慧音は自分で驚愕していた。
◇ ◆ ◇
「遅いわね」
レミリアのつぶやきが聞こえて、妹紅は顔を上げた。
確かに、一真がトイレに立ってから結構経つ。
「もしかして、館の中で迷子になってるんじゃないかしら」
「あー・・・ひょっとすると有り得るかもな。あいつ、どっか抜けてる所があるから」
もう3杯目になる紅茶をすすりながらぼやく。
「咲夜、探して来て」
「畏まりました」
傍らに控えていた咲夜は一礼して部屋を後にする。
「世話が焼けるわね」
「まったくだよ」
互いに小さい笑みを見せ合う。
とその時、館がずしんと揺れた。
「熱っ!?」
飲もうとしていた紅茶が鼻の辺りにかかって妹紅は悲鳴を上げた。服は汚さなかったが、テーブルクロスに茶色い染みが出来た。
「あちち・・・な、何、今の?」
聞きながら袖で顔を拭う妹紅。レミリアは座ったまま、壁の方を見ながら首を傾げている。
「ひょっとして・・・」
「お嬢様」
気配もなく咲夜が姿を現した。
「妹様が一真と遊んでいます」
「・・・そういう事ね」
「妹様? お前の妹か?」
また揺れる。
ため息をつくレミリアに、椅子の上で身を屈めながら妹紅が聞く。
「そうよ。フランっていうの。これはまずいわね」
「まずいって?」
その問いには咲夜が答えた。
「妹様も吸血鬼だから力は非常に強いわ。しかも、ものを壊して遊ぶのがお好きなの」
「この間なんて館にいたメイド妖精達を一列に並べさせて、楽しそうに1体ずつ粉々に吹き飛ばしてたわ」
「危なすぎるだろそれ!?」
がたんと勢いよく立ち上がりながら妹紅は叫んだ。そのタイミングでまた揺れたので妹紅はバランスを崩しかけた。レミリアはまたため息をつき、
「だから今まで地下室に閉じ込めてたんだけど、最近は少し緩くして館の中なら出歩いてもいい事にしたのよね。多分、それで一真を見つけたんでしょ」
「そんな暢気にしてる場合か! 止めさせないとまずいんじゃないのか!?」
「そうね。早く止めないと彼の命は保障できないわね」
平然としている咲夜。
妹紅が口を開くより早く、レミリアが椅子からぴょんと飛び降りた。
「しょうがないわね。私じゃないとあの子は止められないでしょ。咲夜、案内しなさい」
「はい、お嬢様」
◇ ◆ ◇
壁も床もぼろぼろに朽ちた通路。
砕けて散乱した壁材や床材にまみれてブレイドは突っ伏していた。
「はあ、はあ、はあ・・・」
「うふふ」
息も切れ切れのブレイドに対して、フランは楽しそうに笑っている。
「一真、面白いね。普通の人間だったらもう死んじゃってるのかな?」
「はあ、はあ・・・ふ、フラン・・・」
洒落になっていない。
生身だったらもう何度も死んでいるだろう。
ブレイドの装甲もそこかしこに傷つき、満身創痍の様相を呈している。
ラウズカードで何度も危ない所を切り抜けてきたが、すでにAPもほとんど使い切ってしまった。
<ブレイド残りAP 200>
「なあ・・・そろそろ終わりにしないか? 俺、もう持たないよ・・・」
「えー、私まだ遊び足りないよー。楽しいのに」
フランの不満の声に、ブレイドは余計に疲れが増した気がした。
元気のよ過ぎる子供の遊びに付き合う大人の心境というのはこんな感じだろうか。
多分違うな、と思いながら聞いてみる。
「・・・楽しいのか?」
「うん、楽しい。撃ち返してこないのはちょっと物足りないけどね」
にこっと笑うフランを見ると、つい許容してしまいそうになってしまう。
「一真も撃ってきていいのよ?」
「こ、子供に攻撃なんか出来ないよ。それに、今の俺にはもうそんな元気がないや・・・」
自分でも情けない事を言っていると思うが、どっちも本音である。
「遠慮なんかしなくていいのに。じゃあ次もフランの番ね」
「い、いや、ちょっと待――」
「『カタディオプトリック』!」
本気で焦りながら制止させようとしたが、フランは無情にも何度目になるかわからない宣言をした。
拡散気味に青い弾が5発撃たれ、その後に続くように小さい弾が群れを成して飛んでくる。壁や床に触れた弾は炸裂せず跳ね返った。
「う!?」
直進してきた弾を右に動いて避けた所で、弾幕の挙動に驚いて動きが一瞬鈍った。右の壁に反射した弾の軌道を読み損ね、青い光がブレイドに迫る。
「一真!」
廊下の角から姿を現した妹紅の目に飛び込んできたのは、ブレイドが顔に爆発を受けるシーンだった。
「一真!?」
妹紅は、顔から煙を上げ倒れこんだブレイドに駆け寄り、その顔を見て目を見張った。
仮面が砕け、一真の素顔の右側が露出していた。
アンデッドとの戦いから見てブレイドの装甲は極めて強固なはずだったが、それがこれほど破損するとは。
「フラン、そこまでになさい」
妹紅と一緒に現れたレミリアが一真とフランの間に進み出た。
「あ、お姉様」
「彼はもう動けないわ。あなたの勝ち。だから弾幕ごっこは終わりよ」
「えー?」
地上に降りたフランは幼い顔をしかめた。
「遊びにもルールはあるの。それが守れない子とは誰も遊んでくれないわよ」
「もー、お姉さまの意地悪」
頬を膨らせるフラン。
「咲夜、彼の手当てを」
「はい」
大の字に倒れ、荒い息をつくブレイドに屈みこむ咲夜。
「一真、大丈夫か?」
「た、助かった・・・」
弱弱しくバックルのハンドルを引き、真上に現れたオリハルコンエレメントが倒れたブレイドの体を包んだ。
変身を解除した一真の体は所々服が破れて小さい痣や傷が覗いている。2人の少女に支えられながら起き上がり、一真はなんとか歩いて行った。
「フラン、部屋に戻りなさい。もう十分遊んだでしょ」
「やだよー。部屋にいても全然面白くないもん」
2人だけになった廊下の割れた床の上にぺたんと座り込み、鬱憤を満面に表して不満を訴えるフランに、レミリアはため息をついてフランの所へ歩み寄った。軽く笑みを浮かべながら、姉の威厳を示すように両腰に手を当てて、上から覗き込むように顔を近づける。
「それじゃフラン、1ついい事教えてあげる」
「なに?」
姉の顔を見上げながら聞き返すフラン。
「遊びというものの最低限のルールはね、相手にケガをさせない事よ」
フランは一瞬きょとんとした。
「でも私以前、霊夢と魔理沙に軽くケガさせられたよ?」
「あれはあの2人がおかしいのよ。今度私から一発がつんと言っておくわ」
