3年前、シン・アスカは灰の中から体を起き上がらせ、空を見上げた。そこには黄金の輝きを放つガンダムがあった。そして今、その輝きは目の前にある。
頬のアザがうずくのを感じながらシンは意識して一言ずつ言葉を発する。
「エインセル……、ハンター……」
何とも奇妙な光景だと言えた。周囲ではまだ激しい戦闘が続いている。しかし、シンのインパルスガンダムとエインセルのフォイエリヒガンダムは空で対峙していた。剣戟さえお抱えの劇団の奏でる楽曲のようであり、シンは謁見の間にて拝謁を許された戦士のようにただ体を強ばらせ王の出方を窺っているでしかない。
よって、先に動いたのは魔王エインセルの方だった。
フォイエリヒがバックパックのアームから、その両手足からビーム・サーベルを出現させると、シンはほとんど反射的に機体を動かしていた。
黄金の輝きが一瞬にしてインパルスに迫り、インパルスが手にする一対の大剣が力強く迎え撃つ。モビル・スーツを一刀のもとに両断できるソード・シルエットの剣は、しかし、フォイエリヒに接触したかと思えた瞬間に一つが切り刻まれた。左のサーベルがいくつもの破片に切断されてしまったため、シンは投げ捨てるなりすぐに残ったサーベルを両手で構えた。
逃げて逃げ切れる相手ではない。そう、シンはバックパックを輝かせ加速すると、その勢いをフォイエリヒへの攻撃に用いた。
叩きつける一撃はバック・パックのサーベルで防がれ、すぐさま左腕のサーベルで反撃されるが、それはインパルスをわずかに移動させ回避するとともに次の攻撃をねじ伏せる形でビーム・サーベルを振るう。そう、シンは予想を立てるとともにそれが実現したのかを確認することもなく、実現したことを前提にインパルスを操縦し続けた。
人間の知覚の限界を超えた光と光の応酬は、シンの予想通りの結果となった、はずだった。しかし、インパルスはいつの間にか右肩のアーマーを切り裂かれていた。
思わず飛び退くシンに対して、フォイエリヒは即座に追撃に移る。
相手の攻撃の一つ一つを目視していて反応が間に合わない。動きを読み、予想を立て、シンは必死にインパルスを操縦しつづけた。光の洪水のように迫り来る8本ものビーム・サーベルから機体を逃がし、時にはこちらのビーム・サーベルで受け止める。
しかし、インパルスは今度、左足を切断されていた。
予測が間に合っていないのだ。シンが予測できる範囲を、エインセルは1歩その先を行っている。それはシンが反応できない時間の話であり回避のしようがなかった。
筋肉が痛みを覚えるほど全身に力が入り、瞬きをする余裕さえシンにはない。
シンはかつてフォイエリヒと小惑星フィンブルで戦ったことがあった。だが、あの時とはまるで違う。以前は右側なら右側、左なら左のビーム・サーベルが連動していた。数本の剣を束ねて振り回している状況であったのだが、今は8本のサーベルすべてが個々に動いていた。8機ものモビル・スーツに同時に斬りかかられていると等しいのである。
攻撃を防いだつもりが、他のサーベルが次々とインパルスを襲う。1本の剣で防げるはずもなく、シンはただ機体を逃がすことしかできない。
しかし、フォイエリヒはその大きさに似つかわしくない速度で即座に追撃に移った。
意識を加速させることでシンは辛うじてエインセルの動きについていたが、それも防戦一方。それでさえ徐々に押し切られている有様である。致命傷こそないものの、フォイエリヒの一撃一撃がかすめるようにインパルスの装甲を切り取っていく。
燃えさかる塔の中、火から逃れるために上に上に逃げるようなものだ。うまく逃げているように見えたとしても、最後には火に包まれるしかない。
シンは追い詰められていた。
機体以上に、シン自身が限界を迎えつつあった。緊張のあまり肉体の疲労が激しく、呼吸さえ忘れがちになるほど集中し続けている。そして、魔王の前にいる。あらゆる重圧にさらされながらも、それでもシンは反撃の糸口を探していた。エインセル・ハンターに勝つために。
