プラントは12の市、各10基のコロニー群によって構成されたコロニー国家である。コロニー内では地球の環境が再現され、太陽光を取り入れる構造は昼夜さえも表現する。プラントにおいても国民は地球上と同じく昼と夜とを繰り返す。
しかし、今宵ばかりはプラント建国以来はじめての夜を迎えていた。
いくつものコロニーで火の手が上がっていた。街を燃やす炎が夜空に立ち上る黒煙を赤く染めている。半狂乱になった男が鉄パイプで商店の窓ガラスをたたき割るすぐ脇では反ナチュラルを叫ぶ人々の行列がシュプレヒ・コールをあげながら行進していた。あるいは血を流した人々が道に倒れている。
全国規模の暴動はプラントが誕生して初めての事態であり、街は混乱のるつぼにあった。
接触事故を起こしたと思われる車が道をふさぎ誰も近づくことのできない通りでは、視聴者もないまま街頭テレビのアナウンサーが深刻な表情を大きく映し出していた。
「緊急速報を続けます。現在、アプリリウス市、ディセンベル市をはじめとして五つの市で大規模な暴動が生じています。現在、詳しい状況は不明ですが、商店が襲撃されているとの情報があり非常に危険な状況と思われます」
アナウンサーがモニターに映し出されているにも関わらず画面外に退出してしまう。まもなく戻ってきたものの、その時にはプロらしくなく慌てた様子を見せていた。
「たった今、デュランダル議長が国家緊急事態を宣言しました! これより基本権は一時制限されます。市民の皆さんは落ち着いて警察の指示に従い、極力、自宅から出ないようにしてください。繰り返します。国家緊急事態が宣言されました!」
アナウンサーが滑舌を危うくするほど焦った様子を見せたことを、イザーク・ジュールは車載モニターで知っていた。
「国家緊急事態か……。これでこの国は一時的とは言え立憲主義から外れることになったな。何度目かわからんがな」
イザークは車を運転中であるためモニターを詳しく見ていることはできないが、国家緊急事態が宣言されるということは国家が必要と判断すれば国民の権利を制限できるようになったことは理解できたのだろう。
しかし、今更そんなことで慌てる必要もなかった。イザークの運転する車は道路に散乱するため速度を上げることができないでいる。ナチュラルが多く暮らしている地区を眺めるように横切ろうとしていた。そのため、ナチュラルが経営する商店が略奪されていても警官が積極的に鎮圧する様子を見せていない。拡声器で呼びかけるのがせいぜいだ。
髪の色から判断するに、警官はコーディネーターであるらしかった。
イザークは横目で混乱する街の様子を眺めると、視線を正面に戻すよりも先に後部座席に視線をやった。そこには3人の少年少女が震えて座っていた。皆、イザークの教え子だ。1人の少女は体を小さくしたまま泣き止む気配を見せない。少年にしても街の様子を見まいとしてか体を微動だにしない。よって、イザークに話しかけるだけの気力を残しているのは最後の1人、メイリン・ホークだけだった。
「教官……、どうして私たちを迎えに来てくれたんですか……? 私たちの出頭命令って、暴動鎮圧のためですよね……? それならなんで暴動が起きる前に来られたんですか……?」
「暴動が起きるとリークしてくれた奴がいたからだ。予期しない故意は起こりようがないが、意図的なアクシデントは起こすことができるものだ」
「教官は知ってたんですか!?」
「今日の昼過ぎにな」
思わず座席から身を乗り出すほどに興奮しているメイリンとは対照的にイザークはあくまでも運転を続けている。警察がイザークたちの車を止めようと立ちふさがろうとしたが、車が軍の公用車であることに気づくとあっさりと道を譲った。
道ばたでナチュラルと思われる男性が大勢に取り囲まれ蹴りつけられている光景が見えたのはそんな時だ。同じナチュラルであるメイリンにとって心穏やかでいられる状況ではないのだろう。メイリンもまた後部座席で小さくなってしまう。
イザークはただ運転を続けていた。
「コーディネーターにとってナチュラルは欠かせない存在だ。優れているとは相対的でしかない以上、コーディネーターが優れた存在でいるためには劣った何かが必要になる。そして、優れた者は劣った者を虐げることが許されるのだとすれば、他人を足蹴にすること自体が自分たちが優れた存在であることの証明だと錯覚できる」
コーディネーターが優れた人類だとして、しかし人類すべてがコーディネーターとなった場合、コーディネーターは優れた人類ではなくただの人類でしかなくなってしまう。そして、自分とは異なる誰かを虐げることで、コーディネーターは自分たちが優れた存在なのだと自覚できる。
コーディネーターは劣った存在と、それが劣っていることの証明、その双方を必要としている。
「リークしてくれた奴はこれは儀式だと言っていたな。コーディネーターが優れた存在であり続けるためのな」
「ナチュラルの人たちにひどいことしてもですか!?」
「逆だと言っているだろう。ナチュラルに対してひどいことができるからこそ、コーディネーターは自分たちが優れた存在だと自覚できる」
「こんなのあんまりです!」
「そうだな」
メイリンの言葉を聞きながらイザークが眺める外の光景は凄惨であるとともに美しくもあった。砕けたガラスが路上に散らばり水晶で飾り付けたかのように煌めいていたからだ。しかしその輝きの下ではおびただしい血が川となって排水溝へと流れ込んでいた。戦争の血生臭さを美辞麗句で覆い隠すプラントの現状と重なってさえ見える。