そう言ってレミリアはフランから顔を離し、彼女を見下ろしながら腕を組んだ。
「わかったら戻りなさい」
「・・・はーい」
納得したわけでもなさそうだったが、ともかくフランは立ち上がって廊下の向こうへ歩き去っていった。廊下の角にフランの姿が消えてから、レミリアは再びため息を漏らした。
「本当に世話の焼ける子ね、まったく」
まだ組んだままだった腕を崩し、レミリアもきびすを返した。
「・・・咲夜の仕事が増えたわね」
荒れ放題の通路を見回しながら、軽く頭を抱えたレミリアだった。
◇ ◆ ◇
太陽が傾きかける刻限、里へ帰還した慧音らによって回収された遺体は遺族の元へ返された。
彼らがすでに死んでいたことは事前に知らせていたが、やはり遺体を見せられたショックは大きく、里には悲しみの嗚咽と悲鳴が響いた。遺族達は慧音らに礼を言うのもそこそこに、遺体と共に帰宅していった。
運んできた萃香は、酒は後で霊夢に持たせる約束をしてから人に見られる前に霧になって姿を消した。里の中では男達が遺体を運ぶのを買って出てくれた。
そうして後の事は里の人々に任せて、慧音は霊夢と魔理沙を連れて家へ帰っていた。
「はぁ~、やっぱ弾幕ごっこの後の一杯は最高だな」
「魔理沙、それこそ年寄りくさいわよ」
お茶を一気に飲み干し大きく息を吐く魔理沙に半眼を向けながら、空になった彼女の湯飲みに急須からお茶を注ぐ霊夢。魔理沙はありがとよ、と霊夢に礼をして慧音が出した団子にぱくついた。彼女の後ろに黒い帽子が置かれている。
「団子といえば、そろそろ十五夜だろ。霊夢、神社で月見しようぜ」
「あんたの目当てはお酒でしょ」
「どうせ呼ばなくたって誰か気の利いた奴が酒持って神社に来るだろ。私の読みじゃ萃香は絶対来るな」
「あいつは何もない日だってウチに来るもの。読みも何もあったもんじゃないわ」
卓に頬杖をつく霊夢と笑う魔理沙。ついさっきイーグルUと戦ったというのに、そんな深刻な様子は微塵も感じられない。緊張感がなさ過ぎるようにも見えるが、こういう気楽な部分も彼女達が弾幕ごっこに向いている一因でもある。
「ったく、どいつもこいつも酒だけ飲みに来てお賽銭なんて入れていった試しがないんだから」
「まったく、信心に欠ける奴らだぜ」
「あんたの事言ってんのよ!」
がなり立てる霊夢。しかし魔理沙は右から左である。
「あんたはどうだ、慧音? 今度の十五夜、神社で一緒に飲まないか?」
それまで腕を組んで何か考え事をしている風だった慧音は、不意に声をかけられて顔を上げた。
「ん? ああ、悪いが満月の夜は駄目だ。歴史書を書かないといけないからな」
「あ、そういやあんたワーハクタクだったわね」
食べた団子をお茶でのどに流し込む霊夢。また真剣な顔で思考にふけりだした慧音に対し、魔理沙を親指で示しながら、
「魔理沙には気をつけたほうがいいわよ。こいつ、興味を持ったものは勝手に借りていくから」
「ああ、心配すんな霊夢。さっきトイレを借りた時にその歴史書とやらをこっそり見たが、ちっとも興味を引くもんじゃなかった」
「なに人の家の物を勝手に見てるんだお前は!? 興味を持ったら盗むつもりだったのか!?」
さすがに聞きとがめた慧音が猛烈な勢いでつっこむが、魔理沙はにべもなく腕を広げ、
「内容が堅苦しすぎて難しいんだよ。もうちょっと読む側が楽しめるように書いた方がいいと思うぞ」
「余計なお世話だ!」
怒鳴って、慧音はさもうんざりした顔をして頭をかいた。
「まったく、人が深刻な事を考えているというのにお前達と来たら・・・」
「なんで私まで含まれてるのよ」
慧音に半眼を向けつつ抗議の意を唱えて、霊夢はその目を卓に向けた。
「つうかあんた、さっきから何考え込んじゃってるの?」
慧音の前に置かれたお茶も団子も手がつけられていない。
少し迷った素振りをした慧音だったが、その顔を引き締めて口を開いた。
「魔理沙、お前さっき『外の世界の人間が滅びても幻想郷に影響はない』と言ったな」
「それが?」
「それが、アンデッドが幻想郷に現れた理由ではないかと考えているんだ」
団子を食べていた魔理沙の手がぴたりと止まる。
「どういう事?」
身を乗り出す霊夢に釣られて、魔理沙も串を口にくわえたまま顔を突き出した。
「推測の域を出ないが・・・恐らく、アンデッドは幻想郷に偶然迷い込んだのではない」
2つの視線に、慧音は自分の視線をぶつけながら告げた。
「バトルファイトでどのアンデッドが勝利しようと、その結果は幻想郷には及ばない。そんな空間が存在してはバトルファイトそのものが成り立たなくなってしまう。だからアンデッドを送り込み、直接幻想郷を滅ぼしに来たのではないか、とな」
霊夢と魔理沙は思わず顔を見合わせた。
「一真の話によると、アンデッド達は外の世界の博麗神社にそろって移動したらしい。最初から神社を目指していたのなら辻褄は合う」
「ちょっと待ってよ。するとアンデッドどもは幻想郷の存在を知ってたって事? 結界の存在自体、そうそう見破れるもんじゃないわよ?」
疑問をぶつける霊夢に、慧音は首を横に振る。
「いいや。アンデッドにはそんな事まではわかるまい。恐らく気づいたのは、バトルファイトを牛耳る黒幕だ」
「黒幕? 誰よそれ?」
いよいよ詰め寄る霊夢。魔理沙もさらに身を乗り出しつつ、
「お前さっき、アンデッドが送り込まれたって言ったな? その送り込んだって奴の事か。何者だよ?」
2人の顔を交互に見、慧音は1つ息をついてから口を開いた。
「『統制者』だ」
一瞬の沈黙。
「統制者?」
霊夢と魔理沙は異口同音に慧音の言葉を反復した。
「統制者は、数億年もの昔に当時の生物達の『他の種族よりも優れた生き物に進化したい』という思念によって生まれた、精神だけの存在だ」
「神様のようなものって事?」
「案外、幻想郷にいてもおかしくなさそうなやつだな」
「そうだな。さしずめ、進化の神という所か。その進化に対する意思からアンデッドが生み出され、地上で最も優れた種族を決める戦いを繰り返しているというわけだ」
魔理沙はくわえていた串を皿に置いた。
「で、そいつが幻想郷の存在をかぎつけてアンデッドを差し向けてきたってわけか?」
「恐らくな。思うに、八雲紫が体調を崩した事で結界の効力が弱まり、幻想郷の存在を感知したのだろう。ちょうどその近くでアンデッドが解放されたので、それらを幻想郷に向かわせたのではないだろうか」
