ヴァーリ。
シーゲル・クラインに仕えた従僕であり、彼女たちは26人で1人、6人と20人、あるいはたった1人と25人であり、九つに分類される。九つの髪の色を持つ。
そんなヴァーリが2人、プラントのプライベート・シャトルの発着所にいた。出発間際なのだろう。ウイングを備えることから地球行きとわかるシャトルの周囲からはすでに整備の人影はなく、固定用のアームが重たい動きでゆっくりと外れていった。ヴァーリがいるのは、そんなシャトルの搭乗口へと続く通路の中だった。
1人はザフトの軍服を身につけているのに対して、もう1人はおしゃれな薄桃色のスーツ姿と同じ顔でありながら印象はずいぶんと異なる。しかし、同じ黒髪をしている。
黒髪を緩い縦ロールでまとめているのはスーツの少女の方、Nのヴァーリであるニーレンベルギア・ノベンバーである。キャリーバッグを引く手を止め、振り返った。
「珍しいわね、ミルラ姉さんが見送りなんて」
「自分でもそう考えているところだ。だがな、たまにはこうでもしないと自分でも忘れそうになる。お前と私が同じ第6研出身の姉妹だってことをな」
黒髪をストレートに伸ばした軍服姿のヴァーリは、ミルラ・マイク。このMのヴァーリは屈託のない笑みを見せると、Nのヴァーリにそれに釣られた。
「それもそうね。ねえ、姉さん、聞いてもいいかしら?」
「よしよし聞いてみろ、かわいい妹よ」
「エピメディウム姉さんを手にかけたのは姉さん?」
一瞬、ミルラは表情を固めたものの、本当に一瞬のことだった。
「それは誤解だ。確かに、私の部隊はエピメディウムのシャトルの近くにいたがそれだけだ」
軍隊が意味もなく部隊を動かすことはないことをニーレンベルギアも当然、知っている。しかし、Nのヴァーリは、ダムゼルの1人は笑みを崩すことはなかった。
「じゃあ次の質問。姉さんがラクス・クラインに従う理由は何? 姉さんはお父様をよく思ってなかった。なのにお父様の遺志を継ぐ至高の娘に従うの?」
「デンドロビウムにも似たようなことを聞かれたが、まあ、お前と私の仲だ。少しばかりおしゃべりになるのもいいだろう」
ニーレンベルギアが思わず笑みを強くしたのは、この姉が口の軽さに対して定評があることを知っているからだろう。しかし、ミルラの表情が想像以上に深刻な印象であったことから、ニーレンベルギアもまた表情を固くする。
「3年前、私はジェネシス内部へお父様を追った。最後の最後で道具と見なしていた娘に裏切られた事実を突きつけてやるためだ。私はそこで死ぬはずだった。だが、私はこうして生きている。お父様が救ってくださったからだ」
現場に居合わせた者は死亡したか、プラント国外にいる。それでもヴァーリの間でミルラの裏切りが周知の事実となっているのは、つまり当事者の1人であるミルラの性格ゆえだろう。
「私は悩んだよ。なぜ、あの男は私を救っただろうとな。確かにあの時、扉にはお父様が通ることのできるほどの隙間はなかった。冷静に考えたなら、ヴァーリを1人でも多く確保するためだったとも考えられる。だが、裏切ったヴァーリにそんな価値があるだろうか? 少なくともわざわざ助ける価値があったのかどうかわからないはずだ」
ここで、ミルラは珍しく話をすることに躊躇した。
「……それでも、お父様は私を助けてくれた」
そこにミルラの複雑な心境が隠れているのだと、妹でなくても察することは容易かもしれない。
「お父様が助けてくれたのは、もしかしたらお父様に愛されていたのかもしれない。そう、思ってるのね、お姉様?」
「自分でも驚くほどに感傷的だが、私は悩んでいる。愛されていたのかもしれない。だが、だったらどうしてお父様は私たちヴァーリを犠牲にしてまで目指すべき世界を求めたのか、そんな疑問もちらつく」
ミルラは自嘲じみた笑みを見せた。
「私のお父様への憎しみは、愛してもらえないことへの苛立ちだったんだろう。頭では、あの男がヴァーリを犠牲にしていたことを知っている。それでも、私は都合のいい幻想を捨てきれないでいる。」
「……それがヴァーリに施された洗脳の一環かもしれないことは理解してるでしょ?」
「だとしても気持ちに嘘はつけんさ」
