その部屋は如何にも軍人の部屋を思わせた。壁に掛けられた勲章に軍服姿の男たちの写真が飾られている。無駄なものは何もなく、必要最低限。棚に飾られた洋酒の数々もまた、主の男らしさを象徴するのに一役買っていると考えるのは勘ぐりすぎだろうか。
部屋の主、エドモンド・デュクロはまくり上げた袖から覗くたくましい腕でボトルの一つをつかみ取った。
「この酒はあんたと飲みたいと考えていた。遠慮せずやってくれ」
グラスにつぎ分けられた酒を一つは自分のために、もう一つを将軍は椅子に座る客へと差し出した。そして、自分は相手と対面する椅子へとついた。
エドモンド・デュクロは南アメリカ合衆国の将軍であり、その国の軍人であれば知らない者はいないほどの武将である。そんな男が、まるで憧れのスターに出会えた子どものように胸躍らせる様など誰が想像できたことだろう。
相手はグラスに青い瞳を映し、その腕を軽く上げた。
「ご相伴にあずかります、デュクロ将軍」
「聞いている、ダーダネルス海峡ではザフトをやり込めたそうじゃないか。見事なものだ。自らを囮にザフトをおびき寄せるとはな。それに比べ、世界安全保障機構は弱腰でいかん」
「ロードは私と異なり冷静な為政者です」
世界安全保障機構にオブザーバーとして参加しているロード・ジブリールを、エドモンド・デュクロ将軍が非難したことがあった。相手にとってロードは後任者であり、また友人でもある。
しかし、そんなことでへそを曲げる相手ではないではないことも、デュクロ将軍は理解していた。思わず笑い出してしまうほどに。
「なんだ、耳に入っとったか。あんたも人が悪い。そのことは否定せんよ。だが、人には間をとろうとする悪癖がある。極論に正論で挑んだとしたなら、その真ん中は極論に引き寄せられることになる。それなら極論には極論をぶつけ正しい中庸に落とし込むしかない。プラントは、それこそ極論の塊のような国だろう。ハンター代表もそう考えているからこそ、ファントム・ペインを各国に設立した、違うかな?」
相手はすぐには答えず、まずは含み笑いを浮かべた。
「ご無礼を。ジェネラルは勇猛果敢な荒武者かと考えていましたが、闇夜に潜むフクロウの狡猾さを兼ね備えられていたとは」
「白々しいぞ、代表。準備はできている。ここにはファントム・ペインもいれば例のものもある。ここでザフトに手痛い一撃を見舞うつもりなんだろう?」
「買いかぶりすぎです。事実、私はあなたに出会う前に抱いていた頼もしさ以上のものを今、感じているのですから」
相手は腹の底知れない相手だが、人を欺くことに愉悦を覚えるタイプの人間ではない。そう、デュクロ将軍は考えている。お世辞だろうと冷めた見方をするよりも、素直に喜ぶ方が楽だ。デュクロ将軍はそういう考え方をする人物である。
「よく来てくれた、エインセル代表」
「お会いできて光栄です、ジェネラル・デュクロ」
魔王と将軍は再び、互いの杯を捧げ合った。
南米ジャブロー。南アメリカ合衆国のジャングル、その奥地にあるとされている基地のことである。地底洞窟内部に建設され、その立地場所の性質上、場所の明確な位置は特定されておらず南アメリカ合衆国の軍人にさえ秘匿されているほどである。
よって詳細は不明。攻める側は、まず地下へ通じる入り口から探しださなければならないほどである。
そのためザフト軍は、ひどく泥臭い行動を余儀なくされていた。文字通りである。
シン・アスカの搭乗するインパルスガンダムはぬかるんだ地面を踏みしめ歩いていた。周囲にはモビル・スーツの18mもの高さを隠すほどの樹木がうっそうと茂り、時間帯は夜。輝く翼を持ち、空を軽やかに飛び回ることのできるインパルスが闇の中、泥にまみれて地べたを這いずり回っているのである。
本来ならば自分の手さえ見えないほどの暗闇はインパルスがCG処理することでコクピット内にはある程度の明るさで投影されている。シンが思わず体を固くしたのは、その映像の中、木々が不自然に揺れたことを見て取ったからだ。
インパルスが肩越しに大剣の柄を掴む。何かあればすぐに対応できるよう身構えたまま、シンは相手の出方をかがった。
枝をかき分け現れたのは同じインパルスガンダムだった。同僚であるヴィーノ/ディプレの機体だ。
