人類が初めて月に足を踏み入れてから、すでに200年以上の時が流れた。その時からすれば想像もできなかったことだろう。月の上空に多数の戦艦が浮かび、戦いに備える光景など。当時の技術では数人を送り出すことがやっとであったのだから。それとも、月にまで行ってもまさか戦争をしているとは考えてもいなかったかもしれない。
人はどこまでいっても人なのかもしれない。
かつて月を訪れた人々も、今、戦艦に乗っている人々も、やはり人だった。
ガーティ・ルーはレクイエムの発射口のほぼ上空にある。この艦には艦長席のすぐ隣にオブザーバー席が用意されていた。艦長であるイアン・リーは、普段であれば白いドレスのヒメノカリスを隣に眺めてるいるはずであったが、今は白衣の少女が座っていた。しかし、顔は同じである。
「ヴァーリについては小耳に挟んでいましたが、確かによく似ておられる。ヒメノカリス殿が白薔薇なら、ニーレンベルギア殿からは百合が思い起こされる」
「お上手ですね」
そばに座る副艦長は呆れたように溜息をついた。
「リー艦長、そんなこと言ってるからアウル君に色目使ったって言われるんですよ」
渋い顔をするリー艦長であったが、ニーレンベルギアは柔らかく微笑むだけですぐに自分の仕事へと戻った。オブザーバー席に備えられた通信機でステラと連絡を取る。
「ステラ、これで最後だけど体調は大丈夫かしら」
「うん、大丈夫。やれるよ……」
ユグドラシルはすでに射出の最終段階に入っていた。後はステラが屈折コロニーの角度を調整し、光の柱はザフト軍最後の要塞を破壊することとなる。ニーレンベルギアがここにいるのは最後の仕事を終えたステラに不測の事態が起きた際、すぐに対処ができるようにするためである。
ステラ、アウルには特別な力があり、それを引き出したのはニーレンベルギアである、そう、リー艦長は耳にしていたが、反対に言えばどこまでしか聞かされてはいなかった。
「ニーレンベルギア殿にお尋ねしたい。興味本位で申し訳ないのですが、ハンター代表はなぜコロニーの制御に人を用いるのですか? コンピュータ制御も可能に思われますが」
「理由はいくつかあります。一つは保険です。地球の主要都市さえ狙ってしまえる兵器です。ザフトの手に渡った時のことを考えると限られた人にしか制御できないようにすることも必要です」
ニーレンベルギアは指でかくかくと曲がった軌道を描いてみせる。
「なるほど。制御には特殊な才能が必要なことは理解できました。しかし、ザフトにも同様の素質の持ち主がいるのではありませんか?」
「いるとは思います。でも、その割合は地球の人よりもはるかに少ないと思いますよ。コーディネーターはこれまでに有用性が確認された遺伝子の発現を促す形で遺伝子調整を行います。それはつまり既知の素質の持ち主は多くいても、未知の素質については意図的に削除されることになります」
「コーディネーターとは有効だが枯れた素質の持ち主の集まり、ということですか?」
「出るかどうかもわからない穴を掘るよりも枯れかけた金脈の方が確実ですから」
ザフトがユグドラシルを使用するためには、コーディネーターが偽物の銀だと投げ捨てた白金を拾い集めなければならない。コーディネーターを人類の亜種にすぎないと標榜するブルー・コスモスのはった予防線としてはしゃれが利いたものとなっていた。しかし、ニーレンベルギアはこうも続けた。
「それに、エインセルさんは人が好きなのです」
戦いの準備はザフト軍においても進められていた。アスラン・ザラの母艦であるパラスアテネは決戦の地へと月面を進み、その格納庫では出撃を控えたモビル・スーツに大勢の整備員が取り付いていた。
アスランはそんな喧噪からすでに離れ、コクピットの中で最後の調整を行っていた。もっとも、多くは翠星石が行ってくれる。緑のドレス姿の妖精がコクピット内を飛び回っていることを構わず、アスランはラクスと通信を繋いでいた。
「ラクス、君にならわかるかい? エインセル・ハンターはなぜゲルテンリッターをシン・アスカに託したか? シンはエインセル・ハンターと会ったのは今回が初めてだろう。オーブ出身で縁もゆかりもない」