霊夢と魔理沙は目線を下ろして黙り込んだ。やがて魔理沙が顔を上げ、
「なあ。その件、一度紫と相談した方がいいんじゃないか?」
「そうだな。もし真実だとしたら、こんな重大な事を彼女に知らせないわけにはいくまい。今すぐ行くとしよう」
言うや否や、慧音は立ち上がった。
「え? 今から?」
「当たり前だ! 早くしろ!」
まだあまり休んでないのに、と言おうとしたが慧音が即座に言い返したので霊夢は口をつぐんだ。玄関へ駆け出す慧音を呆気に取られた様子で見ている魔理沙を半眼で睨む霊夢。
「魔理沙・・・」
「しょうがないだろ」
嘆息しながら慧音が食べなかった団子を口に入れ、魔理沙は置いていた帽子をかぶって立ち上がった。
「もう、人使いが荒いわね」
霊夢も、だいぶ低くなった太陽を窓越しに見上げながら腰を上げた。
◇ ◆ ◇
「いてて・・・」
「大丈夫か、一真?」
客室のソファに腰掛けた一真がうめく。顔や腕はあちこちが包帯や絆創膏で覆われ、いかにもケガ人らしい外見になっている。
とりあえず手当てを受け、館の一室で休ませてもらっている。服は破れたり血がついたりしていたので、館に用意されてあった男性用の洋服をもらって着替えた。一真は背が高いものの細身なのでシャツは合うものがあったが、ズボンは咲夜が急いで裾上げをしてくれたそうだ(時間停止まで使ったらしい)。
「えらい目にあったな、お前。災難だったな」
「ん・・・」
妹紅は別のソファの上で胡坐をかき、足に頬杖をついてむすっとしている。客室の内装は、絨毯やカーテンは赤だが壁や天井は白い。さすがにこんな所まで真っ赤にはしなかったようだ。小さい窓もあり、外は霧に阻まれた淡い色合いのオレンジの光が差し込んでいる。
「ったく、あのお嬢様は妹にどういう教育してるんだか。告訴ものだぞ、こんなん」
「幻想郷にも裁判所、あるのか?」
「いや、ないけど」
一瞬表情を緩めるが、またすぐに顔をしかめる。
「行ってみたら顔が割れてるんだもんな。驚いたなんてもんじゃなかったよ」
「ああ・・・あれは俺もマジでビビった。顔はなんともないけど」
そう言って両手で顔をぺたぺたと触る一真。
「変身してなきゃホントに死んでたろうな」
「洒落になってないっつうの。そういやあの鎧、ぼろぼろだったけど大丈夫なのか?」
「ああ。オリハルコンアーマーは自己修復するから、放っとけば勝手に直るよ」
そっか、とつぶやいて妹紅は両腕を頭の後ろに組んでソファに背中を預けた。
「・・・妹紅、さっきはごめんな」
「まったく、ひやひやしたよ」
顔を上に向けたまま答えると、一真はふっと笑った。
「そうじゃなくてさ、レミリアの前での事」
「え?」
そう言われてきょとんとした。自分の昔の話を聞こうとした事を謝っているのだと、ほどなくして気づいた。
「ああ・・・別に気にしてないって。もう忘れろ」
「うん・・・でも、本当にごめん」
「・・・律儀だな、お前」
目を合わせて、互いに微笑みを交わす。
と、ドアがノックされた。2人がそちらへ顔を向けると、咲夜が扉を開けて入ってきた。
「具合はどうかしら?」
「ああ、大した事はないよ」
「ごめんなさいね。危ない目に合わせてしまって」
「全くだね」
そう返すと、一真は妹紅を注意するように目を向けた。
「お詫びといってはなんだけど、夕食を用意しているわ」
「夕食?」
言われて、一真は腹をさすった。
「そう言えば腹減ったな。それじゃ、ご馳走になっていいかな?」
「ええ。ただ」
「ただ?」
「お嬢様も一緒に食事して構わないかしら?」
「レミリア?」
一真と顔を見合わせる。吸血鬼である彼女の食事という事は――
「ええ。お嬢様には紅茶をお出しするんだけど、嫌なら自分は遠慮すると仰っているわ」
「・・・ああ、大丈夫だ」
妹紅が逡巡している内に一真がうなずいた。驚いて一真を見ると、目が合った。それで、『食事』の意味をちゃんと理解した上での返事だと直感した。
「わかったわ。もうすぐ出来るから、用意が出来たら呼びに来るわ」
言って、咲夜は部屋の外へ出た。と、
「一真」
ドアを閉める直前、その手を止めた。
「ありがとう」
表情は変えなかったが感謝の言葉を一言だけ言って、彼女はドアを閉じた。
テーブルに並べられた豪華な食事を見て、妹紅と一真はため息を漏らした。白いテーブルクロスがかけられた細長いテーブルの端にパンやスープ、そして何か肉のソテーといった見ただけで食欲をそそるような料理が並べられている。そのテーブルの反対側の端にレミリアが座っており、彼女の前にはカップが置かれている。わざわざ距離を取ったのは、彼女の食事である『紅茶』が見えないようにという配慮だろうか。
「本当は順に料理を持ってこないといけないんでしょうけど、そういうのは堅苦しいと思ってね」
と、2人を案内した咲夜。彼女は椅子を引いて2人を座らせるとテーブルの傍らに立った。
「体は大丈夫?」
「あ、うん」
2人が座った所でレミリアが尋ね、一真が頷く。
「危ない目に合わせてすまなかったわね。そのお返しに、咲夜に食事を作らせたわ。遠慮なく食べていってちょうだい」
テーブルの上を示すレミリア。咲夜も2人を促す。
「さ、どうぞ」
「い、いただきます」
両手を合わせてフォークとナイフを取り、切ったソテーを口に入れた。
「どう?」
「美味い! すげえ美味いよこれ!」
まだ飲み込まないうちに感嘆の声を上げる一真。
「君、料理上手なんだな」
「それほどでも」
「いや、ホントに美味いよ。これ何の肉? 牛や豚じゃなさそうだけど」
「鹿肉よ」
「・・・鹿ね・・・」
数時間前に仕留め損ねたアンデッドが脳裏に浮かんだが、今度こそ封印してやると気合を入れつつ肉を食べ続ける。
と、ふと横を見ると妹紅は手を動かしていない。ただ呆然としたように料理を見ているだけだ。
「妹紅、どうした? 食べないのか?」
「い、いや、すごい美味そうなんだけど、その・・・」
困ったように頬を指で書きながら、一真の手元を見る妹紅。それを見て、咲夜が妹紅の顔を横から覗き込む。
「フォークとナイフの使い方がわからないの?」
「・・・うん」
恥じるようにうつむきながら頷く。
「今までずっと竹林の中に閉じこもってたし、里でもこういうのは食べた事無いんだよね・・・」
