廃材が枝をなし、土には毒。鉄と毒の森は成長し続けていた。
スラッシュ・ウィザードを装備したヅダの戦斧がストライクダガーの腕を切り落とす。すると、その腕はすぐに周囲の残骸と混ざり合い区別ができなくなる。新たな枝が生えたのだ。
片角の魔女を追いかけるヅダが、まったく別の方角から飛来した弾丸によってその腹を食い破られた。制御を失ったヅダは残骸に激突するとともに森の木となる。
降りしきる雨の中、太陽を遮る分厚い黒雲の下、戦いは続いていた。
ここは、そんな戦場から目と鼻の先、しかし雨に降られることもなく照明が明るい。ボパールの格納庫の一つに、エインセル・ハンターの姿があった。つまりこの場所がザフト軍にとっての目標地点となる。
エインセルはステラ・ルーシェを連れたまま、まもなく出発しようとしている小型シャトルに乗り込もうとしていた。そんな青薔薇の魔王に声をかけたのはソル・リュ-ネ・ランジュである。
「エインセル代表。あなたに出会えたなら聞いてみたいことがあると常々考えていました。あなたは冷静です。私などいつ敵が飛び込んでくるかと思うと正直、落ち着きません。でも、あなたは違います。現在も、そして、かつての大戦においてもです。その胆力は一体どこからくるのでしょう?」
エインセルは立ち止まり、振り返る。
「それは単純なことです。私は死を恐れません。しかしそれは勇気ではなく手段なのです。私たちの目的に、私たちの命は含まれません」
「つまり、どういうことでしょう……?」
「生きたい、そんな欲求に乏しいのです。お金に執着しない人が、財産を失うことを恐れることはないでしょう。それと何ら変わりません」
突然、格納庫の天井が震えた。遠くでモビル・スーツが爆発でもしたのだろう。この音にソルは不安げに天井を見上げたが、すぐに視線をエインセルへと戻した。
「では、あなた方の目的とは、どのようなことなのでしょうか?」
「世界が良き方向へと進むことを願うことです」
「それは私も同じです。さすがに議事録まではごらんになっていないと思いますが、私は安全保障機構では急進的な立場にいます。赤道同盟はウィンブル落着によって多くの犠牲を出しました。そのことを許すことはできません。プラントの体制を改めさせるためには何だってする覚悟です。しかし、それでも死を恐れてしまうのは未練なのでしょうか?」
「それは違います。仮にあなたが命を落としたとして、果たして世界の利益になるでしょうか?」
「ならないと、願っています……」
「ではあなたは生きることがより良き世界のためになります。あなたは死を恐れなければなりません」
これで質問には十分に答えたと考えたのだろう。エインセルは再び振り向き、シャトルへと歩き出そうとする。
「あなたの死は……、世界が正しい選択をするために必要なのですか……?」
この質問に、エインセルは答えることはなかった。しかし、タラップに足をかけた時、ただ一つだけ、エインセルは言い残した。
「ソル代表。私は死にません。私を殺せるのは敵であって敵ではない者であり、復讐者にして復讐者ではない者であって、何より愛を知る者でなければならないからです」
ヒルダはザフト軍に所属する女性パイロットであり、周囲からはタカ派として周囲に認知されている。3年前の大戦で姉を亡くした。しかし、彼女が地球に対して強い敵愾心を見せることは以前からのことで、姉の死は理由の一つにすぎなかった。すでに20代後半である彼女は俗に言うユニウス・セブン世代ではない。しかし彼女の両親はプラントに理想郷を見いだし移住を決めた最初の世代の人々であり、子どもを当然のようにコーディネーターとして生み、プラントこそが世界のあるべき形なのだと娘達をはぐくんだ。
プラントで生まれ育ったヒルダは地球のことを知らない。くだらない場所だと見限って移住を決めた両親の話からそこがどんなところであったのかを聞かされた。無論、どのような話も最後にはくだらない場所だったと片付けられた。
そんな彼女が国粋主義的で、ナチュラルをコーディネーターの出来損ないと信じるようになったのは当然の成り行きだと言えよう。
ヒルダは愛機であるインパルスガンダムのコクピットでその眼光を険しくしていた。