ではなぜ勝ちたいのだろう。死にたくなからだろうか。それなら逃げ出せばいいだけの話だ。だとすると、母の仇を討ちたいからだろうか。では、シンは本当に仇を討ちたいのだろうか、命の危険を冒してまで。
そんな迷いが一瞬、シンの行動を鈍らせた。それは時間にして1秒にも満たないわずかな時間だった。そんな一瞬だけ、シンはエインセルを倒す努力を放棄した。本来ならば斬りかかることができたかもしれない瞬間に、シンは思わずインパルスを引こうとしてしまった。
それを、魔王は見逃さなかった。
前に進むよう作られているモビル・スーツが後退しようとした時、速度が減少する。それはわずかな速度低下にすぎないが、フォイエリヒを前にしては致命的な隙だった。
それはもはや光にしか見えなかった。黄金の装甲、8本ものビーム・サーベルが高速で動くとそれは輝きの目映さとあいまって輝きそのものがシンの目に飛び込んでくるばかりだった。
コクピット内が赤く染まりアラームが鳴り響く。機体の損壊を告げるモニターには、インパルスのあらゆる部位が破壊されたことを示していた。ただ不思議なことにバイタル・エリアである胴体に損傷はない。
もはや残骸と化したインパルスが落下を始めた証拠として生じた浮遊感を覚えたことで、シンは決断に迫られた。この高度から落下すればコクピット内とは言えどうなるかわからない。他に手はない。シンはドッキングを解除する。手足を失った上半身と下半身が切り離され、コクピット部位は戦闘機へと変形する。
キャノピーから直接流れ込む陽光に、シンはまぶしさを覚えた。直に戦場を眺めて見た者はコクピットのCG処理されたモニター画面とは異なった光景だった。遠くの火花で名前も知らない人が死に、この空にいる全員を何度も殺害できるほどの熱量が幾度となく飛び交うような悪い夢のような光景に現実感を与えてくれる。
そんな空を、シンは全身に突き刺さるような死への恐怖を感じながら飛行していた。フェイズシフト・アーマーもまともな武器もない戦闘機のままではストライクダガーの相手さえできない。
しかし、エインセル・ハンターは、フォイエリヒガンダムはシンを攻撃しようとはしなかった。シンが脱出したことに気づいていないのか。そんな甘い考えを、シンは自ら否定した。風防越しに見上げた先、黄金のガンダムが見下ろしていた。シンとガンダム、その両者の目が、たしかにあっていた。
心臓を握られたかのような、そんな不快感がシンの胸を圧迫する。
少年と魔王の対峙。
それは、魔王の方から終わりを告げた。フォイエリヒがその黄金の体を翻し飛び去っていったからだ。シンの前に、その輝きをまばゆく焼き付けながら。
一体、どれほどフォイエリヒと戦っていたのだろう。シンは時間の感覚を失ってい、ヘルメットの中で大量の汗をかいていることに気づいた。
「……」
誰かの声が聞こえている。通信があったのだと気づくのが遅れたほどだ。
同僚であるヴィーノ・デュプレがシンに大声で呼びかけていた。
「……シン! 無事なんだよな、シン!」
「ああ、ヴィーノか……。何とかな……」
「まったく、心配させるなよ。レイ隊長から撤退命令が出た。これ以上ザフトは戦えない。早くミネルヴァに帰ろうぜ」
見ると、周囲では急速に戦闘が終結しつつあった。エインセル・ハンターが戦場から離脱したことでザフト軍は目標を失い、地球軍はそれに伴って移動を開始したからなのだろう。
わざわざシンを撃墜しようとする敵機は、どうやらいないようだった。また1日、シンは生き延びたらしかった。
それでも心配してくれたのだろう。ヴィーノのインパルスがシンと併走した。この激戦である。さすがに無傷ではなかったが、ヴィーノもまたこの戦いを生き抜いていた。
「シン、インパルスだめにするの、これで何機目だよ?」
「前の部隊の時よりロー・ペースだな」
お互い、軽口を言い合えるくらいには戦いの緊張から解放されていた。だが、それでも限界はある。特にシンは震える体を押さえ込むことばかりに意識をとられ、ミネルヴァに帰還するまで口を開くことはできなかった。