前髪を書き上げる仕草は、ミルラの場合も一般と変わらず、戸惑いや苛立ちを示している。
「私はお父様の気持ちを確かめたいんだ。だが、お父様はすでにいない。だったら、お父様が理想とされた世界を見てみればいい。もしもその世界がすばらしいものであるなら、ヴァーリを犠牲にすることも仕方がないことになる。それはつまり、お父様が私たちのことを愛していてもなお希求していたものがあったにすぎないことになる」
「愛していなくても理想の世界のためにヴァーリを犠牲にすることもありうるでしょ?」
「わかっている。だが、愛されていた可能性が導き出される。私にはそれで十分だ」
「もしも、お父様の世界が価値のないものだって思えたら……、どうするの?」
「その時はその時で、踏ん切りも付けられるだろう。やっぱりあの男は私たちのことを愛してなどいなかったとな」
今日のミルラは忙しい。普段通りの人を食ったような笑みを見せたかと思うと、すぐに表情を固くしてしまう。
「そしてお父様が理想とされた世界を作ることができるのが、至高の娘であるラクス・クラインだ。だから私はラクスの腕となり足となる」
モニターには、赤い軍服を身につけたザフト軍の少女が映し出された。ショート・カットのかわいらしい少女ではあったが、この放送を目にしているほとんどの人が疑問に思ったことだろう。この子は誰なのだろう、と。
それは無理もないことだった。彼女はオナラブル・コーディネーター、プラントの事実上の二等国民なのだから。
少女は明らかに緊張した面持ちで話し始めた。
「みなさん、初めまして。私、ルナマリア・ホークと言います」
これはプラント国内に向けた放送である。カーペンタリアを守り抜いたザフト兵の中から1人を選んで話を聞く、そんな趣旨だ。
人前で話すことに慣れていないルナマリアは深呼吸をしてから、再び話し出そうとする。
「たぶん、多くの人にとって、私が誰かなんてわからないと思います。だって、私、ただのザフトの兵士で、アスランさんみたいな英雄じゃありません。それに私……、オナラブル・コーディネーターなんです。説明なんて必要ないと思いますけど、つまりナチュラルなんです。あ、でも、私もプラント出身でれっきとしたザフトです。え~、と要するに何が言いたいかと言いますと……」
この事実は、視聴者であるプラント国民には少なくない衝撃を持って受け止められた。多くのコーディネーターには自分達と肩を並べるナチュラルがいたと言う事実に、多くのナチュラルにとってはプラント国内で評価されているという事実にである。
「え~と、あ~と……。ごめんなさい。いろいろ言いたいこと考えてたつもりだったんですけど、わからなくなっちゃって。だから、順番にお話させてください。私、今、アスランさんと同じ部隊にいます。オナラブル・コーディネーターの私がザフトの騎士と一緒に戦えるなんてすごいことですよね。でも、少しずつ、それが特別なことであっても特殊なことじゃないんだってわかってきました」
ルナマリアは少しずつ調子を上げているようだった。
「地球じゃあ、地球軍との激しい戦いが続いてます。戦うってことは絶対に楽なことでも簡単なことでもありません。でも、それ以上に辛いことは地球軍がひどい奴らだってことです」
真っ直ぐに前を見つめ、見えてはいないはずの視聴者に対して語りかけるようになっていく。時には手振りを交えながら、決して飾らない言葉で話しかける様は年相応、1人の少女が自分の言葉で自分が見聞きしたものを素直に表現していることを印象づけた。
「プラントの皆さんも見たことがあると思います。現地の人たちをむりやり働かせて逃げようとすれば銃まで向けるんです。そんな時に颯爽と現れたインパルスガンダム、実はあのパイロット、私です。……というのは嘘ですけど、同じインパルス乗りとして尊敬してます」
視聴者の中には、若き赤服のちょっとしたイタズラに覆わず頬を緩めた者もいたことだろう。
「それに、私もこの目で見てきました。人の住む街なのにすぐ横に基地を造って住民を危険にさらしたり、他にも住民の被害なんて何も考えない攻撃で街を燃やしたりとか。この戦争の被害者は私たちプラントだけじゃなくて、地球の人たちもそうなんだって気づかされました」