緊張を解きながら、シンは溜息をついた。
「その様子じゃ、見つからなかったみたいだな」
「いくらモビル・スーツでも歩きで地下への入り口を探すなんてそもそも無理だろ……」
「ぼやくなよ。俺たちがポイントを指定しないと降下部隊が動けない。他の部隊の連中が見つけてくれてるといいんだけどな」
「まったくだよな」
2機は並んで歩き始めた。
探索中、敵には発見される訳にはいかない。音と光を出すことは厳禁であり、飛行するなどもってのほかである。川のように開けた場所では発見される恐れがあった。そのため、時間のロスになると知りながら森の木々をかき分けて進む方法がとられた。
一からの探索ではなく、ある程度の特定を終えてからの詰めの作業であるという事実は、シンたちにとって幸いだっただろう。
「なあ、シン。次のポイントじゃ、ザラ大佐の部隊と合流するんだよな。てことはルナマリアと会うんだろ……? 大丈夫か? その、仲直りできないままだったみたいだしさ」
「ヴィーノでもそんな気遣いできるんだな。成長したんじゃないか?」
「茶化すなよ。でも、実際どうなんだ?」
「今は何ともならないさ。話しようにもお互いの立場って言うか、前提が違うんだ。同じこと話してるように見えても別のこと考えてる内は何話したってかみ合わないだろうしな。それに、今は作戦中だ。面倒なことはしないつもりでいるさ」
「わかった」
闇の中、同士討ちを避けるため探索範囲と合流ポイントは細かく設定されている。通信さえ満足に交わすことができないため、地図を頼りに1歩1歩を踏みしめる他ない。
まさかジャブロー入り口ここ、とでかでかと看板が立てられているはずもない。代わり映えのしない森の中、2機のインパルスは淡々と歩き続けていた。これが昼だったら、まだ違ったのかもしれないが。
やがて、シンたちの前には別に2機のインパルスが現れた。どちらもフォース・シルエットを身につけた機動力重視。シンのようにソード・シルエットを好んで使う者は、ザフトでは意外なほど少数だった。
1機はルナマリア・ホークの機体だった。
「アスカ軍曹、ジャブローの入り口は見つかりましたか?」
「いえ……、まだ発見できていません」
作戦行動中だからなのか、それとも意図的に距離を置かれたのか、シンには判断がつかない。ただ、ルナマリアのこんな声を聞くことは、シンにとって初めてのことだった。
もう1機のインパルスのパイロットに心当たりはない。シンは特に言葉を交わしておく必要もないかとも考えていたのだろうが、相手はそうではなかったらしい。若い男性の声がした。
「なるほど、さすがはドブネズミだ。隠れることにかけては我らコーディネーターでもかなわんな」
シンがプラントにいた頃、目にした典型的なコーディネーター至上主義者、この年代だとユニウス・セブン世代と呼ばれる人のようだ。そう、シンは苦々しくも判断せざるを得なかった。
「エミリオ・ブロデリック曹長だ。シン・アスカ軍曹だな。話は聞いている。在外の身でありながらプラントのため、人類の未来に戦いに身を投じる戦士がいると。いまだに重力に縛られた裏切り者どもに爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。だが、そんな戦いも今日で終わる。どれほど逃げ回ろうと、しょせん、ネズミはネズミにすぎない」
「そんなネズミを、ザフトはもう2回取り逃がしていますね」
「ネズミとはそんなものだろう。しかし、ボパールでは仲間を置いて逃げ出したと聞く。この程度の男のためにナチュラルどもが煽動され、我々コーディネーターの平和を脅かしているとは何とも腹立たしい限りだ」
ブロデリック曹長はシンの皮肉に気づいた様子なく、インパルスを歩かせ始めた。シンたちもその後に続くと、ヴィーノ機がシン機の肩に手を置いた。装甲同士を接触させての通信のためだが、人でやるように引き留める仕草と見ても間違いではない。
「おい、シン。気持ちはわかるけどやめとけ……。戦いの前のもめ事は避けるんだろ?」
シン自身が言ったことだ。同じことを話していても話が通じているとは限らない。
シンは仕方なく、顔も知らないブロデリック曹長の演説を聞いているしかなかった。