シンはミネルヴァに帰還してからもしばらくの間、戦闘機から降りることができなかった。また広くなってしまった格納庫の中、緊張から解き放たれたことで全身を強い倦怠感が襲いなかなか立ちあがる気になれなかったからだ。
しかし、いつまでもこのままではいられない。シンは意を決し、コクピットに横付けされたはしごを伝って降りた。上着の胸をはだけると下に身につけていたシャツが握れば水が滴るほどに汗で濡れていた。
「俺、よく生きてたな……」
エインセル・ハンターにはシンを確実に仕留める機会があった。余裕も時間もあったことだろう。しかし、シンはこうして生きている。その理由なんてわかるはずもなかった。考えてもわかりそうにないと、シンは格納庫横の待機室へと歩き出した。
そこでは、レイ・ザ・バレルとヴィーノがすでに入室していた。扉を開けると2人の話し声が聞こえてきた。
「お前の言いたいこともわかるが、あの状況だ。生存はまず望めまい。だが、マーズ機のあの妙な挙動はたしかに気になるところだな」
「何かわかるんですか?」
「あまり買いかぶるな。俺は技術者じゃない。皆目見当もつかん」
シンに気づいたのは、まずレイだった。
「よく生き残ったな、シン」
「ええ、なんとか……」
「大丈夫か、なんか顔色悪いぞ」
ヴィーノの言うとおり、シンは限界だった。コクピットから這い出したももの、重い疲労感は抜けていない。仕方なくそばの椅子に腰掛けると、2人もシンの疲れ方が異常と思ったのだろう。シンは妙な注目を集めてしまっていた。
「隊長、それにヴィーノ。ちょっと、俺の話に付き合ってもらえませんか?」
思いの外、意外なことだったのだろう。レイは一瞬、目を見開いたが、すぐに笑うように息を吹いた。
「お前が俺たちに何を期待しているかはわからんが、話してみろ」
スペングラー級航空母艦の格納庫の中で、フォイエリヒガンダムはその取り戻した黄金の輝きを遺憾なく煌めかせていた。モビル・スーツなど見慣れているはずの整備員たちでさえ思わず見上げていた。
そんな中、パイロットであるエインセルは白いスーツ姿に涼しい顔と、激戦をくぐり抜けてきたとは思えない出で立ちで悠然と歩いていた。時折、すれ違うクルーに敬礼される度、それに応えようと手を挙げようとすると、それをすぐ脇を歩くヒメノカリス・ホテルに妨害されてしまう。
「フォイエリヒを運んだのは私です、お父様」
Hのヴァーリであり優れたパイロットでもあるヒメノカリスだが、エインセルの前では独占欲をむき出しにする子どものようであった。エインセルもまた、まるで子どもをあやすかのように、ヒメノカリスの頭を撫でて落ち着けようとしていた。
そうして、一組の親子がたどり着いたのは士官用の一室、それを古風な調度品でしつらえ直した、どこぞの屋敷を思わせる部屋だった。意匠については懐古主義的とも思えるエインセルのために用意された部屋なのだとわかる。
エインセルはテーブルに備えられた椅子を引き、娘を座らせると、自身もまた反対側の椅子についた。
「ヒメノカリス、あなたに見ていただきたいものがあります」
壁掛けのモニターは、周囲のフレームが木目調で絵画でも飾っているかのような趣がある。題名は、ひねりを加えなければ戦闘機に乗った少年、だろうか。
戦闘機のキャノピー越しにこちらを見上げている少年の姿が映し出されていた。赤い瞳に、左頬の痣、怯えたように緊張した口元に対してその瞳は強く開かれていた。
「お父様、これをどこで……!?」
父のためにしか感情をあらわにすることのないヒメノカリスが、珍しく声を震わせた。この映像の少年に見覚えがあったからだ。
「フォイエリヒのカメラが捉えたものです。私と刃を交えたソード・シルエットを背負ったインパルスガンダムのパイロットであり、彼がシン・アスカ、間違いありませんか?」
「……はい」
ややためらいがちに答えたヒメノカリスだったが、まだ納得していない様子でその視線は父と映像のシンとの間を行き来する。
「お父様は……、どうしてシン・アスカだとわかったのですか?」
