ラヴクラフト級ミネルヴァのミーティング・ルームにて、レイ・ザ・バレルが口にしたのは次の一言だった。
「ダーダネルス海峡、ですか?」
突如、次の作戦目標となった地点の名だ。これまで一度もザフトの作戦に名前の挙がったことのない場所であり、レイがわずかな戸惑いを見せた理由がこれだ。
レイとは地図が投影されているテーブル・ディスプレイを挟んだタリア・グラディス艦長は普段通り、淡々とした様子で説明を付け加えた。
「諜報部からの情報ではエインセル・ハンターが修復を終えたフォイエリヒガンダムを受け取る場所が判明しました。よって、我々ミネルヴァはその地点を急襲。友軍とともにエインセル・ハンターの殺害を目標とした作戦行動をとります。何か質問はありますか?」
ここにはレイの他、シン・アスカ、ヴィーノ・デュプレしかいない。アスラン・ザラの部隊から加わった2名のパイロットは参加していなかった。
まず手を挙げたのはシンだ。タリアはまだ若いが、シンはこの艦長に母親と似たものを感じていた。それ故の苦手意識が、わずかではあるが手を挙げる仕草を一瞬躊躇させたようにも見えた。
「グラディス艦長。ダーダネルス海峡に地球軍の重要な基地があるとは聞いたことがありません。それでもそんなところで受け渡しが行われるのでしょうか?」
「洋上での受け渡しを想定しているのでしょう。たしかに不自然と言えますが、それだけ我々の裏をかけると踏んだのかも知れません」
シンはこれ以上、質問することを控えた。たとえどれほど怪しくともそこにエインセル・ハンターがいるとの情報があればザフトは動かざるを得ない。そのことをシンもまた理解しているからだ。
この作戦にも、本来はアフリカ北部の別の作戦に参加するはずだった部隊が他にも参加することになっていた。
グラディス艦長はこれでミーティングは終わったと判断したのだろう。動こうとする仕草を見せたところで、意外にもヴィーノから手が上がった。
「エインセル・ハンターってブルー・コスモスの代表ですよね? だったらなんでわざわざ1機のモビル・スーツのためなんかに前線に出てくるんですか?」
不意を突かれる形となったためかすぐには答えられないタリアに代わり、レイが解答を用意した。
「フォイエリヒガンダムはエインセル・ハンターの機体だ。用心しろ。例の映画には描かれていなかったが彼の乗ったフォイエリヒは最強のモビル・スーツだった。お前では一瞬で殺される」
「え? でも、映画じゃ……」
「優れた人々の集まりであるプラントの敵は劣ってた存在でなければならんだろう? ナチュラルがプラントに攻め込んでくるのはコーディネーターの優秀さに嫉妬したからではないのか?」
「え~……?」
ヴィーノはそれはそれは残念そうな顔を見せたが、それだけで済ませられる方が珍しいことだろう。プラントでは、コーディネーターは優れていると生まれた時から教えられ続けるのだから。
タリア自身、決して顔にこそ出さなかったものの、愉快な話題ではなかったのだろう。いつにもまして表情を険しくしているようにも思われる。
「では会議は以上です」
「あ、その前にいいですか? グラディス艦長ってデュランダル議長と知り合いなんですか? カーペンタリアで一緒にいたとこ、見ましたけど」
一瞬、場の空気が凍り付いたことをヴィーノ以外の全員が感じた。
タリアは、努めて平静さを装っているらしかった。
「答える必要はありません。パイロットは各員、作戦準備に入りなさい」
こうしてパイロットたちはミーティング・ルームをあとにした。シンとしては重苦しい空気から解放された気分であったが、ヴィーノはちょっとした世間話をしたくらいしにか感じていないのだろう。シンと並んで歩く様子は鼻歌交じりでさえあった。
「ヴィーノ、今回ばかりはお前を尊敬するよ」
「おいおい、どうしたんだよ、シン?」
シンの肩を叩くヴィーノからは、どうやら褒められたと勘違いしているらしいことが伝わってくる。
その様を見ていたレイは、どこか意地悪げに笑っていた。
