夜の砂漠は冷える。砂と岩は日中の熱をため込むことができず夜本来の寒さが顔を見せるからだ。青い月に照らされる風が砂を吹き上げる様は、そのような説明を待つまでもなく寒々しい印象を与える。
そんな砂の荒野の中、不似合いな一団の姿があった。
まず目を引くのは赤い巨人の姿だろう。地球軍の3種のガンダム・タイプの一つ、イクシードガンダムが3機、かしずく姿勢で電源車に繋がれていた。他にもデュエルダガーの姿が散見される。
切り裂きエドの通り名で知られるファントム・ペイン、エドワード・ハレルソンの部隊である。決まった拠点を持たない遊撃部隊である彼らは、補給でさえこのような砂漠の真ん中ですませてしまう。こうしてザフト軍に位置を掴ませないまま、ゲリラ戦を繰り返している。
その神出鬼没ぶりからザフト軍に恐れられるエドワードだが、その実物を目にしたら面食らうことになるかもしれない。
「寒いったらないな。次の休暇はリゾートでトロピカル・ジュースでも飲みたいもんだな」
たき火を囲んで座る軍服の一団の中、唯一着崩した格好をした調子の軽い男がエドワード・ハレルソンである。日に焼けた肌、緊張した面々の中でさえ大げさに体を震わせてみせる余裕を見せていた。見る者が見たなら、かつてこの砂漠にその名をはせた虎と呼ばれた男を思い浮かべるかもしれない。
人生の楽しみ方を心得ている、そのような男なのだから。
そんな隊長へと、一人の隊員が立ちあがるとそっと一枚の写真を差し出した。エドワードは受け取ることもなくコーヒーをすすっている。しかし、写真を見るなりかすかに視線を険しくしたことに、めざとい隊員の何名かは気づくとともに体をさらに硬くした。
写真には、引き絞られた弓やのような飛行戦艦が映っていた。
「ラヴクラフト級とは珍しいな。ザフトの騎士様でも来てるのか?」
「そのようです。アスラン・ザラが地球に降りているとの情報は以前から入っていました。おそらく、間違いはないものと」
「どうしてアフリカにいるんだ? エインセル代表を追っていると聞いてたが?」
「わかりません。しかし、どうしますか?」
ザフトきってのエースの登場、それが隊員たちの緊張の原因である。たき火を囲む視線は自然と切り裂きエドへと集まっていた。
エドワードはと言うと、とりあえずコーヒーを飲み干すことを優先したようだ。カップを不必要に砂に埋もれさせてから、ようやく一人の部下にタブレットを見せるよう仕草で促した。
「国境を避けて飛んでるな。ずいぶんな大回りだ。少しばかり無理すれば追いつけなくもないな」
ザフトの騎士と戦う可能性が出てきたことで、当然のように場を緊張感が支配するようになる。その様を見たエドワードはただ不敵に笑って見せた。
切り裂きエド。その名前はあるシリアル・キラーに由来する。接近戦を得意とし、敵の機械オイルを返り血の如く浴びた姿を伝説的な殺人になぞらえて付けられた異名である。しかし、本当のエドワードを知る人々は理解している。どのような激戦地にも嬉々として臨むエドワード・ハレルソンという男を知る者にとっては、まるで殺すことを楽しんでいるようにさえ見えることにもあるのだと。
そして、そんな彼に付き従う者たちもまた、同じ戦いを繰り返し続けていた。
大物を前にした武者震いと恐怖に体をすくませることは意味が違う。彼らもまた、戦いの予感に口元を堪えきれずに緩ませていた。
殺人狂に付き従う者たちもまた、殺し合いを楽しんでいるようである。
「切り裂きエドが獲物を無傷で帰したなんてあっちゃ名折れだ。騎士殿にはアフリカの思い出の一つでもお持ち帰り願うとするか」
切り裂きエドは殺害予告のような悠長なことはせず、それは突然訪れた。
ラヴクラフト級パラスアテネが合流予定であった降下部隊が切り裂きエドの部隊と思われる敵部隊から襲撃を受けている、そう連絡を受けてからすでに10分以上が経過していた。
ガンダムヤーデシュテルンが8枚のウイングをミノフスキー・クラフトで輝かせながらただ1機で砂漠の夜を飛行していた。その速度から、アスランがどれほど焦りを覚えているかはうかがい知れる。