インパルスガンダムは量産機にすぎず、ヒメノカリスはシンの特徴を詳細に伝えたこともなかった。混戦のさなか、顔も知らない相手を見つけられると考える根拠はなかった。
エインセルはこともなげに言った。
「ソード・シルエットを使用しているパイロットは比較的少数です。何より、私を殺すのではなく倒すために立ちふさがったのは彼だけでした」
「お話がわかりません……」
エインセルは微笑むばかりで説明しようとはしない。ただ娘が戸惑う様子を楽しむ父であり続けた。
「ヒメノカリス、シン・アスカと私は、似ているように思いませんか?」
「目、でしょうか……。……いいえ、似ていません。何から何まで」
突然のことに思わず口にしたことを否定するヒメノカリスだったが、エインセルは様子を変えることはない。状況がわからず混乱しているだけのヒメノカリスの様子を楽しんでいるようであった。
「ヒメノカリス、私の生い立ちを知っていますね?」
「はい。お父様は最高のコーディネーター、ドミナントの最初の1人です」
「それは正確ですが正解ではありません。アル・ダ・フラガ、彼が究極の自分として作らせた2人の内の1人、それが私です」
プラントで行われていた高性能なコーディネーターの研究への出資、その見返りとしてある富豪が求めたのは矛盾に満ちたエゴだった。
「私とラウ、いえ、ブルーノはアル・ダ・フラガのクローンに遺伝子調整を加え誕生した存在です。自分しか愛せない男が、他人を愛するために自分の複製を作り上げた存在、何とも滑稽な話ですが、それが我々です。彼は我々の誕生を大いに喜びました。優れた素質を有することが確認されたからです。しかし、それも長くは続きませんでした。やがてブルーノに遺伝子上の欠陥が発見されたからです。彼はそれまで示していた愛着が嘘であったかのようにブルーノを捨てました」
やはりヒメノカリスは戸惑いを隠すことができない。それは、普段は冷静で感情を抑えた態度である父が、わずかながら抑制が効かない面を見せているためかもしれない。いつものように勿体ぶった様子とは違い、言葉と言葉の間隔をあけるのは自分を落ち着かせるために必要なのだろうと、ヒメノカリスは父の様子を捉えていた。
「この事実にブルーノは打ちひしがれ、ムウは不快感をあらわにしました。そして、私は憤りました。最愛の友を侮辱されたこと、そして、私もまた成果をもたらせなければ捨てられる存在だと切り捨てられたからです。このことが、アル・ダ・フラガの運命を決めました」
アル・ダ・フラガは、原因不明の火災で命を落としている。
「父が炎に消え、私はエインセル・ハンターになりました」
かつての名を捨て、自分自身を狩る者となった。
「父は死に、私は最後まで聞くことができませんでした。私に期待されるだけの能力がなかったとしても、それでも私を息子だと認めてくださいますかとは……」
エインセルが珍しくも見せた逡巡は、しかしすぐにかき消えた。
「しかし、確信しています。彼は私を愛さなかっただろうと」
シンはレイとヴィーノ、2人の仲間達に自分の境遇についてぽつりぽつりと話し始めていた。
「俺、プラントに来るまではオーブで母さんと2人暮らしでした。俺には父さんがいないんです。でも、それって別に死別したとか離婚したとかじゃなくて最初からいないんだ」
今はヴィーノでさえ、神妙な面持ちでシンの言葉に耳を傾けている。
シンは続けた。
「母さん、息子の俺から見ても正直、変わった人でした。ばりばりの仕事人間で、どこか男嫌いのところもあって、それでもどうしてか子どもは欲しかったみたいで……、それで精子バンクから購入した精子で体外受精して、それで俺が生まれたんです」
シンが母を思い浮かべると、糊の利いたスーツを着込んだ後ろ姿が浮かぶ。仕事に行く母をそうして見送り続けてきたからなのだろう。
「その精子の提供者が、一応、俺の生物学的な父親ってことになるんでしょうけど、顔も名前も知りません。母さんが言うには、どっかの御曹司で顔も良くて勉強もスポーツもできる、そんなすごい人の精子を買ったんだって言ってました」