「グラディス艦長とデュランダル議長はかつて恋人の間柄だったという噂がある。加えて、口の悪い連中はグラディス艦長があの若さで特務艦の艦長を務めていられるのはその縁故採用と決めつけているそうだ。つまり、お前は本人の前でもっとも話題にしてはならないことを口にしたことになる」
ここでようやく、ヴィーノは大げさなまでに頭を抱えた。
「俺、もう帰艦できないじゃんかよぉ……」
「安心しろ。どうせエインセル・ハンターが相手だ。この中で何人が生きて帰ってこられるかわかったものではない」
「隊長~、たまにはブラック・ジョーク、やめません?」
「ああ、だから今は控えている」
つまり、そこまで生還率が低いということは冗談ではないということになる。そのことに、ヴィーノは遅れて気づいたのだろう。レイに文字通りすがりついた。
「隊長~……」
シンにもこの隊長が皮肉とブラック・ジョークを愛していることはわかっていた。怯えるヴィーノを笑ってあしらうレイの様子を、ただ呆れ半分に眺めていた。
それを気にくわないと考える者もこの艦には乗っていた。
ヘルベルトとマーズ、いかつい中年男性は明らかに不機嫌な様子で少年3人の前に立った。
「エインセル・ハンター、奴さえ殺せばこの呪われた戦いは終わる。それをわかってるんだろうな?」
「よせよ、マーズ。在外コーディネーターもいるんだ。そいつにプラントの理念を語ったところで馬の耳に念仏だろ」
すっかり冷や水をかけられた形で萎縮するヴィーノに、マーズと呼ばれた男はあからさまに威圧的な視線を投げつけた後、吐き捨てるような言葉を残して去って行った。
「せいぜい足を引っ張るなよ、在外」
この2人の名前と顔さえシンには一致していない。アスラン・ザラの部隊からの一時的にミネルヴァに乗艦しているだけでありまだ知り合ってから日が浅い以上に、互いに交流を持とうとしなかったからだ。ヒルダがボパールで戦死してからはその傾向はより顕著になった。
一つの事実として、彼らはヴィーノを在外コーディネーターと認識していた。
「俺、プラント生まれのプラント育ちなんだけど……」
「シンは言うまでもないが、俺も生まれはプラントだが育ちは地球だ。ヴィーノまで在外コーディネーターとなると、もはや外人部隊そのものだな。では、正規軍に遅れをとらんようにしなければな」
「だから俺は生粋のプラント国民なんですって!」
皮肉を言っている時の隊長は本当に楽しそうだ、それがシンの抱く印象だった。最初は冷たい印象も受けていたが、それは冷淡というより斜に構えているだけであったのかもしれない。
レイが格納庫の方へと歩き出すとシンたちも従った。シンとヴィーノはちょうど並ぶ形となった。
「なあ、シン。こんな時になんだけどさ、地球人にとってエインセル・ハンターってどんな奴なんだ?」
「オーブ出身の俺に聞くなよ。3年前のオーブ侵攻の指揮とったのあいつだって話だぞ。実際、母さんが死んだのもその時だしな」
「そっか。じゃあ、シンにとってあいつはお母さんの仇なんだな。エインセル・ハンターとならシンにも戦う理由があってことだよな」
そう、ヴィーノがレイに追いつこうと足を速めたことでシンは取り残される形となった。ただ、1人となった原因は歩く速度ばかりではない。シンが思わず足を止めてしまったこともある。
「戦う理由……?」
それをヴィーノは母の仇だからと表現した。そのことに、シンは強い違和感を覚えずにはいられなかった。母を殺されたから、それは一般的には仇討ちの動機となるのかもしれない。
「俺、何でエインセル・ハンターを仇だって思ってるんだ……?」
亡き母のことを思い浮かべると、シンは自分自身の行動に疑問を感じずには居られなかった。
ダーダネルス海峡。東西に細長く伸びたこの海峡は、歴史上、重大な要所であった。しかし、現在ではさしたる基地もなく、軍事的な重要性は比較的軽微と言える。よって、軍事アナリストの多くが、この海峡にザフト軍のボズゴロフ級潜水艦が集結する事態を予測することはできなかった。
ただ1人、たった1人の人物を殺害するために部隊が動く、それは極めて異例なことと言えた。その相手は政府の要人でもなければ軍の司令官でもない。かつて思想団体の代表を務めていた若者にすぎない。