「今回、我々は必勝を期している。ザフトの騎士に、降下部隊との連携もある。ネズミはすでに籠に入ったも同然と言えよう。考えてもみろ。地球軍が戦う理由は、コーディネーターへの嫉妬によるところが大きい。信念をもって戦っている者などどれほどいるほどか。数では劣るとは言え、ナチュラルなど烏合の衆に過ぎん」
政府のプロパガンダを鵜呑みにし、疑いもしない。ただ自分にとって都合のいいことばかりを信じ、自分が都合の悪いことから目をそらしていることにさえ気づいていない。シンはブロデリック曹長をそんな人物だろうと評した。そして、そんな人間がいかにコーディネーターは偉大であって、ナチュラルがどれほど足手まといであるのかがとうとうと語るのを、しばらく耳にしている他なかった。
そして、次の合流ポイントについたところで、ようやくブロデリック曹長の話は途切れた。
「妙だな……? ここが合流ポイントのはずだが?」
しかし、周囲に他のモビル・スーツの姿はない。予定ではここで4小隊が合流し情報を交換した後、またそれぞれの部隊単位で散開、探索を続けるはずだった。何か不測の事態が生じたのか、自然と4人が緊張を高める中、それは突然、起きた。
通信から興奮した男の声が聞こえた。
「見つけた! 見つけたぞ!」
そして、遠くから爆発音とそれに伴う閃光が届いた。
すでに戦闘が始まっているのだ。その地点に、ジャブローへの入り口があるに違いない。ブロデリック曹長の言葉は状況を端的に示していた。
「かくれんぼは終わりのようだな! ホーク軍曹、アスカ軍曹、我々も向かうぞ!」
もはやミノフスキー・クラフトを制限している必要はない。バック・パックを輝かせると、4機のインパルスが次々に上空へと飛び上がる。
黒い森の上に出ると、他の場所からもいくつもの光が上がってくることを確認できた。森に展開していたザフトが一斉に一つの箇所へと飛んでいるのだ。
そして、目標地点上空に達した時、シンたちが見たものは想像を絶する光景だった。
ヴィーノとルナマリアの声は、彼らの戸惑いと状況の異常さをわかりやすく表現していた。
「何だよ……、あれ……」
「ヒーロー・ショー……?」
森から突き出た高台の上、鹵獲機だと思われるヅダが5機が一列に並んでいた。問題はその色だ。真ん中の黄金のものを始め、赤色、橙色、銀色、黄色、とにかく色が派手だった。いや、それどころか、各モビル・スーツが長槍、双剣、大剣、戦斧、果てには鎌を持ったヅダたちがポーズをとっている。
野太い男の声が通信ではなく拡声器で直に届いた。
「さあ、かかってこい、ザフトども! このエドモンド・デュクロが相手をしてやろう!」
そして、5機のヅダの後ろで吹き上がる五色の爆発。シンは否応なく、子どもの頃に見ていた特撮番組を思い出さずにはいられなかった。
一体、相手の狙いは何なのか、シンはとにかく混乱させられていた。しかし、ブロデリック曹長はすでに結論を出していた。
「はっはっはっは~! 同志よ。ナチュラルの愚かさを見たければ来ることだ。馬鹿が見たければ急ぐことだ。滅多に見られるものではないぞ!」
上空からブロデリック機が五色のヅダめがけてビームを連射する。ヅダたちは散開してそれをかわすと、ブロデリック曹長のインパルスはさらにそれを追いかけ、ビームが森に穴を空けるように木々を吹き飛ばしていく。
数分前までは、ザフトが音も光も制限し闇の中に潜んでいたことが嘘のような激変ぶりである。
戦いの火ぶたが切って落とされた、ということなのだろう。
ジャブローへの門、その発見の報を受けアスラン・ザラ、レイ・ザ・バレルの2人は森の上空を多数のヅダとともに飛行していた。ガンダムヤーデシュテルン、ガンダムローゼンクリスタルはまだ速度を上げることもできたが、他の部隊を引き離してしまっては意味がない。余裕のある速度で飛行を続けざるを得なかった。
2人も黄金のヅダが現れたことは現地からの通信で確認していた。モニターに、戦斧を振り回す黄金のヅダがはっきりと映し出されているのだ。
しかし、レイたちはブロデリック曹長よりは冷静だった。
「南アメリカ合衆国のエドモンド・デュクロはジャブローを任せられる将官だが、その階級がそのまま通り名として知られている。彼自身はファントム・ペインではないが、彼は、エインセル・ハンターのファンだと耳にしたことがある」