モニターの中には桃色の髪をしたラクスがいつもの様子で映し出されていた。アスランはラクスの反応を待たず自分の言いたいことを言い終えることにした。
「もっとも、2人に何か関係があったとしてもエインセル・ハンターがそれだけを理由にガンダムを譲渡するとも思えないが」
ラクスの返事がやや遅れたのは、単にアスランが言い終えたことを確認するための間でしかなかったのだろう。このような難題にも、ラクスはよどみなく話し始めた。
「エインセル・ハンターとシン・アスカ。2人は驚くほど似ています」
「そんなに似てるだろうか? 髪の色も瞳の色も違うと思うが……」
「姿ではありません。エインセル・ハンターは父に、シン・アスカは母に、優れた子として生まれてくることを望まれました。彼らは同じなのです。もちろん、理由はこれ一つではないのでしょう。シン・アスカはエインセル・ハンターと同じ旅路を歩んだ者であり、しかしザフトです。シン・アスカはエインセル・ハンターに母を奪われましたけれど、彼がここにいるのはそのことばかりが理由ではないでしょう。何より、シン・アスカとエインセル・ハンターは驚くほど似ていないのかもしれません」
「君は政治家向きだな、ラクス。何も話を進めていないのに何かが語られたように感じられるよ」
アスランの軽い皮肉にもラクスは笑ってすませた。同時に、アスラン自身理解していた。ラクスは何かを察しているが、それを何らかの理由から話さないために意図的にぼかした話をしているだけなのだと。
当然、こんなことだけで話を理解できるはずもなく、アスランはふと一つの言葉に吸い寄せられた自分に気付いた。
「母か……」
シン・アスカは母親を亡くした。しかし、それはアスランも同じことだった。プラントの刻印にとって忘れられるはずのない日付、C.E.61年、2月14日に母を失っている。
「ラクス。俺は、キラやレイとは決定的に違うことがある。アスラン・ザラであり、だから母親がいるということだ」
「ですがレノア様はあなたがアスラン・ザラに正式に選出される前にお亡くなりになっています」
「わかっている。だが思い出して欲しい。エインセル・ハンターは俺にとっても母の仇なんだってことを。あの日、ユニウス・セブンでエインセル・ハンターの凶弾から俺たちをかばってレノアさんは死んだ」
当時からエインセル・ハンターは冷たい眼差しの持ち主だった。白いスーツを身につけ、紳士然としたたたずまいながら異常に気付いたアスランを撃とうとして、それを防ごうとしたレノア・ザラが身代わりになった。
あの時、まだほんの子どもに過ぎなかったアスランはラクスを守る、ただそれだけで手一杯であった。
「ラクス。俺は命を賭けるに値しない愛情はあっても、命がけの愛着は存在しないと思う。あれはとっさのことだった。レノアさんが少しでも考えたりためらったりしたなら俺は生きていないだろう。あの人は命を賭けて俺のことを愛していたのだと示してくれた」
アスランが思わず自分の頬に手を当てる仕草を見せたのは、あの日、母の流した血を頬に浴びたことと無関係ではないのだろう。
「あの人は、間違いなく俺の母だった」
子のために命を賭ける母親はいても、作品のために命を捨てる科学者はいないだろうから。
「アスラン……」
「心配しなくていい。復讐に囚われるつもりもない。エインセル・ハンターはここを決戦の地と定めたらしい。そうならファントム・ペインも戦列に加わることだろう。そちらの警戒も疎かにできないしな」
見ると、すでに翠星石はアスランの肩に腰掛け、作戦開始時間も近づいていた。
「ラクス、俺はキラと違って気の利いたことは言ってやれないのが、この作戦が終われば久しぶりに本国に帰ることができる。その時は食事にでも行こう。落ち着いた雰囲気の店で、きっと君も気に入ると思う」
「はい。その時はエスコートしてくださいましね」