「アスラン。お前たちは本当にこんな世界を望んでいるのか……?」
イザークの乾いた言葉は誰に届くこともなく狂乱の中に消えていく。
プラントの各コロニーに点在するナチュラルの居住区を中心に暴動は広がりを見せていた。ナチュラルとコーディネーターの区別はあらゆる意味において曖昧だった。居住区が明確に色分けされている訳ではなく、コーディネーターが経営する店舗が襲撃を受けたとの報道が流された他、障がいを持つコーディネーターがナチュラルと勘違いされて暴行を受けたとする話も流れている。
騒動はナチュラルの居住区で収まるはずがなくプラント全体が大なり小なり影響を被りつつあった。
決してナチュラルが多いとされていない地区でさえ帰路を急ぐ者、避難しようとする者が集まり道路がひどい渋滞を起こしていた。
ディアッカは運転しながら、前の道路が目詰まりでも起こしたかのように渋滞していることに気づいた。両手が健在であればハンドルを叩いて苛立ちを示したかったところだろうが、実際、渋滞の中からはクラクションの音が鳴り止まない。みな、気が立っているのだ。
無論、それは助手席に座るフレイとて同じことだろう。
「まったく、差別に迫害、コーディネーターってこれまでの人と何が違うのよ!?」
「馬鹿言うな。プラントはエイプリルフール・クライシスで10億殺したんだぞ。シーゲル・クラインは間違いなく史上最悪の虐殺者として名前を残すさ」
「何? 残虐さをコーディネートしたってこと?」
当時のクライン政権の実行したニュートロン・ジャマーの無差別、無警告投下によって最大で10億の人命が失われたとされる。敵対関係にあった国家のみならず地球全土を標的とした史上最大の大虐殺は、しかしプラント国内ではやむを得ない犠牲として悔いるどころか国家の正当性を証明するために使われることさえある。
価値あるものはそれだけ犠牲を強いられる。とするならば、多くの犠牲を支払った以上、それは価値あるものに違いない。
論理的には必ずしも正しくはないが、思えばプラントはこの戦争が始まる前から同じことを繰り返してきたのかもしれない。エイプリルフール・クライシスの夜からただただ同じことを。
ディアッカが車を渋滞の最後尾にうまくつける。車の列はまるで動き出す気配を見せない。街の様子はところどころで火災が発生しているらしく、夜空が不気味に赤く照らされている。幸い、喧噪は遠く少なくとも暴徒がいきなり窓を割って車内の人間を引きずり出すようなことはないだろう。
ひとまずは安心と判断したのか、ディアッカはどうせ動き出すはずもない正面ではなく、後部座席でタブレットをいじっているリリーの様子を確認した。おびえているようには見えないが、逆にこのような状況で冷静すぎるようにも思えた。ディアッカ自身、議長から預かったこの子の様子が最近、どこかおかしいようにも感じていたのだろう。声をかけようと後ろをむこうとした時のことだ。
「ああ、リリー……?」
窓を誰かが叩いた。ノック程度のおとなしいもので、突然のことではあったが驚くほどのことはない。ディアッカは何の気なしに振り向きを中断するとすぐ隣の窓へとそこで初めて戸惑ったように目を見開いた。
「アスラン……」
そこに見知った顔があったからだ。軍服姿のアスラン・ザラがすぐ外に立っていた。
「奇遇だな、ディアッカ」
「ああ、ニコルたちの墓じゃ一度も会わなかったのにな。でもお前、今日は式典に出るんじゃなかったか? ああ、でもこんな暴動騒ぎじゃ中止だな。お前がここにいるのも不思議じゃないか」
窓越しであるため少々、声が聞こえにくい。それでもディアッカは窓を開けようとはしない。
「暴動で式典が中止になることをあらかじめ知っていたならな」
ザフトの騎士とまで呼ばれるエース・パイロットが式典に参加しないはずがない。では、なぜアスランはここにいるのだろうか。ディアッカは努めて平静を装っているらしかった。妙な軽口が目立ったからだ。
「お前に演技の趣味があるとは知らなかったな。お題目は『茶番劇』、あたりか?」
「ああ、だから観劇料をせしめる気でいる」
ディアッカが急バックしたのはその時だ。幸い、まだ後続車はおらず、車は道路にスリップ痕を残すほど急旋回すると路地へと滑り込んだ。
急発進したためフレイは咳き込んでいた。ベルトが胸に食い込んだのだろう。
「何なのよ、ここでアスラン・ザラって!?」
「さあな。昔話をしに来たようには見えなかったがな!」
決して広くはない道だ。制限速度を守っていられる状況ではないため危うく街灯に衝突しそうになる。しかし、アスランが何らかの目的をもってディアッカたちを追ってくるのであれば大通りにでることはできない。フレイが時折、後ろを振り向いては追っ手はないかと確認している。
運転に集中するディアッカと後ろを監視しているフレイ、その両者の間にタブレットが差し込まれた。
「ねえ、ディアッカ、これ見て!」
リリーの差し出したタブレットは、当然、ディアッカではなくフレイが受け取った。この記者見習いが表情を変えたのはすぐのことだ。
「ディアッカ! タッドさんに逮捕状が出されたって!」
「容疑は!?」
「え~と、国民に対する破壊活動を防止するための法律に基づいて……、要するに議長が捕まえる必要があるって判断したから捕まえることにしたってさ! 最高評議会議員だけじゃないみたい。他にも逮捕状が出されてるって!」