コクピット内に流れるルナマリアの声は、通信を通してさえ慌てた様子であった。
「アスランさん、1人で行くなんて無茶です!」
「インパルスではどうせヤーデシュテルンについて行くことなんてできない。君は準備を整えてから追いついてくれればいい。わかるね?」
「は、はい……」
そう、通信は切れた。アスランが素早く出撃できたのはたまたまヤーデシュテルンの調整中であったからにすぎない。
ミノフスキー・クラフトはその性質上、推進力は表面積に比例する。8枚ものウイングを持つヤーデシュテルンはゲルテンリッターの中でも優れた推力を有する。しかし、そうであったとしても目標地点まではまだ多くの時間を必要とした。
合流が予定されていた地点から戦闘地点が大きくズレていたことも所要時間を増加させている。
「どうしてこうも予定地点から離れているんだ……?」
アスランの言葉は、疑問とも苛立ちともとれる抑揚を含んでいた。
コクピット内を飛び回る妖精、翠星石は一瞬の躊躇いをみせたもののアスランの問いかけに答えた。
「敵の誘いに乗ったみたいですぅ……」
「みすみす罠に飛び込んだということか……。一体何をやっているんだ……」
今度は、苛立ちと嘆きが混じり合っていた。その理由を、翠星石は知っている。
「仕方ねえですよ。今のザフトは練度じゃ地球軍には勝てねえですよ。もう戦争始まってから8年で、3年前の時点でさえ学徒兵を使わねえと戦線を維持できねえくらいでした。シンだって半年しか軍学校通ってねえって聞くです。カーペンタリアだって敵の策にはまって潜水艦を……」
「わかっている……! だが他にどうしろって言うんだ? たった3000万の国民で地球の戦線さえ維持しなきゃいけないんだぞ。短期養成しか手段がないだろう?」
すでに3年前の時点でプラントの戦死者は、血のバレンタイン事件も含め200万人を超える。その人員不足を補うため、速成訓練を行い、免税や市民権を餌に兵員を集めている。その結果、全国民の3割を超える人間が軍関係者という極端な先軍体制がとられていることを、アスランも翠星石も知っている。
しかし、アスランはこの話題を避けがちであった。そのことを翠星石は理解しているからこそ、翠星石はすぐに返事をすることができなかった。
「……翠星石はアリスです。昔はバスターガンダムの心やってました。だからわかるです。アスランは自分に嘘ついてるです」
ヤーデシュテルンは砂漠を1人飛行し続けている。ここはアフリカ、かつてアスランが1人の敵将と心通わせたのも、夜の、この大地だった。全天周囲モニターには、月に青く沈められた砂の大地がただただ映し出されている。
「……モーガンさんのことならことなら忘れてないさ。ただ、映画じゃ、俺の尊敬しているのはバルトフェルド司令だ。話は合わせないといけないだろ?」
ザフトの騎士を導いたのが敵の人間では都合が悪いのだ。
「モーガンさん、今のアスランみたいなこと、望んでたですか?」
「あの人はエイプリルフール・クライシスで家族を亡くした。もちろん、モーガンさんだけじゃない。地球全体で10億人が亡くなったし、戦争でもさらに人命が失われた。今でもそれは続いてる。俺はそれを一刻も早く終わらせたいと考えている。そのことに嘘はないさ。わかるだろ、翠星石? 俺はどんな手を使っても戦争を終わらせるつもりでいる」
アスランは努めてザフトの騎士であることを意識している。いつも正しく、聡明でどのような困難にも立ち向かうザフト最強の戦士であることを。
しかし、ここにはアスランと翠星石しかいない。そのためだろうか、ふとモニターの砂漠を見やったアスランが見せた顔は、アスラン・ザラだった。
「……翠星石。俺は……、エインセル・ハンターに勝てるか?」
「負けは、しねぇです。でも、倒せねぇです……」
すべてをかなぐり捨てた理想も力もまだ魔王には及んでいない。しかしそれはプラント政府も、ザフトの騎士にとっても認められることではなかった。