作戦開始時刻を迎えるまでの間、パイロットにとってもっとも厳しい時間であるのかもしれない。作戦中であれば戦いに集中することもできる。しかし、それまではできることがない。まさか単機で飛び出していくこともできず、ただ重苦しい緊張に身が蝕まれるに任せているしかない。
それはミネルヴァにおいても変わらなかった。すでに整備を終え、パイロット3名はそれぞれの機体のコクピットに着席していた。後は作戦開始時刻にミネルヴァが所定の位置でハッチを展開、出撃することになる。
それまでは何もすることがない。シンはガンダムメルクールランペがまだ馴染んだとは言えないコクピットの中でシートに深く体を預けていた。
全天周囲モニターにヴィーノの顔が映し出されると、その顔はヘルメット越しにもわかりやすく緊張していた。唇が不自然に歪んでいたからだ。
「いよいよだな……。なあ、シン。俺たち、勝てると思うか?」
「いや、いっそのこと撃たせるのもありかもな。プラントが滅べば地球との諍いもひとまとめに清算できるし、かえって手っ取り早いかもしれないだろ」
「もう勘弁してくれよ……」
ヴィーノは頭を抱えてしまう。この少年はわかりやすい。シンの中でもこの戦友との褒められない出会いについてうまく消化できているのだろう。決戦を前にした緊張をほぐすにはほどよいイベントとしていた。
「ヴィーノって家族は誰がいるんだ?」
「母さんが1人。ああ、でも単に離婚したってだけだからな。時々、父さんとも会ってるし」
「へえ~」
単なる興味本位であったのだろうが、ヴィーノの思わぬ話にシンは体を固くする羽目となった。
「それがさ、前のメッセージにさ、実は恋人がいてもしかすると結婚するかもしれないってあったんだけど……。なあ、シン。俺どうしたらいいと思う? 母さんには幸せになってもらいたいけど、父さんともまだ会ってるしさ……」
「いや、俺に聞かれても……」
母の再婚どころか、シンには父親だった男性さえいない。母が男性嫌いであったこともあって想像もしていない世界の話でしかなかった。
ヴィーノはさらに追い打ちをかけた。
「今度プラントに戻ったら会って欲しいって言われてるんだけど……」
もはや剣と魔法の国の方がまだ想像できるのではないだろうか。それほど、シンには縁遠い話題だと言えた。どうしてよいものかわからず、あ~だとかう~だとか意味のない声を絞り出すしかできていない。
助け船は、やはり隊長であるレイから差し出された。
「ヴィーノ、あまり気負わぬことだ。プラントの家族法では連れ子と再婚相手との間には当然には法的な親子関係は発生しない。それを除いてもお前の母親の再婚相手がすなわち父親ではないだろう」
「それって、どういうことです……?」
「親の離婚でも変わらなかったお前と父の関係が、再婚でただちに変わる訳ではないだろう。親子関係だからと言って気負う必要はない。突き詰めれば人と人の関係だ。あまり母の再婚相手だとか考える必要はない。結局、お前がその人に何をして、その人がお前に何をしてくれたかで関係を判断すればいい」
「つまり人間関係で当たり前のことしろってことですか?」
「そういうことだな。だが、案外、しんどいのは相手の方かもしれんぞ。意中の女性と所帯を持てるかどうかは連れ子であるお前に気に入られるかどうかにかかっているのだからな」
「うわぁ、俺ならごめんですね、そんな状況……」
このことがヴィーノにもよい気分転換になったのだろう。肩の荷が下りたように、いつものヴィーノの顔をするようになっていた。
シンにしてもこのことは新たな刺激となったようだった。あまり交友関係に積極的でないシンにとって自分の家庭以外の家族というものを知らなかったのだから。
「一言に親子関係と言ってもいろいろですね」
何の気なしに口にしたシンであったが、対してれいは神妙な面持ちを作る。
「まだ悩んでるようだな」
母との関係に悩んでいるのはヴィーノばかりではない。シンは視線を重たくする。エインセル・ハンターとの出会いを思い出しているのだろう。
「エインセル・ハンターに言われたんです。俺のしていることは、単に母さんに捨てられたくなくて努力をしてただけなのに母さんがいなくなっても続けてるだけなんだって。俺は、母さんの弔いをしてないってことなんでしょうか……?」