無知なナチュラルはエインセル・ハンターによって扇動されているにすぎない。そんな理屈はこのパイロットの心にはひどくわかりやすく、ゆえにヒルダはそうと信じられた。
今日、この日に戦いは終わるのだ。ザフトの精鋭、その誰か1人でもエインセル・ハンターの心臓に一撃見舞えばいい。ただそれだけのことなのだから。
片角の魔女の魔術に翻弄されながらも、ヒルダは仲間達と全身に雨を浴びながら歩み続けていた。
乗機であるインパルスガンダムのビーム・サーベルがストライクダガーの1機のコクピットを刺し貫いた。蹴り倒すまでもなく仰向けに倒れたストライクダガーを見下ろしながら、ヒルダはこれが片角の魔女であることを願った。
しかし、すぐにピートリー級陸上戦艦が狙撃されたことが通信で伝えられると、ヒルダは思わず目の前の残骸へとビーム・サーベルを突き立てた。
「どこだ!? どこにいる!?」
片角の魔女を倒さなければエインセルのもとにたどり着くことはできないそのことをヒルダは理解していた。だがその理解力を持ってしても、自分が激昂していることを把握しきれてはいなかった。
さらに通信があったのだ。エインセル・ハンターがシャトルで脱出しようとしている。そんな怪情報がザフト軍の間でまことしやかに囁かれていた。
「ヒルベルト、この情報は確かなのか?」
モニターに映る同僚は、そのひげ面を曖昧な様子で傾けただけだった。
「俺に聞くな。だが、情報は妙に詳細だ。もしかしたら内通者でもいるのかもしれんな」
ヒルベルトの言葉通り、シャトルの出発予定時間およびその経路まで通信内容に含まれていた。それは奇しくも、ヒルダの位置から遠くない場所であった。
今向かえば間に合う。ヒルダの決断は早かった。冷静に他の選択肢を考慮するだけの冷静さを欠いていたのだ。
「私はこれからエインセル・ハンターを追う!」
「危険すぎる。せめて俺たちが到着するまで待て」
「時間がない!」
フォース・シルエットがより強く輝き始め、インパルスガンダムが雨を弾き飛ばしながら急上昇していく。それと時を同じくしてボパールから1機のシャトルが飛び出した。急速に速度と高度を上げてくシャトルに、ヒルダは肉薄しようとするも航空力学を無視した形状のモビル・スーツでシャトルに追いつくことは難しい。次第に引き離されていく。
出力を上げる。ただ出力を上げる。ヒルダは無駄とはわかりながらもレバーをありったけの力で押し切ろうとした。その顔は、餓えた獣が獲物を追いかける様にも思えた。
そんな彼女の執念が実ったのだろうか。インパルスのカメラがシャトルの窓を捉えた。金髪碧眼の男の姿を写し取った。
「……!」
すぐには声が声にならなかった。ただ、言葉の出来損ないが息となってこぼれただけだ。
「エインセル……! エインセル・ハンターは! あのシャトルにいる!」
この言葉は通信を介してザフト兵にまたたく間に伝わった。しかし、今のヒルダにとってそんなことはどうでもよいことだと言えた。平和の敵、殺戮者、プラントの悲願が目の前に転がっている。ただその執念だけがヒルダを突き動かしていた。
これですべてが終わる。たった一発、ビームを撃ち込めば戦争は終わるのだ。
限界速度を迎えつつあるインパルスはその全身を軋ませていた。しかし、主であるヒルダの命に従い、どこかぎくしゃくとした動きながらもビーム・ライフルをシャトルへと向ける。
ヒルダは引き金を引き、放たれたビームはシャトルを貫いた。その一瞬前に致死的な衝撃が襲いかかることがなかったなら。
エインセル・ハンターが炎の中に消える光景は、ヒルダの夢にすぎなかった。
片角の魔女は魔王への不躾な謁見を許すことはなかったのである。鉄の森のどこからから飛来した弾丸がインパルスを正確に捉えた。フェイズシフト・アーマーを実弾で貫通することは難しい。事実、ヒルダのインパルスは強烈な輝きを放ちながらも原形こそ保っていた。
だが、高機動中に質量弾の直撃を受けて姿勢を制御できるはずもない。黒雲から降りしきる雨の中、インパルスが落ちていく。フィズシフト・アーマーの放つ強い光を放ちながら。