しかし、その肩書きを額面通りに受け止める者などこの世界にはいないことだろう。この男は自らの私兵とも言うべき部隊、ファントム・ペインを同盟各国に創設することを認めさせ、団体の内外に信奉者は少なくない。プラント国内に至ってはすべての元凶だとされている。
プラントは優れた人々、コーディネーターによって建国された国家である。優れた人々がしがらみなく作り上げる国は理想郷となるはずであった。しかし、理想が実現しない理由は、持つ者に対する持たざる者の嫉妬に起因している。無能なナチュラルが無能であることに甘んじていられず、プラントの足を引っ張り続けていることが原因なのである。そして、それはすべてエインセル・ハンターが、ブルー・コスモスが煽動しているからである。
つまり、エインセル・ハンターを除去すればブルー・コスモスは瓦解し、ナチュラルは自分達が恥ずべき行いをしていることに気づくことになる。それは戦争の終わりを意味する。
もしも今日、この場所でエインセル・ハンターを討つことができたなら戦いは終わる。そう、ザフトは考えていた。
ザフトにとっての最後の戦いは、双方にとって予想を外れたところで始まった。
ダーダネルス海峡を西へと進むガルダ級大型輸送機を多数のザフト機が追いかけていた。ザフト機はゼーゴック。体を前傾させた簡易変形による重武装の戦闘機を思わせる形態で海が霞んで見えるほどの高高度で追従している。必ずしも総合的な推進力に優れているとは言えないモビル・スーツであるが、相手は大型の輸送機である。ミノフスキー・クラフトの輝きを飛行機雲に混ぜ合わせ次第に距離を詰めていた。
輸送機の格納では棺桶を思わせるコンテナが置かれていた。コンテナにはZZ-X300AAの刻印。その中には魔王と呼ばれる男の力が眠っている。
ザフト軍にとってこの輸送機がフォイエリヒガンダムを運んでいるのだと確信があった訳ではなかった。しかし、フォイエリヒ受領の現場に満足な護衛もつけずにひっそりと輸送機が飛行している事実は、ザフトに確信じみた推測を与えるには十分であった。
追い続けるゼーゴックの部隊は奇しくも理解していたのである。戦いは、今ここに始まったのだと。
ゼーゴックのビーム・ライフルから放たれたビームが、次第に輸送機をかすめるようになりつつあった。それだけ距離が迫っているのだ。このまま振り切れるはずもない。そう、誰もが理解し、ゆえに、輸送機に動きがあった。
格納庫に搭載されているのはコンテナばかりでなくモビル・スーツがあった。白く塗装されたウィンダムにすでにパイロットは搭乗し、後部ハッチへと歩いて移動している最中であった。
ウィンダムのコクピットでは、桃色の髪を波立たせたドレス姿のヒメノカリスが輸送機のパイロットたちと通信を繋いでいる。
「そう……。わかった。私たちはここで降りて敵を食い止める。あなたたちは降下予定地点まで急いで」
「心得ています。ご武運を」
「あなたたちも……」
モビル・スーツが楽に通ることができるほどに大きな後部ハッチは開放されていくと、まばゆい光が格納庫に飛び込むとともに風が吹き込んでくる。そして、迫るゼーゴックが肉眼でも確認できるほどに迫っていた。
ゼーゴックの数は5機。しかし、レーダーには不鮮明ながら他の機体も確認されており数はザフトが集結しつつあることを示していた。
「あなたたちにお父様の力は渡さない!」
格納庫から飛び出すウィンダムは、慣性によりすでに加速を終えた状態にある。輸送機とゼーゴックの間に割って入る形となったウィンダムはノワール・ストタイカーに装備されるレールガンを発射し、その高速の弾丸はゼーゴックに正面から直撃する。一撃で破壊されることこそなかったものの、機体は大きく体勢を崩し、破片をまき散らしながら落下していく。
この一撃に、ゼーゴックの編隊が一斉に動きを変えた。形態をモビル・スーツに戻すとともに散開、ウィンダムを取り囲むように軌道を膨らませたのである。これは事実上、輸送機の追撃を中断したことを意味する。モビル・スーツ形態のまま無理に追撃を続ければウィンダムに狙い撃ちにされると判断したのだ。