アスランは否定も肯定もしないまま、翠星石も答えを求めようとはしなかった。
ただ、ヤーデシュテルンは飛行を続けていた。
アスランが地球を訪れたのはこのアフリカの大地が初めてとなる。ただ地球の人々のことを血のバレンタイン事件を引き起こした連中だという認識しかない中での話だった。しかし、モーガン・シュバリエとの出会いによって、地球の人々もまた被害者であることを知った。それはアスランの中で迷いが生まれた瞬間だった。
無力さを覚えた瞬間だった。
敵を殺さない、そんなことをしたところで仲間の誰かがその敵を殺し、あるいはその敵が仲間の誰かを殺す。どんなに迷ったとしても、戦いは終わらせたいと考えたところで、それだけで戦争が終わりを迎えることは決してなかった。
すべきことは何も変わらない。ただ、引き金を引く指にまとわりつく重苦しい迷いが増えただけだった。
モーガンとの出会いの後も、アスランは多くの敵兵を殺し、多くの仲間を殺されてきたのだから。
同じアフリカの空、同じ月に見下ろされた今日もまた、同じことが起きている。
ヤーデシュテルンはまもなく、戦場へと到着した。しかしそこで行われていることは、戦いとは名ばかりの殺戮だと言えた。
イクシードガンダムを中心としたデュエルダガーの部隊がヅダへと襲いかかっていた。彼らの戦い方は正確で、それ以上に残忍だった。
イクシードの振るった大型ビーム・サーベルがヅダの右腕を切り落とした。これでヅダはライフルを失った。さらにもう一方のビーム・サーベルが左腕を切り落とすと、両腕を失ったヅダは逃げようとスラスターを吹かせた。しかし、その時には足を切断され間髪入れずに頭部がぶつ切りにされる。完全に体勢を崩したヅダが後ろへと倒れようとしたところでようやく、イクシードはその手にする一対の大型ビーム・サーベルをヅダの胴体へと叩きつけた。四肢と頭を失った体は縦に三つに割かれるとともに爆発すると、そこには全身に返り血を浴びたイクシードと、もはやモビル・スーツの残骸なのだと判別することさえ難しいヅダの亡骸だけが残っていた。
この戦い方は残酷なのではない。冷酷なのだ。危険を冒してバイタル・エリアを狙うのではなく、敵の攻撃、防御の手段を奪った上でとどめをさす。この戦い方を何の痛痒もなく行うことができるのだとすれば、それは敵は切り刻まれた亡骸と化す。
「こちらアスラン・ザラ。これより援護する!」
「ありがたい。ザフトの騎士が……」
通信は途中で切れた。ヅダが複数のデュエルダガーに一斉に斬りかかられいくつもの塊となって爆発した。
両腕を失ったヅダが恥も外聞もかなぐり捨てたように逃げ出しながらも後ろから1発のビームが、2発のビームが、次々と飛来するビームに撃ち抜かれていた。ただ一刀で胴裂きにされたヅダが幸せであったと思えるほど、地獄絵図が繰り広げられていた。
もはや通信から聞こえてくる声は言葉をなしていない。悲鳴、慟哭、声にならない声がノイズのようにヤーデシュテルンのコクピットを蝕んでいる。
「貴様らー!」
ヤーデシュテルンはビームを地表へと放ち、その爆発に紛れる形で一気に降下した。そして、爆煙から一瞬にして敵機へと突撃する。デュエルダガーは反応さえできずに腹部から真一文字に切り裂かれた。その勢いのまま、さらにヤーデシュテルンは敵機の爆発に巻き込まれるよりも早く次の敵へと向かう。すれ違いざま、1機のデュエルダガーを切断したところで、アスランは背後に突き刺さるような気配を覚え、ヤーデシュテルンを急旋回させた。
ほんの一瞬前までヤーデシュテルンがいた場所、そこにイクシードが一対のビーム・サーベルを力任せに叩きつけていた。その勢いと熱量に砂地が火山のように噴き出す。
このイクシードは他とは違う。そのことをアスランはすぐに理解した。ザフトの騎士であるアスランに、ゲルテンリッターであるヤーデシュテルンに撃墜される危険を意識させた、それほどの相手であるということだからだ。
つまり、このイクシードが切り裂きエドであるということを意味する。