「レイは地球の軍人に詳しいようだが、では、この黄金のヅダはフォイエリヒへのオマージュということでいいのか? 戦場に趣味を持ち込んでうまくいくとは思えないが?」
さすがのレイもこれには答えに窮しているらしかった。コクピット内でモニターを一瞥し、さらにもう一度視線を送った。まるで、自分の目が確かなのか確認するかのように。
「……わからん。しかし、エインセル・ハンターが単なるファンを頼ってジャブローを選んだのか?」
プラントの国民の多くはそれで納得するかもしれない。彼らにとって、エインセル・ハンターとは嫉妬の権化でなくてはならず、コーディネーター未満の知能しか持ち得ていない存在であるのだから。
現地から聞こえてくる戦いの様子では、五色のヅダは防戦一方、逃げ惑っているだけだと伝えている。もっとも、ユニウス・セブン世代の若者の報告を鵜呑みにできないことをアスランは心得ていた。
「何にせよ、後には引けない。降下部隊もこちらに向かっている最中だ。どんな策があるとしても力尽くで押し潰すしかない。レイ、フォイエリヒとエインセル・ハンターは俺たちで抑えることになる」
「あまり期待するな。ローゼンクリスタルはゲルテンリッターではないのだぞ」
「サイサリスは優れた技術者だ。少しは信用してあげてもいいだろう?」
「ゼフィランサスとてそれは同じことだろ」
ヤーデシュテルンのコクピットの中、アスランの回りを緑色のドレスの妖精が飛び回っている。
「そうですよ、アスラン。お母様はすげぇのです」
戦いを前にしながらも、アスランはただ苦笑する他なかった。
ザフト軍はジャブロー攻略に成層圏外からの降下部隊の動員を決めていた。エインセル・ハンターを倒すためには出し惜しみは許されない。しかし、ボパールは位置が悪く小惑星フィンブル落着からまだ時間がなかった。ダーダネルス海峡は突発的な戦いであった。
しかしジャブローは違う。
エインセル・ハンターが大西洋を渡る間、その針路から予想される目標地点を探ることは比較的容易であった。加え、南米のジャングルは赤道直下である。重力偏差に乏しく部隊を降下させるには格好の位置にあった。この事実を、ザフトは僥倖と喜び空と陸からの二段構えの作戦を採用したのである。
夜である。
肉眼では確認できないが、ジャブローの遙か上空にヅダを中心としたザフトの部隊が降下ポッドを離れ目標レンズで目標地点をとられるほどに高度を下げつつあった。
「重いな。これが地球か」
十分な減速則はすんでいるはずだが、大気の底に沈んでいく衝撃は突風としてザフト機を揺さぶっていた。すでに重力は作用し宇宙では感じることのない足に血が落ち着けられる感覚を覚えていた。
地表はまもなくである。目標地点では森が広範囲で燃えていた。光のな森の中での業火だ。いやでも眼に付くものだった。
「何ともわかりやすい目印だ。ん?」
そのパイロットは、地表で何かが光った、そんな気がした。
この高度からではまだ見えるはずはなかったが、このパイロットの違和感は決して間違ったものではなかった。
森の一角が広範囲にわたって沈み込み、左右に開いて周囲の地面の下へとスライドしていく。すると、そこには巨大な縦穴が口を開いた。夜の暗さも手伝い、それはどこまでも深く、それこそ地獄にまで通じているかのような不気味さがある。しかしそれは一瞬のこと。すぐに穴の底から光がわき始めた。
最初は淡く、次第に光の粒子が煮えたぎるマグマを思わせて穴の底でうねり踊り始める。それは徐々に穴の中心で一筋の柱となって夜空へと一直線に立ち上り始めた。
それは高く、ザフト降下部隊がいる高度さえ貫きまだ上がり続ける。
「何だ……、これは……!?」
部隊とすれ違った謎の光。その出現とともにある異変が訪れた。コクピット内に機体温度が上昇している警告音が鳴り響き始めたのだ。動力のトラブルでもなければ、各種センサーの故障でもない。同時に複数の機体が同じ現象に見舞われていた。
それは光の柱に近い機体ほど深刻であり、外部から保護されているはずのコクピットでさえパイロットたちは汗をかき始めていた。
「隊長……、機体の温度が上昇しています! このままでは……!」
「お、落ち着け! すぐに対処を……!」