「混乱に乗じて政敵を潰すつもりか? いや、潰すために混乱を演出したのか……?」
そうでなければアスランがここにいる、いや、いられる理由がないとディアッカは考えているのだろう。父に逮捕状が出たとしても息子であるディアッカには法律上は関係がない。しかし、そんな法治主義的な考え方がこのプラントで通用するかは疑わしい。
状況が単なるディアッカの杞憂ではすまないとわかった以上、フレイは脇の鞄から拳銃を取り出した。マガジンを取り外し何か複雑そうな顔をしながら弾丸が充填されているかを確認していた。
護身用とするには少々無骨な拳銃に、ディアッカはつい意識をとられたらしい。
「銃なんて扱えるのか?」
「私が元軍人だってこと、忘れてない?」
忘れるはずもないだろう。かつてディアッカとフレイは軍艦の中、捕らえられた捕虜と懲罰房送りになった兵士という関係で出会ったのだから。そしてあの時はどちらでもない第三勢力による攻撃によって二人とも危険にさらされていた。今の状況は様々な意味で、当時の二人の関係に符号するのかもしれない。
車中であるにも関わらず響いてくる駆動音。音の正体を探ろうと見上げると、ヅダが低空で飛行していた。モビル・スーツが市街上空を飛び回っている異常な状況と言える。そのモノアイが左右に動いては路地の中の何かを探している様子は明らかだ。そして、ヅダはしばらくしてディアッカたちの車の上空で動きを止めた。
市街に侵入したモビル・スーツに見下ろされる光景を、フレイは以前にも見たことがあった。
「ヘリオポリスを思い出さない?」
「そうか? 俺はモビル・スーツに乗ってた側だったからな」
当時のディアッカは奪ったガンダムに乗り込むと、その出力を上げ街の上空へと躍り出た。見下ろす側の人間に、見下ろされる立場の人と同じ気持ちになれということは難しいことなのかもしれない。
ただ、アクセルを踏み込み乗り込んだ物の出力を上げることに関してはディアッカのしたことは同じだった。車は狭い路地の中、単眼の巨人に見ろされながら速度を上げていく。
エルスマン邸のドアが破られ、特殊部隊が流れ込んだのはちょうどその頃のことだった。ライフルを構えた重武装の隊員たちが手際よく散開し瞬く間に室内の様子を確認していく。いつ銃撃戦が始まってもおかしくない緊張感をまとう特殊部隊は、しかし一度も発砲することもなく隊長の待つダイニング・ルームにまで戻ってくる。
「誰もいません」
しかし、テレビはつけっぱなしで街の暴動の様子が流されている。テーブルの上には飲みかけの飲料が置かれ人がいた気配が濃厚であった。果てにはダイニング・ルーム隣りのキッチンではまだ調理中であった。火こそ消されているものの鍋には作りかけのスープが残されている。隊員の一人がマスクを外しスープをすくって飲もうとする。さすがに隊長が止めようとするものの、その時にはすでに一口含んでいた。
「残念。まだ味付け前のようです。ですが、まだ温かい」
つまり調理が中断されてまだ間がないことを意味している。
車庫へと向かった隊員からの連絡が届いたことで隊長は作戦の失敗を認めざるをえなかった。
「車が1台なくなっています。ただ、これは息子の方でしょうね。別の車を使ったなら追跡は難しいかと」
「直前で横やりが入ったようだな。情報漏れがあったということか……」
その車は決して目立たない道を選んではいなかった。わざと目立たないような道を走るだとか、そんな人目を意識した運転には思われない。傍目にはとても亡命者を運んでいるようには見えないことだろう。しかし、この車にはプラント最高評議会議員が乗っている。
後部座席にタッド・エルスマンを乗せ、その両脇にナタル・バジルール、ジェス・リブルの両記者が、助手席にアイリス・インディアが座っているのは運転手たっての希望だった。
車内がただならぬ緊張感に包まれている中、アイリスもまた不安げな様子を隠せていない。
「ルキーニさんて、何者なんですか?」
「ただのフリー・ジャーナリストさ。ただ、ちょっとばかりヴァーリにつてがあってね。君たちを助けるように言われてきた」
運転手、ケナフ・ルキーニは不敵な笑みを見せ、この状況を楽しんでいるあのようである。あるいは、単に自分の隣りにヴァーリが座っていることがうれしいだけかもしれないが。
「ああ、信用してくれていいよ。僕がデュランダル政権の手の者ならわざわざ突入を空振りさせる意味がないだろう?」
そう、アイリスたちはこのケナフに助けられ危ういところで逃げ出すことができたのである。しかしまだ安全とは言いがたい。街では暴動の爪痕が生々しく、すれ違う車の中にはフロントガラスが割れているものもあった。車内の人々は不安げにそんなプラントの様子を観察している。
そんな中、ケナフだけはどこか飄々としてさえ見える。
「今は、エルスマン議員が捕らえられては困る人がいるとだけ言っておこうかな。いや、アイリス君が、かな?」
そう横目で助手席のアイリスの様子を盗み見たケナフの視線は怪しげな雰囲気をまとってはいたが、この男がヴァーリを見るときはいつもこのような様子であるため今さら気にする者はいない。
そんなことよりもアイリスには気がかりなことがあった。
「ディアッカさんたちは、どうなるんですか……?」
暴動の起きる直前にディアッカはフレイ、リリーと買い出しに出かけていた。当然、連絡などとりようもない。