戦場に不釣り合いなまばゆい光が落ちていく。そこへ、森の至るところからビームの光が立ち上り、命中する度にミノフスキー粒子が光の瞬き、それが絶え間なく連鎖する。九度となく光の粒子をまき散らしながら咲き乱れる花火は、それが消えた時、インパルスの姿をどこからも隠してしまっていた。
そして、魔王は手の届かない遙かな高みへと消えていった。
もはやこれ以上の戦いは意味をもたない。戦意を喪失したザフト軍は次第に攻撃の手を緩め、片角の魔女もまた追撃を加えようとはしなかった。火が雨に次第に鎮められていくように静かに戦いは終わったのである。
戦果はザフトの敗北であろう、おそらくは。
ザフトは戦いが終わった現在でさえ、自分達が何と戦っていたのか確信が持てないでいた。片角の魔女と戦ったはずである。では、魔女を倒すことができたのか、それとも、まだ鉄の森の奥深くで、旅人が迷い込むことを舌なめずりして待ち構えているのだろうか。
ザフトは自分達が何をしたのかさえ理解できないでいた。
しかし、失ったものは確かだった。エインセル・ハンターを倒す千載一遇の機会を失し、多くのモビル・スーツとともに貴重なピートリー級までも失う羽目となった。
鉄の森は、死者の魂を糧に成長を続けている。
ザフト軍の敗北、それ自体がニュースとなることはなかった。少なくとも、オーブ首長国のカガリ・ユラ・アスハはそんな戦いのことを耳にしてはいなかった。多くの書物が置かれながらも整理の行き届いた部屋、ただこれだけでカガリの部屋でないことがわかる室内で壁掛けのモニターの前で難しい顔をしていた。
それはユウナ・ロマ・セイランが開いたままのドアをノックした時も同じ顔だった。
「どうしたんだい? 金糸雀をほったらかしにしてまでそんな難しい顔して?」
ユウナの手には黄色のドレス姿の少女の姿を映すプロジェクターがある。カガリは許嫁のことを見ようともせずにモニターを眺め続けていた。
「ユウナ……。DSSDとは何だ? エピメディウムの残したものだが、これ見よがしに置かれていたのがこの組織についての情報だった」
モニターには壁一面というほど大きく、ある組織に関する情報が並んでいた。宇宙ステーションの写真の他、老人の写真があった。カガリはこの老人を知っている。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンである。
もっとも、ユウナにとっては歴史上の人物の一人に過ぎない。
「DSSDは深宇宙の資源開発を目的とした公社のことだよ。多数の国と地域から支援を受ける国際団体としても機能してる。創業はC.E.17年。元々はジョージ・グレンが木星圏探索のために設立した会社で、その後NGOとして活動を続けているよ。ほら、ジョージ・グレンが木星探索に使った船、ツィオルコフスキーってあっただろ。それを今も管理、運用してるのがここさ」
ファースト・コーディネーターとDSSDはあまりに容易に結びついた。
「プラントとの関係は?」
「DSSDには各国が資金援助をしている。額は様々だけど、一番多いのは大西洋連邦。ただ、これは国家規模を考えれば妥当な額だよ。でも、きっと君が問題にしたいのはこっちの方だと思うよ。金糸雀、DSSDの出資額について出してくれないかな? 公表されてるので十分だから」
プロジェクターから金糸雀の姿が消え、代わりに棒グラフが表示される。3次元的な人の動きをたやすく投影して見せるプロジェクターはグラフ程度簡単に描き出すことができた。
「これが各国の支出資金。今度は国費との割合を示して。一見すると大西洋連邦が一番でユーラシア連邦とかが続く形だけど、よく見ると国家規模に反比例して出資額が多い国があるんだ」
カガリはカナリアが姿を変えたグラフを眺めると、すぐに答えを導いた。どれもなじみのある国家だったからだ。
「オーブ首長国、スカンジナビア王国。そして、プラントだな」
カガリは知っている。オーブ、スカンジナビア、ともにヴァーリが送り込まれた国なのだと。オーブではエピメディウムが、スカンジナビアもまたヴァーリの誰かが送られているはずなのだ。
ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンの設立した団体をコーディネーターが強力に支援している。それを感傷ゆえと片付けてしまうにはカガリは現実的だった。