しかし、彼らにそれだけの時間は残されていなかった。
燃料、潤滑油、あるいは弾薬。それのいずれか、あるいはすべてが発火点を超えたのだろう。ヅダが突如、爆発した。それも1機や2機ではない。柱に近い機体から順に炎に呑み込まれていった。
そして、地獄の釜が開いた。
穴の底から強烈な輝きが這い出したかと思うと、それは巨大な柱となって空を突き刺した。
降下最中であるザフトが回避などできるはずもない。光に呑み込まれた機体は一瞬にして蒸発し、不運なパイロットたちは自分たちが死んだのだと理解する暇さえなかったかもしれない。
だが、彼らはまだ幸いだったかもしれない。中には、光の放つ膨大な放射熱に機体が完全に機能を消失していた。すでに機体は反応しない。熱にあぶられたモニターは歪みひび割れ、パイロット自身もまた重度の火傷を負っていた。しかし、生きている。外の様子はわからない。ただ、落ちているという感覚だけはわかった。
「あ……、はひゃあぁ……」
動くはずがないと知りながら操縦桿をでたらめに動かし、半狂乱になって手当たり次第ボタンを押しているがすでに機体は機能を停止している。何ら反応することなく、パイロットは恥も外聞も忘れ泣きじゃくる子どものように涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。声が、もはや言葉になっていなかった。
鉄の棺桶はジャングルへと激突する。70tもの重さがあるとは思えないほど、地面を跳ねた。それは激突を繰り返す度、跳ね上がる高さが低くなり、はぎ取られた残骸がまき散らされる。最終的にはもはや機種さえわからないほどの鉄の塊となり果てた。
そんないくつもの死がジャングルに降り注いだ。
光の柱が降下部隊を溶かした。この光景は目撃するまでもなかった。一瞬の間とは言え、夜の森がまるで真昼かのような明るさに包まれたからだ。
シンは戦場のただ中にあるにも関わらず、ついその手を止めて光の柱を見入ってしまった。
「大出力の……、ビームなのか……?」
すでに光の柱は消えていた。発射されたビームがその連続照射が長かったために柱のように見えていただけなのだろう。モビル・スーツが携帯できるだけのビームでさえあの破壊力だ。あの規模となればモビル・スーツなどひとたまりもない。
降下部隊にどのような運命が待ち受けていたのか、火をよりも明らかだった。
ブロデリック曹長も、ルナマリアもそのことは理解していたはずである。
「こ、降下部隊はどうした!?」
「は、反応が消失……。そんな……」
2人とて状況が理解できていないはずがなかった。ただ、あまりに受け入れがたい現実に頭がついていかないのだ。
闇に沈む森の中、ザフトは完全に浮き足立っていた。五色のヅダはエドモンド・デュクロはおろかまだ1機たりとも撃墜できていない。シンも銀色のヅダを追いかけていたが、双剣を持つこの機体は勇ましい姿勢を見せることはあっても積極的に攻撃してくることはなかった。
それはこの巨大ビームを発射するまでの時間稼ぎだったのだろうか。
しかし、それでもわずか5機のヅダで探索に加わっていたザフト軍全機を相手にしなければならない状況に変わりはない。
シンは思わずヅダを追うことをやめ、機体を森の中に着地させた。戦いを中断してまでも周囲を見回したい衝動に駆られたからだ。最初から気づくべきだった。わずか5機で3個大隊相当戦力のザフトと戦うはずがないのだ。ジャブローの規模は不明とは言え、まさか地上基地の格納庫が戦艦のよりも狭いはずがない。
回りの様子、ただ森の木々が見えるだけだ。遠くで聞こえる戦いの音が響くだけである。
しかし、周囲の友軍機の反応がいつの間にか消失していた。数が確実に減っていた。そして、今また、一つの反応は消えた。
「シン、何かおかしいぞ! わかってると思うけどな!」
ヴィーノに叫ばれなくてもシンとて理解していた。
五色のヅダがいないはずの場所。そこでも仲間の反応が消えていた。戦わないヅダ。しかし、仲間が消えていく。
ヴィーノ機がシン機の前に着陸しようとしたその時だ。シンはほとんど反射的に機体を加速させた。その勢いのまま、ヴィーノへと斬りかかる。
「シン……!?」
正確には、ヴィーノ機の後ろの何かへと。