さすがのケナフもばつが悪そうに視線を前に向ける。運転に集中するにしては道は混んではいない。ケナフのはうまく道を選んでいるらしかった。
「僕にはどうしようもない。君たちを助けることだってぎりぎりの賭けなんだ」
ここで選択肢は二つしかなかった。全員で捕縛されるか、あるいはせめて逃げられる人を逃がすかである。今ここに不必要に感情的な者も、状況を把握できない者もいなかったただ重苦しい沈黙ばかりが車内を支配する。
アイリスはただうつむいたまま、命を宿す場所にそっと手を置いた。
街が混乱の極みにあるとしても、軍港にまで及んではいなかった。無論、暴動鎮圧名目で出撃する部隊もあるため、普段通りとは言いがたい。しかし、少々の慌ただしさを除けば街と比べるべくもない。
シンたちも同じ状況にある。ミネルヴァの通路を普段通りに歩き、しかし4人全員が早足になっていた。先頭をレイが、そのすぐ後につくヴィーノの様子から見て取れる。
「隊長、通れましたね……」
「連絡が間に合ってなかったのか? あるいはまさか軍施設に逃げ込むと考えなかったのかはわからんがな」
少なくともシンとヒメノカリスに設定された指名手配がミネルヴァにまで届いている様子はなかった。すれ違うクルーたちも街の様子が様子なので少々気が立っている程度にしか思わなかったことだろう。
レイは不自然にはならない程度に咳払いで時間を稼ぐと、うまくクルーたちが離れた頃に本題を始めた。
「シン、お前はメルクールランペでプラントを離れろ。キラを頼れば亡命も受け入れてもらえるはずだ」
もちろん、シンはすぐに決断できた様子はない。しかし足を遅くする様子もまたなく、彼らの足は格納庫へと向いている。そうである以上、シンとてすでに心は決まっているのだろう。
「覚悟を決めろ。プラントは今夜を境に大きく国の形が変わる。お前やヒメノカリスに愉快なことにはならないだろう」
シンは口元を固く結び考えを固めたらしかった。その決断の重さはかえってヴィーノの方が理解しているようにさえ見える。
「モビル・スーツを勝手に使うってことですか!? 軍法会議ものですよ……!」
少々声が大きくなってしまったことに気づき、ヴィーノは慌てて自分の口を押さえた。幸い、周囲に気取られた様子はない。モビル・スーツであれば1機であっても街一つ破壊できてしまうほどに危険な兵器だ。どのような理由があったにしろ、パイロットが独断で機体を使用することは極刑もおかしくない重罪となる。
そのことをレイが知らないはずがなかった。
「そうなるな。だから俺はこうしなければならん」
立ち止まるとともに、レイは取り出した拳銃をヴィーノへと向けた。
「た、隊長!?」
「ヴィーノ、お前は訳もわからず巻き込まれただけだ。この脱走に何の関係もない。わかったな?」
「でも……?」
「脱走兵に手を貸せばどう転ぼうとプラントには戻れなくなる。まだ母親の恋人に会っていないのだろう?」
いくら友人のためとは言え、国も家族も捨て去ることがそうそうできるはずもない。ヴィーノは伏し目がちではあったが、これは決断できないというより、シンたちの力になれないことに対する負い目に対してのことだろう。しかし友人だからと頼るにはあまりに大きな対価を支払わせることになることは紛れもない事実である。
シンは友人の肩に手を置いた。
「これまでありがとな、ヴィーノ」
「うん……」
拳銃を取り出しておいて騒ぎにならないはずがない。慌ただしく足音がシンたちの方を目指していた。ライフルを構えた警備の姿が通路の先に見えた。もはや別れを惜しんでいる時間はなかった。
レイは珍しく声を荒らげる。
「歯を食いしばれ、ヴィーノ・デュプレ!」
「へ? ぼふぉらぁ……!」
鋭い肘打ちが正確にヴィーノの顎を捉えた。声にならない声を上げて後ろへと少年が倒れると同時に、傷害犯は格納庫へと走り出した。
「走れ!」
シンもまた反応が早かった。ヒメノカリスの手を握るとレイのあとに続いて走り出す。
この瞬間から特務艦ミネルヴァの艦内は一気に緊迫する。警報が鳴り響き、警備たちの歩調を合わせた、だからこそ無機質にさえ思える足音が各所で聞こえるようになる。この騒ぎは当然、艦長であるタリア・グラディスの耳に入るまでに時間は要しなかった。
警備の1人が口の端から血をにじませているヴィーノを介抱しながら連絡をとっていた。相手であるグラディス艦長はブリッジの艦長席で聞いていた。
「艦長、反乱です! レイ・ザ・バレル隊長がヴィーノ・デュプレ曹長を殴り逃走! モビル・スーツを狙っているようです!」
「レイが!?」
信じられない、あるいはなぜこんなことを、そんなことが艦長の胸中では一瞬にして渦巻いたことだろう。しかし迷っている時間も余裕もありはしない。ブリッジのモニターにコクピットに座るレイの映像が映し出されたからだ。
「艦長、こんな日に仕事熱心で感心だが、ハッチを開けてもらおう」
「あなたはいったい何を!?」
「時間がない。ガンダムの攻撃力を知っているなら理解できるはずだ。交渉は互いにとって時間の無駄だと?」
現在、ビームを防ぐことのできる装甲は存在しない。ガンダム・タイプともなればハッチを破壊して道を造ることは容易なことだった。結局、ハッチを破壊され逃げられるか、ハッチを残存させて逃げられるか、それだけの違いでしかない。
「ハッチを開けなさい」
「しかし……!?」
ブリッジ・クルーは当然、躊躇したが、タリアの決意は変わらない。
「どちらにせよ逃げられるだけです。早く!」