通信からは、ザフト兵の断末魔が絶え間なく聞こえ続けていた。阿鼻叫喚の地獄とは、このような場所のことを言うのではないだろうか。
こうしている間にも命が失われている。地獄の殺人鬼を倒さなければならない。ただ、アスランは焦燥感に突き動かされる形でヤーデシュテルンを突撃させた。2本目のビーム・サーベルを抜き、双剣と双剣、衝突するビームがまばゆい粒子を夜の砂漠にまき散らす。
「どうして! どうしてなんだ-!」
激しい斬り合いを続ける2機のガンダム。ヤーデシュテルンの攻撃は猪突猛進。ただ強く、ただ早く、一瞬でも早く相手を殺すことを目的としていた。それは狙いは正確に急所、ゆえに太刀筋は容易に把握された。切り裂きエドのイクシードはアスランの攻撃をかわし、いなし、ただ防ぐことに終始していた。
アスランが焦れば焦るだけ、それはより愚直に急所を狙うことに他ならず、斬撃を安易にする。それで倒せるほど、切り裂きエドは善良な存在ではない。
「アスラン! 焦りすぎですぅ!」
「わかってる……! わかっている!」
アスランには、すでに何も見えていなかったのかもしれない。
アフリカの大地は、アスランが初めて訪れた地球である。ここで、アスランは敵を知った。
そして、アスランが地球を離れるとき、アスランは多くの仲間を失った。仲間を故郷の空に帰すために残った仲間も、その命を賭した行動で救われたはずの仲間も、結局はみな死んでしまった、殺されてしまった。
仲間のザフトと共に地球を脱出した時、アスランはどこか安心を覚えていた。これでこれ以上、ザフトが地球の人々を殺さずにすむと考えたからだ。そして、その直後、その仲間達はみな、殺されたのだ。
アスランに花を託してくれた少女に、その花を返す機会は永遠に失われてしまった。
アスランが敵を殺さなければ敵が仲間を殺し、アスランが敵を殺さなかったとしても仲間が敵を殺す。
幾たびも、何度も、花の少女のことがフィードバックを繰り返す。そんなアスランには何も認識することができずにいた。いつの間にか、悲鳴が聞こえなくなったことも。目の前に敵がいなくなったことも。
すべてのザフト機が撃墜、いや、解体されその肉片と鮮血をまき散らしたことで敵は目的を達していた。ただ瞬きを忘れた眼で荒い呼吸を続けるアスランを置いて撤退を完了させたのだ。
「アスラン……、もう、敵はいねえですよ……」
翠星石の言葉に、アスランはようやく呼気を整えたが、視線は強ばったままであった。その目つきのまま、ゆっくりと周囲を見回した。開発者であってもその残骸がどのような機体であったのか判別することはできないのではないだろうか。そんな、そこまでばらばらの残骸と化した猟奇殺人の現場が、ヤーデシュテルンを取り囲んでいた。
生存者はいない。全滅である。
また、誰も救うことができなかった。そうだ、また。そう考えると、アスランの心は次第に冷めていった。いつものことなのだ。それを取り立てて問題にする必要が、果たしてあるのだろうか。
いつものことだ、そう、アスランは何事もなかったようにヤーデシュテルンを浮上させると、パラスアテネへと帰還していった。その間、翠星石との会話もなく、パラスアテネと通信することもないまま、パラスアテネの格納庫にてヤーデシュテルンから降りるまで誰と言葉を交わすこともなかった。
それから初めて会話をする相手は、降りた直後に話しかけてきたルナマリアとなる。
「アスランさん、その……、合流するはずだった部隊はどうなりましたか……?」
「残念ながら全滅だった。切り裂きエドが相手だ。無理もないことだろう。ルナマリア、国のために命を捧げた彼らのこと、少しでも惜しんでやってくれないか?」
「は、はい。もちろんです……」
そう、アスランが立ち去ろうとすると、ルナアリアが追いかけるように声をかけた。
「アスランさん……、その、なんだか雰囲気、変わりましたよね? なんて言うか、吹っ切れたというか、迷いを断ち切ったと言うか……」