「ユウナ、DSSDとは一体何なんだ? 妙に詳しいようだが?」
現オーブ国家元首の息子は笑いながら答えた。
「さすがに僕にもそこまではわからないよ。ただ、エピメディウムが関わってることは知ってたからね。金額的にも少しは調べてみたくなるさ」
カガリは視線を壁掛けモニターに移しただ難しい顔をしていた。ある新聞の記事を思い出していたからだ。
「ユウナ。以前に見せた新聞記事を覚えてるか?」
「何かあったっけ?」
「覚えてないならいい。だが、私の読んだ記事では小惑星フィンブルが木星圏に由来すると書かれていた。ファースト・コーディネーター、DSSD、そしてフィンブルだ。木星という言葉が現れては消えていく」
「考えすぎじゃないかな? たしかに、現在でも木星に行っている人なんてDSSDとツィオルコフスキーくらいだとは思うよ。でも、その記事が正しいとも限らない。不確定要素が多すぎる、それが妥当な判断だよ」
カガリはユウナからプロジェクターを受け取ると特に何か操作した様子は見せなかった。しかし、グラフだった映像が黄色いドレスを身につけた少女に置き換わると、それはちょうどカガリがお人形を抱いているかのような構図を作り出す。
「だがなユウナ。……エピメディウムは私にこれを残した。自身の死を予感しながら、ダムゼルの1人としてな。私にはその遺志を継ぐ責任がある」
ミルラ・マイクはプラントの一角でお茶の時間を楽しんでいた。戦場から遠く離れた解放式のコロニーでは地球とほぼ変わらない風景が広がっている。ミルラが現在いる場所も、探そうと思えば地球のどこにでも見つかりそうな、そんな喫茶店の中だった。
Mのヴァーリであり、豊かな黒髪の持ち主であるミルラは全員が揃って容姿端麗であるヴァーリの中でも特に美人という言葉が似合う。
「軍をやめたくせに今さらデンドロビウムに会えると思ったのか?」
そんなミルラの相席叶った幸運な男は、しかし不機嫌ともとれる顔をしていた。もっとも、彼、イザーク・ジュールにとっては普段通りの表情でしかないのだが。
「ミルラ・マイクだったな? 俺は教官として教え子にどれだけ小さな可能性であれ挑戦しろと教えている。そうである以上、まずは俺自身が実践すべきだろう?」
「冗談を言えるとは知らなかったな」
そう、楽しげというよりも面白げに微笑むと、ミルラはお茶を口に含んだ。もっとも、イザークは手元に置かれたカップに触れてもいなかった。
「お前でもいい。これはそんな教え子からの依頼なんだが、インパルスについて聞きたいことがある」
「インパルスの? わざわざ聞くような機体か? プラントなら子どもでも知っているようなザフトの主力だぞ」
「俺なりに調べてみたがインパルスには不可解な点が見受けられるな」
ミルラとしては皮肉を言ったつもりはなかったのだろう。事実、インパルスガンダムはザフトの広告塔に使われるほど知れ渡った機体である。プラントであれば子どもでも3種のシルエットを言い当てることができるほどだろう。
もっとも、イザークが不可解な点、と表現したことには、ミルラはカップを傾ける手を止めてまで関心を示した。
「たとえば?」
「ユニウス・セブン休戦条約によって各国はモビル・スーツの保有台数が制限されている。無論、インパルスも例外扱いされているはずがない。だが、インパルスの登録数はコクピット・ブロックの数らしいな。また、インパルスには上半身、下半身との分離合体機構がある。実際、1機のコクピット・ブロックにつき5、6体分を用意して運用することは一般的のようだ」
「君らしくもなくまどろっこしいな」
「見知った間柄でもないはずだが? まあいい。インパルスの登録数と実機の数とがズレていることになるな。上半身と下半身、それだけ見ればインパルスは6機あることになるが、登録はコクピット・ブロック分のわずか1機になる。無論、通常のモビル・スーツでも平均して3機分程度のパーツを確保しておくことになるが、それはあくまでもばらばらのパーツとしてだ。それを3機のモビル・スーツにしたてようとした場合、大変な労力だろう。だが、インパルスはただコクピット・ブロックを作りさえすればいいことになる」