もはや反対する者はいなかった。ミネルヴァのハッチが開けられ、もはや猛獣をとどめておける檻はない。
「艦長……。ありがとう」
その言葉を最後にモニターが消える。当然、通信も拒絶されており、タリアからは2機のガンダムが飛び去る様子を確認する術はなかった。
ガンダムローゼンクリスタル、ガンダムメルクールランペの両機がコロニーの外に出たのはそれからしばらくのことだった。砂時計にたとえられるプラントのコロニーは外部から眺めると何も異変が生じていないかのように見えた。静けさに不気味さを覚えるのは、単に音を伝播することのない宇宙空間にいるからばかりではないだろう。
しかしいつまでも眺めていられる余裕はない。
シンは機体を加速させる。
「ヒメノカリス、しっかり掴まってくれ」
メルクールランペは複座式ではない上、他に座席を設置している余裕などあるはずもなかった。そのため、ヒメノカリスを仕方なく膝の上にのせ、横抱きの姿勢でシンに抱きついてもらっている。ヒメノカリスが指示通りに首に絡める腕に力を込め体を寄せるとシンはその体温に思わず顔を赤らめるが、そんなことを考えていられる状況ではないことは理解しているのだろう。すぐに気を持ち直し操縦へと意識を集中させる。先行するローゼンクリスタルへと針路を合わせた。
「シン、お前はこのまま月に向かえ。その機体なら楽に飛べる」
「でも隊長は?」
「俺のことは気にするな。プラントがこのまま易々と制宙圏を割らせるとは思えん。すぐに追っ手が差し向けられるはずだ。時間くらい稼いでやる」
友軍と交戦すればもはや言い逃れはできない。レイはシンの隊長ではあるが、反対に言えばその関係では脱走を止めこそすれ幇助する理由にはならないことだろう。友人だからと甘えるにしても度を超していると言える。
「隊長、その……、本当にいいんですか……?」
「本音を言えば俺も悩んでいる。ここまでしてやらなければならないのかとな。だが、どのような選択をしようにも後悔しそうなのでな。なら、お前を助けられる方を選ぶことにする。それに、上には伝がある。うまくやるさ」
本当に上層部とパイプがあるのか、シンには判断できない面もあったことだろう。しかし、それがシンに不必要な心配をさせまいとする気遣いだとは気づくことができたらしい。レイの言い分をそのまま信じたようにこれ以上、追求しようとはしなかった。
しかし、ヒメノカリスは違っていた。シンに断ることもなくローゼンクリスタルと勝手に通信を繋いでしまう。
「レイ、あなたはドミナント。私たちヴァーリとは違う。シーゲル・クラインの、クライン家の理想につきあう義理も義務もない。どうしてプラントに戻ってきたの?」
「昔なじみの顔を見たくなった。それだけだ」
ヴァーリとドミナント、それで何か通じるものがあったのか、ヒメノカリスはそれで満足したように通信を切った。
レイの予想は正しかった。2機のガンダムの針路に割り込む軌道で、すでにザフトは軍勢を差し向けていた。合計10機からなる1個中隊相当戦力である。スクランブルにしてはそのすべてがガンダム・タイプであり充実した戦力であると言えた。
インパルスガンダムで統一された小隊機が周囲に配置され、隊長機の様子をうかがうことはできない。しかしガンダムを率いる者がガンダムでないはずもない。事実、隊長はイザーク・ジュールであり、かつてヤキン・ドゥ-エの激戦を戦い抜いた勇士の機体はゲルテンリッターの4号機である。
「お前たちにとって初めての実戦になるが、気負う必要はない。訓練を思い出せ。その通りに動くことができれば誰一人欠けることなく格納庫に機体を並べることができる。だが、しくじれば次はないことだけは忘れるな」
コクピットの全天周囲モニターには9人分の顔が映し出されている。誰も一様に若く、ヘルメットの奥には緊張した顔が並んでいる。全員、訓練課程を修了したばかりの新兵揃いであり、イザークの教え子である。
「作戦目標は脱走兵の追跡だ。街があの有様で他に回されることに不満を覚える者もいるだろうが、相手はガンダム・タイプ、それもインパルスのような数打ちではない特機だ。任務の重要度に遜色ない。気を引き締めていけ」
もっとも、隊長として檄を飛ばす必要もないかもしれない。それも無理のないことだろう。初陣、しかも相手がガンダムときては緊張するなという方が無理だろう。身構えて当然。イザークは気休めを言うような性格でもなければ、現実を見つめることのできる胆力の持ち主でもあった。
「俺はこれまで戦いは数だと言い続けてきた。数的優位の維持に努めろとな。だが、それは単なる常識にすぎない。これまでは通用してきた理論が一つの矛盾する事実に瓦解させられることなどこれまでに何度もあったことだ。それがガンダムだ。戦場の定石を覆し瞬く間に戦場の主役へと躍り出た。ただの2機と思うな。数的優位など単なる目安にすぎんのだからな」
はて、この言葉に部下である教え子たちはどう感じただろうか。敵の恐ろしさに体を震わせる羽目になるかもしれない。それとも自分たちを怯えさせる戦場を前にしても冷静さを損なわない部隊長に頼もしさを覚えただろうか。あるいは、パイロットの心境など何の価値もないのかもしれない。
「俺の前に出ることは許さん。わかったな!?」
了解。そう、部下たちの返事が届く。そのことに満足げに頷くイザークのすぐ横に、蒼い衣装を身につけた妖精、蒼星石が寄り添っていた。その赤い瞳が主の戦意に応えるように前へと向けられるとゲルテンリッター4号機は放たれた弾丸のように飛び出した。