「するべきことを改めて考えてみただけだ。……ただ、ルナマリア。君は、必要悪という考え方をどう思う?」
「え、と……、悪いことでも必要なことがあるって言うことですよね。必要なんだから、必要なんだと思います」
「そうだな。だから俺も必要なことをしようと思う。この戦争を終わらせるために」
アフリカの大地から遠く離れたオーブにて、一つの決断が行われていた。正式に世界安全保障機構への加盟が決定したのである。
空港の到着所に並んで立つのはカガリ・ユラ・アスハとユウナ・ロマ・セイランの2人である。現在、VIPを出迎えるために物々しい警備と緊張した面持ちで政治家たちが並んでいる中、この2人だけはやや離れた位置でいつも通りの様子であった。
カガリはどこか面白くなさそうにため息をついた。
「結局、加盟に落ち着くとはな」
「プラントが地球全体を2度に渡って標的にしたことを考えると地球に国土を持つ国家、つまりプラントを除くすべての国にとって対岸の火事じゃすまないからね。世論でも5割強が賛成だったんだから、まあ妥当だと思うよ」
「つまり、これは個別的自衛権の範囲内であってオーブの他国の戦争への非介入という原則は守られているということだな?」
少々ムキになったカガリに対して、ユウナは余裕を見せていた。少なくとも自分の主張に近い意見が通ったと考えているからだろう。
「それより、特使として誰が来るか、だね。それによって世界安全保障機構の出方がわかるからね」
到着はまもなくだとわかっている。待ち構える人々が途端に騒がしくなったからだ。記者たちがカメラを構え、政治家の一団が動き始めてもまだ特使の姿は見えてこない。しびれを切らせたカガリがその一団に割って入った。特使の姿はすぐに確認できたはずだが、カガリはすぐに集団から抜け出てくるとユウナに無理難題を突きつけた。
「特使と非公式に会いたい。すぐにセッティングしろ」
「いつ?」
「今すぐだ」
接見が実現したのは、ユウナが思わず目を見開いてからわずか30分後のことだった。
私的な応接間に現れた特使は、車いす姿で現れた。すぐに群集に隠されすぐに姿を確認できなかった理由はこれである。まだ30を越えたばかりと若く、スーツにサングラスをかけた姿は特使とするよりはやり手のビジネスマンを思わせる。
それよりもユウナが気になったのは、特使の連れているSPの方だった。まだ少女と行って言い年齢で、どこか不釣り合いなスーツに不必要にいかついサングラス。その姿はどうにもアンバランスだった。背伸びしすぎた子どもを思わせたからだ。
しかし気を取り直し、ユウナは緊張した面持ちで特使と握手を交わした。
「ブルーノ・アズラエル特使、初めまして。無理な会談、ご了承いただきありがとうございます。こちらが……」
ユウナが紹介するよりも先にカガリが2人の間に割って入る。
「ブルーノ兄さん、来るならどうして連絡をくれなかった?」
「外交日程をやすやすと外にもらす訳にはいかんだろう。それに、君を驚かせてみたくもなった」
カガリが普段見せない朗らかな様子であることに、ユウナもまたこれまでに見せたことのないような面食らった顔をしてみせた。
「知り合いなのかい?」
「前に話しただろう。ブルーノ・アズラエルはラウ・ル・クルーゼの本名だ。それにしてもロベリア、お前まだSPのまねごとをしていたのか? ヴァーリはいつも男がいるな」
「人を恋多き女みたいに言わないでよね。それに、私だってゲルテンリッターのパイロットの1人なんだから。ほら、雛苺」
ロベリアと呼ばれたSPが円盤状のプロジェクターを取り出すと、そこに桃色のドレスを着た幼い女の子の姿が浮かび上がる。ただし、寝ているらしく体を小さくまとめたまま動こうとしない。どうやら寝ているらしい。
ユウナにとってゲルテンリッターを見るのは2人目になるが、そのどちらも寝ていることが多いとように感じられるのは気のせいだろうかと、悩む羽目となった。ロベリアにしてもわざわざ起こす気にはなれなかったのだろう。ばつが悪そうにプロジェクターをしまうだけだった。