すでに上半身、下半身は独立した機体として完成している。そうであれば、コクピット・ブロックさえ量産すれば簡単にインパルスガンダムの数を増やすことができるのである。
「つまり、インパルスガンダムの分離合体機構は条約破りの伏線でもある、そういうことではないのか?」
しばらくは不敵な笑みをしていたミルラだが、我慢できなくなったように笑い始めた。
「よく調べたな!? お前は優秀なパイロットだが、探偵か記者にもなれそうだな。だが、仮にそうだとしてそれがどうなる? お前の教え子とやらが知っても仕方のないことではないのか?」
「一事が万事だろう。一つ秘密を隠している奴は二つ目の隠し事もしているものだ。そして、よりそれは危険な秘密であることが多い。何せ、一つ目の秘密よりも厳重に隠されているくらいだからな。インパルスにはまだ隠された何かがあるのではないか?」
「なるほど。口の軽さに定評のある私だが、あいにく、モビル・スーツについては門外漢だ。しょせん、パイロットの1人でしかないからな」
「だからこそ、せめてデンドロビウムに会いたかったんだが……」
イザーク自身、ミルラから情報を聞き出せることを期待はしていなかったのだろう。しかし、デンドロビウムは面会に応じず、その場に居合わせたミルラに拾われる形でこうしてお茶にしている。
「話は変わるが、Eのダムゼル、エピメディウム・エコーが死んだな? ダムゼルの会合、その帰り道でな」
この問いかけには、ミルラは明確な形で反応して見せた。楽しんでいる風であった顔を一変させ、途端に表情が乏しくなった。
「インパルスについてよく調べたと褒めたばかりだが、撤回しよう。どうやらお前に入れ知恵した奴がいるようだな。ダムゼルのことを知っているとなると、まともな素性ではないんだろう? 何者だ?」
「その言葉を待っていた」
そう、イザークは椅子に腰掛けたまま後ろへ軽く手を振る、そんな合図を送った。しかし、その必要はなかったかもしれない。1人の男がすでに撮影に興じていたからだ。男はプロ仕様の立派なカメラを手にあらゆる角度からミルラのことを撮影していた。
許可を得ていない。まったく遠慮がない。怪しい風体で女性にいらぬ危機感を覚えさせてしまうような笑みをしている。そんな男の撮影行為に、さすがのミルラも体を目に見えて固くさせていた。
「イザーク……。私はな、血のバレンタインの夜でもここまで恐怖を感じたことはなかったぞ……」
「この男の名前はケナフ・ルキーニ。俺も最近知り合ったばかりのフリー・ジャーナリストなんだが、ヴァーリのファンだそうだ」
ここでようやくイザークは自分のお茶に手をつけた。しかし、すでに温くなっていたのだろう。物足りなそうな顔をしてすぐにカップを置いてしまう。それくらい、イザークはミルラの窮地に関心を示すことはなかった。
「で、そんな男が一体何をしている……?」
答えたのは写真を撮る手を止めたケナフの方だ。
「元々はイザーク君が弱いながらもデンドロビウム嬢につてがあると聞いて接近したんだが、まさかMのヴァーリに出会えるとは嬉しい誤算だったよ」
「そうじゃない。なぜ、写真を撮ってる……?」
「ああ、気にしないでくれ。悪用するつもりはないよ。単に趣味として君たちをコレクションしたいだけなんだ」
それだけ言うと、ケナフは再び写真を撮り始めた。その口元は明らかに愉悦に歪んでいる。拳銃を額に押し付けられたとしても笑っているであろうミルラが落ち着かない様子で体を小刻みに震わせ始めた。その視線は警戒心丸出しでケナフの動きを追っている。
イザークは懐からプロジェクターを取り出す。
「ヴァーリ顔がお好みらしくてな。蒼石星も写真を撮られまくったせいで出てこなくなった。いわく、生理的に受け付けないんだそうだ」
「私もごめんだ!」
テーブルを叩かんばかりの勢いでミルラは立ちあがると、もはや逃げているとしか思えないほどの速さで店をあとにした。他の客たちは何事かと注目した様子であったが、残された男2人に周囲のことをいちいち気にかける神経はなかった。
ケナフはミルラが座っていた椅子に、なぜかもったいぶった様子で腰掛けた。