蒼星石の体、その名はガンダムラピスラツーリシュテルン。青と白を基調としたガンダムらしい姿をしたガンダムであるが、その装甲はどこか鋭角であり禍々しいといえるほどの力強さを感じさせる。その背に折りたたまれた大剣とビーム砲が対となって背負われていることからもこの機体が生半可な力を期待されているのではないことが明白と言えた。大型のスラスター・カバーが起き上がる形で展開すると、それは赤い翼の形となってまばゆい輝きとともに莫大な推進力を生み出す。
インパルスガンダムたちを軽々と置き去りにしながら獲物へと迫るその姿は強靱な膂力でもって飛び出した悪鬼が牙を剥き出しにしたかのような迫力を有していた。
すでに白いガンダム、ローゼンクリスタルをその間合いに捉えていた。
しかし、イザークはその眼差しを曇らせた。
「久方ぶりの任務が同属狩りとは……、つくづく因果だな」
だがそれも一瞬のこと。ラピスラツーリシュテルンは右の肩越しに大剣を引き抜くとともに叩きつけた。大剣が展開しビームが発振することと、ローゼンクリスタルがシールドでこの一撃を受け止めることは同時だった。シールドはその表面から光が噴き出すと一瞬にして両断される。レイがわずかでも機体を逃すのが遅れていたなら盾と運命をともにしていたことだろう。
「ゲルテンリッター! イザーク・ジュールか!?」
ローゼンクリスタルが右手のビーム・ライフルで牽制するも、連射されるビームはそれこそわずかな時間稼ぎにしかならない。ラピスラツーリシュテルンはビームの間を軽々とすり抜けすぐにでも体勢を立て直し再び襲いかかる気配を見せていた。
シンが思わず機体の加速を止めようとするも、レイが即座に否定した。
「レイ隊長!」
「来るな! お前は手はず通り月に向かえ! 女を抱いたまま戦える相手ではない!」
戦場で躊躇を示すほどシンは未熟ではない。メルクールランペを加速させ、それを見届けたレイはすぐにラピスラツーリシュテルンへと意識を戻す。
再度、繰り出される斬撃がローゼンクリスタルのビーム・ライフルを切断する。レイは爆発寸前のライフルを投げ捨てるとともにビーム・サーベルを抜く。左右一対、2本のビーム・サーベルがラピスラツーリシュテルンの大剣を受け止めるも重い一撃はガードを弾こうと勢いを増すばかりだ。
思わず飛び上がりラピスラツーリシュテルンの間合いから離れようとするレイ。だが、離れただけで逃れられるほどガンダムは甘い存在ではなかった。
ラピスラツーリシュテルンは、イザークは左の脇を通して背中に畳まれていたビーム砲を展開する。
「なるべく殺すなと言われていたが、手心を加えられる相手ではないようだな」
モビル・スーツの全長にも匹敵するビーム砲から放たれたビームはローゼンクリスタルに命中することはなかったが、それでも直撃すれば十分な破壊力を発揮することを示して飛び去った。直撃すればモビル・スーツなどひとたまりもないことだろう。
そして、ビーム砲を瞬時に畳む頃には再びその大剣をローゼンクリスタルへと振り下ろしていた。
接近戦では大剣、遠距離戦では大砲。それは裏を返せば接近戦では大砲が邪魔に、遠距離では大剣がそのままデッド・ウェイトになることを意味する。一見するならどの距離においても無駄を残すコンセプトがあやふやな機体とも言ってしまえる。
だが、攻撃力という観点はあまりに統一されている。
レイは自然と表情を固くしていた。
「一息つける距離というものがないな……。どのような距離においても最大限の火力とはな、ゼフィランサスらしい設計だな」
一般兵が使用することを前提とする量産機ならともかく、エースが搭乗する特機ならではの設計思想と言える。接近しようと距離をあけようと意味はない。対峙するだけで最上位の死にさらされることとなる。
ローゼンクリスタルが距離を詰めれば大剣を振るわれ、離れればビームが機体をかすめていく。どのような戦い方をしようにもラピスラツーリシュテルンのペースで戦いは進んでいた。
だが、それでよい。レイの目的はイザークに勝つことではなくシンとヒメノカリスを逃がすことなのだから。そのことはこの場の誰もが気づいていた。イザークの部下として作戦に参加していたメイリン・ホークも例外ではない。
「隊長、黒いガンダムが逃げます! 追わないと!」
部下から言われるまでもなく、イザークもモニター上に遠ざかる光の翼に気づいている。
「蒼星石、黒い初号機には追いつけそうか?」
「追いつけます。どこかでお昼寝でもしてくれればの話ですけど」
つまり追いつけないということだ。
「インパルス各機、黒い方は無視しろ。白いガンダムを叩く」
「でも……、きゃっ……!」
反論しようとしたメイリンの言葉は短い悲鳴にかき消された。搭乗しているインパルスのすぐそばでビームが炸裂したからだ。ローゼンクリスタルのデータはすでに共有されている。よって、正体不明の攻撃ということはないはずだが、インパルスガンダムたちは目に見えて浮き足立つ。
「た……、隊長! 今のがあの攻撃なんですか!?」
「そうだ。ミノフスキー粒子の濃度から目を離すな。高濃度帯に突っ込めば次の瞬間には黒焦げになる。注意がそれればそれで終わりだ」