「ごめんなさいね、そこまで気が回らなくて」
咲夜はそう言って、妹紅の左右に置かれたフォークとナイフを取った。
「こっちがナイフでこっちはフォーク。ナイフは右手、フォークは左手で持つのよ」
「こ、こう?」
言われるままにフォークとナイフを持たされる妹紅。
「そうよ。それで、フォークをお肉に刺して――」
咲夜に教えられながら、ぎこちない手つきで肉にナイフを入れる妹紅をレミリアは楽しそうに見ている。
「よかったじゃない、長生きしてきて初体験が出来るなんて」
「は、話しかけないでくれ」
妹紅は少し緊張したような顔で肉と格闘している。レミリアはちょっと首を傾げ、
「何か初体験をするといい事があるとか聞いた事あるけど、どんなだったかしら?」
「初物を食べると寿命が75日伸びる、ですか?」
妹紅の横に立つ咲夜が答える。
「これは初物とは違うだろ。だいたい私は蓬莱人なんだから寿命伸びるとか関係ないっての」
「あら、そうだったわね」
くすくすと笑うレミリアと、なかなか肉が切れずにむきになりつつある妹紅。一真と咲夜はお互い、笑うに笑えずばつの悪そうな表情で顔を見合わせた。レミリアがカップに口をつけるのとほぼ同時に、妹紅がようやく切れた肉を口に入れた。
「ん、美味い!」
「だろ?」
レミリアのカップをあまり見ないようにしながら、妹紅に声をかける一真。彼女はもう一切れを食べ、別の皿を見て咲夜に顔を向けた。
「他のはどうやって食べればいいかな?」
「ライスはフォークですくって、サラダは刺すの。左手で使いにくいならナイフを置いて右手に持つといいわ。スープはスプーンを使ってね」
丁寧に教えている咲夜に、一真はふと気になった事を聞いた。
「君は食べないの?」
「私は後でいただくわ。気にしなくていいわよ」
そうやって2人ともしばらく食べる事に集中した。
一真はアンデッド2体とフランを相手にした後だったし、妹紅も長い人生で初めて食べる洋食を楽しんでいる(もちろん最大の功労者は咲夜である)。やがて短時間で2人とも料理を平らげてしまい、2人の前には食後の紅茶が出された。
「今度は時間しくじってないわよ」
ソーサーに乗せられたカップをテーブルに置く時に自信有り気な顔でそう言う咲夜に、妹紅と一真は苦笑いした。じーっとこちらを注視する彼女の視線に妙なプレッシャーを感じつつ、2人は紅茶をすすった。
「美味しい」
「私も」
それを聞いて咲夜は満足そうに笑みを浮かべた。
「おかわりは何杯でも持ってくるわよ」
「う、うん、ありがと」
急ににこやかになった咲夜と、彼女にやたらへこへこと頭を下げる2人を見てレミリアが笑った。
「咲夜の料理はどうだったかしら?」
今、彼女の前には何も置かれていない。
「うん、すごく美味しかったよ。すっかりご馳走になっちゃったな」
カップをソーサーに置いてレミリアに笑顔を返す一真。
「ま、一真に怪我させたお詫びなんだから当然だけどな」
「あなたの胃袋にも納まったのよ?」
「・・・やぶへびだったな」
意地の悪い笑顔のレミリアから目を逸らして紅茶をすする妹紅。それを聞いた一真が首を傾げる。
「やぶへびってなんだっけ?」
「藪をつついて蛇を出す。余計な事をして状況を悪化させる事よ」
と、咲夜。
「そんなことわざだったっけかなあ?」
しきりに首をひねる一真に咲夜はこっそりと嘆息し、妹紅も額に手を当てた。
「けどさ、あの妹様とやらは何考えてんだよ? 止めるのがあと少し遅かったら本当に死んでたかも知れないんだぞ?」
「どうも本人は遊びのつもりだったみたいだぞ。友達も遊び相手もいないって言ってたな」
怒りを含んだ妹紅の言葉に、一真がなだめるような調子で口を開く。レミリアは椅子に頬杖をついて、
「そりゃそうよ。あの子は生まれてから495年間、館どころか部屋の外に出た事もないんだから」
「495年!?」
妹紅は思わず大声を上げた。彼女も蓬莱人として約1300年の時を生き、そのうち約900年を竹林の中で孤独に過ごして来た。だがそれは俗世に身を置く事に耐えられずに自ら引き篭もったのであり、フランのように閉じ込められたのとはわけが違う。それでも時折、人恋しくなる事はあった。フランが遊び相手に餓えるのも無理はない。そう考えると急にフランに対して同情が沸いてきた。
「なんでそんなに閉じ込めてるんだよ?」
「あの子、生まれつき『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持っていてね。とにかく理屈抜きでどんなものでも欠片も残さず破壊できるの。この間なんて、地球に向かってきた巨大隕石を木っ端微塵にぶっ壊したわよ」
妹紅と一真は顔を見合わせた。互いに強大な力を目の当たりにしたことがあるが、それらとは破壊力のスケールが違いすぎる。
「だけど昔から手加減てものを知らなくてね。人間を襲おうとすると血の一滴も残さず消し去ってしまうのよ」
レミリアは腕を組んで天井を見上げた。
「しかも考え方がまだ子供なものだから、人も物も遊び半分で破壊しつくしてしまいかねないのよ。そんなんじゃ外に出せないわ。母からは気が触れているように見えたらしいわね」
そしてゆっくりと顔を下ろし、妹紅と一真に視線を定める。
「ひどい姉だと思うでしょうね。でもそうしないと冗談抜きで地上には何も残らなくなるわ。あの子はその気になれば地球だって破壊できると思うわよ・・・あ、これあの子に言っちゃ駄目だからね。ホントにやりかねないから」
人差し指を口に当てる仕草はとても可愛らしいが、2人とも目線を下げてしまった。
しばらく沈黙が続いて、一真が顔を上げて口を開いた。
「なあ、レミリア」
「何かしら」
「俺、フランの遊び相手になってあげたいんだけどいいかな?」
レミリアは目を丸くして、妹紅と咲夜も彼に驚いた顔を向けた。
「・・・本気で言ってるの? 今日だって死にそうだったじゃない」
「そうだけど・・・でも、そんなの可哀相じゃないか」
真剣な表情を作るレミリアを真っ直ぐ見返して一真は言った。
「人間でも子供ってたまに変な事をして怪我したりさせたりするけど、そういう事は周りの大人が気をつけて、それはやっちゃダメだ、でもこれはいい、ってちゃんと教えてやらなきゃいけないもんじゃないのかな?」