「俺はそうは思わん」
シンは思わずモニターに映るレイの顔を見た。
「レイ隊長?」
「昔、死んだ子どもを生き返らせる方法を求めて方々をさまよった母親がいた。しかし、そんなものが見つかるはずもない。母親はただ無為に探し回っていた。そんな時、ある高僧が母親にその方法があると言った」
「あるんですか!?」
「話の腰を折るな。続きがある。そのためには一つ必要なものがあった。それは一度も死者を出したことのない家のかまどの灰だ。母親はあらゆる家を尋ねて回った。しかし、返ってくる答えはいつも同じだ。どの家もだれかを亡くしていた」
それは当然のことだと言えた。人はいずれ死ぬ。これまでに生まれてきた人々はすべて死に、またはこれから死んでいくのだから。
「母親は気付いた。誰もが誰かを亡くしているのだと。そして、死別の悲しみを秘めてきているのだと」
「じゃあ、僧侶の人はそのことを気付いて欲しくて?」
「あるいは、母親にしてもらいたかったのだろう。今は亡き子のためにかけずり回るということを。葬儀は死者のためではなく、これからも生きていかなければならない人のために行われるものだ。子のために身を粉にした母親の中には思いが宿ったことだろう。子のためにできることをすべてしたという自負が」
死んでしまった子は帰っては来ない。だとしても、母親は前を向いて歩き出すことができるようになったのではないだろうか。それは子を忘れたのでもなければ死の悲しみから目をそらしたのでもない。ただ、死を受け入れ、死んでしまった子のためにできる限りのことをしたという自信があるからできることだ。
「シン、葬儀とは花を捧げることとは限らない。今は亡き母のために何ができるか、何をすべきか、そう悩み抜くこと、それもお前なりの弔いなのではないか? 後は、その思いを貫くだけだ」
「それって……」
「ヴィーノとお前の置かれた状況は究極的には同じことと言える。人と人の関係はどのような間柄かではなく、どのように思っているかが肝要だ。母と子だからと親子愛があるとは限らないが、血縁関係がなくとも親子になることは可能だ。思えば、お前は自分がコーディネーターとして生まれたことにこだわりすぎているのかもしれんな。遺伝子調整された生まれてきた子どもとその母親なんて色眼鏡を捨ててみろ。母がお前に何をしたのか、何をしてくれてのか。単にそれだけで母のことを見つめ直してみることだ。答えは、案外と簡単かもしれんぞ」
これまでシンが母のことを話題にすると、それは決まって心を乱す結果となった。それはシンを焦らせるでしかなかったからだ。
心のどこかで母のことを疑っていた。優れた子どもであればシンでなくてもいいのではないか、と。しかし、それを確かめることはもうできない。
母のためにできることはもう何もないと考えていた。母はすでに死んでいるからだ。しかし、レイの言葉は、シンに母のために何かできることがあるのではないか、そんな希望を抱かせるには十分だった。
不思議な話だ。これから激戦の中に放り出されることになるにも関わらずシンの表情は穏やかにさえ思われた。
「隊長、俺、あなたに会えてよかったです」
「面はゆいな」
そして、戦いの時は訪れた。タリア・グラディス艦長によって作戦開始時刻が告げられ、各機がカタパルトへと移動していく。最初に出撃準備を終えたのはヴィーノだ。
「ヴィーノ・デュプレ。インパルスガンダム、行きます!」
インパルスガンダムが加速するとともにミネルヴァから出撃していく。すでに周囲では他のザフト軍艦船から多数のモビル・スーツが出撃している。
眼下には殺風景な月の荒野が敷き詰められ、宇宙との区別のない漆黒の空がどこまでも広がっている。ここからこの場所が激戦の舞台となる。
続いてレイのローゼンクリスタルがカタパルトについた。
「レイ・ザ・バレル。ガンダムローゼンクリスタル、出る!」
光輪を背負う純白のガンダムがミネルヴァから出撃すると、最後にシンの出番となる。