これでは新兵たちはガンダムメルクールランペを追うどころではない。目の前の敵であるローゼンクリスタルどころか計器にしか目がいっていないのではないだろうか。各インパルスの間合いの取り方が雑になっている。しんがりをかって出たローゼンクリスタルの思い通りの展開と言える。
ローゼンクリスタルとラピスラツーリシュテルンの戦いは、一見するならラピスラツーリシュテルン優位で進んでいるようであるが、完全な膠着状態にあると言えた。どれほど攻撃を繰り出していても当てることができないならその攻撃力は意味を持たない。そして、ローゼンクリスタルは攻撃を当てる必要がそもそもない。
進展のないまま時間だけが消費されていく有様を苦々しく眺める者がいた。イザークたちの母艦、そのブリッジに白衣姿の少女がいた。インパルスガンダム、そしてローゼンクリスタルの開発者であるサイサリス・パパである。
「まだ終わらないの? インパルスたちは何やってるの?」
軍服姿のクルーたちの中でサイサリスは浮いた存在と言えた。比較的若年層の兵士が多いとされるザフトであってもサイサリスはまだ若い部類に入る他、テレビドラマの展開に文句をつけているような軽さでクルーの絡んでいるからかもしれない。管制を担当するクルーの椅子の背に手をついてレーダー画面をのぞき込む様からそう見て取れる。
クルーもどこかやりにくそうに見える。
「彼らは新兵でして……」
「これだから人間手使い物にならないんだよ。よし、アリス使っちゃお。作戦目標はローゼンクリスタルの無力化、だけでいっか。発動して」
「しかし、ジュール隊長はアリスは使用するなと……」
「どうしてイザーク・ジュールがアリスのこと知ってるの!? ……まあ、どうでもいいか。あいつに監督権限なんてない。いいからやって」
これ以上、意見することはできないのだろう。クルーは覚悟を決めたのだろう。その声から迷いは消えていた。
「ローゼンクリスタルの無力化を目標、アリス発動、いきます!」
アリス発動に伴い、この戦場すべてのインパルスガンダムは連結される。一つの作戦目標のもと、すべてのパイロットの意識下にそのために必要な手段を投影、虚ろな目となったパイロットたちはそれこそ機械のような正確さで操縦を開始する。
イザークでなくてもその発動は明らかであろう。
「動きが変わった……。アリスを使ったのか!?」
敵との間合いの取り方、味方との連携さえままならなかった新兵たちが突如として完璧な連携をとりはじめたからだ。
インパルスの放ったビームをローゼンクリスタルが回避する。そのタイミングで、かわした方向へと別のインパルスがビームを放っていた。かわされこそしたものの、味方機の攻撃のタイミングを正確に把握していなければできない攻撃だ。
新兵の乗った数打ちがローゼンクリスタルを追い立てている。しかし、その動きは驚くほど味気ない。教官を務めていたイザークでさえどの機体に誰が乗っているのか区別できないのではないだろうか。特徴がなく、誰もが同じようにしか動かないからだ。
「何を考えている!? 使用するなと言ったはずだぞ。聞いているのか!?」
イザークが怒鳴ろうと返事はない。
「蒼星石、どうなってる?」
「母艦が通信を拒否してます」
はなっからイザークの意見など相手にするつもりはないということなのだろう。
「ふざけた真似を!」
イザークにできることはなかった。ラピスラツーリシュテルンにアリスの発動に関する権限はない。母艦は説得に応じるどころか耳を貸す気配さえない。ただ成り行きを見守るほかない。
アリスという一つの意志に統一されたインパルスたちは完璧なタイミングでビームを斉射し、あるいは完璧にタイミングをずらしてビーム・サーベルで波状攻撃を仕掛ける。それは完成された戦い方ではあったが、それでガンダムを倒すことはできない。反応速度、回避性能を一般機に搭乗した一般兵を基準に設定しているのだろう。一般的な兵士であれば撃墜できるはずの攻撃ではあったが、それはローゼンクリスタルの力を過小評価しているにすぎない。
ビームはむなしく空を切り、それでもインパルスたちはまるでタイミングを変えようとしない。1発目が回避され、2発目が回避され、攻撃のタイミングが予測から徐々にずれていこうと3発目、4発目の攻撃はそれこそ毎回変わらず等間隔で繰り出された。無論、これでローゼンクリスタルを捉えることはできない。
レイはどこかしか余裕さえ見せていた。
「機械相手がこうも味気ないとはな。サイサリス、これがお前の自慢のおもちゃか?」
誰もがアリスによって完璧に歩調を合わせてくる。それはつまり、どの機体であってもまったく同じように斬りかかってくるということだ。9機のインパルスを相手にしているというより、1機のインパルスと9連続で戦っているかのようでさえある。
ローゼンクリスタルがインパルスのサーベルを受け止めると、ビーム・サーベルが脇腹に突き刺さっていた。そのサーベルはローゼンクリスタルへと斬りつけたインパルス、その腹を突き破って生えていた。別のインパルスが仲間ごとロ-ゼンクリスタルを突き刺したのだ。
ビームの熱量に耐えられずインパルスが爆発する。ローゼンクリスタルはその衝撃に飛ばされるままはじき飛ばされ、その隙を逃さなかったインパルスたちの放つビームによって手足を破壊された。
脇腹に突き刺さったビームの熱はコクピットにも入り込みうだるような暑さを演出していた。レイは顔半分に軽度の火傷を負いながらその目はまだインパルスの群れをにらみ続けている。しかし、傷は浅くはないのだろう。体を動かすことができておらず、ローゼンクリスタルもまた大破している。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