「もっともだけど、あの子の場合、本当に命がけよ」
「だからって誰も何もしないままじゃ、それこそいつまで経ってもフランは外に出せないだろ? 吸血鬼の寿命がどれくらいか知らないけど、お前、このまま自分の妹を死ぬまで館の中に閉じ込めておくつもりか?」
そう言われて、レミリアはかすかに苦い表情を浮かべた。
「妖怪にも妖怪の社会があるんだろ? 人間も妖怪も1人じゃ生きていけないんだ。ちゃんとみんなと生活できるようにならなきゃ」
幻想郷は全てを受け入れると咲夜は言った。それはとても残酷な事だとも。ならば、フランだって受け入れる事が出来るはずだ。
「そういうのは友達がいないとわからないんだ。フランに友達がいないなら、俺がなる」
一真自身も友達が出来なくて寂しい思いをした事がある。フランには自分と同じ寂しさを味わってほしくない。
それに一真には、友達でいたいと思うアンデッド――始がいる。
始は人間社会の中で誰にも正体を明かす事が出来ずにいて、それもあって他者と関わりを持つことに消極的だ。世話になっている家の少女・天音にだけは心を開いていて、彼女もまた、父親を亡くした直後に出会った始に好意を抱いている。しかし彼女にもその正体は秘密にしている。表に出した事はないが、正体を隠している事の後ろめたさやそれが露見する事の不安などを抱えているのかも知れない。
だが始がいた事で彼女の家がアンデッドに狙われた事があり、これ以上彼女をアンデッドとの戦いに巻き込まないように、彼はその家を去ろうとした事がある。しかし結局彼女達はまたもアンデッドに狙われ、始は彼女達を守るために家に戻った。その時に戻るように説き伏せたのが一真だ。始なりに思い悩んだようだが、そういう他者を思いやる気持ちこそが人間らしさだと一真は思っている。
彼女の存在が始に人間らしい心を与えている事は明白だ。アンデッドだって人間と関わる事で人間らしく変わることが出来る。フランだってきっと変わっていけるはずだ。そして自分も彼と――始と心を通わせられるはず。それを信じている――信じたいから、フランを放っておいてはいけないのだ。
「面白い人間だとは思ったけど・・・本当、呆れを通り越して笑っちゃうわ」
妖しい微笑を顔にたたえ、レミリアがつぶやいた。
「そこまで言うなら今後もあの子に会わせていいわよ。その代わり、命の保障は出来ないけれど」
一真を見下ろすように上半身を背もたれに預け、腕を組む。
「粉微塵にされても知らないからね」
右の手の平を上に向け、少し顔を背けながら言った言葉に、一真は背筋に少し冷たいものを感じた。
「・・・な、なんとかなるだろ」
一真はちょっぴり顔を引きつらせながらも、
「そ、それじゃ、明日また来るから。夜に」
そう言って紅茶をごくごくと飲み干した。
最後まで決めろよ、と思いながら妹紅はため息をついた。
(ま、こいつらしいわ)
少し頼りないが、呆れるほど真っ直ぐ。よくもここまでストレートな性格でいられるものだと感心するほどに。だが妹紅は意外だとは思わなかった。自分も、フランの事を他人事に思えなかったからだろうか。
そして気づいた。今の一真の発言でレミリアと咲夜の、一真を見る目が明らかに変わった事に。
薄く笑みを浮かべながら、妹紅も紅茶を飲んだ。なぜか、さっきよりも美味しい気がした。
◇ ◆ ◇
夕焼けに染まる丘の上、屋敷の縁側に腰掛ける紫は慧音・霊夢・魔理沙に囲まれながら憂いの表情を浮かべていた。
「今回の異変はそういう事だったのね・・・」
うつむき、ため息をもらす。
「幻想郷は人間と妖怪が共に暮らす理想郷。確かにここは、生存競争をやめてしまった空間と言えるわ。それがアンデッドに狙われる原因だなんて・・・」
慧音からアンデッド侵入の目的を聞かされた彼女の表情は、霊夢も魔理沙もこれまで見た事がないほど悲しげなものだった
「しかし、ちょっと待って欲しい」
廊下から現れた藍がお茶を載せた盆を縁側に置き、紫の横に立って慧音に相対した。
「その統制者とやらが幻想郷を滅ぼそうとしているとして、なぜアンデッドを差し向けるという回りくどい手段を使うのだ? アンデッドを作り出すほどの力を持つのなら、直接介入を行えるのではないか?」
縁側の上に立つ藍が、自然と地面に立つ慧音を見下ろす形になる。慧音は一歩進み出て藍の顔を見上げた。
「統制者は確かに神と呼ぶべき存在だ。しかし人類が繁栄する以前から存在しているため、その存在のほとんどが人間ほど知能が発達していない生物の思念で構成されている。だから人間が崇める神と違って、はっきりした形を持っていない。それゆえ生物の進化以外の事に対して力を行使する事が苦手なのだ」
「・・・どういう意味だ?」
「どういう意味?」
魔理沙が隣に座る霊夢に聞き、霊夢は更に隣の紫に尋ねた。
「人間が神を信仰する場合、風の神だとか戦いの神だとかいう風に、はっきりした形をイメージしながら信奉するものでしょ? 精神的な存在は、重要なものだと生き物にはっきり認識されて力を得るものなの。私だって『境界』という概念に対する様々な精神活動から生まれた妖怪だしね」
『境界』という物体・物質はこの世に存在しない。人間が社会を構築するに当たって、領域というものを重要視するようになったために発生した概念。
区別、種類、分類、系統、所有地、国境、国籍、人種。
本来物理的にはなんの制約ももたらさないはずのそれが、時に生死さえ分かつ境目となる。そういった境界のもたらす力が具現化した存在、それがスキマ妖怪なのだ。
「だけど動物にはそんなイメージなんかできないからね。進化したいという意思はあっても、進化の神様がいるなんて思っている生物はほとんどいないのよ。だから浅く広くしか力が集まらず、強大ではあるけどちょっと不器用な存在になってしまっているの。それで自分の創造物であるアンデッドを使役して事を済ませようとしているのよ」
「ふーん・・・」
なんとも気の抜けた返事をする2人。紫が説明し終わった所で慧音が再度口を開く。
「それにバトルファイトを管理しているのは、正確には統制者ではない」
「では、なんだ?」
「『モノリス』だ」
「モノリス?」
藍は両手をそれぞれ左右の袖に差し入れつつ聞く。
「モノリスは、意思というものを持たない統制者がバトルファイトの管理のために作り出した代行役のような存在で、統制者の定めたルールに従ってアンデッドの封印や解放を行っている」