状況についていけていないユウナを、もちろんカガリが気遣うことはなかった。
「待っていろ。今、お茶を入れてくる。ロベリア、お前も手伝え。見ておかないと私が毒でも入れるかもしれんだろ?」
どこか呆れた様子のロベリアを連れて、カガリが部屋を離れようとしている時、ユウナはついこんな言葉をかけた。
「カガリ、君がかい? いや、別に他意はないんだけど……」
幸い、カガリは特に気にした様子もなくロベリアを連れて行った。ユウナが不必要に緊張を募らせただけだったのだ。
そんな将来の義弟の姿に、ブルーノは思わず笑みをこぼした。
「初対面でなんだが、君は妹の尻に敷かれそうだな」
「カガリを飼い慣らせる男がこの世界に5人いると思いますか?」
そうは言いながらも目の前のブルーノこそがその五本指の1人だともユウナは考えたようだ。深いため息には、諦観とも疲労感がない交ぜになって含まれていた。相手はブルー・コスモスのかつての代表の1人であり、連れて入る少女はロベリア・リマ、Lのヴァーリだ。自分とは違う世界の人間なのだと思わされたことも原因かもしれない。
「ブルーノさんは、かつてラウ・ル・クルーゼと名乗られてザフトと戦ったとお聞きします。それに今回は世界安全保障機構側の特使としてオーブに来られました。と言うことはやはり武力の必要性をお考えということですよね?」
少々唐突すぎただろうか。そんな意識が、一瞬ユウナの挙動をぎこちなくさせた。
「いや、その、カガリとはよくもめるんです。オーブは確かに中立国です。戦争に極力加担しないという意味では過ぎたる戦力を必要としないのかもしれません。でも、余計な争いを起こさない意味においても戦力は必要だと考えています。それが、カガリにはどうもしっくりこないらしくて」
「武力による戦争の抑止という考え方は、根本的な問題を未解決なままに残している」
「と、言いますと?」
「どれほどの戦力があれば戦争を抑止できるのか明確な基準がないことだ」
ユウナはしばらく悩んだ様子を見せた。
「究極的には、オーブ一国で世界のすべてと戦いうる戦力、ではないでしょうか?」
「では聞くが、世界に100の武力があったとしよう。そこにオーブの戦いうる力、100が加われば200だ。そこで他の国も同じように考えたらどうなるだろうか? さらに200の武力が登場し、総計は400となる。さらにほかの国が加われば、400が加算され800に、1600に、3200に、わずか10カ国が登場しただけで10万もの武力が世界に登場することになる」
「それは……」
「この考え方の致命的な欠陥は二つ存在する。一つは今見たように、オーブ以外の国が軍拡を進めないことを前提としている点だ。それは言い換えるなら、戦争をするつもりのない国だけならば戦争は起こらないと言っていることに等しい。また、逆に尋ねたい。このように相手を疑い、際限のない軍拡競争に臨むことこそが、君の理想とする国家のあり方かね?」
「それは違います……。ですが、戦力が必要なことは歴然とした事実のはずです」
「しかし、ではどの程度の武力があれば戦争を抑止できるのかが明確でなければ結局のところ際限のない軍拡競争に陥るだけではないのかな? 200年以上も前に冷たい戦争と呼ばれた時代、地球を何度も破滅させるほどの核ミサイルが作られた。現在でさえ世界は大量の核兵器を所有している事実は、そんな時代の残り香だろう」
ユウナは一度、応接間備え付けのソファーに腰掛けることにした。車いすに座るブルーノ特使と目線の高さを合わせるためであるとともに、自分の考えをまとめる時間が欲しかったためでもあるのだろう。
「では戦争がなければ戦争が起こらないとでも言われるおつもりですか? それこそ戦争をする気がない国だけなら戦争は起こらないと言っていることと変わりません」