敵戦力の壊滅を確認。対し損害はわずか1機。特機であるガンダム・タイプを相手にしたにしては大戦果と言えるだろう。
事実、サイサリスはインパルスガンダムとアリスの力に満足げに笑っていた。
ではなぜだろうか。作戦の指揮をとったイザークは露骨に不快感を隠そうとしていない。
味方ごとローゼンクリスタルを貫いたインパルスにはメイリン・ホークが搭乗していた。新兵が初陣でガンダム・タイプを撃墜した。大金星を成し遂げた喜びは、なぜかその顔には見られない。爆発したインパルスガンダムの残骸を今にも泣き出しそうに見つめているだけである。
量産機にすぎないインパルスガンダム1機の損害で特機を撃墜できたとすれば大戦果であることは誰もが理解しているはずなのだが。
一つの戦いが終わりを迎え、やがて騒乱も鎮まりを取り戻していく。
街に突き立てられた煙の柱。幾本もの火災の残り香が夜の闇に吸い込まれていく。プラントの複数のコロニーで同時多発的に発生した暴動はその多くが終息の気配を見せていた。誰ともなくやめようとしたからだろうか、それとも破壊できるものはあらかた破壊しつくしたからだろうか。
燃えるビルがあった。目の前の道路にはビームが着弾した痕跡があり、その熱が飛び火したのだろう。隣接する建物の中にも火災が生じているものがある。このような破壊の跡は道にそって続き、その終着点ではヅダが横転した車を見下ろしていた。
窓が砕け縦穴となったドアからフレイがまず這い出てきた。額をこすったようなあとは見られるが、けがらしいけがはしていないようだ。
「ディアッカ、生きて……る?」
そう、車内からディアッカを引きずり出そうとする。こちらは体を打ち付けたのか、全身にけだるさと痛みを感じているのだろう。動きは鈍いものの、フレイに助けられ何とか車に腰掛けることができた。
「なんとかな……。リリーも、無事みたいだな……」
ディアッカがリリーの小さな姿を探すと、その人影はすでに車外に出ていた。ディアッカたちのすぐそこに腰掛けていた。まだ子どもでしかないリリーが怖がる様子を見せないことに、2人とも違和感を覚えなかったのも仕方のないことかしれない。ヅダに見下ろされた状況ではそれほどの余裕が持てないことも無理はない。
戦場と何も変わらないプラントの街をザフトの公用車が乗り付けたのはその時のことだ。中からは今日、面倒な試験がある、その程度の顔をしたアスランが姿を見せた。街の惨状などかまう様子を見せない。砕けたコンクリートの破片をこともなげに蹴り飛ばし、横倒しの車と目線の高さを合わせられる瓦礫に上った。
「ディアッカ、悪あがきはここまでのようだな」
「モビル・スーツで爆撃までしてかよ。俺はいつからそんなV.I.Pになったんだ? ニコルに自慢できそうだな」
ここでディアッカはわずかに目を細めた。あえて戦死した戦友であり、アスランの親友であったニコル・アマルフィの名前を出したのはこのためだろう。ニコルは人を慈しむことのできる優しい少年であった。もしもこの街の様子を見たなら悲しむほどに。
アスランは周囲の様子をうかがう姿勢こそ見せたものの、その乾いた眼差しは変わることはなかった。
「面倒はごめんだからな。それに、目的はお前じゃない。俺は議長から頼まれただけだ。リリーを連れてこいとな」
「リリーを? 預けといて今さらなんなんだ?」
「お前がどう思ってるかなんて問題じゃない。あまり俺に手間をかけさせるようなら……」
アスランが慣れた手つきで銃を取り出そうとする。だが、銃を構えた音はディアッカたちの後ろから聞こえた。リリーがいるはずの場所からだ。
思わず振り向いたフレイが目撃したのは、そのまだ幼い手にフレイの銃を持ったリリー本人の姿だった。
「ちょっと、リリー……!?」
「動かないで、ディアッカもアイリスも!」
そうは言っても何もしないではすまされない。フレイがわずかにリリーに手を伸ばそうとしたのを察したのだろう。リリーはさらに強い調子で言葉を重ねた。
「動かないで!」
どうしてリリーが、そんな混乱も手伝っているのだろう。ディアッカもフレイも動くことができないでいる。そんな2人を前に、アスランは銃を抜く必要性を感じなくなったのだろう。上着に入れた手を徒手空拳のまま抜くと鼻から軽く息を吹いた。
プラントの夜はまだ続く。しかし、在内ナチュラルへの憎悪に端を発した一連の暴動は混乱しつつもすでに沈静化の兆しを見せ始めていた。
コーディネーターはナチュラルよりも優れている。優れた人間は優遇されるのが当然であり、その裏返しとして劣った人間を虐げることも当然のこととして是認されることになる。
しかし、そんな優れた人々による国家であるプラントがナチュラルの国家に滅亡寸前にまで追い詰められたのはなぜか。
誰かが呟いた。
プラント国内にもナチュラルはいる。彼らは戦力として劣るばかりか、本土決戦ともなれば潜在的ゲリラとして脅威になる。前回の大戦であれほどの損害を被ったのはナチュラルが足を引っ張ったからだ。また同じようなことがあれば在内ナチュラルは地球に味方し牙をむく。
排除しなければならない。そして、排除することは許される。コーディネーターは優れている。ナチュラルは劣っている。優秀な存在は、劣等な存在を虐げることが許されているのだから。