「シン・アスカ。ガンダムメルクールランペ、出撃します!」
黒く、その背中には広げれば翼を思わせるフィン・スタビライザー。そして、その腕には西洋剣を模した実体剣を持つ。騎士を思わせるが、やはりその姿は天使だろう。黒い天使が翼を広げ、戦女神の名を持つ艦から飛び立った。
戦いの始まりは天を貫く光によって告げられる。
多数のザフト軍艦船が目指す先、荒れた月面からまばゆい光が立ち昇ったのだ。ユグドラシル、そう諜報部が掴んだ名を持つ兵器の第5の射出が作戦開始の前後であることはすでに予測されていた。
しかし、誰もが予測が外れることを望んでいた。的中、すなわちプラントが最後の宇宙要塞を失うことを意味したからだ。
巨大なビーム砲から放たれたビームは、その照射時間の長さから柱にしか見えない。多くの人にとって初めて見る光景だろう。光が柱をなすなど。
それはあまりに現実離れしているものであるが故、神々しくもまがまがしく誰の心をも強く揺り動かした。
光の柱が狙う要塞はここから遙か彼方にある。目視はもちろん、想像さえ危うくなる距離である。すると、この光が果たして本当に危険なものであるのかを疑ってしまう。だからこそだろう。ザフト兵の1人は強く歯を食いしばった。自分に理解させているのだ。強く心を保て、ここで自分たちが負ければプラント本国が焼かれるのだと。
光の柱の麓、そこには魔王が潜んでいる。それこそ不思議なことなのかもしれない。プラントは信仰を持たない国家だとされている。神を持たない彼らが悪魔に脅かされているとは一体どういうことなのだろうか。それこそ、神を頼ることはできない。国を守る、その思いだけがザフトを支えている。
ブレイズ・ウィザードを装備したヅダがライフルを抱え編隊を組む。セイバーガンダムのようなガンダム・タイプさえ多数動員された総力戦である。多数のモビル・スーツが向かう先、月面基地の周囲から地球軍のモビル・スーツが出撃していく。ストライクダガーを中心とした布陣が敷かれザフトを迎え撃つ。
戦いの始まりは誰も知らない。どこかで放たれた一条のビームの閃光、それこそが戦いの始まりだといえたがあらゆるパイロットが敵機を見つけるなり発射しているのである。最初の一撃などもはや誰にも区別できない。
ユグドラシルを中心に光の交叉が話を描く。月の上空から覗いたならそれは美しく見えたかもしれない。しかし、その光の中で人が死んでいく。
現在の戦いはビームに依存している。既存の兵器に比べ3倍もの火力を有するとともに有効射程が短い。そのため、近距離での撃ち合いとなる。互いに命中率の高まる危険な距離を回避する結果、一定の間隔を空けてビームを撃ち合うのが現在の戦闘のあり方だった。
しかし、この戦いは違った。そのような膠着状態をザフトは望んでいない。時間は地球に味方しているからだ。
ザフトはたやすく危険な距離を割り込む選択をした。
ヅダが加速する勢いのままビームを放ちストライクダガーへと直撃させる。しかし、命中させられるということは、それだけ危険な位置にいるということに他ならない。たやすく背後をとられ、その胴体を真一文字にビームによって切り裂かれる。
それでもザフトにとって安全策を採っていられる余裕などなかった。次々と敵陣へとなだれ込み、戦況はまたたく間に混戦状態へと突入する。
もはや運試しに近い。ただ眼に付いた敵へと攻撃し、後ろのことなど構ってはいられない。敵が自分を狙っていないことを祈り、狙っている敵が外してくれることを願いながら機体をただがむしゃらに機体を機動させ続けることしかできない。
しかしザフトの士気は高い。
左腕を失い本来であれば徹底すべき損傷を負ったようなヅダでさえ戦列を離れようとしない。右腕のライフルをひたすら放ち続けている。足に被弾し背後から切りつけられバック・パックが破壊される。満身創痍、だとしてもまだ右腕は残されている。ただただライフルを打ち続け、放ち続け、それはビームに撃ち抜かれるまで続けられた。
逃げ場などない。帰るところなどないのだ。ここで引けばどちらも永遠に失われてしまうことをザフト兵は知っている。