振り抜かれたビーム・サーベルが確実に何かを捉えた。手応えがあったのだ。そして、シンはまるで闇が蠢いているかのような何かを目撃した。
「ヴィーノ、撃て!」
状況を理解しないまま、しかしヴィーノは仲間の要請に応えた。ビーム・ライフルを何かが逃げていった先の森へとビーム・ライフルを放ったのである。ビームは夜の一部をかすめとり強烈な輝きとともに木々を焼き払う。
だが、そこに敵の姿はなかった。
慎重に焼け野原に足を踏み入れたシンがあるものを見つけるのに、さして時間は必要なかった。
最初は何かわからなかった。焼き払われた地面に、モビル・スーツが入ることのできる地下への扉が横たわっていた。ジャブローへの入り口と考えるには狭い。しかし、モビル・スーツ1機が迅速に出入りするには手頃な規模である。
何かはここから逃げたらしかった。
「シン! これ見ろよ……」
シンが機体をヴィーノのところへ戻すと、ヴィーノはライフルで地面に落ちた腕を指し示していた。どうやら先ほど、シンが切り落としたもののようだ。インパルスに搭載されているアリスは、それを何の変哲もない旧式、デュエルダガーの腕だと認識している。
しかし、人の判断は違った。
その腕はフレームにいたるまで黒く染まっていた。光沢をなくす特殊な塗装が施されている。腕が握りしめるナイフさえ、漆黒をしていた。
木々が乱立する森の中だ。ただでさえ信頼性に欠けるレーダーは効かず、モビル・スーツの自動認証システムも満足に機能するとは思えない。それに加えて森に設置されたモビル・スーツ用の出入り口、仮にこれが森中に置かれているとしたら、ザフトにこの黒いデュエルダガーを捉えることはできない。
人はいつも見えるところにばかり目を向ける。そして、見えないところなどないと思い込む。
そんな心の隙間に潜む何かが、この森にはいたのだ。
金色のヅダ、それが黒い森の中で立ち止まった。すぐ脇には赤いヅダが停止する。
「どうやらザフトの連中も気づき始めたようだな」
デュクロ将軍はノーマル・スーツを身につけていない。エインセル・ハンターと対面したままの格好でヅダの操縦を行っている。
追ってくるザフト機が減ったことでデュクロ将軍には空を見上げるだけの余裕ができた。空は、すでに夜の暗さを取り戻している。降下部隊のスラスターの噴出、ミノフスキー・クラフトの輝きは見えない。
「ユグドラシル。今は真上にしか撃てん欠陥品だが、飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのことだな」
後はこの周辺のザフト軍を片付ければ、ザフトの戦力を大きく削ぐことができることだろう。エドモンド・デュクロ、彼が崇拝するエインセル・ハンターはそう望んでいる。
デュクロは友軍機である残り4機のヅダとは別の何かに通信を繋いだ。
「レナ、ザコはどれくらい片付けた?」
返事はひどく冷静な女性の声だった。
「作戦中は通信を控えて欲しいと申し上げたはずです」
「かまわんだろ。そろそろザフトの連中もわかってる頃だろう。罠にくいついたネズミの気分がな」
ザフトの部隊では情報が錯綜していた。被害状況、敵の数、それを各パイロットが自分の主観で並べ立てるからである。降下部隊はほぼ無傷、反対に全滅したとの両極端な情報え上がってくる始末である。
現地のモビル・スーツの母艦は情報をまとめきれていない中、レイはシンたちと直接連絡をとっていた。
「どういことだ?」
「罠だったんです。目立つ色のヅダは囮です。他に、黒く染めた別働部隊がいました。ご丁寧に、ナイフにまで光を反射しにくい塗料を塗ってます!」
シン機から送られたきた映像がモニターに表示される。黒いデュエルダガーの腕だ。黄金の機体が敵の注意を引き、仲間が攻撃力を担う。どこかで聞いたような話だ。
「なるほど、エインセル・ハンターのオマージュは姿だけではなかったということか。まさかこの時代に隠密とはな」
デュエルダガーが旧式扱いされるのはそれが地球製モビル・スーツの最初期の設計である以前に、ミノフスキー・クラフトを搭載できない拡張性のなさにある。光り輝く装甲という隠密性を一切無視した代償として大きな機動力をモビル・スーツは得ることができた。それなら反対に、機動力を犠牲にステルス性を高めることができることになる。