「式のようなものか?」
「そうだな、統制者の式と言っていいだろう。お前と違って自分自身の意思は持っていないが」
「それならば統制者の命令以外の行為は行えないはずだな? それがアンデッドを幻想郷へ差し向けることができるのか?」
慧音は握った左手を腰に当て、右手の人差し指を立てた。
「その答えは簡単だ。最初からそういう命令が組み込まれているのだろう」
「そういう命令とは?」
「バトルファイトの影響が及ばない異空間の存在を認めた場合、その空間を滅ぼすという命令だ」
「過去、その命令が実行された事は?」
「ない。これまで、そういった異空間が存在した事がないからな」
「では、その命令が実行されるのは今回が初めてという事か?」
「その通り。我々は今、歴史的な事件の渦中にいるのだ」
藍は腕を解き、片眉を吊り上げながら手をあごに当てた。
「だがアンデッドの幻想郷侵入が本当に統制者――もしくはモノリスの仕業だという証拠はないのだろう?」
「確かに。だが6体ものアンデッドが同時に幻想郷に入るなど、そんな偶然はそう起こらないだろう」
「確率が非常に低い事は認めよう。統制者の存在や、幻想郷の存在がバトルファイトの障害になる事もな。だが、それらを結びつけるものはない」
「でもねー。私、慧音の言う通りなんじゃないかって気がするのよ。なんとなくだけど」
お茶をすすっていた霊夢が2人の白熱した議論に口を挟んだ。
「藍の言う事ももっともだけど、慧音の言う通りである可能性は否定できないわ。いずれにしても、結界の修復を急がないといけないわね」
紫はお椀を持った手をひざの上に置いた。
「結界に多少揺らぎが生じている程度で幻想郷内部に影響はないからと放っておいたけれど・・・ちょっと荒療治する必要があるかもね」
うんざりしたような表情を軽く浮かべ、ため息をつく。その顔を上げて慧音に向ける。
「感謝するわ、慧音。わざわざ出向いてもらって済まなかったわね」
「いや、役に立てたのなら何よりだ」
慧音は紫に軽く笑いかけた。
「では私はこれで。あまり里を空けるわけにはいかないからな。2人とも、今日はありがとう」
紫に小さく頭を下げ、霊夢と魔理沙にも一言かけてから最後に藍に向き直った。
「藍と言ったか。お前とは今度ゆっくりと話がしたいものだ」
「そうだな。折を見て訪ねるよ」
「紫、大事にな」
「ええ、ありがとう」
最後に紫にそう言うと、慧音の体はふわりと浮き上がり、里の方向へと飛び去っていった。
「・・・あの2人の会話にはもう付き合いたくないな」
「本当。想像しただけで頭痛くなりそうだわ」
苦笑いする魔理沙と、渋い表情の霊夢だった。
「私達も帰りましょ」
「ああ、そうしよう」
「それじゃあね、紫」
「ええ、お疲れ様。2人とも」
2人も連れ立って、博麗神社のある南の方向へ飛んでいった。程なく小さくなっていく2人を見ながら、腕を組んだままだった藍は紫に語りかけた。
「さすがは歴史の聖獣、あれほど淀みなくすらすらと答えられるとは。ボロを出させるつもりでいたのですが」
「なんだか嬉しそうね」
「ああいう会話の出来る者は紫様以外では初めてです」
微笑みあっていた紫と藍だったが、きっと藍の表情が引き締まった。
「それで、どう思われますか?」
「調子が万全だったらどうとでもできるんだけど」
膝に肘をつき、浮かない表情を浮かべる紫。その美しい顔を照らす黄昏の光は暗くなり始めていた。昼と夜の境界の時間が終わり、幻想郷に夜が訪れようとしている。
「しょうがないわね。疲れるの覚悟で結界を強化しないといけないかも」
「それをすると、現在の紫様の状態では数ヶ月ほどお休みになる必要があると思いますが」
「やむを得ないわ。藍、準備してちょうだい」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げ、藍は館の中へ姿を消した。
◇ ◆ ◇
「すっかり世話になっちゃったな」
ホールの階段を下りながら、先を歩く咲夜に声をかける一真。
「構わないわよ。たまには来客があった方が楽しいから」
階段を下り、咲夜が開いた玄関の扉を妹紅と一真がくぐると、外はすっかり夜の帳が下りていた。空には満月まであとわずかというほど満ちた月が雲の隙間から輝きを放っている。
「すっかり遅くなっちまった。今日はもう帰るか」
「うん」
話しながら門まで歩く3人。
「美鈴、門を開けてちょうだい」
「あ、はーい」
咲夜が門に向かってはっきり通る声を上げると、返事がした数秒後に門が開かれた。
「あ、お帰りですか」
門の向こう側から顔を出した美鈴が愛想のよい笑顔を浮かべる。にこやかなその表情を見て、彼女を妖怪だと思う者はいるまいと考えながら一真は頭を軽く下げた。
「どうも。お世話になりました」
「いえいえ。あ、ところで・・・」
美鈴が後ろに目をやる。一真が覗き込むと、美鈴の後ろから大妖精がひょこっと顔を出した。
「あ、君はさっきの・・・」
「ど、どうも・・・あの」
大妖精はおどおどした様子で美鈴の陰から姿を現し、一真と妹紅に頭を下げた。
「さ、さっきは助けてくれてありがとう」
「ああ、いいんだよ。ケガはなかった?」
「はい。チルノちゃんももうなんともないです」
「そっか。それはよかった」
にっこりと笑顔を返す2人。
「えっと、それで・・・あの・・・こ、これ」
彼女は後ろに持っていた包みを2人に見せた。
「知り合いの夜雀が作った八目鰻の蒲焼です。良かったら・・・」
差し出された包みからは食欲をくすぐる匂いが漂っている。
「ほら、もらっとけよ」
逡巡していた一真の背中を妹紅が肘で押す。
「わかった。いただくよ」
包みを受け取ると、大妖精はうれしそうに笑った。
「それじゃ・・・あの、本当にありがとうございました!」
また頭を深く下げ、大妖精は飛び去っていった。
「話は聞きましたよ。やるじゃないですか。妖精が礼を持ってくるなんて、すごく珍しいんですよ」
「ええ、私も初めて見たわ」
にこにこしている美鈴と、小さく口元を緩める咲夜。
「それじゃあ、行きましょうか」
咲夜に促され、一真は留めておいたブルースペイダーのスタンドをたたむ。
「あ、それ磨いておきました。時間があったので」