だからこそ彼らは傷つきながらも決して引こうとせず魔王への向かい突き進む。
この気迫に押し出される形となって徐々にザフトの戦線は前進していた。それを支えるのはやはりガンダムである。ザフト軍の有するインパルス、及びセイバーガンダムが中心となった部隊が敵陣に食い込み、それに追従する形でヅダ、ゼーゴックが押し寄せる。
彼らを支えるもの、それは様々だろう。ただ、一つの声を揃って聞いていることもまた事実だった。
プラントの民であれば誰もが知っているその声は、激戦の最中にも関わらず詩吟かのように穏やかにさえ感じられるものだった。
「我々が戦争を望んだことなど一度もない」
映像はない。しかし、戦闘に参加するほぼすべてのザフト機のコクピットにギルバート・デュランダル議長の声が響いていた。
「しかし我々は現に戦っている。それはなぜだろう?」
パイロットの多くはまるで聞いていないかのように振る舞っていた。フェイス・ガードの奥で歯を食いしばり、時に叫び声をあげモニターに映る敵機へと突撃していた。
「その答えをわざわざ答える必要はないだろう。我々はいつだとて被害者であり、悲しみの涙を流すのはいつだとて我々だ。このプラントは二度も核の脅威にさらされ、街を焼かれた。長きに渡る戦争では100万を超える人命が損なわれた」
しかし、耳にする兵士たちは確かに議長の言葉を聞いていた。聞いているからこそ、外面は無視しているかのように振る舞っているのだ。議長は鼓舞しようとしている、ザフトの兵に勇敢な戦士として戦うことを望んでいるのだと知っているのだ。
議長の演説に応えるということは戦うことに他ならない。
「ではどうして我々は戦わなければならないのか? いや、なぜ戦いに巻き込まれなければならないのか?」
戦争はすでに10年近くに及ぼうとしていた。4年、2年の空隙こそあったものの、プラント国内では今が戦時中であるという意識は途絶えることはなかった。その影響を最も受けたのがユニウス・セブン世代と呼ばれる若者世代だろう。物心ついた頃から彼らは血のバレンタイン事件の悲劇を聞かされながら育った。
「この答えは敢えて口にさせてもらいたい。それは我々がコーディネーターだからだ。我々コーディネーターは人類の未来を担う存在だ。能力に優れ、より理性的であり、それ故に戦争もしがらみもないジョージ・グレンが用意した新天地は新たな世界となるはずだった」
地球人によって殺された無辜の人々の嘆きを聞き、地球の蛮行に怒りを覚えながら成長した彼らの中には今こうしてザフトとしてエインセル・ハンターを打ち倒さんと戦っている者もいる。
「しかし、目の前の現実はあまりにそれとかけ離れている。それはなぜか?」
そんな彼らは自然とある言葉を口ずさみ始めていた。
突出しすぎたために集中砲火を浴びたセイバーガンダムのパイロットは炎が蔓延するコクピットの中、自分に訪れた最期を自覚しながらも口にした言葉があった。
「地球に残された人類の嫉妬と無理解、それがすべての原因だと私は断言できる。人が新しいものを無条件に恐れるのは、変化することを本能的に恐れるからに他ならない。新しいものが自分にとって都合のよいものであるとは限らない。とするなら変化など起きて欲しくない、たとえ、それがどんな最悪な状況に身を置き続けることになるとしても彼らは新たな1歩を踏み出すことができない」
コーディネーターは新しい人類であって、その優れた力で人類の新たな未来を切り開く存在である。そう、彼らは聞かされ、ゆえにそのことを知っている。プラントという新天地に、コーディネーターとして生まれたことに誇りを抱いていた。
隊列を組んだゼーゴックが一斉にビーム・ライフルを発射する。そんな彼らの耳にも議長の声は届いていた。そして、彼らもまた、同じ言葉を口にしていた。
「ただ自分たちの現状、利益を守ることしかできない。その結果、新しいものを無条件に拒絶しようとする。それが、どれほどすばらしいものであったとしてもだ」