「その通りだ。しかし、私は武力による戦争抑止については懐疑的だ。冷戦よりもさらに古い時代の話だが、ある国が存在した。その国は当時世界最大の国家に戦争を仕掛けた。戦争勃発前、その国と敵国との間の国力差は総合的に見て10倍の開きがあったそうだ。開戦すれば必敗も予測されていたにもかかわらずその国は戦争を仕掛け、その結果、国土を焼かれ、300万もの自国民を失い、当時新型であった爆弾を2発落とされた挙げ句、降伏した。勝てるはずのない戦争に突き進んだ結果だ。この事例に当てはめた場合、10倍の戦力差では戦争を抑止できないことととなる」
「もう200年以上も前の話でしょう。それに、その国が異常なだけでは?」
「そんな見方もできる。しかし、君の理屈では、他国を戦争を仕掛けてくるほどには異常だが勝てない戦争を仕掛けてこないほどには正常だと期待していることになる。それでは武力があれば戦争を起こさない国だけであれば戦争は起こらない、そう言っているにすぎない。それでは結論と前提とが逆転していることは同じではないのかね?」
「しかし……」
「プラントと大西洋連邦の国力差もまた、小さく見積もっても10倍であると言われている。しかし、我々は現に戦争をしている。武力による戦争の抑止論を突き詰めた場合、絶えず他国の10倍以上の戦力を保持し続けなければならないことになる。それは現実的と言えるのかね? そして、仮にできたとしても、他国もまた軍拡に乗り出せば際限のない競争となる」
ユウナは反論しきれない。しかし、ブルーノ特使の理論を受け入れるにはまだ大きな違和感の存在が、ユウナの態度を煮え切らないものとしていた。
「でも戦力を持たなければ戦争が起こらない、という話にもならないはずです……」
この一言に、ユウナの疑問は凝縮されているのかもしれない。そしてこれは、反論というよりも問いかけに近いものだった。ブルーノ特使がどうこの疑問を払拭してくれるのか、そう期待しているようでもある。
ブルーノ特使はしばらくユウナの様子を眺めていた。それは答えを考えるための時間稼ぎではなく、本当に目の前の若者のことを観察しているだけのようである。
「私は、武力があれば戦争が起こらないという考え方は、武力がなれば戦争は起こらないと同様に極論にすぎないのだという考えている。武力がなければ戦争は起こらないという考え方は甘い幻想と言えるが、武力があれば戦争は起こらないという考え方は浅はかな妄想なのではないかな?」
「でも、あなた方はムルタ・アズラエルとして戦ったはずです。もしもブルー・コスモスが立ちあがらなければ地球はジェネシスに焼かれていた! 違いますか?」
「では、我々は正しかったのかね?」
次、問いかけるのはブルーノ・アズラエル、かつてラウ・ル・クルーゼと名乗った男だった。
「アラスカでは敵兵とともに多くの味方を焼き払った。ジブラルタル基地におけるプラント側の犠牲者に含まれる非戦闘員の数を君は知っているかね?」
脚色の多い『自由と正義の名の下に』においても、ジブラルタル基地における描写については正確だとする論評も少なくない。事実、最後に脱出した部隊はアスラン・ザラ、イザーク・ジュールを含めた少数のパイロットのみ生還することができたのだから。
仮に戦争だと割り切ったとしても、アラスカでの行いは反ブルー・コスモス派がまず最初にやり玉に挙げる事実である。
ブルーノは再び問いかけた。
「我々は正しかったのかね?」
「それは……、わかりません。でも、必要なことであったと思います。しかし……!」
そこに、トレイにお茶を乗せたロベリアが訪れた。
「はいはい、お茶ですよ~」
テーブルにそれぞれカップを並べたところで、ようやく自分が何かよくないタイミングで来てしまったのだと気づいたロベリアは、途端に視線が泳ぐようになる。最終的には助けを求めるようにブルーノ特使へと固定されるのだが、そんな空気を突き破ったのは青くれてやってきたカガリの方だった。
「ユウナ、今回は勝負を預けておけ。お前の考え方を揺るがす事実が出てきたんだ。まずはそれをどう解決するか整理するのが先だろう。正直、ユウナは軍事力に夢を見すぎなんだ」
そう、テーブルの真ん中にお茶請けを置いた。