周囲を取り囲むように飛び回るゼーゴックを見やりながらつぶやいた。
「あなたたちは餌に釣られた狐。でも、何も得られず檻に閉じ込められる」
ミノフスキー粒子による電波障害が恒常化した現在においてザフトが輸送機の存在を検知できたことは幸運であったと共に不運でもあった。地球軍の不意を突くことこそできたものの、対しザフト軍もまた部隊の集結を待つことなく戦闘を開始しなければならなかったからである。
地中海に展開していたボズゴロフ級潜水艦の多くがダーダネルス海峡へと結集しているのである。しかし、ダーダネルス海峡は海峡の幅が20km程度と狭く、水深も平均して50m、最大でも100m程度と浅い。潜水艦が航行するには不適切な海である。
狭い入り口に多くの潜水艦が集まり、そこに待ち構えていた地球軍艦船はボズゴロフ級を容易に捕捉したのである。
海中には爆雷が踊り、爆発が海面を白く染めいくつもの水柱を打ち立てた。
潜水艦は水上艦に比べて鈍重にならざるを得ない。潜って逃げるにはこの海は浅すぎた。逃げ遅れた潜水艦は爆発にその体を引き裂かれ海底にその亡骸を横たえた。
展開はカーペンタリア基地での戦いを踏襲しようとしていた。
ザフト軍は制海権を確立できておらず、その輸送には潜水艦を用いざるを得ない。主力を潜水艦に頼るザフトにとって、ダーダネルス海峡のような浅海は決して足を踏み入れてはならない場所である。
しかし、ここにはエインセル・ハンターがいる。それだけがザフトに無謀な進軍を強いていた。
シンは同じ部隊の仲間とともに戦闘に参加していた。ヘルベルト、マーズの2人はすでにエインセル・ハンターを求めてすでにダーダネルス海峡を奥へと進んでいったが、シンたちは友軍の支援に当たっていた。
ヴィーノのインパルスが地球軍のフリゲート艦に近づこうと空から接近しようとするものの、対空砲火と敵モビル・スーツのビームによる牽制によって拒まれてしまう。
「どうすんだよ、これ!?」
ヴィーノばかりではない。シンもまた幾度となく接近を試みているものの、敵の攻撃が激しく失敗している。
こうしている間にも投下された爆雷がボズゴロフ級を攻撃し続けている。ダーダネルス海は浅く、インパルスのセンサー類であっても海面下のボズゴロフ級を察知することができてしまうほどだ。
この海峡の入り口を突破できるかどうかはほとんど運試しにも近い。
海面すれすれを航行していたボズゴロフ級を狙うストライクダガーへと、シンは斬りかかった。シールドで避けようとする相手に対して、軌道をひねり、シールドの後ろ側にサーベルを差し込むことですれ違いざまに敵機を切断する。
「レイ隊長、こんな無茶な作戦、いつまで続けるつもりなんですか!?」
「わかっている。だが、俺が作戦に意見できる立場にあると思うか?」
こうしている間にも巨大な水柱が立ちあがっていた。海面下のボズゴロフ級が撃沈されているのだ。それでもボズゴロフ級は海峡の奥へ、奥へと進もうとしている。川を上る魚と変わらない。急かされ一斉に遡上する魚たち。だが、そこには網が仕掛けられている。次々と仲間が絡め取られていると知りながらそれでも魚群は川をさかのぼり続ける。
浅海へと追いやられた潜水艦など浜に打ち上げられた魚と何も変わらない。
シンたちの真下にはすでに潜行さえできなくなっているのか、海面すれすれを航行しているボズゴロフ級の姿があった。その艦体は水上にところどころむき出しとなり、その様は傷だらけの鯨が息絶え絶えに泳ぎ続けているようである。
通信はそんな鯨から届いていた。
「聞こえているか、インパルスたち……」
「こちら、レイ・ザ・バレル大尉だ。そちらの艦はすでに損傷が著しい。こちらで援護する。ただちにこの海峡から……」
艦長からなのだろう。そう、レイは判断するとともに離脱を進めるはずだった。
「我々のことはいい……。君たちは進んで欲しい」
「しかし……」
「私はプラントに妻子を残してきた。子どもはまだ2歳にもなっていない。おそらく私の顔もまだ覚えていないだろう……」