少女は伝える。プラントが正しいということを。
「私、神様なんていないと思ってます。でも、もしも悪い人ばっかりが勝つなら人類なんてもう何百年も前に滅びてますよ、きっと。だからきっと、私たちは勝ちます。勝たないといけないんだと思います」
オナラブル・コーディネーターやナチュラル、外人部隊であっても認められるのだと。もしも不当な扱いを受けていると不満を口にするなら、それは勘違いでしかないと。
プラント政府、いや、デュランダル政権の求めるそのままに。
プラントの12市の一つ、ディセンベル市のある一室でルナマリアの映っていたモニターが消された。コントローラーを手にしているのはずいぶんと怪しい風袋の男だった。
個人所有のシアター・ルームにしては広く、整然と並べられた椅子が映画館を思わせていたのだろう。しかし、現在、不要な椅子はどけられ、その怪しい男は残された椅子の一つにゆったりと腰掛けていた。
「何ともわかりやすいプロパガンダで助かるよ。どうかな、地球の記者さん?」
彼はケナフ・ルキーニ。ここはプラント最高評議会議員であるタッド・エルスマン自慢のシアター・ルームである。しかし、今は映画の放映のためではなく、反体制派の記者に利用されている。
ケナフの正面にはナタル・バジルールが座り、助手のジェス・リブルとフレイ・アルスターの2人がその脇についていた。ジェスがメモをとり、フレイは疑問に感じたことを素直に口にしていた。
「このルナマリアって子、ナチュラルなんでしょ? プラントじゃ、障がい者やナチュラルは差別されてるって聞いてるけど?」
「ギルバート政権のいつもの手さ。まず敵を分断するんだ。ナチュラルや在外コーディネーターは待遇の面で差別されているのが現実さ。でもね、このルナマリアって子みたいに勲章までもらった子がいたらどうだろうね? ギルバート・デュランダルはこう言い返すことができるんだ。ルナマリア・ホークを見ろ、彼女はナチュラルだが重用されているだろう、とね。君たちは冷遇されていると言っているが、それは評価に値しないからにすぎないんだとね。テレビには出てこなかったけど、他にシン・アスカなんて在外出身のコーディネーターもいる。彼も議長から直々に勲章を贈られたよ。これで、在外も差別されているとは言えない訳だ」
「ルナマリア・ホークとシン・アスカか、どこにでも要領の良い奴っているもんね」
「彼らは利用されているだけさ。まあ、こうやって取り繕ったところでザフト軍の幹部の割合は明らかにプラント出身のコーディネーターに偏ってるんだけどね。プラントが本当に能力主義だと言うならおかしな話じゃないかな?」
ジェスはメモをとり、ナタルはただ耳を傾けていた。インタビューは、いつの間にかフレイが質問をするようになっていた。
「仲間割れ狙いか。他にもデュランダル政権のやってること、何かあるの?」
「マスコミ対策も同様だね。自分たちに都合の悪い報道をするところは取材する資格がないと攻撃して、反対に大本営発表なんて揶揄されているところもあるくらいさ。議会での質問に対して、自分の言いたいことはすべてそこの新聞に書いてある、なんて言ったクライン派の議員もいたくらいだからね。民間の報道機関がいつの間にか官報になってた瞬間だよ」
ケナフはそう、口元をゆがめた。もっとも、このフリー・ジャーナリストの場合、嘲笑をしているのか、あるいは普段と変わらない笑みなのかは区別できないが。
「彼らに言わせれば政府に都合のいいことを伝えるのがいい報道で、都合の悪いことを伝えるのが悪い報道なのさ」
ここで、ナタルが渋い顔をして口を開いた。
「誰の気分、利益も害さない報道の自由などどんな強硬な独裁国家にさえ存在する。これではプラントには民主主義の根幹が根付いていないと判断すしかないように思える」