シンはここで一旦、話を途切れさせてしまう。レイがつい余計な質問を挟んだのは、話の間を持たせるためだったのか、あるいは単なる興味本位だったのだろうか。
「御曹司が小遣い欲しさに精子バンクに登録するのか?」
「……言われてみたらそうですよね。母さん、掴まされたのかな?」
しかし、シンにとってそんなことはどうでもいいことだったのだろう。曖昧な笑みこそ見せたものの、そこに悩んだ様子を見せることはなかった。それでも、この先、何をどう話せばいいのかわからないようでなかなか話し出す切っ掛けを掴めずにいるようだ。
こんな時、普通は沈黙に耐えられなくなるのはヴィーノだろう。今回ばかりはレイに先を越されたようだが、その性分は変わっていないらしかった。
「でもさ、シン。たしかにちょっと変わってるけど、プラントでもそんな話、普通、とは思わないけど時たま聞く話だぞ」
「そうだな。正直、俺がどれくらい普通でどれくらい普通じゃないのかなんてわからないし、他の家族がどうなのかなんてのもわからない。でも、どうしても気になって仕方のないことがあるんだ……」
ここからが本題なのだと、理解したらしく、レイもヴィーノもシンが自分で話し出すタイミングを掴むことを待っていた。
待機室には買う格納庫の音も聞こえてこない。静かに、シンは備え付けの長椅子に腰掛けていた。そして、シンはようやく話し出した。
「母さんは高い金支払って優秀な精子って奴を買って、それで俺を子どもにしたんだ。それって、俺も優秀でいてくれることを期待してるってことだと思う。子ども心にそのことわかってから、勉強も運動も頑張ってた。テストでいい点とれば母さん、褒めてくれたし、リレーの選手に選ばれた時だって……。誕生日の時も仕事で忙しいはずなのに慣れないケーキなんて焼いてくれたりしてさ」
母のことを語るシンは、それこそ子どものように無邪気な笑顔を見せることもあった。しかし、それはすぐに消えてしまう。
「……でも、怖くて一度も聞けなかったんだ。もしもテストでいい点がとれなかったら……、もしも競争で一番になれなかったら……、それでもあなたの息子でいさせてくれますかって?」
高い金を支払って、期待もして、そもそもどんな子どもであっても構わないと考える親が子どもに遺伝子調整など施すだろうか。そんな疑問が、シンの脳裏から離れることはなかった。
ボパールの鉄と毒の森の中、雨に打たれながら聞いたヒメノカリスの言葉は何も間違ってはいなかった。
「エインセル・ハンターのことは正直、憎い気持ちがある。でも、それって母さんを殺された恨みなのか、単に国を攻められたことに怒ってるだけなのかって……、わからなくて。実際、俺も死にかけましたしね……」
シンの左頬の痣はその時の火傷の跡である。傷口は完全に塞がっているはずが、今でも時折、うずくことがあるとシンは自覚している。その度に炎の記憶が呼び起こされてきた。
「俺、最後まで聞けませんでした。俺がテストで良い点がとれなくても競争で一等をとれなかったとしても、それでも俺を息子だって思ってくれますかって……」
シンにまとわりつく戸惑い、迷いは決して晴れることはない。
「だから、わからないんだ。母さんが俺を愛してくれたのかどうか……」
戦いが終わり、多くの人が命を落とした。しかし律儀な太陽は何事もなかったかのように西の水平線に沈み夜が訪れた。
地中海を西へ、ジブラルタル基地へと航行している空母においても当然のように夜は訪れた。軍艦とは言え、戦闘配備ということもない。何より、激戦を終え、友軍の基地へと向かっているという解放感、安堵感は夜の静謐を一層際立たせていた。廊下を叩くブーツの小気味よい音が響くほどに。
ファントム・ペインの部隊長であるキラ・ヤマト、その部下であるシャムス・コーザの2人が並んで歩いている。
「隊長はフォイエリヒと戦ったことがあるんですよね? どうでした?」
「もう3年前の話だけど、やっぱり強かったよ。8本のビーム・サーベルを自由自在に扱うその力は見えない壁でもあるみたいに思えた。実際、まともに当てられたことなかったよ」