「やれやれ。私はただ写真が撮りたいだけなんだがね」
「その舐めるような視線がまずいんだろう。一つ忠告しておくが、Zのヴァーリの撮影をする前に遺書を書いておいた方がいい。俺の知っている限り、ヴァーリの中で唯一の既婚者だ」
「それも仕方がない。彼女たちは美しい。その記録を残さないことは未来に対する罪とさえ言っていい。違うかな?」
「俺にはどうでもいいことだ。だが、お前は本当にヴァーリに会うことだけを目的として俺に近づいたのか? 仮にそうだとすればあまりに迂遠と言える。俺にはヴァーリとの十分なパイプがあるとは言えんのだからな」
「ゲルテンリッターのマスターに恩を売っておいて損することはないと思うけどね。それに、君は十分に働いてくれた。ミルラ・マイクに会えたのだからね。知っているかい? エピメディウム・エコーのシャトルがそう、『事故』を起こした時、ミルラ・マイクの指揮するモビル・スーツ部隊が近くに展開していた形跡がある」
イザークはここで改めて変質者一歩手前の男を見た。想像していた以上に、この男がヴァーリについて、プラントという国の暗部について深い知見を有していたことが理解したからだろう。
ケナフはお茶代にしては多い額をテーブルに置いた。
「また会おう、イザーク・ジュール君」
満足げに離れていくケナフを見送りながらイザークは思わずため息をついた。
「食えん男だ」
ラヴクラフト級パラスアテネは一路、西へと向かって飛行を続けていた。ボパール攻略に向けて3人のパイロットが艦を離れたため、談話室は閑散とした印象を与えた。アスラン・ザラ、ルナマリア・ホークの2人しかいないからだ。
テーブルにつき休んでいたアスランにルナマリアが積極的に話しかけている。
「アスランさん、私たち、これからどこに向かうんですか?」
「アフリカ大陸のザフト地上軍に合流しようと思う。そこには……」
「はい、知ってます。砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドが地球軍相手に大活躍した場所ですよね。バルトフェルド司令官と言えばアスランさんに強い影響を与えた人でしたよね? 映画でしっかり予習ずみです!」
アスランは一瞬、反応に迷いを見せた。わずか一瞬だけ表情を作ることができなくなり、しかしすぐにそれこそ映画で見せるような笑顔に戻した。ルナマリアの勢いに思わず戸惑ってしまった。そう、周囲からは見えたことだろう。
「そうだな。バルトフェルド司令にはいろいろなことを教わった。忘れることのできない人だよ」
「本当に、惜しい人を亡くしましたよね。今もいてくれたらすごい戦力になってくれたと思います。アスランさんをかばって重傷を負いながらも戦士としての心得を諭す場面は名シーンだと思います!」
もう、アスランから戸惑いの表情は消えていた。
「確かにバルトフェルド司令官は戦死してしまったが、まだザフト地上軍には大勢の戦士が残っているさ。たとえば、砂漠の狐、マーチン・ダコスタ司令代行は3年前から絶えずアフリカ戦線を維持してきた猛者だ」
「バルトフェルド司令官の後任ですよね?」
「ああ。それに、アフリカ大陸は歴史的な経緯から勢力が複雑に入り組んでいる。アフリカ共同体はスエズ運河をザフトが使用することを事実上認めている。おかげでアフリカ大陸に橋頭堡を築くことができる。アフリカ共同体は南アフリカ統一機構と仲が悪いし、紅海を挟んだ汎ムスリム同盟は軍の一部がザフトと同調する姿勢を見せてるくらいだ。」
「地球って全然一枚岩じゃないんですね」
「仕方のない話さ。地球がこんな状態だからこそ、ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンは地球以外の新天地を求めなければならなかったんだからね」
「ですよね」
パラスアテネはアフリカへと向かっている。そこはかつて、アーク・エンジェルを追ってアスランが訪れた地である。映画『自由と正義の名の下に』ではその様子が詳細に語られている。砂漠の虎との出会い、親友との別れ、そして、死別の悲しみを乗り越えた末の勝利。
それはプラントの国民であれば誰もが知っている周知の事実である。