「彼らのもっと怖いことは二元論で動いていることかな。デュランダル議長は意外とアニメーションが好きでね。前、自分に反対する勢力を売国奴くんなんてキャラクターにしたててそれと対論するなんて番組を流していたね。自分と異なる意見や立場の人間は左翼、売国奴、国家の敵って訳だ。それをふざけたキャラクターにしたてて一方的にやり込めて最後にはうなだれる売国奴くんと握手をして終了さ。いや~、あの時はさすがに笑いが止まらなかったよ。あんなやり方が許されるなら僕だってソクラテスを論破してみせるよ。まさか、たかが一時の政権が国家そのもののように振る舞うとはね」
ケナフは本当に楽しそうに笑っている。自分で自分の額を掴み、笑いを抑えなければならないほどだ。
この男を前に、フレイは思わずナタルの後ろに隠れるように移動してしまった。口調、容姿、雰囲気と、何か女性の本能に訴える危険な男なのだ。
「で、でも……、デュランダル政権の支持率は高いみたいだけど?」
「他に議長を務められるような人がいないだけさ。それに、政権側の報道は僕から見ればまともな他の報道を攻撃している有様だからね。前なんか他局の失態につけ込んでネガティブ・キャンペーンを展開したものの、顧客を奪うどころか報道の信用を失墜させてかえって部数を落としたところもあったかな」
「つまり……、偏向報道で支持率が歪められているってこと?」
「おいおい、報道に携わる人間が偏向報道なんて軽々しく口にするもんじゃないよ。報道の自由とは、つまり偏向報道を許すってことさ。考えてもごらん。政府は報道の中立性を維持するよう口出しすることはできても義務はない。だったら同じ偏っていると言っても、自分に都合のいい記事には何も言わず、自分に都合の悪い記事にだけ偏向報道だ、報道の中立性を守れと言うに決まってるじゃないか。政府が偏向報道なんて言い出したらもう末期だよ。まあ、デュランダル政権の報道官の口癖だけどね」
「じゃあ……、支持されてないの?」
「いやいや、支持はされているさ。ただ、デュランダル政権が支持されていることとギルバート・デュランダルが支持されていることは別ものに考えなきゃいけないってことかな」
フレイはよくわからなかったらしく頭を傾けたが、ケナフもそこは記者である。視聴者、読者の疑問を引き出すと後はどのタイミングで答えを用意すればいいかを心得ていた。
「クライン派はプラント建国当時から存在する根強い政党だ。すると、よほど不満でもない限りクライン派の代表なら誰であっても支持する層は存在する。他にも極右政権であれば無条件で支持する人も少なくないしね。プラントが楽園なんて呼ばれてた時代が忘れられない年配連中や、若者の中でも考えのない連中なんてのはその典型だろうね。他にも問題に気づけないで、不満はないからどちらかと言えば賛成、なんてものも支持率には含まれる」
今、ケナフが見せているのは、それこそ本当に嘲笑なのだろう。
「人は確かな事実よりも曖昧な噂をより信じやすい。理由は簡単だ。確かな事実にはどうしたって不都合なこと、不愉快なことが含まれる。でも、噂ならはっきりとしない部分は自分にとって都合のいい妄想で穴埋めして理解することができる。つまりはそういうことさ」
そう、ケナフは立ちあがった。これはインタビューが終わったことを意味した。
ナタルは後を追う形で立ちあがると手を差し出し、ケナフと握手を交わす。
「ありがとうございます。ケナフ・ルキーニ記者。大変興味深い話でした」
「なに、政権に潰されたプレスの恨み節さ。一方当事者の意見にすぎないしね。まあ、デュランダル政権がお抱え記者以外のインタビューを受けるとも思えないけどね」
ひとしきり話したことで満足したのだろう。ケナフは露骨にここにいる3人、ナタル、フレイ、ジェスから関心を失ったようだった。落ち着かない様子で周囲の周囲を見回している。もちろん、その手には如何にもプロ仕様のカメラがある。
「それより、報酬のことは覚えてるね?」
「無論です。そろそろ帰ってくる頃でしょう」
フレイとジェスは、ナタルが妹のように大切にしていたはずの少女を売り渡したことを知っている。インタビューのためとは言え、ナタルの普段通りの引き締まった顔はどこか悪巧みをしているようにさえフレイには見えてしまった。
「ナタルさん、記者始めて少し怖くなってません……?」
それからしばらくして、シアター・ルームのドアをノックする音がした。
「ナタルさん、ただいまです」