通信は咳き込む音を拾っていた。おそらくは、血を吐いているのだろう。咳に時折、何かを吐くような音も含まれていたからだ。
「今日ここで戦いが終わってくれるなら、子どもは私のことを……、人類の未来のために戦い、その命を賭けた父として記憶してくる。……悔いはない。行ってくれ……。輝かし明日のために……!」
それが名前も知らない艦長の最期の言葉となった。ボズゴロフ級が艦首から急速に沈降をはじめ、膨大な水音が国に子どもを残してきた父親を呑み込んだ。浅い海とは言え、ボズゴロフ級の姿はすぐに沈み消えていった。
シンはボズゴロフ級が完全に沈みきってもまだ海から目を離すことができなかった。その理由は、シン自身にもわからない。シンはザフトと同調しているとは言いがたい。しかし、シンの以前の隊長は、艦長と同じく子どもを残して亡くなった。
「シン、行くぞ……」
必ずしも艦長の遺志を尊重した訳ではないが、レイたちはダーダネルス海峡の奥へと進み出していた。そろそろ戦況が移り始めていた以上、これ以上ここに留まる必要がなかったのだ。
シンもまた、ヴィーノにやや遅れる形でレイの後を追った。しかし、レイにはお見通しのようだ。
「何か言いたげだな?」
「別に……。どんな死に方したって……、戦没者ってことに違いありませんから……」
輸送機が高度を下げながら向かう方向。ボズゴロフ級が光りさす海を進む場所。地球軍、ザフト軍、それぞれの部隊の進路はいくつもの線を狭い海峡に描き、そしてそれは一点で交わっていた。すべての戦力が一つの場所へと集結しようとしていた。
その場所が決戦の地となる。
フォース・シルエットを装備したインパルスガンダムが2機、その場所を目指し飛んでいた。
「ヘルベルト、ユニウス・セブンを思い出すな」
「言うなよ……」
「弟さん、生きていれば19歳だろ?」
「言うなって言ってんだろ」
しかし、マーズはなかなか話をやめようとはしなかった。周囲に敵機の姿がなく、それだけ暇をもてあましていたのかもしれない。あるいは、来たるべき戦いに感慨を深めているのだろうか。
「この戦いが終わったら、墓標を前に語ることは決まってるのか?」
「おい……」
「ところでな、お前、エインセル・ハンターの顔知ってるか?」
「……いいや」
「テレビでも映しちゃくれないからな。俺たち、顔も知らない相手を憎んでんだよな? そんな奴殺して、本当に戦いなんて終わると思うか?」
「じゃあどうすれば戦争が終わると思うんだ? ナチュラルどもの目を覚まさせる方法が他にあるって言うのか?」
マーズが答えることはなかった。すると、ここが戦場であることを忘れるほどの静けさが訪れた。何とも気味が悪く、重苦しくさえある。そのためか、マーズのため息はやや大げさにさえ聞こえた。
「ま、難しく考える必要もねえか。あいつは大勢の人を殺した。その償いをさせるべきってことには誰も文句を言わねえだろうしな」
ガンダム・タイプのみで構成された編隊が、その場所を目指して進んでいた。
その多くはディーヴィエイトガンダムであり、青い鷹を思わせるモビル・アーマー形態で飛行している。しかし、インテンセティガンダム特装型が必死に追行しようとしていた。部隊の先頭を行くガンダムラインルビーンのようなゲルテンリッターでもないインテンセティが機動力に優れるディ-ヴィエイトについてくことができるはずもなく目に見えて遅れ始めていた。
それに呆れていることを隠しもしないのはミューディだった。
「そこの坊や、いい加減諦めなさい。インテンセティでディーヴィエイトと編隊が組めるはずがないでしょ。予定通り潜水艦狩りに行ってきなさい」
「ヒメノカリス姉ちゃんがやばいんだろ? なのに俺の相手は雑魚かよ」
そうは言いながらも、アウルの方も限界を感じているのだろう。インテンセティの全身はミノフスキー・クラフトが強く輝きこれ以上速度を上げることができないことを示している。しかし、まだディーヴィエイトの方は光が淡く余力を残している。
アウルがわがままを通そうとしている時、決まって子守役を買って出るのはシャムスと決まっていた。1機のディーヴィエイトが速度を落とし、アウルのインテンセティと並んだのである。