このレイの考え方は正しかった。
現在、現地で繰り広げられているのは、ザフトが闇に食われていく凄惨な光景そのものであったのだから。
1機のヅダが敵を見失い、岩を背にして周囲を警戒していた。何かがいることには気づいていた。そのため、背部の安全を図ったのだ。しかし、それは間違いだった。
岩肌に偽装されたハッチが音もなく開いた。月明かり遮られる岩陰は闇に沈み、そこから黒い腕がヅダへと伸びた。その手に握られた漆黒の刃がヅダの首に深々と突き立てられた。もがくヅダだが、さらに伸びた黒い腕が腰にナイフを突き立てると動きが止まる。そのまま、闇の中へと引きずり込まれていった。
そして、何事もなかったかのように静かにたたずむ岩だけが残った。
またある場所ではインパルスがビーム・ライフルを乱射していた。敵の存在には気づきながらも位置をまるで掴むことができずにただ眼に付く場所へとビームを発射し続けているのだ。
無論、そんな冷静さえを欠いた攻撃で闇に潜む狩人を射貫くことは難しい。それどころか、ライフルの銃身が焼け付きコクピット内に響くアラームとともに一時発射が不可能となる。
冷却を待つほどの余裕は、すでにパイロットには残されていなかった。思わずライフルを投げ捨ててしあったのである。
そして、パイロットは気づいた。ビームの爆発に隠されていた気配に。
周囲の森の中、闇の奥底から何かがインパルスを見ている。それが何かはわからない。闇の中に浮かび上がるには黒く沈んだ体。木々はさらにそれを覆い隠している。
しかし、わかるのだ。闇の中の何かが着実に距離を詰めてきているのだと。前か後ろか、インパルスは体ごと視線の位置を変え続ける。明らかにうろたえた様子の獲物へと、闇は着実に迫っていた。
レイにとって気がかりであったのは、手品の種がわかったとしても、敵がいくつのネタを用意しているのかわからないことだ。ジャブローは地下要塞であるため規模がはっきりとしない。伏兵がいたとわかったところで、それがどれほどの規模であるのかわからないのだ。
そして、ザフトは降下部隊を失い、まだ戦力は失われ続けている。これ以上の戦線の維持は不可能だろうと、レイは理解していた。
しかし、その事実はレイからではなく、アスランの口から語られた。
「撤退だ。現場の部隊に撤退命令を出せ。各部隊は転進、母艦へ引き返せ」
アスランのヤーデシュテルンが制動をかけ、レイもそれにならう。
「アスラン、現地の部隊は置き去りか?」
「戦いを継続させるよりはましな判断だ。逃げ切れるかどうかは別の話だが、……ああ、いつもなら撤退は君が提案しそうなことだが、言い出さなかった理由はそれか。俺からは、シンたちを信じろ、それくらいしか言えることはないな」
すでに撤退命令は現地に届いていることだろう。そして、ジャブローへと向かっていた部隊は針路の変更が始まっている。
ここでレイ1人が命令違反をしたところで状況は何も変わらない。
「シン……、ヴィーノ……、無事でいろ……」
作戦はザフトの敗北で終わった。だとしても戦いは続いている。
ジャブローでは取り残された部隊が戦っていた。
ルナマリア機がビーム・サーベルを振るう。
「ああ!」
しかし、そこには木があるだけで、その太い幹を焼き払ったにすぎなかった。
ルナマリアのすぐ近くに着陸したのはシンのインパルスだった。
「ルナ、落ち着け。それはただの影だ!」
「わかってるわよ、そんなこと! でも、敵の場所がわからないのよ!」
そんなことはシンにもわかっている。ジャブローの探索のために作戦は夜間に実施された。探索隊の姿を闇が隠してくれると判断されたからだ。しかしそれは、闇の住民のテリトリーに足を踏み入れるでしかなかった。
探索に参加した部隊は敵の正体も掴めないまま襲撃されたことで完全に浮き足立っていた。部隊行動さえとれず、各機がばらばらのまま闇の襲撃にさらされている有様である。
このままでは全滅しかねない。
シンとルナマリアが判断に迷っていた時、ミネルヴァからの撤退命令があったのはちょうどそんな時のことだった。
「シン、撤退命令聞いたろ! 早くここを離れるぞ!」
援軍はこない。戦場に留まる理由もない。
「ルナ、行くぞ!」