扉を開くと、まずアイリスの桃色の髪がその隙間に滑り込み、しかしアイリスよりも先にツインテールの髪型をしたリリーが室内に滑り込んだ。
「こら、リリー。あ、お客さんですか? ほら、リリー、ご挨拶ですよ」
アイリスはすぐに走り回るリリーを追いかけ始めたため、ケナフの様子を見ていないらしい。そうでもなければ無言でアイリスの写真を撮り始めたことに薄気味悪さを感じただろう。ケナフは口元をにやけさせて吐息が荒くなっているのだから。
もっとも、遅れて部屋に入ってきたディアッカはケナフの様子に気づいていた。
「なあ、ナタルさん。あまり親父の留守中にあからさまな奴呼ばれても困るんだが……」
しかし、ケナフは単なる怪しげな男ではなかった。
「この家のヴァーリは1人と聞いていたけど、これは思わぬ拾いものだね」
この言葉には、ディアッカはおろか、リリーを追いかけていることに夢中であったはずのアイリスまで反応した。
ルナマリアの映像はアフリカ大陸でも流れていた。破壊されたストライクダガーの残骸の上、アサルト・ライフルを掲げた男たちが勝利の雄叫びを上げている。服装は皆ばらばらで、統一された制服を持たないことから正規の軍人でないことがわかる。
この残骸の周囲でも男たちが酒を飲みながら騒いでいる。タルや、崩れかけた木箱の上、投げ出されるように置かれたテレビにルナマリアの映像が出ていたのだ。もっとも、勝利に浮かれる男たちはさしたる関心を示してはいなかった。
そんなゲリラを、アスランとレイは見下ろす位置にいた。周囲を展望できる丘の上、そこに設営されたザフト軍の簡易テントがそこにあるからだ。四隅に立てられたポールに天幕、そこに置かれたテーブル上のディスプレイにもまた、ルナマリアのインタビューの様子が映されていた。
レイが見ているのはそんなルナマリア姿だった。
「ルナマリアを引き込んだのはこのためか?」
しかし、アスランは特に映像に関心を示してはいない。ゲリラたちの様子を、しかしこちらもただ視線をやっているだけで興味深げにはとても見えない。
「教えて上げるためさ。ただ不平、不満を口にするしか能のない連中に、評価されていないと感じるとしたら、それは単なる努力不足でしかないってね」
「シンはオーディションに落ちたようだな」
オナラブル・コーディネーターと在外コーディネーター、広告塔としてはどちらでも同様の効果を上げることができる。デュランダル議長が候補とするために勲章を与え、御しやすい方をアスランが選んだ。それだけのことなのだろう。
その時、銃声が乾いた空に響いた。一発だけではない。数えるには面倒なほどの数が鳴り響いたかと思うと、すぐに割れんばかりの歓声が起きた。
この丘の上からならよく見えた。
横一列に跪かされた地球軍の兵士たち、その後頭部に銃口を突きつけ次々射殺したのだ。あるどちらかと言えば、レイはニヒリストなのだろう。しかし、この残虐な処刑方法には眉をひそめ嫌悪感をあらわにした。
正規軍であればどのような爪弾き者であったとしても捕虜をこのように扱うことはないだろう。つまり、ザフトが協力を取り付けた相手とは、そのような存在であることを意味する。
「なぜザフトがゲリラと組んだ?」
「頼まれたからだ。地球軍が来て大勢の仲間が殺された、助けて欲しい、とね。まあ、近隣住民の虐殺や略奪してたことで地球軍に睨まれたのが本当なんだろうが、彼らが送り込んできた使者はまだ子どもだったよ。俺たちは家族だの一言で子どもに武器を持たせ利用してる、要するに、そんな連中だな」
死体の頭を足蹴にしている者や、見せしめだろうか、首に縄をくくりつけ近くの木に
吊そうとする者たちの姿もあった。
「レイ、確かに褒められた手じゃないことはわかってる。だけど、利用できるものは何でも利用すべきだ。プラントが本国の間際まで侵攻を受けたのはわうか3年前のことだ。人口はわずかに数千万。そんな国がまともな方法で戦争なんてできるはずない。だが、それでもプラントは、ザフトは戦わなければならない。どんなに正義や権利を振りかざしたところで、それを庇護すべき国がなくなってしまったら意味がないだろう?」