「本当? 悪いな」
「いいんですよ」
両手を振る美鈴。自分が倒したせいで汚してしまったなどとは言えない。それを見透かしたように咲夜は彼女を半眼でにらんでいる。
「それでは、またいらっしゃってくださいね~」
その場を後にする3人に大きく手を振る美鈴。
「いい人だよな」
「うん。人当たりがいいよね」
「なあ妹紅。あの人、どう思う?」
「ていうか人じゃなくて妖怪だよ、あいつ」
「え、知ってたのか?」
「言ったろ、妖怪退治してたって。だからそういう気配はわかるんだよ」
妹紅はそう言い、歩きながら右手をポケットに手を入れて左手で火の玉を作り、それを前を歩く咲夜に先行させるように前進させる。
「あの門番、実は結構強いんじゃないか?」
「そうでなければ門番にはしないわ。抜けてるけどね」
背中に受ける言葉に咲夜は振り向かずに答え、ちょうどそこで水辺に到着した。夜の闇に加え、立ち込める霧で一寸先も見えない状態だ。
「それじゃ、向こうまで連れて行くわ」
咲夜が一真とブルースペイダーを浮かせ、3人は湖上を飛んで湖畔へ降り立った。
「じゃあ明日の夜も来るから」
「どうやって? あなた、飛ぶか泳ぐかしないと島まで入れないわよ」
「・・・迎えに来てくれないかな?」
「いいけど・・・じゃあ、ここから館まで何か合図を送る? 花火でも上げればわかるでしょうけど」
「あ、じゃあこれならどうだ?」
プーーーーーッ!
「うわ!?」
急にブルースペイダーから鳴り響いたクラクションの大音響に、妹紅と咲夜は慌てて耳をふさいだ。
「着いたらこれ鳴らすからさ」
「・・・いいわ、それを聞いたら私が迎えに来てあげる」
耳を押さえたまま、一真をにらみつけながら凄絶な笑みを浮かべて咲夜は答えた。
「いきなりでかい音鳴らすなよお前・・・」
「あはは、悪い悪い」
妹紅は咲夜と違い、抗議の意をあらわにしている。
「ああそうそう、忘れる所だったわ。預かっていたアクセサリーを返すわね」
「あ、そういえば」
ポケットから指輪やペンダントを取り出し、一真に渡す咲夜。それらを指や首につけた一真はヘルメットをかぶってブルースペイダーにまたがった。
「じゃあまた明日の夜な」
「ええ、待っているわ」
「レミリアとフランにもよろしく言っておいてくれ」
妹紅が車体に結ぶつけていた風呂敷で大妖精にもらった包みを腹に巻きつけてから一真の後ろに乗り、2人はブルースペイダーにまたがった。
「じゃあな!」
手を上げて一声、ブルースペイダーはエンジン音と共に暗い霧の中へ消えていった。
2人が去ったのを見届け、咲夜はふわりと自らの体を浮遊させた。霞の中を突っ切り、そのまま飛んで館の門の前に着地する(一真達を門の前まで運ばなかったのは面倒だったのと、自分の能力を安売りしたくなかったからだ)。
「あ、咲夜さん。今何か音がしたんですけど」
「美鈴、彼がまた明日来るわ」
「あ、そうなんですか?」
「ええ。湖に来たら今の音を鳴らすから、聞こえたら私を呼びなさい」
「わかりました」
敬礼のポーズを取る美鈴の脇をすり抜け、館の中を奥へ進み、レミリアのいる部屋へ入る。
「お嬢様、一真と妹紅は帰りました」
「ご苦労様」
ソファに座って窓に映る月を眺めるレミリアに折り目正しく頭を下げる咲夜。
「いかがでしたか?」
「なかなか楽しかったわ」
妖しく笑みを浮かべ、月を見上げたまま答える。
「お嬢様、本当によろしかったのですか?」
「フランの事?」
「はい。今日はたまたま命拾いしましたが、明日も同じようになるとは限りません」
「そうねえ、とりあえずフランに念入りに釘を刺しておくとしましょう」
「それはそれで大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。だって」
レミリアは咲夜へ顔を向け、
「『友達が遊びに来る』のよ。たいていの事は聞くでしょ」
そう言ってまた窓へ目を戻し、椅子に頬杖をつく。
「まったく、仕事ばっか増やしてあの妹ときたら」
嘆息する主を見て、咲夜はふっと微笑んだ。
「お嬢様、嬉しそうですね」
「そう?」
「はい」
寄り添うように椅子の後ろに立ち、咲夜も月を見上げた。
◇ ◆ ◇
夜の幻想郷に存在を示すように、エンジンがけたたましい音を立てて走る。月とライトが照らす夜道を疾駆するブルースペイダーの上で、妹紅は月を見上げていた。
「なあ妹紅、八目鰻って美味いのか?」
「ああ、たまに慧音が持って来てくれるんだけどいけるよ。今日はこれで一杯やろうか」
右手を一真の前へ伸ばし、人差し指と親指で杯を傾ける仕草をする。
「お、いいな! ってお前、酒飲んでいいのか?」
「忘れたのか? 私はお前より年上なんだぞ」
「あ、そうだったそうだった」
妹紅が時々方向を指示して、一真はそれに従ってブルースペイダーの進路を変える。
「妹紅、幻想郷っていい所だな」
「・・・そう?」
「うん」
即答する一真。
「・・・そうか。よかったな」
そう言って、再び月を見上げる。
今日、紅魔館で彼に何かあったようだ。多分、咲夜あたりから何か聞いたのだろう。そのあたりは酒を飲みながら聞いてみようと考えて、昼間彼が昔の自分のことを聞きたがっていた事を思い出した。
(飲みながら話してやろうかな)
あの時は急に聞かれたので戸惑ってしまったが、その事を気にしていないという事を彼に理解してもらうにはそれが一番いいだろう。慧音とならそういう話もした事があるし、どうということはない。考えてみれば、彼の事について昨日の夕食の時に聞かせてもらったのに自分が話さないのは不公平だ。知らず、妹紅は家に帰った後の事が非常に楽しみになっていた。
月下を走るバイクの上、2人の家路は穏やかだった。
◇ ◆ ◇
漆黒の闇が覆う森の中、木の根元に座り込んでいる大きな影が1つ。
「フゥー、フゥー・・・」
影――ディアーUは何時間もその場所で息を潜めていた。昼間、小さい生き物を襲おうとしていた所に現れたブレイド。水辺での戦いに持ち込んでブレイドの動きは封じることができたが、一緒にいた女に深手を負わされてしまった。女に落雷を見舞い、どうにか逃げ切る事ができたが傷は深く、未だに治りきっていない。それで森に逃げ込んで自らの体が回復するのをおとなしく待っていたのだった。
「・・・!」
と、不意に殺気。
ザンッ!