しかし、ブロデリック曹長はそれを許さなかった。
「ふざけたことを抜かすな! エインセル・ハンターまで後1歩のところまで来てるんだぞ! ここで引けば後の戦いでより多くの者が命を落とす!」
「ここでエインセル・ハンターは倒せない。上はそう判断したんだ! 命令違反に問われたいのか!?」
木々の間から姿を現したブロデリック機は左腕を失い、ライフルも銃身が曲がっているように見えた。まともに戦闘を継続できる姿には見えないが、気勢ばかりは一騎当千の様相である。
「ふざけるな。我らは人類の希望たるコーディネーターなのだぞ! 引くことはすなわち人類への裏切りに他ならぬ! 敵に背中を見せるくらいならば我らは玉と砕け……!」
背後の闇からいくつものナイフを持つ腕が四方からブロデリック機を串刺しにする。そのまま、一気に闇の中へと引きずり込んだ。その様は、牙を向き出しにした闇がブロデリック機にかみつき、そのまま一呑みにしたようにしか見えなかった。
ルナマリアの叫びむなしく、通信は二度と繋がらなかった。
「ブロデリック曹長!」
「もう無理だ! ここにいたら俺たちもやられるぞ!」
ルナマリアを無理やりにでも奮い立たせる形でシンは機体を上昇させる。ルナマリア機もすぐ後についてきたが、森の上空で出た途端、森の中からビームで狙い撃たれた。
「シン、高度を上げすぎるとまずいぞ!」
「もう隠れる必要がないんだもんな……」
音と光を制限してきた黒いデュエルダガーは、すでに隠れ潜む必要性がなかった。その手に携帯性に優れた小型のビーム発振装置、ビーム・ガンとも言うべき黒い銃が握られていた。それで上空へと逃げようとする機体を狙い撃っているのだ。
シンたちよりも先に空へと逃げようとしたインパルスは、その餌食になっていた。
ビーム・ガンでは攻撃力は十分ではない。だが、モビル・スーツを破壊する必要はないのだ。複数のデュエルダガーの撃ち上げた小出力ビームはフェイズシフト・アーマーを破壊しきることはできない。だが、ミノフスキー・クラフトを剥がし、スラスターを破壊することは可能である。
推進力をはぎ取られたインパルスは高度を急速に下げ、文字通りの胴体着陸で森の土を一筋に掘り返し仰向けの状態でようやく静止した。手にしたビーム・ライフルで反撃に出ようとするも、その腕は震え、また鈍い。跳びかかってくるデュエルダガーを迎撃することはできず、ナイフを突き立てられた。
仕方なく森の上、すれすれを飛行することにしたシンだが、木との衝突を避けるために速度を制限せざるを得なかった。インパルスが本来の機動力を発揮しさえすればミノフスキー・クラフトが搭載されていないデュエルダガーを振り切ることはたやすい。しかし、敵はそれを許してはくれない。
ヴィーノ機がシンたちの横へ合流した。
「どうする? このままじゃまずいぞ」
デュエルダガーたちはスラスターを吹かせながら見事な走りで森の木々などないかのようにシンたちを追っている。
機体の性能ばかりではない。パイロットたちは闇の森の中で戦う技術を身につけている。かつて、ニンジャと呼ばれる武装集団がいたことを、シンは意味もなく思い出していた。
状況は圧倒的に不利だった。
しかし、シンは思わず口元に皮肉じみた笑みを浮かべていた。かつては、こんな状況こそが当たり前だったことを思い出しているのだろう。
「なあ、ルナ、こうしてると昔を思い出すよな……。もう、エイブス隊長も、バーナードのみんなもいないけどさ……」
外人部隊、そう揶揄されていた時の仲間のことを思い浮かべながら、シンはスラスターの出力を引き下げた。
「ヴィーノ、ルナのことを頼む!」
「シン……? ねえ、シン!?」
「ルナマリア、行くぞ! 行くんだよ!」
急速に速度を落としていくシン機は、そのまま体の向きを変えながら森の中へと着地した。勢いを殺すために後ろ向きに地面を滑り、敵を迎え撃つために一対の大剣を構えた。
森の闇の中から、黒い何かがかすかに見えるだけの様は、闇そのものがシンへと殺到しているようにさえ錯覚させた。
地下深くの魔王の居城、そこに至るための門は闇の眷属を従えた将軍が守っていた。
まるでお伽話のような現実に、シンはつい苦笑してしまう。
「まるで、ファンタジーだよな……」
闇が、すぐそこにまで迫っている。