プラントを守るための必要悪。アスランの口ぶりに迷いはなかった。同時に、レイもまた凄惨な処刑を目撃したにも関わらすでに動揺を封じ込めていた。
「なるほど、では二つの質問に答えてくれないか。そうすれば俺も納得できるはずだ」
アスランは無言で頷き、レイは問いかけた。
「正義と権利を擁護できる国はプラントただ一国しか存在しないのか?」
他にもあるというのであれば、わざわざプラントを存続させるまでもないことになる。
アスランは答えなかった。
「コーディネーターによる世界と、平和な世界とは果たして同じことを意味するのか?」
仮に違うのであれば、人類が皆コーディネーターになったとしても何も変わらないということにもなりかねない。
アスランは答えない。ただきびすを返し歩き出そうとする。
「エインセル・ハンターは西に向かったそうだ。次の目標はおそらく南米、ジャブローになる。君も準備しておけ。今回は俺の作戦には俺も参加する」
本来ならば次の作戦内容を伝えるだけのつもりだったのだろう。アスランはまったく立ち止まる気配を見せてはいなかった。そのため、急に足を止めた時には、その急制動がたたり足下から土煙が巻き起こった。
「レイ。これだけは言っておく。戦争は、コーディネーターが生まれる何千年も前から存在した」
「そして、コーディネーターが生まれてからも続くのだな」
かつて、東アジアにて経済成長著しい時機があった。欧米の経済発展に取り残される形であった東アジアであったが、人口という面においては世界でも有数である。仮に国民1人あたりのGDPが当時の世界第一位の大国のわずか半分にも満たないとしても、経済力では上回ることができるほど、東アジアには人という潜在力満ちていた。
この圧倒的な地盤を背景として東アジアは大いなる経済発展を成し遂げたのである。
しかし、経済とは蜃気楼のようなものである。姿は見えど実態はない。
10の価値あるものを10で取引することが商売であるなら、投資とは10の価値のものを100でやりとりするものである。最初の投資家が10のものを11で買い取り、それを別の投資家に12で転売する。その投資家は今度はさらに別の投資家に13で転売する。その繰り返しである。すると、10の価値のものが投資家をたらい回しにされている間に本来の価値の何倍もの値で取引されることとなる。
そして、10の価値のものに100の値がついた時、それは市場へとようやく送られる。
投資家はよい。転売を繰り返すことで10人の投資家が10ずつ利益を得ることができるのだから。では、本来ならば存在しないはずの90の価値はどこからくるのか。かんたんである。本当なら10の価値で手に入れられたはずの人々が余計に支払わされた90の価値、それが投資家に流れ込むのである。
このことは経済の疲弊を招く。一切、生産性のある活動をしていない人間が、ただ転売を繰り返すだけで富を吸い上げる構図になっているからである。それに苛烈な経済発展が加わったとすれば、それは引き延ばされたゴムのようなものだ。中間層が薄く、底と上とが大きく引き離され不安定となる。
また、幻はどこまでも幻にすぎない。
10の価値のものが50で買い取られるのはそれが60で転売できると考えるからである。しかし、実際の価値は10しかないのである。まるで夢から覚めたかのようにそのことに気づくことがある。すると、50で買われたものは途端に10の価値しかないものになる。突如、40の価値が消えてしまうのである。
運の悪い投資家が損をする、それだけの話ではない。その投資家は投資のための資金を多くの場所から集めている。
資金が10しかないのであれば、得られる利益は10にすぎない。しかし、40を借り入れたとすれば50の利益があがり、仮に10を利子として支払ったとしても利益は4倍となる。投資家はさらに30多くの利益を、金融機関は10の利益を得ることができる。
だがそれは、10のものが20で転売できる場合である。10の価値がそもそもないことになれば、投資家は50の価値を失い、金融機関は貸出金を回収できないまま10の利子を得ることもできない。