ディアーUがジャンプした直後、後ろの木が倒れた。完全に水平な切り口を作り、切断された木は幹と切り株に分離させられた。
「避けたか。そう来ないと張り合いがない」
切り倒された木の陰からウルフUの姿が現れる。木が倒れた事で月の光が森の中に差し込み、ウルフUの腕の刃がぎらついた。着地したディアーUはすでに2本の七支刀を抜き放っている。
「フゥゥゥ・・・」
小さくうなるディアーUをにらむウルフU。彼も昨日ブレイドに受けたダメージの回復を1日待っていたが、その間何もしていなかったわけではなく、意識を集中させてアンデッドの気配をずっと探っていた。そしてディアーUとイーグルU、ついでにアンデッドのようで少し違う気配が戦っているのを感じ取った。戦いが終わった後は気配は察知できなくなったが、どこにいたかは大体わかる。まずはカテゴリーの低いディアーUから倒そうと、その気配が消えた付近を探し回っていたのだ。
そして夜になってようやく目当てのものを見つけ、今に至る。
「ハァァァッ!」
向かい合っていた2体のアンデッドは同時に跳躍し、森の中の狭い空間で爪と七支刀が交差する。
七支刀の片方が弾き飛ばされ、ディアーUはバランスを崩して地面に落下した。
両足で着地したウルフUは即座に地面を蹴り、ディアーUに爪を振るう。飛び上がり、間一髪それをかわしたディアーUは木の枝に乗り、大きな角を発光させた。
雷鳴が轟き、光の筋が雲から森の中へと伸びる。雷に打たれる直前、それよりも早く、正に電光石火の動きで木の上へ飛び上がったウルフUは左腕の刃でディアーUの胸をかき切り、腹を蹴りこんで地面へ叩き落とした。
カテゴリー6とカテゴリーJでは地力に差がある。しかもウルフUのケガはほとんど治っているのに対し、ディアーUのダメージはまだ抜け切っていない。悠然と木から飛び下りたウルフUは、のろのろと立ち上がろうとするディアーUを見下ろした。
「この勝負・・・オレの勝ちだ!」
爪を突き立てんと右腕を振り上げた刹那――
2体の耳に、何かが風を切る音が聞こえた。
「――!?」
咄嗟に両腕で頭と上半身をガードした直後、2体の周囲に火花が飛んだ。見ると、地面や木に黒い爪が突き刺さっている。
意識を周りに向けると、上方に気配を感じた。見上げた先には、木が倒れて出来た葉の切れ目から月の中に影が見えた。翼を持ったその影――イーグルUは素早く森の中へ降り立ってきた。
「その勝負、私が預かった」
「何のつもりだ?」
急に現れたイーグルUに対し、ウルフUは敵意と不快感をあらわにした。戦っている気配を感じ取ってきたようだ。さらにディアーUが落雷まで使ったのだから目立って当然であろう。
と、ウルフUはイーグルUの翼が片方、破損している事に気づいた。
「フン、貴様もライダーにやられたのか?」
「いや、ライダーですらないこの世界の人間だ」
それを聞いたウルフUは笑い声を上げた。
「ハハハ! 上級アンデッドともあろう者が情けない事だな!」
「この世界を甘く見ない方がいい。貴様も足元をすくわれるぞ」
そう言われてブレイドの仲間だった妹紅とかいう女の事を思い出し、ウルフUは口をつぐんでしまった。
「それで、何をしに来た?」
「お前達に面白い話を持って来た」
「何?」
「ふふふ・・・」
怪訝そうな声を上げるウルフUと、油断なく構えているディアーUを見て、イーグルUは笑い出した。。
「ははははは・・・!」
真っ暗な森の中に不気味な笑い声が響き渡った。
◇ ◆ ◇
朝霞の中に木漏れ日が幾重にも光のカーテンを張る。山際から姿を見せた太陽は深い山の中も明るく照らし出していた。
どんなものにも、朝は平等にやって来る。幻想郷にも、外の世界にも。
鳥の鳴き声が何度も響き渡る霞の中に、朽ち果てた神社が構えていた。傾き、黒ずんだ鳥居の上に山鳥が留まり、鋭い泣き声を上げる。
と、木々の間から聞こえる小さい異音に山鳥はぴくりと反応を示した。その音は少しずつ大きくなり、音の源が近づいてきていると気づいた山鳥は鳥居から飛び去り、木立の中へ消えていった。程なくして、その場に1台のバイクが現れた。バイクの運転者は鳥居の近くで止まり、ヘルメットを脱いだ。
「・・・・・・」
ヘルメットを取った若い男は鳥居をしばらくにらみ、そしてつぶやいた。
「ここか・・・」
――――つづく
次回の「東方永醒剣」は・・・
「その乗り物、一真のに似てるわね」
「じゃ、俺、紅魔館に行って来るから」
「やはりそういう事か・・・」
「貴様の相手はオレだ!」
「変身」
「運命からは逃れられんぞ・・・」
(その願いが叶うといいな・・・)
第6話「宿命~Inevitable destiny」