事実、キラはフォイエリヒをジェネシス内部で撃墜したが、それはキラが勝利したというよりはエインセルが敗北を選んだとする方が正解だろう。ゲルテンリッターを得た今でさえ、キラはフォイエリヒへの勝利を期待することはできないだろう。
「俺にも扱えますかね?」
「無理だよ」
「ひでぇ……」
即答したキラは笑いながら歩み続けている。
「25mで重さも通常のモビル・スーツの倍はある。それじゃあ慣性で止めることも動かすことも一苦労だよ。それに4本ものアームを持つバック・パックともなると重心の位置も高くなって振り回す度に機体が振り回されるように感じるはずだ」
「もう半分人間やめてません、エインセル代表?」
「竜殺しの槍が竜を殺せるのは、竜を殺すことのできる英雄に振るわれるからだよ」
そう、ファントム・ペインの2人がある一室を通り過ぎようとしたところ、シャムスがその部屋を大きく体をのけぞらせてのぞき込んだ。ドアがないため、中の様子をのぞき見ることは容易だったのである。
「ああ、すいません。先、行っててください」
そう言い残し、シャムスは部屋へと脚を踏み入れた。
広い部屋だ。椅子が同じ方向に整然と並べられ置くには大型のモニターが備えられている。ブリーフィングに用いられる部屋だが、モニターがあることを良いことに隠れて映画の鑑賞会など開かれていることをシャムスは知っていた。
誰が何をしているのか、そんな興味本位から部屋に足を踏み入れたシャムスだったが、部屋は思いの外、暗い。モニター前に必要最低限の明かりしかついていない。とてもではないが大人数がたむろしているようには見えなかった。
事実、人影は1人分だった。
「1人で何やってんだ、アウル?」
モニター前で地べたにあぐらをかく少年が1人。アウル・ニーダはよく見るとその膝の上にプロジェクターを乗せそこからは赤いドレスを身につけた真紅が立体投影されていた。
見ると、モニターにはフォイエリヒガンダムの戦闘の様子が映し出されている。おそらく、今日の戦いの様子だろう。ニコルはシャムスに振り向きもせずにただモニターを見つめていた。
「わからねえよ……?」
「少し見たくらいでエインセル代表の戦い方を理解できるはずねえだろ」
「そっちじゃねえよ……」
ここで、アウルはあぐらをかいたまま体を回転させた。目つきの悪いガキだ、それがシャムスのアウルに対する印象の一つだったが、今はそれに加え瞳にどこかくらいものが映っている。
「あのミューディーって、人、死んだんだろ?」
モニターには撃墜されるモビル・スーツの様子が次々と流れていた。連続再生であるためあり得ないことだが、まるであつらえたかのようなタイミングだ。
暗い瞳をした少年の後ろで次々と人が死んでいく。
「……ああ。機体が損傷してたってのに、エインセル代表のために無理してな。隊長は撤退命令だしてたってのにな」
シャムスはその現場を目撃していないが、インパルスガンダムと差し違えたのだと聞いている。
これでアウルが納得することはなかった。
「どうして平気なんだよ、それで……」
「別に平気じゃねえよ。ただ、殺して殺される、それが戦争だしな。軍人が殺されただのいちいち言ってたら切りがねえぞ」
シャムスは大きく頭を振ってみせた。特に意味はない。単に気むずかしい少年をどう説得しようか、いい考えが思いつかないだけのことだ。
「あのな、アウル……」
「おかしいだろ、そんなの……」
残念なことに、シャムスにはアウルが強くこだわっている原因を完全には把握できていなかった。よって、代わりに答えたのは真紅の方だ。
「アウル、スティング・オークレーのこと?」
「……そうだよ。あいつは死んだのに、あいつを殺した奴はのうのうと生きてる。そんなこと、許せっかよ……!」
要するに、自分の復讐心を当然のものと捉えているのだろう。その結果、自分とは違う考え方のシャムスや真紅の態度が理解できていないのだ。
「スティングを殺した奴、シン・アスカってんだろ。絶対にそいつは俺の手で殺してやる!」