加えて、それらの債権が金融商品として取引されていることもある。将来、10の価値を生み出すとされる債権を8の価値で購入した者は、その価値が消失したと同時に支出した8の価値を失うことになる。
こうして、加熱した投資による損失は経済圏全体に伝播するのである。
経済とは蜃気楼のようなものである。オアシスにたどり着こうと全速力で駆け出せば、ひからびて死ぬことになる。
経済の発展は同時に政治の不安定さを招いた。経済力を背景とした各国の影響力が、政治の好不調によってめまぐるしく入れ替わったからである。
結果、東アジアの経済圏は様々な状況に対応すべき三つに束ねられていく。それぞれ、東アジア共和国、赤道同盟、オーブ首長国の前身となる集合体である。
こうして東アジアには三つの国家が誕生し、その関係はそれぞれの対立構造に由来していることとなった。その結果、東アジア各国の足並みは必ずしも揃ってはいない。
ザフト軍のカーペンタリア基地が今日、存続を許されているのは東アジア共和国のラリー・ウィリアムズ首相の弱腰ばかりが原因とも言い切れない。赤道同盟、あるいはオーブは東アジア共和国の領内に派兵することには慎重にならざるをえず、赤道同盟にいたってはザフトと東アジア共和国をつぶし合わせ漁夫の利を狙っている節さえある。
しかし、自国の領土を侵害されて黙っているようでは国民はウィリアムズ首相を支持しないことだろう。また、カーペンタリア基地がザフト軍の橋頭堡として機能している事実には国際的な非難が高まっている。
そのため、東アジア共和国はシン・アスカが防衛に加わった第二次攻略作戦の後も継続して軍事行動を実施していた。
第三次攻略作戦には、東アジア共和国のファントム・ペインである白鯨、ジェーン・ヒューストンが続けて参加。青い薔薇のエンブレムを掲げるインテンセティガンダムは多くのザフト機を破壊した。
そのバイタリティをデュランダル議長に賞賛されたハイネ・ヴェステンフルスもまた、引き続きカーペンタリア基地所属のセイバーガンダムのパイロットとしてこれを迎え撃つ。
ハイネは知らない。地球降下の際、自分が所属していた部隊を襲い、多くの仲間をボズゴロフ級潜水艦という鉄の棺桶ごと生きたまま水葬したのが白鯨であると。
ジェーンは知るよしもない。取り逃がした若い鷹が今なお立ちふさがっているのだと。
記録によれば、両者は撃沈され大きく傾いた軽空母の上で、激しく互いの剣をぶつけあったとされる。その戦いの結末は、第三次攻略作戦と同様、決着はつかなかったと記録されている。
白鯨と若鷹は生き残り、そして、ザフトがカーペンタリアを手放すつもりがないこと徒同様、東アジア共和国が向けた銃を下ろす理由もなかった。
戦いは続く。
アフリカ大陸。人類発祥の地であるこの大陸は、長らく苦難と嘆きの時代を繰り返した。悪名高き三角貿易による文字通りの人的資源の流出に始まり、呪いとまで評されることもある豊かな天然資源によって大国による搾取が続けられてきたからである。
大国による文字通りの線引きは民族の分断を招き、それ自体が少なくない紛争の火種となった。
豊かな天然資源は諸外国の搾取を招いたばかりか、その資源から得られる利益そのものが血塗られた宝石として武装勢力に武器を与え、その武器は多くの血を流した。
やがてこの地に民主化の流れが及んだとしても、それが必ずしも平穏と公平を約束することはなかった。民主主義は次善の策ではあるが、魔法の小箱ではない。同じ国家に所属するという意識のない者が投票を行えば、自分たちの民族のみを優遇する政策を求めるに決まっていた。他の民族とは同じ国民という意識がないからだ。
諸外国が諸般の事情を鑑みずに定めた国境線に、ただ基本的な民主主義を導入したところで独裁者によって奇しくも抑えられていた思想、主教、民族の対立が激化するだけなのである。
当初懸念されていた全面戦争勃発こそ起こらなかったものの、この大地から銃声が鳴り止むことはなかった。
西暦2076年、第6次中東戦争を契機として北アフリカに後のアフリカ共同体の前進である同盟が成立した。6度目を最後に数えた戦争を乗り越えたものの、疲弊は激しく、北アフリカでは長らく深刻な食糧難に見舞われることとなる。