この言葉は、多くのパイロットに無視された。なぜなら、議長からうかがうまでもなく周知の事実だったからだ。ナチュラルはコーディネーターをねたみ、それをブル・-コスモスに、エインセル・ハンターに唆される形でプラントと戦争をしているのだということは。
だからこそ、パイロットたちは敢えて議長に応えることなく、ただ同じ言葉を繰り返していた。
「すでに傷つき、苦しんでいる君たちにそれでも敢えてお願いしたい。戦うことを諦めないでもらいたい。それは人類への裏切りに他ならないからだ。人類からすばらしい贈り物を奪おうとする悪意に屈することになるからだ」
だから彼らは戦っている。プラントを守るということ、それはただ国を守り人々を救うことに限らない。人類の未来を守るということになるのだ。
「私は知っている。望まぬ戦いに身を投じ続けるザフトの精兵たちの戦いが決して無駄ではなかったということを。地球上では多くの国と地域が太平洋連邦の支配から解放することができた、あるいはその手助けとなったことは君たちも知ってのことだろう」
そう、ザフトが地球へと降下したことは決して侵略ではない。解放のための戦いだったのだ。地球の言い分を真に受け、ザフトは侵略をしていたのだと信じ込まされていたプラントの人々は、そうではないと教えてくれたデュランダル議長に感謝している。今では地球降下、ジェネシスによる攻撃さえ正しいことであったのだと彼らは知っている。
だからこそ、彼らは戦っているのだ。正しい戦いである以上、省みる必要もなければ躊躇することもない。また、同じように戦えばいいのだから。
「今こうしてエインセル・ハンターを追い詰めることができたのも君たちの功績に他ならない。やがては地球の人々も気付いてくれるはずだ。自分たちの過ちと誰が正しいのかを。そして、それは決して遠い未来の話ではないだろう」
彼らは信じていた。プラントを救い、魔王を打ち倒し、そして、人類の未来を切り開くことができるのだと。
信じるからこそ、彼らは同じ言葉を口ずさんだ。
戦場のただ中で爆発するヅダがいた。切り裂かれたインパルスガンダムがあった。しかし、正確無比な攻撃で迫りくり敵機を次々と撃墜するセイバーガンダムがあれば、ルナマリア・ホークもまたこの戦いに加わっている。
「その存在のために多くの争いが引き起こされたことの反省として、我々コーディネーターは神を信じない。だからこのようなことを言うのは妙なことに感じられるかもしれない。しかし、悪が栄えるのだとすれば人の世がここまで長きに渡って続いていくことはできなかったことだろう」
ルナマリアは議長の言葉を聞き流し、しかし脳裏に貼り付けながらパイロット・シートに座っていた。彼女もまた、同じ言葉を繰り返していた。自分に言い聞かせるかのように。
「正義は必ず勝つはずだ。そして我々が正しいことを我々は知っている。君たちはただそのことを胸に留めてもらいたい。ただそれだけで世界も、プラントも救われるのだから」
ルナマリアのインパルスはライフル、シールドを失い、しかしその戦意は微塵も揺らぐことがない。ビーム・サーベルを両手に敵陣へと切り込んでいく。
その戦い方は無鉄砲とさえ、半狂乱とさ言ってもよいものだった。ストライクダガーを切り捨てると、返す刀で襲い来るビーム・サーベルを受け止める。その次の瞬間には敵機を叩き切っていた。切断だとか優雅なものではなくビーム・サーベルが叩きつけられた勢いで胴が断ち切られたかのような荒々しさだった。
極度の興奮状態に陥っているのだろう。ルナマリアは呼気荒く、うわごとのように聞き取りづらく、しかし戯言と片付けるにはあまりの熱のこもった声とともにモニターの敵を睨み付けていた。
「守るんだ……、私たちが! 議長も! ……新しい世界も!」
そして、議長の言葉は最後の締めくくりへと入っていた。奇しくも、その言葉はザフト兵の多くが口ずさんでいたもの、ルナマリアがあらん限りの力で叫んだ言葉は共通していた。それはデュランダル議長がスローガンとして好んで使用する、いわば彼らの正当性、結束、誇りを象徴する言葉なのだから。
「勝利を我らに!」