「元々、今回は地中海のボズゴロフを潰すのが目的だろ? ほれ、行くぞ」
戦闘機よろしくウイングを傾け旋回していくディーヴィエイトに、アウルも渋々と言った様子で機体を傾けた。そこにはもう1機、副隊長であるアーノルドも合流し、合計3機が部隊から離脱した。
残るはキラ・ヤマトのラインルビーンに率いられる2機のディーヴィエイト、ミューディー、及びステラの機体である。ステラのディーヴィエイトは褐色を基調とした塗装がなされておりより鷹を思わせる。しかし、その飛行はどこか安定を欠き、パイロットであるステラの不安が感じ取れる。
そのことに気づかないキラではなかった。
「ステラ、君は本当ならこんなところで戦うはずの子じゃない。無理はしないようにね」
「うん。わかってる……」
ステラは元から恐がりなところがある。そのため、見ていて危なっかしいところはある意味では年相応と言えた。
ミューディーはため息をつく。
「ま、私はエインセル代表守れればそれでいいから、この子とヒメノカリスって子は任せるわ隊長」
「ミューディー、君も同じだよ。狼を守るために子犬が命を賭ける必要なんてないからね」
ミューディーは再びため息をついた。
「でも、わたしたちには必要なのよね、あの方が。プラントが奪った10億の命の責任を果たさせるためにはね」
そして、その場所は定まった。
輸送機が高度を落とし、後部ハッチを開放。格納されていたコンテナを投下したのである。コンテナは四隅に備えられていたパラシュートによって日の光の中をゆっくりと降下し始める。それは白く、人型を納めるよう長方形にしつらえられたそれは、つまりは棺を連想させる。
それは波間に落ちるとそのまま漂い始め、その瞬間、こここそがすべての力が集う場所となる。
ある者は守るために。ある者は殺すために。
ここにはエインセル・ハンターの力がある。かつて地球を救った英雄が訪れる。世界を混沌と破滅に突き進ませようとしている悪鬼が舞い降りる。今日、この場所に。
もとは軍事施設に乏しく大規模な戦いなど想定されていない場所である。しかし、戦いの条件は至極単純である。ただ敵がいること、それだけでいいのだから。
四方から集った戦力は敵味方がない交ぜとなりながら集結していく。戦いの密度は急速に濃縮され、誰ともなく、誰もが始めた攻撃は空に光の交差を描き幾度となく何度となく死を投げつけ合う。
そう、戦いは始まっていた。
ジェット・ストライカーを装備したストライクダガーが放ったビームがゼーゴックを貫いた。そのストライクダガーを上空から飛来したヅダの巨大な戦斧が肩口から腹部に達するほど深く切り裂く。そのヅダもまたいくつも飛来したビームが突き刺さり爆発する。
敵と味方が隊列もなく混じり合い、生と死が境界を喪失していく。
ザフトに戦略などなかった。この戦いに、エインセル・ハンターに勝利することさえできれば戦いは終わるのである。だとすれば、後先など考える必要がない。ただ、全力を傾け、目標を果たせれば良い。どれほど犠牲を出そうとも、どれほどの戦いになろうとも、今日、この日、すべての戦いを終わらせるために。
地球軍は守らなければならなかった。信じる者がいるからだ。エインセル・ハンターはこの世界のために必要なのだと信じる者がいるからだ。そのために、地球軍はザフトの死出に付き従う。
暴挙には愚挙で臨まなければならない。
ある部隊は、同じ隊の仲間よりも敵機との距離の方が近い。モビル・アーマー形態で高速飛行するセイバーガンダムは多数のビームの下をくぐり抜けたものの、その軌道が同じく飛行するディーヴィエイトガンダムと重なることに気づいていなかった。斜めに交わり衝突する2機。瞬時に火だるまとなり残骸が二つの方向に飛び散る。
もはや誰も誰がいまだ生存していて、誰が戦死しているのかを把握することができないでいた。そして、生存者であっても次の瞬間に生きているとは限らない。
死者と生者さえ混ざり合う混戦状態。それを、魔王の力が封じられた棺が見上げている。