その間、諸外国の支援を受けた南アフリカでは高度経済成長を成し遂げ、経済的な連携が南アフリカ統一機構の下地となった。
戦争と貧困に明け暮れた北と、豊かな南。アフリカ大陸内部の南北問題は、やがて深刻な事態を招く。現在でさえ、何が切っ掛けであったのか判然としない。ある学者は南アフリカの水資源の不足がビクトリア湖への侵攻を招いたとする。またある学者は偶発的な武力衝突が原因だと主張した。ある学者は複合的なことが要因で明確な理由はないとする。
戦う理由がわからないほど、アフリカの大地では複雑かつ根深い対立があったことだけは誰もが首肯する事実である。
衝突は、豊かな南軍が北軍を圧倒。ビクトリア湖を手に入れ、後にここにビクトリア基地が建設されるに至ったのは周知の事実である。南軍優位のまま戦争は終結するものと思われた。森の逆襲さえなかったのなら。
増加した人口を養うために森は切り開かれ、運び出される木々に、森の奥深くまで車列が続く。それは、森の奥に眠っていた悪魔を人の世界へと導く道を用意していたに他ならない。
かつてザイールと呼ばれ、現在コンゴ地区と呼ばれる地域のエボラ川、この流域で最初の発生が確認された出血熱が森を抜け出した。発見から100年以上もの間レベル4を維持し続けたこのフィロウイルスは戦争に明け暮れる両軍に襲いかかった。致死率が少なくとも5割、最悪の場合9割を超える最悪のウイルスは数百万もの人命を奪い、産業革命以後の最悪のウイルス禍として歴史に刻まれている。
皮肉にも、出血熱が、戦争という流血の惨事を止める切っ掛けとなった。
西暦、2136年、年号がC.E.に改められるわずか4年前の出来事である。
北と南の対立は、終戦から80年を経た現在でさえ根深く続いている。アフリカ共同体が、ジェネシスによる地球全土への攻撃が回避された以後も、親プラントよりとも思える行動を行っている背景には、南アフリカ統一機構への反発があることは想像に難くない。
砂漠の狐、マーチン・ダコスタ司令代行を中心とするザフト地上軍はビクトリア基地への侵攻を続け、南アフリカ統一機構軍に犠牲を出し続けている。ジェネシス、そして小惑星フィンブルの落下と、地球を攻撃し続けているプラントを支援する姿勢に、地球に生きる民として違和感と不快感を覚える南アフリカ統一機構の市民も少なくない。
対して、南アフリカ統一機構もまた、切り裂きエドをはじめとするゲリラ攻撃がアフリカ共同体の市民に少なからず被害を与えていた。
現在、地球各国が反プラントで固まっている現在、おおっぴらに基地を提供することは難しい。そのため、アフリカ共同体は街の機能を流用する形でザフト軍に事実上の基地と提供している。
これは街の中に基地があるのか、それとも街が基地なのか。
どちらでもよい話である。少なくとも、南アフリカ統一機構のファントム・ペインである切り裂きエド、エドワード・ハレルソンにとっては。基地があれば襲撃する。そこにかつての敵国、現在の敵性国家の市民が存在したところで意に介す必要はない。
砂漠の夜を、人々は怯えながら迎えていた。夜になると殺人狂が来るからだ。
燃える街、立ち上る黒煙が夜空に溶けて消えていく。炎に照らされた巨人は、巨大な人斬り包丁を一対握りしめ返り血を浴びたかのような赤い体をしていた。今宵もまた、人を切り刻みその臓腑をまき散らすのだ。
そんなイクシードに対し、ザフト軍のヒルドルブが飛びかかる。三つ首の猟犬を思わせる姿で、あるいは、軽々飛び回る剣闘士の姿で、伝説的なシリアル・キラーの名を戴く敵と切り結ぶ。
ザフト地上軍の中には地球で家族を持った者も少なくない。そんな彼らにとって、市民の犠牲も省みない攻撃は決して他人事ではなかった。自らヒルドルブを駆るダコスタ司令代行は、コクピットの中で血気迫る形相でイクシードに挑み続けていた。
アフリカ共同体は考える。非戦闘員の犠牲さえ考慮しないとは何と腹立たしいのだと。
南アフリカ統一機構は思う。地球滅亡の危機を理解しないとは何と腹立たしいのだと。
イクシードの大なたが振り下ろされ、ヒルドルブの鋭剣が振るわれる。
戦いは終わらない。